赤日艦隊抜錨セヨ   作:佐竹福太郎

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前史

 一五世紀、明王朝が採った一つの選択が、この地域の未来を決定づけた。史実では外洋交易を制限したはずの海禁政策を、この時代の明はあえて布かない。大陸の港は常に開かれ、南海から東海にかけて数え切れない商船が往来した。福建や広東の港には中国商人の大船団が発着し、倭商の船は日本列島から生糸や硫黄を運び、朝鮮の商人は米や木材を積んで東シナ海を渡った。そこへ早くも欧州人が姿を現し、交易は国際化の色合いを強めていった。

 

 一六世紀、日本列島にも欧州人が来航する。鉄砲を始めとする西洋の技術や文化が伝来する。火器といった新技術は戦国大名たちの権力構造を根底から揺さぶり、戦いの規模と残酷さを拡大した。一方、大陸と南洋を結ぶ海路では、ポルトガル人・スペイン人に加え、オランダや英国の商船も現れ、上海や広州は「アジアの国際都市」と呼ぶにふさわしい活気を帯びていった。すでに東アジアは孤立した文明圏ではなく、世界経済の一部として組み込まれていたのである。

 

 一八世紀、清の支配はなお広大であったが、その経済の裏側には脆さが潜んでいた。英国は茶や絹を求めて中国貿易を拡大し、見返りとして大量の銀を流入させた。その銀が尽きるころ、両者の摩擦は激化し、十九世紀初頭、ついに火を噴く。

 

 一八〇二年、上海近海で大砲が轟いた。「アヘン戦争」である。清の南洋艦隊は英国の東洋艦隊に敗れ、上海条約によって香港が割譲され、主要港が通商のために開かれた。以後、清の財政と軍事は坂を転げ落ちるように衰え、ついに江南で勃発した辛卯大乱――太平天国にも比される反乱を鎮圧できず、国家は分裂へと向かった。

 

 一九世紀半ば、中国は三つに割れた。北京を中心とする清の残党政権、通称「華北清」はロシアの庇護を受け、上海と江南の富裕層は共和を名乗り「江南連合」を結成する。江南連合は欧州の国家のような議会共和制の先進的な国家であったが、実態は富裕層や犯罪者、緑営の生き残りなど、権力抗争に歯止めがかからず、国内は実質的な分裂状態。南の広州や香港周辺には欧州列強の租界が林立し、軍艦と領事館が港を埋めた。もはや中国は「帝国」ではなく、列強の影響下に置かれた「地域の寄せ集め」と化していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 この大陸の変動を最も敏感に察知したのは、海を隔てた日本だった。一八四九年、徳川慶喜が政権を返上し、薩摩・長州・土佐・肥前の連合軍が旧幕府を打ち破った巳未戦争を経て、新政府が樹立される。若い国家は中央集権化を急ぎ、殖産興業と富国強兵に突き進む。やがて一八五七年、台湾を攻略して領土とし、海外への膨張路線を鮮明にした。

 

 一八八〇年代、欧州列強は中国を切り刻んだ。英国は山東半島の威海衛を、ドイツは青島を、ロシアは清と朝鮮を属国化し、遼東半島を直接領有して軍港を築き、フランスは広州湾を租借した。イタリアも海南島を狙ったが、他国に阻まれて失敗する。中国は「分割」の言葉にふさわしい状況へと追い込まれた。

 

 そんな中で起きたのが、第一次日露戦争(一八八六〜八九年)である。朝鮮と遼東をめぐって両国は衝突し、日本海軍は新興勢力らしく果敢に戦ったが、ロシアの二大軍港――ウラジオストクと旅順・大連――を前に戦線は膠着した。戦争は両国を消耗させ、天津での講和によって台湾が正式に日本領となり、遼東はロシア領に、朝鮮は独立国として残された。だがそれは名ばかりの独立で、実態は日露両国の緩衝地帯であった。

 

 戦争の余波は、日本の社会構造を大きく変えた。元より旧来の社会秩序を無視して断行された近代化は、農民や労働者たちに大きな負担を強いていた。国内の不満と格差を抑え込むため、政府は大胆な土地改革を断行し、強大な軍事力を背景に地主を廃絶。農地や工場は「天皇の所有」とされ、国家のもとに再分配された。殖産興業の過程で生まれた財閥は駆逐され、鉱工業や鉄道、軍需産業は国有化される。政府の指導者は玉座を胸壁として「平等」「福祉」を掲げたが、その背後で憲兵と秘密警察が臣民と軍を監視し、反体制的な思想を徹底的に摘発した。軍内部にも政治将校が配置され、クーデターの芽は事前に摘み取られる。時折、「政治的な発言」を理由に多くの高級将校が粛清された。

 

 こうして一八九〇年代、日本は世界でも稀な体制――「天皇制社会主義」と呼ばれる全体主義国家へと姿を変えていった。表向きは国民平等と福祉を掲げる進歩的な国家。だがその実態は、強権的監視と粛清によって統制された社会であった。

 

 一九世紀が終わろうとする頃、東アジアは大きな転換点を迎えていた。中国は裂け、ロシアは南下を進め、欧州列強は港と土地を切り分け、日本は独自の全体主義に踏み込んだ。だれもが予感していた――二〇世紀は、これまで以上に血と鉄に彩られる時代になるのだ、と。

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