幻想博打録カイジ   作:名もない石

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どうも名もない石です!

今回内容を細かく描きすぎて、話が長い割に物語の進みはほとんどないです……




乾坤一擲

 外に足を向けると、すでに夕日は地平線の向こうへと身を沈めかけていた。

 

 

 里の屋根という屋根を紅に染めるその光は、美しくもどこか寂寥感を帯びており、カイジの胸中にわずかな不安の影を落とした。まるでこれから向かう未知への道程を暗示するかのように。

 

 

 慧音は空を見上げると、物思いにふけるような表情で小さく頷いた。西の空に浮かぶ雲が、夕映えに染まりながらゆっくりと流れていく。

 

 

「今日はもう夜になる。……とりあえず、私の家に泊まっていけばいい。明日になってから博麗神社へ向かっても十分だ」

 

 

 その何気ない申し出に、カイジは思わず目を見開いた。まさか泊めてもらえるとは露ほども思っていなかったのである。

 

 

「……え? 本当にいいんすか?」

 

 

 驚きのあまり、声が上ずってしまう。長年の博打人生で、他人の善意をそのまま受け取ることに慣れていない彼にとって、この申し出は予想外すぎた。

 

 

「ああ、いいとも。行く当てもないだろうしな」

 

 

「ありがとうございます、上白沢さん……!」

 

 

 心からの感謝が、その声音に込められていた。

 

 

 すると、その横でルーミアが両手を挙げるように元気よく声を上げた。

 

 

「わたしもお泊りしたいのだー!」

 

 

 その無邪気な様子は、夕暮れの重い空気を一瞬で軽やかなものに変えた。

 

 

 慧音は一瞬困ったように眉を寄せたが、すぐに表情を和らげ、苦笑いを浮かべながら首を縦に振った。

 

 

「……仕方ないな。ルーミアも一緒に泊まっていくがいい」

 

 

「やったー!」

 

 

 ルーミアは満面の笑みを浮かべると、まるで子供のようにぴょんと跳ね上がった。その純粋な喜びようは、見ている者の心も軽やかにする。

 

 

 その後、慧音の案内で三人は人里の一角へと歩みを進めた。石畳の道を歩きながら、カイジは周囲の家々を興味深げに眺めている。

 

 

 どれも古風でありながら、しっかりとした造りで、生活の温もりが感じられた。

 

 

 やがて辿り着いた慧音の家を見た瞬間、カイジは思わず息を呑んだ。

 

 

「……でけぇ」

 

 

 木造でありながら堂々とした構えを持つその建物は、梁や柱が分厚く、屋根瓦に至るまできちんと整えられている。

 

 

 古めかしい造りでありながら、どこか重厚で、人の手による温かみが随所に感じられる──そんな印象を受けた。

 

 

 その驚愕の表情を見て取った慧音は、どこか照れくさそうに苦笑しながら説明を始めた。

 

 

「……私はありがたいことに、里の皆によくしてもらっててな。数年前、里一番の大工が『先生の家はこれくらい立派でなければならない!』って、勝手に改築してしまってな」

 

 

「ほぉ……」

 

 

 カイジは感嘆の声を漏らしながら、改めて家の造りを見回した。確かに、これは相当な腕前の職人でなければ作れない代物だった。

 

 

「もちろん、私は必要ないって断ったんだ。しかし……」

 

 

 慧音は肩をすくめると、まるで困った教え子の話をするような口調で続けた。

 

 

「結局は里中の総意でな、こうして無理やり立派になってしまった」

 

 

 その言葉には、里の人々への深い愛情と、少しの困惑が混じっていた。

 

 

 ルーミアはきょろきょろと見回しながら、目を輝かせて感想を述べた。

 

 

「広いのだー! ここなら鬼ごっこができそう!」

 

 

 その無邪気な発言に、慧音は思わず笑みを浮かべる。

 

 

 カイジはそんな二人の様子を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 

 

 この幻想郷という場所で、こんなにも心温まる光景に出会えるとは思ってもみなかった。外の世界では味わったことのない、穏やかな時間がそこには流れていた。

 

