幻想博打録カイジ 作:名もない石
今回は妖精たちとの会話がメインとなっております!
展開としてはほとんど進展がありません……
それでもどうかお楽しみください!
もしよければ感想や評価もお願いします!
カイジが肉汁溢れる熱々のハンバーグにフォークを突き立てたまさにその瞬間だった。
分厚い肉の塊からジュワッと溢れ出す黄金色の肉汁。鼻腔をくすぐるデミグラスソースの濃厚で、そして暴力的なまでに食欲をそそる香り。
帝愛の地下労働施設で血と汗と涙の結晶であるペリカを絞り出して買ったあのパサパサの焼き鳥。あれはあれで悪魔的に美味かった。五臓六腑に染み渡る至福の味だった。
だが……違う。目の前にあるのはそんなジャンクな代物とは次元が違う。
プロの料理人が手間暇をかけ、最高の食材で作った『本物のご馳走』。それが今、自分の手の中にある。しかもこれから一年間、毎日三食タダで食い放題なのだ。
(食う……! 食ってやるっ……! これまでの人生の負債を全て取り返すように食い尽くしてやるっ……!)
カイジが大きく口を開け、まさにその至福の一口目を頬張ろうとしたその時だった。
「なあ、カイジ」
向かいに座る男勝りな妖精、ライラが唐突に口を開いた。
「アンタ、そもそもどうしてここで働くことになったんだ? 人間の……しかも男がここで雇われるなんてオレ初めて聞いたぜ?」
そのあまりにもストレートで純粋な疑問。悪気など微塵もないただの好奇心からくる問いかけに、カイジは大きく開けた口をそのままに一瞬動きをピタリと止める。
見れば隣に座るセレスも、その向かいで俯きがちだったリノンも興味津々といった様子で食べる手を完全に止めじっとこちらを見つめている。
妖精特有のキラキラとした無垢な瞳が三対、カイジに突き刺さる。
(まあ、そりゃ気になるか……。女ばかりの、しかも妖怪や吸血鬼が跋扈するこの館に人間の男がただ一人紛れ込んできたんだ。どう考えても異常事態……イレギュラー中のイレギュラーだからな……)
カイジは刺したままのハンバーグを名残惜しそうに見つめながらも一度フォークをカチャン、と皿に置いた。
そして、はぁ、と、肺の底に溜まっていた重たい空気を全て吐き出すように深く、長いため息をつきながら事の経緯を話し始めた。
夜に出会ったあの八雲紫という金髪の悪魔による理不尽極まりない拉致。
目を覚ました魔法の森での死の恐怖。
博麗神社という名の『強制労働キャンプ』でのあの冷血無比な巫女による奴隷労働。
そして、レミリア・スカーレットという傲慢な吸血鬼の突然の訪問と、「運命が見えないから」という常人には到底理解不可能な狂った理由での引き抜き。
極めつけは霊夢とレミリアの間で交わされた、カイジという人間一人とメイド三人を引き換えるという人間の尊厳を完全に無視した悪魔的取引。
カイジはその全てを包み隠さず三人に語って聞かせた。
語れば語るほど自分の人生がどれほど他人の気まぐれな指先一つで転がされているかを実感し、怒りと虚しさがごちゃ混ぜになった複雑な感情が湧き上がってくる。
話を聞き終えたライラは、「あー……」と、全てを察したような顔で大きく、深く納得したように何度も首を縦に振った。
「なるほどな、お嬢のいつもの気まぐれか。そりゃあアンタもとんだ災難だったな」
その言葉には同情というよりはむしろ「うちの主人はいつもこうなんだよな」と、半ば呆れながらも面白がっているような響きがあった。
一方、セレスは心底心配そうな顔で美しい亜麻色の眉を八の字に下げている。
「まあ……。お嬢様のご命令とはいえカイジさん……少し可哀想ですわ……。自分の意思とは関係なくあちこち振り回されて……。これから慣れない仕事で大変でしょうけれど、何か困ったことがあったらいつでも相談してくださいね♪」
その言葉は建前ではない、心の底からカイジを気遣う聖母のような本物の優しさだった。カイジのささくれ立ち荒みきっていた心がその温かい言葉によって少しだけ、本当に少しだけ癒されるのを感じた。
そして意外にも今までほとんど喋らなかったリノンが俯きがちに、しかし知的好奇心を隠せない様子で小さな声で問いかけてきた。
「……あの……カイジさんがいた世界って……どんなところ……なんですか……? 妖怪とか……魔法とか……ないんですよね……? 本で読んだことはあるんですけど……本当にただの人間だけで……どうやって生きてるんですか……?」
その純粋な問いにカイジは一瞬言葉に詰まる。
