ある者、セイシュンを掴むまで SEISHUNTALE!   作:ケガレモ

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序章──激動の始まり、ハジマリの選択
『最後の回廊』


 

──ああ、やり直したい。

 

困難や挫折に直面した時か、理想と現実のギャップを痛感した時か、優秀な他人に焦燥感を抱いた時か、己の過去の選択を後悔した時か──。

 

それらの中のいずれかか、それらすべてなのか、もしくは他の理由があるのかは知らないが、とにかく人生をやり直したいと、そう思ったことがないだろうか。

 

一度でも思ったことがあるなら、一つ仮定の話を聞いて欲しい。もしその時に神と言える存在から、何度でも好きなだけ時間を巻き戻すことができる力を突然授かったとしたら、人は一体どうするのかと。

 

結論から言ってしまえば、彼らはその力を使い、満足するまで選択をやり直し続けるのだろう。気の向くままに、好奇心の(おど)るままに、諦めることを知らず突き進むのだ。

その一歩一歩に、前のような迷いや躊躇(ためら)いは微塵(みじん)もない。なぜならもう、失敗など気にする必要がないのだから。

 

そして彼らはその歩み行く先で、力を得る前は知れなかったことを知り、経験できなかったことを経験し、神になったような全能感と未知の快感に酔いしれるのだろう。

 

その刹那の愉悦をまた欲して、彼らはまた幾度となく選択をやり直す。それでも好奇心が満たされることはなくて、『時間を戻せば良いから』と言い訳して、ついに罪を犯し始めるのだ。

 

そうして繰り返すうちに、いつの間にか倫理観は自分に都合良く歪み、罪悪感といったモノは欠如し、何が悪か、何が善か分からなくなる。

 

いや、それは違うか。彼らにとってそれは、もはや考える必要もない雑念になっているのだろう。何かをしたいと思う時、常識やルールや善悪なんてモノは彼らにとって知った事ではないのだ。

 

もう一度言うが、これは仮定の話だ。だが、そんな神に愛されたような奴がいるなら、その力を使ってみんなを幸せにする義務があるんじゃないだろうか。正しいことをする責任があるんじゃないだろうか。

 

 

──どうせ、こんなこと話したって意味なんてない。

 

 

決まりきった最期(エンディング)ほど(むな)しいものはない。どんなに足掻いても、どんなに最適な選択をしても結果は変わらないこと──。

 

ようするに、それに対する解決策がないってことだ。どんなに優秀な科学者でも(さじ)を投げるようなクソみたいな現実。それは今、もうすぐ来る『アイツ』にそれを感じた──いや、感じてきたというのが正しい。

 

──そろそろだ。

 

「────」

 

静寂(せいじゃく)に包まれていた回廊に短く、しかし決して大きくはない足音が残響する。その音の持ち主の顔は支柱の影に隠れ、視認することはできない。だが、染み付いた『塵』の臭いは嫌でもオレの鼻腔を(くすぶ)ってくる。

 

「よう、クソガキ。相変わらず、忙しそうで何よりだな?」

 

憎まれ口を叩いてみるものの、相変わらず返事はない。

だが、『アイツ』の口角が少し吊り上がり、この状況を愉しんでいることは分かった。

 

──反吐が出る。

 

漏れ出そうになる激情を抑え、一呼吸置く。そして、いつも通りの口調でオレは続ける。

 

「お前に聞きたい事がある。どうしょうもない悪党でも努力すれば変われると思うか?──誰でもいい人になれると思うか?」

 

かつて、弟は言った。

 

『努力すれば、誰でも立派な奴になれる』と。

 

だから、信じてみようと思ったんだ。弟を信じてやるのが兄の愛ってやつだし、どんな奴にもチャンスってのは平等に配られるべきだから。そう、思っていたから。

 

「でも、お前はその期待を裏切ったよな」

 

「────」

 

「まぁ、好奇心の奴隷であるお前に、何言っても意味ないってことは、これまででよーく分かったぜ?」

 

──誰一人傷付けず、困っている奴ら全員に手を差し伸べる。

 

──目に付く奴ら全員を傷付け、暴虐非道の限りを尽くす。

 

それらはどちらも、『アイツ』が選択してきたことだ。何度も世界をやり直して、豊富な知識と幾千の修羅場(しゅらば)を越えた経験を身に着けて、どんな結末が訪れるかくらい分かっている癖に。

 