 

 慧音に案内されて足を踏み入れた家の内部は、威風堂々とした外観とは打って変わって質素そのものだった。

 

 

 建材に使われた木材の香りがほのかに漂う室内は、隅々まで丁寧に片付けられており、余計な装飾品は一切見当たらない。目に留まるのは中央に置かれた低い卓と座布団、そして壁際に整然と並んだ棚の書物ぐらいで、生活感というものが実に控えめに抑えられていた。簡素で機能的な住まいである。

 

 

「好きにくつろいでいろ。夕餉の支度をするから、今から食材を買ってくる」

 

 

 慧音がそう告げかけたその時、ルーミアが突然「あっ」と声を上げ、振り返るようにカイジの方を向いた。その表情には、何か重要なことを思い出したような輝きがある。

 

 

「そうだ、カイジー! 言ってたよね? カイジの世界の料理を食べさせてくれるって!」

 

 

「……ッ!?」

 

 

 まるで雷に撃たれたかのような衝撃が、カイジの全身を駆け抜けた。唐突に投げつけられた言葉に、思わず息が詰まる。

 

 

(ヤベぇ……すっかり忘れてた! あの時は……『食わせてやる』なんて調子に乗って言っちまったが……!)

 

 

 脳裏に浮かんでくるのは、六畳一間のアパートの狭い台所で作った貧相な食事の数々だった。

 

 

 安いもやしを適当に炒めただけのもやし炒め、見切り品の豚コマ肉で作った味の薄い生姜焼き、そして何よりも、インスタントラーメンに卵を一つ落としただけの、あまりにも雑で情けない食事……。

 

 

(ダメだ……! 上等なもんなんて作れねぇ……! かといって今さら「やっぱ無理」なんて言える状況じゃねぇ……! ルーミアちゃんは目をキラキラさせてやがるし…!)

 

 

 内心の動揺を必死に隠そうとするカイジの前で、慧音が興味深そうに腕を組んだ。

 

 

「そうなのか? 客人に料理をさせるつもりはなかったが、私もそちらの世界の料理には興味があるな」

 

 

「……ッ!」

 

 

 完全に、退路は断たれた。進むも地獄、退くも地獄——まさに究極の選択である。

 

 

 カイジは顔を引きつらせながらも、最後は腹を決めて開き直った。博打で培った度胸を振り絞る。

 

 

「ま、任せろっ……!」

 

 

 声が裏返りそうになるのを歯を食いしばって押さえ込み、なんとか豪快に言い切った。しかし内心では冷や汗が止まらない。ルーミアは無邪気に「やったー!」と両手を挙げて飛び跳ねる。その純粋な期待の眼差しが、カイジの胸に重くのしかかった。

 

 

「ならば一緒に市場まで来るか。食材選びから手伝ってもらおう」

 

 

 慧音は実用的な提案を口にする。

 

 

「えっ……お、俺もか……?」

 

 

 カイジの声には、明らかに困惑の色が混じっていた。

 

 

「……? 当然だろ。お前も一緒に作るのなら、食材を選んでもらわないと困るからな」

 

 

 慧音の論理は至極もっともで、反論の余地などない。

 

 

(……くぅぅッ!)

 

 

 カイジは心の中で悲鳴を上げた。まるで自分で自分の首を絞めたような状況に陥ってしまったのである。

 

 

 こうしてカイジは、渋々ながらも慧音に伴われ、人里の食材市場へと向かうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慧音の後を追って再び外の世界へ足を向けると、夕暮れに包まれた里にはまだ人々のざわめきが広がっていた。

 

 

 一日の仕事を終えた村人たちが行き交う通りで、やはりカイジに向けられる視線は鋭さを失わない。ルーミアほど露骨ではないにしろ、その冷たい視線は針のように彼の背中に突き刺さってくる。

 

 

 ただ、慧音が隣を歩いているせいか、昼間ほどの露骨な嫌悪感は感じられなかった。里の人々の慧音に対する信頼の厚さが、間接的にカイジを守ってくれているのだろう。

 

 

