幻想博打録カイジ 作:名もない石
本当は前話と同じ日に投稿したかったのですが、修正する場所があったので結局次の日に…
しかし今回はやっとカイジが光る場面が…!?
どうぞお楽しみください!
……あともし良ければ感想や評価お願いします!
今後のモチベにも繋がります!
※3/24 どうも改めまして名もない石です。投稿が5か月間も無かったこと、誠に申し訳ありません!
また、匿名投稿をしているので活動報告が出来ず、この様な形で生存確認をしてしまった事も申し訳ございません…
投稿が途絶えだ理由として、純粋に内容が思いつかない&モチベ低下によるものです…
しかし、今少しですがモチベが上がってきました。不定期投稿になるかもしれませんが、今後も投稿をするつもりですので、どうかよろしくお願いいたします!
カイジが霊夢の後について居間に足を踏み入れると、そこには昨日と全く同じ光景が広がっていた。古びたちゃぶ台、色褪せた畳、そして静寂。
……いや、一つだけ決定的に違うものがあった。ちゃぶ台の向こう側、霊夢が昨日座っている場所に、見慣れない先客がいたのだ。
それは、まるで西洋の絵本からそのまま飛び出してきたかのような、典型的な「魔女」の格好をした少女だった。
歳は霊夢と同じくらいだろうか。少し癖のある、眩しいほどの金髪を長く伸ばし、頭には先の尖った巨大な黒い帽子を被っている。
服装も、帽子と同じく黒を基調としたシンプルなワンピースだが、その下には白いブラウスを着込み、腰には白いエプロンを巻いていた。
全体的に黒と白で統一されたその姿は、この古風な日本家屋の中では異様と言えるほど浮いている。しかし、何故かその少女自身は、我が家のようにくつろいで茶をすすっていた。
カイジの存在に気づくと、少女は手にしていた湯呑みをちゃぶ台にカタンと置き、目を輝かせた。
「お、来たな! こいつが霊夢の言ってた外来人か!」
言うが早いか、少女は座布団から飛び降りるように立ち上がり、興味津々といった様子でカイジにずんずんと近づいてくる。
その動きには、霊夢のような静けさとは対極の、快活でエネルギッシュな何かが満ちていた。
そして、カイジの目の前でぴたりと止まると、ビシッとわざとらしいほど格好をつけ、親指で自分を指し示した。
「よお! 私の名前は霧雨魔理沙! 普通の魔法使いだ! ここの巫女とは、まあ、ライバルであり、腐れ縁の友人ってとこだな! よろしくだぜ!」
太陽のような、屈託のない笑顔。そのあまりの眩しさに、カイジは思わず目を細める。
なんだコイツは。霊夢とは全く違うタイプの、嵐のような人間だ。カイジがどう返したものか戸惑っていると、ひょいと霊夢がお盆に料理を乗せて現れた。
「友人というか、ただの迷惑な客だけどね。それにライバルって言っても、実力は私には到底及ばないし」
霊夢はこともなげにそう言って、朝食をちゃぶ台に並べ始める。その言葉に、魔理沙が即座に噛みついた。
「な、なにをーっ! だったら、今日こそお前に一泡吹かせてやるぜ! うがーっ!」
まるで猫が威嚇するように、魔理沙は両手を広げて霊夢に詰め寄る。
しかし、霊夢はそんな彼女を柳に風と受け流し、座ってしまった。
(なんなんだ、こいつら……)
カイジは目の前で繰り広げられるコントのようなやり取りを、完全に置いてきぼりになって眺めていた。とりあえず、自己紹介をしなければならないらしい。
「伊藤、開司……カイジだ。よろしく……」
覇気のない声でそう名乗ると、霊夢に威嚇している魔理沙が、んっ、とカイジの方に向き直った。そして、にっと笑って右手を差し出してくる。
「おう、カイジだな! 改めてよろしくな!」
その手は、華奢な見た目に反して、少し硬く、豆ができているのが分かった。魔法使いと名乗っていたが、相当な努力家なのかもしれない。
カイジがぼんやりとそんなことを考えながら差し出された手を握ると、魔理沙は「にししっ」と、悪戯が成功した子供のように笑った。
その瞬間、カイジはまたしても不覚にもドキッとしてしまった。昨日見た霊夢の不意の笑顔とは違う、もっとストレートで、人の警戒心をいともたやすく解いてしまうような、破壊力のある笑顔だった。
(……なんなんだよ、本当に……)
カイジは内心で毒づく。
危険かもしれないが、絶望からカイジを救い上げた人喰い妖怪。
人里で出会った、知的で物腰の柔らかい教師。
不愛想だが、ふとした瞬間に息を呑むほど綺麗な巫女。
そして、今目の前にいる、太陽のように明るく笑う魔法使い。
(この幻想郷ってとこは……やけに綺麗な女が多いな……)
そんな場違いな感想を抱きながら、カイジは奇妙な三人での朝食が始まろうとしている。
カイジは、改めてちゃぶ台の上に並べられた朝食に目を向けた。そして、昨日とは打って変わったその光景に、思わず目を見張る。
そこには、質素ではあるものの、日本の朝食として完璧としか言いようのない和食が整然と並んでいた。
湯気が立ち上る、炊き立ての白米。隣には、豆腐とわかめがきちんと入った、まごうことなき本物の味噌汁。そして、大皿には塩加減が絶妙であろう焼き鮭が鎮座し、その横には、黄金色に輝く美しいだし巻き卵が添えられている。小鉢にはほうれん草のおひたしまである。昨日の「焼き味噌」だけの夕食が、まるで遠い昔の出来事のようだ。
(やればできんじゃねえか、この巫女……)
カイジは素直に感心すると同時に、当然の疑問が湧き上がった。あの空っぽの冷蔵庫から、どうやってこれだけの食材をひねり出したのか。
