冬の季節も終わりを迎え始め、そろそろ春を感じ始める頃。俺はご飯を食べながら頭を抱えていた。
「あの悪夢についての詳細はいまだ不明……手がかりすらわからない。いったい、なんであんな夢を見るんだ」
理由は菊花賞の前辺りから見るようになった悪夢について。痩せていくホノイカヅチを眺めることしかできない、あの夢についてだ。
身に覚えのない光景、知っているはずがない景色。こちらの不安を煽り、不安や後悔といった感情が絶え間なく押し寄せてくる、理解不能な夢だ。
(妙に現実味があるのも困る。なんというか、いずれこうなるんじゃないか、なんて思わせるような夢だ)
「……バカバカしい」
そんなことあるはずがない。そうは思いつつも、まるでこれから起こることかのように鮮明な悪夢が襲ってくる。
菊花賞のすぐ後はそうでもなかった。頻繁に見るようになったのは年が明けてから。とりわけ有馬記念が終わってからになる。あの頃から、悪夢を見る頻度は増え始めた。今ではほぼ毎日のように見るようになっている。
警告するように、今から備えておくようにと言わんばかりに。俺の知らない夢の景色がなだれ込んでくる。ホノイカヅチがどんどん痩せていく夢が。
「本当に何なんだろうか? よく分からないし」
「何の話かな?」
聞こえてきた声はどこかくぐもったような声。弾かれたように声のした方へと顔を向ける。立っていたのは、想像通りの人物だった。
「マートレさん。お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね~。最近なんだかんだ会わなかったから」
「海外遠征もあったから仕方ないですよ」
俺の対面に座り、ご飯を食べ始めるマートレさん。ご飯を食べつつも、俺の呟きが気になっているようで、ジッと俺を見ていた。着ぐるみだから圧が凄いな。
「それで、よく分からないというのは何のこと? 僕でよければ力になるよ」
「え? う、う~ん……本当に分からないんですよ。だから」
「まぁまぁ。こう言うのは誰かに話せば気が楽になるというし。この先輩に相談してみなさい」
別に話して困る内容でもないので教えてもいいのだが、本当に要領を得ないので少しだけ渋る。あまり迷惑をかけたくない気持ちもあるし。
最終的に、まぁいいかということでマートレさんに説明することにした。最近見る夢について。
「最近変な夢を見るんです。その夢の内容なんですけど」
かいつまんで夢の内容について説明する。相変わらず着ぐるみなので表情は分からないけれど、どんどん険しい雰囲気を醸し出しているのをなんとなく察した。
一通り説明をし終えた後、マートレさんは難しそうに唸った。
「あんまり無視できるものじゃないね。確かに、夢の内容はよく分からないけれど」
「そうなんですよ。なにより、現実味がある分余計にというか」
「ただ、このままだとホノイカヅチちゃんに良くないことが起きるみたいなお告げじゃないかな? それを夢として見せている、みたいな」
どこかの漫画みたいな状況に陥っているのか、俺は。今までの自分だったら笑い飛ばしそうなものだけど、そうも言ってられない。
(なまじリアリティがあるのがよくないな。どうしても不安を駆られてしまう)
「最近はほぼ毎日見るようになって。どうにかしたいんですけどね」
「う~ん。その夢のXデーがいつになるかも分からないし、そもそも起きるかどうかも分からないものだ。聞いておいて申し訳ないけれど、これは僕には解決できそうにないね」
申し訳なさそうにしているマートレさんだけど、こうして相談に乗ってくれただけでありがたいんだ。気にしてほしくない。
「そうだなぁ……ネオユニヴァースちゃんに相談するのはどうかな?」
気にしなくてもいい、そう言おうとしたら唐突に提案してきた。ネオユニヴァースと言えば。
「クラシック二冠ウマ娘のネオユニヴァース、ですか?」
「うん、そう。あの子ならこういう事情詳しそうだし、力になってくれるんじゃない?」
「そうなんですか?」
「うん。マーちゃんの時にも何度かお世話になってね。繋がりに関しては、あの子はスティルインラブちゃんと同じ寮の部屋だから、そっちでコンタクトが取れるんじゃないかな?」
ネオユニヴァース、ネオユニヴァースか。今のところ分かる情報もないわけだし、試しに聞いておくのもアリ、ってところか。
