一九二四年七月十七日、台湾の高雄沖においてドイツ巡洋戦艦「サイドリッツ」が撃沈されたことは、日独戦争における重要な転換点であった。この喪失により、ドイツが極東へ派遣した主力艦のほとんどが失われ、残存艦も本国への撤退を余儀なくされた。 極東におけるドイツの軍事的脅威が消滅したことで、日本はアジアにおける新秩序への移行の行程を一つ完了させた。そして、それは同時に、欧米列強の間に大きな影響を及ぼすことになる。
極東でドイツ艦隊が敗退する一方、欧州大陸では前年十一月に開戦したドイツ帝国とオーストリア・ハンガリー帝国の陸戦が続いていた。ここでドイツ帝国陸軍軍が苦戦を強いられた背景には、参謀本部が直面していた戦略的制約が存在した。
オーストリアの宣戦布告の背後には皮肉にもフランスとロシアの暗黙の支持があり、開戦と同時にフランス陸軍はライン川国境付近で動員を開始し、ロシア軍も東部国境で部隊を集結させていた。この多正面作戦を警戒したドイツ軍は精鋭部隊を東西の国境に配置せざるを得ず、南方のオーストリア戦線には二線級の部隊を中心に投入していた。しかし、オーストリア軍が開戦早々に攻勢を諦め、アルプスやボヘミアの山岳地帯を利用した防御戦闘に徹したこともあり、ドイツは極東への艦隊派遣による兵站負担と相まって、山岳戦で国力を大きく消耗することとなった。
ドイツの苦境にほくそ笑む欧米列強諸国だが、日独戦争における日本海軍の勝利は、列強の首脳たちに強い危機感を抱かせた。それに対する反応は大小さまざまだったが、概ね二つに分類できた。
一つは「日本が強いのではなく、インフラの乏しい植民地を拠点とし、長大な補給線を延ばしたドイツが兵站の限界を迎えて自滅しただけだ」という見解だった。これは、白人国家の威信を保ち、ある意味市民の動揺を抑えるためのプロパガンダであった。
しかし、各国の将校や知識人、政治家などは異なる見解を持っていた。彼らは南洋艦隊に派遣されていた上海連合の観戦武官や領事館などから密かに北マリアナ沖海戦や高雄沖海戦の情報を集めて分析し、ドイツの敗北を兵站上の自滅として片付けるのではなく、「一万海里離れた極東では、日本の内線作戦の前にいかなる大国の外征部隊も不利に立たされる」という軍事的教訓として受け止めた。日本の海軍力が現在の極東において高い実力を有していることを、彼らは正確に認識していたのである。
この現実的な軍事分析が、列強の次なる外交行動に繋がっていった。一九二四年八月六日、アメリカとフランスの間で「米仏同盟」が締結され、かつての極東大戦終結以降、解散状態にあった「協商連合」が事実上復活することとなった。
この同盟復活は、「単独での対日戦は困難であり、もし仮に日本と極東で事を起こせば、全列強の資源を結集して封じ込める必要がある」という合理的な計算に基づいていた。米・英・仏・露の四カ国は、日本の実力を評価した上で、対日牽制のために限定的ながら結集したのである。
しかし列強が協商連合を事実上復活させる中、日本軍は一九二四年八月十二日にドイツ領カロリン諸島への上陸作戦を実施した。
カロリン諸島の掌握は、アメリカの統治下にあるフィリピンとハワイを結ぶ太平洋のシーレーンを南北に分断する戦略的意味を持っていた。制海権を掌握していた日本軍により、ドイツの広大な島々は日本の統治下へと組み込まれていった。
協商連合の事実上の復活による戦争拡大の懸念から日本政府は幕引きを図り、極東での戦力喪失と欧州での持久戦に直面していたドイツもまた、一刻も早い戦争終結を望んでいた。 講和会議の舞台として選ばれたのは、中立を維持する上海連合であった。欧州まで全権団を派遣する労を避けた日本の思惑と、早期講和を焦るドイツの状況が一致した結果だった。ドイツ側は上海に辛うじて残していた外交窓口を通じて交渉を進め、一九二四年九月二日、両国間で講和条約が締結されて日独戦争は終結した。
講和により、ドイツは日本の膠州湾および北マリアナ諸島の占領を容認し、カロリン諸島、ビスマルク諸島、マーシャル諸島を日本へ割譲し、賠償金の支払いも約束した。 一九二三年の演説から始まった日独戦争は、日本に青島から西太平洋の島々へ至る広大な海上交通路の主導権をもたらし、地域大国としての覇権を確立させつつあった。
その境界線の外側には協商連合が立ちはだかっていたが、大戦が直ちに勃発することはなかった。列強は無謀な軍事行動を避け、新たな建艦や経済・兵站網の再構築といった長期的な封じ込め戦略を選択した。日本もまた、西太平洋に獲得した広大な島嶼群の防衛のための建艦に時間と国力を注ぐ必要があった。
結果として、この後十数年以上にわたり日本が新たな対外戦争を起こすことはなく、軍拡と諜報、外交・経済面での牽制が続く「武装平和」の時代へと移行することになるのである。
連載は再びお休みになります。プレイの録画自体はもうありますが、年表作りから動画の編集など、下準備に時間がかかるため、こちらを更新するのはしばらくないかと考えます。
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