「おい、この食材どうしたんだよ。冷蔵庫はもう空っぽだったじゃねえか」
カイジが尋ねると、霊夢が答えるより早く、魔理沙が「はいはいはーい!」と言わんばかりに勢いよく手を挙げた。
「それはな、カイジ! この優しい魔理沙様が、霊夢に買ってやったんだぜ!」
魔理沙は胸を張り、得意満面に語り始める。
どうやら、開発していた新しい魔法薬が上手く完成し、それが人里で思いのほか高く売れたらしい。懐が温かくなったところで、今朝がたまたま人里で霊夢と鉢合わせし、あまりに彼女が貧相な顔をしていたので、見かねて食材一式を買い与えたのだという。
「まあ、こいつはいつも金欠だからな! 私がたまにこうして恵んでやらないと、すぐに餓死しちまうんだぜ!」
「誰が餓死ですって?」
魔理沙が得意げに語り終えたところで、隣から地を這うような低い声がした。霊夢が冷たい視線で魔理沙を睨みつけている。
「そもそも、あんたの怪しい魔法薬が成功するなんて、明日あたり天変地異でも起こるんじゃないかしら」
「なっ……! 怪しいとはなんだ、怪しいとは! あれは長年の研究の成果なんだぜ! 失礼なやつだな、お前は!」
「はいはい、そうね」
再びうがーっと威嚇する魔理沙を無視し、霊夢はふいと顔をそむけた。そして、丁度隣にいるカイジにしか聞こえないような、本当に小さな声でぽつりと呟く。
「……感謝は、してるわよ」
その言葉に、魔理沙は「なんだー! 悪口かー!」と声を荒げ、カイジは思わず半眼になった。
(……素直じゃねえ奴だな、本当に)
感謝を伝えるのに、なぜこうも一々面倒な手順を踏むのか。カイジは心の中でため息をつく。
霊夢は、これ以上話がややこしくなるのを断ち切るように、パン、パン、と柏手を打った。その乾いた音が、朝の静かな空気に響き渡る。
「はいはい、この話はもうおしまい。あんたたちに構ってたら、せっかくのご飯が冷めちゃうわ」
そう一方的に宣言すると、霊夢は他の二人を待たずに箸を取った。そして、小さな声で「いただきます」と呟くと、まるで周りに誰もいないかのように黙々と白米を口に運び始める。
「おい、霊夢! 話はまだ終わってないんだぜー!」
魔理沙が抗議の声を上げるが、霊夢は完全に無視。その徹底した我関せずな態度に、魔理沙は「むきーっ」と憤慨している。
カイジはと言えば、なぜ自分まで「面倒な奴ら」という枠組みに入れられているのか不服だったが、この巫女と魔法使いのやり取りにこれ以上巻き込まれるのはごめんだ。
もう色々と考えるのが面倒くさくなり、カイジもまた、黙って箸を取って目の前の朝食を食べ進めることにした。
ほかほかの白米、程よい塩気の焼き鮭、そして出汁の効いた卵焼き。まともな和食にありつくのがどれだけありがたいか。カイジは夢中で箸を動かした。
やがて、抗議するのに疲れたのか、魔理沙も「ぐぬぬ……」と唸りながら、しょぼしょぼと自分の席に戻ってご飯を食べ始めた。
三者三様の思いを抱えながらも、食事は静かに進み、あっという間に終わった。
満腹になったカイジが、はぁ、と満足のため息をついていると、同じく食べ終えた魔理沙が「ぷはーっ、満足だぜ!」と言いながら威勢よく立ち上がった。そして、にやりと笑ってカイジを見る。
「カイジ! 食った後は、腹ごなしの運動だよな!」
「あ? 運動?」
「おうよ! ところで、お前、霊夢から『弾幕ごっこ』のことはもう聞いたか?」
「弾幕ごっこ……? いや、初耳だな」
カイジがそう答えると、魔理沙は「なんだ、霊夢のやつ、そんな基本も教えてないのか」と呆れたように言った。そして、待ってましたとばかりに説明を始める。
「いいか、よく聞けよ? この幻想郷ではな、妖怪だろうが人間だろうが、何か揉め事があった時は、殺し合いみたいな野蛮なことはしないんだ。その代わり、『スペルカードルール』っていうのに則って、弾幕ごっこで決着をつけるのがお約束なんだぜ」
魔理沙曰く、それはお互いの技や能力を「弾幕」として撃ち合い、相手に当てることで勝敗を決める、一種の決闘らしい。
ただし、あくまで「ごっこ」であり、本気で相手を殺傷するものではないという。技は全て「スペルカード」として名前がつけられ、美しさや派手さも評価される、ある種の様式美を伴った遊戯なのだと、彼女は熱っぽく語った。
一通り説明を聞いたカイジは、正直あまりピンとこなかった。弾を撃ち合う決闘ごっこ?
(……まあ、要するに、俺たちの世界でいう対戦ゲームみたいなもんか……)
カイジは自分なりにそう解釈し、適当に頷いた。すると、説明を終えて満足した魔理沙は、食後のお茶をすすってのんびりしている霊夢に、ビシッと指を突きつけた。
「──というわけだ、霊夢! 私の新しいスペルカードの実験台になってもらうぜ! 勝負だ!」
しかし、霊夢は湯呑みから口を離すこともなく、一言、冷たく言い放った。
「嫌よ。めんどくさい」
「なっ……なんでだよーっ! ちょっと付き合ってくれたっていいだろ!」
魔理沙は駄々をこねるように霊夢に詰め寄るが、霊夢は我関せずでお茶をズズッとすすっている。完全に無視を決め込む構えだ。
万策尽きた魔理沙は、困り果てた顔でカイジに助けを求めるような視線を向けた。その潤んだ瞳と、無意識であろう上目遣いに、カイジの心臓がまたしても妙な音を立てる。
(クソッ……! このアマ……自分の武器を分かってやがる……!)
