幻想博打録カイジ   作:名もない石

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どうも名もない石です!

今回文章が多い割にストーリーの進みが亀並みに遅いです…

それでも言い方は是非お楽しみください!

あと良ければ、是非感想や評価もお願いします!
モチベ向上にも繋がります!


一心不乱

「契約成立ね。じゃあ、早速だけど裏の薪を割っておいてくれる? それと、井戸から水を汲んで水瓶を満たしておいてちょうだい」

 

 

 霊夢はさも当然といった様子で、次々と指示を出す。その手際の良さは、まるで長年人を使い慣れているかのようだ。

 

 

「おいおい、話が早すぎじゃねえか! こっちはまだ心の準備もできてねえんだぞ!」

 

 

 カイジは不満を隠さずに言い返すが、霊夢は涼しい顔で受け流す。

 

 

「あら、あんたは決断が早いものだと思っていたけど? それに、ぐずぐずしてたら日が暮れちゃうわ。夕飯の準備もできないし、そうなったらあんたの食べる分もなくなるわよ」

 

 

「ぐっ……! 汚ねえやり方しやがる……!」

 

 

 食い扶持を人質に取られ、カイジは言葉に詰まる。この巫女、見た目に反して相当な食わせ者だ。交渉の主導権は完全に相手にあることを、カイジは改めて痛感させられた。

 

 

「……で、その薪割りってのはどこにあんだよ」

 

 

 ぶっきらぼうに尋ねるカイジに、霊夢は顎で裏口を指し示す。

 

 

「斧も薪もそこにあるわ。ああ、そうだ。ついでに庭の掃除もお願い。落ち葉がひどくて見苦しいのよ」

 

 

「まだやらせる気か! 鬼か、あんたは!」

 

 

「人聞きの悪いこと言わないで。幻想郷のため、ひいては自分のためでしょ? 感謝こそされど、罵られる筋合いはないわ」

 

 

 霊夢は悪びれる様子もなく、再び湯呑みに手を伸ばす。その悠然とした態度に、カイジは怒りを通り越して一種の諦めを感じ始めていた。

 

 

 カイジは重い足取りで裏口へ向かう。ギシリと音を立てる床板が、まるで自分の惨めな境遇を嘲笑っているかのようだ。

 

 

「クソッ……! こんなはずじゃなかった……! 俺はこんなところで家事なんかするために……!」

 

 

 ぶつぶつと悪態をつきながらも、彼は斧を手に取った。ずしりと重い鉄の塊。こんなものを最後に握ったのはいつだったか。少なくとも、パチンコ玉や賽より重いことは確かだった。

 

 

 裏庭に出ると、ひんやりとした空気が肌を刺す。見上げれば、どこまでも高く、青い空。だが、その青さはカイジの心を晴らすどころか、むしろ自分の置かれた閉塞的な状況を際立たせるだけだった。

 

 

「……やるしかねえのか……今は……」

 

 

 覚悟を決め、カイジは丸太に狙いを定めて斧を振り下ろした。

 

 

 

 カンッ! 

 

 

 

 甲高い音が響き、斧は弾かれるようにして丸太の表面を滑った。腕に鈍い痺れが走る。

 

 

「いって……! クソが……!」

 

 

 慣れない作業に悪戦苦闘するカイジ。何度か振り下ろすうちに、ようやくコツを掴み始めたが、その頃にはすでに汗が滲み、息が上がっていた。

 

 

 その様子を、霊夢は縁側から黙って眺めていた。湯呑みを片手に、まるで退屈な芝居でも見るかのような無表情で。

 

 

 やがて、カイジが薪割りを終え、ぜえぜえと肩で息をしながら井戸に向かうのを見届けると、彼女は小さく、誰にともなく呟いた。

 

 

「……まあ、体力だけはありそうね。せいぜい働いてもらわないと」

 

 

 その口元には、先ほどカイジに見せたものとは違う、どこか意味深な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間、カイジは文字通り死闘を繰り広げていた。薪割りは腕をパンパンに腫れ上がらせ、井戸からの水汲みは腰に鉛のような疲労を蓄積させた。

 

 

 落ち葉掃きに至っては、掃いても掃いても風に舞い戻る葉との果てしない追いかけっこだった。全ての作業を終えた時、カイジはもはや指一本動かす気力もなく、神社の裏庭の地面に大の字になって倒れていた。

 

 

