一九一四年十月五日、赤日艦隊の巡洋戦艦「常念」「聖」「仙丈」を中心とする高速打撃部隊は、秋の深まる日本海を北上し、ウラジオストク港を強襲した。防波堤の奥深くに身を潜めていたロシア海軍に対し、**赤日艦隊**は正確無比な艦砲射撃を浴びせ、港湾の要をなす軍需物資や石炭の集積所を的確に破壊して火の海へと変えた。迎撃のために出撃してきたロシア海軍の巡洋戦艦二隻をも一蹴し、そのうち一隻を大破させたこの痛撃により、ロシア極東拠点の継戦能力は致命的に削がれることとなった。シベリアの過酷な冬の凍結期を前に、備蓄を焼かれたロシア極東艦隊は氷海に閉ざされ、完全に孤立無援の窮地に陥ったのである。
なぜ、世界最大の陸軍国であるロシアの極東艦隊は、これほどまでに惨めな孤立を強いられたのか。その最大の要因は、彼らの同盟国であるはずの大英帝国が地球の裏側で引き起こした、絶望的なまでの戦略的破綻にあった。
そもそも、イギリスがこの戦争を始めた理由は、台湾沖で発生した小事件を口実に「分を弁えぬ東洋の新興国を懲罰する」という、極めて限定的かつ傲慢な外征の企図であった。イギリス議会において圧倒的多数で可決された「懲罰決議」は、大英帝国の威信を見せつければ日本は容易に屈服するという、根拠なき優越感に裏打ちされていた。しかし、一九一四年一月にスペイン王国が日西同盟を履行して参戦したことで、その楽観的な前提は完全に崩れ去る。
イギリス政府は、欧州の「裏庭」で反旗を翻したスペインを早期に屈服させるため、本来想定していなかった大規模な陸軍の大陸派兵を余儀なくされた。大英帝国の若き兵士たちは、極東の海ではなく、フランス軍とともにイベリア半島の戦線へと投入されていった。しかし、ピレネー山脈の険峻な地形と、郷土防衛に燃えるスペイン陸軍の強固な塹壕陣地に阻まれ、陸上戦は早々に凄惨な泥沼と化した。氷雨の降る泥濘の中で疫病と砲弾に倒れていく若者たちの姿は、当初の「東洋への限定的な懲罰」という戦争目的から完全に乖離した、無意味な消耗戦そのものであった。
さらに大英帝国にとって致命的だったのは、地中海の玄関口である要衝・ジブラルタルの機能不全である。難攻不落を誇った石灰岩の要塞「ザ・ロック」は、スペイン軍の執拗な包囲と昼夜を問わぬ猛砲撃を受け、海峡のチョークポイントとしての封鎖能力を完全に喪失してしまったのだ。地下坑道に閉じ込められたイギリス守備隊が飢えと絶望に苦しむ中、スペイン海軍はこの間隙を突き、地中海と大西洋において自由な機動を獲得した。小型艦艇を中心とした神出鬼没の遊撃戦や機雷敷設はイギリスの生命線である通商路を寸断し、大英帝国海軍は膨大な数の艦艇を船団護衛や沿岸哨戒のために欧州海域へ貼り付けることを強いられたのである。フランス海軍もまた西地中海防衛に手一杯であり、極東への艦隊派遣など夢物語となっていた。
さらにロンドンの海軍省を震え上がらせたのは、北海を挟んだ対岸におけるドイツ帝国海軍の不気味な動きであった。前年の上海危機で**赤日艦隊**と睨み合ったドイツは、イギリスがスペイン戦線で泥沼にあえぐこの絶好の機を逃さなかった。ヴィルヘルム二世の勅命を受けた大洋艦隊は、「演習」を名目に活動を活発化させ、いつ北海へ出撃してもおかしくない態勢を整えることで、イギリス本国への直接的な圧力を急激に高めていたのである。喉元に突きつけられたドイツの刃を前に、大英帝国海軍は世界最強を誇る本国艦隊の弩級戦艦群をスカパ・フローなどの母港から一歩も動かすことができなくなった。これにより、イギリスから極東への増援パイプは物理的にも精神的にも完全に切断されたのである。
サンクトペテルブルクの豪奢な冬宮において、この絶望的な世界情勢の報告を受けたロシア皇帝ニコライ二世の心中は、凍てつくネヴァ川よりも冷え切っていた。第二次日露戦争での敗北という帝国最大の屈辱を晴らすべく、英仏の強い要請に応じて参戦を決断したものの、頼みの綱であった英仏の増援はジブラルタルとピレネーの泥濘に沈み、ドイツの影に怯えて一隻たりとも極東へ来ない。ウラジオストクは燃え、兵站は途絶した。自国が英仏の戦略的都合の「捨て駒」として完全に「見捨てられた」ことを悟った皇帝は、執務室の地図を前に深い孤独と絶望を噛み締めた。
