イギリスに着いた翌日は練習場へと足を運ぶ。とはいっても、トレーニングをするためではない。
「どう? ホノイカヅチ。芝の感触は」
「……やっぱり、VRとは少し違います。また情報を見直さないといけません」
芝の感触を確かめるためだ。VRでトレーニングを積んだとはいえ、あくまで仮想空間。本物とは違う可能性も考慮しなければいけない。実際、ホノイカヅチは僅かに違うと判断していた。
「クッション性の微妙な違いに蹴り上げる時の力も少し変わってきますね。これも、最適なものに変えないと」
今もブツブツと個人的な考察を呟いている。この時は邪魔したらいけない。集中力が凄すぎてまず気づかれないんだけど。
ある程度呟きが止まったら、ホノイカヅチへと声をかける。
「それじゃ、今日は見学だけだから帰ろうか。こっちでの生活に少しでも慣れておかないと、レースに影響が出るからね」
「フヒ。し、知らない土地、怖いですからね。気をつけないと」
ホノイカヅチを連れてホテルへと戻る。午後の時間は別行動だ。
俺は周辺の散策に時間を費やし、休めるようなスポットを探すことにした。
(ホノイカヅチは静かなところを好む傾向にある。人も少なくて、なおかつ休まりそうな場所か)
「図書館とか、カフェとかかな? カフェだとホノイカヅチの好きな甘いものもあるだろうし、丁度いいかもしれない。探しておこう!」
レースも大事だが、休養だって外せない。気を楽にして勝負に挑むことこそが勝利への近道になる。ただでさえ日本じゃない場所なんだから、当たり前だ。
ここイギリスにおいて、ホノイカヅチはアウェー。今まで走っていた日本のホームとは遠く離れた土地だ。当然、今までのような声援を受けることは難しい。
(交流が盛んに行われるようになったとはいえ、こっちの有力ウマ娘よりは知名度は劣るだろう。こっちで走ったことはないのだから)
日本の三冠ウマ娘としての触れ込みはあるだろうが、まだまだ無名もいいところと考えている。望むような称賛を浴びることができるか、不透明だ。
だからこそ、次のレースは大事。ホノイカヅチという存在を刻み込むためには、ぜひとも勝っておきたい。勝つのは難しいとしても、注目されるようなレースにしたい。
「プリンスオブウェールズステークス。ロイヤルアスコットの2日目で、伝統的な中距離戦。有力なウマ娘が出走してくる」
気合いが入る。この大舞台を勝つことで、ホノイカヅチの名が世界に響くことになる。彼女の魅力を知ってもらえる。ちやほやしてくれる。そう考えると、嬉しくて仕方がなかった。
「よし。そのためにも、ホノイカヅチが休めるようなスポットを探そう!」
散策にも気合が入る。これは、頑張らないとな!
なんて、思っていたのだが。たまたま入ったよさげなカフェに置いてあった新聞を手に取った瞬間、少しだけ恥ずかしくなった。
手に取った新聞の一面を飾っているのはホノイカヅチ。書かれている内容は──【日本の新しい三冠ウマ娘の参戦!プリンスオブウェールズステークス有力候補の一角!】と、でかでかと書かれていた。
(いや、日本の三冠ウマ娘は記憶に新しいからそうかもしれないとは思ったけどさ)
どうも、ホノイカヅチはイギリスでもかなりの注目株らしい。なんせ、プリンスオブウェールズステークス優勝候補とまで書かれているのだから。
これが1社だけならまだ熱烈なファンがいるんだなで済ませられた。だが、置いてある新聞記事には一面じゃないにしても、ホノイカヅチのことについて書かれている記事が多い。ほぼ全部の紙面に載っていた。
うん、アレだ。どうやら俺の思っていた以上に、ホノイカヅチはイギリスで人気らしい。ぶっちゃけ舐めてたところはあるかもしれない。
(思えば、英雄の時も凄かったって聞いたことあるな。こっちの人達も褒めちぎっていたとか)
新たな三冠ウマ娘が欧州の地にやってきた。それだけでテンションが上がるのかもしれない。なんというか、知らなかった自分が恥ずかしい。下克上気分でいたから余計に。
とはいえ、注目されているのは嬉しいこと。さらには優勝候補の一角と言われているのも喜ばしいことだ。こちらでも好感触ということなのだから。
