幻想博打録カイジ   作:名もない石

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どうも名もない石です!

今回レミリアの能力に個人的な解釈や設定が入ってます。それらが苦手な方は申し訳ございません……

それでも良ければ是非お楽しみください!

また良ければモチベ向上のためにも感想や評価もお願いします!


魑魅魍魎

カイジがこの世界の常識を無理やり自分に叩き込んでいると、レミリアは再び霊夢の方に向き直った。その唇には先ほどよりも深い、何かを含んだような笑みが浮かんでいる。

 

 

「それで、霊夢。私からのお誘い乗ってくれるのかしら?」

 

 

 その問いかけに霊夢が答えるよりも早く、隣から食い気味の声が飛んだ。

 

 

「おう! ぜひ飲ませてくれだぜレミリア! 私も混ぜろー!」

 

 

 魔理沙が子犬のように目を輝かせながらレミリアに飛びつかんばかりの勢いで懇願している。彼女にしてみれば面倒な掃除をサボれる上に、高級な紅茶にありつけるのだ。まさに一石二鳥。断る理由など微塵もなかった。

 

 

 霊夢はそんな魔理沙の浅ましさにやれやれと肩をすくめ、少しだけ考える素振りを見せた。そして、まるで仕方がないとでも言うように小さく息を吐く。

 

 

「……まあ、どうせ暇だしいいわよ。せっかく持ってきてくれたんだからいただいてあげるわ」

 

 

 その言葉にレミリアは満足げに微笑むと、今度はその視線をカイジに向けた。

 

 

「よろしければ、カイジさんもいかがかしら? 人間のあなたにも本物の紅茶の味というものを教えて差し上げたいのだけれど」

 

 

 その誘いは一見すれば親切なものに聞こえる。だが、カイジはその裏に何かを感じ取っていた。

 

 

(……なんだ……? こいつ、何か企んでやがるな……)

 

 

 確証はない、ただの勘だ。だが、このレミリアという少女の瞳の奥にはただの茶会への誘いだけではない別の目的が隠されている。そんな気がしてならなかった。

 

 

(クソッ……俺にもあの博麗みてえな『勘』があれば……!)

 

 

 一瞬、そんな甘い考えが頭をよぎるが、カイジはすぐに「何考えてんだ、俺は!」と、そのふざけた思考を振り払った。他人の能力を羨んでも何も始まらない。

 

 

(……面白い。正体が分からねえなら、懐に飛び込んで探ってやるのが一番だ……)

 

 

 カイジは博徒としての本能に従うことにした。

 

 

「ああ、ありがたくいただくぜ」

 

 

 カイジがそう答えると、レミリアは「それじゃあ、決まりね」と、楽しそうに手を叩いた。そして、隣に控えるメイドの咲夜にちらりと視線を送る。

 

 

 咲夜はその視線だけで全てを察したのか、「それでは準備をいたしますので」と、静かに一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間──カイジは信じられない光景を目の当たりにした。

 

 

 

 

 咲夜がまるでそこに最初からあったかのように、何もない空間から豪奢なテーブルと人数分の椅子を取り出したのだ。

 

 

 いや、取り出したという表現すら生ぬるい。比喩でも手品でもない。本当に一瞬で目の前にそれらが出現したのだ。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 カイジはあまりの超常現象に声も出せずに固まった。一体いつ用意した? 自分の頭がおかしくなったのか? 

 

 

「ほら、カイジさんも座って。いつまで突っ立っているつもり?」

 

 

 レミリアの声でカイジはふと我に返った。

 

 

 見ればいつの間にか、霊夢と魔理沙は何事もなかったかのように用意された椅子に当然といった顔で座っている。

 

 

 カイジはまだ混乱する頭のまま、まるで操り人形のように促されるがままに空いている席へと着くのだった。この世界ではもはや何が起きても驚いてはいけないのかもしれない。

 

 

 カイジがまだ混乱する頭のまま席に着くと、咲夜はテーブルの上にどこからともなく取り出した銀製のティーセットを静かに並べ始めた。

 

 

 そして、小さな銀のキャニスターを開けると、ふわりと極上の香りが辺りに漂う。

 

 

 咲夜は完璧な所作でその茶葉をティーポットに入れ、沸かしたお湯を寸分の狂いもない高さから注ぎ込んでいく。その一連の動きには一切の無駄も迷いもない。まるで、何万回と繰り返してきたかのような洗練され尽くした芸術の域に達していた。

 

 

 カイジは紅茶の淹れ方などもちろん知る由もない。ティーバッグをお湯に放り込むくらいしか知らない。だが、そんな素人が見ても彼女の動きが尋常ではないことは嫌でも理解できた。指先の角度、手首の返し、ポットを傾ける速度、その全てがまるで精密な機械のように計算され尽くしている。

 

 

 カイジはついその流れるような美しい所作に見惚れていた。それは熟練のディーラーがカードを配る様にも似ていたが、もっと静かで、神聖な儀式のようでもあった。

 

 

 そして何より、その完璧な動きを寸分の狂いもなくこなす咲夜自身が氷のように冷たい、しかしどこか儚げな美しさを湛えていることもカイジの視線を奪う一因となっていた。

 

 

 やがて、完璧なタイミングで蒸らされた紅茶が咲夜の手によって純白のティーカップへと注がれていく。琥珀色に透き通った液体が優雅な音を立ててカップを満たしていく。

 

 