カイジは内心で悪態をつきながらも、その視線に抗うことができなかった。
それに、このまま黙って見ているのも癪だ。昨日からこき使われ、悪夢にうなされ、頭を二度も殴られた。この不愛想な巫女に、一泡吹かせてやりたい。博徒の血が、わずかに騒ぎ始める。
「……おい、博麗」
カイジはニヤリと口の端を吊り上げた。
「こいつの勝負に乗ってやるのがそんなに嫌なら、俺と勝負しねえか?」
「は? あんたと?」
霊夢が初めて、心底意外そうな顔でカイジを見た。
「ああ。賭けようじゃねえか。俺が勝ったら、あんたは魔理沙の勝負を受ける。あんたが勝ったら……そうだな、今日の午後の仕事を倍やってやるよ」
カイジはちゃぶ台の上にあった湯呑みを二つ手に取ると、そのうちの一つを逆さに伏せた。そして、懐から昨日霊夢に貰ったお守りの札を取り出し、小さく折りたたんでその湯呑みの下に隠す。
「簡単な賭けだ。この札が、この二つの湯呑みのどちらの下にあるか。それをあんたが当てる。確率は二分の一。どうだ? やるか?」
カイジの目には、久しぶりに博徒の光が宿っていた。幻想郷に来て初めての、あまりにもささやかな、しかし紛れもない「賭け」の始まりだ。
カイジの提案を聞いた霊夢は、湯呑みをちゃぶ台に置くと、やれやれといった様子で腕を組んだ。その目は、カイジの顔ではなく、その手元にある二つの湯呑みをじっと観察している。
「……なるほどね。でも、メリットが薄いわ。あんたが勝てば私は魔理沙の面倒な遊びに付き合わされる。私が勝っても、あんたが元々やるべき仕事が増えるだけ。どう考えても割に合わない。それに、単純にめんどくさい」
予想通り、霊夢はにべもなく断った。その反応は、カイジにとって完全に織り込み済みだった。この巫女は、合理性と損得勘定で動く。ならば、その土俵から引きずり下ろし、感情で動かすしかない。
カイジは霊夢から視線を外し、隣で目を丸くしている魔理沙に向かって、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「……だってよ、霧雨。どうやら、この博麗神社の巫女様とやらは、妖怪退治は得意でも、こういう単純な賭け事にはとんと自信が無いみたいだなー。負けるのが怖いのかもな」
「えっ?」
突然話を振られた魔理沙は一瞬戸惑ったが、カイジの挑発的な笑みを見て、その意図を即座に理解した。彼女はニヤリと口の端を吊り上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべると、カイジの悪ノリに全力で乗っかった。
「ああ、そうかもな、カイジ! 霊夢はこういう頭脳戦は苦手だからな! いつも力任せに突っ込むだけだし、繊細な駆け引きなんてできたことないもんなー! きっと負けるのが怖くて逃げてるんだぜ、だっせーの!」
「…………」ピキッ
魔理沙の追い打ちが決定打となった。霊夢が手にしていた湯呑みに、小さく、しかし確かな音を立ててヒビが入る。彼女の額に青筋が浮かび、ちゃぶ台を挟んだ空気が急激に冷え込んでいくのが肌で感じられた。
「……そこまで言うなら、いいわよ。乗ってやるわ、その勝負」
地獄の底から響くような低い声。その瞳はもはやカイジや魔理沙を見ておらず、ただ一点、目の前の湯呑みを射抜いていた。
「やったぜ! さすが霊夢、話が分かるじゃないか!」
魔理沙が拳を突き上げて喜ぶ横で、カイジは(よし、食いついた……!)と内心でほくそ笑んだ。作戦通りだ。
「よし、話がまとまったな。じゃあ、改めてルールを説明するぜ」
カイジは二つの湯呑みを並べ直し、場の空気を支配するように語り始めた。
「勝負は最大五回。俺とあんたで、交互に親と子をやる。親は一度相手に見えない様に札を隠し、目の前でシャッフルをしたのちに子は二つのうちどちらに札があるかを当てる。もし、どちらかが子として三回連続で当てたら、その時点でそいつの勝ちだ。いいな?」
そのルールを聞いて、霊夢は眉をひそめた。
「……ちょっと待ちなさいよ。 それじゃあ、ただの運頼みじゃない。それにあんたが仕掛けた勝負なのに、何の技術も介入してない……その保証は出来るのかしら?」
「おっと、怖くなったか? 博打ってのは、そもそも運を引き寄せる勝負だろ? それとも、あんたにはその『運』がないとでも言うのか?」
カイジがさらに煽ると、霊夢の纏う威圧感がさらに増した。ゴゴゴ、と背後に何か黒いオーラが見えるようだ。
「……いいわよ。調子に乗ってられるのも今のうちよ。そのルール、飲んでやるわ」
「ククク……決まりだな」
カイジは心の中で、勝利を確信して笑った。
そうだ、この勝負、一見すればただの運否天賦。
だがその実、このルールにはカイジだけが気づいている、必勝の「落とし穴」が存在する。
その落とし穴とは、「親は、子が選ばなかった方の湯呑みに、必ずしも札を入れておく必要はない」という、ルールの盲点。
子は二つの湯呑みのうち、どちらに「あるか」を当てる。しかし、親は札を隠した後、子が選ばなかった方の湯呑みの中身を見せる義務はない。つまり、親であるカイジは、最初から二つの湯呑みのどれにも札を入れず、空の状態で勝負を始めることができるのだ。
霊夢がどちらを選ぼうと、カイジは「残念、そっちじゃなかったな」と言って、もう一方の湯呑みも開けずに片付ければいい。霊夢は「外れた」と認識するしかない。これを繰り返せば、霊夢が当てることは絶対にない。逆に、霊夢が親の番では、彼女は正直にどちらかに札を入れるだろう。カイジはそれを、純粋な確率か、あるいは彼女の癖を読んで当てにいけばいい。
霊夢が三回連続で当てることは未来永劫不可能。しかし、カイジには三回連続で当てるチャンスがある。この圧倒的有利。カイジは、自分の仕掛けた見えざる罠に霊夢が完全に嵌ったことを確信する。
「よし、決まりだな。じゃあ、公平を期すために、霧雨には俺たちの手元をしっかり見張る監視役を頼むぜ」
カイジはそう言って、魔理沙に目を配る。
一見すれば、それは勝負の透明性を確保するための、至極まっとうな提案に聞こえる。イカサマや不正があれば、第三者である魔理沙がそれを指摘してくれる。そんな公平感を演出するための、カイジなりの配慮。
霊夢も、その提案には特に異を唱えず、当然といった顔で頷いた。
──だが、これもまた、カイジが仕掛けた二重三重の罠の一つだった。
(ククク……監視役、ね……)
カイジは内心で笑いを噛み殺す。
