幻想博打録カイジ   作:名もない石

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どうも名もない石です!

今回はカイジに新たな仲間が…?
是非お楽しみください!

また、もしよければ感想や評価もお願いします!


同僚

 カイジがその小さな背中を追って赤い廊下を進んでいくと、最初にたどり着いたのは先ほどレミリアと対面したあの巨大な広間だった。

 

「こ、ここが、『大広間』です……!」

 

 ユーナは扉の前で一生懸命背伸びをしながらそう説明する。

 

「主にレミリアお嬢様や咲夜様、パチュリー様たちが集まってお話をされたり、お食事をされたりする一番大切な場所です! 壁に飾られている絵や置いてある家具はどれもお嬢様が世界から集めてこられた、とっても、とっても高価なものばかりなので、絶対に傷つけたり汚したりしないように気をつけてください……!」

 

 ユーナはまるで先生に教わったことをそのまま暗唱するかのように一生懸命説明してくれる。

 

 カイジは改めてその広間の豪華絢爛さを見回した。

 

(もし、あの壺一つでも割っちまったら……)

 

 想像するだけで背筋が凍る。

 間違いなく一年分の給料どころか一生タダ働き……いや、血を一滴残らず吸い尽くされて東京湾ならぬ『霧の湖』の底に沈められるに違いない。

 

「カイジ様はお嬢様から特別なご命令がない限り、この部屋に入ることはほとんどないと思います……」

 

(そりゃそうだろうな……。近づかないのが一番の安全策だ)

 

 カイジは心の中で激しく同意し、安堵の息を吐いた。

 

 次にユーナがカイジを案内したのは先ほどの貴族的な雰囲気とは打って変わって少し庶民的な、しかし広々とした空間だった。

 

「ここがわたくしたち従業員がお食事をいただく『食堂』です……!」

 

 そこには長い木製のテーブルと椅子が何列にも整然と並べられていた。まだ昼食には少し早い時間なのか食事をしている者は一人もいない。

 その代わり、ユーナと同じくらいの背丈の様々な色の髪をした背中に様々な形の羽を生やした妖精メイドたちが忙しそうに立ち働いていた。

 

 テーブルを丁寧に拭いている者。床を箒で掃いている者。

 

 そして奥にある大きな厨房ではこれから始まる昼食の準備をしているのか、野菜を刻むリズミカルな音と何かを煮込む猛烈に食欲をそそる匂いが漂ってくる。

 

「お食事の時間は朝が七時、昼が十二時、夜が十九時です。時間は厳守、です……! 咲夜様は時間にとっても厳しいので、一分でも遅れるとお食事が貰えなくなってしまいます……」

 

 ユーナは少し声を潜めてそう付け加えた。どうやら彼女も一度痛い目に遭ったことがあるらしい。

 

「あと、お食事を残すのも禁止です。出されたものは感謝して全部いただくのがこの館のルールです……!」

 

 カイジはその活気のある、それでいて規律の取れた光景を興味深く眺めていた。

 博麗神社のあの静かでどこか寂れた雰囲気とは全く違う。ここは一つの巨大な組織、完璧なヒエラルキーのもとに統率された『帝国』なのだ。

 

 次にユーナがカイジを案内したのは館の最上階に近いひときわ静かで、そして荘厳な雰囲気が漂う廊下だった。

 その突き当たりには他のどの扉よりも豪華で、そして美しい彫刻が施された巨大な深紅の扉が鎮座していた。

 

「あ、あの……! ここがレミリアお嬢様のお部屋です……!」

 

 ユーナはまるで神殿にでも来たかのように声を潜め、畏敬の念を込めてそう説明する。

 部屋の中に入るまでもなく、その扉だけでこの先にある空間がどれほど豪華で特別な場所なのかがカイジにも嫌というほど伝わってきた。

 

「こ、ここも大広間と同じでお嬢様から特別なご命令がない限り、わたくしたち従業員が中に入ることは固く、固く、禁じられています……! 咲夜様とパチュリー様と美鈴様だけが入ることを許されている特別な場所です……!」