 咲夜はまず最初の一杯を主であるレミリアの前に恭しく置いた。そして、霊夢、魔理沙と座っている順番に音もなくカップを置いていく。最後にカイジの前にもソーサーに乗せられた一杯がそっと置かれた。

 

 

 目の前に置かれた極上の一杯。カイジは試しにカップに顔を近づけ、その香りを嗅いでみた。

 

 

(なんだ、この匂いは……)

 

 

 カイジはどちらかというと紅茶を好んで飲む方ではない。せいぜい自販機で売っている甘ったるいペットボトルの紅茶くらいしか知らなかった。だが今、目の前にあるこの紅茶の香りはそんな安物とは全くの別物だった。

 

 

 芳醇で、華やかで、それでいてどこか落ち着く、深く、そして複雑な香り。それはカイジのささくれだった心を優しく解きほぐしていくかのようだ。思わずごくりと喉が鳴る。

 

 

 その複雑で豊かな香りに意識を奪われていると、隣から待ちきれないといった声が上がった。

 

 

「おーっ! すっごく良い匂いだぜ! じゃあお先にいただきまーす!」

 

 

 魔理沙が行儀も作法も完全に無視して、目の前のティーカップにガッと手を伸ばし一気に煽るようにして紅茶を飲もうとする。

 

 

「おい霧雨……!」

 

 

 カイジは思わずその無作法を止めようと声をかけた。いくら社会の底辺を這いずり回ってきたクズとはいえ、奢ってくれる相手が「どうぞ」と言う前に、ましてやホストより先に口をつけるのがどれだけ無礼なことか。その程度のあやふやで、しかし最低限の常識は持ち合わせている。

 

 

 だが、カイジの制止は間に合わなかった。魔理沙はすでにカップの中身を半分ほどごくごくと喉に流し込んでしまっている。

 

 

(やっちまった……)

 

 

 カイジはレミリアがどう反応するかと冷や汗をかきながら窺った。わざわざここまで紅茶を持ってくるようなプライドの高い少女だ。この無礼な振る舞いに激怒し、この場が凍りついてもおかしくない。

 

 

 しかしレミリアはそんな魔理沙の行動を特に気にした様子もなく、ただ優雅に微笑んでいるだけだった。

 

 

 そして彼女自身もティーカップを手に取ると、その香りを一度楽しむようにしてから静かに一口、口に含んだ。

 

 

 その様子を見届けてから霊夢もまた、無言でカップに手を伸ばす。どうやらレミリアはその程度で怒りを露にするほどの器ではないらしい。カイジは安堵のため息を隠しながら、自分もカップを手に取った。

 

 

 そして、琥珀色の液体をそっと口に流し込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間──カイジは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 

 

 

 

(うめえ……! なんだこれは……!?)

 

 

 匂いからある程度の味は想像していた。だが、実際に口にしたその味はカイジの貧相な想像力を遥かに、そして残酷なまでに超えていた。

 

 

 最初に感じたのは花のような華やかな香り。それが鼻腔を駆け抜けたかと思うと、次に果実を思わせるしっかりとした、しかし上品な甘みとコクが舌の上に広がる。渋みや苦みは一切ない。

 

 

 ただ、どこまでも滑らかで芳醇な味わいだけが喉を通り過ぎていく。

 

 

 それはカイジが今まで「紅茶」だと思って飲んできた、砂糖と香料の塊のような液体とは全くの別次元の飲み物だった。まるで極上のワインか、あるいは年代物のブランデーを味わっているかのようだ。

 

 

 一杯の紅茶がこれほどの幸福感を人に与えるものなのか。カイジはその衝撃にしばらく言葉を失っていた。

 

 

 カイジが一杯の紅茶がもたらす衝撃に言葉を失っていると、隣で先に飲み干していた魔理沙が空になったカップをテーブルに置き、目をキラキラと輝かせながら叫んだ。

 

 

「うっめえ! なんだこれ、すっごく美味しいぜ! いつも飲んでるのとは全然違うな!」

 

 

 そのあまりにもストレートで、子供っぽい感想にカイジも我に返る。

 

 

 一方、霊夢は静かな所作でティーカップをソーサーに戻すと、その味を吟味するかのように小さく息を吐いた。

 

 

「……確かに、美味しいわね。香りも味も文句のつけようがないわ」

 

 

 その評価は魔理沙のように感情的ではないが、それ故に嘘偽りのない本心からの賞賛であることが伝わってくる。

 

 

 二人の感想を聞いて、カイジもまだ舌の上に残る極上の余韻を確かめるようにぽつりと呟いた。

 

 

「……ああ、うめえな。本当に……」

 

 

 三者三様の、しかし紛れもない賞賛の言葉を聞いてレミリアは「ふふっ」と、心底満足げに微笑んだ。

 

 

「それは良かったわ。あなた達にもこの良さが分かるとは思わなかったけれど」

 

 

 その言葉には相変わらず棘がある。しかし、レミリアはそう言うと再び静かに紅茶を口に含み、その味を楽しんでいるようだった。傍らに控える咲夜もまた「皆様のお口に合ったようで、何よりでございます」と、無表情のまま、しかしどこか誇らしげに一礼した。

 

 

 それからは特に会話はなかった。

 

 

 ただ、時折カップをソーサーに戻すカチャリという小さな音が響くだけ。魔理沙は咲夜におかわりをねだり、霊夢は窓の外の景色をぼんやりと眺めている。

 

 

 カイジはただただこのあり得ないほどに優雅な時間の流れに身を任せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その静寂は唐突に破られた。