(こっちの芝の対応に、メンタル面のケアも大事。特に、海外は初めてだ。ホノイカヅチだって不安に思っていることがあるはず)
「彼女の力になれるようにしないと。まずはっ?」
ここのカフェをホテルにいるホノイカヅチにおススメしよう。そう考えていた時、ふと視線に気づく。
視線の先を辿ってみると、なにやらワクワクした表情の人がいた。それも、見た目がかなり記者っぽい人が。
視線が合う。ずんずんとこちらに歩み寄ってくる。俺が座っている席にたどり着く。
「『初めまして! あなたはホノイカヅチさんのトレーナーの、御幸トレーナーですね?』」
「あ、は、『はい。そうです』」
やたらとテンションが高く、気圧されそうになるけど合っているので頷く。すると、目の前の彼は感激した様子を見せていた。
「『この場所で、まさかホノイカヅチさんのトレーナーさんに会えるとは! なんと運命的な!』」
「いや、あの」
「『日本で無敗を誇る最強のウマ娘ホノイカヅチ……彼女がついにイギリスへと乗り込んでくる! 実は我々、とても楽しみにしておりまして』」
その後もホノイカヅチはこちらでも高評価だとか、どのウマ娘もマークしているとかいろいろと話を聞かされた。なんにせよ、この人は熱心なホノイカヅチファンなのかもしれない。
「『どうしてそこまでホノイカヅチに注目を?』」
「『日本の英雄の影響もあるでしょうが、なによりも彼女からにじみ出る気品でしょう! レーススタイルも、実に我々好みだ!』」
気品、気品か。確かに、ホノイカヅチは名家の子、気品はあるかもしれないけど……あんまり感じたことはないな。
その後もいくらか話をした後、レース本番を楽しみにしている、と口にして去っていった。
去っていく姿を見ながらふと思う。
「凄い注目を浴びているんだな、ホノイカヅチ。これを知らなかったのは本当に恥ずかしいぞ、俺」
環境に適応しなきゃいけないとか、ホノイカヅチのためにって気持ちが先行しすぎて周りを見ていなかった。まさかここまで評価されているなんて。空港ではよく無事だったな、俺達。運がよかった。
たまたま入ったカフェで思わぬ情報を仕入れることができた。期待されているという事実に、気合いが入る。
「っよし、頑張るぞ!」
その日はとてもテンション高く過ごすことができた。
◇
イギリスでの日々は順調、と言ってもいいでしょう。とても充実した日々を過ごしています。
そう、なんて言ったって。
「『日本最強のウマ娘がイギリスに到着! どんなレースをしてくれるのか楽しみです!』」
「『あれがホノイカヅチか。やはり、彼女は素晴らしいウマ娘だ。見れば分かる』」
「『一体こっちでどんなレースをしてくれるのか。今から楽しみだよ』」
オイラのことたくさん褒めてくれますからね! とても、凄く、めちゃくちゃ褒めてくれますからね! フヒ、フヒヒ……! もっとオイラを褒めてちやほやしてください!
初日こそ大変でした。日本国内の遠征には慣れていましたが、海外の遠征は未知数。不安を抱いていましたが、その不安が的中するかのように体調を崩してしまいましたから。
お薬でなんとか凌いで、1日寝てようやく回復。翌日に予定していた芝の確認に間に合うことができました。まだちょっと気分は悪かったですけど、動く分には問題なかったのでOKです。
芝の確認を済ませた後、オイラはホテルで休んでいたのですが……その夜、とても素敵な情報をトレーナーさんからお聞きしました。信じられないことを、夢にも思わなかったことを。
「ホノイカヅチはこっちで凄く期待されているみたいだよ! ほら、ほとんどの新聞が君のことを書いてる!」
「え? ……あ、本当です。オイラの記事がたくさん……っ!」
なんと、ここイギリスではオイラのことを高く評価しているらしいです。フヒヒ、レースの本場の地で、なんと嬉しいことでしょうか。
気品がある立ち姿に、正確にして冷酷なレース運び。王道も王道の策で真っ向から相手をねじ伏せるストロングスタイル。まさしく最強と呼ぶに相応しいウマ娘……と、こっちではそう語られているらしいです。海外挑戦をしてくれて嬉しい限りだとも。
(オイラ、注目株。オイラ、強い子っ!)
