選抜レースから数日が経ち。俺はホノイカヅチと担当契約を交わした。彼女との二人三脚が始まる。
まず最初にやったことはメディカルチェック。彼女に身体の異常がないかを調べた。危険な兆候が見られたとかそういうことではなく、契約を交わすうえで必要なことだからだ。
医者がくまなく調べた結果、分かったことはホノイカヅチが全くの健康体であること。つまり、異常はなかった。
「健康状態に問題なし、だけど」
「ふ、フヒ……お医者さん嫌い……」
「申し訳ないけど必要なことだから、我慢してもらうしかないんだホノイカヅチ」
いや、ホノイカヅチの精神状態はあまりよろしくないけど。どうやら彼女、医者が苦手らしく、検査中はずっと青い顔をしていた。なにかトラウマになるようなことでもあったのだろうか。
このままというのも良くないから、ご褒美としてなにかしようと考える。
「ほら、頑張ったご褒美になにか買ってあげるからさ。甘いものとか、好きなものとか」
「……」
だがホノイカヅチは知らん顔、というよりは期待するような目を向けている。何を望んでいるのか全く分からない、分からないが。
ふと頭によぎる、褒められたいという言葉。もしやと思い、口にする。
「……よく我慢できたねホノイカヅチ。ホノイカヅチは強い子だ」
「ふ、フヒ、フヒヒ。お、オイラ強い子」
「うん。俺もお医者さんは怖いからね。我慢できたホノイカヅチは間違いなく強いよ。えらいえらい」
ぎこちないけどこれでどうか。ホノイカヅチの反応はというと。
「フヒヒ。これくらい、オイラにかかれば造作もないです。なんたって強い子、なので」
(さっきまで青い顔してたのに)
死にそうな顔が嘘のようにつやつやとしていた。どうやら医者の恐怖はもうなくなってしまったらしい。俺の対応は合っていたようだ。
この数日で分かったことだが、ホノイカヅチはかなり褒められるのが好きな子だ。褒めただけでメンタルが変わるぐらいには。
そもそもがトゥインクル・シリーズで活躍したい理由が理由。なんとなく想像はついていたけれども、ここまでとは予想外だ。どれだけ落ち込んでいても、少し褒めればこうして気分を上げてくれるのだから。
一見、ここまでだとメンタル管理が楽そうだと思うかもしれない。けど、事はそう簡単にいかない理由が一つある。
その理由が、彼女の勘の鋭さだ。観察が趣味の彼女は、些細な違いから嘘を見抜くことができる。お世辞の類は効かないとみていいだろう。
(誉め言葉に嘘が混じっていると勘づかれる可能性がある。慎重にいかないと)
嘘をつかず、誠実に。ホノイカヅチのメンタルを安定させるためには、自然体の言葉で接する必要がある。間違っても、思ってもない言葉を彼女にかけないようにしないと。
「ど、どうかしたんですか? トレーナー。考え込んでますけど」
「いや、今後のことでちょっとね。嘘は吐かないようにしないとな~って」
「フヒ。嘘はダメだって、父様も母様も言ってました」
「うん。嘘は良くないよね。相手を傷つけるような嘘は」
些細な会話で彼女との親睦を深める。青い顔をしたホノイカヅチはどこにもおらず、上機嫌な様子で帰ることができた。
検査が終わってトレーナー室。次は今後の目標だ。トゥインクル・シリーズを走る上での目標を決めていく。
「ホノイカヅチはなにか出たいレースはある? 有名なのだと日本ダービーみたいなクラシック三冠だけど」
やはり、目標レースで挙げられるのは日本ダービーになるだろう。最も権威のあるクラシックレースだし、ウマ娘にとっての憧れだ。トゥインクル・シリーズを代表するレースになるだろう。
ホノイカヅチは、元気よく答える。
「い、一番ちやほやされるレースに出たい、です。なので、クラシック三冠に出たいです!」
「あ、うん。分かったよ。なら当面の目標はクラシック三冠ね」
「はいッ!」
今日一元気な声だな。動機もアレだし。いや、理由があるのは良いことだけどね。その理由がどういうものかはともかくとして、明確に定まっているのは良いことだ。
「後は有馬記念にも、出たいです。あのレースは、オイラにとって思い出深いレース、なので」
「有馬記念……理由を聞いてもいいかい?」
クラシック三冠だけではなく、冬のグランプリの有馬記念にも出走したいらしい。加えて、クラシック三冠を口にした時とは感じが違う。その違いが気になった。
ホノイカヅチは懐かしむような表情で語りだす。有馬記念の思い出を。
「お、オイラが中央に入学する時、お世話になった方がいるんです。その人は本家の方で、メイヂヒカリ様って言うんですけど」
「ッ! メイヂヒカリか!」
「は、はい。さすがに知ってますよね?」
当然だ。メイヂヒカリの名前を知らないわけがない。なんせ、有馬記念の優勝者なのだから。末脚の鋭さは日本刀にも例えられた、日本でも屈指のウマ娘の名前だ。
一応ホノイカヅチのことは調べていた。その中で、メイヂヒカリとの接点もなんとなく想像していたけど。
「め、メイヂヒカリ様はオイラにとっての憧れなんです。メイヂヒカリ様が制したレースを、オイラも制したい。そ、それだけのことなんですけど」
中央に入学する上でお世話になった人が、まさかのメイヂヒカリだったなんて。
「いや、悪くないよ。ちゃんと走りたいレースがあるのは良いことだからね」
「フヒ、フヒヒ」
「なら、当面の目標はクラシック三冠レースに出走すること。そして、有馬記念を勝つことだ。この2つを大目標にして頑張っていこう」