 

 

 

 

 紅茶を飲み終えた霊夢が、カタン、と静かに、しかし明確な意志を持ってカップを置いたのだ。そして、その鋭い視線を真っ直ぐにレミリアへと向ける。

 

 

「……それで? 紅茶の味見はもう済んだわ。さっさと本当の目的を話しなさいよ」

 

 

 その声は先ほどまでの和やかな雰囲気を一瞬にして切り裂く氷のような響きを持っていた。

 

 

 その場の空気が再びピリリと張り詰める。魔理沙もおかわりを飲んでいた手を止め、何事かと二人を見つめている。

 

 

 しかし、霊夢の射抜くような視線を受けてもレミリアは少しも動じなかった。彼女はニコニコと愛らしい笑みを浮かべたまま、わざとらしく小首を傾げてみせる。

 

 

「あら、何のことかしら? 私はただ美味しい紅茶をあなたにご馳走しに来ただけなのだけれど」

 

 

 そのあまりにも白々しいとぼけ方。カイジは確信した。やはり自分の勘は当たっていたのだ。

 

 

 この吸血鬼はただのお茶会のためだけにこんな場所まで足を運んだのではない。この優雅なお茶会は本題を切り出すためのただの口実に過ぎなかったのだ。

 

 

 カイジもまた霊夢の言葉に同調するように、警戒を強めてレミリアを見つめた。この少女が何を企んでいるのかは分からない。だが、この優雅なティーパーティーがただの親睦会でないことだけは確かだ。

 

 

 魔理沙だけがその一触即発の空気に全くついていけず、「えーっと……?」と、霊夢とレミリアの間を困惑したように見比べている。

 

 

 二人の探るような、そして敵意すら含んだ視線を一身に受けてもなおレミリアはニコニコとした愛らしい笑みを崩さない。その胆力はもはや異常としか言いようがなかった。

 

 

 まるでどちらが先に根を上げるかを試すかのような息の詰まる沈黙が数分続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、その沈黙を破ったのはレミリアの方だった。彼女はまるで芝居がかったため息をつくと、「やれやれ、参ったわ」とでも言うように大げさに肩をすくめてみせた。

 

 

「……流石は博麗の巫女ね。どうやら私の下手な嘘は最初からお見通しだったみたいだわ」

 

 

 その言葉と共に、レミリアの顔から先ほどまでの愛らしい笑みがすっと消え失せた。

 

 

 代わりに現れたのは冷徹で、有無を言わさぬ絶対的な支配者の表情。その幼い容姿からは到底想像もつかないほどの強烈な威圧感がテーブルを囲む空間全体を支配していく。

 

 

 そして、彼女はその真紅の瞳でカイジを真っ直ぐに射抜き、静かに、しかしはっきりと告げた。

 

 

「カイジさん……いいえ、カイジ。あなたを私の従者として雇わせてもらうわ

 

 

 

「…は、はぁ?」

 

 

 その言葉にカイジは間の抜けた声を出すことしかできなかった。意味が分からない。この少女とは今日会ったばかりだ。自己紹介を交わした程度でまともな会話すらしていない。なのになぜ。

 

 

 カイジが混乱している間に、隣から氷のように冷たい声がした。

 

 

「断るわ」

 

 

 霊夢が即答した。その声には一切の迷いも交渉の余地もなかった。

 

 

「こいつは今、私のところで働いてもらってるの。あんたの気まぐれで勝手に連れて行かれてもらっては困るわ」

 

 

 しかし、レミリアは霊夢のその剣幕をまるで心地よい音楽でも聴くかのように嘲笑で受け流した。

 

 

「あら、働いてもらってる……なんて、随分と優しい言い方をするのね。その働きに見合うだけのまともな賃金も払わずに、食事も、寝床も、最低限のものしか与えていないのでしょう?」

 

 

 レミリアは一度言葉を切ると、その唇に悪魔のような笑みを浮かべた。

 

 

「それこそ、さっきあなたが言った通りじゃない。まるで『奴隷』のようにね」

 

 

 その言葉は鋭い刃となって霊夢に突き刺さった。

 

 

 霊夢の纏う空気が明らかに変わる。それはもはやただの不機嫌ではない、明確で純粋な殺気だった。肌を刺すような殺気。レミリアから発せられる、全てを凍てつかせるような威圧。二人の強大な存在が今にもこの場で激突しようとしていた。

 

 

 その一触即発の空気をまずいと感じ取ったのか、今まで黙って成り行きを見守っていた魔理沙が慌てて二人の間に割って入った。

 

 

「ちょ、ちょっと待て待て! お前らこんな所で喧嘩するなよ!?」

 

 

 魔理沙はまず霊夢をなだめるように制止すると、次にレミリアに向き直り根本的な疑問をぶつけた。

 

 

「大体レミリア! お前なんで急にカイジなんかを欲しがるんだよ! こいつに何ができるって言うんだ!」

 

 

 その言葉にカイジも内心で激しく同意した。そうだ、その通りだ。なぜこの得体の知れない吸血鬼は、博打以外に何の取り柄もないただのクズ男をわざわざ名指しで欲しがるのか。全く意味が分からない。

 

 

 カイジと魔理沙の純粋な疑問。それを受けてレミリアはくすくすと心底楽しそうに喉を鳴らして笑った。その笑い声はまるで無邪気な子供のようだが、その瞳の奥にはカイジには理解できない深い叡智の色が浮かんでいた。