 空は燃えるような赤に染まり、すっかり夕暮れ時だ。カラスの鳴き声がやけに大きく聞こえる。もう何も考えられない。このまま土に還ってしまいたい。そんな虚無感に包まれていた、その時だった。

 

 

「いつまで寝てるつもり? 日が暮れきるわよ」

 

 

 どこから現れたのか、すぐそばに霊夢が立っていた。その影が、倒れているカイジの顔に落ちる。カイジは恨めしげにその顔を見上げたが、霊夢はそんな視線など意にも介さず、有無を言わさぬ力でカイジの腕を掴み、無理やり立たせた。

 

 

「ぐっ……! てめえ……人がどれだけ……!」

 

 

「はいはい、ご苦労様。で、あんた、飯は作れるの?」

 

 

 あまりに唐突な質問に、カイジの思考が一瞬停止する。飯? 今、この状況で? 

 

 

「……あ? ……まあ、ある程度は……」

 

 

 かつての自堕落な一人暮らしで、最低限の自炊スキルは身についていた。その素直な答えが、さらなる地獄への引き金となる。

 

 

「そう。じゃあ、夕食の準備もお願いするわ。食材は冷蔵庫にあるもので適当にやって」

 

 

 霊夢は台所らしき方向を顎でしゃくった。その態度は、まるで長年連れ添った夫に夕飯をねだる妻のようだが、そこに愛情のかけらもない。ただ、純然たる命令だけがあった。

 

 

「ふざけんじゃねえ……! こっちはもうクタクタなんだよ! これ以上何をしろって言うんだ!」

 

 

 カイジの怒りがついに爆発する。だが、その怒声も、霊夢の冷え切った視線の前では空しく響くだけだった。彼女は心底面倒くさそうにため息をつくと、静かに言い放った。

 

 

「働かざる者食うべからず、って言うでしょ。それとも、夕飯は要らないのかしら?」

 

 

 その一言で、カイジの中の何かがプツリと切れた。そうだ、何を言っても無駄なのだ。この巫女の前では、常識も、道理も、人の情けすら通用しない。ここで反論するのは、ただ体力を消耗するだけの不毛な行為だ。

 

 

 カイジは燃え盛る怒りを、奥歯を噛みしめることでグッと堪え、無言で頷いた。

 

 

「……わかったよ」

 

 

 地下での強制労働に比べれば、こんなものはまだマシだ。

 

 

 あの絶望的な暗闇と、先の見えない日々を思えば、空が見えるだけ、飯が食えるだけ、まだ……。カイジはそう自分に言い聞かせながら、ふらつく足取りで霊夢と共に神社の中へと戻っていく。

 

 

 その背中は、夕闇に溶け込み、ひどく小さく見えた。

 

 

 台所に立ったカイジは、その光景に少しばかり目を見張った。薄暗く、どこかかび臭い印象さえあったこの神社だが、台所は意外にも整然としていた。

 

 

 少なくとも、先日世話になった寺子屋の教師、慧音の家の土間よりは遥かに設備が揃っている。かまどだけでなく、年季の入ったガスコンロまである。

 

 

 そして何よりカイジの注意を引いたのは、部屋の隅に鎮座する無骨な白い箱——冷蔵庫だった。

 

 

「……なんで冷蔵庫があんだよ……」

 

 

 思わず独り言が漏れる。人里で見た限り、文明レベルは江戸時代か、せいぜい明治といったところだった。電気という概念すら、一般には普及していないように見えた。

 

 

 それなのに、なぜこんな場所に近代文明の象徴たる冷蔵庫が存在するのか。外の世界から持ち込まれたものか? それとも、この幻想郷独自の技術なのか? 様々な疑問が頭をよぎるが、すぐに打ち消した。

 

 

「……考えても無駄か」

 

 

 ここで一人、哲学者のように思考を巡らせたところで、答えが出るはずもない。それに、腹は限界まで減っている。

 

 

 カイジは渋々といった体で、その白い扉に手をかけた。ギィ、と鈍い音を立てて開かれた冷蔵庫の中を覗き込み——そして、カイジは驚愕した。

 

 

「ほぼからっぽじゃねえか……ッ!」

 

 

 広い庫内は、まるで引越し直後のように閑散としていた。カイジの絶望的な叫びが、静かな台所に虚しく響く。隅々まで見渡しても、まともな食材と呼べるものは何一つない。

 

 

