赤日艦隊抜錨セヨ   作:佐竹福太郎

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スペイン参戦

 一九一四年一月三日、スペイン王国は一九〇五年に締結された日西同盟を履行するとして、日本側に立ってイギリス・フランス・アメリカ両国へ宣戦布告した。

 

 この報は、交戦各国の政府に等しく衝撃を与えた。ロンドンでは当初、極東から送られてきた暗号電報の誤訳ではないかとの疑いすら持たれ、外務省はマドリード駐在大使館へ事実確認を命じている。パリでも「スペイン中立維持」の前提で策定されていた対日戦略の全面的な見直しが始まり、ワシントンでは海軍省が大西洋・カリブ海方面への艦隊配置を再検討する事態となった。

 

 しかし、最も困惑したのは日本政府であった。

 

 日西同盟そのものは秘密条約ではなく、その存在は列強各国にも知られていた。しかし、日本政府にとって同盟締結の最大の目的は軍事援助ではなかった。当時の日本は第二次日露戦争を終え、新興列強として急速に台頭していたものの、欧州外交では依然として新参者に過ぎなかった。一方、スペインは国力こそ十九世紀末の米西戦争以降大きく後退していたものの、ヨーロッパでは依然として伝統ある王国として外交的な影響力を保持していた。

 

 そのため、一九〇五年十二月に締結された日西同盟は、日本にとって「欧州外交への橋渡し」という性格が強かった。外務省内では、「スペインは帝国外交を繋ぎ止める錨である」と評する者もおり、同盟が実際の軍事行動へ発展する可能性を真剣に検討する者はほとんど存在しなかったのである。

 

 だからこそ、一九一四年元日にマドリードから届いた極秘電報は、日本政府首脳にとっても予想外の内容であった。

 

 そこには簡潔に、

 

 「王国政府は同盟を履行する。(El Reino cumplirá la Alianza.)

 

 との一文だけが記されていたという。

 

 当初、外務省は暗号の誤読を疑ったという。

 

 外務省は直ちにスペイン公使館へ照会を行ったが、返答は変わらなかった。参戦は国王アルフォンソ十三世の裁可を受けた正式な国家意思であり、撤回の余地はないというのである。

 

 では、なぜスペインは参戦したのか。

 

 当時の日本国内では、「義を重んじた友邦」「九年間同盟を守り続けた誠実な国家」と報じられ、新聞各紙はスペインを称賛した。しかし、戦後に公開された各国外交文書やスペイン軍参謀本部の記録からは、より複雑な事情が浮かび上がっている。

 

 スペインが最大の国策課題としていたのは、十八世紀以来イギリスの支配下に置かれていたジブラルタル問題であった。

 

 地中海と大西洋を結ぶ要衝であるジブラルタルは、スペインにとって単なる領土問題ではなく、国家の威信そのものであった。しかし、世界最大の海軍国であるイギリスを相手に武力でこれを奪還することは不可能と考えられ、歴代政権はいずれも外交交渉以上の行動には踏み切れなかった。

 

 ところが、一九一三年末、情勢は大きく変化する。

 

 イギリスは日本との戦争継続のため、極東へ艦隊を派遣し続けていた。さらに本国ではドイツとの建艦競争が続き、世界各地の植民地にも相当数の艦艇を分散配置していた。スペイン参謀本部は、この状況を「イギリス海軍戦力が最も広範囲へ分散した瞬間」と分析したのである。

 

 もちろん、それでもイギリス海軍が世界最強である事実に変わりはなかった。しかし、「これほどまでにイギリスが戦力を分散させる機会は二度と訪れない」との認識は、マドリード政府、軍部双方で共有されるようになっていった。

 

 一方で、日西同盟は依然として有効であった。

 

 スペイン政府は同盟履行を参戦理由とすることで、国際法上の正当性を確保できると判断したのである。日本への援軍派遣そのものが主目的ではなく、あくまで自国の国益を追求した結果として、同盟が発動されたのであった。

 

 この決断は、イギリスの戦略に少なからぬ影響を与えた。

 

 ロンドンでは海軍省が直ちに地中海方面の警戒強化を命じ、極東への追加派遣を予定していた艦艇の一部は本国海域へ留め置かれることとなった。フランスもまた、スペイン国境および西地中海への兵力転用を余儀なくされ、日本戦線へ投入できる戦力はさらに限られることとなる。

 

 こうして、スペインは極東へ一隻の軍艦も派遣することなく、日本の戦局へ大きな影響を及ぼした。

 

 後年、イギリス海軍史家ハロルド・ウェストンは、この時期を「日本艦隊ではなく、一通の外交文書が極東戦線の均衡を変えた瞬間であった」と評している。

 

 もっとも、スペイン参戦の真意については現在でも議論が続いている。日西同盟を重視した王国外交の成果と見る説、ジブラルタル奪還を目的とした現実主義外交とする説、さらには両者が不可分であったとする説など、定説はいまだ存在しない。

 

 ただ一つ確かなことは、この一日の決断が、それまで日本対英米を中心としていた極東戦争を、真に世界規模の戦争へ変貌させたという事実だけであった。

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