人々の熱気と歓声、俺とホノイカヅチは今、中山レース場にいる。理由は皐月賞を見るためだ。
「頑張ってー! もう少しよー!」
「いけいけー!」
皐月賞はホノイカヅチが目標にしているクラシック三冠レースの第一戦。そのレースを今から下見しているのは、いくら何でも気が早すぎるのではないか? そう思うかもしれない。
けど、理由が違う。俺達が来ているのはレースを下見したいからではない。
「フヒ、フヒヒ……やっぱりG1レースは熱狂が違いますね……」
「それに、クラシックレースだからね。やっぱり特別なレース、歓声もかなり大きいよ」
「お、オイラもいずれはこの舞台に……!」
ホノイカヅチのモチベーションアップのためだ。クラシックレースの空気感を肌で感じさせ、モチベを上げる。それが皐月賞観戦の狙いだ。
《3人がもつれ込む最後の直線! 3人が並んだ並んだそのままゴールイン! 誰が最後に抜け出したか、3人が並んだ皐月賞! 決着は……っ! 写真判定、写真判定にもつれ込みました!》
どうしてモチベを上げさせるのか? 練習態度が不真面目だからか? そういうわけではない。
(トレーニング態度は真面目そのもの。問題もないし、ケチをつけられるところはなし。いたって普通だ)
元々トレーニングは真面目にやってきたのが分かる彼女。担当契約を交わしたからといってサボるなんてことはなく、むしろ今まで以上に真面目に取り組むようになったらしい。若干の下心を含んでそうなのはイメージゆえか。
学業も優秀、トレーニング態度も真面目、非の打ち所がない優等生。確かにモチベは大事だが、上げさせる必要性がどこに? と思わなくもない。
ただ、クラシックレースがどういう場所かを知っておけば、彼女のモチベーションはさらに上がるのではないか? こちらが真の狙いである。いわゆる目標地点の観測だ。
彼女達の競り合いを肌で感じ、憧れの舞台で走るために自分も頑張らなければと発破をかける……のが狙いではない。
《結果が出ました。1着は8枠17番の──、──です!》
「やったなー、おめでとーう!」
「お疲れ様ー! 次はリベンジだー!」
「ジャーニー様ー! 次こそは負けないでー!」
狙いはこれである。勝ちウマ娘に対する称賛の声が上がるこの瞬間、俺は隣にいるホノイカヅチへと視線を向ける。
「どうだい、ホノイカヅチ。勝てばこれだけの歓声が貰えるよ」
「フヒヒ、フヒヒ……! く、クラシックレースはちやほやされる、ファンの人達がオイラをちやほやしてくれる……!」
「普通のレースもそうだけど、やっぱりG1レースともなると格別だね。応援の声も段違いに多い。いずれはホノイカヅチも、この舞台で戦えることを目標に」
彼女にかける言葉は当然、ここに立てばちやほやされるぞというもの。クラシックレースに出走すれば、同じだけの声を君も浴びることができると教えてあげることだ。
褒められるのが、ちやほやされるのが大好きな彼女。皐月賞に出ればこれだけ褒められるぞということを知れば、彼女のやる気をさらに引き出せるに違いない。
さっきも言ったように、問題があるわけではない。ホノイカヅチは普通だ。
(普通、普通なんだ。当たり前のことを当たり前にやっているだけ。それだけでも十分かもしれないけど)
やっぱり、トレーニングをするうえで大事なのはモチベーション。楽しくない気持ちのままやるより、楽しい気持ちを抱えたままやる方が圧倒的に良い。技術の向上にも繋がるはず。
ホノイカヅチのモチベーションの核になるものは何か? 勿論、ちやほやされることである。
(クラシックレースを目指す明確な理由も欲しかった。なにも考えないまま目指すよりはずっといい)
「フヒヒ、やっぱりG1は凄い……! オイラも、ここでレースを……!」
狙い通り、クラシック三冠を狙う理由になってくれた。ここで走り、ちやほやされることが彼女の理由に繋がる。
それでいいのか? と最初は思ったけれど。
(走る理由なんて人それぞれだし、特に問題はない、か?)