当たり前のように享受してきた自分の世界の常識。科学と金と法律が支配し、妖怪も魔法も存在しないただの泥臭い人間の世界。それがこの幻想郷の住人にとってはおとぎ話のような『非常識』なのだ。
「……ああ。まあ色々違うな……。魔法の代わりに機械があって、空を飛ぶ鉄の乗り物や遠く離れた奴と話せる四角い板がある。……だけど中身は案外変わらねえかもしれない。どっちの世界も結局は力のある奴が弱い奴から搾取する。理不尽が罷り通るって点じゃあ同じようなもんだ」
カイジはそう自嘲気味に曖昧に答えると、今度はこちらからずっと気になっていた質問を投げかけた。
「逆に聞きてえんだが……。あんたたちはなんでここで働いてるんだ? 妖精ってのはこう……森とか湖で自由に遊んでるもんじゃないのか?」
すると、ライラが待ってましたとばかりに身を乗り出して口を開いた。
「オレたちはな、元々は野良の妖精だったんだよ。魔法の森の外れとかで木の実を拾ったりイタズラしたりしてその日暮らしの毎日さ。自由気ままっちゃあそうだけど、冬は寒いし強い妖怪に怯えながらコソコソ隠れてなきゃなんねえ。……そしたら数年前にな、メイド長……咲夜様がオレたちを見つけて、『ウチで働かないか』ってスカウトしてきたんだ」
「メイド長……? ああ、十六夜さんのことか」
「そうそう。給料もちゃんと出るし暖かいベッドで寝られる。何より毎日腹いっぱい美味い飯が食えるって言うからな! あんな過酷な野良生活に比べりゃここは天国みたいなもんだ。断る理由なんてどこにもなかったぜ!」
ライラはガハハ、と豪快に笑う。どうやら彼女にとって一番の決め手は圧倒的な『食事の保証』だったらしい。底辺を這いずり回ってきたカイジにはその気持ちが痛いほどよく分かった。
「私はこの子が一人でどこかへ行ってしまうのが心配でついて来ただけですわ。放っておくとすぐに誰かと喧嘩したり無茶をして怪我をしたりしますから。それに、ここなら大好きなお花の手入れも存分にできますし」
セレスがやれやれといった様子で母親のように微笑むと、リノンもこくりと小さく首を縦に振った。
「……私も……ライラが心配だったから……。それに、ここの大図書館には……私の知らない本が……数え切れないくらいたくさんあるから……。毎日、本に囲まれて……幸せです……」
「おいおいお前ら! オレはそんなに信用ねえのかよ! 余計なお世話だってんだ!」
ライラはそう口では文句を言いわざとらしく頬を膨らませてみせるが、その表情はどこか照れくさそうで仲間からの愛情を素直に嬉しそうにしている。
それからも食事を取りつつも、三人の妖精メイドと一人の人間の男の会話は弾んだ。
ライラはカイジがいた世界の『パチンコ』や『競馬』、『麻雀』といったギャンブルの話に「マジかよ! 金が倍になるのか!?」と目を輝かせ、セレスはカイジが語るもやし炒めと発泡酒ばかりの荒んだ食生活に「なんて酷い……栄養が偏ってしまいますわ」と本気で心を痛め、リノンは時折思い出したように外の世界の小説や物語について小さな声で熱心に質問を繰り返した。
和やかな時間が流れる中、カイジはふと昨日からずっと心の片隅に引っかかって黒いモヤのように居座り続けていた疑問を口にした。
「……なあ、一つ聞きてえんだが」
カイジは持っていたフォークを置き不自然なほど声を潜めた。
そして誰かに監視されていないか確認するように周囲のテーブルをぐるりと見渡す。他のメイドたちは自分たちの会話に夢中でこちらには注意を払っていない。
「十六夜さんから絶対に関わるなってきつく念を押されたんだが……。レミリアの妹さんの……フランドールって人にはあんたたち会ったことあるのか……?」
その名前を口にした瞬間だった。
ピタリ。
それまで賑やかで温かな活気に満ちていたテーブルの上の空気が完全に凍りついた。本当に物理的に温度が急激に下がったかのような錯覚を覚えるほどの圧倒的な『沈黙』。
ライラが口に運ぼうとしていたフォークをピタリと止める。
セレスの顔からあの聖母のような微笑みが完全に消え去る。
リノンの顔からさーっと音を立てて血の気が引いていくのが分かった。
三人はまるで絶対に口にしてはならない禁忌の言葉……悪魔の真名でも聞いてしまったかのように青ざめた表情で顔を見合わせた。妖精特有の無邪気さは消え失せ、そこにあるのは根源的な『恐怖』ただ一つ。
カイジの背筋に冷たい汗が伝う。
(なんだ……? この反応は……。ただ事じゃない……!)