 石畳を踏む足音が夕闇に響く中、慧音がぽつりと口を開いた。

 

 

「……すまないな。嫌な思いをさせてしまって」

 

 

 その声には、申し訳なさと同時に、里の人々への理解も込められていた。

 

 

 カイジは軽く肩を竦めると、諦めにも似た表情で答えた。

 

 

「……いや、仕方ないですよ。俺はよそ者ですし……むしろ当然ですよ」

 

 

 その淡々とした返答に、慧音はしばし足音だけを響かせながら沈黙し、やがて複雑な表情を浮かべた。

 

 

「……そうだな。この世界では、何事にも警戒することは命を守る手段なんだ。人も妖怪も……簡単に相手を信じれば、死が待っている」

 

 

 慧音の言葉は、言い訳でも正当化でもなく、ただこの幻想郷という世界の現実をそのまま述べた、冷静な事実認識だった。

 

 

 カイジは歩みを進めながら、ずっと心の片隅に引っかかっていた疑問を口にした。

 

 

「……でも、上白沢さんは違うじゃないですか。最初から……俺やルーミアに分け隔てなく接してくれてる」

 

 

「……」

 

 

「なんで、そんなことが出来るんですか?」

 

 

 その問いかけに、慧音は歩みを止めた。振り返ったその表情には、何かを決意したような色が宿っている。しばらく口を開かず、夜風が三人の間を静かに抜けていく。

 

 

 やがて小さく息を吐くと、慧音は重い口を開いた。

 

 

「……実を言うと、私は完全な人間ではない。半分は人間だが……もう半分は獣だ」

 

 

「……ッ!」

 

 

 カイジは思わず目を見開いた。まさかの告白に、心臓が跳ね上がる。

 

 

(半分だけ人間……だと……!?)

 

 

 慧音は静かに言葉を続けた。その声には、長年背負ってきた複雑な立場への諦めと受容が滲んでいる。

 

 

「最初は確かに、お前を警戒した。外来人はこの里にとって未知の存在だからな。だが、話してみて分かった。……少なくとも、お前は悪い人間ではない」

 

 

 そう言って、慧音は口元にわずかな、しかし温かな笑みを浮かべた。

 

 

「その証拠に、ルーミアもお前に懐いているだろう? あの子は純粋だからな。悪い人間には決して心を開かない」

 

 

 家で待っているルーミアの無邪気な笑顔が、カイジの脳裏に浮かんだ。

 

 

 しかし、その言葉はカイジの心に重くのしかかった。

 

 

(悪い人間じゃない……? そんなわけ……あるか……!)

 

 

 脳裏に次々と過去の記憶が蘇る。命を懸けた無謀な博打の数々。怠惰に流された日常。借金、裏切り、そして転落の連続……。まともに生きることから逃げ続け、愚かさばかりを積み重ねてきた自分の人生。

 

 

(俺が……いい人間……? ふざけるな……! 本当にそうなら、あの時……あのゲームには参加しなかった…ッ! そうしたら……もしかしたら佐原や石田のおっさんも……)

 

 

 そこまで考えて、カイジは思考を強制的に断ち切った。これ以上は、考えてはいけない。考えれば考えるほど、胸の奥が締め付けられるような痛みに襲われる。

 

 

 足を前に進めながら、カイジは初めて真剣に、自らの「人間性」そのものに根本的な疑問を突きつけられていた。慧音の言葉は、彼の心の奥底に封印していた後悔と罪悪感を、容赦なく揺さぶり始めていた。

 

 

「……………」

 

 

「……………」

 

 

 

 二人の会話が途切れ、重い沈黙が石畳の上に降りた。どちらが悪いわけでもない。ただ、一度こうした空気になってしまうと、最初の一言を口にすることは存外に難しいものである。夕闇が深まる中、足音だけが静かに響いていた。

 

 

 そんな気まずい空気を破ったのは、慧音だった。前方を指差しながら、安堵の色を滲ませた声で告げる。

 

 

「──着いたぞ」

 

 

 カイジが視線を向けた先には、予想をはるかに超えた活気溢れる光景が広がっていた。

 