 

 

「決まっているじゃない。面白そうだからよ」

 

 

「面白そう…?」

 

 

「ええ。この男の『運命』は私にも見えないの」

 

 

 レミリアはまるで極上の玩具を見つけたかのように、その真紅の瞳を輝かせた。

 

 

「普通、人間や妖怪にはその者が辿るであろう『運命の糸』というものが見えるものなのだけれど……この男の糸はまるでぐちゃぐちゃに絡まった毛糸玉のよう。過去も、未来も、本来あるべき姿も、何もかもがチグハグでどこに繋がっているのか全く見えない。まるで運命そのものがまだ決まっていないみたいにね」

 

 

 その言葉を聞いて、カイジはより一層混乱の渦に叩き込まれた。運命が見えない? 運命の糸? こいつは一体何を言っているんだ。

 

 

(頭がおかしいんじゃないのか、こいつ……)

 

 

 カイジは本気でそう思った。だが、レミリアはそんなカイジの内心を見透かすかのようにさらに言葉を続ける。

 

 

「だからこそ、面白い。だからこそこの男を私の近くに置いて、この先どんな数奇な運命を辿るのかこの目で見届けてみたいのよ」

 

 

 その物言い。その眼差し。

 

 

 それは対等な人間に対するものではない。まるで珍しい昆虫や血統書付きのペットを欲しがる時のそれと同じだった。

 

 

 カイジの中でじりじりと怒りの炎が燃え広がり始めるのを感じた。この小娘は俺を、俺の人生をただの「見世物」として弄ぼうとしている。

 

 

 そのあまりにも傲慢で、屈辱的な提案にカイジは苛立ちを隠せなくなっていた。

 

 

 カイジがその屈辱的な提案に怒りの言葉を発しようとするその直前。隣に座る霊夢が氷のように冷たい声でレミリアの娯楽趣味を一刀両断した。

 

 

「断る、と言ったはずよ。あんたのそんな気色の悪い娯楽のためにこいつを差し出す義理も協力するつもりも私には一切ないわ」

 

 

 そのあまりにも直接的で侮辱の色を隠そうともしない言葉。その瞬間、今までレミリアの背後に影のように控えていた咲夜の纏う空気が明らかに変わった。

 

 

「……いくら博麗の巫女といえど、今の言葉は聞き捨てなりません。お嬢様に対してあまりに無礼です。言葉を慎んでいただきたい」

 

 

 咲夜がこのお茶会で初めて自らの意志で口を開いた。その声は静かだが、主人を侮辱されたことへの明確な怒りが込められている。その瞳はもはや霊夢をただの巫女としてではなく、主人の敵として冷徹に捉えていた。

 

 

 しかし霊夢はそんな咲夜の殺気立った視線を受けても謝ることも、怯むこともない。ただ、黙ってレミリアを睨みつけ、一歩も譲るつもりはないという姿勢を崩さなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 今度はレミリアの方が心底面倒くさそうにため息を吐いた。そして、一度霊夢から視線を外すと再びカイジの方へと向き直る。

 

 

「……分かったわ。ただで寄越せ……とは言わない。もちろん、私の従者になってもらうからにはそれ相応の対価を支払うわ」

 

 

 レミリアはまるでカードを切るように次々と条件を提示し始めた。

 

 

「まず、あなたの働きに見合うだけの十分な給金。そして、我が紅魔館での完璧な衣食住の保証。休みは週に二日。半年間真面目に働けば有給休暇も与えてあげる」

 

 

 その言葉を聞いて、カイジの中で燃え上がっていた怒りの炎がぴたりと止まった。

 

 

 給金。保証された衣食住。そして、休日。

 

 

 それはカイジが元の世界でも決して手に入れることのできなかったあまりにも完璧な好待遇。今、自分が置かれている、給金ゼロ、寝床は物置、休みなしの「奴隷」生活とはまさに雲泥の差だ。

 

 

 カイジの心がぐらりと揺れる。そのあまりにも分かりやすい反応を見てレミリアは確信したように最後の切り札を切った。

 

 

「──そして」

 

 

 彼女はカイジの目を真っ直ぐに見据え、悪魔のような笑みを浮かべて告げる。

 

 

「特別に()()()に会わせることを約束してあげるわ」

 

 

「……なんだとッ!?」

 

 

 カイジは思わず椅子から立ち上がりそうになった。八雲紫……自分をこの狂った世界に引きずり込んだ全ての元凶であるあの金髪の女の名前。

 

 

 レミリアはカイジの動揺を楽しみながらさらに言葉を続けた。

 

 

「来月、あいつとは少し込み入った話があってね。私の紅魔館に来る予定になっているの。その時にあなたにも話をする機会を私が設けてあげる。元の世界に帰れるかどうか、直接交渉してみるいい機会じゃないかしら?」

 

 

 その提案はカイジにとって抗うことのできない、あまりにも甘美な響きを持っていた。

 

 

 元の世界に帰るための唯一の手がかり。それを聞いた瞬間、カイジの心はもはや完全に紅魔館の主へと傾いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──待ちなさい」

 

 

 霊夢の静かだが、鋭く尖った声がその甘い空気を切り裂いた。彼女は椅子に座ったまま、冷え切った視線でカイジを見据えている。

 

 

「あんた、本気でその話を信じるつもり? 仮に八雲紫が紅魔館に来るのが本当だとして…そして、万に一つの奇跡であんたを元の世界に帰してやると言ったとして……。この吸血鬼が素直に『はい、さようなら』って、あんたを手放してくれるとでも思うの?」