 

(当然だ。あんな化け物吸血鬼の寝床に好き好んで近づくバカはいねえ)

 

 カイジはその近寄りがたいオーラを放つ扉をただ遠巻きに眺めることしかできなかった。

 

 続いて案内されたのは、湯気がほんのりと漂ってくる大理石でできた広々とした空間だった。

 

「ここが、『大浴場』です……!」

 

 その中央には小さなプールのようにも見える巨大な湯船があり、その周りには美しい彫刻が施された女神像などがいくつも並べられている。窓からは紅魔館の庭園が一望できた。

 

「ここは主にお嬢様とパチュリー様がお使いになるお風呂です。わたくしたちはお掃除の時以外入ることはできません……」

 

 ユーナはそう言うと、少し声を潜めて付け加えた。

 

「……あの、咲夜様も本当はお嬢様からここでお風呂に入ることを許されているのですが、『自分だけ特別扱いは申し訳ないから』って、いつもお断りしているそうですよ……!」

 

 そのちょっとした裏話にカイジはあの完璧で冷徹なメイド長の意外な一面を垣間見た気がした。

 

「そしてこちらがわたくしたち従業員用のお風呂です……!」

 

 ユーナはそう言ってその豪華な大浴場から少し離れた場所にある別の扉を指さした。

 

「今は誰も入っていない時間なので中を見てみましょう……!」

 

 ユーナに促されカイジがその中に入ってみると、そこにはカイジの想像を遥かに超える光景が広がっていた。

 

「従業員用」と聞いていたのでてっきりどこかの古びた銭湯のようなものを想像していた。

 しかしそこにあったのは、壁も床も全て清潔なタイルで覆われ、湯船も大人数が足を伸ばしてゆったりと入れるほどの十分な広さがある立派な大浴場だった。

 

「おいおい、これが従業員用かよ……」

 

 カイジは思わず呆れたような感心したような声を漏らす。日本のちょっとした温泉旅館の大浴場と言われても信じてしまいそうだ。

 そのあまりにも立派な従業員用の大浴場を前にこの紅魔館という場所の規格外の金満ぶりに感動すら覚え始めていた。

 

 しかしその時、ふとカイジの頭に一つの『重大な疑問』が浮かび上がった。

 

(あれ? そういや……)

 

 カイジは記憶を辿り直す。

 

 紅魔館の絶対的主であるレミリア。

 

 完璧なメイド長の咲夜。

 

 居眠り門番の美鈴。

 

 そして今目の前にいる小さな妖精メイドのユーナ。

 

 食堂で忙しそうに働いていた他の妖精メイドたちも全員女性だった。

 今のところこの紅魔館でカイジは自分以外の『男性従業員』を一人も見ていない。

 

 

 ──ざわ……! 

 

   ざわ……ざわ……!   

       

 

(待て……! ってことは……従業員用の風呂って一つしかねえよな……?つまり、だ。オレもこの『女しかいない大浴場』に入るってことか……!?)

 

 そのあまりにも衝撃的な可能性に気づいた瞬間、カイジの顔からさっと血の気が引いた。

 

(バカなっ……! 混浴……!? いや、そんな夢みたいな話があるわけねえ……! もし万が一オレが風呂に入っている時にあの冷酷無比なメイド長や他の女どもが入ってきたりしたら……!『キャアアアア! 変態!』からの、即座にナイフで喉笛を掻き切られる……!死っ……! 社会的な死どころか物理的な死が確定する……!)

