幻想博打録カイジ   作:名もない石

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どうも名もない石です!

今回文章が多い割にストーリーの進みが亀並みに遅いです…

それでも言い方は是非お楽しみください!

あと良ければ、是非感想や評価もお願いします!
モチベ向上にも繋がります!


悪夢

「契約成立ね。じゃあ早速だけど裏の薪を割っておいてくれる? それと井戸から水を汲んで水瓶を満たしておいてちょうだい」

 

 霊夢はさも当然といった様子で次々と指示を出す。

 その手際の良さと澱みない命令はまるで長年奴隷を使い慣れている悪徳現場監督のようだった。

 

「おいおいちょっと待て! 話が早すぎじゃねえか! こっちはまだ心の準備もできてねえんだぞ!」

 

 カイジは不満を隠さずに言い返すが霊夢は涼しい顔で受け流す。

 

「あら、あんたは決断が早いものだと思っていたけど? それにぐずぐずしてたら日が暮れちゃうわ。夕飯の準備もできないし、そうなったらあんたの食べる分もなくなるわよ」

 

「ぐっ……! 汚ねえやり方しやがる……!」

 

 食い扶持を人質に取られ、カイジは言葉に詰まる。

 

(この巫女……見た目に反して相当な食わせ者だ……! 交渉の主導権から実生活の生殺与奪の権利まで完全に握られちまってる……!)

 

「……で、その薪割りってのはどこにあんだよ」

 

 ぶっきらぼうに尋ねるカイジに霊夢は顎で裏口を指し示す。

 

「斧も薪もそこにあるわ。ああそうだ、ついでに庭の掃除もお願い。落ち葉がひどくて見苦しいのよ」

 

「まだやらせる気か! 鬼かあんたは!」

 

「人聞きの悪いこと言わないで。幻想郷のため、ひいてはあんた自身のためでしょ? 感謝こそされど罵られる筋合いはないわ」

 

 霊夢は悪びれる様子もなく再び湯呑みに手を伸ばす。その悠然とした態度にカイジは怒りを通り越して一種の絶望的な諦めを感じ始めていた。

 

 重い足取りで裏口へ向かう。ギシリと音を立てる床板が自分の惨めな境遇を嘲笑っているかのようだ。

 

「クソッ……! こんなはずじゃなかった……! オレは帰るための手掛かりを探しに来たのに……なんでこんなトコで丁稚奉公(でっちぼうこう)*1。みたいな真似を……!」

 

 ぶつぶつと悪態をつきながらも彼は斧を手に取った。

 ずしりと重い鉄の塊。こんなものを最後に握ったのはいつだったか。少なくともパチンコ玉やチンチロの賽より重いことは確かだった。

 

 裏庭に出るとひんやりとした空気が肌を刺す。見上げればどこまでも高く青い空。

 だが、その青さはカイジの心を晴らすどころか自分の置かれた圧倒的閉塞感を際立たせるだけだった。

 

「……やるしかねえのか……今は……!」

 

 覚悟を決めカイジは丸太に狙いを定めて斧を振り下ろした。

 

 カンッ! 

 

 甲高い音が響き、斧は弾かれるようにして丸太の表面を滑った。腕にビリビリと鈍い痺れが走る。

 

「いってぇ……! クソ……!」

 

 慣れない作業に悪戦苦闘するカイジ。何度か振り下ろすうちにようやくコツを掴み始めたが、その頃にはすでに全身から汗が噴き出し息が上がっていた。

 その様子を霊夢は縁側から黙って眺めていた。湯呑みを片手にまるで退屈な三文芝居でも見るかのような無表情で。

 

 やがてカイジが薪割りを終え、ぜえぜえと肩で息をしながら井戸に向かうのを見届けると彼女は小さく呟いた。

 

「……まあ、体力だけはありそうね。せいぜい働いてもらわないと」

 

 その口元には先ほどカイジに見せたものとは違う、どこか計算高い笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 それから数時間。カイジは文字通り己の肉体との『死闘』を繰り広げていた。

 

 薪割りは腕をパンパンに腫れ上がらせ、井戸からの水汲みは腰に鉛のような疲労を蓄積させた。

 落ち葉掃きに至っては掃いても掃いても風に舞い戻る葉との果てしない無間地獄だった。

 

 全ての作業を終えた時、カイジはもはや指一本動かす気力もなく神社の裏庭の地面に大の字になってぶっ倒れていた。

 空は燃えるような赤に染まりすっかり夕暮れ時だ。カラスの鳴き声がやけに大きく聞こえる。

 

