いろいろとあった菊花賞から日が経って、気づけば天皇賞・秋も終わった。天皇賞・秋は、うん。凄かったないろんな意味で。
《ダイワスカーレットとウオッカ! 内からもう一度ダイワスカーレットが差し返す! ダイワスカーレットが差し返す! これは大接戦、大接戦でゴール!》
「あ、あそこから差し返すのか。恐ろしいな、ダイワスカーレット」
「ま、まぁ、あの方、勝負根性が凄い方、ですので。おまけに、相手にしているのもウオッカさんですから。い、いつもケンカしてるの、見ますし」
内で逃げるダイワスカーレットを外から躱そうとするディープスカイ。そのさらに大外からウオッカが飛び込み、3人がもつれ込む、かと思いきやディープスカイだけやや遅れて入線した。1着と2着はまだ確定していない。レース場もざわついている。
持ち込まれる写真判定。長い時間がかけられる。次のレースの発走時刻さえも遅らせ、かなりの時間を要していた。
「長いね、写真判定」
「ギリギリ、だったんだと思います。ウオッカさんもダイワスカーレットさんも、どっちが勝ってても全くおかしくないですし」
思わずこっちも息をのんでしまう状況。ざわついているレース場のファンの前に映し出されたのは──ウオッカの番号である14番が1着に、ダイワスカーレットの番号7番が2着、そして確定の文字だった。
誰もが呆けたように口を開けた後、爆発的な歓声が響き渡る。これはつまり。
「勝ったのはウオッカ、か」
「は、はい。ウオッカさんが、少しだけ抜け出していた、みたいです。どれだけの差だったのか、後で調べておかないと」
天皇賞・秋を制したのはウオッカだった……余談だけど、ダイワスカーレットはターフの上で地団駄を踏んでいる。会話の内容は聞こえないけど、ウオッカに対してライバル心むき出しにしており、ディープスカイに諫められているのだけは分かった。
「は~!? もっとよく調べたまえよ審判委員! ウチのスカーレット君が」
「はいはい落ち着いてねタキオン。審判は絶対だよ」
別のところで違う子が駄々こねてたみたいだけど、関係ないからいいか。
秋天の勝者はウオッカ。2着はダイワスカーレットで3着にディープスカイ。事前評価で三強と言われていた3人が上位を争う形になった。いわば、順当な結果と言えるだろう。
問題は、この3人のうち有馬記念に出走してくるのはどの子か? である。
(正直な話、ウオッカは来られても問題はない。彼女はホノイカヅチと同じで、中山が苦手だからだ)
しかも、ホノイカヅチ以上にウオッカは中山を苦手としている。一度有馬記念を走っているけど着外に沈んでいるし、こられても問題はない。勝てる自信はある。
ディープスカイも、特に問題はない。そもそもマイラー寄りの彼女が来るかは疑問があるが、こっちも大丈夫だという確信がある。
問題は、ダイワスカーレットだ。彼女だけは、要警戒で当たらなければいけない。ホノイカヅチからそう聞いた。
(いまだ完全連対のミス・パーフェクト。こっちも無敗だけど、向こうはシニアに上がってからも記録を続けている)
11戦7勝2着4回、内G1の勝利数は4勝*1。3着以下になったことはないという盤石の勝利を見せている。
しかも、彼女は有馬記念にも出走しており、その時も2着に入っている。シニア級の猛者相手に、クラシック級で2着に入線したのだ。
(ウオッカみたいに中山が苦手という線はない。彼女が有馬記念に進んでくるなら、とても厄介な相手になる)
ホノイカヅチの次走は有馬記念だし、かち合うことになる。今のうちに対策を練っておかないといけない。
先ほどから静かなホノイカヅチ。ダイワスカーレットがいるターフの上をジッと見つめていた。
「……帰ってから、です」
そう呟いて、ホノイカヅチは俺の方へと振り向いた。
「か、帰りましょう、トレーナーさん。見るべきものは、見たので」
「そうだね。このまま帰ろうか」
当初の目的であった天皇賞・秋の敵情視察は終わった。後は帰るだけだ。
帰り道の途中。避けては通れない問題についてホノイカヅチに話すことに。今現在、俺達、というよりは俺が直面していることだ。
「それでホノイカヅチ、取材の件なんだけど」
「ッ!」
取材、という言葉を口にした瞬間、ホノイカヅチは脱兎のごとく逃げ出した。そんな気はしてたけども。
電柱の陰に隠れて、こちらを威嚇するように唸っている。ホノイカヅチは小柄な方だし、小動物が必死に威嚇しているようにか見えないけど。
「い、い、嫌です。オイラをイジメる悪い人達の取材なんか受けたくありません」
「あの件がトラウマになるのは分かるけどさ、流石に受けないのはまずいよ。辛うじて6社ぐらいは受けてるけどさ」
菊花賞の一件以来、ホノイカヅチはすっかり取材を嫌がるようになってしまった。無理もない話だけど、流石に受けないのはまずい状況になっている。
今まではちやほやされて褒められていたからホノイカヅチも気分良く受けていた。ストレスなくやれていたのだ。
だけど、あんなことがあってしまった。ホノイカヅチの走る理由にケチをつけた記者がいたせいで、怖がるようになってしまったのだ。
