一九一四年五月四日、ロシア帝国による対日宣戦布告は、膠着状態に陥りつつあった極東大戦において、協商国側にとって文字通りの「最後の希望」であった。同年一月三日、スペイン王国が日西同盟を履行して英仏米に宣戦布告したことで、欧州の戦略環境は一変していたからである。スペインの主眼は一八世紀から続くジブラルタル奪還にあり、極東への軍艦派遣は皆無であったが、イギリスは地中海防衛に戦力を割かざるを得ず、フランスも西地中海への兵力転用を余儀なくされていた。欧州からの極東への艦隊増援が絶望視される中、巨大な陸軍と極東艦隊を持つロシアの参戦に、ロンドンとワシントンはすべての望みを託したのである。ロシア皇帝ニコライ二世もまた、第二次日露戦争の敗北という帝国最大の屈辱を晴らすべく、英仏側の「日本は疲弊している」という情報を信じ、雪辱への執念から参戦を決断していた。
だが、皇帝の執念と協商国の希望は、開戦からわずか十日余りで無惨に打ち砕かれる。ロシア極東艦隊は戦力を温存せず、積極的な通商破壊へと乗り出した。五月十五日、対馬海峡において、南下を企図するロシア艦隊を赤日艦隊が捕捉する。迎撃に向かったのは、巡洋戦艦「常念」「聖」「仙丈」を主力とする赤日艦隊の高速打撃部隊であった。対するロシア側は、排水量七千五百トンの最新鋭大型防護巡洋艦「パラダ」級三隻を含む精鋭部隊であったが、巡洋戦艦の圧倒的な火力と速力の前に海戦は一方的な展開となった。赤日艦隊が駆逐艦一隻を失う間に、ロシア側はパラダ級三隻を含む防護巡洋艦四隻と駆逐艦一隻を喪失するという壊滅的敗北を喫したのである。
この報に接したサンクトペテルブルクの宮廷は、深い衝撃と絶望に包まれた。かつて第二次日露戦争の十島沖海戦で敗北した折、「帝国の海が我らの手を離れるとは」と側近に嘆いたニコライ二世であったが、雪辱を期した開戦直後に最新鋭艦を瞬時に失うという悪夢の再来に、皇帝は激しい動揺を見せたとされる。英仏が主張していた「日本の疲弊」という情報が全くの誤りであり、半年に及ぶ修理と再編を終えて充実した戦力を整えた赤日艦隊が待ち構えていたという現実は、ニコライ二世の楽観的な見通しを根本から打ち砕くものであった。
皇帝の絶望をよそに、赤日艦隊の猛攻は止まらなかった。対馬海峡海戦直後の五月二十日には、石見級戦艦の就役を見据え、早くも排水量三万五千トン、十三インチ砲八門搭載、速力二十八ノットという次世代の新型巡洋戦艦の初期設計が承認されている。さらに六月五日、十島沖にて船団護衛中の「烏帽子」級防護巡洋艦三隻を主力とする赤日艦隊の護衛部隊が、再びロシア艦隊と交戦した。赤日艦隊は駆逐艦一隻が大破する損害を被るものの、ロシア艦隊を全滅させる。この海戦でロシア側は防護巡洋艦三隻と駆逐艦一隻を失い、そのうち二隻はまたしても「パラダ」級であった。これにより、極東方面のロシア防護巡洋艦部隊は完全に壊滅し、新鋭パラダ級は全隻喪失の憂き目に遭ったのである。
六月から十月にかけて、日本近海では散発的な小競り合いが続いたが、ロシア側の攻勢は完全に破綻した。制海権は完全に赤日艦隊の手に渡り、ロシア艦隊は本国からの巡洋戦艦部隊の到着を待って完全な守勢に回るしかなかった。スペイン牽制に忙殺される英仏に極東を支援する余裕はなく、ロシアの孤立は不可避であった。
そして赤日艦隊は、守勢に回った敵に息継ぎの暇すら与えなかった。十月五日、「常念」「聖」「仙丈」を中心とする高速打撃部隊がウラジオストク港を強襲したのである。赤日艦隊は港湾の物資集積所を的確に破壊し、迎撃のために出撃してきたロシア海軍の巡洋戦艦二隻をも撃退、そのうち一隻を大破させた。冬の凍結期を前に備蓄物資を焼かれ、主力艦艇まで損傷を負ったロシア極東拠点は、ここにその継戦能力を著しく削がれることとなった。
一九一四年一月のスペイン参戦がもたらした欧州の足枷と、ニコライ二世の執念を嘲笑うかのような赤日艦隊の圧倒的な武威。協商国側が抱いた「ロシアの参戦による極東戦局の打開」という戦略的目論見は、秋の深まりとともに完全に崩れ去り、極東の海は名実ともに赤日艦隊の覇権下に置かれたのである。