(もう何も考えられない……。このまま土に還ってしまいたい……)

 

 そんな虚無感に包まれていたその時だった。

 

「いつまで寝てるつもり? 日が暮れきるわよ」

 

 どこから現れたのかすぐそばに霊夢が立っていた。その影が倒れているカイジの顔に落ちる。

 

 カイジは恨めしげに見上げたが、霊夢は有無を言わさぬ力でカイジの腕を掴み無理やり立たせた。

 

「ぐっ……! てめえ……人がどれだけ……!」

 

「はいはいご苦労様。で、あんた、飯は作れるの?」

 

 あまりに唐突な質問にカイジの思考が一瞬停止する。

 

 飯? 今、この限界の状況で? 

 

「……あ? ……まあ、ある程度は……」

 

 かつての自堕落なアパート暮らしで最低限の自炊スキルはあった。その素直な答えがさらなる地獄への引き金となる。

 

「そう。じゃあ夕食の準備もお願いするわ。食材は冷蔵庫にあるもので適当にやって」

 

 霊夢は台所らしき方向を顎でしゃくった。

 その態度はまるで長年連れ添った夫に夕飯をねだる妻のようだが、そこに愛情のかけらもない。ただ純然たる『命令』だけがあった。

 

「ふざけんじゃねえ……! こっちはもうクタクタなんだよ! これ以上何を搾取するって言うんだ!」

 

 カイジの怒りがついに爆発する。

 だがその怒声も霊夢の冷え切った視線の前では空しく響くだけだった。彼女は心底面倒くさそうにため息をつくと静かに言い放った。

 

「働かざる者食うべからず、って言うでしょ。それとも夕飯は要らないのかしら?」

 

「……ッ!」

 

 その一言でカイジの中の何かがプツリと切れた。

 

(そうだ、何を言っても無駄なんだ。この女の前では常識も道理も人の情けすら通用しねえ。帝愛の黒服どもと同じ……いや、それ以上の冷血漢だ……!)

 

 ここで反論するのはただ体力を消耗するだけの不毛な行為だ。

 

 カイジは燃え盛る怒りを奥歯を噛みしめることでグッと堪え、無言で頷いた。

 

「……わかったよ」

 

(帝愛の地下での強制労働に比べればこんなものはまだマシだ。空が見えるだけ、飯が食えるだけまだ……)

 

 そう自分に言い聞かせながらふらつく足取りで台所へと向かった。

 

 台所に立ったカイジは少しばかり目を見張った。

 薄暗くかび臭い神社だが台所は意外にも整然としていた。かまどだけでなく年季の入ったガスコンロまである。

 そして何よりカイジの注意を引いたのは部屋の隅に鎮座する無骨な白い箱──『冷蔵庫』だった。

 

「……なんで冷蔵庫があんだよ……。外の世界から持ち込まれたモンか?」

 

 疑問が頭をよぎるがすぐに打ち消した。考えても腹は膨れない。

 

 カイジは渋々といった体でその白い扉に手をかけた。ギィ、と鈍い音を立てて開かれた冷蔵庫の中を覗き込み──カイジは戦慄した。

 

「ほぼからっぽじゃねえか……ッ!」

 

 広い庫内はまるで引越し直後のように閑散としていた。カイジの絶望的な叫びが静かな台所に虚しく響く。

 棚に鎮座しているのは麦茶のボトル、半分ほど使われた味噌のパック、そして壺に入った大量の梅干し。扉のポケットにかろうじて煮干しの袋が差し込まれているだけだ。肉や野菜のかけらさえ見当たらない。

 

「虚無っ……! これで何を作れってんだよ……!」

 

 カイジは頭を抱えた。

 だがふと横を見ると、大きな米俵がどかりと置かれているのが目に入った。

 

「……米だけはあるのか」

 

 最低限の生命線は残されていた。米と、味噌と、梅干し。そして煮干し。

 

 カイジは大きくため息をつくと、覚悟を決めて米櫃から米を研ぎ始めた。

 

(味噌と煮干し……これで出汁は取れる。あとはこの酸っぱいだけの梅干しか……)

 

 カイジは壺の中から梅干しを一つ取り出しその強烈な酸っぱさに顔をしかめながら種を取り除いて果肉を丁寧に包丁で叩いた。

 それを味噌と混ぜ合わせ少量の出汁でのばしていく。

 単純な具なし味噌汁ではこの極限の空腹と疲労は満たせない。博打で研ぎ澄まされた思考が食という最も根源的な欲求を満たすために猛烈に回転する。

 

(叩いた梅肉と味噌……! これを丸めて軽く炙る……! 火を通すことで香ばしさを引き出し、酸味の角を取る……! 悪魔的機転っ……!)