元々気性が臆病な子、次はいつ悪口を言われるかと不安になっているのだろう。それ自体は仕方ないことで、そもそもあっちが悪いという大義名分がある。本当だったら、頭を悩ませる必要はない。
だけど、記者の中には藤井さんや乙名史さんのような良い人達もいる。ホノイカヅチを肯定する人たちもたくさんいるのだ。全員がホノイカヅチを悪く言っているわけじゃない。
そんな人たちまで否定するのはダメだ。夏合宿の時、ジェンティルドンナに対して怯えていた時と何も変わらない。
(とはいってもなぁ。やっぱり、少数なのは変わらないし)
本音を言うなら元のようにインタビューを受けてほしい。嫌なことはあるかもしれないけど、逃げてばかりはダメなことだ。嫌なことでも向き合わなければいけない時が来る。それこそ、有馬記念のインタビューとかも控えているわけだし。
しかし、無理強いもできない。何故なら、今の世論でホノイカヅチは賛否両論の扱いを受けているから。
(本当にこの子にSNSをさせなくてよかった。誰が止めてくれたのかは分からないけど、今のSNSを見たらホノイカヅチ卒倒しちゃうよ)
ホノイカヅチの走る理由は世間に知れ渡ってしまった。あの会見の全容はお出しされていないけど、それでもどこかの出版社が流したのだろう。ホノイカヅチは、ちやほやされたいから走っているのだと。
意外と受け入れられるかもしれない。そう思っていたけれど……現実は甘くなかった。確かに肯定寄りの意見もあるけど、否定の意見も無視できないくらいにあるから。
否定派が口を揃えているのは、ちやほやされたいからレースを走るのは不純ではないか、というもの。あの記者が口にしたのと同じ言葉だ。もっと高尚であるべきだ、他の三冠ウマ娘と比べて異質すぎる、そんな意見。
正直ふざけるなとか、勝手な理想を押し付けるなとは思っている。ホノイカヅチがどんな理由で走ろうが勝手だろう、と。
ただ、ある一つの問題が絡んでいるのだ。
(ホノイカヅチのハッピー褒められちやほやライフ。これに支障が出るのがな)
反対意見なんて無視すればいい、聞こえないふりをしていればいい。口で言うのは簡単だし、実践するのも難しくはないだろう。
でも、いつかは限界が来る。我慢ができなくなったファンが大きな声をあげかねない。周りのファンを巻き込んで、よからぬことをやりかねないのだ。
そうなれば最悪だ。ホノイカヅチは絶対に気にしてしまう。褒められることよりも、ちやほやされてしまうことよりも。悪く言われたことの方が頭に残ってしまう。良い記憶よりも、悪い記憶の方が残りやすいから。
(それが大一番の舞台で起こってしまったら……想像したくないな)
もう二度と、あの会見のようなことはごめんだ。今のうちに、やれるだけのことはやっておきたい。
そのためにはまず、ホノイカヅチのことを知ってもらうことが一番。だから取材を受ける記者の人数を増やしてほしい、と思っているのだけれど。
「お、オイラ、悪口言った人の顔は全部覚えています。その人たちの取材は断固として受けません。拒否します!」
「う~ん……記憶力をそっちに発揮しちゃったかぁ」
「オイラ、狂いもなく覚えているので! 会社名も、しっかり覚えているので! 騙そうとしても無駄です!」
これだ。ホノイカヅチはあの時あの場で悪口を言った記者の顔を全て覚えている。ホノイカヅチの頭の良さが発揮されてしまったのだ。
(向こうに非がある以上、無理強いもできないしなぁ)
よく知ってもらうならメディアは最大手。利用しない手はないんだけど、この調子じゃ難しいだろう。仕方ないと割り切るしかない。
それに、俺自身どこかホッとした気持ちがある。あの一件以来、俺もメディアが嫌いになりつつあるから。やっぱりホノイカヅチを泣かされたことが相当頭にキている。今でも腸が煮えくり返りそうな気持ちだ。
(難しい問題だな。誰からも褒めてもらえる子になってほしいけど、手段が限られている)
後は、レースでどうにかするしかないか。
「分かった、分かったから。無理にとは言わないよ。それでホノイカヅチのストレスになっちゃったら本末転倒だし」
「そ、その通り、です。分かってくれて、なによりです」
この子にSNSは向いてないし、メディアも使えないとなるともうレースしかない。レースでの姿勢を見せて、否定派の人達の誤解を解かなきゃいけない。レースに真面目に取り組んでいるのだと。
全てはそう、ホノイカヅチのハッピー褒められちやほやライフのために。
(特定の人だけ、なんてダメだ。できるなら、みんなに愛されるような子になってほしい)
こんな子もいるんだと、どんな理由でも走っていいんだと知ってほしい。ただ、何よりも……多くの人にこの子を認めて褒めてもらいたい。ちやほやされて欲しい。そう願っている。
「か、帰ったらデータを集めます。ダイワスカーレットさんのデータや、ウオッカさんのデータ」
「うん。それに、ディープスカイのデータも更新しないとね」
「ふ、フヒ。そ、そうです。いろいろと、やることは山積みですね」
夕暮れの帰り道で、これからのことを考えながら学園へと戻った。
逃げてばかりはダメよねって。まぁストレスになるくらいなら止めた方がいいというのがトレーナーの考え。