 

 いくらなんでもそれはまずいだろう。倫理的にも、そして自分の命の安全のためにも。

 

「お、おいユーナちゃん! ちょっと待て!」

 

 カイジは顔面蒼白で慌てて隣にいる小さな案内人に声をかけた。

 

「こ、この風呂ってもしかして男女共用なのか……? オレもここに入るのか……!?」

 

 そのあまりにも切羽詰まった質問にユーナは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにその意味を理解したのか顔を首まで真っ赤に染め上げた。

 

「ち、ちちち違いますよぉっ!!」

 

 彼女は小さな身体を精一杯震わせながら全力でそれを否定した。

 

「か、カイジ様は、こ、こちらのお風呂を使っていただきますので……!」

 

 ユーナはそう言うと、カイジの袖を小さな手でぐいぐいと引っ張り先ほどの従業員用の大浴場からさらに奥まった場所にある別の扉へと案内した。

 

「こ、こちらが『お客様用』のお風呂になります……!」

 

 促されるままにカイジがその中に入ってみると、そこにはまた別の立派な浴場が広がっていた。

 

 先ほどの従業員用の大浴場よりも明らかに使われている素材や装飾が豪華だ。しかし最初に見たレミリアたちが使うあの宮殿のような大浴場ほどではない。

 まさにその中間くらいのグレードといった感じだ。

 

「おいおい、オレ本当にここを使っていいのかよ……? なんか気が引けるんだが……」

 

 いくらなんでも一介の新人従業員が使うには分不相応すぎる。カイジは少し引け目を感じてしまう。

 しかしユーナはぶんぶんと首を横に振った。

 

「だ、大丈夫です……! 館に男性用のお風呂がないのでカイジ様にはこちらをお使いいただくようにと、レミリアお嬢様よりちゃんと許可が下りておりますので……!」

 

 その言葉にカイジは命の危機が去ったことに心の底から安堵したのだった。

 

 それからもユーナによる館の案内は続いた。

 

 来客をもてなすための豪華な客間。

 

 美しい花々が咲き乱れる広大な中庭。

 

 そして壁一面に高価そうなワインが並べられた巨大なワインセラー。

 

 カイジはその一つ一つのスケールの大きさにもはや驚くことすら忘れ、ただ感心するばかりだった。

 そして長い廊下を歩き続けた末、二人はついに館の最も奥まった場所にあるひときわ重厚で、古めかしい巨大な両開きの扉の前にたどり着いた。

 

「……そして、ここが最後です。この館の心臓部とも言える『大図書館』です……!」

 

 ユーナは少しだけ緊張した面持ちでそう告げた。その扉からは古い紙とインクの匂いが微かに漂ってくる。

 

「さあカイジ様! せっかくなので中を少しだけ覗かせていただきましょう!」

 

 ユーナがわくわくした様子でその扉に手をかけようとしたその時。

 

「な、ちょっと待ってくれユーナちゃん!」

 

 カイジは慌ててその小さな手を制止した。

 

「確か咲夜さんから言われたはずだぞ。この大図書館は特別な許可なく入っちゃダメだって……」

 

 フランドール・スカーレットの件と並んで咲夜が特に強く念を押していた立ち入り禁止区域。それをこんなあっさり破ってしまっていいのだろうか。

 するとユーナはカイジのそんな心配を一蹴するかのように、ふふん、と得意げにその小さな胸を張った。

 

「だーいじょうぶです! わたくしにはこの大図書館に自由に出入りできる特別な『権限』があるのです!」

 

「権限……?」

 

「はい! わたくしはこの大図書館の主であるパチュリー様の『専属のお世話係』も兼任しているのです! ですから、わたくしが同伴していればカイジ様も特別に中に入ることが許されるのです!」

 

 ユーナはそう言うと、まるで秘密の呪文でも唱えるかのように人差し指を口元に当てた。

 

「……ただし! パチュリー様はとっても気難しい方で、特に『騒がしいの』が大嫌いなのです。だから中に入ったら絶対に大きな声を出したり、走り回ったり、本を乱暴に扱ったりしないようにくれぐれも粗相のないようにお願いしますね……?」

 

 その真剣な念押しにカイジはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 どうやらこの先にいるパチュリーという人物はレミリアや咲夜とはまた違った意味で厄介な相手らしい。

 ギィィ……と、古びた蝶番が悲鳴のような音を立てて重い扉がゆっくりと開かれていく。その先に広がっていた光景にカイジは完全に言葉を失った。

 

 見渡す限り、本、本、本。

 

 床から高い高い天井まで壁という壁が全て巨大な本棚で埋め尽くされている。

 その本棚には大小様々な古今東西の書物が隙間なくぎっしりと詰め込まれていた。梯子を使わなければ到底手が届かないような遥か高くまで、その本の壁は続いている。

 

(なんだ……ここは……!)