フヒヒ、褒めてくれるイギリスの方々は良い人達。オイラ、覚えました。
……と、浮かれることはたくさんありますが、時間は有限です。ほどほどにしないといけません……そう、ほどほどに、ほどほどにしないといけません! たとえどれほど名残惜しくてもです!
オイラがやるべきことは2つ。こちらの芝に対応することと、対戦相手となるウマ娘のリサーチです。この2つを徹底しなければなりません。
対戦相手の方はいいでしょう。こちらはトレーナーさんが協力してくれますし、負担は半減されますから。いったん端に避けても問題ありません。
問題は芝の対応。こちらの方は少々難儀するかもしれません。
(VRで多少慣れてはいますが、それでも差がありますね。時間が掛かりそうです)
日本と全く違う、わけではありません。むしろ近しいものはあります。ですが、それでも何かが違う。その何かを、明確にしないといけません。
(後はコースの問題。欧州で求められるのはタフさ。日本とは比較にならないほどの高低差を誇るレース場を、攻略しないといけない)
高低差のあるコースと言えば中山レース場。約5.3mほどらしいですが、欧州はそんな生易しくありません。
22mから22.5m。オイラが走るアスコットレース場の高低差であり、日本のウマ娘が阻まれてきた原因でもあります。中山の、4倍以上の高低差が待ち受けている。
(スピードだけじゃダメ、スタミナだけじゃダメ。この坂をものともしない、パワーが必要になる)
「……」
「『見ろよ、凄い集中しているぜ』」
「『あぁ。こっちの芝に対応しようとしている』」
距離は2000mちょっと。王道の走りをすればまず間違いありません。マークも、注目されているとはいえ緩いでしょう。
(日本で結果を残しただけですから。注目株と言えど、オイラのマークは甘いはずです)
欧州の芝でどれだけ走れるか未知数な部分がある。警戒に値するかもしれないが最優先で警戒するような相手ではない。他陣営の考えは、そんなところでしょうか。
なんにせよ、プリンスオブウェールズステークスは重要です。とても重要です。なんてったって。
(勝てばさらにちやほやされる……! オイラのちやほや褒められライフが、わーるどわいどに展開されますっ!)
ただでさえ高まる期待、そこに応えることができたら、オイラはさらに褒められること間違いなしですから! これは是が非でも気合が入ります!
プレッシャーを感じないわけではありません。時に重くのしかかってくることだってあります。
だけど、それは仕事をする上では必然。必ずついて回るものです。だからこそ、我慢しなければいけません。
なにより。
(フヒ。と、トレーナーさんの名声も、うなぎ上り。トレーナーも、たくさん褒められるはずです)
お世話になっているトレーナーさんのためにもなる。これは気合が入りますよ。えぇ、とても入ります。だって、トレーナーさんは大事なパートナーですから。
オイラを見出してくれて、オイラを褒めてくれて。ここまで着いてきてくれたトレーナーさん。感謝しかありません。
いつもオイラに期待してくれている。その期待に、オイラは応えたい。その気持ちが、多分一番強いかもしれませんね。
だから大丈夫。不安なんて、トレーナーさんがいてくれれば吹っ飛んじゃいますから。
(フヒ、フヒヒ。ハッピー褒められちやほやライフは順調です。これからも順調に進むために、芝に慣れないといけませんね)
感触を確かめて、自分に最適な走りを見つけます。1日では無理でも、何日も時間をかけて模索する。海外でもやることは変わらない。
「当たり前のことを当たり前に、やるべきことを十全に……よし」
頬を叩いて気合いを入れます。まずはこの芝の攻略、ですね。
調子はまぁまぁ良さそう。