ホノイカヅチは褒められたい   作:カニ漁船

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時間は少しさかのぼって。


過ちなんかじゃない

 イギリスの病院でホノイカヅチの詳細を聞いた後、俺が真っ先にやったことは。

 

「日本に帰ろう、ホノイカヅチ。日本に戻って……ゆっくりしよう」

「……はいぃ」

 

 日本へ帰国することだった。これ以上こちらにはいられない、レースに出走するのはダメだと判断して、俺はホノイカヅチと共に日本へ帰る判断をした。

 十分によくやった。海外のG1タイトルを3つも取ったばかりか、こちらの人にも受け入れられて。世界最強ウマ娘の肩書まで貰ったのだから。取ったタイトルに関しても、日本のウマ娘がまだ勝ったことがないレースばかり。文句のつけようがない。

 

 だけど、これはあくまで言い訳だ。本当の理由は、これ以上レースに出走するホノイカヅチを見たくなかったから。出走して、知らずのうちに傷ついていく彼女の姿を見るのが、俺は怖くなった。

 

(レースの出走そのものが、彼女にとってのストレスになる。俺はそのことにずっと気づかなかった)

 

 臆病な彼女は他のウマ娘が近くを走っているだけでストレスになってしまう。人数が増えればなおさらだ。

 なのに、走るポジションはウマ娘達が最も好むポジションであり、最も人数の多い場所。この先も同じ場所で走り続けることで疲弊していく彼女を、俺はもう見たくなかった。

 

 提案することは簡単だろう。ホノイカヅチなら逃げや追込でも十分な可能性を見出してくれる、きっとこれからも勝てるレース運びをしてくれる……そう言うのは簡単だった。

 でも、ダメだ。これはもう、解決するには遅すぎる。

 

(結果を出せばその分だけマークが集中する。勝負する位置を変えても同じことだ。そして、ホノイカヅチは活躍しすぎた……どこで走ろうが、必ずマークされる)

 

 世界最強のウマ娘と呼ばれている存在はどこで走ろうが、絶対にマークされるのが分かっている。マークされればストレスになる、またいつか倒れてしまうかもしれない。だからこそ、もうレースに出走するのは止めにするつもりだ。

 

 提案した。ホノイカヅチに引退するつもりはないかと、これ以上レースで頑張らなくてもいいんじゃないか、と。

 彼女の答えは。

 

「も、もう少しだけ、待って、ください。まだ、整理がついてなくてっ」

「そっか。焦る必要はないよ、ホノイカヅチが決心したタイミングでいい。大丈夫、誰になんて言われても、俺が君を守るから」

「フヒ。あ、ありがとう、ございます」

 

 保留。彼女は引退の問題を先延ばしにした。ただ、直に引退に関してなにか言うつもりではあるのかもしれない。そんな一縷の望みを抱いて、俺達は日本へと帰ってきた。

 

 

 帰ってからは忙しかった。まずはホノイカヅチの本家へと顔を出し、詳細を説明。どうか彼女をしばらくの間置いておけないかと直談判しに行った。

 

「そうですか、ホノイカヅチが……」

「マスコミに勘づかれるわけにはいきません。それに、ホノイカヅチにとっても慣れ親しんだお家の方が安心するでしょう」

 

 俺の言葉にメイヂヒカリは鋭い視線を向けてくるが、納得したのか首を縦に振った。これでホノイカヅチは本家預かりの身となり、療養生活に入ることになる。面会に来れる人間もごく一部のみ。トレセン学園でも上の人、秋川理事長や理事長秘書の駿川さんぐらいしか来ることができない。

 

 俺も、彼女のトレーナーということで面会が可能だった。

 

「ホノイカヅチ、最近ご飯が食べれなくなったって聞いたけど」

「ふ、フヒ……ご飯、喉を通らなくて。お、お粥ぐらいしか、食べれないです」

 

 布団に横たわり、申し訳なさそうな表情を浮かべながら謝る彼女に謝る必要なんてないと返す。きっと大丈夫だ、すぐに食べれるようになると、気休めにしかならない言葉で彼女を励まし続ける。