この短い時間で、カイジは魔理沙という少女の性格をある程度見抜いていた。彼女は快活で、裏表がなく、そして何より自分の欲望に忠実だ。今、彼女の最大の目的は「霊夢と弾幕ごっこをすること」。そのためには、この賭けでカイジが勝つ必要がある。
つまり、魔理沙はカイジにとって最高の「共犯者」になり得るのだ。たとえ彼女が、カイジが仕掛けた「湯呑みの中にそもそも札を入れない」というイカサマに気づいたとしても、それを指摘するだろうか? いや、しない。指摘すれば、霊夢との弾幕ごっこが流れてしまうのだから。
むしろ、見て見ぬふりをする可能性の方が圧倒的に高い。魔理沙を監視役に据えることは、カイジにとって不正の抑止力どころか、最大の保険ですらあった。
そして、先ほど魔理沙を巻き込んでまで霊夢を煽ったのも、単に勝負を受けさせるためだけではない。怒りは、人の思考を鈍らせ、視野を狭める。特に、霊夢のようにプライドが高く、普段は冷静な人間ほど、一度頭に血が上れば、単純な挑発に乗りやすくなる。
カイジは霊夢を怒らせることで、この一見単純なゲームに潜む、反則に近い「ルールの穴」に気づかせないように仕向けたのだ。
全ては、カイジの掌の上。
「じゃあ、始めようぜ。最初は俺が親だ。あんたが当てる番だな」
カイジは二つの湯呑みを手に取ると、両手で巧みにシャッフルし、ちゃぶ台の上に伏せた。その動きは、まるで手慣れたディーラーのようだ。
しかし、その手の中は空。お守りの札は、とうの昔に懐に戻している。
「さあ、どっちだ? この二つのうち、どっちに札が入ってる?」
カイジは挑戦的に霊夢を見つめる。霊夢はまだ怒りの表情を隠さず、鋭い目で湯呑みを睨みつけている。魔理沙は、二人の間でこれから始まる真剣勝負に、わくわくした表情で身を乗り出していた。
静まり返った博麗神社の居間。
カイジが仕掛けた、見えざるイカサマが支配する、最初の勝負の幕が静かに上がった。
絶対に負けるものか。その強い意志と、煽られたことへの怒りが混じり合った鋭い眼光で、霊夢は目の前に並べられた二つの湯呑みを睨みつけていた。
カイジの挑戦的な笑み。魔理沙の期待に満ちた眼差し。それら全てが、今はひどく気に障る。
誰も喋ることはない。ちゃぶ台を囲む三人の間には、博打場特有の、張り詰めた緊張感が漂っていた。聞こえるのは、障子の外で鳴く鳥の声と、三人の微かな息遣いだけ。
霊夢は、カイジの目の動き、指先の癖、呼吸のリズム、その全てから答えを導き出そうと、全神経を集中させる。
やがて、数秒が永遠にも感じられる沈黙の後、霊夢は決断した。
「……右よ」
短く、しかし確信を込めて彼女は答える。その言葉を聞いて、カイジは口の端に浮かべた笑みをさらに深くした。
「ククク……残念だったな、博麗の巫女さんよ」
カイジはゆっくりと右の湯呑みを持ち上げる。その下には、当然ながら何もない。ただ、色褪せちゃぶ台が見えるだけだ。
「おーっ! 霊夢、いきなり外したな!」
魔理沙が興奮したように声を上げる。霊夢は「チッ」と小さく舌打ちし、悔しさを隠そうともしない。カイジの思う壺だった。
「一回戦は俺の勝ち。次はあんたが親だぜ」
カイジは淡々とそう言うと、二つの湯呑みを一度手元に引き寄せた。
そして、それらを再びシャッフルするふりをしながら、懐に隠していたお守りの札を、左の湯呑みの下に滑り込ませる。その動きは一瞬。常人ならば決して見抜けない手際だった。
(……見られたか……!?)
一瞬、霊夢の反応を窺うが、彼女は予想通り、怒りで我を忘れている。カイジの巧妙な仕込みに気づく様子は微塵もない。彼女は「貸しなさい!」とでも言うように、カイジの手から乱暴に湯呑みを奪い取った。
(よし、第一段階は成功だ……)
カイジは安堵し、次に監視役である魔理沙の方にちらりと視線を送った。
すると、魔理沙は目をまん丸にして、驚いたようにカイジのことを見ていた。どうやら、冷静に場を観察していた彼女は、カイジが懐から札を取り出した瞬間を見逃さなかったらしい。
彼女は何かを言いかけたように口を開き、しかし、はたと動きを止めた。
その瞳が、激しく揺れ動いている。
「イカサマだ!」という正義感と、「でも、これを言ったら霊夢と勝負できない……」という欲望。
その二つの間で、彼女の心が激しく揺れ動いているのが、カイジには手に取るように分かった。
そして、数秒の葛藤の末、魔理沙はゆっくりと口を閉じ、何事もなかったかのように視線を逸らした。どうやら、彼女の中で勝利したのは、自身の身勝手で純粋な欲望だったらしい。
(ククク……これで完全に俺の勝ちだ……!)
カイジは、最後の駒が盤上に完璧に配置されたことを確信した。その時、ドンッ! と、ちゃぶ台が割れんばかりの勢いで湯呑が二つ置かれた。
音を鳴らした主はもちろん霊夢だ。彼女は怒りに燃える瞳でカイジを睨みつけながら、吐き捨てるように言った。
「……ほら、早く決めなさいよ。今度はあんたが当てる番でしょ?」
その焦りと怒りが、カイジにとっては勝利への追い風でしかなかった。
霊夢の放つ凄まじい威圧が、重力となってカイジの肩にのしかかる。怒りに燃えるその瞳は、まるで獲物を狩る猛禽のようだ。
だが、カイジは怯まない。むしろ、このヒリつくような緊張感こそが、彼の本領を発揮させる舞台だった。博打打ちとしての血が、体中を駆け巡り、思考を極限まで研ぎ澄ませていく。
(いい殺気だ。だが、怒りは博打じゃ命取りだぜ……)
カイジは、霊夢の心を丸裸にするように、その思考の深層へと潜っていく。
まず、先ほどの勝負。霊夢は「右」を選んで外した。この「右を選んで失敗した」という事実は、どれだけ冷静を装おうと、嫌でも彼女の意識の底にこびりついているはずだ。人間というものは、直前の失敗を無意識に避けようとする。となれば、彼女はカイジが「左」を選ぶだろうと、心のどこかで予測している可能性が高い。
(普通の人間なら、俺が「左」を選ぶと読んで、裏をかいて「右」に隠す……。だが、こいつは違う……!)
カイジは霊夢の性格を分析する。彼女はプライドが高く、合理的で、そして何より負けず嫌いだ。そんな彼女が、カイジのような得体の知れない男に、単純な裏の裏をかかれるような手を打つだろうか? いや、打たない。彼女は、カイジが「霊夢は裏をかいて右に置くだろう」と読むことまで、読んでくるはずだ。
(つまり、霊夢はこう考える……。「こいつは私が右に置くと読むだろう。ならば、その思考のさらに裏をかき、あえてセオリー通り**『左』**に置くことで、こいつの思考の上を行ってやる」と……!)
