今日もホノイカヅチのトレーニングには誉め言葉が飛び交っている。
「いいよ、いいよホノイカヅチ! 昨日よりもタイムが縮まってる!」
「1日経つだけで進化を遂げる。ジャパンカップを迎える頃にはどうなっているんだろうね~」
「それはもうスーパーなホノちゃんになっているに違いありません。いえ、むしろハイパーホノちゃんです」
少しでもストレスを軽減するため、負担となるものをなくすための措置。全く苦にならないし、ホノイカヅチのためを思えばとみんな喜んで協力してくれた。
その甲斐もあってか、トレーニング自体は順調に進んでいる。とはいっても、あくまで復帰を目指したトレーニングに限定した場合のみ、だけど。
(復帰なら問題なくできる。でも、ここから勝つってなったら、厳しいといわざるを得ない)
その理由はジャパンカップのメンバーにある。正直言って、復帰レースにするにはあまりにも無謀すぎる挑戦だ。
海外から出走してくるシーザスターズ。ホノイカヅチと同等の実力を誇り、なおかつまだクラシック級という若さ。あの時からさらに成長を遂げている。
つい先日開催されたアイリッシュチャンピオンステークスに出走。その結果は……2着に3バ身差をつける快勝。しかも、明らかに余裕といった状態で、だ。
このレースの恐ろしいところは、ホノイカヅチのキングジョージと同じように包囲されていたというところ。シーザスターズは完璧に包囲されていたのに、小さな綻びを見つけてあっという間に抜け出した。最後には追いすがろうとする後続を突き放しての圧勝。
強いとしか言えない走り。中にはアイルランドのダービーを制した子もいたというのに、シーザスターズは子供扱いで撃破した。
(余力を残した勝ち方。次のレースである凱旋門賞も、大本命に推されている)
今回の凱旋門賞は豪華メンバーが集うと予想されているが、それでもダントツの支持を集めている。勝つのはシーザスターズで変わらない、彼女が英国の二冠ウマ娘として相応しい強さを見せつけて、日本に渡ってくれると信じ切っている。
レースの強さにカリスマ性。どれをとっても、シーザスターズはジャパンカップでも最高レベルの実力者だ。事実、ホノイカヅチも負けかけているのだから。
海外勢だけではない。日本からの出走者も侮れない。代表的なのは、アストンマーチャンの同期でもあるウオッカ。
(ティアラ路線からクラシック路線に変更し、日本ダービーを制した常識破りの女帝、か)
ダイワスカーレットのライバルであり、切れる末脚が武器の彼女。これが普段のレースであれば、そこまで警戒はしなかっただろう。
というのも、ウオッカはレース場での有利不利が割とはっきりしているタイプだ。得意なレース場では無類の強さを発揮するが、それ以外ではどうも勝ちきれないレースがある。中山レース場が良い例だろう。
そんな彼女が得意とする舞台は……府中。東京レース場だ。
(府中で負けなし、ってわけではない。けれども、府中におけるウオッカの強さは圧倒的だ)
ヴィクトリアマイルは圧勝、安田記念も最後にはディープスカイを捉えて優勝を飾っている。日本勢で脅威となるのはウオッカで間違いない。
改めて出走してきそうなメンバーを振り返ると、一部を除き以前までのホノイカヅチならば大丈夫と言えるような舞台だ。ホノイカヅチの豊富なスタミナを活用して、エクリプスステークスのような消耗戦を仕掛ければいいのだから。
いくらシーザスターズが成長したといっても、やはりスタミナには不安が残るはず。速いペースを形成して、ホノイカヅチが前につけての消耗戦にすれば、有利のままレースを進めることができる。そんな風に考えることができた。
だけど、今は。
(消耗戦はできない。今のホノイカヅチに、エクリプスステークスのような消耗戦は分が悪すぎる)
以前の状態には程遠いホノイカヅチ。とりわけ、スタミナが大分落ちている。これはやはり、メンタル面の影響がかなり大きいだろう。それでも十分すぎるほどのスタミナを有しているけど、前よりは全然だ。
前のようなレースができないとなると、シーザスターズを相手取るのは厳しい。自分の得意分野を押し付けてようやく勝てた相手なんだ。その得意分野が使えないとなると、こちらが圧倒的不利を背負わされるのは容易に想像できる。
そもそも問題、仮にホノイカヅチが万全の状態で出走できたとして。自由に走らせてもらえるかどうかと言われたら答えはNoだ。出走するメンバーの中でも最優先で警戒されるに決まっているし、そうなれば思うようなレースにならない時もある。今まで積み上げてきた戦績が、彼女を自由にさせるはずがないのだから。
「やっぱり、考えることは山盛りですね。何をするにしても、ホノイカヅチの不利は覆らない」
「それは、そうだろうね。ホノイカヅチは絶対にマークされるから」
「今の状態を公表されても、だろうね~。レースには関係ない、出走してきた以上絶対に何かしてくる。ホノイカヅチちゃんは、最優先でマークされるはずだ」
ぼそりと、トレーナー陣だけで呟く。幸いにもホノイカヅチ達には聞こえていないようだったので助かった。後ろ向きな言葉は、あまり聞かれたくはないから。
「ところで、ホノイカヅチちゃんがジャパンカップに出走するって情報は流したの? もはや出走確定、みたいな雰囲気が流れているけど」
「流していませんよ。でも、シーザスターズが出走してきて、なおかつ楽しみと発言しましたから」
「……あぁ。確かに、ホノイカヅチが出走するんじゃないか、って予想するファンは多いだろうね。あのシーザスターズが出走を宣言して、なおかつ楽しみにしているってことは」