 棚に鎮座しているのは、麦茶が入ったボトルらしきもの、半分ほど使われた味噌のパック、そして壺に入った大量の梅干し。扉のポケットにかろうじて煮干しの袋が差し込まれているだけだ。

 

 

 肉や、野菜のかけらさえ見当たらない。

 

 

「これで何を作れってんだよ……!」

 

 

 カイジは頭を抱えた。これでは料理以前の問題だ。しかし、ふと横を見ると、大きな米俵がどかりと置かれているのが目に入った。

 

 

「……米だけは、あるのか」

 

 

 最低限の生命線は残されていた。米と、味噌と、梅干し。そして煮干し。作れるものは限られている。

 

 

 カイジは大きくため息をつくと、覚悟を決めて米櫃から米を研ぎ始めた。こうなれば、試行錯誤しながらでも腹を満たすものをひねり出すしかない。

 

 

 カイジは慣れないかまどに悪戦苦闘しながらも、なんとか火をおこし、米を炊き始めた。グツグツと鍋の煮える音と、パチパチと薪のはぜる音が静かな台所に響く。米が炊き上がるのを待つ間、カイジは残された食材で何ができるかを必死に考えた。

 

 

(味噌と煮干し……これで出汁は取れる。あとは、この酸っぱいだけの梅干しか……)

 

 

 カイジは壺の中から梅干しを一つ取り出し、その強烈な酸っぱさに顔をしかめながら、種を取り除いて果肉を丁寧に包丁で叩いた。

 

 

 それを味噌と混ぜ合わせ、少量の出汁でのばしていく。単純な味噌汁では、この空腹と疲労は満たせない。博打で研ぎ澄まされた思考が、食という最も根源的な欲求を満たすために回転する。

 

 

 やがて、炊き上がった米の甘い香りと、煮干しと味噌が混じり合った香ばしい出汁の匂いが、じんわりと神社の中に満ちていった。

 

 

 それは、これまでこの神社に漂っていた古びた木の匂いや線香の香りとは明らかに異質な、生活感に満ちた温かい香りだった。

 

 

 カイジが味見をしようと鍋に集中していた、その時だった。

 

 

「……何を作ってるの?」

 

 

 背後から不意に声をかけられ、カイジはビクリと肩を揺らした。

 

 

 振り返ると、いつの間にか霊夢が台所の入り口に立って、腕を組みながら中の様子を窺っていた。その表情は相変わらず無愛想だが、鼻がくんくんと動いているのをカイジは見逃さなかった。

 

 

 どうやら、この匂いに誘われてやってきたらしい。カイジは、内心でほくそ笑んだ。

 

 

(ざまあみろ。腹でも減ったか、この鬼巫女め)

 

 

 霊夢はカイジが何かを言う前に、すっと中に入ってくると、鍋の中を覗き込んだ。そこには、湯気を立てる白米と、具のないシンプルな味噌汁。

 

 

 そして、皿の上には、カイジが即席で作った「焼き味噌」が数個並んでいた。叩いた梅肉を混ぜ込んだ味噌を丸め、軽く炙って焦げ目をつけただけの、まさに苦肉の策だ。

 

 

「……へえ。何もない割には、まともな匂いがするじゃない」

 

 

 霊夢は意外そうに呟いた。それは罵倒でもなければ、賞賛でもない、ただ純粋な感想のように聞こえた。その素直な反応に、カイジは少しだけ調子が狂うのを感じながら、最後の仕上げに取り掛かった。

 

 

 料理を全て作り終えたカイジは、年季の入ったお盆にそれらを乗せ、居間のちゃぶ台まで運んだ。

 

 

 並べられたのは、およそ馳走とは呼べない、あまりにも質素な夕餉だった。

 

 

 一つは、かまどで炊いた白米。ところどころおこげができてはいるが、一粒一粒が艶やかに立ち、米本来の甘い香りを放っている。

 

 

 一つは、煮干しで出汁をとっただけの味噌汁。具は、ない。ただ、立ち上る湯気だけがささやかな温かさを演出している。

 

 

 そして、皿の上に鎮座する、カイジの苦肉の策である「梅肉入りの焼き味噌」。香ばしく炙られた味噌の匂いが、食欲を微かに、だが確かに刺激する。

 

 あとは、壺から出しただけの梅干し。これが、博麗神社の日の夕食の全てだった。

 

 