 

 通りの両脇には風情ある木造の店舗が軒を連ね、色とりどりの提灯や布製の暖簾が夜風に優雅に揺れている。

 

 

魚を並べた木桶からは水の跳ねる音が小気味よく響き、山菜や季節の果物を盛った竹籠の前では、主婦らしき女性たちが店主と値段交渉に興じていた。

 

 

香ばしい焼き団子の匂い、乾燥させた薬草の独特な香り、そして土と木材が混じり合った懐かしいにおい──五感を刺激する様々な要素が、この市場に独特の生命力を与えていた。

 

 

 カイジは思わず感嘆の声を漏らした。

 

 

「お、おぉ……。これが……人里の市場か……! まるでテレビの時代劇……いや、もっと生々しい……!」

 

 

 その素朴な驚きに、慧音は小さく口元を緩めた。だが表情はすぐに実用的なものに戻ると、「こっちだ」とだけ告げて迷いなく人混みの中を進んでいく。

 

 

 やがて一軒の店の前で足を止めた。そこでは筋骨隆々とした若い男が、朗々とした声で客を呼び込んでいる。日焼けした褐色の肌に金髪、精悍な顔立ちをした、まさに活力の権化といった雰囲気の青年だった。

 

 

「よう、景気はどうだ?」

 

 

 慧音の気さくな声かけに、男は振り向くと目を見開いた。

 

 

「せ、先生!? おおっ、慧音先生じゃないか!」

 

 

 瞬時に満面の笑顔が広がり、嬉しそうに手を振る。その反応から察するに、間違いなく慧音の元教え子なのだろう。

 

 

「久しぶりだな。元気にやっているようで何よりだ」

 

 

「はい! おかげさまで店も繁盛してますよ!」

 

 

 再会に話が弾む中、ふと男の視線がカイジへと移った。カイジは反射的に身を強張らせる。またあの冷たい視線を浴びせられるのかと覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが──次の瞬間、予想を裏切る展開が待っていた。

 

 

「おい、あんた……外来人か!」

 

 

 突然、分厚く逞しい手で握手を求められ、カイジは戸惑いのあまり目を白黒させる。

 

 

「え、あ、ああ……そ、そうだが……」

 

 

「すげぇな! よく無事にここまで辿り着いたじゃねぇか! いやぁ、根性あるぜ!」

 

 

 男は豪快に笑い声を上げると、まるで長年の友人にでも再会したかのように、カイジの肩を力強く叩いてくる。その屈託のない親しみやすさに、カイジは完全に面食らってしまった。

 

 

「……!」

 

 

 予想外の歓迎ぶりに、カイジは思わず言葉を失った。

 

 

 慧音はそんな光景を、まるで誇らしげに、柔らかな微笑みを浮かべながら見守っている。その表情には、教え子の成長を喜ぶ教師としての温かさが込められていた。

 

 

 しばらくその心温まる再会の様子を眺めていた慧音だが、やがて口を開いた。

 

 

「彼は私が十二年前に受け持った生徒でな」

 

 

「へぇ、そうなのか」

 

 

 カイジが感心したように相槌を打つと、男は胸を張って堂々と名乗りを上げた。

 

 

「”永田勝行(ながたかつゆき)”だ! よろしくな、カイジ!」

 

 

「あ、ああ……伊藤開司です。よ、よろしく……お願いします」

 

 

 思わずかしこまった口調になってしまうと、永田は腹の底から大笑いして、再びカイジの肩を豪快に叩いた。

 

 

「ははは! 敬語なんていらねぇよ! 先生と話す時ならともかく、俺はただの魚屋の兄ちゃんだからな!」

 

 

 その屈託のない豪快な態度に圧倒されつつも、カイジは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。永田の人懐っこさが、緊張で強張っていた心を和ませてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、次の瞬間──

 

 

 

 

 

「で、今日は何を買いに来たんだ?」

 

 

 永田が屈託なく問いかけると、カイジの顔色はみるみるうちに青ざめていった。

 

 

「……ッ!」

 

 

(やばい……! なにを作るか全然考えてなかったっ……!)

