ホノイカヅチのメイクデビューは札幌レース場の芝1800mになった。仕上がりも悪くなく、できるだけ早い段階でデビューを済ませておきたかったのと、褒められる場所を作ってあげたかったからだ。
「デビューしても問題ない仕上がりだし、8月開催のメイクデビューに間に合うと思う。札幌レース場でのデビューを考えているよ」
「ふ、フヒ。わ、分かりました」
「芝の1800m。君なら問題なくこなせる距離だ」
メイクデビューのことを話していると、ホノイカヅチの表情には不安の色が濃く出ていた。やはりデビュー戦は緊張するものだろう。
けれど心配はない。ホノイカヅチの状態を考えれば、まず負けることはないだろう。
「出走するウマ娘のデータはこっちで集めておいたよ。君は読み込むだろう?」
「あ、はい。ありがとうございます……」
紙束を渡し、ホノイカヅチを安心させるために笑顔を作る。なにも心配はいらない、自分の走りを貫けるように。
「大丈夫さ。君はできる子ホノイカヅチ、レースが終わればみんなが君を褒めてくれる」
「ッ! ふ、フヒヒ、やっぱりそう思いますか? トレーナー」
「勿論。一生懸命頑張る君の姿を見たら、きっとファンが増えるはずだ。いつも通り、君の普通を発揮すればいい」
ホノイカヅチのモットー、当たり前のことを当たり前に、やるべきことを十全に。その精神で勝負に臨めれば何の問題もない。だって、ホノイカヅチの実力はそれほど高いのだから。
「フヒヒ、オイラ頑張ります。勝ってちやほやされるためにっ!」
「その意気だよホノイカヅチ。それと、レース前の追い切りの相談といつ札幌レース場に向かうかを打ち合わせようか」
「わ、分かりました」
細かい日程をすり合わせて、ホノイカヅチの状態を万全に仕上げる。これがトレーナーとして俺のやるべきことだ。
そして、迎えたメイクデビュー当日。ホノイカヅチは……11番人気である。しかも13人中の。はっきり言ってめちゃくちゃ評価が低かった。
(名家の子とはいえ、地方でも活躍した子がいない家の子。そりゃ期待は薄いよな)
残念だがこれも順当なものだとして受け入れるしかない。それに、これから人気になっていけばいい。このメイクデビューで、ホノイカヅチの名を全国に知らしめればいいんだ。そのための労力は惜しまないし、実力だって持っている。
鞄から用意しておいたものを取り出す。この日のためにと、頑張って用意したものだ。
【頑張れホノイカヅチ!君が一番!】
横断幕。ターフの上で準備運動をしているホノイカヅチに向けて、この横断幕を広げてみせる。向こうも気づいたようで、とても嬉しそうに顔を綻ばせていた。
(恥ずかしいとかよりも嬉しいと思ってくれてよかった)
この横断幕、内緒で作ったものなので拒否されたらどうしようと思っていたところ。向こうが恥ずかしいと言ったらもう使用しないつもりだったが、今後毎レース用意するのが良いかもしれない。周りから奇異の目で見られているが、些細な問題だ……些細な問題だと思うことにする。俺の恥ずかしさはレースに関係ないのだから。
で、レースの結果はというと。万全なホノイカヅチが盤石のレースを発揮して勝利した。2バ身差の勝利である。
常に最内をキープし続け、最後の直線でバ群が開けた瞬間に抜け出す。周りの子達が必死に追いすがる中、ホノイカヅチは楽勝と言わんばかりのペースで駆け抜けた。
(他の子達には緊張が見えた。普段の実力を発揮できず、メイクデビューという舞台を怖がっているようにも見えた)
その中で、ホノイカヅチは自分の力をしっかりと出すことができた。精神面での強さ、というべきか。レースの舞台でいつも通りを発揮できるのもまた強さ、だな。
ともかくとして。
「おめでとうホノイカヅチー! やったなー!」
彼女の応援の声を忘れずに。用意した横断幕を見えるように掲げて、祝福の声を届ける。
「あの兄ちゃん、やたら気合入ってんな。ホノイカヅチの親族かなにかか?」
「トレーナーじゃない? ほら、スーツにバッチが見えるし」
「あぁ通りで。にしても結構愉快なトレーナーだな」
……恥ずかしい、恥ずかしいけど我慢だ! ホノイカヅチが嬉しそうにしているから何の問題もない!