 カイジが自分の席に着くと、いつの間にか霊夢もその反対側に音もなく座っていた。彼女はちゃぶ台に並べられた料理をじっと見つめている。

 

 

 その表情からは、満足しているのか不満なのか、何も読み取ることはできない。重苦しい沈黙が二人の間に流れる。先にそれを破ったのは、霊夢だった。

 

 

「……いただきます」

 

 

 小さく呟き、霊夢はまず味噌汁の椀を手に取った。静かに一口すする。カイジは固唾を飲んでその反応を待った。文句を言われるか、あるいは無言で突き返されるか。そんな緊張が走る。

 

 

「……別に、不味くはないわね」

 

 

 ぽつりと漏らされたのは、またしても評価に困る言葉だった。美味いわけではないが、食えないほどではない。そう言われているようで、カイジは微妙な表情になる。

 

 

「あったりめえだろ。食えるもんに決まってんだろ。これだけのモンで作ってんだからな」

 

 

 カイジは悪態をつきながら、自分も味噌汁をすする。疲労困憊の身体に、温かい塩分がじんわりと染み渡っていく。思わず「あぁ……」と、我知らず声が漏れた。

 

 

 次に霊夢は、焼き味噌に箸を伸ばした。ひとかけらを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。

 

 

「……ん」

 

 

 彼女の眉が、ほんのわずかに動いた。ただ塩辛いだけだと思っていた味噌に、香ばしさと梅の爽やかな酸味が加わり、意外な深みを生み出している。

 

 

 それは、彼女が普段口にするものとは明らかに違う、工夫の味がした。

 

 

「……あんた、見かけによらず器用なのね」

 

 

「……うるせえよ」

 

 

 カイジはぶっきらぼうに返し、自分も焼き味噌を白米の上に乗せてかき込んだ。米の甘みと、焼き味噌の塩気と酸味。質素だが、空腹という最高のスパイスが、それを極上のご馳走に変えていた。

 

 

 無言のまま、二人はただひたすらに箸を動かす。カツカツという食器の音だけが、静まり返った神社に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無言の食事はあっという間に終わった。

 

 

 空になった茶碗と皿が、二人の間の空腹が満たされたことを静かに物語っている。

 

 

 カイジは「ごちそうさん」と小さく呟くと、重い腰を上げて食器を重ね始めた。契約とはいえ、作ったからには片付けまでが自分の仕事だろう。そんな諦めに似た感情で立ち上がった、その時だった。

 

 

「……待ちなさい」

 

 

 向かいに座っていた霊夢も、すっと立ち上がった。そして、カイジがまとめようとしていた食器の半分を、さっと自分の手元に引き寄せる。

 

 

「あんた一人にやらせると、夜が明けそうだからね。少しは手伝ってやるわ」

 

 

 その言い草は、相変わらずどこまでも上から目線だった。感謝しなさい、と言わんばかりの態度だ。

 

 

 しかし、その言葉とは裏腹な行動に、カイジは思わず虚を突かれた。今日一日、鬼のように自分をこき使ったこの巫女が、手伝う? 

 

 

 カイジは、初めて彼女の中に人間らしい、ほんの僅かな優しさのようなものを見た気がした。

 

 

 だが、その感情はすぐに疑念に変わる。

 

 

(……なんだ? 急に気持ち悪いな……)

 

 

 長年の裏社会での経験が、カイジに警鐘を鳴らす。人の親切には裏がある。タダより高いものはない。この巫女が、見返りもなしに情けをかけるはずがない。何か企んでいるに違いない。そうに決まっている。

 

 

「……おい、何か裏があるんじゃねえのか? 明日の仕事を倍にするとか、そういう魂胆だろ」

 

 

 カイジがじっとりとした疑いの視線を向けると、霊夢の眉がぴくりと動いた。彼女は深々とため息をつくと、次の瞬間、その手が凄まじい速さでカイジの頭頂部に振り下ろされた。

 

 

 スパンッ! 