 

 

 霊夢の言葉がカイジの頭に冷や水を浴びせかける。

 

 

「こいつはさっき何て言った? あんたの『運命』を見届けたい、と言ったのよ。自分の娯楽のためにあんたをペットのように側に置きたいと。それなのに紫と交渉できたらあっさり元の世界に帰してもいいなんて……話が矛盾しているじゃない」

 

 

「……ッ!」

 

 

 カイジはハッと我に返った。そうだ、その通りだ。あまりの好待遇と「八雲紫」というキーワードに完全に目がくらんでいた。この吸血鬼の最初の目的は俺の人生を「観察」すること。そんな奴がみすみす観察対象を手放すだろうか。

 

 

 危なかった。またしても目先の欲望に釣られて本質を見失うところだった。カイジの額にじっとりと冷や汗が滲む。

 

 

 霊夢の的確な指摘にレミリアは「チッ」と、初めて隠すことなく小さく舌打ちをした。そして、少しだけ不機嫌そうな顔で、しかしすぐにいつもの余裕を取り戻して答える。

 

 

「そこは、『要相談』というやつよ。別に完全に私の所有物になるわけではないのだから。時々、私の元に戻ってきてその後の運命を見せてくれるという契約でもいい。あるいは、もしあなたが本当に元の世界に帰るというのなら……それもまたあなたの辿る一つの『運命』なのでしょう。私はただその結末を見届けたいだけ」

 

 

 その言葉は一見もっともらしく聞こえる。だが、その中には「最終的な判断は、全て私が行う」という傲慢な響きが隠されているのをカイジは見逃さなかった。

 

 

 この吸血鬼は決して対等な取引相手ではない。あくまで自分を「上」の立場に置こうとしている。

 

 

 カイジの心に、再び警戒の炎が灯った。

 

 

 そうだ、このまま相手の土俵で踊らされていては結局搾取されるだけだ。地下の強制労働施設でペリカという名の幻想に踊らされたあの愚かな日々を繰り返すことになる。

 

 

 ならば、やることは一つ。

 

 

「……いいだろう」

 

 

 カイジは椅子に深く座り直し、まるでポーカーテーブルで相手と対峙するかのようにレミリアを真っ直ぐに見据えた。

 

 

「俺が今から言う条件を、あんたが全て飲めるって言うなら……紅魔館で働いてやってもいい」

 

 

「はぁ!? ちょっと、あんた何勝手なこと言ってんのよ!」

 

 

 隣から霊夢の鋭い声が飛んでくる。彼女は「こいつは私の奴隷だと言ってるでしょ」と言わんばかりの強い眼差しでカイジを睨みつけていた。

 

 

 しかし、カイジはもはやその視線を無視した。これは俺の人生を賭けた交渉だ。誰にも口出しはさせない。カイジはただひたすらに目の前の吸血鬼の反応を窺う。

 

 

 レミリアはカイジのその予期せぬ反抗に一瞬、その美しい顔を不快そうに歪めた。だがすぐに興味深そうな表情を取り戻し、その小さな顎をくいっと上げてみせる。

 

 

「……面白いじゃない、言ってみなさい。その度胸に見合うだけの面白い条件を期待しているわ」

 

 

「よし……」

 

 

 カイジは、一度、ごくりと喉を鳴らした。そして、帝愛との数々の死闘で研ぎ澄まされた博徒としての交渉術を今、この場で解き放つ。

 

 

「まず一つ。俺は『従者(奴隷)』にはならねえ。あくまであんたに雇われる『従業員』だ。つまり俺とあんたは対等な契約関係。ペットでも主従関係でも断じてない。これをまず認めろ」

 

 

「……ほう」

 

 

「二つ。給金は前払いだ。半年分を現金で一括。この世界の通貨がどうなってるか知らねえが、不自由なく暮らせるだけの額を契約時にきっちり支払ってもらう。これはあんたが俺を途中で切り捨てないための、そして俺が逃げ出さないためのお互いにとっての『担保』だ」

 

 

「…………」

 

 

「そして三つ目。これが一番重要だ。八雲紫との面会はただ『機会を設ける』だけじゃダメだ。俺が『元の世界に帰るための交渉』を紫と一対一で行う場をあんたが責任をもってセッティングする。そして、その交渉にあんたは一切口出しをしない。もし俺が交渉に成功し、帰れることになった場合、あんたは無条件で契約を破棄し、俺を解放する。この三つだ。この全てを飲めるならあんたの『娯楽』に付き合ってやる」

 

 

 カイジが全ての条件を言い終えた瞬間、テーブルを囲む空気が絶対零度まで凍りついた。

 

 

 レミリアの顔から完全に表情が消えていた。

 

 

「……ほぉ……」

 

 

 彼女の唇から吐息のような声が漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……よくも……ただの人間の分際でこの私にそのような口が利けたものだな

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、レミリアから放たれたのはもはや威圧などという生易しいものではなかった。純粋な凝縮された『死』そのもの。

 

 

 カイジの全身の細胞がその圧倒的なプレッシャーに悲鳴を上げ、本能が「逃げろ」と警鐘を乱れ打つ。

 

 

 正直ちびりそうだ。目の前の少女が指一本動かすだけで、自分など塵芥のように消し去ることができる、絶対的な捕食者であることを魂で理解させられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、ここで引いては負けだ。

