イギリス遠征の日々はあっという間に過ぎていく。
「ホノイカヅチ。芝の対応はどう?」
「もうちょっと、な気がします。まだ、感覚はつかめていません」
「そっか。だけど、レースまでまだ時間はある。焦らずゆっくりと慣れていこう」
現地の芝にも徐々に慣れ始め、走る分には問題ないレベルまで来ている。ここから勝ち負けに絡めるようになるために、もうひと踏ん張りだ。
「タータンベアラーが有力視されている。前走のステップレースで勝ったのが評価されてるね」
「フヒヒ……オイラ1番人気。オイラがこっちでも1番人気!」
「あぁ、うん。その分マークもされるだろうから気を付けてね? 大丈夫だとは思うけど」
プリンスオブウェールズステークスに出走するウマ娘達のデータ集め。芝の対応に忙しいホノイカヅチの分も、こっちは俺が頑張らないといけない。
「ありがとうございます、トレーナーさん。このデータ、凄く見やすい、です」
「役に立ったのならよかったよ。それに、俺は君のトレーナーだ。これくらいのことはできないとね」
「フヒ。重ねて、ありがとうございます」
昼はトレーニングに打ち込み、夜は対戦相手の研究に精を出す。これだけ充実した日々を過ごしているのだから、あっという間に過ぎるのも当然かもしれないな。
着実に、しっかりと成長していく。
「タータンベアラー……ヴィジョンデタ……ネヴァーオンサンデー……ラビット役のウマ娘の情報も入ってきている……ペースを乱されないように走るための位置取りは」
「ホノイカヅチ、サンドイッチここに置いておくね。お腹が空いたら食べて」
「こちらのウマ娘のスタートは特筆すべきところはなし。オイラが先頭に立って逃げる可能性も考慮。その場合理想的なラップタイムは」
当たり前のことを当たり前に、やるべきことを十全に。常日頃から口にしているモットーの通りに、ホノイカヅチはイギリスのレーススタイルにアップデートする。勝つために、というよりは全力を尽くすために。
勝ちを意識するのではなく、全力を出すことに意識を割く。自分の持てる力を全て出すために、徹底してトレーニングと研究を重ねる。これこそが、ホノイカヅチの強さだ。
(また後で声をかけに来るか。持ってきたはいいけど、食べなさそうだし。気づかせるためにも、もう一度部屋に来よう)
今もノートとPCと睨めっこをしているホノイカヅチに微笑ましさを覚えながら、俺は自分の仕事に取り掛かる。アスコットレース場のスクーリングに、これからの練習予定などやることは山積みなのだから。
そうして日々は過ぎていき。気づけば──プリンスオブウェールズステークス本番の日を迎えていた。
「ホノイカヅチ。調子はどう?」
「フヒ。ば、ばっちりです。芝の対応もギリギリ間に合いましたし、情報も頭に叩き込みました。だから……全力を出してきます」
「うん、頑張ってきて。君は強いウマ娘、世界で一番強い子。君の全力は、誰よりも輝いている!」
「フヒヒ、フヒヒっ! が、頑張りますっ!」
ターフに向かう彼女を見送る。俺も、急いで席に向かわないとな。
◇
晴れ空広がるアスコットレース場。日本とはまた違った観戦方式であるが、一般席では多くのファンが詰め寄っている。
ロイヤルミーティング2日目。伝統と格式の高いイギリスレースの祭典。2日目のメインレースであるプリンスオブウェールズステークスを目当てに来たファンが多い。距離は芝の9ハロン212ヤード*1だ。
話題を集めているのは日本からの挑戦者。無敗の三冠ウマ娘にして現役無敗を誇る【雷光】ホノイカヅチだ。本レースの1番人気であることからも、その期待がうかがえる。
「『あれがホノイカヅチ……初めて見るけど随分と小さいね』」
「『けど、とっても可愛いわ! 頑張ってー、ホノイカヅチー!』」
「『期待してるぜ日本の挑戦者!』」
現地のウマ娘からすれば面白くないだろう。余所者が1番人気を奪い去り、自分たちが日陰に追いやられているのだから。鋭い視線をホノイカヅチに向けている。
だが、その鋭い視線は気に入らないといった類のものではない。ホノイカヅチを強者として見ている、脅威として判断している者の目だ。
(さっきまでニヤニヤへらへらしてたけど、雰囲気が一変した。これがレース中の)
(映像は見た。コイツは王道のレース展開を好む。ともすれば、必然的に競り合うことにはなるか)