 

 

 乾いた、しかし妙に響く音がして、カイジの脳天に鋭い痛みが走る。

 

 

「いってぇ!? なにしやがんだてめえ!」

 

 

「人の親切を素直に受け取れないあんたが悪いんでしょ。少しは頭を冷やしなさい」

 

 

 カイジは頭を押さえてその場にうずくまるが、霊夢はそんな彼を完全に無視。痛みに悶えるカイジを尻目に、彼女は重ねた食器を手に取ると、涼しい顔でさっさと台所の方へ歩いて行ってしまった。

 

 

 畳を踏む足音だけが、静かに遠ざかっていく。

 

 

「理不尽すぎるだろ……」

 

 

 残されたカイジは、じわりと広がる痛みと、それ以上に不可解な感情を抱えながら、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。

 

 

 台所での気まずい共同作業を終え、二人は再び居間のちゃぶ台に向かい合っていた。

 

 

 霊夢が淹れたのであろう、湯気の立つ湯呑みがそれぞれの前に置かれている。先ほどの喧騒が嘘のように、部屋は静寂に包まれていた。虫の音が、かえってその静けさを際立たせている。

 

 

 気まずいようで、しかし一日中張り詰めていた緊張が少しだけ解けるような、不思議な時間が流れていた。

 

 

 カイジは黙って茶をすする。何を話せばいいのか分からない。そもそも、話したいことなど何もない。

 

 

 ただ、この奇妙な同居人との距離感を測りかねていた。その沈黙を破ったのは、またしても霊夢だった。

 

 

「……博麗の巫女っていうのはね」

 

 

 ふと、彼女は外の闇を見つめながら、独り言のようにつぶやいた。

 

 

「代々、この博麗の名と役目を継いでいくの。私の仕事は、この幻想郷全体を覆う『博麗大結界』を維持すること。外の世界と幻想郷を隔てる、巨大な結界よ。この結界があるから、幻想郷は幻想郷のままでいられるし、外の世界の常識に脅かされることもない」

 

 

 霊夢は淡々と、しかしどこか重々しい口調で続ける。

 

 

「もちろん、妖怪退治も仕事のうち。幻想郷の秩序を乱す奴がいれば、それを正すのも私の役目。……まあ、要するに、この幻想郷の平和と均衡を保つのが、博麗の巫女の仕事ってわけ」

 

 

 その言葉は、カイジにとってあまりにもスケールが大きすぎた。結界? 幻想郷の平和? まるで神話の世界の話を聞いているようだ。

 

 

 だが、カイジの思考はもっと現実的な、卑近な一点に着地する。

 

 

「……そんな大層な仕事をしてるってんなら、金だって相当貰ってんだろうな。用心棒みてえなもんだろ?」

 

 

 カイジの問いに、霊夢はゆっくりと首を横に振った。

 

 

「貰ってないわ」

 

 

「はぁ!? なんでだよ!」

 

 

 思わずカイジは声を張り上げた。

 

 

 信じられない、という感情が顔に浮かぶ。これだけの重労働を課しておきながら、自分には一銭も払わないと言ったこの巫女が、自身も無給で働いているというのだ。

 

 

「なんでって……貰う必要がないからよ」

 

 

「必要がないって……! あんた、さっきの夕飯、ギリギリじゃねえか! あれでどうやって生活してんだよ!」

 

 

 カイジの追及に、霊夢は少しも動じない。

 

 

「あれは、あんたがいたから二倍になっただけ。私一人なら、あれで十分すぎるくらいよ。それに……」

 

 

 霊夢は言葉を切り、湯呑みを置いた。そして、カイジの目を真っ直ぐに見据える。

 

 

「──幻想郷が平和であれば、それでいいの」

 

 

 そう語る霊夢の表情は、いつもの無表情と変わらない。だが、その瞳の奥には、揺るぎない意志と、カイジには到底理解できないほどの深い覚悟が宿っていた。

 

 

 それは、博麗の巫女として幻想郷そのものを背負う者の威厳。カイジはその気迫に圧倒され、返す言葉を見つけられずにただ黙り込むしかなかった。

 

 

 幻想郷の平和。そんなもののために、己の全てを捧げる生き方。それは、常に自分の欲望と生存のためだけに生きてきたカイジにとって、あまりにも異質で、理解を超えた価値観だった。

 

 

 真剣な表情で押し黙ってしまったカイジを見て、霊夢はふっと、本当にわずかに口元を緩めた。

 

 

「……なによ、難しい顔しちゃって。夜も遅いし、今日はもう寝なさいな」

 

 

 それは、今日初めて見せる、棘のない、柔らかな笑みだった。無表情や冷たい視線とは全く違う、年相応の少女のようなその笑顔に、カイジは不覚にも心臓が小さく跳ねるのを感じた。

 

 

(なっ……!?)