 ここで臆すれば、一生奴隷のままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 博徒として、数々の死線を潜り抜けてきた男として、ここで引くことだけは己の誇りが許さない。

 

 

 カイジは震える膝を必死に押さえつけ、奥歯を噛み締め、その殺意の奔流にただひたすらに耐えた。その瞳だけは決して目の前の吸血鬼から逸らさなかった。

 

 

 

 

 

ざわ…                                    ざわ… 

                      ざわ…

       

                          ざわ…

 

 ざわ… 

        ざわ…      ざわ…

 

                ざわ…          ざわ…

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。数秒か、あるいは数分か。

 

 

 やがて、レミリアはふっと、そのプレッシャーを霧が晴れるように消し去った。カイジの全身から一気に力が抜ける。全身が汗でぐっしょりと濡れていた。

 

 

 レミリアは一歩も引く様子のないカイジのその胆力にこれ以上の脅しは無意味だと悟ったのか、今度は指先を自身の唇に当て、考える素振りを見せ始めた。その目はもはやカイジをただの人間としてではなく、交渉に値する「相手」として冷静に分析しているようだった。

 

 

 再び静寂が場を支配する。

 

 

 やがて、レミリアはまるでチェスの次の一手を決めたかのようにその唇を開いた。

 

 

「……いいわ、面白い。あなたのその度胸、買ってあげる。ただし、その条件一部修正させてもらうわ。その内容でよければ飲んであげましょう」

 

 

「……修正内容を聞こうか」

 

 

 カイジはまだ痺れの残る身体に鞭打ち、なんとか声を絞り出した。

 

 

 レミリアはまるでゲームを楽しむかのように、その修正案を一つ一つ丁寧に告げ始めた。

 

 

「まず一つ目。『対等な契約関係』、これは認めましょう。ただし、あなたは()()()()()()()()()()()()()こと。私の命令は業務命令として原則拒否権はないものとする。これは従業員として当然の義務よ」

 

 

「……まあ、いいだろう」

 

 

「二つ目、『給金の前払い』。これはあまりに信用がないわね。なのでこうしましょう。契約時にまず一ヶ月分を前払いする。その後は毎月月末にきっちり支払う。これならあなたも当面の生活には困らないし、私もあなたの働きぶりを評価する時間ができる。お互いにとってフェアな条件でしょう?」

 

 

「ぐっ……」

 

 

 カイジは言葉に詰まる。確かに正論だ。半年分の一括払いはあまりに虫が良すぎたかもしれない。

 

 

 そしてレミリアは最も重要な三つ目の条件について、その真紅の瞳を細めて告げた。

 

 

「そして、三つ目。『八雲紫との交渉』。私がその場をセッティングし、交渉に一切口出しをしないというところまでは約束しましょう。ただし、『もし交渉に成功した場合、無条件で契約を破棄する』、これは認められないわ」

 

 

 レミリアはカイジの心を弄ぶかのように一度言葉を切った。

 

 

「交渉がどうなろうと、あなたとの契約期間は最低でも一年。その一年間は何があってもあなたは私の下で働いてもらう。その代わり、もし一年後あなたがまだ元の世界に帰ることを望むのならその時は私もあなたの解放を前向きに検討してあげる。どうかしら? これが私の最大限の譲歩よ」

 

 

 それはカイジの提示した条件の最も核心的な部分を巧みに骨抜きにする悪魔的な修正案だった。

 

 

 八雲紫と会える。交渉もできる。だが、その結果がどうであれ最低一年間はこの吸血鬼の支配下からは逃れられない。

 

 

 カイジがレミリアから提示された悪魔的な修正案を前に思考を巡らせていたその時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 バンッ!! 

 

 

 

 

 

 テーブルが割れるのではないかというほどの凄まじい音が響き渡った。

 

 

 音の主は霊夢だった。彼女はテーブルに両手をついて立ち上がり、その瞳は純粋な怒りの炎で燃え上がっていた。

 

 

「あんたたち、さっきから聞いてれば、何勝手に話を進めてんのよッ!!」

 

 

 その怒声は今までで一番感情が剥き出しになっていた。

 

 

「そもそも大前提がおかしいじゃない! こいつをどこで雇うだの条件がどうだの……。こいつは今、私のところで私の奴隷として働いてもらってるの! あんたたちに処遇を決める権利なんて微塵もないのよ!」

 

 

 霊夢のその主張にレミリアはまるで癇癪を起こす子供を見るかのように冷ややかに、そして面白そうに問い返した。

 

 

「それはあなたが一方的にそう思っているだけでしょう? 彼が本当にあなたの『奴隷』であるという法的な根拠はどこにあるのかしら?」

 

 

「根拠ならあるわよ! こいつとはちゃんと契約を交わしてるわ!」

 

 

 霊夢は自信満々にそう言い放った。しかし、レミリアはその言葉を待っていたかのようにさらに畳み掛ける。

 

 

「契約、ね。面白いことを言うわね。じゃあその契約にちゃんとした期限は定められているのかしら? そもそもその契約内容を記した契約書は存在するの?」

 

 

「……ッ!」

 

 

 レミリアの的確な追及に、霊夢の言葉が一瞬詰まった。

 

 

「……そんなもの、あるわけないでしょ。無くても十分よ」

 

 

 その苦し紛れにも聞こえる答えを聞いてレミリアは勝利を確信したようにくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

 

「あらあら、それじゃあただの口約束じゃない。そんなものは契約とは言わないわね。法的な拘束力など何もない、ただの子供の約束事よ」

 

 

 そのあまりにも正論で、そして徹底的に霊夢の主張を否定する言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

……あ゛?