「そうしてみます。いつもありがとうございます、マートレさん。あ、そうだ。これ新しいホノイカヅチ人形です。年度代表ウマ娘ver.の」
「お、ありがとう。いやはや、御幸君も板についてきたね~」
マートレさんにホノイカヅチ人形を手渡し、席を立つ。ご飯も食べ終わったので、このままネオユニヴァースのところへと向かおう。善は急げだ。
◇
「断絶。とても“EMGY”だね。早急に回避すべきだとネオユニヴァースは“提案”するよ」
「……は?」
ネオユニヴァースは意外にもすぐに見つかった。とりあえず学園の中庭から探そうとしていたら、三女神像の前でボーっとしている彼女を発見したのだ。
これ幸いと声をかけ、自分の身分を説明。今時間は大丈夫かの確認を取り、了承をもらったので話してみることに。夢の内容を、彼女に教えた。
その結果返ってきたのは──今のままだととてもまずいということ。
「そ、それは、どういうことだい?」
「ホノイカヅチは今、グレート・ディヴァイディングに立っている。彼女を何度か“ASEM”したけど、とてもよくない“SERR”に乗ろうとしている」
「え~っと……とにかく、良くないことが起こるって解釈で大丈夫?」
「アファーマティブ」
いや、うん、分からない。こうして聞きに来たは良いけど、彼女がなにを伝えたいのかはよく分からない。分かったのは、このままだとよくないってことぐらいか。
「でも、ネオユニヴァースにも“TRGDY”を回避する手立てが分からない。分からない、というよりは観測できない」
「そ、それって、どういう」
「どこで分岐するのか、ネオユニヴァースにも分からない。分かっているのは、彼女の前に“ZDAL”が現れること」
教えてもらっている、というよりは一方的に教えられているだけ。ネオユニヴァース曰く、マルチバース世界のホノイカヅチの話を、俺は聞かされているだけだ。
「ホノイカヅチとの“AMRT”を提案するよ。彼女の“ZEER”であるべきだと、ネオユニヴァースは提案する」
「……」
「夢。マルチバースの“QOAX”は無視するべきじゃない」
そう言って、彼女は立ち去って行った。
いや、うん。いざ聞きに来たはいいけど。
「な、何も分からないっ。しいて言うなら、今よりもっと仲良くなっておけということだろうか?」
ネオユニヴァースはそう言っているのかもしれない。いや、分からないんだけど。でもそうした方がいいと言っているような気がした、うん。
彼女の目線からすれば、ホノイカヅチにはよくないことが起ころうとしているらしい。それを回避する手立てが、今よりもっと仲良くなること、か。
「……どうすればいいのか全然分からない。とりあえず、もう一度マートレさんのところに行くか」
あの人のトレーナー室に行けば会えるはずだ、うん。
で、マートレさんのトレーナー室に来たわけだけど。
「一応、聞きに行ってみたんですけど。よく分からなかったです」
ひとまずあったことを説明する。ネオユニヴァースと会って話したこと、そして警告されたことを。
「あ~、うん。これは僕が言いそびれていたね。悪い子じゃないんだけどね、ネオユニヴァースちゃん」
「それは分かります。急に話しかけてきた俺にも普通に対応してくれましたし」
急に押しかけてきた俺にもいつもの態度で接してくれた辺り、あの子は優しい子だ。ただ、理解するには俺の知能が足りなかっただけで。
「とにかく、ホノイカヅチにはよくないことが起こるかもしれないんです。それがなにかは分からないんですけど」
「なんとなくこうじゃないかな? って予想はないのかい?」
「まぁ……あるとすれば海外遠征じゃないかなって」
ただ、海外遠征がどう繋がるのか分からない。果たして何が起こるのか、夢の内容とどう繋がるのか。
考える。夢の内容をできるだけ思い出して、海外遠征で起こる悪い出来事に関して思いつく限りのことを。
それでも、これといったものは出てこない。どうしたものかな。
「……もしかしてだけど、海外遠征に着いていかなかったとか?」
「えっ?」
「いやさ、そもそも御幸君は海外遠征に着いていく前提で話を進めているだろ? ホノイカヅチちゃんの」
それは当然だ。俺は彼女の担当トレーナーだし、着いていくのが当然ではないだろうか。ただでさえあの子は気が弱いのに、知らないトレーナーに任せてしまうことになるのはっ、て。
「あ、あぁ!? も、もしかして!」