 

 

 一瞬、その顔に釘付けになるが、霊夢はすぐにいつもの調子に戻り、「こっちよ」と立ち上がって奥の廊下へと歩き出す。カイジは慌ててその後に続いた。

 

 

 しかし、案内された部屋を見て、カイジの淡い感傷は粉々に打ち砕かれる。

 

 

 そこは、寝室と呼ぶにはあまりにも粗末な空間だった。使われなくなったのであろうガラクタが隅に積まれ、壁にはシミが浮き、どこからか隙間風が吹き込んでくる。

 

 

 そんな、ほぼ物置同然の部屋の真ん中に、薄っぺらい敷布団が一枚、ぽつんと置かれているだけだった。

 

 

「おい、ここ……」

 

 

 かつて住んでいた、あの陽の当たらないボロアパートの一室ですら、これよりはマシだったかもしれない。カイジが文句の言葉を口にしかけた、その瞬間。

 

 

「文句があるなら外で寝る? 寝床を提供してあげてるだけでも感謝しなさいよね」

 

 

 霊夢はカイジの思考を完璧に読み切り、先手を打って言い放った。そして、カイジが反論する間も与えず、ぴしゃり、と音を立てて襖を閉めてしまった。

 

 

「…………」

 

 

 一人、薄暗い物置部屋に残されたカイジは、しばらくの間、閉められた襖を呆然と見つめていた。理不尽。あまりにも理不尽だ。だが、怒る気力さえ、もう残っていなかった。

 

 

「……もう、どうでもいいや……」

 

 

 カイジは力なく呟くと、泥のように重い体を引きずるようにして布団に倒れ込んだ。硬い床の感触が背中に伝わる。

 

 

 しかし、今日の過酷な労働で蓄積された疲労は、そんな些細な不満をあっという間に意識の底へと沈めていった。

 

 

 カイジは、布団に横たわってから数分も経たないうちに、深い眠りに落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……冷たい。肌を突き刺すような、夜の風。

 

 

 そして、足元から伝わる、硬く、細い、鉄の感触。

 

 

 ハッと意識が覚醒した時、カイジはそこに立っていた。地上数十メートル、幅わずか数十センチの鉄骨の上。強烈なビル風が容赦なく体を打ち付け、立っているだけで全身の筋肉が悲鳴を上げた。

 

 

「なっ……なんで……っ! ここは……っ!」

 

 

 全身の血が凍りつく。忘れるはずがない。忘れることなど許されない。人生で最も濃密な死の匂いに満ちた、あの夜の空中回廊。強烈な突風が体を煽り、ぐらりとバランスを崩しかけた。

 

 

「うおっ……!」

 

 

 カイジは咄嗟に両腕を広げ、死に物狂いで体勢を立て直す。心臓が喉から飛び出しそうだ。

 

 

 そうだ、この恐怖。この絶望。一歩踏み外せば、即、死。そんな極限の状況に、なぜ今、再び立たされている? 

 

 

 混乱する思考の中、背後から震えるような、それでいて芯に憎悪を宿した声が聞こえた。

 

 

「カイジさん……なんで、助けてくれなかったんすか……」

 

 

 その声に、カイジの心臓が鷲掴みにされたように軋んだ。ゆっくりと、錆びついたブリキ人形のように振り返ると、そこにはいるはずのない男が立っていた。

 

 

 月明かりに照らされたその顔は病人のように青白く、瞳の奥には深い、深い恨みの色が浮かんでいる。佐原だった。

 

 

「佐原……!?」

 

 

「あんたなら……カイジさんなら、俺を止められたはずだ……! なのにアンタは、俺を行かせた……! この地獄に、俺を突き落としたんだ……!」

 

 

 佐原は一歩、また一歩とカイジににじり寄る。その足取りは、鉄骨の上とは思えないほど確かだった。

 

 

「カイジさんが……あの時、本気で止めてくれてたら……。俺、もっと……もっと生きれたのに……! まだやりたいこともあったのに……!」

 

 

 その言葉は、鋭い刃となってカイジの胸に突き刺さる。

 

 

 そうだ。俺は止めた。だが、本気だったか? 命を懸けて、彼の腕を掴んだか? 結局は、自分のことで精一杯だったじゃないか。

 

 

「すまない……! すまない、佐原……! 俺が……俺があの時、お前を……!」

 

 

 カイジは謝り倒す。後悔が、黒い奔流となって心を蝕んでいく。

 

 

 すると今度は、鉄骨の先、前方から静かだが、腹の底に響くような低い声がした。

 