 

 やがて炊き上がった米の甘い香りと、煮干しと味噌が混じり合った香ばしい出汁の匂いがじんわりと神社の中に満ちていった。

 

「……何を作ってるの?」

 

 背後から不意に声をかけられカイジはビクリと肩を揺らした。

 振り返ると霊夢が腕を組みながら中の様子を窺っていた。その表情は相変わらず無愛想だが鼻がくんくんと動いている。

 

(ざまあみろ。腹でも減ったかこの鬼巫女め)

 

 霊夢はすっと中に入ってくると鍋の中を覗き込んだ。

 湯気を立てる白米と具のないシンプルな味噌汁。そして皿の上に並んだ即席の『焼き味噌』。

 

「……へえ。何もない割にはまともな匂いがするじゃない」

 

 霊夢は意外そうに呟いた。それは罵倒でも賞賛でもない素直な感想だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 並べられたのはおよそ馳走とは呼べない、あまりにも質素な夕餉だった。

 

 おこげのある白米、具なしの味噌汁、そして香ばしく炙られた梅肉入りの焼き味噌。

 霊夢は「いただきます」と小さく呟き、まず味噌汁の椀を手に取った。静かに一口すする。カイジは固唾を飲んでその反応を待った。

 

「……別に不味くはないわね」

 

「あったりめえだろ。これだけのモンで作ってんだからな」

 

 カイジは皮肉気味に悪態をつきながら自分も味噌汁をすする。疲労困憊の身体に温かい塩分がじんわりと染み渡っていく。

 

 次に霊夢は焼き味噌に箸を伸ばした。ひとかけらを口に運びゆっくりと咀嚼する。

 

「……ん」

 

 彼女の眉がほんのわずかに動いた。

 ただ塩辛いだけだと思っていた味噌に香ばしさと梅の爽やかな酸味が加わり、意外な深みを生み出している。

 

「……あんた、見かけによらず器用なのね」

 

「……うるせえよ」

 

 カイジはぶっきらぼうに返し自分も焼き味噌を白米の上に乗せてかき込んだ。米の甘みと焼き味噌の塩気と酸味。質素だが極限の空腹がそれを極上のご馳走に変えていた。

 

 無言の食事はあっという間に終わった。

 カイジが食器を重ねて片付けようとした時、霊夢がすっと半分を引き寄せた。

 

「あんた一人にやらせると夜が明けそうだからね。少しは手伝ってやるわ」

 

 今日一日鬼のように自分をこき使った巫女が手伝う? 

 

 カイジの長年の裏社会での経験が猛烈に警鐘を鳴らす。タダより高いものはない。

 

「……おい、何か裏があるんじゃねえのか? 明日の仕事を倍にするとかそういう魂胆だろ」

 

 カイジがじっとりとした疑いの視線を向けると、霊夢は深々とため息をつき──凄まじい速さでカイジの頭頂部に手刀を振り下ろした。

 

 スパンッ! 

 

「いってぇ!? なにしやがんだてめえ!」

 

「人の親切を素直に受け取れないあんたが悪いんでしょ。少しは頭を冷やしなさい」

 

 痛みに悶えるカイジを尻目に彼女は食器を手に取ってさっさと台所へ向かってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 片付けを終え、二人は再び居間のちゃぶ台に向かい合っていた。

 気まずいようで、しかし一日中張り詰めていた緊張が少しだけ解けるような時間が流れる。

 

 沈黙を破ったのは霊夢だった。

 

「……博麗の巫女っていうのはね」

 

 彼女は外の闇を見つめながら独り言のようにつぶやいた。

 

「代々、この博麗の名と役目を継いでいくの。私の仕事は外の世界と幻想郷を隔てる『博麗大結界』を維持すること。幻想郷の秩序を乱す奴がいれば退治する。この幻想郷の平和と均衡を保つのが私の仕事ってわけ」

 

 カイジの思考はもっと卑近な一点に着地する。

 

「……そんな大層な仕事をしてるってんなら金だって相当貰ってんだろうな。用心棒みてえなもんだろ?」

 

 霊夢はゆっくりと首を横に振った。

 

「貰ってないわ」

 

「はぁ!? なんでだよ!」

 