いささか不純すぎないか? と言われたらちょっと否定しづらいけど、本人は至って真面目。なら別にいいと判断。むしろあるだけマシと思うようにした。
というかこの子、褒めないと一気にモチベが下がるのだ。ちょっとの発破でもやる気をなくすレベルで。
(厳しい言葉はまず使えないし、叱るなんて行為はもってのほか。俺はまだ他の人よりも信頼を得られているからマシだけど)
「教官の苦労も伺えるよ」
「フヒ?」
思わず、ホノイカヅチをジト目で見てしまう。才能はピカ一だけど、褒めて伸ばす以外の行動を封じられている現在。一見シンプルで簡単に見えるかもしれないけど、その実かなり扱いが難しい子だ。
扱いを間違えないようにしないといけない。彼女の言う褒められちやほやライフのためにも、言葉は慎重に選ばなければ。
「よし、皐月賞の空気も味わったところで、メイクデビューの話をしようか。もうちょっと先の話だけど、早い段階で済ませておいた方がいい」
「め、メイクデビューっ。お、オイラもトゥインクル・シリーズに……フヒ、フヒヒ!」
「そう。ホノイカヅチもトゥインクル・シリーズでデビューだ」
メイクデビューの話を振りつつ、今後はどうやってモチベーションを維持させるかを考える。なんというか、トレーナーというよりは。
(メンタル関係の仕事をしている気分になるな)
「フヒ? お、オイラがどうかしましたか? ジッと見てますけど」
「あぁいや、ホノイカヅチを活躍させるためにはどうしたらいいかなって考えてた」
「ふ、フヒヒ。オイラのことを考えてくれているみたいで、嬉しいです」
これもホノイカヅチが活躍するためだ。彼女をサポートするために、俺もしっかりと適応しなければ!
◇
トレーナーさんは神的に良い人です。それはもうもの凄く。
トレーニング中もいっぱい褒めてくれますし。
「いいよホノイカヅチ! 前よりもペースが上がってきてる!」
「記録は落ちたかもしれないけれど、それは更新の余地がまだあるってことだ。君はまだ進化を残している、ってことだよ」
「改善点をすぐに見つけることができるのは、間違いなく君の美徳だ。この調子で問題点をどんどん洗い出していこう」
叱るより褒めてくれる。なんて良いトレーナーさんなのでしょうか。これにはオイラもやる気が満ち溢れますよ。トレーニングも普段より調子よくできます。
「フヒヒ、と、トレーナーは凄い。オイラのことを分かってる」
「ホノちゃんのことが分かってるって、凄く理解力のあるトレーナーさんなんだね」
「フヒ。本当にそう」
同室のマリちゃんからも高評価です。マリちゃんの言葉にちょっと違和感を覚えますが、まぁいいでしょう。
さて、ついこの前トレーナーさんと一緒に皐月賞を観に行ったわけですが、やっぱりG1レースは熱狂が凄いですね。人混みに酔いそうになりました。
ですが、観に行った価値はあったというもの。お陰様で、漠然としていたものが形になりました。
「G1の舞台に立てばあんなにちやほやされる……! 目指さないわけにはいかない!」
「ホノちゃんのそういう俗っぽいところ、私は好きだよ。仮にも名家の子なのに、お家の使命とかに囚われていないところが特に」
オイラの家は結構自由ですからね。基本オイラに口出しはしてこないですし、アレをやれコレに出ろなんてこともありません。繁栄を諦めているとも言えますが。後、仮にもってどういうことですかマリちゃん。オイラはどこからどう見ても名家の子でしょう。
……話を戻しましょう。皐月賞に出ればちやほやされる。大歓声がオイラを迎えてくれる。楽しみが一つ増えました。
「あの舞台に立てば、オイラもファンから褒められてちやほやされる。最高の環境……!」
「でも、やっぱり立つのは難しいよ? ホノちゃんなら問題ないと思うけど、G1レースは限られた子しか出れないから」