「フヒ、フヒヒ……!」
「ホノイカヅチの方もまんざらじゃなさそうだな」
「本当。嬉しそうに笑ってるわ」
「それでいいのか。なんにせよこれからも応援してるからなー!」
こうしてメイクデビューは難なく制した。次はどうするか。
(オープンレースに出走か、それとも重賞挑戦か。個人的には重賞挑戦を勧めたいところだな)
「朝日杯。ジュニア級最強を決めるレースの1つ。ここへの挑戦が最も注目を集めるはずだ」
中山で施行されるジュニア級G1であり、注目度も段違いに高い。ここを勝てば、ホノイカヅチはもっとちやほやされるはずだ。高い理想と思われるかもしれないが、ホノイカヅチの実力なら十分に届く。
「よし、今後のプランをホノイカヅチと相談だ!」
メイクデビューを勝ったホノイカヅチを褒めることを忘れずに。控室では彼女の走りを褒め続けた。うん、本当にメンタル関係の仕事をしている気分になる。
◇
メイクデビューから数日が経ち。改めて今後のことについて打ち合わせをすることになる。
「ひとまずの目標は朝日杯かな。ジュニア級G1レースで、注目度が高いレースだ」
「じ、G1……!」
「そう。なにより、朝日杯はジュニア級の頂点を決める戦いの一つ。ここを勝てば、君はジュニア級チャンピオンとして名を馳せることになる」
メイクデビューの時に決めた朝日杯挑戦。ジュニア級の大目標をここに定めるつもりでいる。まだ俺の中で勝手に決めたことだけど、肝心のホノイカヅチの意見は。
「こ、ここを勝てば、ちやほやされますよね? なんたってG1ですから」
「そりゃあもちろん。メイクデビューの時よりもずっと人が多いし、歓声もさらに大きくなる。勝てば間違いなく、君は注目の的だ」
「な、なら出ます、絶対に出ます! ふひ、フヒヒ……、もっとちやほやされる……!」
今以上に褒められるならと二つ返事で了承。ジュニア級の大目標が決まった瞬間になる。
そうなると、今後のレースについてもある程度の道筋が見えてくる。
「朝日杯前に1つレースに出よう。そうすれば朝日杯への出走がほぼ確定できるし、なにより経験を積めるからね。オープンレースが望ましいかな」
「フヒ。お、同じ条件のレースはありますか?」
「ちょっと待ってね……あるよ。1ヶ月後に開催される札幌ジュニアステークスがある。ただ、これは重賞だね」
朝日杯前に1つ叩いて本番へ。札幌ジュニアステークスはまだ期間を開けたいということで流れ、10月の萩ステークスに決まった。希望通りのオープンレースである。
レースが決まったのでトレーニングへ。レース明け最初のトレーニングだ。
「じゃあ、いつもより少し軽めにウォーミングアップをしようか。準備はいい?」
「も、問題ないです。万事抜かりなく、です」
ケガをしないようにウォーミングアップ、後にトレーニングへ。普段通りのトレーニングをしている、のだが。
(相変わらず息が上がらないというか。レース明けでも問題なしってところか)
負荷が弱いのか、ホノイカヅチは滅多なことでは息が上がらない。本当になんでもないようにこなしている。
「まぁジュニア級ウマ娘がやるトレーニングとほぼ変わらないからな。いっそのこと量を増やすのもアリか?」
今後のことを踏まえると、負荷を強めてみるのも良いかもしれない。重賞ともなると一筋縄ではいかない猛者ばかり、苦戦することが増えてくるはず。その中でも勝ち切るためには、地力を身につける必要がある。
(彼女の目的のためには勝つことが必要不可欠。なら)
負荷を強めよう、そう考えていた矢先のことだった。
「焦っちゃダメだよ~」
「……え?」
なんか、でかい着ぐるみの人が話しかけてきた。いや、誰? というか、なんで着ぐるみ? どこかで見たことがあるような。
「おや、失敬。なにやら悩める若人がいたもので。気づいたら声をかけちゃった」
「あ、いや。それは別に」
人形の中からくぐもった男性の声が聞こえてくる。本当に誰なのか見当がつかない、と思ったけれど。彼が持っているマーちゃん人形で分かった。この人、アストンマーチャンのトレーナーだ。
アストンマーチャン。今年のティアラ路線を走っていたウマ娘の一人で、ダイワスカーレットやウオッカに並ぶ逸材として紹介されていたウマ娘だ。ダイワスカーレットは桜花賞を制したウマ娘、ウオッカはティアラ路線から日本ダービーに殴り込みをかけた女帝、どちらもトゥインクル・シリーズを沸かせている2人である。
そんな2人に並ぶ逸材と言われるウマ娘のトレーナーから声をかけられた。その事実に緊張する。
「お近づきの印にこれ、どうぞ」
「あ、どうも……ところで、あなたはアストンマーチャンさんのトレーナーさん、ですよね? どうしてここに」