それでも少しでも気になる事があれば、己の好奇心を満たすために『アイツ』は──彼ら(プレイヤー)はハーピーエンドをやり直し、バットエンドにすることを欠片も(いと)わない。

 

それを知っていたのに、それでもまだその力をみんなが幸せになるために使ってくれると、正しい事をしてくれると、そんな期待をしていた自分がいたのは、まだ心の片隅に一縷(いちる)の希望を抱いていたからなのか。それとも、救うことを諦め、怠けた自分を正当化するための口実が欲しかったのか。

 

──今となってはもう、考えても無駄なことだ。

 

「────」

 

罪の重さに比例しないステップを踏むような軽い足音は、ゆっくりとこちらに近づいてくる。そこで、塵が付いたくたびれたナイフを掲げ、これみよがしにオレに見せつけていることに気付く。

 

「へへへ、そうかい。では、質問を変えよう⋯⋯と思ったけど、お前はもう既に一度この忠告は聞いてるはずだ。だから、もう不要だよな」

 

いつだって世界は彼ら(プレイヤー)だけを寵愛し、それ以外は総じて、奴らを愉しませるためだけの玩具でしかない。その永久に変わることのない事実を再び強く噛み締めて、オレは床に向かって吐息した。

 

「⋯⋯さっさと、始めようか」

 

それは、ただ空しかった。本当に無価値で、無意味で、無為で。

それでも、もしこの(すた)れた喜劇を面白いと思って、愚かな自分を笑ってくれる奴が一人でもいたら、オレは少しだけ救われたのかも知れない。

 

 

 

 

 

──まぁ、誰も答えてくれる奴なんて、居ないんだけどな。

 

 

 

 

 

 

意識が朦朧(もうろう)とする。身体から力が抜けていくことだけが分かる。思考が鈍化し、暑いような寒いような。そんな簡単なことすら、感じなくなってきてしまった。

 

切り裂かれたところから血が溢れ、身体が軽くなっていくような感覚は、己の存在が、命が、この世から(こぼ)れ始めている証左だ。この感覚も慣れたきた──いや、慣れてしまったのか。

 

 

──また、繰り返すのか⋯⋯。

 

 

消えゆく意識で最後に願ったのは、何てことなくて、それでいて掴めるはずもない、すべてを諦めた怠惰(たいだ)な『サンズ』に掴んでいいはずがない、幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──私のミスでした。私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況。 結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて⋯⋯。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ます、始まりの合図だ。ただ何となく、いや明らかにいつもと違和感があった。常に倦怠感を身に纏っていたはずなのに、今はなぜかそれがない。それでも、頭蓋を(つんざ)くような痛みは変わらずあるのだが、それは今となっては関係のないことだ。

 

──違和感。

 

意識を視線に移すと、そこには天井があった。そう直感的に思ったのは、淡く光を(とも)した照明器具らしきものがそこに見えたからだろう。

上体をゆっくりと上げる。ぼやける視界はゆっくりとピントが合っていき、景色を鮮明に写し上げ、鮮烈に色を持たせていく。

 

「⋯⋯どうなってるんだ?」

 

それは目に映る光景に対する、オレの心からの疑問だった。

 

 

*

 

 

少し、整理した。まずは状況確認、これはどこでも共通の(おきて)のようなものだ。周りを軽く見渡し、とりあいずここが誰かの部屋だということが分かった。

 

「うーむ」

 

唸るような声を上げた先には、二メートルくらいの鏡がある。そこに映るのは、綺麗な青髪を短く切り揃えた少女だ。

翡翠(ひすい)の瞳はエメラルドのような輝きを纏い、肌はきめ細やかで美しく、可憐だ。簡潔に特徴を捉えて言うとするなら、それは美少女の他ないだろう。

 

その少女は疑念に満ちた表情を浮かべながら、恐る恐る、両頬を両手でペチペチと軽く叩く素振りをしていた。

それは、オレのしていたことと完璧に一致していて、手についた感触は常軌を逸して柔らかく、撫でてみると予想通りスベスベとして気持ち良かった。

 

視線を落とすと、ゆったりとした服装──恐らく寝巻きだと思われる物が見え、胸部に少し膨らみも確認できた。そしてその様子は、鏡に見えるその少女の物と見事に、完璧に合致していた。

 

「────」

 

まぁ、もう理解はしている。ただ理解したくなかった、と思う。どうやら、オレはこの少女になってしまったらしい。

 

「まーじかよ」

 