霊夢は、カイジが複雑な心理戦を仕掛けてくると予測し、その逆張りとして、最も単純でストレートな選択をする。それが、彼女のプライドの高さからくる「小細工には屈しない」という意志の表れだ。
カイジは、わざと数秒間、うんうんと唸りながら悩むふりをした。そして、まるで世紀の大発見でもしたかのように、ハッと顔を上げる。
「……普通に考えれば、あんたは俺の裏をかいて『右』に置く。だが、あんたほどの人間が、そんな単純な手は打たねえ。あんたは、俺がそう読むことまで読んで、あえて……『左』に置いた! どうだ!」
カイジがビシッと左の湯呑みを指さす。
「なっ……!?」
その瞬間、霊夢の瞳が驚きに見開かれた。カイジの言葉が、彼女の思考そのものを完璧に言い当てていたからだ。
カイジはニヤリと笑い、霊夢が何か言う前に左の湯呑みを持ち上げた。そこには、霊夢が隠したお守りの札が、静かに鎮座していた。
「……どうやら、俺の勝ちが一歩見えてきたようだな」
勝負はまだ一対零。だが、場の空気は、完全にカイジが支配していた。
霊夢は「ぐっ……」と、奥歯を噛みしめる音が聞こえそうなほど悔しげな表情を浮かべた。
自分の思考が、この得体の知れない男に完全に見透かされた。その事実が、彼女のプライドを深く傷つけた。
しかし、勝負はまだ終わっていない。彼女は無言のまま、しかしその瞳には先ほどよりもさらに強い敵意を宿して、湯呑みをカイジに押し返した。
それを受け取ったカイジは、再び親番だ。
彼は「さあ、次はどうかな……」と呟きながら、まるで念を込めるかのように、ゆっくりと湯呑みをシャッフルし始める。その動きは、先ほどの霊夢の乱暴なシャッフルとは対照的に、どこまでも滑らかで、見る者を幻惑するかのようだ。
しかし、その優雅な動きの裏で、カイジは冷徹な作業を遂行していた。霊夢からはちょうど死角になる位置で、魔理沙の視線を感じながら、彼は伏せた湯呑みの一つから、一瞬の隙をついて札を抜き取り、懐へと戻す。
もちろん、その大胆不敵なイカサマは、監視役である魔理沙の目にはっきりと映っていた。彼女は「あ……」と小さく息を呑んだが、やはり何も言わない。一度黙認してしまった以上、もう後には引けない。
彼女はカイジの共犯者として、この勝負の行く末を見守ることを選んだのだ。
全ての準備を終えたカイジは、シャッフルの最後、霊夢がやったのと同じように、ドンッ! とわざとらしく音を立てて二つの湯呑みを置いた。その音は、明確な挑発だった。
「さあ、どっちだ? 今度は当てられるかな? 博麗の巫女さんよ」
カイジはニヤニヤと笑いながら霊夢を見つめる。霊夢は、その隠そうともしない苛立ちを顔に浮かべながら、再び思考の海に沈んでいった。
(チッ……! さっきは完全に読まれた……! この男、ただの運任せじゃない……!)
霊夢は冷静になろうと努めるが、一度かき乱された心は、そう簡単には静まらない。先ほどは「裏の裏をかいて左」を読まれた。ならば、今度はどうする?
(……もう一度、同じ手は使えない。かといって、単純に右に置くと読まれるのも癪だし……。こいつは、私がどう思考するかを、思考している……)
霊夢の思考が、迷路に迷い込んでいく。カイジが仕掛けた心理的な揺さぶりが、彼女の判断を確実に鈍らせていた。彼女は、カイジが「また同じように心理を読んでくる」と予測し、その思考の前提自体を破壊しようと考えた。
(そうだ、これは所詮、二分の一の確率。深く考えれば考えるほど、相手の思う壺よ。ならば、ここは直感。最初のインスピレーションで決める……!)
霊夢は一度目を閉じ、深く息を吸った。そして、パッと目を開くと、迷いを断ち切るように、一つの湯呑みを指さした。
「……左よ!」
それは、先ほどカイジが当てたのと同じ「左」。失敗した記憶に囚われず、あえて同じ選択をすることで、思考のループから抜け出そうという、彼女なりの答えだった。
しかし、その答えを聞いたカイジは、待ってましたとばかりに、さらに笑みを深くした。
「残念。博麗の巫女も、奇跡は起こせないらしいな」
カイジが左の湯呑みを持ち上げる。
そこにはやはり、何もなかった。
「なっ……!?」
霊夢が絶句する。霊夢はまだ一度も当てられていない。
「……ほら、次はあんたが親番だぜ」
カイジはそう言って、放心している隙を盗み、軽くシャッフルするふりをして湯呑みの中に札を戻し、霊夢の前に押しやった。
圧倒的な劣勢。そして、自分の思考がまるで通用しないという屈辱。霊夢の中で、何かがプツリと切れる音がした。
霊夢は、ちゃぶ台が悲鳴を上げるほどの勢いで両手をついて立ち上がった。その瞳は、もはや怒りを通り越し、純粋な殺意に近い光を宿している。
「あんた……何かイカサマしてるんじゃないでしょうね!」
その声は、静かだが、部屋中の空気を震わせるほどの凄みがあった。普通の人間ならば、その場で失禁していてもおかしくない。
だが、カイジは数々の修羅場をくぐり抜けてきた男だ。彼は顔色一つ変えず、涼しい顔で肩をすくめた。
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺はただ、あんたの心理を読んでるだけだ。負けが込んできたからって、イカサマ呼ばわりは感心しねえな」
カイジはそう言うと、わざとらしく「なあ、霧雨?」と、この勝負の唯一の監視役に話を振った。
「えっ!? あ、ああ……」
突然話を振られた魔理沙は、ビクッと肩を揺らして動揺を隠せない。その視線は罪悪感からか、カイジと霊夢の間を気まずそうに行ったり来たりしている。
しかし、彼女はここでカイジのイカサマをばらすわけにはいかない。
「……お、おう。特にカイジが変なことをしてる様子はなかったぜ? 霊夢、お前が考えすぎてるだけじゃないのか?」
魔理沙は、なんとか平静を装ってそう答えた。しかし、その声はわずかに上ずり、額には脂汗が滲んでいる。
「ぐっ……!」
