夜の帳が降りる練習場のトラック。誰もいないと思われていた場所にただ1人、シーザスターズが立っている。
「……」
エクリプスステークスで負けてしまった彼女は、空を見上げて黄昏ている。癇癪を起こしているわけではない、子供のように泣いているわけでもない。ただ空を見上げてボーっとしているだけだ。
キラキラと輝くようなオーラはない。それでも、気落ちしているようには見えない。黙って立っているだけでも絵になる姿。彼女を慕うウマ娘達も、どう声をかけようか迷っていた。
「ここにいたか、賢妹よ」
声をかけることを躊躇う中で、一切の躊躇をすることなく声をかけたウマ娘がいた。彼女を慕うウマ娘達が動けない状況で、たった1人前へと歩を進めたウマ娘が。
そのウマ娘はスーツ姿を着こなしており、エクリプスステークスのレース後動けないシーザスターズを運んでいたウマ娘だった。シーザスターズを賢妹と呼び、臆することなく近づいていく。
「どうした? レース後のお前らしからぬ、珍しい姿だ。まだエクリプスステークスの敗戦が忘れられないか?」
「……」
「ふむ、どうも筋金入りのようだな。それだけの強敵と出会えたことに、喜べばいいのか悔しがればいいのか分からんな。どうすればいい? シーザスターズ」
未だ反応を見せないシーザスターズ。周りのウマ娘はどんな展開を迎えるのかハラハラしており、彼女らのやり取りから目を離せないでいた。
果たして口を開くのはいつになるのか。そう思いたくなるほどの時が流れたようにも錯覚する。シーザスターズは、突然口を開いた。
「お姉ちゃん」
「なんだ? 賢妹よ」
「私は、負けたそうだ。ハナ差、彼女に届かなかった」
ぽつりと、今回のエクリプスステークスにおける敗戦を口にした。その表情は暗いもの、ではない。ただ事実を淡々と口にしただけ、陰りのようなものは見えない。
「そうだな、シーザスターズ。お前はホノイカヅチに敗れた。素晴らしいレースであり、今世紀最大のベストバウトと呼ぶに相応しい内容ではあったが……お前は負けた。それが純然たる事実だ」
お姉ちゃん、と呼ばれたスーツ姿のウマ娘は慰めるわけではない。こちらもただ淡々と、事実だけを口にする。先の展望は語らない、ただ今回の勝敗に焦点を絞って口にする。
エクリプスステークスにてシーザスターズは敗れた。その事実は変わらないことであり、目を背けることはできない。受け入れる必要がある。
「それで、お前はどう感じた? ここで黄昏て、お前は何を考えている?」
わずかに目を鋭く光らせるウマ娘。剣呑さが漂ってきており、周りのウマ娘達に緊張が走る。いざとなれば飛び出せるように、準備を整えていた。
問いかけに対し、シーザスターズは。
「私にも分からない。ただ、そうだね」
俯く──ことはない。むしろ顔を上げ、誇らしそうな表情を浮かべ、目をキラキラと輝かせて。
「私は今も、興奮が収まらない、と言ったところだよ、お姉ちゃん!」
握り拳を作り、そう口にした。負けたことの悔しさは少しも感じさせず、今回の敗北について落ち込むよりもむしろ燃え上がっている、と言った方が正しい反応をしている。周りのウマ娘達は、そんなシーザスターズの反応に戸惑っていた。
「デビュー戦も負けてしまったが、それとはまた違う感情を覚えているんだ。初めて自分の全力を出せる相手が現れた喜び、そんな相手に勝てなかった自分への怒り、ハナ差届かなかったことへの悔しさ、悲しさ。いろんな感情があるけれど、今一番感じていることは!」
両手を大きくバっと広げ、スーツ姿のウマ娘を前に楽しそうに語る。
「また彼女と戦いたい! ずっと、もっと、いろんなレース場で競い合いたい! そう思っているんだ! あぁ、こんな気持ちは初めてだ! これはもしかしたら、恋なのかもしれないね!」
「そうか、恋か。お前にも全力を出すようなライバルが現れたか」
さりげなく恋、と口にしているがスーツ姿のウマ娘はスルーである。シーザスターズのことをよく知っているからこそ、深く気にする必要はないと判断したのだろう。気づけば鋭い視線も、家族に向けるような柔らかいものに変わっていた。
「姉は嬉しく思うぞ。お前に競い合えるようなライバルが現れたことを。お前が今回のレースを楽しいと思っていることを」
「あぁ、あぁ! とても楽しかった! また、また今回のようなレースを走りたい!」
「そうか。ならば、今後は彼女の動向に注目しておこう。とはいっても、彼女の次走はキングジョージ……お前にはまぁ合わん。回避だ」
「それは仕方ないね! 本当に、プリンスオブウェールズステークスを走れなかったことが悔やまれる!」
「仕方ない。例え賢妹の強さがシニア級に匹敵するとはいえ、規定は規定、走ることは許されない」
2人が語る彼女とは、言うまでもなくエクリプスステークスの勝者であるホノイカヅチである。今後のレースはホノイカヅチに焦点を当てると決めた。
しっかりと、シーザスターズにも合う適性を見繕い。どこを走ればより楽しい勝負になるか、どこで戦うのがベストであるかをスーツ姿のウマ娘は。
「本当にありがとう、ガリレオお姉ちゃん! やはりお姉ちゃんは素晴らしいお姉ちゃんだ!」
「褒めるな、賢妹よ。このガリレオはいつでも、お前のことを想っている」
ガリレオは、シーザスターズの笑顔に同様の笑顔で応える。この笑顔を見て、周りのウマ娘も胸を撫で下ろした。
「次はいつ彼女と戦えるんだろうか? どこでも、それこそ国が違えど走りたい! また、彼女と心が躍る勝負を繰り広げたい!」
「選定は任せよ、賢妹よ。このガリレオが相応しい舞台を整えてやる」
「頼りにしているぞ、お姉ちゃん!」
夜なのに、彼女らの周りはキラキラと輝いている。楽しい時間を過ごしていた。
◇
ホノイカヅチのエクリプスステークスが終わった。結果は──勝利。欧州の並みいる強豪を下して、勝利を掴み取った。
それも、今回の強豪は一味違う。欧州でも特に期待が寄せられていたウマ娘、シーザスターズを下しての勝利だ。今回のエクリプスステークスに、欧州どころか世界中が沸いていた。
記事を1つ手に取る。フランス語で書かれた記事には、こう書かれている。
【新たなる欧州王者の誕生!接戦のエクリプスステークスを制したのはホノイカヅチ!】
フランス語だけではない。探せばドイツ語も、日本語の記事も探せばある。どこもかしこも、ホノイカヅチの勝利を取り上げて喜んでいた。
心が震える。彼女の強さが認められて、褒めらていることに嬉しさを覚える。本当に、嬉しくて嬉しくてたまらない。
(世界中を虜にした。あのエクリプスステークスは、本当に凄かったっ!)
