高雄沖海戦
一九二四年七月二日、日本の南洋艦隊と陸戦隊による熾烈な攻撃の前に、補給も増援も途絶した守備隊は熾烈なゲリラ戦を繰り広げたものの、ドイツ領北マリアナ諸島は陥落した。四月の北マリアナ沖海戦における大勝利の余勢を駆って西太平洋の要衝を制圧した日本軍は、休む間もなく次なる戦略目標であるカロリン諸島への上陸作戦に向けて、入念な準備と戦力の再編を開始していた。
しかし、太平洋におけるドイツ帝国海軍の戦力が、この時点で完全に消滅していたわけではなかった。話は同年一月二日まで遡る。この日、マラッカ海峡を越えて東南アジア海域に進出してきたドイツ東洋派遣艦隊に対し、日本の潜水艦「伊21」が放った一発の魚雷が最新鋭戦艦「ヴィッテルバッハ」を大破させた事件は、ドイツ艦隊の指揮系統と艦隊運動に致命的な混乱と綻びをもたらしていた。
その混乱の最中、本隊から完全に孤立し、広大な海原で単艦での迷走を続けていた一隻の軍艦が存在した。それが、ドイツ帝国海軍の巡洋戦艦「サイドリッツ」である。
巡洋戦艦「サイドリッツ」は元来、北マリアナ沖海戦において死闘を繰り広げた十五インチ砲搭載の怪物「リュッツォウ」と同じ派遣艦隊に属し、東アジアの覇権を奪還すべく本国を出撃した中核戦力の一隻であった。しかし、一月のヴィッテルバッハ被雷という不測の事態に直面した際、艦隊内に生じた極度の混乱からか、サイドリッツはリュッツォウなどの主力艦隊とは別々の行動をとる形となってしまっていたのである。
無線の交信もままならず、熱帯の過酷な海を単艦で彷徨うこととなったサイドリッツの航海は、まさに絶望的なものであった。寄港して燃料や弾薬を補給できる味方の拠点は既に陥落しており、彼らは完全な情報的孤立状態に置かれていた。結果としてサイドリッツは、味方主力艦隊が北マリアナ沖海戦で壊滅的な打撃を受けた事実すら正確に把握できぬまま、決戦の時期を大きく逸してしまう。
そして、太平洋の勝敗がすでに決した後の七月になってから、後れ馳せながら来襲するという、最悪の間の悪さを露呈することとなったのである。 彼女がようやく姿を現したのは、日本の絶対的な勢力圏であり、南進の最重要拠点でもある台湾の「高雄」沖合であった。
単艦で台湾近海へと接近するドイツ巡洋戦艦の影を、赤日艦隊の哨戒網が見逃すはずもなかった。七月十七日、高雄沖を航行するサイドリッツを捕捉した赤日艦隊は、直ちにこの「迷える獲物」を屠るための迎撃部隊を出撃させた。
南洋艦隊から差し向けられたのは、四月の北マリアナ沖海戦で単発の被雷を受けながらも、短期間の修理を経て戦列に復帰していた四万トン級の最新鋭巡洋戦艦「白馬」と、排水量三万五千トンを誇るもう一隻の高速巡洋戦艦「胆振」の二隻であった。
十五インチ連装砲三基を擁する帝国海軍最強の「白馬」と、十三インチ砲を搭載する高速戦艦「胆振」。対するサイドリッツは、リュッツォウとは異なり十一インチ砲を主体とする初期型の木星級巡洋戦艦に過ぎない。ただでさえ旧式な艦が、長きにわたる単独航海で機関も乗組員も疲労の極みに達している状態であった。二隻対一隻という数の不利に加え、個艦の火力、装甲、速力のすべてにおいて、日本側が圧倒的な優位に立っていたのである。
七月十七日、真夏の太陽が照りつける高雄沖の海上で、海戦の火蓋は切られた。歴史に「高雄沖海戦」と刻まれるこの戦闘は、戦術的な駆け引きと呼べるような代物ではなく、圧倒的な火力差による残酷な処刑劇に等しかった。