「間違いなくなにかある。そのなにかはホノイカヅチちゃんの出走……って式が成り立つわけだ」
世間話をしながらも、トレーニングを終えるホノイカヅチを褒めることは忘れずに。順調に進んでいっている、そう思いたい。
◇
つい最近の食事事情に関してだけど、ホノイカヅチはようやくお粥から卒業できた。固形のものも少しずつ食べられるようになってきたのである。
「よしよし、偉いよホノイカヅチ。後は焦らずにゆっくり噛んで、栄養を蓄えよう」
「は、はひ。た、食べないと、強くなれませんから……つ、つよつよホノイカヅチに、なれませんから」
「うん。でも、無理して食べる必要はないよ。無理に食べて、またストレスを抱え込むことになるのはよくないから」
それが10月初めのこと。もうすぐ凱旋門賞が始まる、そんな頃の話である。
現状、ホノイカヅチは学園も休んでいる。俺が理事長に頼み込んで許可を取り、お屋敷で1日を過ごすことを決めた。
学園を休んでいる理由は想像がつくかもしれないけど、ストレスの軽減のためだ。元より1人でいるのが好きな子だからこの点は問題ない。それに、アストンマーチャンやスティルインラブ、ホッコータルマエやブエナビスタのような仲の良い子達も良く来てくれる。寂しがるなんてこともない。
「ホノイカヅチさん聞いてよ! リッキーたらまた」
「り、リッキー、さん。あ、あの、風水の、人」
「ホノちゃん。また学園で一緒にお話ししようね? 絶対に、約束ですよ?」
「ふ、フヒ。そ、そうですね。ジャパンカップ終わったら、そっちに、戻れると、思うので。その時は、よろしくです、ブエちゃん」
随分と楽な気持ちで日々を過ごすことができていた。
ただ、ホノイカヅチ曰く一番心が安らぐ時というのが。
「ふ、ふひ。や、やっぱり、トレーナーさんと一緒の時が、一番ゆっくりできます」
「そうなの? 俺よりも年の近い子の方が安心できると思うけど」
「そ、そんなことないです。この時間が、オイラは一番好きです」
俺と2人で過ごしている時らしい。どういう理屈か分からないけど、ストレスが軽減されるなら万々歳だ。いくらでも一緒に過ごしてあげよう。
とはいっても、ホノイカヅチと2人で過ごすとなると。
「トレーナーさん。やっぱり、ジャパンカップはかなり厳しい勝負になります、よね?」
「……そうだね。どうせ嘘を言っても見抜かれるから言うけど、俺の目から見ても厳しいよ」
「だ、大丈夫、です。オイラも、厳しいと思っていますから」
どうしてもレースのことになるんだけど。こうして語れるくらいには、俺も彼女に負けない知識を身につけた、ってことかな?
「前みたいな消耗戦はできない。それはホノイカヅチ自身がよく分かっているよね?」
「……はい。警戒されるのもそうですし、そもそも今のオイラの状態じゃあ絶対に無理です。レースに勝つためのスタミナがありませんから」
一緒に考える。ジャパンカップをどうするか、どのようにして走るのかを。できる限りの対策を立てていく。
ただ、分かっていることは限りなく詰みに近いということ。それは当然、出走するメンバーが関わってくるから。
「ウオッカをマークすればシーザスターズが。シーザスターズをマークすればウオッカが。両方をマークしたら両方に……キツいね」
「一応、差しの位置で勝負するウオッカさんを閉じ込めることは出来るかもしれません。でも、ウオッカさんは道をこじ開けてくる」
「安田記念が良い例だね。進路がないと思われていたところから急に飛んでくる彼女の末脚。キレに関してはトゥインクル・シリーズトップレベルだ」
「それを抜きにしても、シーザスターズさんは盤面を一気にひっくり返してきます。彼女の末脚は、もはや世界最強レベルです」
あちらが立てばこちらが立たず。どちらをマークしようにも、疎かになった方に抜かれることが容易に想像できる。レース全体を支配しなければどうにもできない。
そうなると、今度は膨大な量の情報をホノイカヅチが処理する必要が出てくる。これもまた、以前までのホノイカヅチだったらできたかもしれないけれど。
「今はできない、だろう? 前みたいなレース支配」
「……できないです。頭、凄く使うので。同じことをやったら、最後までスタミナを残せなくなります」
「やっぱり、か」
なんとなく想像はついていた。今のホノイカヅチは以前のようなレース運びができないと。ブレずに走ることは出来るかもしれないが、シンボリルドルフのような支配的レース運びはできないのだと。
目まぐるしく変わるレースの状況。それらを適切に処理し、捌かなければならない。当然、脳の負担が大きくなる。脳に負担がかかるということは、体力の消耗にも繋がる。
今のホノイカヅチはスタミナが激減している状態。つまりは。
(ホノイカヅチの武器は2つ封じられている。思考と、スタミナの両方だ)
残っているのは判断力とブレない精神力。これはまだ持ち合わせている。
……十分、だな。
「ねぇ、ホノイカヅチ。やっぱり、勝つためには」
「はい、トレーナーさん。オイラが勝つためには」
2人で意見を照らし合わせる。あまりにも細いジャパンカップの勝ち筋。その意図を手繰り寄せるために残された、たった1つの手段。
「……頑張ろう。最後の最後まで、足搔き続けよう」
「勿論です。トレーナーさんは正しかったってことを、オイラが証明しますから」
「もう、十分すぎるほど証明してくれたさ」
俺達はジャパンカップを勝つ。考えるべきは、それだけだ。
武器が2つも封じられている状況。かーなーり厳しい。