 

 空気はひんやりと澄み渡り、古い紙とインク、そして微かなラベンダーのような香りが混じり合った独特の匂いが満ちていた。

 差し込む光はステンドグラスを通して柔らかく幻想的な色彩を帯びている。それはもはや単なる図書館というよりは知識そのものが眠る巨大な聖域。

 

 そのあまりにも荘厳で、圧倒的な光景にカイジはただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

「……こちらです、カイジ様」

 

 ユーナがカイジの袖をくい、と優しく引っ張り静かな声で奥へと促す。

 カイジははっと我に返ると音を立てないように慎重にその小さな案内に続いていった。

 

 本の迷宮のような通路をしばらく進むと、その最奥。少しだけ開けた空間に一人の人影が見えた。それは紫色のゆったりとしたネグリジェのような服に身を包んだ一人の少女だった。

 長く美しい紫色の髪をサイドでリボンで結び、頭には三日月の飾りがついた可愛らしいナイトキャップを被っている。その姿はまるでこれから眠りにつく深窓のお姫様のようだ。

 

 しかし、その雰囲気とは裏腹に彼女の周りには何冊もの分厚い魔導書らしき本がまるで彼女を守る衛星のようにふわり、ふわりと宙に浮いている。

 

 彼女はそのうちの一冊を手に取り熱心にそのページを目で追っていた。

 カイジたちの存在には気づいているのだろう。本を持ったまま一瞬だけちらり、とこちらに視線を向けた。

 その瞳は眠たげでどこか気だるげだったが、その奥にはカイジの全てを見透かすような深い、深い知性が宿っている。

 

 しかし彼女はすぐに興味を失ったかのように、何事もなかったかのようにその視線を再び手元の本へと戻してしまった。

 

 やがて二人がその少女の前までたどり着くと、ユーナはこれまでで最も深く、そして丁寧なお辞儀をした。

 

「パチュリー様。お勉強のところ大変失礼いたします」

 

 カイジもそのただならぬ雰囲気に圧倒され慌てて見様見真似で深々と頭を下げる。

 

 パチュリーは本から目を離さないまま静かに、少し不機嫌そうに問いかけた。

 

「……ユーナ。その男は誰?」

 

 その声は小さくか細いが凛としてよく通る。

 その問いにユーナは先ほどまでの子供らしいたどたどしさが嘘のように完璧な、そして流暢な口調で説明を始めた。

 

「はい。こちらは本日よりこの紅魔館にてお仕えすることになりました、伊藤開司と申します。レミリアお嬢様のご命令により館の案内をしている最中、こちらの図書館の前を通りかかりましたのでご挨拶だけでも、とお連れいたしました」

 

 そのあまりにも完璧な側仕えとしての口上にカイジは内心舌を巻く。

 

 だが、ユーナの完璧な口上を聞いてもパチュリーは自分から問いかけておきながら「ふーん……」と心底興味がなさそうな相槌を打つだけだった。

 そしてようやく本からその顔を上げると、眠たげな紫色の瞳でじろり、とカイジを頭のてっぺんからつま先まで値踏みするように一瞥した。

 

 その無言の圧力にカイジは背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。慌てて自分が今できる精一杯の丁寧な言葉遣いで自己紹介を始めた。

 

「は、初めまして! 今日から世話になります伊藤開司と、も、申します! 迷惑をかけないよう精一杯努めるので、よ、よろしくお願いします!」

 