サンダウンレース場最後の直線で繰り広げられたシーザスターズとの死闘。一進一退、どちらが勝っても全くおかしくない競り合いを制して、ホノイカヅチがハナ差でシーザスターズを下した。
本当に様々な人を魅了にした。ホノイカヅチの実力に懐疑的だったフランス紙も、今回のエクリプスステークスで考えを改めたらしく、前回の記事を謝罪するような文面と共に、ホノイカヅチの勝利を称賛する記事を書いていた。
イギリスは言うまでもなく。前回のプリンスオブウェールズステークス同様に、いやそれ以上にホノイカヅチを持ち上げていた。
【これが世界最強の走り!目を離せない死闘を制したのはホノイカヅチ!】
「相変わらず、情熱が凄いな。イギリスに移籍してくれって声が本格化してきそうだけど……」
ネタがネタじゃなくなりそうな雰囲気に少し怖さを覚えるけど、褒める記事が多い。これにはホノイカヅチも満足していることだろう。というか、満足していた。自分を褒めるネット記事を見つけてはニヤニヤしていたし。
きっと、今もホテルの部屋でゆっくりしながらネット記事を見ていることだろう。分からないけど。
そんな状況で俺は、ネオユニヴァース達から送られてきたメッセージに目を通していた。
「……いまだに軌道は変わらない、か。回避する方法もなにも見つかっていない、どうすればいいんだ」
観測の結果、状況は好転していないこと。ネオユニヴァースが観測してきた世界線で、ホノイカヅチは例外なく倒れる光景が映っていると。そう口にしていた。
具体的な日にちこそ分からないものの、ある程度の日は絞り込めているらしい。ネオユニヴァース達が言うXデーは──キングジョージの前後だ。
(キングジョージよりも前か、後か。そこはまだ分からないけれど、観測した世界線ではこの前後でなにかが起こることが確定している、ってのがネオユニヴァースの言葉)
「ネオユニヴァースは観測はできても回避する方法までは分からない、らしいからなぁ。そこまで甘えるのは申し訳ない気がするけど」
加えて、倒れる原因も不明らしい。どれだけ観測しても、なにが理由で倒れるのかは分からないのだということ。病気でもケガでもない。本当に突然、急に倒れてしまうらしい。その結果、レースの世界に復帰することなく彼女の道は閉ざされる、と。
なにが理由で倒れるのかが分からない。だからこそ、来るべきXデーに向けて備えておいた方がいい。ネオユニヴァース達からはそう告げられた。
とはいっても、だ。
(なにが原因なのか分からないのに、俺は何をすればいいのだろうか?)
「やっぱり、ホノイカヅチとの交流なのかな? 前にネオユニヴァースから言われたみたいに」
どうすればいいのかが分からない、というか。どうしたら回避できるのか、その手立てが分からない。だからこそ、前にネオユニヴァースに言われたホノイカヅチとの交流を大事にしてほしい、しかやることがない。
ただ、交流自体は上手くできている、と思う。少なくとも悪いようには思われていないはず、だ。分からないけど。
とにかく、もっと交流しないといけないのかな。そう考えていると、ひょっこりとホノイカヅチが姿を現した。
「お、おはよう、ございます。トレーナーさん。フヒヒ」
「おはようホノイカヅチ。どうかしたの?」
エクリプスステークスの疲労があるだろうから、まだゆっくりしておく必要がある。それを分かっているから、ホノイカヅチもホテルの部屋にいると思っていたのだけれど。
手をもじもじとさせて、遠慮がちに。
「そ、その。トレーナーさんと、エクリプスステークスの感想戦、したくて。さ、さっきまで1人でやってたんですけど、味気なくて」
「エクリプスステークスの?」
「は、はい。わ、我ながら、ベストレースになるほどのものだったので! ま、また、トレーナーさんと、見たいなぁって」
提案はとても可愛らしいものだった。断る理由なんてない、取材も今は断っているし、万全に整ってからやる都合で今はやることがない。暇を持て余していたのだから。
「いいよ。じゃあ一緒に見ようか」
「ッ! ふひ、フヒヒ。た、楽しみです」
その後はホノイカヅチとエクリプスステークスの感想戦へ。中々楽しい時間を過ごせた。
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