 

 

 心臓がバクバクと早鐘を打ち、額にじわりと冷や汗が滲み出る。完全に場当たり的な対応で来てしまったことを、今更ながら後悔した。

 

 

 隣では慧音が腕を組み、店先に並ぶ魚や野菜をじっと見詰めながら思案に耽っている。

 

 

(見た感じ……肉よりは魚が主流か……? いや、米は当然あるだろうし、味噌も使われているはず……)

 

 

 カイジは内心で焦りながら、自分の乏しい料理経験を頭の中で必死に総ざらいする。

 

 

(俺がこの店の食材で作れるのは……せいぜい焼き魚、味噌汁、簡単な煮物くらい……! だが、ここで弱気になったらルーミアちゃんにどう思われるか…ッ! それに上白沢さんにだって…)

 

 

「お、おいカイジ。顔が真っ青だぞ?」

 

 

 永田が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

 

「……ッ、大丈夫だッ!」

 

 

 カイジは思わず啖呵を切るように声を張り上げた。しかし内心では、自分で自分を追い込んでしまった状況に、ますます焦りを募らせていた。

 

 

 その後もカイジは、店先の氷台に並べられた新鮮な魚たちを眺め続けていた。

 

 

(もう魚で勝負するしかねぇ……! 焼き魚なら最低限どうにかなる……)

 

 

 そう自分に言い聞かせようとした、まさにその矢先──視線の端に、異様なものが映り込んだ。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 そこにあったのは、氷の上に清潔な布を敷き、その上に無造作に置かれた──豚肉だった。

 

 

「な、なんで魚屋に……肉……?」

 

 

 カイジの顔が見る見る引きつっていく。

 

 

 永田はその困惑した反応に気づくと、照れくさそうに頭を掻きながら説明を始めた。

 

 

「おっと、それか。変だろ? 実はよ……最近、妙な経緯で肉を大量に手に入れちまったんだ」

 

 

「……肉を?」

 

 

 慧音が興味深そうに首を傾げる。

 

 

 永田は苦笑いを浮かべながら頷いた。

 

 

「けど俺は魚しか扱ったことがねぇし、周りの連中も肉料理なんざ作れねぇって言うんだ。捨てるのももったいねぇから、こうして売り物にしてるってわけさ」

 

 

 その説明を聞いた瞬間、カイジの頭に雷のような閃きが走った。

 

 

(そうか……! やっぱりだ……! この世界じゃ肉料理はまだ一般的じゃねぇ……! だったら……!)

 

 

 カイジは勢いよく前に出ると、永田に切羽詰まったような声で尋ねた。

 

「なあ永田さん……油や卵、それとパン粉を売ってる店は、この辺にあるか?」

 

 

「油と卵に……パン粉?」

 

 

 永田が怪訝そうにその単語を繰り返す。

 

 

「そうだ!」

 

 

 カイジの目が、まるで獲物を見つけた狩人のように光った。

 

 

 永田は少し考え込んでから、指で方向を示した。

 

 

「油なら向かいの店に菜種油がある。卵はここからちょっと歩いた先の農家が出してるな。パン粉ってのは知らねぇが……反対側にパンを売り始めた店があるぞ」

 

 

「……っ!」

 

 

 カイジの胸の奥で、パズルのピースがぴたりと揃った瞬間だった。

 

 

(揃った……! 全部揃ったぞ……! これで勝負できる……! 俺の世界から持ち込める……"武器"が……!)

 

 

 決意に満ちた表情で顔を引き締めると、カイジは財布を取り出した。

 

 

「……あっ」

 

 

 彼の動きが完全に止まった。財布の中には、わずか数百円しか入っていなかった。

 

 

(ま、まずいッ……! こんなんじゃ肉も油も卵も……揚げ物なんて到底無理ッ……!)

 

 

 カイジの時が止まったかのように感じられた。視界がぐにゃりと歪み、絶望が心を支配しかけたその時──隣で慧音がすっと口を開いた。

 

 

「……客人に払わせるわけないだろう。ここは私が出す」

 

 

 そう言いながら、慧音は懐から銭入れを取り出した。

 

 

(……ッ! か、神……! いや……女神か……!)