その声にどんな感情が入り混じっていたか、複雑すぎて自分でも分からない。大きく息を吸い、そして大きく息を吐く。

深呼吸を終え、もう一度、視線を鏡に戻してみる。だが、やはりそこには相も変わらず美少女の姿がそこに見えた。

 

──オイラはサンズ、見ての通りスケルトンだ。

 

このあいさつの定型文も、もう使えないという訳らしい。そこじゃない感は否めないが、こっちは現実逃避で忙しいんだ。このくらい甘く見てくれよ。

 

「スッカスカの骨だけだったのに、まさか温かい肉がつくことになるとは思いもしなかったな。⋯⋯いや、そもそもこの身体にある骨もオレのじゃなくて、他人のだけど」

 

そう言って、思わず苦笑を溢す。死んで、気付いたら人間になっていた。だが、存外悪い気分ではなかった。不思議とこの体は自分に馴染んでいた、まるで最初から自分のモノだったように。──それに、

 

──何かが変わる、そんな気がしたから。

 

「いや、もう変わってる。人間になってたり、色々と変わりまくってる。んで⋯⋯」

 

そう言いかけ、オレは周りを再び見渡す。

 

「はぁ、どうしたもんか」

 

現実から逃げても、いつか必ず追い付かれる。こうなってしまったもんは仕方ないので、諦めて次の行動を考えなくてはならない。傍観してても意味なんてない。

 

右手を顎に添え「うーむ」と思考に(ふけ)る。鏡を覗き、そんな姿すら絵になるなと思いながら数秒の沈黙がその場を包んだ。しかしながら、なにも思い付かなかった。

 

「⋯⋯取り敢えず、動くしか道はないよな」

 

ここが部屋だということは理解している。つまり入り口とかがある訳だ。だから、ひとまず部屋から出てまた考えよう。ペタペタと裸足で冷たい床を歩き、部屋の出口と思われるドアへと手を伸ばす。

 

「──ッ!!」

 

瞬間、猛然と開かれたドアが顔にあたる刹那、高速で身体を捻り、後ろに跳躍することでその脅威を回避した。

 

「おはよぉーッ! マイシスタァー! 今日も一日頑張ろうぜ?」

 

元気よく、物凄い声量がこの部屋に響き渡った。

 

 

*

 

 

この元気が溢れに溢れ、エネルギーに満ち満ちている彼女は、オレが入っているこの身体の妹にあたるらしい。あんなに大きな声で「マイシスター」とか叫ばれたら分からないはずないが、もう一つ理由がある。

 

この身体には、元の持ち主の記憶があった。憑依、とでも言うのだろうか。どうしてオレがこの身体になったのか、理由はさっぱり分からないが、この状況で自分がアンタの知る姉ではないと明かすのは悪手だろう。

 

可能性は少ないと思うが、それで殺されそうになったりするのは洒落(しゃれ)にならない。だから、彼女にその事実を打ち明けるのは、ちゃんと話す言葉を決めてからにしようと考えた。

そうして、オレは記憶を頼りにして、『いつも通り』を演じることにした。

 

「姉ちゃん、ちょっとお茶取ってくれない?」

 

「良いよ、ちょっと待ってね」

 

テーブルの上、オレの前にある麦茶の入った100均のプラスチックの容器を取り、「はい」と彼女に渡す。容器を受け取った彼女は「ありがとう〜」と笑顔で感謝を告げ、お気に入りの花柄のグラスにお茶を注いだ。

 

今は彼女といっしょに朝食を食べている。誰かと食事をしたなんていつぶりだろうか。朝食に出されたのは焼いたトーストにバターを塗り、目玉焼きをのせた物。シンプルな造形だが、味の調和は完成され、結論は美味い。それに、自分のために作ってくれたのだと思うと、さらに旨味は増していく──、

 

「──っ」

 

──違う。これは全部、オレに向けられたものなんかじゃない。彼女のその笑顔は、自分の姉に対するものなのだから。

 

申し訳ない──。そんな気持ちが確かに存在するのに、何も知らない彼女の笑顔を消したくない、と如何(いか)にも自分勝手な考えと。

知ってしまえば敵意を向けられてしまうかもしれない、と恐怖から逃げている自己保身な考えで、今だに演技をやめられていない自分の気持ち悪さに吐き気がした。

 

冴え切った眼と、考えが永遠と渦巻く頭。目を(つむ)ると次々と思考が浮かび、巡っていく。意味のある思考ではない、理論的な考えでもない。出口のない迷路のように、益体(やくたい)のない考えが浮かんでは消えていくのをただ繰り返すだけ──。