 信じられない。それだけの重労働を課しておきながら自身も『無給』で働いているというのだ。

 

「なんでって……貰う必要がないからよ。……幻想郷が平和であればそれでいいの」

 

 そう語る霊夢の瞳の奥には揺るぎない意志と深い覚悟が宿っていた。

 幻想郷の平和のために己の全てを捧げる生き方。常に自分の欲望と生存のためだけに生きてきたカイジにとって、それはあまりにも異質で狂気すら感じる価値観だった。

 

 押し黙ってしまったカイジを見て、霊夢はふっと口元を緩めた。

 

「……なによ、難しい顔しちゃって。夜も遅いし今日はもう寝なさいな」

 

 それは今日初めて見せる年相応の少女のような笑顔だった。

 カイジは不覚にも心臓が小さく跳ねるのを感じたが、案内された部屋を見てその淡い感傷は粉々に打ち砕かれた。

 

 そこはガラクタが積まれ壁にはシミが浮き、隙間風が吹き込む物置同然の部屋だった。薄っぺらい敷布団が一枚ぽつんと置かれているだけだ。

 

「おい、ここ……」

 

「文句があるなら外で寝る? 寝床を提供してあげてるだけでも感謝しなさいよね」

 

 霊夢は先手を打って言い放ち、ぴしゃり、と襖を閉めてしまった。

 

「理不尽すぎるだろ……もうどうでもいいや……」

 

 カイジは力なく呟くと泥のように重い体を引きずるようにして布団に倒れ込んだ。硬い床の感触が背中に伝わる。

 

 過酷な労働で蓄積された疲労は彼をあっという間に意識の底へと沈めていった。

 

 

 

 

 

 

 

債務者祈祷中・・・! 

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 ……冷たい。肌を突き刺すような夜の風。

 そして足元から伝わる、硬く、細く、氷のように冷徹な鉄の感触。

 

 ハッと意識が覚醒した時、カイジは『そこ』に立っていた。

 地上数十メートル、幅わずか数十センチの鉄骨の上。強烈なビル風が容赦なく体を打ち付け、立っているだけで全身の筋肉が軋みを上げ悲鳴を上げる。

 

「なっ……なんでっ……! ここはっ……!」

 

 全身の血が一瞬にして凍りついた。忘れるはずがない。忘れることなど一生許されない。

 人生で最も濃密な『死の匂い』に満ちた、あの夜の空中回廊(ブレイブ・メン・ロード)。強烈な突風が体を煽り、ぐらりとバランスを崩しかけた。

 

「うおっ……!」

 

 カイジは咄嗟に両腕を広げ死に物狂いで体勢を立て直す。心臓が喉から飛び出しそうだ。

 

 そうだ、この圧倒的恐怖。圧倒的絶望。一歩踏み外せば、即、死。

 

 肉片となって地面に散らばるだけの極限の状況になぜ今、再び立たされている!? 

 混乱する思考の中、背後から震えるような、それでいて芯にどす黒い憎悪を宿した声が聞こえた。

 

「カイジさん……なんで助けてくれなかったんすか……」

 

 ──ざわ……! 

 

 その声にカイジの心臓が鷲掴みにされたように激しく軋んだ。

 ゆっくりと錆びついたブリキ人形のように首を巡らせると、そこにはいるはずのない男が立っていた。

 月明かりに照らされたその顔は死人のように青白く、瞳の奥には底なしの沼のような恨みの色が浮かんでいる。

 

 佐原だった。

 

「佐原……!?」

 

「あんたなら……カイジさんなら俺を止められたはずだ……! なのにアンタは俺を行かせた……! この地獄に俺を突き落としたんだ……!」

 

 佐原は一歩、また一歩とカイジににじり寄る。その足取りは細い鉄骨の上とは思えないほど確かで、それゆえに異様だった。

 

「カイジさんがあの時本気で止めてくれてたら……。俺、もっと……もっと生きれたのに……! まだやりたいこともあったのに……!」

 

 その言葉は鋭い刃となってカイジの胸を無慈悲に抉る。

 

 そうだ。オレは止めた。だが本気だったか? 命を懸けて彼の腕を掴んだか? 結局は自分のことで精一杯だったじゃないか……! 

