赤日艦隊抜錨セヨ   作:佐竹福太郎

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開戦・旅順攻撃

 一九〇二年二月に勃発したウクライナ反乱は、表面的には半年余りで鎮圧された一地方的事件に過ぎなかった。しかし、鎮圧後に明らかとなった「谷」による越境支援の痕跡は、ロシア帝国にとって耐えがたい屈辱であり、大日本帝国にとっても否認を貫きながら戦略的決意を固める転機であった。反乱は帝政ロシアの統治の脆弱さを露呈し、農民や労働者の窮状に対する外部の共感を呼び込む格好の題材となった。日本政府は「改革」の成果を強調し、農民・労働者の福祉を顧みないロシアの体制を逆に非難することで、道徳的正当性を得ようとした。こうした言説は欧米列強の一部で一定の共鳴を得たが、同時に日本の暗部を知る者たちにとっては、露骨な宣伝戦と映るものでもあった。

 

 この事件の余波は、翌一九〇三年初頭に至っても収束を見せなかった。米国が一月、フィリピン統治を足場に海南島を租借したことは、日本に新たな懸念を呼び起こした。日本は米国の南方進出を、将来的には東アジアの勢力均衡を脅かす動きとして強く警戒した。だが眼前の最大の脅威は依然として北方にあった。ロシアはウクライナ反乱へのショックから、日本を国内体制を揺るがしかねない脅威と位置づけ、極東への大規模増派を決定した。ロシア海軍は旅順・大連・ウラジオストクの各港に戦力を集中しつつあった。極東軍管区へシベリア鉄道を通じて送り込まれる兵力は、帝国陸軍の総戦力を上回り、東アジアの勢力均衡を揺るがしかねない規模に達していた。

 

 列強諸国の反応は複雑であった。英国は自国の中国貿易の利益を守る観点から、ロシアの過度な進出を牽制する姿勢を鮮明にした。フランスは友好国として、名目上はロシアに理解を示したが、インドシナにおける自国の権益保全を優先し、極東での緊張拡大には消極的であった。ドイツは山東半島に拠点を持ちながらも、欧州正面での均衡を理由に直接的な関与を避け、事態の推移を観望した。米国は海南島租借により一定の既得権を確保しつつ、日本とロシアの衝突がアジア市場を攪乱することを危惧していた。結果として、列強は誰一国としてロシアの極東増強を歓迎せず、日本にとっては最低限外交的孤立を免れる構図が形作られた。

 

 大日本帝国政府は三月の段階で、ロシアの極東戦力のさらなる増強は国家存亡に直結するとの結論に至った。参謀本部と海軍軍令部は連日の協議を重ね、開戦を回避すれば北方海域・大陸における自国の立場が決定的に後退すると判断した。軍部の中には時期尚早とする声もあったが、「谷」が提出した報告書はロシア国内の不安定性を強調し、日本が迅速に行動すれば戦局を主導できるとの論調を補強した。政府はついに開戦を決意し、奇襲攻撃によって戦端を開くことを承認した。

 

 作戦計画の中心に置かれたのは旅順港であった。ここは遼東半島の先端に位置し、一九世紀からロシア太平洋艦隊の主要根拠地として強固な要塞化が進められていた。港湾の地形は外界から隔絶され、艦艇が籠城するには最適であったが、逆に言えば一度閉じ込められれば行動の自由を奪われる弱点を抱えていた。また、「谷」からの報告により、バルチック艦隊から増派された艦隊は旅順港内に完全に収容されているわけではなく、一部は港外で停泊しているという無防備な状態だった。日本海軍はこの弱点を突き、敵主力を港内に封じ込めた上で各個撃破を図る方針を採用した。

 

 四月二十五日深夜、天候は曇天、視界はやや不良であった。日本艦隊は夜陰に紛れて旅順沖に接近し、魚雷攻撃を敢行した。しかし作戦計画の不備により、水雷攻撃を担う駆逐隊の半数以上が到達できず、奇襲は失敗。ロシア装甲巡一隻と駆逐艦五隻を撃沈することに成功したが、日本側も装甲巡一隻と駆逐艦三隻を失い、六隻しか保有していない装甲巡のうち一隻を喪失した。旅順攻撃は事実上に失敗に終わり、日本海軍は今後、駆逐艦運用の再検討を迫られ、大型化を目指していくこととなる。

 

 奇襲は日本海軍にとって手痛い損害を招いたが、ロシア海軍に与えた心理的効果は大きかった。ロシア海軍は奇襲攻撃によるショックから、以後十日余にわたり海戦を回避し、主力艦艇をウラジオストクに退避させる決断を下した。これは一見安全策であったが、事実上中国沿岸地域および東シナ海、対馬海峡の制海権を日本に譲り渡す結果となった。港湾に籠る艦隊は、遠征行動を制約され、補給線の確保や陸軍の輸送支援に寄与できなくなるからである。

 

 この戦況の報は直ちに国内外に伝わった。日本国内では奇襲の損害は伏せられ、戦果のみが大々的に報じられた。新聞は「東洋の覇権を賭けた決戦の幕開け」と書き立て、国民の間には高揚感が広がった。政府は「皇国の自衛戦争」として開戦の正当性を訴え、議会でも大勢は戦費支出に賛成した。だが軍部内部では損耗の大きさが深刻に受け止められ、駆逐艦戦術の全面的見直しや、より強力な主力艦隊戦を想定した戦略転換が急務とされた。

 

 国際社会では評価が分かれた。英国は日本の行動を事実上黙認し、極東におけるロシアの行動制約を歓迎した。フランスは同盟国ロシアへの表面的な支持を表明したものの、本格的な軍事的介入は控えた。米国は海南島を手中に収めつつも、戦争の激化が貿易路を脅かすことを危惧し、公式には中立を維持した。ロシア帝国は当然ながら「卑劣な奇襲」と非難し、皇帝のもとで戦時体制を強化し、東アジアでの全面戦争を遂行する決意を固めた。

 

 第二次日露戦争は開戦した。旅順港奇襲は事実上に失敗だったが、後々にこの攻撃は戦略的には大きな意味を持つことになる。日本は早くも制海権の一端を握り、ロシアを防御的態勢に追い込んだ。この一撃を契機に、戦局は北方海域、樺太・宗谷海峡へと拡大してゆくことになる。

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