白馬と胆振は、長距離から正確無比な砲撃を開始した。白馬の放つ一トン近い十五インチの大口径徹甲弾と、胆振の十三インチ砲弾が、サイドリッツの周囲に巨大な水柱の森を築き上げた。日本側の戦術は、敵艦隊を分断して一つずつ確実に葬り去る「各個撃破」の定石そのものであり、迷走の果てに単艦で姿を現したサイドリッツは、その格好の標的として南洋艦隊の猛射を一方的に浴びることとなったのである。
砲弾の雨を浴び、上部構造物を次々と破壊されながらも、ドイツ帝国海軍の誇りにかけてサイドリッツは決死の反撃を試みた。猛烈な黒煙を上げながら日本の巡洋戦艦へ向けて主砲を撃ち返し、さらに雷撃戦による一矢を報いるべく、残された魚雷を放ったのである。 この決死の雷撃のうちの一本が、白い航跡を引いて日本の巡洋戦艦「胆振」の舷側へと見事に命中した。四月の海戦において白馬が被雷で中破した悪夢が日本側の脳裏を過った瞬間であった。
しかし、重厚な金属音が響いた直後、爆発の水柱が上がることはなかった。胆振に命中したドイツ側の魚雷は、不運にも「不発」であったのである。 天運すらも見放したこの不発魚雷により、胆振への損害は皆無であった。最後の希望を絶たれたサイドリッツは、その後も続く白馬と胆振からの無慈悲な集中砲火を浴びて艦体を蜂の巣にされ、炎に包まれながら高雄沖の暗い海底へと没していった。
ドイツ側は、この海戦によって巡洋戦艦サイドリッツを一方的に喪失したのである。
高雄沖海戦の結末は、単なる一隻の巡洋戦艦の沈没にとどまらず、日独戦争におけるドイツ帝国海軍の完全なる崩壊を象徴するものであった。 この海戦におけるサイドリッツの撃沈によって、ドイツ帝国は本国に残した分も含めた主力艦の「半分」を喪失するという、壊滅的な事態に陥ったのである。戦艦フリードリヒ・デア・グローセ、巡洋戦艦モルトケ、メデューサ、そしてサイドリッツ。大洋艦隊の戦艦たちは、これによってことごとく太平洋の藻屑となったことになった。
この致命的な大敗北の最大の要因は、個艦の性能差もさることながら、ドイツ側が戦力の集結地点を完全に欠いていたことにあった。長大な兵站線を維持できず、日本軍の進撃によって拠点を失い続けた結果、ドイツは決戦において主力艦を全くと言っていいほど集結させることができなかったのである。
さらに絶望的なことに、北マリアナ沖海戦を辛うじて生き延びた最新鋭の巡洋戦艦「リュッツォウ」も、一月の開戦直後に潜水艦の雷撃を受けた最新鋭戦艦「ヴィッテルバッハ」も、未だ大破したまま満身創痍の状態で本国へと回航している最中であった。これらの残存有力艦が完全に修理を終え、再び東南アジア海域へと復帰するには、少なくとも一年以上の歳月を要する状態となっていた。
幸いなことに、ドイツ帝国海軍が喪失した主力艦はどれも旧式艦であったため、将来的な戦力の主柱は失われていなかったが、少なくとも今戦争における主導権は取り戻せなくなってしまっていた。
高雄沖での一方的な勝利は、大日本帝国に対して「ドイツ海軍の脅威が太平洋から完全に消滅した」という絶対的な確信を与えた。サイドリッツの沈没とともに、十九世紀末から極東の海と中国に進出しようとしたドイツ帝国の野望は完全に水泡に帰し、今戦争において太平洋はドイツ帝国にとっては、名実ともに無敵の赤日艦隊が支配する「日本の内海」として確定したのである。