霊夢は、まだ心の底から納得したわけではない。魔理沙の挙動不審な態度も気になる。だが、ここで「監視役がおかしい」と指摘したところで、それはただの負け犬の遠吠えにしかならない。何より、物的な証拠が何一つないのだ。
これ以上ごねても、ただ時間を浪費するだけ。そして、自分のプライドがさらに傷つくだけだ。霊夢は、燃え盛る怒りと疑念を無理やり心の奥底に押し込めると、ずかっ、と乱暴に座布団に座り直した。
「……いいわ。続けましょう。次であんたを黙らせてやるから」
その目は、もはやカイジを「ただの人間」としては見ていなかった。倒すべき「敵」として、明確にロックオンしていた。
少し冷静さを取り戻したのか、霊夢は先ほどまでの乱暴さが嘘のように、静かに、しかし何かを深く考え込みながら湯呑をシャッフルし始めた。
苛立ちは消えていないが、その思考はカイジのイカサマの正体を探ることに集中しているようだ。
しかし、カイジはそんな霊夢の様子を見ても、一切の焦りを見せない。
(ククク……探れ探れ……。だが、あんたに俺のイカサマは見抜けねえ……)
現に、カイジがイカサマをしているという物的な証拠はまだ何一つ見つかっていない。霊夢は疑心暗鬼の状態から抜け出せずにいる。
やがて、霊夢はシャッフルを終えると、カイジを射抜くような目で見つめながら言った。
「……早く選びなさい」
カイジは「うーん、どっちかなあ」と、わざとらしく腕を組んで悩むふりをする。
だが、その心は凪いでいた。正直なところ、ここで当たりを引こうが、はずれを引こうが、カイジにとってはもはや関係のないことだったのだ。
なぜなら、カイジは既に一勝している。そして、カイジが親の番では、霊夢が当たりを引くことは絶対にない。
この勝負のルールは「最大五回勝負」であり、「三回連続で当てればその時点で勝ち」だ。霊夢が三回連続で当てる可能性はゼロ。つまり、霊夢の勝利条件は、この時点で完全に潰えている。
一方、カイジは既に一勝のアドバンテージがある。この後、たとえカイジが四回連続で外したとしても、勝負は五回戦で終了し、結果は「一対零」でカイジの勝利となる。
そう、この勝負は、カイジが霊夢の心理の癖を読み切り、最初の一勝をもぎ取ったあの瞬間、実質的に決着がついていたのだ。
(あとは、どうやって終わらせるか、だ……)
カイジにとって、残りの勝負はただの消化試合。三回連続で当てて派手に勝てば、それはそれで面白い。ラッキー程度の感覚だ。
カイジは、もはや何の思考も介さず、ただ無造作に一つの湯呑みを指さした。
「……じゃあ、こっちだ。右で」
霊夢は無言のまま、カイジが指さした右の湯呑みを持ち上げた。その下から、折りたたまれたお守りの札が現れる。
「おおっ! 当たりじゃねえか! これで二連勝だな!」
カイジは、まるで本当に運が向いてきたかのように、素直に喜びの声を上げた。
これで二対零。勝利は目前だ。
しかし、霊夢の反応はカイジの予想とは全く違っていた。彼女は「ふぅ……」と、まるで肩の荷が下りたかのように静かに息を吐くと、表情一つ変えずに湯呑みをカイジの前に押しやったのだ。
その、あまりにも落ち着き払った態度。先ほどまでの怒りや焦りが嘘のように消え失せている。カイジは、その不気味なほどの静けさに、ぞわりと背筋が粟立つのを感じた。
(……なんだ? この落ち着きは……。まさか、俺のイカサマのカラクリがバレたのか……!?)
一瞬、最悪のシナリオが頭をよぎる。だが、カイジはすぐにその考えを打ち消した。
(いや、あり得ねえ……。札を抜く瞬間は完璧だったはずだ。それに、監視役の魔理沙は……)
カイジがちらりと魔理沙に視線を送ると、彼女は相変わらず「どうしよう……」とでも言いたげに、あわあわと狼狽えているだけだ。彼女が何かを霊夢に告げ口したとは到底思えない。
(なら、一体何なんだ……?)
カイジは、湧き上がる疑念を押し殺し、平静を装って湯呑みを受け取った。そして、いつものようにシャッフルを始めようとする。
だが、その手元に注がれる霊夢の視線が、先ほどまでとは比べ物にならないほど鋭く、そして冷徹になっているのを感じた。
それはもはや、湯呑みではなく、カイジの手そのものの動きを、コンマ一ミリ単位で見定めようとするかのような、分析的な視線だった。
(……やはり、バレたのか……!? いや、確証はないが、何かを掴んでいる……!)
このまま札を抜くのは危険だ。カイジは瞬時に判断を下し、急遽作戦を変更した。この親番ではイカサマをせず、正直に札を入れて勝負する。
(そうだ、ここで下手に動くのは悪手だ……。仮にここでこいつに当てられたとしても、スコアは二対一。まだ俺がリードしている。むしろ、ここで一度当てさせてやることで、疑いを少しでも緩和できるなら、その方が得策だ……!)
カイジは、札を入れた湯呑みを、他の二つと共にシャッフルし終えると、「さあ、選べ」と霊夢を促した。
霊夢は、カイジの言葉に反応せず、すっと目を閉じた。数秒間、まるで精神を集中させるかのように沈黙した後、彼女は静かに目を開き、一言だけ告げた。
「……右」
その声には、もはや何の迷いもなかった。
カイジが、言われた通りに右の湯呑みを持ち上げる。すると、そこにはカイジが隠したお守りの札が、静かに置かれていた。
「クソッ……! なんでだよ! 当てられた……!」
カイジは、わざとらしく頭を抱え、心底悔しそうな演技をする。
だが、霊夢はそんなカイジの芝居には目もくれず、ただ静かに、そして冷ややかに彼を見つめているだけだった。その瞳は、まるで「あなたのやることは、全てお見通しよ」と語っているかのようだった。
ざわ… ざわ…
ざわ…
ざわ…
ざわ…
ざわ… ざわ…
ざわ… ざわ…
カイジの心臓を、得体の知れない不安感が鷲掴みにする。まるで、鉄骨の上で強風に煽られた時のような、足元が崩れ落ちていく感覚。
(なんだ……なんなんだ、この胸のざわめきは……!)