やがてその重く息苦しいほどの沈黙を破ったのはライラだった。
「……ああ。一度だけ、な」
その声は先ほどまでの快活さが嘘のように低くかすれ、そして重かった。
「……それはオレたちがここで働き始めてまだ間もない頃だった。ある夜、突然館中にけたたましい警報が鳴り響いてな……。何事かと思ってオレたちが廊下に出たら……『妹様が地下室から出てきて暴れてる』って、先輩のメイドたちが血相変えて逃げ回ってたんだ」
ライラはまるで昨日のことのように、あるいは今まさにその光景を目の当たりにしているかのように小刻みに肩を震わせながら語る。
「オレたちはちょうど近くの廊下を掃除してて……。逃げる間もなく妹様に見つかっちまった。その時の妹様は……もう正気じゃなかった。目が赤く光ってて……。目にしたもの、壁も、高価な壺も、柱も……ただ壊して壊して壊しまくってた……。空間そのものがボロボロに崩れ落ちていくみたいだった……」
セレスが両手で自分自身の腕を抱きしめ、震える声でその言葉を引き継いだ。
「わたくしたちも……本当に危なかったのです。あの異常な破壊の波が私たちを飲み込もうとしたその時……メイド長が駆けつけてくださらなければ今頃どうなっていたか……。想像するだけで足がすくみますわ……」
「……怖かった……。本当に……怖かった……。あれは私たちの理解を超えた……圧倒的な『暴力』……」
リノンもか細い声でそう呟くと、ぎゅっと自分の体をさらに小さく折りたたんだ。
その三人のあまりにも生々しい恐怖の告白。誇張でもなんでもない魂に刻み込まれた本物の恐怖の記憶。
カイジはゴクリ、と、再び唾を飲み込む。
咲夜のあの警告。「あなたに明日はないと思いなさい」という言葉は決して大袈裟なものでも新人に対するただの脅しでもなかったのだ。
やはり、フランドール・スカーレットという存在はこの館における最大の禁忌であり、絶対に触れてはならない『生きた災厄』なのだ。
カイジがその底知れない恐怖の片鱗に触れ身を震わせていると、ライラがぽつり、と、カイジの予想を裏切る意外な言葉を漏らした。
「……でもな……オレにはあの時の妹様が……」
ライラは視線を落とし、迷うように言葉を紡ぐ。
「……どこかひどく『寂しそう』に見えたんだ」
「え……? 寂しそうに……?」
カイジは思わず聞き返した。それほどの絶対的な恐怖、死の危険を体験しながら寂しそうに見えただと?
「ええ……。わたくしも実はそう感じました」
セレスも恐怖に震えながらも静かに頷く。
「もちろん、とても恐ろしかったのは事実です。命の危機を感じました。でも、あの全てを無慈悲に破壊するような狂気に満ちた瞳の奥に……どこか助けを求めているような……悲しい孤独な色があったように思えたのです」
「……うん……。……ただ暴れてるだけじゃなくて…………まるで、誰かに気づいてほしくて……暗い地下室から出してほしくて……泣いてるみたいだった……」
リノンもか細い声でそう付け加えた。
三人のその一致した見解。狂気と破壊の化身であるはずの存在に対する、「寂しそう」「泣いているみたいだった」というあまりにも不釣り合いな感想。それはカイジにとってあまりにも予想外だった。
(……寂しいだと……? あの傲慢なレミリアの妹が……?)