「知ってるんだ。嬉しいなぁ」
世界中どこ探してもあなたみたいな人はいませんからね。彼から貰ったマーちゃん人形を手にしつつ、先ほどの言葉の真意を尋ねる。
「その、俺、悩んでるように見えました?」
「そうだね~、悩んで突っ走りそうな気がしたね~。それも、良くない方に」
「うっ」
どうも、この人の目からは良くないことだと判断されたらしい。でも、エスパーか何かだろうか? 口にしてないはずだけど。
「大方、担当ウマ娘が余裕そうだから負荷を強めても良いかもしれない、なんて思ってたんじゃないかな? でも、それはダメだよ~」
「……それは、どういうことでしょうか?」
「簡単だよ~。目に見えない疲れ、というものがあるから」
言われてハッとする。そういえば俺は、ホノイカヅチの表面的なものしか見ていない。それだけで負荷を強めようとしていたことに気づく。
「ジュニア級はまだ焦る段階じゃない。焦った結果、取り返しのつかないことになってしまう子は往々にしている。そうなるのは、君達の本意じゃないよね?」
「それは、そうです」
「なら、焦るのはダメ。地道に積み重ねて、最高の状態で送り届けることだけを考えなくちゃ」
立ち上がるアストンマーチャンのトレーナーさん。人形の目が俺を捉えていた。
「どうせ記憶に焼き付けるなら、嬉しい記憶の方がいいからね~。悲しい記憶を植え付けられるのは、ファンとしても嬉しくないから」
「……仰る通りです」
「ま、僕は部外者。大事なことは君の担当と話し合って決めるのが一番。なんにせよ、お邪魔虫はここで退散するね~。後、アストンマーチャンをよろしく」
その言葉を最後に彼は去っていった。それにしても、焦りすぎ、か。
(自分の突っ走る性格が悪い方向に向かおうとしてたな。これは反省だ)
そうだ。まだまだメイクデビューを済ませたばかりで焦るような段階じゃない。じっくりと、ケガをしないように勧める段階だ。
本格化で身体が出来上がっているとはいえ、ウマ娘の脚はガラスにも例えられる。無茶をして壊れて、悲しむのはウマ娘の方だ。
「反省、だな。そうだ、あの人の言うように、まだ負荷を強めるような段階じゃない」
あの人のおかげで引き戻された。感謝しないと。
「それにしても、よくできてるなコレ。マーちゃん人形か」
先ほど彼から貰ったマーちゃん人形を掲げる。精巧にできており、市販されているアストンマーチャンの人形とほぼ大差ない、どころか上の仕上がりをしている。
見れば見るほどよくできている。
「凄いな。これが職人の技というやつか」
「……そんなにいいんですか?」
「うん、これは凄い出来……ハッ!?」
まじまじと人形を眺めている俺に、気づけばホノイカヅチがジト目でにじり寄っていた。ものすごい圧を感じる。
と、とりあえず弁明しなければ!
「ち、違うんだホノイカヅチ! こ、これはその……」
「オイラのトレーニングを見ずに、人形なんかに現を抜かすなんて……!」
「確かにそうかもしれない! いや、これはあの」
ダメだ。嘘が即座に見抜かれてしまうから何を言おうとしても無駄である。いや、ここからでも入れる保険があるはずだ!
「これは、そう、アレだホノイカヅチ! 君の人形を作成するのに役立つと思ったんだ!」
「……オイラの人形?」
「そう、名付けてホノちゃん人形! 俺も人形作成を覚えて、君の人形を作ってみようと思ってね!」
本当は今思いついたのだが、かねてより考えていた。ホノイカヅチを強く印象付けるにはどうしたらいいかを。
今よりももっとちやほやされるためには、まず認知度を高める必要がある。そのために人形作成はうってつけではないか? そう思至った。たった今のことだけど。
物というのは重要だ。人々の記憶に残るにはこれ以上のものはない、知名度も断然アップする。
「俺も彼に人形の作り方を習って、いずれはホノちゃん人形を量産しようと思うんだ。悪くない考えだろう?」
「……」
これは君の褒められちやほやライフのため。そう口にしてなんとか納得させる。その後のことについては今考えるべきではない。
時にして一瞬。まだジト目で睨まれたままだが。
「……そういうことなら、まぁ。でもこの人形はオイラが預かります」
「あ、うん。分かったよ」
「次からは現を抜かさないでください。オイラのトレーニングをしっかり見てください」
「分かった、気を付けるよ」
納得していただけたようだ。よし。
(アストンマーチャンのトレーナーさんのところに行くか……)
ホノちゃん人形、作るかぁ。
まさかのマートレルートに突っ走る可能性が出てきた御幸トレーナーである。