 

「カイジくん……君は、最低な人間だよ…ッ!」

 

 

 その声に、カイジは弾かれたように前に向き直った。

 

 

 そこに立っていたのは、穏やかだったはずの顔を苦痛と侮蔑に歪ませた、石田のおっさんだった。その目は、かつてカイジに信頼を寄せた優しい光を失い、ただ冷たくカイジを射抜いている。

 

 

「石田さん……! 違う、俺は……!」

 

 

「俺はカイジくんを信じたのに……最後の望みを、君という若者に託したのに……っ! 君は、俺らを見捨てて一人だけ……! 俺らの屍を乗り越えて、君だけが生き延びたんだぁ……っ!」

 

 

 石田の言葉が、一つ一つ重い鉛となってカイジにのしかかる。

 

 

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、カイジは確信した。

 

 

(──これは、夢だ)

 

 

 そうだ、これは夢だ。石田さんは、こんなことを言う人間じゃない。断じてない。

 

 

 人を疑うことを知らず、優しすぎたが故に、搾取され続けてきた人だ。最後の最後、俺に全てを託してくれた、あの石田さんが……! 

 

 

 しかし、夢だと分かっていても、罪悪感の濁流は止まらない。帰るチャンスは何度もあったのに、彼らを引き止められなかった後悔。最終的に、彼らの想いを背負いながら、自分だけが生き残ってしまったという、消えることのない十字架。

 

 

 カイジの罪悪感に呼応するように、目の前の二人の顔がぐにゃりと歪み始める。目や口が耳元まで裂け、人間ではない、おぞましい怪物のような表情へと変貌していく。

 

 

「お前だけが」 「どうして」 「裏切り者」 「俺たちの命を返せ」 「偽善者」 「人殺し」

 

 

 周囲の景色も、もはや鉄骨渡りの会場ではなかった。赤黒い空の下、無数の亡者が蠢く、地獄のような光景が広がっている。

 

 

「うわあああああああ!」

 

 

 カイジは膝をつき、ただ土下座して謝ることしかできない。罵声が脳に突き刺さり、精神が限界を迎え、砕け散りそうになったその時。

 

 

 

 

 

 

 パチンッ。

 

 

 

 

 

 

 何かが弾けるような乾いた音と共に、カイジは目を覚ました。

 

 

「はっ……! はぁっ、はぁっ……!」

 

 

 慌てて飛び起きると、目の前にはいつもの無表情で自分を見下ろす霊夢がいた。その手には、白い紙垂がいくつもついたお祓い棒のようなものが握られている。

 

 

 霊夢はその様子を一瞥すると、はぁ、と深いため息を吐いた。

 

 

「……ようやく起きたわね。あんたの呻き声がうるさくて眠れなかったわよ。それより、そのだらしない顔をどうにかしなさい」

 

 

 そう言われて、カイジは初めて自分の顔の状態に気づいた。止めどなく涙が溢れ、鼻水とよだれでぐしゃぐしゃになっている。

 

 

「……っ」

 

 

 言葉にならないカイジに、霊夢は「ん」とぶっきらぼうに何かを差し出した。それは、彼女の雰囲気には似つかわしくない、綺麗な花柄のハンカチだった。

 

 

「……わりぃ……助かった」

 

 

 カイジはそれを受け取ると、ごしごしと乱暴に顔を拭った。ハンカチの柔らかな感触と、微かに香る清潔な匂いが、悪夢の残滓を少しだけ和らげてくれるようだった。

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻したカイジは、ぜえぜえと荒い息を繰り返した。まだ心臓が早鐘のように鳴っている。悪夢の残滓が、まるで粘度の高い泥のように思考にまとわりつき、正常な判断を鈍らせていた。布団の上で、ただただ虚空を見つめる。

 

 

 そんなカイジを、霊夢は腕を組み、壁に寄りかかりながらじっと見下ろしていた。

 

 

 その視線には、同情も憐れみもない。まるで、奇妙な生き物を観察するかのような、どこか冷めた温度しか感じられなかった。しばらく沈黙が続いた後、彼女は静かに口を開いた。

 

 

「……少しはマシな顔になったわね」

 

 

 その声に、カイジはゆっくりと視線を上げた。

 

「あんたの中に溜まっていた極度の不安や負の感情……それが、この幻想郷の空気に触れて増幅されたのよ。ここはそういう場所だから。良くも悪くも、人の想いや精神が形を取りやすい。あんたの罪悪感が『厄』となって、あんた自身を蝕もうとしていた」