 

──これでいい、これでいいんだ。

 

必要なことだと割り切ろうとしても、罪悪感はオレを(むしば)むように(さいな)んでいく。そんな苦しさを無責任にも(まぎ)らわすためか、視線は勝手にずれていた。

 

その先で見えたのは『浮遊する円環状のモノ』だった。形容するなら、天使の光輪のようなモノと言うのが相応しいだろう。

それは妹の頭上に物理法則を明らかに無視したようにふわふわと浮かんでいて、自分の頭上を見てみれば、似たようなモノが存在していた。

 

途端に流れ込む記憶、それによると『ヘイロー』と呼ばれ、実体を持たず『生徒』という者達だけが所持するモノらしい。本来ヘイローは誰にしても白い輪っかのようにしか視えないらしいが、オレにははっきりと形や色が見えている。

 

オレのモノはとても薄い、ほぼ白に近い青色をしていて、何重にも幾何学模様が重なっているような見た目だ。ただ、所々欠けているのと、時折エラーが起きたように形がブレることがあるのが気になる点だ。

 

──前の『アイツ』にはなかったな。いや、見えなかっただけか?

 

「姉ちゃん手、止まってるよ? 何か考え事?」

 

妹が不思議そうに首を(かし)げてこっちに顔を向けている。それは愛する人に向けるような、慈愛に満ちた表情だった。それに心臓がキュッと締めつけられたような感覚が走ったせいで、少し反応が遅れる。それから直ぐに、オレは笑顔を取り繕って返事をする。

 

「いや、なんでもないよ、トースト美味しいね」

 

「そうかなぁ〜」

 

そう言うと、妹は満面の笑みというのが相応しいと思うほどに、口元が緩み、「えへへ」と照れた。それはどこか懐かしくて、愛おしくて、

 

──脳裏に、『みんな』が映る。

 

「────」

 

──今は気にするな。チャンスを無駄にするな。

 

「スゥー、ハァー」

 

深呼吸──。不思議なもので、その名の通り深く呼吸をするだけで気持ちは落ち着き、冷静さは戻って行く。そうしてやっと気分を一段落落ち着かせ、オレは彼女との雑談に再び耳を貸した。

記憶によると彼女はミレニアムサイエンススクールという学校の一年生らしく、エンジニア部に入部している。──そして、

 

「⋯⋯神秘?」

 

「うん。今、ちょっと研究してるんだよね」

 

彼女は今、その神秘とやらを研究しているらしい。朝食を取り終え、皿洗いをしていたときに彼女はそんな話をしてくれた。

それは生徒だけが持つ『不思議な力』を指す名称らしい。どこから発生しているのかも不明なそのエネルギーは、生徒達の全身に流れており、質や量などは個人差があると彼女から教えられた。

 

神秘は身体能力を上昇させたり、生命力や各器官の強化などができ、偶にそれで特殊能力を扱えたりする者もいるらしい。──つまる話、純粋な『力』なのだと言う。

 

その話を聞いて、オレがドアを開けられたとき、避けられたのはそのためだったのかと納得した。いや、前世のオレも同じくらいの反応速度ではあったのだが、さっきより身軽で俊敏な動きではなかった。

 

魔力を使えなくなったはずの人間が──それもただの少女が、なぜこんな常識外の動きができたのか不思議だったのだが、その神秘という力が身体能力を底上げしていたからだと考えると、腑に落ちた。そして、オレは確信した。この「力」があれば、今度こそ救うことができるのだと。

 

「そう! この力にはたくさんの可能性があるんだよ! すごいと思わない?」

 

「すごいね。手伝えることがあったら、何でも言ってくれよ?」

 

「うん、ありがとう!」

 

元気な声。それはとても優しくて、温もりを感じた。その屈託のない笑みがオレにではなく、己の姉に向けられたモノだということは分かってる。それでも、オレは彼女を守るためにここに来たんだと、そう感じた。──だから、

 

いつの日か、できるだけ早くしたいが、オレが彼女に姉の演技をしていたことを告白して、もしそれで自分を受け入れてくれたら──受け入れてくれなくても、この身体を元の持ち主に返すことができる時が来るまで、彼女の身とこの身を絶対に守り抜いて見せようじゃないか。

 

──オレは静かに、それでも堅く『決意』を胸にした。

 

 

*

 