 胸が痛む。俺がやってしまったことが、自分の罪が突きつけられているようで。罪悪感に苛まれる。今も苦しそうに布団で横たわるホノイカヅチを見ていると、俺も同じように苦しくなる。

 

(でも、目をそらしちゃいけない。俺がやってしまったことから、逃げたらダメだ)

 

 俺が海外遠征なんて提案しなければ、なんて考えた日もあった。だけどきっと、日本で走っていようが遅かれ早かれホノイカヅチは倒れていただろう。原因なんて考えるだけ無駄だ。結局のところ、気づかなかった俺が悪いのだから。

 

「ふ、フヒ。トレーナーさんがいてくれて、本当に助かっています」

「……俺なんかがいるだけで助かるなら、いくらでもいるよ」

「どうか、自分を卑下しないでください。トレーナーさんが悪いわけでは、ないんですから」

 

 俺の心が読めるのか、それともそれだけ顔に出ていたか。俺のことを心配するように見ている。あぁ、本当に。

 

(ダメダメだ、俺はっ)

 

 心配するはずの担当に心配されて、余計な心労をかけさせて。本当に……嫌になる。罪悪感で押しつぶされそうになる。

 

(それでも、彼女の心が安らぐなら)

「ホノイカヅチはえらいよ。こんな状況でも、俺の心配ができるなんて。君は慈愛の心に溢れる天使かもしれないな」

「フヒヒ」

 

 側にいるつもりだった。彼女のやりたいことを、願いを支える気でいた。力になれるようにと、決意を固めた。

 

 

 けれども。

 

「今、なんて言ったんだい? ホノイカヅチ」

 

 布団から起き上がって、苦しい表情を押し殺すような笑みを浮かべて。ホノイカヅチは俺を見ていた。真っ直ぐに、懇願するような視線で、先ほど俺に言ったことをもう一度繰り返す。

 

「お願いします、トレーナーさん。後1回だけ、後1回だけ……オイラをレースに出させてください」

 

 その提案を飲むのは、あまりにも厳しかった。

 

 元々、今日は引退の話をするつもりできた。あまり先延ばしにするものでもないし、早いうちに明かしておいた方がいいだろうと、そのつもりで来ていた。

 ただ今日はホノイカヅチの体調が芳しくなく。その話はまた後日にしようと考えていた。辛い状況でする話でもないし、先延ばしになるといってもホノイカヅチの体調の方が大事だ。俺への非難は、いくらでも我慢できるから。

 

 その矢先にこの提案だ。彼女は、もう一度だけレースを走りたいと俺にお願いしてきた。本当なら即答してあげたい彼女のお願いだ。

 

(彼女の願いを叶えてやりたい。けれどっ)

 

 その提案は、飲めない。レースを走ることがストレスに繋がる彼女にとって、余計に苦しんでしまう提案は……首を縦に振れない。

 

「それ、は」

「難しいのは、分かってます。だけど、どうしても後1回だけ走りたいんです。本当に、後1回だけでいいんです」

 

 俺の表情で大体察しているのだろう。俺がレースに出ることを許可するつもりがないことを、俺がその提案を飲めないことを分かっているはずだ。

 なのに、彼女は一歩も退かない。どうかレースに出させてほしいと、もう一度だけ出走したいと懇願してくる。

 

 少しの間、俺とホノイカヅチはにらみ合う。困惑している俺と、強い意志の籠った目で見つめるホノイカヅチ。

 

「うぷっ!? ゴホっ、ごほっ!」

「ホノイカヅチッ!」

「いけませんホノイカヅチ様! どうか気を確かに!」

 

 突然、ホノイカヅチが咳き込んだ。おそらく、精神の乱れが体に影響を及ぼしているのだろう。今もかなり無茶をしているはずだ。

 

(どうして、なんでそこまで)

 

 だから、理由が気になった。なんでそんなにレースに出たいのか。今の自分の状況を理解していて、レースに出ることが厳しいことを悟ったうえで。何で彼女がレースに出ようとしているのか……俺には全然分からなかった。