カイジはまだ見ぬその地下の妹君の存在に絶対的な恐怖と同時にほんのわずかな、しかし決して消し去ることのできない『奇妙な興味』を抱き始めている自分に気づいた。
しかしライラはそんなカイジの感傷的な思考を鋭い刃のように断ち切るように真剣な眼差しで釘を刺した。
「……まあ、そういうわけだからよ、カイジ」
彼女は声を一段と低くし、凄みを効かせる。
「この話は今日ここで終わりだ。妹様のことは今後なるべく口にしない方が身のためだぜ。この館には昔、妹様にひどい目に遭わされて今でもトラウマを抱えてる奴も少なくない。それに……」
ライラは一度言葉を切り、食堂の入り口の方をちらり、と、極度の警戒心を持って見た。
「……こういう話をしてるのがもしメイド長にでもバレたら……オレたち、とんでもなくきつーいお仕置き……いや、下手すりゃクビかもっと恐ろしい目に遭うことになるからな」
その言葉には冗談めかした響きは一切なく、絶対的な権力者に対する恐怖からくる確かな重みがあった。
カイジは咲夜のあの冷徹な瞳、時間を止めるというチート能力、そして「明日はない」と言い放った時の本気の殺気を思い出しごくり、と、喉を鳴らす。
「……ああ、わかった。もうこの話はしねえよ。オレも命は惜しいからな」
カイジはその忠告を素直に受け入れた。好奇心を満たすことよりもまずはこの狂った館で無事に一年間を生き抜くことが先決だ。これ以上首を突っ込むのは危険すぎる。
その重苦しいどんよりとした空気を吹き飛ばすように、食堂の通路からパタパタと小走りで駆け寄ってくる明るい声が響いた。
「あ、あのー! こちらの席、空いてますでしょうかー!」
声のした方を見ると、そこにはようやく料理のバイキングという名の迷宮から抜け出せたらしいユーナがお盆の上に可愛らしく、しかし山のように盛り付けられた料理を手に立っていた。
「お、お前……! まだ料理選んでたのかよ……!」
カイジが思わず呆れたようにツッコミを入れると、ユーナは「えへへ……」と恥ずかしそうにはにかんだ。
その細腕で抱えられたお盆の上には彼女の小さな身体には到底不釣り合いなほどの、まさに『山盛り』と呼ぶにふさわしい料理が積み上げられていた。ハンバーグ、グラタン、オムライス、そして山盛りのデザート。
(底なしの胃袋かよ……! 妖精ってのは見た目に反して燃費が悪いのか……!?)
「だ、だって……どれもこれも美味しそうでなかなか決められなくて……気づいたらこんなになっちゃいました……」
そのあまりにも子供らしく無邪気な言い訳。先ほどまでの冷え切った死の淵を覗き込むような絶望的な空気が彼女のその一言でふっと、陽だまりのように和らいでいく。
「おう、ユーナ! こっちこっち! まだ席空いてるから座れよ!」
ライラが待ってましたとばかりに自分の隣の空いている椅子をポンポンと叩いてユーナを手招きした。
「ありがとうございます、ライラさん!」
ユーナはぺこりと頭を下げると嬉しそうにその席にちょこんと座った。そして自分のお盆をテーブルに置きながら無邪気に小首を傾げる。
「そういえば皆さん何のお話をしてたんですか? わたくしが来る前、なんだか少し、しーん、としてましたけど……」
その純粋極まりない悪気の一切ない問いかけ。
瞬間、カイジ、ライラ、セレス、リノンの四人はぎくりと肩を跳ねさせ慌てて視線を空中で交錯させた。
(まずい……! この子にあの『禁忌』の話を聞かせるわけにはいかない……! もしこの子がポロリとメイド長の耳にでも入れちまったら……オレたちは全員一蓮托生で『処刑』だ……!)