 

 

 カイジは心の底から震えるような感動を覚えた。

 

 

 その一連のやり取りを見ていた永田は、にやりと豪快な笑みを浮かべると、立派な豚肉をひと切れ手に取って差し出した。

 

 

「おう、そんじゃこれも持ってけ! 祝いだ! 外来人が無事に里にたどり着けた記念にな!」

 

 

「い、いや、それは悪い……」

 

 

 慧音は遠慮がちに手を振るが、永田は笑って押し切る。

 

 

「遠慮すんな! こいつはただの景気づけだ! 先生の客人なら俺の客人でもあるからな!」

 

 

「……すまない、恩に着る」

 

 

 慧音は深い感謝を込めて頭を下げた。カイジも慌てて深々と礼を言う。

 

 

(……よし……これで……! これで勝負の舞台は整った……!)

 

 

 胸の奥でカイジの心臓が高鳴っていた。博打場に向かう時のような、あの独特の興奮と緊張が蘇ってくる。

 

 

 そうだ……この幻想郷に、まだ馴染みのない味を──俺が叩き込んでやる……!

 

 

 こうして、カイジは己が思い描いた料理を再現するべく、運命の勝負へと歩みを進めることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は慧音の家の台所へと移る。

 

 

 夕陽が赤々と差し込む窓辺で、カイジはどこか微妙な表情を浮かべながら、自分の作った皿をそっと持ち上げた。

 

 

 湯気こそ立ち上っているものの、その手には明らかな不安が滲み出ていた。まるで爆弾でも扱うかのような慎重さである。

 

 

 廊下から覗けば、居間では慧音とルーミアがすでに席について待っている。低い食卓の上には、慧音が手際よく用意した料理が美しく並べられていた。

 

 

 香ばしい匂いを漂わせる煮しめ、味噌の風味を効かせたけんちん汁、そして山菜と豆腐の上品な和え物に、彩り豊かな小さな漬物皿。

 

 

 どれも素朴でありながら手間のかかった品ばかりで、田舎の食卓らしい温かみに満ち溢れている。

 

 

 カイジはその和やかな光景の対面に、あまりにもアンバランスな皿を「ドンッ」と、やや乱暴に置いた。

 

 

 厚めに切られた豚肉に、小麦粉と卵とパン粉で作った衣をまとわせ、油でこんがりと揚げた料理。

 

 

 この幻想郷では恐らく誰も見たことがないであろう一品に、慧音は目を丸くし、ルーミアは今にもよだれを垂らしそうな表情を浮かべている。

 

 

「これは、何という料理だ?」

 

 

 慧音の素直な問いかけに、カイジは胸を張るでもなく、しどろもどろに答えた。

 

 

「と、豚カツ……です」

 

 

 実際のところ、作り方を"なんとなく"知っていただけで、現世でもろくに料理をしたことはなかった。ましてや豚カツなど、外食で食べたことがある程度である。自信なんてあろうはずもない。

 

 

 ソースの作り方も皆目見当がつかず、苦し紛れに醤油をかけて誤魔化した有様だった。カイジは心の中で激しく舌打ちする。

 

 

(くっ……馬鹿かッ…俺はッ!……なんで慣れもしない料理をしてしまったんだ……ッ!)

 

 

 しかし、ルーミアは皿に身を乗り出すようにして、期待に目を輝かせていた。

 

 

「ねぇねぇ! 早く食べていい?」

 

 

「……まぁ、俺も一緒に食うか」

 

 

 緊張で震える手で箸を取り、恐る恐るカツを一切れ掴んで口に運ぶ。慧音も同じように、興味深そうにひとかけらを口へと運んだ。

 

 

 ──途端に、カイジは顔を苦々しく歪めた。

 

 

 肉は思った以上に硬く、なかなか噛み切れない。衣も油を吸い過ぎてベタつき、サクサク感のかけらもない。これが現代の店で出てきたら、間違いなく暴動モノである。

 

 

(やっちまった……ッ! マズい……ッ!)