 

「トレーナーさんが、苦しんでる、から、です」

 

 困惑している俺の心を見透かしているように、ホノイカヅチがにっこりと笑いかけた。美しくも儚い、彼女の笑みが俺に突き刺さる。

 

「トレーナーさん、ずっと気に病んでます。イギリスから、こっちに帰ってくる時も、今もずっと、オイラのことを気に病んでる」

「……」

「海外遠征なんてしなければ、レースになんて出さなければ、自分がもっと上手くやっていれば。ずっと、けほっ、そう思ってるんじゃないですか?」

 

 図星だった。何も言えない、返す言葉がない。

 非難される。お前さえいなければなんて言われるのも覚悟のうえで、俺は体に力を込めている。

 なのに、彼女から出てくる言葉は。

 

「だから、なんです。トレーナーさんが気に病む必要なんてない。トレーナーさんの不安の種を取り除きたい」

 

 俺を心配する言葉ばかりで。自分の方が大変なのに俺の方ばかり気にして。

 

「オイラが走ったところで、悪化しちゃうかもしれないですけど。もっともっと、不安になっちゃうかもしれませんけど」

 

 臆病な彼女が、気の弱い彼女が。俺のためにと今も頑張っていて。

 

「だけど、オイラは無事に走れるんだって。今の状況はただの偶然、へっちゃらなんだってことを、トレーナーさんに伝えたくて。トレーナーさんは……貴方は何も間違ってなんかいないってことを、貴方に教えてあげたいんです」

「ホノ、イカヅチっ」

「大丈夫です。貴方は何も間違ってなんていない、貴方はいつだって、オイラに走る力をくれた人。だから、だから。オイラは最後に1回、与えられたチャンスで。そのことを証明します」

 

 力強い意志の籠った言葉と瞳で、俺へとお願いしてきた。

 

 なんで、どうして。なんで俺なんかのために、そこまで頑張ってくれるんだ。

 自分の方が辛いはずだ。苦しくて、また衆目に晒されて、ストレスを抱えてしまうのは自分自身だ。なのにどうして、ホノイカヅチは俺の方を心配してくれるんだ?

 

「貴方はオイラを最初に見つけてくれた人。オイラの普通をたくさん褒めてくれて、いつもいつも褒めてくれた、素敵なトレーナーさん」

「う、あぁ……っ」

「そんな貴方が苦しんでいる。だからオイラは、その不安を取り除いてあげたい。貴方の選択は正しかった、これこそが、今こそが最善の道だったことを教えてあげたい」

 

 彼女の手が俺の頬に触れる。小さい彼女の手が、いつも以上に弱弱しいはずの彼女の手が触れる。

 不安に思う必要はないのだと。俺の選択は何も間違っていないのだと。そう教えてくれるようで。

 

「だからどうか、泣かないで。貴方は何も間違っていない。それを証明するためにもどうか」

 

 力強く感じる彼女の手。断ろうとしていた俺の思考を、不安を取り除いてくれて。

 

「もう一度だけ、オイラを走らせてくれませんか?」

「……ッ!」

 

 気づけば俺は、ホノイカヅチの言葉に。首を縦に振っていた。

 

 

 

 

 

 

 そこからの行動は早かった。メイヂヒカリへの面会の許可を取り付けて、今後の予定を違わずに話した。

 

「……もう一度だけホノイカヅチを出走させる? なにを考えているのですか、貴方は?」

「私と、彼女の望みです。私は、俺は彼女をレースに出させます」

「私がそう簡単に許可を下すとでも? 外部の者ではありますが、貴方程度に圧力をかけて取り止めさせることもできるのですよ?」

 

 強まる重圧。ホノイカヅチのことを可愛がっているメイヂヒカリのことだ。そう簡単に許可を下すはずがないと、今の状態を見て首を縦に振るはずがないと思っていた。

 だからこそ、ここに来た。俺の覚悟を示すために。

 

