赤日艦隊抜錨セヨ   作:佐竹福太郎

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福江島沖海戦

 一九一三年秋、日本海軍は澎湖諸島沖海戦で巡洋戦艦「聖」「仙丈」を相次いで戦列から失い、艦隊運用の抜本的な見直しを迫られていた。建造中の石見級戦艦はなお竣工には程遠く、赤日艦隊が即応戦力として頼ることができたのは、第二次日露戦争以来、幾度もの海戦を戦い抜いてきた装甲巡洋艦隊であった。

 

 「浅間」「吾妻」「磐手」は、いずれも第二次日露戦争以前に就役した旧式艦でありながら、黄海海戦、対馬海戦、樺太沖海戦、オホーツク海海戦など数々の戦場を生き抜いた歴戦の武勲艦であった。高速巡洋戦艦が海軍の新たな主力となりつつあったこの時代においても、彼らはなお日本近海の哨戒と船団護衛という重責を担い続けていた。しかし世界の海軍技術は急速に進歩し、装甲巡洋艦という艦種そのものが、既に第一線から退きつつあった。

 

 一方、英米海軍は日本巡洋戦艦部隊が修理中であることを察知し、日本本土への圧力をさらに強める方針を採った。十月中旬、アメリカ海軍はフィリピンを根拠地とする装甲巡洋艦隊を東シナ海へ派遣し、日本近海の偵察と船団襲撃を試みる。これに対し、日本海軍は佐世保を母港とする第二装甲巡戦隊を迎撃へ向かわせた。

 

 十月十三日午後六時頃、長崎県福江島西方海域で両艦隊は接触した。当時、海面は既に夕闇に包まれつつあり、視界は急速に悪化していた。日本側は第二装甲巡戦隊司令官・有馬正義少将の指揮の下、「吾妻」「浅間」「磐手」を基幹として行動していたのに対し、アメリカ側は装甲巡洋艦「ヒューロン」を含む数隻によって構成される巡洋艦隊であった。

 

 戦闘は極めて短時間で勝敗が決した。会敵直後、米艦隊は夜間雷撃を主体とする奇襲を敢行し、「吾妻」と「浅間」が相次いで魚雷を受けた。「浅間」は左舷中央部へ命中した魚雷によって機関室が浸水し、乗員の懸命な排水作業も及ばず、数十分後に転覆・沈没した。「吾妻」も艦尾へ被雷し、舵機を失って航行不能に近い状態へ陥る。第二装甲巡戦隊は一転して撤退戦を強いられることとなった。

 

 しかし、「磐手」は単艦で後衛を引き受け、退避する「吾妻」を援護しながら夜闇へ姿を消した。同艦は島影を巧みに利用して米艦隊を翻弄し、分散した敵艦隊を各個撃破する戦法を採る。そして孤立した装甲巡洋艦「ヒューロン」を発見すると、接近雷撃を敢行し、魚雷二本を命中させた。「ヒューロン」は弾薬庫への誘爆こそ免れたものの浸水を止められず、その後沈没した。これを確認した「磐手」は追撃を受けることなく佐世保へ帰投し、辛うじて第二装甲巡戦隊は全滅を免れた。

 

 戦術的に見れば、この海戦は双方が装甲巡洋艦一隻を失う痛み分けであった。しかし日本海軍にとって、その損失は数字以上に重大であった。「浅間」は第二次日露戦争以前から第一線で活動した赤日艦隊最古参の装甲巡洋艦であり、その喪失は日本海軍草創期を支えた世代の終焉を象徴する出来事となった。また、「吾妻」も辛うじて佐世保へ帰港したものの、艦体構造の損傷は深刻であり、修復後も性能の陳腐化は覆せなかった。以後は予備戦力として待機する期間が長くなり、再び大規模海戦へ参加することはなかった。

 

 一方、アメリカ海軍では、「ヒューロン」の喪失が日本海軍の夜戦能力を改めて印象付ける結果となった。ワシントンの海軍省は、日本艦隊は主力決戦では劣勢に立たされても、夜間や島嶼海域では依然として高い戦闘能力を維持していると分析し、以後は装甲巡洋艦による独立行動を極力避け、主力艦との共同運用を徹底する方針へ転換している。

 

 英国海軍省もまた、この海戦を冷静に分析していた。同省は、日本が巡洋戦艦部隊を失った状況でも依然として装甲巡洋艦隊を有効活用していることを評価する一方、「その戦力も既に限界へ達しつつある」と結論付けている。ロンドンでは「日本海軍は旧式艦によって辛うじて均衡を維持しているに過ぎず、新型主力艦が完成する前に決戦へ持ち込むべきである」との意見が海軍内部で主流となり、極東艦隊のさらなる増強が検討されることとなった。

 

 日本海軍軍令部も、この海戦を一つの時代の終わりとして受け止めていた。第二次日露戦争以来、赤日艦隊の中核を担ってきた装甲巡洋艦隊は、「浅間」の沈没と「吾妻」の戦列離脱によって実質的に解体されたのである。以後、第一線に残る装甲巡洋艦は「磐手」一隻のみとなり、日本海軍は巡洋戦艦と新型戦艦を中心とする艦隊への転換を急ぐこととなった。

 

 もっとも、この時点で「磐手」がなお長い艦歴を歩むことを予想した者は少なかった。最後の装甲巡洋艦として幾度もの海戦を生き延びた同艦は、後年、世界初の実験空母へと改装され、航空戦力の時代を切り開く存在となる。しかし福江島沖の夜の海で戦っていた乗員たちにとって、それは知る由もない未来であった。

 

 福江島沖海戦は、戦局そのものを左右する大海戦ではなかった。しかし、赤日艦隊創設以来その先頭に立ち続けた装甲巡洋艦という艦種が、歴史の表舞台から静かに姿を消した戦いとして、日本海軍史に深く刻まれることとなった。そこから先は、「富士」でも「浅間」でもなく、新たな時代の主力艦が歴史を担うことになるのである。

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