四人の間に圧倒的な危機感に裏打ちされた無言の連携が走る。
そしてライラが代表して何事もなかったかのように、ニカッと不自然なほど明るく笑って答えた。
「お、おう! カイジのいた世界の話だよ! 妖怪も魔法もねえすっげえ変わった世界の話を聞いてたんだ! なあ、カイジ!」
ライラが藁にもすがる思いでカイジに強引に話を振る。
カイジはギャンブルの修羅場で培った『ハッタリ』のスキルを今この日常のワンシーンで全開に発揮した。
「あ、ああ……そうだ! オレのいた世界じゃあ空を飛ぶのは『鉄の塊』で、空を飛ぶ人間なんて一人も存在しないってな……。魔法がねえから人間は知恵を絞って空を飛ぶ機械を作ったんだよ……!」
「へぇーっ! そうなんですか! 鉄の塊が空を飛ぶなんて……なんだかすごいです! 面白そうですね!」
ユーナはその苦しい言い訳を微塵も疑うことなく目をキラキラと輝かせている。
四人はその純粋すぎる反応に心底からの安堵の息を漏らしながら背中を伝う冷や汗を拭うのだった。
ユーナが加わったことでテーブルの上の空気はすっかり元の明るさを取り戻した。それからは五人で様々な他愛のない話を交わした。
ライラが身振り手振りで語る厨房での火の妖精たちとのドタバタな武勇伝。
セレスが優しく微笑みながら教える中庭に咲く珍しい魔法の花の話。
リノンがぽつりぽつりと語る最近読んだという外の世界のファンタジー小説の感想。
そしてユーナが目を輝かせながら話すパチュリー様の少し変わった、しかし微笑ましい日常の様子。
カイジも時には相槌を打ち、時には自分のいた世界の話(流石に借金や地下労働の話は伏せ、コンビニやテレビといった無難なもの)を交えながらその他愛のない会話の輪に加わった。
それはカイジにとってこの幻想郷に来て初めて……いや、日本での荒んだ生活を含めても数年ぶりに感じる打算のない穏やかでどこか懐かしい時間だった。
(……仲間、か……)
カイジは目の前のハンバーグを咀嚼しながら不意に胸の奥が熱くなるのを感じた。
安藤や古畑のような極限状態になれば平気で自分を裏切るようなクズたちとは違う。彼女たちは純粋で裏表がない。底辺の人間である自分をただの『新人』として偏見なく受け入れてくれている。
やがて至福の昼食時間が終わりを告げ、ライラ、セレス、リノンの三人はそれぞれの仕事場へと戻っていく。
「じゃあな、カイジ! また明日も美味い飯食わせてやるから楽しみにしてな!」
「カイジさん。慣れないお仕事でしょうけれどあまり無理はなさらないでくださいね」
「……また……いつでも……話、聞きますから……」
三人は口々にそう言うと、最後に声を揃えてカイジに告げた。
「「「何か困ったことがあったらいつでも私(俺)たちを頼ってね!」」」
その温かい言葉にカイジはつい目頭が熱くなるのを必死に堪えた。
日本でのあの孤独な日々とは違う。ここには自分を気にかけてくれる『仲間』がいるのだ。
「……ああ。その時は遠慮なく頼りにさせてもらうぜ」
カイジは少し照れくさそうに、しかし、はっきりとそう答えた。
三人はその返事に満足そうに頷くとそれぞれの持ち場へと散っていった。その後ろ姿を見送った後、カイジとユーナも食べ終えた食器を片付けた。
「さて、カイジ様」
ユーナはパン、と両手を叩くと小さな先輩メイドとして午後の予定について説明を始めた。
「この後は夕方の十五時になるまでわたくしが担当しているお仕事の補佐をお願いすることになります」
「補佐、ね。具体的には何をすりゃいいんだ?」
「はい! 主にパチュリー様の身の回りのお世話や大図書館の簡単な清掃などです! そして十五時を過ぎましたら今度は咲夜様の指示に従っていただく……という流れになります」
パチュリーの世話とあの大図書館の清掃。そしてその後はあの冷徹なメイド長・咲夜の下で直接働く。
カイジはこれから始まる未知の労働の日々を思いごくりと喉を鳴らす。
「……わかった。よろしく頼むぜ、ユーナ先生」
カイジがわざと「先生」と呼んで頭を下げると、ユーナは「えへへ」と嬉しそうにはにかみながら、「こちらこそよろしくお願いします!」と元気よく答えるのだった。
ㅤㅤㅤㅤㅤNowLoading…
再び訪れた大図書館。相変わらずの圧倒的な静寂と膨大な書物の壁。
カイジに与えられた任務は、『本棚の埃落とし』だった。一見すればただの簡単な清掃作業。
だが、ここは魔法使いの図書館である。
「カイジ様、気をつけてくださいね。この図書館の本の中には触れただけで呪いがかかるものや、強い衝撃を与えると爆発する魔法陣が挟まっているものもありますから……。はたきをかける時はまるで眠っている赤ちゃんを撫でるように優し〜く、優し〜く、です!」
ユーナのその無邪気な忠告はカイジにとっては死の宣告に等しかった。
(ば、爆発……!? 呪い……!? なんでそんな命がけのトラップ地帯を掃除させられなきゃなんねえんだよっ……!)