 

 

 

 

 霊夢の額にくっきりと青筋が浮かび上がった。彼女の纏う空気が殺気からもはや純粋な破壊の衝動へと変貌していくのがカイジにも肌で感じられた。

 

 

 霊夢の怒りが沸点に達し、この場の全てが破壊されかねない。そのあまりにも危険な空気をレミリアはまるで楽しむかのようにふっと、その表情を和らげた。

 

 

「しかしまあ、このままではあまりにあなたが哀れだわ。一方的に大事な(?)労働力を奪われるだけでは博麗の巫女としての面子も立たないでしょう」

 

 

 レミリアは一度言葉を切ると、まるで慈悲を施す女王のような口調で霊夢に語りかけた。

 

 

「だから特別に、もしあなたが素直にカイジを私に差し出すというのなら……一つ、あなたにとっても非常に『美味しい』取引をしてあげてもいいわよ」

 

 

 その言葉に霊夢は何も答えない。しかしその目は「話してみろ」と雄弁に語っていた。怒りは収まっていないが、少なくとも交渉のテーブルに着く意思はあるらしい。

 

 

 レミリアはその反応を見て満足げに微笑むと、霊夢の最も弱い部分を的確に突く提案を口にした。

 

 

「私の館、紅魔館にはね、長年仕えている優秀な妖精メイドたちが大勢いるの。けれど最近は少し妖精が余っていて、困っていたところなのよ」

 

 

 彼女はわざとらしくやれやれと首を振ってみせる。

 

 

「そこでどうかしら? カイジを一人私に譲ってくれるなら、その代わりに我が紅魔館の妖精メイドを三人、この神社に一年間無償で派遣してあげるわ」

 

 

「……なんですって?」

 

 

 霊夢が初めて怪訝な声を上げた。

 

 

 レミリアはその反応を楽しみながらさらに言葉を続ける。

 

 

「彼女たちは掃除、洗濯、料理、その他ありとあらゆる家事を完璧にこなすプロフェッショナルよ。この広くて、古くて、手入れの行き届いていない神社を毎日ピカピカに保ってくれるでしょうね。もちろん食事の心配も一切なくなるわ。あなたは指一本動かすことなく毎日三食昼寝付きの優雅な生活が送れるようになる」

 

 

 その提案はあまりにも魅力的だった。

 

 

 カイジという扱いにくく、文句ばかり言う素人の男一人。それと引き換えに、家事のエキスパートであるメイドが三人一年間も無償で手に入る。

 

 

 それは常に人手不足と財政難に喘いでいるこの博麗神社にとって、まさに起死回生の一手。博麗の巫女としての威厳やプライドをかなぐり捨ててでも飛びつきたくなるほどの悪魔的な取引だった。

 

 

「どうかしら、博麗の巫女。 口先だけで働きも中途半端な男一人と、完璧な家事をこなすメイド三人。どちらがあなたにとって『価値』があるか……。賢いあなたならすぐに分かるでしょう?」

 

 

 レミリアはそう言って霊夢の返答を待った。その瞳はもはやこの取引が成立することを微塵も疑っていなかった。

 

 

 霊夢はその提案を聞くと、ほんの数秒まるでソロバンを弾くかのようにその黒い瞳を動かして損得勘定をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、次の瞬間。

 

 

 

 

「……いいわ。その取引乗った」

 

 

 彼女はあまりにもあっさりとその条件を飲んだ。

 

 

 それどころか、その口元には今日初めて見せるほんのりとした、しかし確かな満足の笑みさえ浮かんでいる。カイジ一人を差し出すことで得られるあまりにも大きな利益を前に、彼女のプライドや意地など何の価値も持たなかったのだ。

 

 

 そのあまりにもドライで即物的な決断。

 

 

 カイジはその様子を見て胸の奥がずきりと痛むのを感じた。

 

 

(……なんだよ、結局……)

 

 

 奴隷だの私のものだのと言いながらも、心のどこかでほんの少しだけ期待していたのかもしれない。この巫女が自分のことをただの労働力としてではなく、少しは仲間として、あるいは守るべき対象として手放すのを惜しんでくれるのではないか、と。

 

 

 だが、それは完全なる思い過ごしだった。

 

 

 彼女にとってカイジはただの雑用係。メイド三人と天秤にかけられれば即座に切り捨てられる程度の存在でしかなかったのだ。

 

 

 カイジがその複雑な心境を噛み殺していると、レミリアは勝負の決着がついたとばかりに再びカイジの方へと向き直った。

 

 

「まあ、私と霊夢の間で話がまとまっても、結局、あなたがこの条件を飲まなければ意味がないのだけれどね」

 

 

 その言葉は一見、カイジの意思を尊重しているかのように聞こえる。だが、その瞳は「あなたに断るという選択肢はないでしょう?」と、雄弁に語っていた。

 

 

(クソアマが……!)