 

「すまない……! すまない佐原……! オレが……オレがあの時お前を……!」

 

 カイジは涙を流し鉄骨の上で身を縮めて謝り倒す。後悔が黒い奔流となって心をドロドロに蝕んでいく。

 

 すると今度は鉄骨の先、前方から静かだが腹の底に重く響く低い声がした。

 

「カイジくん……君は最低な人間だよ…ッ!」

 

 その声にカイジは弾かれたように前を向いた。

 そこに立っていたのは穏やかだったはずの顔を苦痛と侮蔑に歪ませた石田のおっさんだった。

 その目はかつてカイジに信頼を寄せた優しい光を完全に失い、ただ汚物をゴミを見るように冷たくカイジを射抜いている。

 

「い、石田さん……!? 違う、オレは……!」

 

「俺はカイジくんを信じたのに……最後の望みを君という若者に託したのに……っ! 君は俺らを見捨てて一人だけ……! 俺らの屍を乗り越えて君だけが生き延びたんだぁ……っ!」

 

 石田の言葉が一つ一つ重い鉛となってカイジにのしかかる。

 

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、カイジの脳裏に一筋の確信が走った。

 

(──これは夢だ)

 

 そうだ、これは夢だ。石田さんはこんなことを言う人間じゃない。断じてない。

 人を疑うことを知らず優しすぎたが故に搾取され続けてきた人だ。最後の最後、自ら死を選び、オレに全てを託してくれたあの気高い石田さんがこんな恨み言を吐くはずがない……! 

 

 しかし、夢だと分かっていても罪悪感の濁流は止まらない。

 

 帰るチャンスは何度もあったのに彼らを引き止められなかった拭いようのない後悔。最終的に彼らの想いを背負いながら自分だけが生き残ってしまったという一生消えることのない十字架。

 

 カイジの肥大化する罪悪感に呼応するように目の前の二人の顔がぐにゃりと醜く歪み始める。

 目や口が耳元まで裂け、人間ではないおぞましい怪物のような表情へと変貌していく。

 

『お前だけが』『どうして』『裏切り者』『俺たちの命を返せ』『偽善者』『人殺し』

 

 周囲の景色も、もはや鉄骨渡りの会場ではなかった。赤黒い空の下、無数の亡者が蠢きカイジの足首を掴もうと群がる地獄のような光景。

 

「うわあああああああっ!」

 

 カイジは鉄骨の上で膝をつき、ただ土下座して謝ることしかできない。

 

 罵声が脳髄に突き刺さり精神が限界を迎え自我が砕け散りそうになったその時。

 

 

 パシィィィンッ!! 

 

 

 空気を裂くような清浄で乾いた音が響き渡り、カイジはハッと目を覚ました。

 

「はっ……! はぁっ、はぁっ……!」

 

 慌てて飛び起きると目の前にはいつもの無表情で自分を見下ろす霊夢が立っていた。

 その手には白い紙垂(しで)が数本ほど付いているお祓い棒──大幣(おおぬさ)が握られている。

 

 霊夢はその様子を一瞥すると、はぁ、と深いため息を吐いた。

 

「……ようやく起きたわね。あんたの呻き声がうるさくて眠れなかったわよ。それよりそのだらしない顔をどうにかしなさい」

 

 そう言われてカイジは初めて自分の顔の状態に気づいた。

 止めどなく涙が溢れ、鼻水とよだれで顔中がぐしゃぐしゃになっている。恐怖と絶望で全身は水に落ちたように汗だくだ。

 

「……っ、ぁ……」

 

 声にならないカイジに霊夢は「ん」とぶっきらぼうに何かを差し出した。

 それは普段の彼女のガサツな振る舞いには似つかわしくない綺麗にアイロンがけされた花柄のハンカチだった。

 

「……わりぃ……助かった」

 

 カイジはそれを受け取るとごしごしと乱暴に顔を拭った。

 ハンカチの柔らかな感触と微かに香る清潔な匂いが悪夢の泥のような残滓を少しだけ洗い流してくれるようだった。

 

 ようやく落ち着きを取り戻したカイジはぜえぜえと荒い息を繰り返した。

 まだ心臓が早鐘のように鳴っている。悪夢の残滓がまるで粘度の高い泥のように思考にまとわりつき正常な判断を鈍らせていた。

 

 そんなカイジを霊夢は腕を組み、壁に寄りかかりながらじっと見下ろしていた。

 その視線には同情も憐れみもない。まるで奇妙な病状を観察する医者のような冷めた温度しか感じられなかった。

 

 しばらく沈黙が続いた後、彼女は静かに口を開いた。

 

「……少しはマシな顔になったわね」

 

 その声にカイジはゆっくりと視線を上げた。

 