「答えろ。何故貴様はホノイカヅチを出走させようとする? 何故また苦しませようとする!」

「他ならない彼女が望んだからだ。今のこの道が正しかったことを証明する、俺達は何も間違っていない。そう証明するためにも、俺達はレースで走る」

「今のホノイカヅチの状態を知っているだろう! もしなにかあったら……貴様はどう責任を取るつもりだ!?」

 

 表情が怒りに染まるメイヂヒカリ。そんな彼女に対し、俺はトレーナーバッジを差し出し。

 

「俺のトレーナー生命。そして……俺の命をかけます」

 

 宣言する。命をかけると、俺の全てをメイヂヒカリ達に委ねると宣言した。

 

「っは?」

 

 メイヂヒカリの表情が怒りから呆けた表情へ。俺がなにを言っているのか分からない、そんな表情を浮かべていた。

 

「命は文字通り命です。もしこれでホノイカヅチになにかあった場合……俺のことは好きにしてくださって構いません。俺が生きていたという痕跡を抹消しても、一生奴隷として扱ってもらっても構いません」

「な、なにをいって」

「彼女は、ホノイカヅチは文字通り自分の全てをかけようとしている。だったら俺も、自分の全てをかけるのが道理ってものでしょう。だって俺は──あの子のトレーナーなのだから」

 

 退路を断つ。この先どんなことが起ころうと、もし何かあれば俺は罰を受ける。それが当然で、当たり前のことだ。

 

 当たり前のことを当たり前に、やるべきことを十全に。ホノイカヅチの信条を胸に、俺はメイヂヒカリへと頭を下げる。

 

「俺は全てをかけてあの子に尽くします。辛いことも苦しいことも、何もかもを支える覚悟でいるつもりです。もし彼女に何かあれば、俺は腹を切る覚悟です」

「……」

「だからどうか、黙って見守ってはいただけないでしょうか?」

 

 メイヂヒカリに土下座をする。彼女の意志がどうこうというよりも、これは俺の覚悟を示すためのものだ。退路を断って、今後のトレーナー人生すらも左右する選択をメイヂヒカリ側に委ねる。もしものことになれば俺は然るべき処罰を受けると、そう誓いを立てる。

 

 時間にして数分。重々しい雰囲気の中、メイヂヒカリが溜息を吐く。

 

「命を差し出す、などと言われても困ります。そう簡単に差し出すものではありません」

「申し訳ありません。ですが、それだけの覚悟を持って臨むという俺の覚悟です」

「ふぅ。そのような覚悟を示されましてもねぇ……ですが分かりました」

 

 重圧はなくなり、呆れたような表情で俺を見つめ。彼女は許可を出した。

 

「そもそも、私にホノちゃんのレースにあれこれ口出しする権利はありません。あの子が出走を望んだのであれば、それはもうあなた方の問題になるのですから」

「一応、言っておかなければと思いまして」

「まさか命を差し出されるとは思いませんでしたよ。ですが、お好きになさってください。先程も申し上げた通り、私に口出しする権利はございませんので」

 

 こうして許可は下りた。俺は急いで次の準備をする。ホノイカヅチのレース出走を決めた今、やるべき課題は山積みなのだから。

 

「……本当にホノちゃんは、良きトレーナーに恵まれましたね」

 

 寝る暇もない。当たり前のことを、俺はやり遂げるんだ!

 

 

 まぁ、その結果としてトレーナー室は荒れ放題になってしまったのだけど。けど、ついに完成した。8月の終わり際、ようやく準備が整った。

 

(マートレさんにも感謝しないといけない。あの人は俺がそっけない態度をとっても、協力してくれると言ってくれたのだから)

 

 早速彼に連絡して準備に取り掛かる。ホノイカヅチの次の舞台に向けて、改めて再出発だ!

 

「……その前にスーツのワイシャツと髭をどうにかしないと。綺麗にする暇もなかったからな、ホノイカヅチがびっくりしちゃうし」

 

 どこか締まらないスタートになったけど。




実はマートレが会ったのはいろいろと吹っ切れた後という。ともあれ再出発。


最終目標→???
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