「気づいた? 多分だけどさ、御幸君が見ている夢って、ホノイカヅチちゃんの海外遠征についていかなかった場合の話なんじゃないかなって」
マートレさんの言葉に首を縦に振る。そう考えれば合点がいく。
どこかテレビ越しで見ているような景色も、触れたくても触れられない状況も。俺がそもそも海外遠征についていかなかったって考えれば辻褄が合う。だって、俺はその場にいないんだから。
「海外遠征の際は現地のトレーナーだったり、中央の経験豊富なトレーナーに任せるなんてことがままあるからね~。多分だけど、御幸君が見ていたのはそんな夢なんじゃない?」
「い、言われてみれば……そう考えれば辻褄が合いますね。なんで気づかなかったんだ、俺」
「着いていくのを当たり前に考えていたからじゃない? 離れる気がなかったんだから、そりゃ考えもつかないでしょ」
騒がせてしまった夢の話だが、結局のところ、俺が着いていけばいいだけの話ではないか。そう結論が出たのだった。
まさか、こんな顛末を迎えるなんて。
(俺が着いていかずに、知らない人ばかりの海外遠征を過ごすことになったホノイカヅチ。彼女の性格を考えたら、ストレスを抱えて衰弱するのも無理はない)
元が繊細で臆病な子だ。痩せ細っていくのが容易に想像できる。
そうなると、どうして俺は着いていかなかったとか、ホノイカヅチはよく了承したなとか思うけど、もう些細なことか。
「本当にありがとうございますマートレさん! おかげですっきりしました!」
「僕特に何もしてない気がするけどね。ま~お役立ちできてよかったよ」
「それじゃあ俺、仕事に戻りますね! 本当にありがとうございました!」
部屋を出て、すぐさま自分のトレーナー室へと戻る。夢のことが分かって、すっきりした気分だった。
「阪神大賞典ももうすぐ。勝てるようにしっかり調整しないと!」
次のレースに向けて、頑張るぞ!
◇
雨が降る阪神レース場にて、1人のウマ娘がレースを観戦している。
「彼女の軌道は変わらない。阪神大賞典から変わらず、“SERR”」
見ているレースは阪神大賞典。雨が降っているにもかかわらず多くの人が観戦に来ており、1人のウマ娘に熱中している。
「頑張れー、ホノイカヅチー!」
「年明け初戦、取ってくれよー!」
いつもの先行の位置ではなく、追込の位置──最後方で走っていた彼女。当初こそ観客は不安を抱いていたが、その不安はもはや払拭されている。
《第4コーナーを回って最後の直線に入ります。さぁホノイカヅチが一気に差を詰める、ホノイカヅチが先頭へと襲い掛かる! これが無敗の四冠ウマ娘の脚だ、後方から一気呵成に襲い掛かるぞホノイカヅチ! 雨の阪神に走る稲妻が、まさに先頭を捉えようと上がってきた!》
向こう正面半分から進出を開始し、最後の直線に入る頃には先頭へと襲い掛かっていた。追込でもレースができる、ファンがそう判断するほどに。
見事なレース運び、盤石の強さ。あまりにも強い三冠ウマ娘相手に、ウマ娘達は歯を食いしばりながらも粘り続ける。
ただ、ホノイカヅチは一瞥することもなく抜き去った。淡々と、鋭く、雷が走るように。大外から豪快に抜き去る。
《ホノイカヅチだホノイカヅチだ、残り200mでホノイカヅチが先頭に変わった変わった! その強さに陰りなし、ホノイカヅチが圧巻の強さを発揮して抜け出したァァァ!》
もう独壇場だ。明らかに余力を残した状態のホノイカヅチ、逆転の手立てはない。ファンはそう確信して、黄色い歓声を上げる。
盛り上がる観客席とは対称的に、ネオユニヴァースはただ静観していた。阪神大賞典を。
「……“EMGY”」
彼女独特の言語。EMGYはエマージェンシー、緊急の意義。ジッとホノイカヅチを見つめて、彼女はそう呟いた。
「少しだけ軌道は逸れた。でも、ほんの“SRIV”……結末に影響はない」
その視線はどこか悲しみを帯びており、どことなく嫌な未来を想像させる……そんな視線だ。
「彼女の結末は、この先は“HPED”なのか。ネオユニヴァースには分からない」
最後にそう呟いて、ネオユニヴァースは阪神レース場を後にした。
《ホノイカヅチが圧巻の走りで今、阪神大賞典を制しました! 勝ったのはホノイカヅチ、最後方からの豪快な末脚でレースを制しました! 雨の重バ場でこれだけの脚、これだけの強さ! 海外遠征にも陰りなし! 見事なレースを見せてくれました!》
ネオユニ難しすぎんねん。