 必死に声を絞り出すが、パチュリーはその言葉を聞いているのか聞いていないのか全く分からない。ただぼんやりとカイジの顔を見つめているだけだ。

 

 やがてカイジが言い終えるのを待って、彼女はまた、「そう……」と短く呟いただけだった。

 そして、まるで思い出したかのように付け加える。

 

「……見て回るのは結構だけど、くれぐれも騒がしくしたり本を傷つけたりはしないことね。もし、そんなことをしたら……」

 

 彼女はそこで一度言葉を切ると、ふわりと宙に浮かぶ一冊の分厚い魔導書を指先で軽く撫でた。

 その何気ない仕草がカイジには何よりも雄弁な脅しに感じられた。

 

(本を一冊でも傷つけたら間違いなく魔法で消し炭にされる……!)

 

「も、もちろんですパチュリー様! そのようなご無礼は決していたしません!」

 

 ユーナがカイジの代わりに慌ててそう答える。

 パチュリーはその返事を聞くと、もう完全にカイジたちへの興味を失ったのか、ふい、とその視線を再び手元の本へと戻してしまった。

 もう二度とこちらを見ることはないだろう。彼女の世界にはもはやカイジたちの存在はない。

 

「……それではパチュリー様。失礼いたします」

 

 ユーナはその空気を察し、静かに、そして深く再度礼をした。

 カイジも慌ててそれに倣い頭を下げる。

 

 パチュリーからの返事はなかった。ユーナはカイジの袖をそっと引き小声で囁いた。

 

「ではカイジ様。少しだけ中を見て回りましょう」

 

 カイジはその張り詰めた空気から解放されたことに安堵しながら黙って静かに頷いた。

 カイジは音を立てないように抜き足差し足でユーナの後をついていく。

 

 やはりどこを見ても、本、本、本。

 

 右も左も上も下も、視界に入る全てのものが無数の書物で埋め尽くされている。

 そのあまりにも情報量の多い光景にカイジは目が回りそうだった。

 

 そしてカイジは先ほどからずっと気になっていたことを改めて認識する。

 

 どの本のタイトルも背表紙に書かれている文字も全く読めないのだ。それは日本語でも英語でも、カイジがこれまでの人生で目にしてきたどの言語とも違う。

 まるで古代の象形文字か、あるいは何かの暗号のように複雑で難解な記号の羅列。

 

(これじゃあ全く読めねぇじゃねえか。ただのオブジェと同じだ……)

 

 カイジがそんなことをぼんやりと考えていると、隣を歩いていたユーナがその心を見透かすかのように小声で説明してくれた。

 

「ここにある本の大半はわたくしたちにも読むことができないのです」

 

「え?」

 

「パチュリー様が様々な魔法を使って別の世界から集めてこられたり、あるいはこの幻想郷ができるよりも遥か、遥か昔に書かれた本だったり……。なので、ここに書かれている文字はもう今では誰も使うことのない、古い、古い言葉なのです。ですから、限られた人にしか読むことはできません」

 

 なるほど、とカイジは納得した。

 

 この図書館はただ本を読むための場所ではなく知識そのものを保存、収集するための巨大なアーカイブなのだ。

 

 そんな説明を聞きながらカイジが巨大な本棚の迷路を歩いていると、ふと、その一角に見覚えのある背表紙があるのが目に入った。

 

(ん? あれは……)

 

 カイジは思わず足を止め、その背表紙を食い入るように見つめた。そこに並んでいたのはカイジもかつてパチンコ屋の休憩コーナーで夢中になって読んだことのある、昔の日本の漫画だった。

 

「なっ……! なんでこんな場所に、『あしたのジョー』が……!?」

 

 思わず小さな声が漏れる。

 

 まさかこんな異世界の大図書館で矢吹丈や力石徹の熱い戦いに再会することになるとは。圧倒的ノスタルジー。

 カイジは吸い寄せられるようにそのコーナーに近づいていった。

 

