一九二〇年五月、長らく主力艦の建造予算に圧迫され、旧態依然とした三百トンから四百トン級の旧式艦に依存していた水雷戦力の抜本的な近代化が遂に発動された。南洋方面などの広大な外洋における長期作戦を見据え、艦隊の護衛と雷撃戦の要となる「一五〇〇トン級駆逐艦」の量産が、国内の各海軍工廠で一斉に開始されたのである。
本級は、当時主流であった列強の駆逐艦(一三〇〇トン級)を凌駕する大型艦体を与えられ、荒天時における外洋での凌波性を飛躍的に向上させていた。速力は三十二ノットに達し、武装面でも五インチ単装砲三基、四連装魚雷発射管二基、七・七ミリ対空機銃十基という重武装を誇った。この一五〇〇トン級駆逐艦は、次世代の超大型主力艦群に随伴できる航続力と火力を備えた「外洋型駆逐艦」の決定版として評価された。本級は造船所の船台をフル稼働させる形で次々と起工され、最終的に計二十三隻が建造される一大艦級となり、後の大戦においてその真価を遺憾なく発揮することとなる。
水雷戦力の拡充と並行して、主力艦の設計も次なる次元へと踏み出していた。一九二〇年九月、海軍艦政本部は、欧州で建造が進む英独の四万トンクラスの巨大巡洋戦艦群を凌駕すべく、改四万トン級巡洋戦艦の計画をスタートさせた。この新型艦は、後に「
設計陣の至上命題は、建造中であった「白馬」の強大な火力を維持しつつ、艦隊決戦における生残性を高めることであった。排水量四万トン、十五インチ連装砲塔三基、速力三十ノットという基本的な性能は継承しながらも、副砲には六インチケースメイト砲十四基、四インチ単装砲八基を備え、さらに航空脅威の増大を見越して七・七ミリ対空機銃を二十基まで増強していた。
特筆すべきは装甲の強化である。白馬の設計から装甲厚を見直し、舷側ベルト装甲は十二インチ、甲板装甲は四インチ、主砲塔装甲は十三インチへとそれぞれ分厚くされた。これは、敵十五インチ砲弾の直撃に耐えうる「不沈の高速戦艦」を具現化しようとする、艦政本部の執念の結晶であった。
明けて一九二一年二月、造船所の空に祝砲が轟いた。待望の四万トン級巡洋戦艦の一番艦「白馬」が遂に竣工し、赤日艦隊に就役したのである。就役直前の公試において、巨大な十五インチ砲を搭載しながらも機関の出力が設計予想を上回り、規定より一ノット速い三十一ノットの快速を記録したことは、海軍内部を大きく湧かせた。巨体と快速を両立させた「白馬」の堂々たる姿は、日本近海を監視する列強の観戦武官たちに底知れぬ威圧感を与えた。
そして、「白馬」が呉のドックを離れたまさにその同月、空いた船台において息つく暇もなく改白馬級たる「慶留間」の竜骨が据え付けられた。起工を祝う槌音が響く中、日本の造船所群は限界まで稼働し続けていた。
この一九二一年という時期は、単なる新鋭艦の就役と起工にとどまらない、帝国の運命を決定づける転換点であった。同年二月九日、国内の将官が集う海軍大会の緊迫した空気の中、当時の聯合艦隊総司令官が「ドイツ帝国と戦争になる可能性が高い」と公に発言したのである。
未だに未完成とされる艦隊計画を置き去りにし、赤日艦隊は次なる戦争へ舵を切り始めていた。