カイジは渡された羽ばたきをまるで時限爆弾の解体ツールのように震える手で握りしめた。
すぐ奥の空間ではパチュリーが相変わらず宙に本を浮かせながら無言で読書に没頭している。彼女は一言も発しないが、その存在自体が放つ『魔力のプレッシャー』がカイジの精神をゴリゴリと削っていく。
(音を立てるな……! 本を落とすな……! 一瞬の気の緩みが死を招く……!)
カイジは極限の集中力で本棚の埃を払っていく。
汗が滝のように流れ落ちる。大図書館の空気は魔法でひんやりと保たれているはずなのに、カイジの着ている執事服のシャツはすでに冷や汗でぐっしょりと張り付いていた。
「……コホン」
パチュリーの咳払いが一つ響く。
「ヒィっ……!?」
それだけでカイジの寿命は数日縮んだ気がした。
(この仕事……肉体労働じゃねえ……! 純粋な『精神労働』だ……! 神経が擦り切れる……!)
帝愛の地下での岩盤割りや鉄骨渡りの恐怖とはまた違う、静かで、ねっとりとしたプレッシャー。
カイジは永遠にも感じる時間を、ただひたすらに、息を殺して埃を払い続けることでやり過ごした。
やがて。
チーン、チーン、チーン……。
館のどこかで時刻を知らせる荘厳な鐘の音が鳴り響いた。
午後十五時。
その鐘の音を合図にパチュリーが本から顔を上げることなく静かに言った。
「……時間よ。ユーナ、お茶を淹れてちょうだい。……そこの男はもう行きなさい。咲夜が待っているわ」
「は、はいっ! 失礼します、パチュリー様!」
カイジは深々とこれ以上ないほど美しい角度でお辞儀をすると、逃げるように大図書館を後にした。
扉が閉まった瞬間、カイジは壁に寄りかかりずるずると崩れ落ちる。
「はぁっ……はぁっ……! 助かった……! 生きて帰還できた……!」
だが安堵している暇はない。十五時を過ぎたということはユーナの補佐の時間は終わり。ここからが紅魔館の『真の恐怖』。あの冷徹無比なメイド長による直接指導が始まるのだ。
「……ずいぶんと無様な格好ね、新人」
不意に頭上から氷点下の声が降ってきた。
カイジがビクッと肩を震わせて顔を上げると、そこにはいつの間にか銀髪のメイド長が懐中時計を片手に冷ややかな目で見下ろしていた。
「い、十六夜さん……!」
「十五時よ。ここからは私が直接あなたを『紅魔館の従業員』として相応しいレベルまで叩き直してあげるわ。……覚悟はいいかしら?」
その美しくも恐ろしい微笑みを前にカイジは再び絶望の淵へと立たされたことを悟る。紅魔館での労働はまだ始まったばかり。
カイジの命と精神を削るサバイバル生活が今、本格的に幕を開けようとしていた。
お読みいただきありがとうございました!
フランとカイジが出会ったらどうなるんだろうか……