 しかし、よく見るとその漫画が置かれているスペースはごく僅か。そして巻数も一巻があったかと思えば次は五巻。その次は十巻と所々話数がバラバラで飛び飛びになっている。

 

(……これもさっきユーナが言ってた、『別の世界からの物』ってやつか……。たまたまこっちの世界に流れ着いたのがこれだけだったってことか……)

 

 カイジはその不揃いな漫画の背表紙をどこか懐かしい気持ちで眺めた。

 

 その後もカイジたちはしばらくその静寂の迷宮を歩き続けた。

 しかしどこまで行ってもその光景は変わらない。ただ果てしなく本の壁が続くだけだ。

 

 やがてユーナがもう十分だろうと判断したのか、「カイジ様、こちらです」と、出口へとカイジを導いた。

 

 ギィィ……と、再び重い扉が開き、そして閉まる。

 

 大図書館のあの独特の静謐な空気から解放された瞬間、カイジはどっと全身から力が抜けるのを感じた。

 

「はぁ……」

 

 思わず肩を落とし深いため息をつく。ただ歩いて見て回っただけなのにまるで一日中肉体労働でもしたかのような精神的な疲労感。

 

「こ、これで一通り館のご案内は終わりです……! お疲れ様でした、カイジ様!」

 

 ユーナがぺこり、と頭を下げる。

 

 カイジはその小さな案内役に労いの言葉をかけようとしたが、その前にユーナが壁に掛けられている大きな古時計を見上げて声を上げた。

 

「あ! カイジ様! もうこんな時間です! そろそろお昼ご飯の時間なので食堂に向かいましょう!」

 

 カイジもつられてその時計を見ると、長い針と短い針はもうすぐ12時を指そうとしていた。

 時間は12時51分。咲夜のあの厳しい言葉が脳裏をよぎる。

 

『一分でも遅れると食事は出ないものと心得なさい』

 

「い、急がねえと……! 飯抜きは御免だっ……!」

 

 二人は少し早足で先ほど一度訪れた従業員用の食堂を目指した。

 

 食堂にたどり着くと、そこは先ほどとは打って変わって大勢の妖精メイドたちで賑わっていた。

 

 テーブルのあちこちで楽しそうにおしゃべりをしながら食事をしている者。

 

 厨房から出来立ての湯気が立つ大皿料理を運んでくる者。

 

 その活気に満ちた光景はまるでどこかの学校の給食時間のようだ。

 食事はどうやらセルフサービスのバイキング形式らしい。長いテーブルの上にずらりと大皿に盛られた様々な料理が並べられている。

 

「カイジ様! あそこにお盆とお皿がありますので好きなものを取っていきましょう!」

 

 ユーナはそう言うとよほどお腹が空いていたのか、「お先に失礼します!」と一言断って、そそくさと料理が並ぶテーブルの方へと駆けていってしまった。

 その楽しそうな後ろ姿と厨房から漂ってくる香ばしい飯の匂いに刺激され、カイジの腹も、ぐぅぅ、と情けない音を立てた。

 

 カイジもお盆と皿を手に取ると料理が置かれているテーブルへと向かった。そこにはカイジの貧相な食生活の常識を覆すような夢のような光景が広がっていた。

 

 こんがりと焼き上げられた肉厚のハンバーグ。

 

 黄金色の衣をまとった大きなエビフライ。

 

 色とりどりの野菜がたっぷり入った中華風のあんかけ焼きそば。

 

 そして、ほかほかと湯気を立てる炊き立ての白米と具沢山の味噌汁。

 

 和洋中、様々なジャンルの料理が惜しげもなく並べられており、そのどれもが信じられないくらい美味しそうだった。

 カイジはその圧倒的なご馳走を前に、ゴクリ、と唾を飲み込み、どの皿から手をつけようかと目を輝かせる。

 

 目の前に広がる夢のようなご馳走を前に完全に理性のタガが外れてしまった。

 

(なんという……なんという贅沢っ……! 帝愛の地下労働施設で食ったあのちっぽけな焼き鳥が……博麗神社の具なし味噌汁が……まるで遠い過去の幻のようだ……! ここは天国か……!?)