「そ、それはそう。メイヂヒカリ様もそう言ってた」
ただ、やはりG1レース。立つためにはかなりの努力が求められます。全国から集められた選りすぐりのエリートウマ娘が鎬を削り、1000を超える中から選ばれた10数人のみしか走れない。G1どころか重賞すらも上澄みなのが、トゥインクル・シリーズ。
本家の人達が最後にあの舞台に立ったのはいつだったか。かなり前のことだとは記憶しています。その舞台にオイラが立つことができるか、少しばかり疑問が出てくるところ。
ですが、関係ありません。オイラはオイラのやるべきことをやるだけ。
「レースは仕事。当たり前のことを当たり前に、やるべきことを十全に。できたのならば当然、できないならば仕方ない。それがオイラのモットーなので」
「ま、頑張ってねホノちゃん。レースになれば私も応援に行くから」
「フヒヒ、嬉しい」
マリちゃんからの応援ももらいました。この先にあるメイクデビューに向けて、準備を整えるとしましょう。
(め、メイクデビューは8月の早い方。レース場は要相談。ま、まずはここを勝たないと)
何をするにしても、メイクデビューに勝たなければ何も始まりません。メイクデビューを抜けなければ未勝利戦へ。未勝利戦を抜けなければ、オイラは学園を去らないといけませんから。
もし抜けれなかったらどうしよう? オイラはお家に戻ることになって、地方のトレセン学園に通うことになって。
(本家や分家の子達に慰められる。悪くないかもしれませんが)
中央のトゥインクル・シリーズで走ることは途端に難しくなります。施設や設備がダントツに整っているこの環境、地方とは大違いだとみなさん言ってましたので。
地方でもちやほやされるかもしれませんが、やっぱりより多くの人に褒められたい。だからこそ、メイクデビューでしっかり勝たないといけません!
「が、頑張るぞ。中央で褒められるために!」
「頑張ってね。動機はともかくとして応援しているよ」
気合いを入れなおし、メイクデビューに向けてストレッチを開始します。日々の積み重ねが大事ですから。
◇
で、いろいろとありまして。メイクデビュー当日を迎えたわけですが。
《ホノイカヅチが盤石のレースを発揮して今ゴールイン! ここに新たなスターの誕生、ホノイカヅチが見事レースを制しました!》
《いや~、惚れ惚れするくらいレース運びが上手ですね彼女。最後の末脚もお見事です!》
《これから先、彼女はどんな道を歩むことになるのか? これからの好走に期待しましょう! 札幌レース場メイクデビュー、芝1800mのレースを制したのはホノイカヅチ、11番人気のホノイカヅチです!》
オイラ、勝ちました。とてもあっさりと勝ちました。2バ身差勝ちです。
思ったより大したことない? オイラってもしかして凄い子!? なんてことが頭に浮かびますが。
「うわ、完全にノーマークだった! 凄かったぞホノイカヅチ!」
「あの家から久しぶりに中央で勝った子が出てきたんじゃないか? 凄いレースだったぞー!」
「これからも応援しているからね~!」
こ、これですよこれこれ! オイラが欲しかったのはこれです!
「フヒ、フヒヒ! も、もっと褒めて、オイラをちやほやして……!」
観客の声援を受けるオイラ。誰もがオイラを褒めたたえ、次も応援してくれると言ってくれています。なんと甘美なことでしょうか。
やる気が出ます。次のレースが俄然楽しみになってきました。
なによりも。
「おめでとうホノイカヅチ! 君の勝ちだよ!」
「フヒ、と、トレーナーさんっ」
トレーナーさんの嬉しそうな声。オイラを褒めてくれる声が耳に入ります。これは、もっと頑張らなければなりませんね。
あっさりと抜けたデビュー戦。父様母様、オイラは中央でもやって行けそうです。
【悲報】メイクデビューナレ死。ぶっちゃけここは問題ないくらい強いのでね……。