 

オレがこの体になってから一週間が過ぎようとしていた。彼女の元気で明るい人柄もあって、すっかりここでの生活にも慣れた。

 

「──ん」

 

そんなある夜、突然目が覚めた。特に必要もない起床で、だからすぐに布団に潜り込んだのだが、妙に頭が冴えていて眠る気にはならなかった。なので、暇つぶしにコンビニに行くことにした。手早く外出用の服に着替え、財布をポケットに押し込み、家を出る。

 

そのコンビニは少し遠くにあって、品揃えが良いという点でよく利用していた。妹と一緒にそこで買い物をするのはここ三日間の日常だ。

そうして着いたコンビニで時間を潰してから、いくつかスナック菓子やジュースを買い、アイスを口にいれながらオレは帰路に着いた。

 

玄関に差し掛かった時、突如、肌が粟立つような酷い不快感が体を襲った。今まで感じたことのない『それ』は吐き気を催すほどにオレの精神を蝕んでいく──、

 

「──ッ!!」

 

心臓が早鐘のように鳴り響く。寒気を伴った突き抜けるような焦燥が、身体を無理矢理突き動かす。息を荒くして全力疾走し、その行き先は彼女の部屋へと一直線に向かっていた。

 

額についた汗がその恐怖から滲み出たものなのか、それとも悲鳴を上げる体を否定した代償なのか。そんな知る必要もないことを延々考えていなければ、精神が摩耗して擦り切れてしまいそうだった。

 

どうして、そこに行かなければならないと感じたのか分からない。分からないけれど、まだ間に合う気がして、だから走って、走って、そして見た。

 

「⋯⋯ぁ」

 

冷たい床に横たわる、姉と同じ綺麗な青髪の少女。生気の消えた顔は青白く、閉じられた瞳が開くことはもう二度とない。髪はボサボサに崩れ、纏う服装は(しわ)()れ、汚れ、ほつれている。それは、几帳面でおしゃれ好きな彼女にあるまじき失態だった。

 

「────」

 

頭にドス黒いモノが(めぐ)っていく。 視界が点滅して、酷い頭痛とそれに劣らない吐き気がした。 認めたくなかった。何かの間違いであって欲しかった。だがそれでも、理性な冷静に、冷徹にそれを吟味し、答えを出し──、

 

「──ッ! 神秘! 神秘を使えば、まだ!」

 

主語もなく、意味も通っていない音。それは相手に伝わることもなく、空間に満ちる静寂に()す。掌に込められた『神秘』は慈しむように淡い、青い光となって彼女に向かい、肉体を通り抜け、そしてその場にぽつりと消える。

 

──意味のない行為だ。

 

そんなこと分かっていたのに、それでも目の前の現実を夢だと思いたくて、幻だと信じたくて。だが、強く拒んでいた理解は、無情にも答えを伴ってついに辿り着いてしまった。

 

──彼女は、もう絶命しているのだと。

 

その可憐な表情が苦悶に満ちていないのは、それが痛みを感じる間もない一瞬のことだったからか。千切れたように消えた下半身、残った上半身の断面からは、捻じ切れた内臓が飛び出し、血と肉とよく分からないモノが混ざった、鼻腔を腐らせるような異臭がこの部屋に立ち込めている。

 

「────」

 

いつだってそうだ。怠惰で臆病で、力はあるはずなのにその力はいつも無価値に、無意味に、無為に終わる。

慢心していたんだ。人間になって、何か変わったと思ってた。でも、やはりオレはどうしょうもないクズ野郎だった。

 

力なく倒れ込んだ膝下に、床に溜まっていた冷たい血がゆっくりと染み込んでいく。それに気付かない代わりに、目の奥から込み上げてくる熱が溢れてしまわないように顔を上げたとき、それに気付いた。

 

窓から、一筋の月光が差していたこと。そしてそれは、一人の少女と一つの残骸を鮮明に照らし上げていたことに。

 

「ああ、やり直したい⋯⋯」

 

後悔と悲嘆に彩られたそのか細い声は、どこかに木霊(こだま)することもなく、沈黙の闇に掻き消えていった。

 

かくして、『サンズ』の『神楽ルル』としての演劇は、これにて終わることとなった。それが意味するは、演技を止めた『サンズ』が神楽ルルとして、この世界──『学園都市キヴォトス』という名の舞台で踊り狂う、本幕の始まりであった。

 

ルルさんとホシノさん、戦わせたいって人〜

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