「は、はいぃ」
これで大目標は定まった。クラシック三冠からのグランプリ、分かりやすい王道ルートである。
「細かな目標はひとまず置いておこう。メイクデビューを勝ってからでも遅くない」
「わ、分かりました」
「後はトレーニングメニューか。ひとまずは身体強化の時間にあてよう。脚に負担の少ないダートのトレーニングを中心に……」
メニューの作成。デビュー前の時期は身体づくりにあて、クラシック級に向けての準備を整える。最初の頃はやることが山積みだけど。
(ホノイカヅチのために頑張らないとな)
苦にはならない。むしろワクワクした気持ちを抱えている。この先どんな走りをしてくれるのか、ホノイカヅチとどこまで進めるのか。ドキドキして仕方がなかった。
……あ、そうだ。
「一つ聞いてもいいかい? ホノイカヅチ」
「フヘ? な、なんですか?」
走りで思い出した。彼女が先行で走る理由を聞いていなかった。契約のあれこれとかあったから忘れていた。
「君はどうして先行気味に走るんだ? 怖くないのか?」
「え? 先行で走る理由、ですか?」
「うん。併走の時からずっと引っかかってて。なんで先行で走るのかなって」
ホノイカヅチは臆病な子だ。それも結構、かなり。数日間の付き合いで分かるくらいには気が弱いと思っている。
そういう子は大体逃げや追込で走る。たまに定石通りに先行で走る子もいるけれど、バ群が怖くて実力を発揮できていないことがままある。
(だからこそ、臆病な子は母数が少ない逃げや追込で走る。周りに他の子がいないから、実力を発揮しやすい環境にあるからだ)
けれど、ホノイカヅチは先行で走る。圧倒的に母数が大きい先行で。加えて差しの位置にも近い、先行と差しの中間の位置。前も後ろも多くのウマ娘がいる、激戦区と言ってもいい場所だ。実力も発揮しづらいだろう。
だが、ホノイカヅチは問題なく勝つ。実力を発揮できていないだろうに、彼女は勝つのだ。さらには、実力を発揮できていないなんてこともない。これが不思議でならなかった。
(レースでは臆病さが消えている。淡々と、走ることだけに注力している。それはどうしてだ?)
だからこそ、先行で走る理由を知りたかった。そこにきっと、ホノイカヅチの走りの強さがあるから。
戸惑っているホノイカヅチだが、やがて口を開く。
「お、オイラにとって、レースは仕事なんです」
「……仕事?」
「そ、そうです。生きていくには必要な、仕事です」
返ってきたのは予想外の言葉。彼女はレースを仕事だと思っているらしい。
視線を合わさず、子供が叱られている時のような仕草をしながら、彼女は語ってくれた。レースに対する自分の姿勢を。
「そりゃ、バ群は怖いです。本当だったら近づきたくないですし、どっか行ってくれないかな~って常々思ってます」
「……そうなのか。だったら」
「けど、仕方ないじゃないですか。だって、一番勝ちやすいのは先行だから」
もじもじしたり、指を揉んだりしているホノイカヅチ。なんとなく、彼女の思いが伝わってくるようだった。
「勝ちやすいのは先行、ならその択を取るのは当然のことです。そりゃそうですよね? だって、一番勝ちやすいんだから」
「それは、そうだけど」
「というか、オイラはレース自体そんなに好きじゃありません。走るのは好きですけど、レースはあんまり好きじゃないです。人、多いから」
でも、と。固い決意を秘めた瞳が、俺のことを真っ直ぐに捉えている。先程までの自信なさげな姿からは想像もできない、強い意志の籠った瞳。
「だ、だけど……! あの場所はちやほやされる場所と分かったので! オイラ、みんなからちやほやされたいので! だからレース走ります!」
「あ、うん。そうなんだ」
……いろいろと台無しな気がする。いや、悪いことじゃない。悪いことじゃないんだけど。なんとなく形容しがたいものがある。ホノイカヅチが悪いわけじゃないんだけども!
「勝ったらみんな褒めてくれる、ちやほやしてくれる! オイラのことを持ち上げてくれるのならば、そんなに好きじゃないレースでも頑張れる! ので!」
「ブレないね。素直に尊敬するよ、そういうところ」
「フヒヒ。だ、だからオイラ、先行で走るんです。勝てば褒めてくれますし。バ群が近いのもまぁ、仕事と思えばいいので」
その結果が、レースは仕事という認識。ホノイカヅチの走りの、軸になっているもの。
「当たり前のことを当たり前にこなす、最も効率の良い方法で、最大の効果を発揮できるように尽くす。そのためなら、どんなに嫌なことでもオイラは我慢できます、ので。これは、仕事にも通ずるものがあると思います」
「だからこそ、レースは仕事か」
「は、はい。その上で褒められたら最高、ちやほやしてくれるのならばいくらでも頑張れます」
まぁ、うん。これで実力を発揮できているのならいい、のか?
(良いと思うことにしよう。ホノイカヅチ自身の走りに陰りがあるわけでもないし)
それに、無理やり変えて良い方向に転ぶとも限らない。なら、このまま先行で走るのが吉、か。
大体の方針を固めることができた。後はメイクデビューに備えるだけだ。
「うん、聞きたいことは聞けた。ありがとうホノイカヅチ」
「フヒヒ。こ、これくらいでしたらお安い御用です」
「うん。それじゃあさっそくトレーニングに行こうか」
「わ、分かりました」
彼女との二人三脚、頑張っていこう。
(逃げや追込は少ないが)ただしチャンミは別だ。