 

 

 恐る恐る二人の表情を窺う。きっと顔を歪めているに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが──

 

 

 

「……おお、これは……肉を揚げているのか? 面白いな。噛みごたえもあって悪くない」

 

 

「おいしいっ! お肉いっぱいだぁ!」

 

 

 慧音は興味深そうに箸を進め、ルーミアは子供のように頬をほころばせて夢中になって食べている。二人とも、心底美味しそうに味わっているのだ。

 

 

 その光景に、カイジはぽかんと口を開けた後、小さく安堵の息を吐いた。

 

 

(……なるほどな……。現代の日本人みたいに舌が肥えてるわけじゃねぇ。未知の味ってだけで、美味しく感じる……そういうことか……)

 

 

 豚カツは決して成功作ではなかった。技術的には完全な失敗作と言っても過言ではない。

 

 

 だが、ここ幻想郷では確かに「ご馳走」として受け入れられていたのだった。カイジにとって、この異世界での小さな、しかし確実な勝利だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕餉が終わった。

 

 

 一部を除いて──つまりカイジが作った豚カツを除けば──それは実に美味しい夕食だった。

 

 

 慧音の作る素朴な料理は家庭の温かみに満ち、ルーミアの旺盛な食欲も十分に満たされ、三人の間には和やかなひとときが流れていた。

 

 

 食後、慧音は時計を見やりながら「もう遅い。寝室を用意しよう」と、二人を奥の部屋へと案内した。

 

 

 広めの部屋には清潔な布団が敷かれ、窓の外からは秋の虫たちの音色が静かに響いてくる。幻想郷の夜は、都市部では味わえない深い静寂に包まれていた。

 

 

 ルーミアは布団に潜り込むが早いか、まるで電池が切れたかのようにすーすーと寝息を立て始めた。その無邪気な寝顔はまるで幼い子供のようで、カイジは何となく気恥ずかしくなって視線をそらした。

 

 

 その隣で、彼自身はまだ眠れずに天井を見つめていた。

 

 

 ——隣室では、慧音が小さな灯りを点けて明日の授業に使う資料をまとめているらしい。紙をめくる音が時折聞こえてきて、教師としての責任感の強さが感じられた。

 

 

 薄暗い寝室で天井を見つめたまま、カイジの思考はぐるぐると止まることなく回り続ける。

 

 

(……もしだ。もし、八雲紫が……本当に「帰す気がない」って言ったらどうする? 最悪……殺される可能性だってある……!)

 

 

 胸の奥に氷のような冷たいものが走った。ギャンブラーのくせに、失敗した後のことばかり考えてしまう。勝負の世界では致命的な弱みだ。だが、どうしても考えずにはいられなかった。

 

 

(チクショウ……ッ! まだ始まってもいねぇってのに、負け筋ばっか追ってどうする……!)

 

 

 自分で自分を叱咤しながら、「やめやめ!」と心の中で頭を振り、負の思考を強引に振り払った。

 

 

 ──とにかく、明日だ。博麗神社に行かないことには、何も始まらない。

 

 

 カイジは深く息を吐くと、重いまぶたを閉じた。せめて少しでも眠って、体力を温存しておくべきだろう。隣で眠るルーミアの規則正しい寝息が、まるで子守唄のように耳に響く。その穏やかな音に包まれるうち、やがてカイジのまぶたも重く沈んでいった。

 

 

 明日という未知への不安と、かすかな希望を胸に抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓から差し込む柔らかな陽光が、布団に横たわるカイジの顔を優しく照らしていた。遠くから聞こえてくる鳥のさえずりが耳に届き、幻想郷の朝は意外なほど穏やかで、心地よいものに感じられた。

 

 

 カイジがゆっくりと体を起こすと、隣ではルーミアがまだ布団の中でもぞもぞと動いている。頭まですっぽりと隠れ、寝ぼけたような小さな声が時折聞こえてくる。

 

 

「……朝か」

 

 