「あんたの中に溜まっていた極度の不安や負の感情……それがこの『幻想郷の空気』に触れて増幅されたのよ。ここはそういう場所だから。良くも悪くも人間の想いや精神、恐怖や信仰が形を取りやすいの。あんたの罪悪感が『厄』となって実体化し、あんた自身の精神を食い破ろうとしていた」

 

「厄……? オレの罪悪感が……実体化した……?」

 

 カイジは呆然と呟く。

 自分の内にあるあのドス黒く、決して消えることのない後悔の念が実体を持って自分を殺しに来る。

 

 そんな馬鹿げた話があるものか。だが、先ほどの悪夢の生々しさはただの夢では片付けられない確かな手触りと痛みがあった。

 

「……じゃあ、なんでオレは……」

 

 なぜ助かったんだ? あのままあの亡者たちに精神のどん底まで引きずり込まれていてもおかしくなかった。

 カイジが疑問を口にする前に霊夢が心底呆れたというように大きなため息をついた。

 

「私がお祓いしてあげたに決まってるじゃない。夜中に獣みたいな呻き声が聞こえるからまさか妖怪でも入り込んだかと思って来てみれば……あんたが汗だくで魘されてるだけ。全く、人騒がせなんだから」

 

 霊夢はそう言うと手に持った大幣をくいっと持ち上げて見せる。

 その態度は「私は博麗の巫女よ? これくらい出来て当然でしょ。むしろ泣いて感謝しなさい」というオーラを全身から隠そうともせずに放っていた。

 

 そのあまりにも尊大な態度を見てカイジはふと思う。

 

(……そういやこいつ……不愛想で鬼みてえな性格しててメシもオレに作らせるようなダラけた奴だが……一応は由緒正しい『本物の巫女』なんだよな……)

 

 神聖な職務を担う存在であることと、目の前の少女のイメージがカイジの中で全く結びつかない。

 

(むしろ帝愛の悪徳金融の取り立て屋の方がよほどしっくりくるぜ……)

 

 そんなあまりにも失礼な心の声が隠す間もなく顔に出ていたのだろう。

 次の瞬間、再びカイジの脳天を昨日から馴染み深くなった鋭い痛みが襲った。

 

 スパンッ! 

 

「いってぇ!!」

 

 昨日から数えて二度目の全く同じ痛み。カイジは頭を押さえてその場に蹲った。手加減というものを一切知らない的確無比な一撃だ。

 

「てんめえ! またやりやがったな! 何すんだいきなり!」

 

「……別に。なんかものすごく失礼なこと考えられてる気がしたから。気のせいかしら?」

 

 霊夢は悪びれもせずそっぽを向いて答える。

 その横顔は本当に何も分かっていないかのように澄ましているのが余計に腹立たしい。

 

「ぐっ……!」

 

 実際その通りだったのでカイジは言葉に詰まる。この巫女、心でも読めるのか。

 

「だとしてもだ! もうちょい手加減しろよ! 頭蓋骨が割れるだろうが! 人の頭をなんだと思ってやがる!」

 

 カイジの悲痛な訴えを霊夢は「ふーん」と鼻で笑うように聞き流した。そしてまるで何事もなかったかのように踵を返して部屋の出口へ向かう。

 

「それより朝食の準備はもうできてるわよ。さっさと顔を洗って来なさい。それともまだ寝ぼけてるのかしら?」

 

 その言葉にカイジは痛みを忘れて顔を上げた。

 

 朝食? 霊夢が作ったのか? 

 というか、あの圧倒的虚無空間だった冷蔵庫で一体何を作ったというんだ? そもそもあの後食材の買い出しにでも行ったのか? 

 

 数々の疑問が頭に浮かんだが今は問い詰める気力もない。

 

 カイジはよろよろと立ち上がると、まだズキズキと痛む頭を押さえながら黙って霊夢の後をついていくのだった。

 

 その足取りは、まるで逆らえない飼い主に引きずられる駄犬のようだった。

*1:
主に少年・若者が商家などに住み込みで働き、雑用をしながら仕事を覚える昔の見習い制度




お読みいただきありがとうございました!

ちょっと筆が乗ったので夕方頃にももう一つ投稿する予定です!

霊夢ちゃんなんか冷たくない…?と思うかもしれませんが、原作初期当たりの霊夢を意識して性格は書いてます!

私はこのくらいの霊夢が好きです!!!(突然の告白)

カイジの性格は?

  • 今のままで大丈夫
  • なに良い子ぶってんだ…お前はクズだろっ!
  • もっと優しさに溢れてもいいぞ
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