だが、このまま港内で凍りつき、戦わずして降伏することは、ロマノフ朝の誇りが許さなかった。ニコライ二世は、せめてもの帝国の意地を見せ、一矢報いるため、極東に残存する巡洋戦艦部隊に対し、玉砕覚悟の決死の南下突破作戦を命じるほかなかったのである。
一九一五年一月、ロシア海軍の残存巡洋戦艦二隻は、厚い氷を割ってウラジオストクを出撃した。しかし、赤日艦隊は完全な制海権の下、その悲壮な動きをすでに察知していた。
一月十五日、猛烈な吹雪が視界を白く染め上げる択捉島沿岸・モルドヴィノヴァ湾。決死の覚悟で南下したロシア艦隊を待ち受けていたのは、船団護衛の任に就きながら分厚い警戒網を張っていた**赤日艦隊**の高速打撃部隊であった。吹雪を突いて現れたのは、幾多の海戦を勝利に導いてきた歴戦の巡洋戦艦「常念」「聖」「仙丈」である。**赤日艦隊**は圧倒的な練度と機動力をもって敵艦隊を退路のない沿岸部へと追い詰め、極寒の怒涛が逆巻く海上で、探照灯の光芒が交錯する近距離での熾烈な砲雷撃戦が展開された。
この死闘において、ロシア側もただでは沈まなかった。決死の反撃によって放たれた魚雷が赤日艦隊の巡洋戦艦「聖」に命中し、同艦は大破するという甚大な損害を被る。しかし、僚艦の危機を目の当たりにした**赤日艦隊**の反撃は、ロシア側の想像を絶する苛烈さであった。猛烈な集中砲火がロシア巡洋戦艦部隊の装甲を貫き、機関部を徹底的に破壊してその機動力を完全に奪い去る。海上に立ち尽くす巨大な標的と化した敵艦に対し、「常念」が氷海を裂いて放った雷撃がロシア巡洋戦艦「オチャコフ」に命中。さらに、猛牛のように肉薄した日本側駆逐隊が立て続けに雷撃を浴びせ、同艦は轟音と水柱とともに暗い海底へと沈んでいった。残る「イズメイル」も夜戦における容赦のない砲雷撃によって滅多打ちにされ、海の藻屑と消えた。ここに、ロシア海軍の巡洋戦艦部隊は完全に壊滅したのである。**赤日艦隊**の損害は「聖」の大破のみであり、極東におけるロシア艦隊は事実上の消滅を迎えた。
この「モルドヴィノヴァ湾海戦」での完全敗北の報は、イギリス国内に鬱積していた不満と怒りを一気に爆発させた。「東洋の小国への懲罰」であったはずの戦争が、自国の若者をピレネーの泥濘で犬死にさせ、ジブラルタルを機能不全に陥らせ、本国をドイツの脅威に晒した挙句、極東の同盟国を全滅させるという最悪の結末を迎えたのである。一九一五年一月、怒り狂ったイギリスの有権者たちによって深刻な反戦デモが巻き起こり、それは瞬く間に政府機関や軍の施設を襲撃する大規模な暴動へと発展した。議会は機能不全に陥り、大英帝国にはもはや、これ以上戦争を継続する国力も、国民を説得する政治的求心力も一片たりとも残されていなかった。
一九一五年六月、内政崩壊の危機に直面したイギリスをはじめとする英米仏露の協商国側は、戦争の継続を完全に断念した。講和会議の舞台として選ばれたのは、戦火を免れた永世中立国・スイスのジュネーブであった。
アルプスの山々に抱かれた静謐な国際都市に、大日本帝国、スペイン王国、そして協商国側の全権代表が集った。アメリカもまた、対日宣戦布告を行った完全なる当事国であったため、かつてのように仲介役として振る舞うことはできず、交渉のテーブルの向かい側に座るほかなかった。かつて「懲罰」を豪語した大英帝国の代表団は、国内の暴動と欧州戦線の泥沼化に疲れ果てており、もはや日本やスペインに対して強硬な態度に出る力は残されていなかった。
ジュネーブで結ばれたこの「白紙和平」は、敗戦国や戦勝国といった明確な線引きのない、形式上の痛み分けを装った講和であった。しかし、実態は日本側の完全な戦略的勝利であった。協商国側が開戦時から強硬に求めていた威海衛の返還は実現せず、日本による威海衛の軍事占領が国際的に黙認される結果となったからである。
こうして、世界を巻き込んだ極東大戦は終結した。大英帝国の驕りが生んだ戦略的破綻と、それに乗じたスペインの決死の奮戦。そして、四大国を相手に一歩も退かず、血みどろの海戦を乗り越えて絶対的な制海権を守り抜いた赤日艦隊の武威。これらが重なり合った結果、大日本帝国は黄海に確固たる軍事拠点を確立し、名実ともに東アジアの完全なる覇権国として、新たな時代の頂点に君臨することとなったのである。