 ぼそりと呟いたカイジの声に反応したのか、襖がそっと開いて慧音が顔を出した。

 

 

「おはよう、眠れたか?」

 

 

「……はい、それなりに」

 

 

 慧音はふっと安堵したような微笑みを浮かべ、「ならよかった」と答えた。その自然な笑顔に、カイジの心は少しだけ軽やかになった。

 

 

 食卓には焼き魚、香り立つ味噌汁、炊き立ての白い米、そして色とりどりの漬物といった、質素ながらも心のこもった朝食が丁寧に並べられていた。

 

 

 布団からようやく這い出してきたルーミアは、まだ半分夢の中にいるような様子で椅子に座ると、あくびをしながら米を頬張り始める。慧音はそんな彼女を見て苦笑しながら、器に湯気の立つ味噌汁をよそってやった。

 

 

 温かな味噌汁を啜るカイジの胸の奥に、じんわりと安堵が広がっていく。

 

 

 

 

 

 

 ──人のぬくもりをこんなに感じたのは、一体いつ以来だろうか。

 

 

 

 

 

 

 食事を終えると、慧音が今までとは違う真剣な表情で口を開いた。

 

 

「……カイジ、悪いが私は今日は授業がある。加えて、里を守る役目もあるから、一緒に博麗神社までは行けない」

 

 

「……そう、ですか」

 

 

 思わず驚きの声がこぼれる。内心では一抹の不安を感じたが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。カイジは小さく頷いた。

 

 

 慧音は机の上に、前夜から用意していたらしい物を丁寧に並べた。手描きの詳細な地図、水の入った竹筒、そして小さな布袋に包まれた携行食料。

 

 

「ここまで来られたんだ。きっと大丈夫だろう。ただし、道中は油断しないことだ」

 

 

 その心遣いに、カイジは胸に熱いものが込み上げてくるのを感じ、深く頭を下げた。

 

 

「……ありがとうございます、本当に……」

 

 

 次に慧音はルーミアに視線を向けた。

 

 

「お前はどうする、ルーミア? 彼と一緒に行くのか?」

 

 

 ルーミアは考え込むような素振りを見せ、指を唇に当てて少し首を傾げた。よくよく考えてみれば、あの森からここまで連れてきてしまったのだから、カイジにこれ以上付き合わせるのは筋違いというものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが──

 

 

 

 小さな沈黙の後、ルーミアはぱっと花が咲くような笑顔を見せた。

 

 

「……じゃあ、博麗神社の手前まで一緒に行くのだー!」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、カイジの目から不意に涙がぽろぽろと零れ落ちた。日本にいた頃、一度として受けたことのなかった純粋な善意。この世界に来て初めて、真正面から与えられる無償の優しさ。

 

 

「……ッ」

 

 

 慌てて涙を拭おうとするが、一向に止まる気配がない。ルーミアはオロオロと狼狽え、慧音はただ温かな眼差しで静かに見守っていた。

 

 

 やがて涙が落ち着いたころ、カイジは鼻をすすりながら、少し照れくさそうに、しかし確固たる決意を込めて口を開いた。

 

 

「……博麗神社に行きます。博麗霊夢に会って……必ず八雲紫に会う」

 

 

 自分に言い聞かせるように、そして二人に誓うように。

 

 

 慧音は深く頷き、静かに二人を見送る準備を始めた。カイジとルーミアは背筋を伸ばし、慧音に心からの別れを告げて歩き出した。朝日を浴びながら、温かい人里を後にして——

 

 

 いよいよ、運命の博麗神社へ向かう時が来たのだった。




お読みいただきありがとうございました!

何と博麗神社にまだ行けてません……

本当はこの話で行かせたかったのですが、他の描写を丁寧に書いてたら全然進まなかった…

そして永田というネームキャラが現れました!

彼はこれからもこの物語に関わって来るのでしょうか…?

あと、もしよければ感想や評価も是非お願いします!

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※乾坤一擲とは、

天地のように大きなものを賭けて、一か八かの大勝負をすること。運命をかけて、思い切って勝負に出る覚悟を表します。
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