二対一。スコアの上では、まだ俺が有利なはずだ。なのに、この圧倒的な劣勢感はなんだ。まるで、見えない何かに首を絞められているような、息苦しさ。
カイジが内心で焦りを募らせていると、いつの間にか霊夢はシャッフルを終えていた。
「ほら、早く選びなさい」
その声は、氷のように冷たい。カイジは、額に滲んだ冷や汗を隠すこともできず、もはや思考を放棄して、ただ適当に湯呑みを指さした。
「ひ、左だ……!」
霊夢は無言で左の湯呑みを開ける。中は、空。
「クソッ……!」
カイジは苛立ちを隠せない、という演技を見せるが、その声は自分でも分かるほど上ずっていた。
霊夢は、そんなカイジの様子を意にも介さず、さっさと湯呑みをカイジの前に押しやる。その動作には、一切の感情がこもっていない。まるで、決められた手順をこなす機械のようだ。
カイジは、目の前に置かれた二つの湯呑みを見つめながら、ぐるぐると頭を回転させた。
(おかしい……何かが絶対におかしい……。さっき、確かにヤツは当たりを引いた。あれで、疑いは少しは晴れたはずだ。なのに、なぜこの女はまだこんなにも落ち着いていられる……? まるで、この勝負の結末を、全て知っているかのように……)
まさか、魔理沙が裏切ったのか? いや、それはない。彼女は今も、罪悪感と欲望の間で揺れ動き、おろおろしているだけだ。
では、一体何が……?
カイジの思考が、暗い迷路を彷徨う。しかし、その時、博徒としての本能が、彼に一つの答えを囁いた。
(考えすぎるな……! 相手のペースに呑まれるな……! 今、俺がやるべきことは一つだ……!)
そうだ、原点回帰だ。この勝負、俺が勝つための唯一絶対の手段は、あのイカサマだ。
霊夢の不可解な態度は、俺を混乱させ、イカサマを躊躇させるためのブラフかもしれない。ここで俺が日和って、正直に勝負して負けることこそが、相手の思う壺だ。
(……大丈夫だ。まだ証拠は掴まれていない。俺のイカサマは完璧なはずだ。ここで揺らぐな。ここで引いたら、本当の負け犬だ……!)
カイジは、自分にそう言い聞かせ、心のざわめきを無理やりねじ伏せた。そして、覚悟を決める。
(やるしかねえ……! このターンで、俺は必ず勝つ……!)
カイジは、これまでで最も滑らかに、そして最も大胆に、湯呑みをシャッフルするふりをしながら、その中から札を抜き取った。もう迷いはない。このイカサマで、この不気味な勝負に終止符を打つ。
カイジは、空になった二つの湯呑みを畳に置くと、霊夢を真っ直ぐに見据えて言った。
「さあ、博麗。これが最後の勝負になるかもしれないな。選べ」
その声には、先ほどまでの動揺は微塵も感じられなかった。再び、彼は冷徹な博徒の顔を取り戻していた。
カイジが勝負を促す言葉を投げかけると、霊夢は彼の顔を一瞥した後、またしても、すっと目を閉じた。その静かな動作一つ一つが、カイジの心臓を締め付け、背中に冷たい汗を流させる。
霊夢が目を閉じて、数秒。いや、カイジにとっては数分にも、数時間にも感じられた。
ただの運否天賦のゲーム。命も金もかかっていない、子供の遊びのような賭け事。そして、カイジはイカサマによって、絶対に負けないはずの圧倒的有利な立ち位置にいる。
なのに、なぜだ。この拭い去ることのできない不安と、胸を蝕む疑念は。まるで、分厚い雲が太陽を覆い隠していくように、勝利への確信がどんどん薄れていく。
そしてついに、霊夢はゆっくりとその唇を開いた。
「……この中に、『当たり』は無いわ」
「はっ……?」
その静かな一言が、カイジの鼓膜を突き破り、脳髄を直接揺さぶった。
カイジの口から、間の抜けた声が漏れる。何を言っているんだ、この女は。意味が分からない。理解が追いつかない。
しかし、霊夢はそんなカイジの混乱など意にも介さず、さらに絶望的な言葉を続けた。
「その札は、今、あんたの懐の中にあるんでしょ?」
ドクンッ、とカイジの心臓が大きく跳ねた。バレた。見抜かれた。なぜ。どうして。思考が完全に停止する。
霊夢は、その言葉を証明するかのように、両手をそれぞれの湯呑みに伸ばし、同時に開けようとする。その瞬間、カイジは反射的に叫んでいた。
「ま、待てっ……! 待った……!」
その声は、自分でも情けないと思うほど震えていた。霊夢の手がぴたりと止まる。
「……今、その湯呑みを開けて、もしどちらかに『当たり』が入っていたら……あんた、どうするつもりだ……?」
カイジは、最後の虚勢を張る。
「あんたは今、俺をイカサマ師だと疑ったんだ……! 間違ってました、ごめんなさいじゃ済まさねえぞ……ッ!」
しかし、そんなカイジの恫喝を、霊夢はふっと鼻で笑い飛ばした。数々の激戦を潜り抜けてきた勝負師の圧など、この博麗の巫女の前では、そよ風ほどの意味もなさない。
「いいえ。私の予想は、必ず当たっているわ」
その声には、神託のような、絶対的な確信が満ちていた。そして、霊夢は一切の迷いなく、二つの湯呑みを同時に持ち上げた。
カタン、と乾いた音が二つ。
その下には、何もなかった。
当たりも、はずれも、希望も、絶望も。ただ、空っぽの空間が広がっているだけだった。
その光景を見た瞬間、カイジの視界が、ぐにゃぁ〜〜〜っと歪んだ。畳の目が、ちゃぶ台の木目が、霊夢の顔が、全て溶け合い、渦を巻いていく。
カイジは、その場で崩れ落ちるように、畳に手をついた。完膚なきまでの、敗北だった。
視界が歪み、耳鳴りが止まらない。カイジは畳に手をついたまま、動くことができなかった。
脳が理解を拒絶している。自分の仕掛けた完璧なはずの罠が、いとも容易く、根底から覆された。その事実が、現実感のない、悪夢のような感覚となって彼を襲う。
そんなカイジを、そしてその隣で血の気を失い、石のように固まっている魔理沙を、霊夢は冷え切った視線で見下ろしていた。その瞳には、もはや怒りも、驚きもない。ただ、全てを知っていた者の、静かな侮蔑だけが浮かんでいた。
彼女は、残酷なまでに正確な言葉で、答え合わせを始めた。
「最初から札を入れず、私が絶対に当てられない状況を作る。そして、私が親の番では、私の心理や癖を読んで確実に当てに来る……。単純だけど、効果的なイカサマね」
その言葉は、カイジが脳内で練り上げた思考の設計図を、そのまま読み上げたかのように正確だった。一字一句、違わぬその指摘に、カイジの背筋を悪寒が走る。
「そして魔理沙。あんたが弾幕ごっこをしたいという、その子供じみた欲望を天秤にかけ、この男のイカサマを黙認することも、全て計算のうちだったんでしょ?」
霊夢の視線が、氷の矢となって魔理沙を射抜く。魔理沙は「ひっ……!」と、喉から引き攣ったような小さな悲鳴を上げ、完全に縮み上がってしまった。その姿は、まるで蛇に睨まれた蛙だ。
全てが、ドンピシャだった。カイジが、己の持つ全ての経験と洞察力を注ぎ込んで練り上げた、完璧なはずの策略。その全てが、この巫女にはお見通しだったのだ。
(あり得ない……。あり得ない……! あの帝愛との激戦を、鉄骨を、沼を潜り抜けてきた俺が……負けるだと……!?)