 

 ハンバーグを二つ。エビフライを四本。あんかけ焼きそばを山のように。そして白米を漫画のような大盛りで。あっという間にカイジの皿の上は茶色い欲望の塊で埋め尽くされた。

 

(ククク……これが毎日食えるのか……! 犯罪的だ……! うますぎるに決まってるっ……!)

 

 カイジはほくそ笑みながら、さてどこで食べようかと食堂の中を見回した。

 そういえば一緒に来たユーナはどこだろうか。

 

 そう思って探していると、彼女はまだ料理が並ぶテーブルの前で、「うーん、どれにしようかなぁ……」と真剣な顔で腕を組んで悩んでいる。どうやらまだしばらくかかりそうだ。

 カイジが一人空いている席を探していると不意に後ろから声をかけられた。

 

「よお、アンタが新入りのカイジだろ?」

 

 振り返ると、そこには三人の妖精メイドがテーブルに座ってこちらを見ていた。

 

 声をかけてきたのはその中でもひときわ活気に満ちた表情をしている一人の妖精だった。

 髪はベリーショートで快活に跳ねている。他のメイドたちがスカートを履いているのに対して彼女だけは動きやすそうなズボンを履きこなしていた。その立ち振る舞いはどこか男勝りで姉御肌な雰囲気を醸し出している。

 

「良かったらここで一緒に飯食おうぜ! 色々聞きたいこともあるしよ!」

 

 彼女はニカッと、人懐っこい笑みを浮かべてカイジを手招きする。

 カイジは一瞬どうしようかと迷ったが、ユーナはまだかかりそうだし断る理由も特にない。

 

「……ああ、じゃあご一緒させてもらうぜ」

 

 カイジはそう言うと、料理が山盛りになった皿を慎重に運び、そのテーブルの空いている椅子に腰を下ろした。

 

「おう、よろしくな! 俺はライラ! この食堂の料理番を任されてるんだ! アンタのその皿に乗ってるハンバーグも俺が作ったんだぜ!」

 

 男勝りな妖精ライラは親指で自分を指しながらそう自己紹介をした。

 

「……よろしく。オレは伊藤開司だ。このハンバーグ美味そうだな」

 

「だろ? 味には自信あんだ!」

 

 ライラがガハハ、と豪快に笑うとその隣に座っていた別の妖精が優しく微笑みかけた。

 彼女はウェーブのかかった長い亜麻色の髪をおさげにしており、その穏やかな垂れ目は見ているだけで心が和むようだ。その雰囲気はまるで慈愛に満ちた聖母のようだった。

 

「初めまして、カイジさん。私はセレスと申します。主にお庭のお花の手入れなどを担当しています。ライラが何か粗相をしたらごめんなさいね」

 

「おい、セレス! 俺がいつ粗相したってんだよ!」

 

 ライラが口を尖らせるのをセレスはくすくすと楽しそうに笑っている。

 

 そして最後にその向かいに座っていたもう一人の妖精が小さな声でもじもじとしながら口を開いた。

 彼女は黒く艶やかなおかっぱ頭で、その長い前髪は顔の半分を隠してしまっている。他の二人とは対照的にどこか影があり大人しい印象だ。

 

「……あの……リノン、です……。……大図書室の本の整理とか……してます……。……よろしく、お願いします……」

 

 か細い声でそう言うと彼女はすぐに俯いてしまった。

 

 ライラ、セレス、リノン。

 

 三者三様の個性的な妖精メイドたち。カイジはこの新たな同僚たちとこれからどう関わっていくことになるのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、カイジは目の前のハンバーグにフォークを突き立てるのだった。




お読みいただきありがとうございました!

ユーナちゃん、ライラちゃん、セレスちゃん、リノンちゃん……皆さんはどの子が好きですか?
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