1920年時点の状況
一九二〇年一月の時点において、日本は東アジアにおける安定した覇権的地位を確立し、相対的な平和の時代を迎えていた。一九一五年のジュネーブ講和会議(白紙和平)による極東大戦の終結以降、日本近海を含む東アジア海域では列強間の大規模な武力衝突は発生していない。この後、一九二〇年代から一九四〇年代にかけて欧州が再び戦乱に見舞われるのとは対照的に、日本は長期的な平和を維持し、その間にアメリカ合衆国に匹敵する規模の経済力を有する国家へと成長していくこととなる。
この地政学的な安定は、二〇世紀初頭における度重なる対外戦争と、それに伴う国内体制の抜本的な変革によってもたらされた。国内においては「天皇制社会主義」と呼ばれる強権的な統制社会が構築され、国家主導の経済運営と戦時動員体制が敷かれていた。対外的には、一九〇三年に勃発した第二次日露戦争を経て遼東半島および樺太南部を獲得し、一九一三年の極東大戦においてはイギリス領威海衛を占領した。同大戦は一九一四年一月のスペインの参戦等により欧州列強の極東への戦力投入が阻害された結果、一九一五年に実質的な日本の勝利として終結し、日本による黄海一帯の制海権が確定した。
一九二〇年一月当時、日本の海上兵力を担う赤日艦隊は、過去の戦訓の反映と新技術の導入による過渡期にあった。主力艦艇の編成は以下の通りである。
石見級戦艦(三隻):日本初の木星級戦艦である。排水量三万一千トン、速力二十二ノットで、十三インチ連装砲五基を備えていた。
聖級巡洋戦艦(二隻):世界的な基準では準木星級巡洋戦艦に相当するが、日本海軍内では大型装甲巡洋艦に分類されていた。排水量一万九千トン、速力二十五ノットで、十一インチ連装砲二基および八インチ連装砲四基を搭載していた。
常念級巡洋戦艦(一隻):新技術の発明により新規設計された巡洋戦艦であり、聖級の旗艦となるよう設計されていた。排水量二万一千五百トン、速力二十五ノットで、十二インチ連装砲三基を搭載していた。
胆振級巡洋戦艦(一隻):英イラストリアス級戦艦との交戦経験から建造された、排水量三万五千トン、速力二十八ノットの高速戦艦である。戦艦・巡洋戦艦を凌駕するよう設計されたが、十五インチ砲の開発決定に伴い量産計画は中止され、一隻のみの就役にとどまった。
旧式主力艦および補助艦艇:三笠級前木星級戦艦二隻、朝日級前木星級戦艦一隻、装甲巡洋艦「吾妻」一隻、烏帽子級軽巡洋艦三隻が在籍していた。
磐手級改装空母(一隻):装甲巡洋艦「磐手」を改装した世界初の航空母艦である。排水量一万二千七百トン、搭載機十九機を有し、戦力として数えにくくなった旧式艦を活用する形で海軍航空実験部に供与されていた。
主力艦の整備が段階的に進む一方で、一九二〇年一月時点の日本海軍は、水雷戦力において列強に後れを取るという構造的な課題を抱えていた。当時の列強各国の駆逐艦が排水量一千三百トン以上に大型化していたのに対し、日本は依然として三百トンから四百トン級の旧式駆逐艦を主力としていた。この遅滞は、建造中または計画中の超大型艦(白馬級など)に海軍予算の大部分が割り当てられていたためである。
この状況を是正するため、日本海軍は一九二〇年一月に「駆逐艦近代化計画」を開始した。これは従来の小型駆逐艦を置き換えるべく、排水量一千五百トン、速力三十二ノット、五インチ単装砲三基、四連装魚雷発射管二基、七・七ミリ対空機銃十基を備えた外洋型駆逐艦を大量建造するものであった。
さらに海軍は、将来の拡張を見据えた長期的な大艦隊構想を策定していた。同計画の目標は以下の通りである。
既存の石見級戦艦三隻に加え、新たに十五インチ砲を搭載した戦艦三隻、および同砲を搭載した巡洋戦艦三隻を建造すること。
列強が建造すると予想される大型巡洋艦へ対抗するため、小型高速巡洋戦艦三隻を整備すること。
航空戦力の拡充を企図し、主力艦としての戦力的な価値が低下しつつある「聖」級および「常念」級を航空母艦へ改装し、正規空母三隻と軽空母三隻体制を構築すること。
補助艦艇として、汎用軽巡洋艦六隻、駆逐艦四十八隻、海防艦五十隻、潜水艦五十隻を整備すること。
総じて、一九二〇年初頭における日本は、経済的な繁栄と軍事的安定を享受しつつも、海軍においては旧式水雷兵力の更新、航空機運用という新戦術への適応、そして次世代の十五インチ砲搭載艦を中心とした大規模な軍備拡張計画を推進していた。この時期は、極東大戦で確立した国際秩序における覇権的地位を長期的に維持するための、軍備の質的転換と構造改革が進められた時代であったと評価される。