 

 

「厄……? 俺の、罪悪感が……?」

 

 

 カイジは呆然と呟く。自分の内にある、あのドス黒く、決して消えることのない後悔の念が、実体を持って自分を襲う。

 

 

 そんな馬鹿げた話があるものか。だが、先ほどの悪夢の生々しさは、ただの夢では片付けられない、確かな手触りと痛みがあった。鉄骨の冷たさ、風の強さ、そして、彼らの声……。

 

 

「……じゃあ、なんで俺は……」

 

 

 なぜ助かったんだ? あのまま、あの亡者たちに精神のどん底まで引きずり込まれていてもおかしくなかった。カイジが疑問を口にする前に、霊夢が心底呆れたというように、大きなため息をついた。

 

 

「私がお祓いしてあげたに決まってるじゃない。夜中に獣みたいな呻き声が聞こえるから、まさか妖怪でも入り込んだかと思って来てみれば……あんたが汗だくで魘されてるだけ。全く、人騒がせなんだから」

 

 

 霊夢はそう言うと、手に持ったお祓い棒──正式名称は知らないが──を、くいっと持ち上げて見せる。その態度は「私は博麗の巫女よ? これくらい分かって当然でしょ。むしろ感謝しなさい」というオーラを全身から隠そうともせずに放っていた。

 

 

 そのあまりにも尊大な態度を見て、カイジはふと思う。

 

 

(……そういや、こいつ……不愛想で、鬼みてえな性格してるけど、一応は由緒正しい巫女だったな……)

 

 

 神聖な職務を担う存在であることと、目の前の少女のイメージが、カイジの中で全く結びつかない。むしろ、悪徳金融の取り立て屋の方がよほどしっくりくる。

 

 

 そんな、あまりにも失礼な考えが、隠す間もなく顔に出ていたのだろう。次の瞬間、再びカイジの脳天を、昨日から馴染み深くなった鋭い痛みが襲った。

 

 

 スパンッ! 

 

 

「いってぇ!!」

 

 

 昨日から数えれ二度目の、全く同じ痛み。カイジは頭を押さえてその場に蹲った。手加減というものを知らない、的確無比な一撃だ。

 

 

「てめえ! またやりやがったな! 何すんだ、いきなり!」

 

 

「……別に。なんか、ものすごく悪く言われたような気がしたから。気のせいかしら?」

 

 

 霊夢は悪びれもせず、そっぽを向いて答える。その横顔は、本当に何も分かっていないかのように澄ましているのが、余計に腹立たしい。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 実際その通りだったので、カイジは言葉に詰まる。この巫女、心でも読めるのか。

 

 

「だとしてもだ! もうちょい手加減しろよ! 頭蓋骨が割れるだろうが! 人の頭をなんだと思ってやがる!」

 

 

 カイジの悲痛な訴えを、霊夢は「ふーん」と鼻で笑うように聞き流した。そして、まるで何事もなかったかのように、踵を返して部屋の出口へ向かう。

 

 

「それより、朝食の準備はもうできてるわよ。さっさと顔を洗って来なさい。それとも、まだ寝ぼけてるのかしら?」

 

 

 その言葉に、カイジは痛みを忘れて顔を上げた。

 

 

 朝食? 霊夢が作ったのか? というか、あの空っぽの冷蔵庫で、一体何を作ったというんだ? そもそも、あの後食材の買い出しにでも行ったのか? 

 

 

 数々の疑問が頭に浮かんだが、今は問い詰める気力もない。カイジはよろよろと立ち上がると、まだズキズキと痛む頭を押さえながら、黙って霊夢の後をついていくのだった。その足取りは、まるで飼い主に引きずられる駄犬のようだった。




お読みいただきありがとうございました!

ちょっと筆が乗ったので夕方頃にももう一つ投稿する予定です!

霊夢ちゃんなんか冷たくない…?と思うかもしれませんが、原作初期当たりの霊夢を意識して性格は書いてます!

私はこのくらいの霊夢が好きです!!!(突然の告白)


※一心不乱とは、

一つの事に集中して、他の事のために心の乱れることがないこと。

カイジの性格は?

  • 今のままで大丈夫
  • なに良い子ぶってんだ…お前はクズだろっ!
  • もっと優しさに溢れてもいいぞ
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