 

 

 カイジは内心で毒づいた。

 

 

 そうだ、その通りだ。条件を飲むか飲まないかではない。俺にはもはや『飲む』という選択肢しか残されていないのだ。

 

 

 レミリアが修正したあの悪魔的な条件にこれ以上抗議する余地などない。もしここでさらにごねようものなら今度こそ本気で殺されるかもしれない。霊夢や魔理沙が止めに入ってくれるかもしれないが、確実にこの吸血鬼の恨みを買うことになる。

 

 

 そして何より、今のこの霊夢の状態だ。彼女はもはや俺の味方ではない。むしろ、俺がこの条件を断れば、「あんた、さっさと条件を飲みなさいよ。私のメイド三人がかかってるんだから」と、平然と言い放つだろう。

 

 

 どのみち、もう道は断たれた。四方八方を完璧に塞がれている。

 

 

 この女、レミリア・スカーレット。交渉があまりにも上手すぎる。

 

 

 結局、カイジは最初からこの女の掌の上で気持ちよく踊らされていただけだったのだ。

 

 

 カイジは全ての抵抗を諦め、まるで死刑判決を受け入れる罪人のように重々しく、そして力なく頷いた。

 

 

「……わかった。その修正案を……飲む」

 

 

 その言葉を聞いて、レミリアは今日一番満足げな笑みを浮かべた。

 

 

「ふふっ、賢明な判断だわ。──契約成立、ね」

 

 

 彼女はまるで勝利宣言のようにそう言うと、すっと立ち上がった。

 

 

「それじゃあ正式な契約書を咲夜に作らせて、明日、改めてここに届けさせるわ。サインをする準備をしておきなさい」

 

 

 レミリアは用は済んだとばかりに踵を返す。

 

 

「それまではこの神社でおとなしくしていることね。……元・ご主人様によろしく」

 

 

 その皮肉な言葉を残し、レミリアと咲夜は来た時と同じように神社の石段を下って闇の中へと消えていった。

 

 

 残されたのは、複雑な表情のカイジと、どこか気まずそうな魔理沙。そして、これから始まる優雅な生活を夢見て上機嫌な霊夢だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は変わり、夜。

 

 

 あれから魔理沙も「研究の続きがあるから」と、嵐のように帰っていき、博麗神社には再びいつもの静寂が戻っていた。

 

 

 カイジは霊夢と二人ちゃぶ台に向かい合って、最後の夕食を食べている。

 

 

 今日の夕食は霊夢が作ったものらしかった。ちゃぶ台に並んでいるのは、カイジが作ったものと大差ない質素な食事。炊き立ての白米と豆腐だけが浮かんだ味噌汁。そして、皿の上には少し焦げた目玉焼きが二つ。ただ昨日と唯一違うのは、魔理沙が人里で買ってきたのであろう安いきゅうりの漬物が小鉢に添えられていることくらいだった。

 

 

 二人は特に言葉を交わすこともなく、ただ黙々とそれぞれの箸を進める。カツ、カツ、と食器の触れ合う音だけが静かな夜の空気に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、その沈黙が破られたのは食事が半分ほど進んだ頃だった。

 

 

 

 

 

「……一日と、ほんの少しだけの時間だったけど」

 

 

 ふと、霊夢が目の前の味噌汁を見つめながらぽつりと呟いた。

 

 

「あんたは……まあ、よくやってくれたわ。薪割りも、水汲みも、掃除も。文句ばっかりだったけどね」

 

 

 そのあまりにも素直な労いとも取れる言葉。しかし、カイジは昼間の出来事がまだ胸につかえていた。

 

 

「……そうかよ」

 

 

 カイジはぶっきらぼうに冷たくそう返すだけだった。

 

 

 一見すれば二人の関係は昼間の取引を経て、ぎくしゃくしてしまったように見える。

 

 

 だが、不思議なことに、カイジも、そしておそらく霊夢も、この多くを語らない少しだけ距離のある空気を決して不快だとは思っていなかった。むしろ、互いに干渉しすぎないこの関係性が二人にとっては最も心地の良いものだったのかもしれない。

 

 

 食事を終え、風呂に入り、カイジは相変わらず物置同然の埃っぽい空間に敷かれた布団で横になった。

 

 

 明日からのことを考える。

 

 

 レミリア・スカーレットというまだまだ未知の、そして底知れない力を持つ吸血鬼。彼女が住むという紅魔館という場所。そこで自分に一体どんな出来事が待ち受けているのか。不安は鉛のように重く、心を沈ませる。

 

 

 しかし、とカイジは思う。

 

 

 地下の強制労働施設、死の鉄骨渡り、人喰い沼パチンコ『沼』……。これまで数々の絶望的な状況を、知恵と、勇気と、悪運の強さで乗り越えてきた。

 

 

 それに比べればまだマシだ。給金も、寝床も、食事も保証されている。そして何より、元の世界に帰るための唯一の手がかりがある。

 

 

「……やってやるさ」

 

 

 カイジは誰に言うでもなく、そう呟いた。

 

 

 どんな逆境だろうと、どんな理不尽だろうと、食らいつき、利用し、そして必ず生き残ってやる。それが伊藤開司という男の生き様だった。

 

 

 カイジは覚悟を決めた。そして、明日からの新たな戦いに備えるためゆっくりとその目を閉じるのだった。




お読みいただきありがとうございました!

霊夢さんあっさりカイジを手放すな……と思うかもしれませんが、カイジと出会ってまだ1日と数時間ほどだし当たり前だよね…

また私の中でレミリアはカリスマ(笑)の姿も好きなのですが、頭脳戦をするのならカリスマ(ガチ)の方が良いかなと思い結構原作よりにしてます!

レミリアの性格について

  • カリスマ(ガチ)
  • カリスマ(笑)
  • どちらもありうる……そんだけだ
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