(とにかく、コイツのヤバさはまだ未知数だ。芝の対応ができていない可能性もある。日本のウマ娘は、大半が対応できずに沈んでいったからな)
(警戒は、さすがにしておくべきか。とにかく、ペースを握られないようにしないとね)
それぞれの思惑が蠢くアスコットレース場。しばらくすると、係員からゲート入りの時間がやってきたことを知らされ、彼女達はそれぞれのゲートへと向かう。ホノイカヅチも同様にだ。
ゲートの前。ホノイカヅチは周りを見渡すことなく、特に反応することもなく。淡々とゲートへと入った。いつものように、日本の時と何ら変わらない動作でスムーズに入る。4番枠……中央の枠番だ。
《ロイヤルミーティング2日目、メインのプリンスオブウェールズステークスの時間がやってきました。9ハロン212ヤード、伝統の中距離戦の舞台に集ったウマ娘達。やる気に満ち溢れております。芝の状態はFirm*2、出走するのは9人のウマ娘。注目を集めているのはやはり、日本の挑戦者ホノイカヅチでしょう》
《そうだね。イギリスの報道陣が連日話題にしているから、凄く印象に残っているよ。ちょっと小柄だけど、レース中にどう響くかな?》
順調にゲート入りは進み、最後のウマ娘がゲートに入る。全員がゲートの中で態勢を整え、すぐにでもスタートできる準備を整えていた。
《最後のウマ娘が入って態勢整った。メインレースのプリンスオブウェールズステークスが今っ、始まりました! 日本のホノイカヅチが好スタートを切った、ホノイカヅチが好スタート。先頭に立つ勢いだ。そうはさせまいと内から上がるトワイスオーヴァー、外からはタジーズが上がってきているぞ》
一瞬の静寂の後、ゲートが開き。ウマ娘達が一斉に駆け出した。真っ先に飛び出したのはホノイカヅチ、華麗なスタートで先頭に立つ。
ただ、そう易々と先頭は取らせない。内からはトワイスオーヴァーが上がって内へと入りこませず、外からタジーズが被さるように飛んできた。アスコット最初のコーナー、スウィンリーボトムと呼ばれる地点めがけて下っていくホノイカヅチ達。
ホノイカヅチはというと……特にアプローチを見せない。外から躱そうとしてくるタジーズをそのまま行かせ、自分はトワイスオーヴァーの半バ身後ろに付く。
(スピードに乗りすぎると、コーナーを曲がるときに苦労します。それにまだ序盤の攻防、ここの位置取りは焦る段階ではありません)
抜かそうとする素振りを見せられても、ホノイカヅチは冷静に頭を働かせる。周囲を警戒するように首を動かし、大まかな位置を予測、隊列を頭の中で組み立てる。
(おおよそ360mだからすぐ。こうして考えている間にも、スウィンリーボトムの場所へと迫っている)
先行争いの位置に加わるホノイカヅチ。トワイスオーヴァーにヴィジョンデタと競り合う。ただ、ラビットのように動くタジーズ以外はほぼ同じ位置に固まっていた。
熾烈な位置取り争い、にはならない。お互いに牽制し合い、出方を窺っている。
その理由は当然、今が下り坂だからだ。なにより、アスコットのコース形状から激しい競り合いには基本ならない。折り合いをつけるのが大事になってくる。
《さぁ、スウィンリーボトムを越えてオールドマイルコースに入っていきます。先頭はタジーズ、タジーズが先頭でレースを引っ張ります。2番手との差は2バ身から3バ身、少し大きめに曲がっています》
《勢いをつけすぎているね。後続はっと、これは上手いコーナリングだ》
《2番手以下は綺麗に曲がります。2番手は内側トワイスオーヴァー、その半バ身後ろに付ける日本のホノイカヅチ。タジーズ以外で集団を形成しています、スウィンリーボトムからオールドマイルコースへと入ろうとしている》
スピードを出すことよりも曲がることを重視する。ホノイカヅチはその精神でスウィンリーボトムを曲がる。
(日本では体験できないこのコーナー……確かに、これは苦労しそうですね。キングジョージでも覚えておかないといけません)
スクーリングで一度走ったとはいえ、レースとなるとまた感覚が違ってくる。その感覚の差をできる限り埋めて、3番手の位置をキープしていた。
そしてオールドマイルコースに入る。ホノイカヅチの目に飛び込んできたのは──壁のように立ちはだかる坂道だ。
(これがアスコットのオールドマイルコース。高低差20mの上り坂、ですか)