カイジは絶対に自信があった。博打とは無縁に生きてきたであろう、世間知らずの巫女一人に、この俺が負けるはずがないと。
その、あまりにも傲慢で、根拠のない驕りが、今、彼の足元を根こそぎ掬い取っていった。
放心状態のカイジを尻目に、魔理沙はおずおずと、震える声で霊夢に頭を下げた。
「……霊夢、その……ごめん。私、どうしてもお前と勝負したくて、つい……」
カイジは、次の瞬間、魔理沙が霊夢の鉄拳で境内まで殴り飛ばされる光景をぼんやりと想像した。
しかし、霊夢は怒声を発することもなく、ただ魔理沙を睨みつけていたかと思うと、やがて、はぁ、と今日一番深いため息をついた。
「……まあ、いいわよ。あんたがそういう奴だってことは、今に始まったことじゃないし」
そのあまりにも寛大な、それでいて突き放したような許しに、魔理沙は予想外といった表情で目をぱちくりさせている。
その時、カイジは震える唇で、最後のプライドを振り絞るように問いかけた。
「……どこで……どこで俺のイカサマに気づいたんだ……?」
その問いを聞いて、霊夢はまるで「今日の天気は?」と聞かれたかのように、何事もなかったかのように、あっさりと答えた。
「ん? ただの勘よ」
「か、勘だと……?」
その答えに、隣で聞いていた魔理沙は「あちゃー……」と、全てを察したように頭を抱えた。そして、カイジの中で、かろうじて繋ぎ止められていた理性の糸が、ついに焼き切れた。
「ふざけるなッ!!」
カイジは畳を力任せに殴りつけ、激昂した。
「勘だと!? そんな曖昧なもので、俺の完璧なイカサマが見抜けるか! 俺の思考が読めるか! 俺は、お前の性格、癖、思考、その全てを読み切り、完璧に立ち回ったはずだ! それが、ただの『勘』の一言で……! そんな理不尽が、あってたまるかッ!!」
カイジの絶叫が、静まり返った神社に虚しく響き渡る。だが、霊夢はそんな彼の激情を、まるで路傍の石でも見るかのように、柳に風と受け流した。
「理不尽? それはこっちのセリフよ。そもそも、イカサマをしておいて、負けた途端に喚き散らすあんたにそんなことを言う資格はないわ」
彼女は呆然とするカイジを見下ろし、世界の法則を告げるかのように、決定的な一言を放った。
「博麗の巫女の『勘』を、あんたたちの世界の常識で測らないことね。それは時として、どんな理論や確率よりも、真実に近い場所に届くのよ」
その言葉は、もはや博打の領域を超えていた。
それは、この幻想郷という不可思議な世界で、博麗の巫女だけが持ち得る、一種の「力」。カイジは、自分が戦っていた相手が、ただの人間ではなかったことを、この瞬間、骨の髄まで理解させられた。
霊夢は、もはやカイジに興味を失ったように、散らかった湯呑みを片付けると、すっと立ち上がった。
「賭けは、あんたのイカサマで不成立。つまり、私の負けじゃないから、魔理沙と弾幕ごっこをする義務もないわね」
その言葉に、隣でしょんぼりしていた魔理沙が「そ、そんなー!」と悲痛な声を上げた。カイジも、返す言葉がない。正論だ。完全に、その通りだ。
魔理沙は「せっかくカイジが頑張ってくれたのに……」と、涙目でうなだれている。その姿を見て、霊夢はもう一度、今日一番深いため息をついた。
「……はぁ。まあ、いいわ」
霊夢は、心底面倒くさそうに、しかしどこか諦めたように言った。
「新しいスペルカードができたんでしょ。それを野放しにして、人里あたりで暴発されても迷惑だしね。ここで一度、どれほどのものか見ておいてあげるわ。これも巫女の仕事のうちよ」
その口調は、あくまで事務的。そこに個人的な感情は一切含まれていない。魔理沙の欲望に応えるのではなく、巫女として幻想郷のパワーバランスを把握し、危険を未然に防ぐための「査定」なのだと、暗に示している。
「ほんとか、霊夢!? やったー!」
魔理沙は一瞬で元気を取り戻し、霊夢に抱きつき喜んでいる。
「鬱陶しいわね、離れなさい」
霊夢はそう言いながら、本気で魔理沙を振り払った。そのやり取りを見て、カイジは理解した。この巫女の行動基準は、常に「博麗の巫女」としての役割に帰結するのだと。
「……カイジ」
不意に、霊夢がカイジの方を向いた。
「あんたはそこで、私たちの『本当の勝負』がどういうものか、よく見ておきなさい。あんたのセコいイカサマとは、格が違うんだから」
霊夢はそう言い残し、魔理沙を連れて、神社の境内へと歩いていく。その背中には、これから「仕事」を始める者の、静かな覚悟が漂っていた。
残されたカイジは、ただ一人、自分の完膚なきまでの敗北と、この世界の底知れなさに打ちのめされながらも、先ほどとは違う、奇妙な感情が胸に湧き上がるのを感じていた。
(……勘、か……)
理屈も、確率も、心理戦すらも超越する、絶対的な「力」。
カイジは、自分が足を踏み入れたこの幻想郷という場所が、自分の常識が一切通用しない、とんでもない世界であることを、改めて骨の髄まで理解させられた。
そして同時に、その底知れなさに、ほんの少しだけ、心が沸き立つような感覚を覚えるのだった。
お読みいただきありがとうございました!
なんとカイジまさかの敗北……
カイジは発想力や逆境への強さ、相手の心理を読む能力は高いですが、なんでか自身から挑んで戦うギャンブルには弱いイメージがあります…
それと完全に相手が悪かったですね…
カイジの性格は?
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今のままで大丈夫
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なに良い子ぶってんだ…お前はクズだろっ!
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もっと優しさに溢れてもいいぞ