日本とは比べ物にならない高低差。まさしく壁のように感じるホノイカヅチ。経験したことのないウマ娘は気圧されるだろう、それだけの上り坂だ。
だが、ホノイカヅチにとっては関係ない。走るコースがどうとか、そんなものは一切気にしない。冷静に、淡々と3番手をキープし続けてオールドマイルコースを駆け上がる。
《オールドマイルコースの坂道を上るウマ娘。隊列はタジーズを除いて固まっている。緩いペースで進むプリンスオブウェールズステークス、ここから誰が一番先に仕掛けるか? 4番手以降はヴィジョンデタ、ネヴァーオンサンデー、ヴァーチュアルそしてエステジョ、トリンコットと続きます》
どうして気にしないのか? なぜ気圧されないのか? その理由は単純明快。全力を出さない理由にならないからだ。
ホノイカヅチが理想とするのは、己の持てる力を全て出し尽くすこと。その上で勝ったら嬉しいし、負けたらしょうがないと考える精神。これがホノイカヅチのレース観となっている。
だからこそブレない。自分の力を出すことだけに注力して、最善手を打ち続けるだけ。それで日本のレースを勝ってきた。
退屈なレース運びかもしれない。教科書通りの、お手本のような見栄えのないレースかもしれない。
しかし、そのブレなさこそが、ここ欧州では人気を博すことになる。
「『なんて冷静なレース運びだよ。全然動じてねぇっ』」
「『こりゃ、日本の三冠を取ったのも頷けるな。初の海外遠征でこれとか、文句のつけようがねぇよ』」
「『恐ろしいな。もう少し警戒を引き上げるべきだったか』」
レースを観戦に来たファン、上流階級のファンに加え、欧州のトレーナー陣も舌を巻く。初めての海外遠征でいつも通りのレース運びを貫く、ホノイカヅチというウマ娘の走りに。
位置取りに関しても、文句のつけようがない。内のトワイスオーヴァーを閉じ込めるように動き、前を走るタジーズが壁になるように仕向けている。外から上がろうとしているネヴァーオンサンデーを牽制しつつ、内に控えているヴィジョンデタらも外から上がらせることを強要する。
非の打ち所がない。まさしく完璧なプランニング。およそ初めて海外遠征したとは思えない、むしろホームスポットでレースをしているんじゃないか。そう思わせるだけのレース運びをしている。この、アスコットという舞台で。
ホノイカヅチは終始3番手をキープし続けた。それも最内を走り続けるタジーズを最短経路で抜かすことのできる、外側の位置で。内にいるウマ娘を閉じ込めつつ、自分だけが仕掛けることができる場所で。
《オールドマイルコースを抜けて最終コーナーに入った。タジーズはそろそろ厳しいか? タジーズはそろそろ厳しいかもしれないがっ、ここでホノイカヅチが動いた! ホノイカヅチが仕掛けます! 内のトワイスオーヴァーは仕掛けようとするがっ》
《タジーズが壁になっているね。アレだと仕掛けようにも仕掛けられない》
《あらかじめ外に抜けていたヴィジョンデタも遅れて参戦。大外からはネヴァーオンサンデー、ネヴァーオンサンデーだ! 目まぐるしく攻勢が動く最終コーナー、最後の坂を駆け上がって栄光へと走ります!》
誰よりも速くホノイカヅチが仕掛けた。元々他のウマ娘も同じ場所で仕掛ける予定だったかもしれないが、ホノイカヅチが先に動いてしまった。おかげで、ホノイカヅチに続く形で仕掛けたようにも見えてしまう。
道中ブレなかった。一度たりとも掛からなかった。ただ淡々とレースを走り、なんでもないように走り続けた。そんなウマ娘のスタミナが切れることなど……あり得るはずがない。たとえ、遠い島国からやってきたウマ娘だとしても。
誰かの吐息が聞こえる。感嘆の息が思わず漏れてしまったファンがいる。
「……ビューティフォー」
誰かの呟き。真っ向からの実力勝負で、少しも乱れないフォームで走り抜けるホノイカヅチを見て、口から漏れ出た。
少しずつ、徐々に突き放す。その差が3バ身、4バ身開こうかというところで。ホノイカヅチの身体がゴールラインを割った。
《ホノイカヅチだホノイカヅチだ! これが日本の三冠ウマ娘の実力だ! ホノイカヅチがプリンスオブウェールズステークスを圧勝しました! いや、なんと素晴らしいレース運び、まさしく勝つべくして勝ったレース! 有力ウマ娘を全く寄せ付けなかったぞ!》
いとも簡単に、とてもあっさりと。ホノイカヅチはプリンスオブウェールズステークスを勝利した。
あらやだホノちゃんお強い。