赤日艦隊抜錨セヨ   作:佐竹福太郎

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太平洋の静寂

 一九〇六年五月十四日、第一回国際レガッタ大会が上海湾において開幕した。主催は日本政府、共催として上海連合および清政府代表団が名を連ねた。会場には各国領事団、欧米商人、報道関係者が集い、海上には各国旗を掲げた小型艇が整然と並んだ。

 大会の名目は「国際友好とアジアの安定」であり、戦後の緊張緩和を象徴する催しとして広く報道された。日本政府は外務次官を代表として派遣し、「富士条約後の平和秩序を維持することこそ文明諸国の責務」とする演説を行った。

 

 表面上は、穏やかな協調の光景であった。

 しかし、各国の視線の奥には慎重な計算が潜んでいた。

 上海は東アジアにおける列強の利権が交錯する都市であり、レガッタ会場周辺の観覧席には、軍人・外交官・企業家らが入り混じっていた。

 誰もが、戦後に急速に存在感を強める日本の動向を注視していた。

 国際友好を謳う日本主催の大会は、同時に「新たな国際的立場の演出」の場でもあった。

 欧米列強は、日本がアジアの盟主として振る舞い始めたことを感じ取った。

 その警戒心は静かに国際社会に広がっていった。

 

 そんな最中、六月三日、アメリカ合衆国はパナマの全域に対する実効支配を宣言した。

 表向きは「運河建設の安全確保」を理由としたが、実態は中南米における覇権の明確化であった。

 これに対し、ヨーロッパの列強は形式的な抗議を行ったものの、実際の介入は控えた。

 ただ一国、日本だけが沈黙をもって応じた。

 

 日本外務省は六月八日付で非公式通牒を発し、

 「大日本帝国は合衆国の行動を国際法上の範囲に属するものと認む」と述べた。

 それは、一見中立的な声明であったが、裏を返せば「干渉せず、互いの勢力圏を尊重する」との意図を含んでいた。

 当時の東京政府は、太平洋を境とする一種の黙契――すなわち、東はアメリカ、西は日本という非公式な棲み分け――を想定していた節がある。

 しかし、その沈黙はワシントンに誤った印象を与えた。

 

 アメリカ国務省はこの対応を「同調ではなく、観察の姿勢」と受け止めた。

 日本がアジアで独自の勢力圏を固めつつ、アメリカの動向を静かに分析しているという報告が、駐日大使経由で本国へ送られた。

 その文面には、「日本の外交は友好を語るが、その底には静かな戦略的意志がある」と記されていた。

 こうして、両国の間に目に見えぬ不信の溝が生まれた。

 

 この不信をさらに深めたのが、秋に発生した朝鮮南部の騒乱であった。

 一九〇六年九月二日、全羅道一帯で地主と小作農の衝突を発端とする暴動が発生した。

 当初は地方的な農民蜂起に過ぎなかったが、数日で各地へ波及し、沿岸都市では日本人商館や工場への襲撃事件も報告された。

 日本政府は「邦人保護と現地住民の安寧維持」を名目として、九月八日に陸軍第二師団を釜山に上陸させた。

 その後、軍政監部が設置され、事実上、朝鮮南部の統治権は日本の手中に収められた。

 

 この迅速な行動は、国内では「秩序の回復」として歓迎されたが、列強の受け止めは異なった。

 イギリス政府は九月十六日付で抗議文を送付し、現地の経済利権への影響を懸念。

 アメリカ政府も、「日本は保護を口実に占領を既成事実化している」と非難した。

 しかし日本側は、事態を「一時的な治安維持」と説明し、撤退期限を明示しないまま統治を継続した。

 この時期に日本中央銀行が朝鮮・華中地域への大規模投資計画を進めていたこともあり、国際的には軍と金融が一体となって拡張政策を推進しているとの見方が広まった。

 

 アメリカ国内では、この朝鮮介入を「太平洋の勢力均衡を乱す第一歩」とする報道が増え、日米間の信頼は急速に冷却化した。

 日本政府の「沈黙外交」はもはや慎重さではなく、拡張の前触れとして受け止められ始めていた。

 

 そして十月六日、事件は起きた。

 アメリカ西岸・サンディエゴ造船局から、新型戦艦の装甲構造に関する設計資料が盗まれた。具体的には魚雷防御に関するものだった。

 犯人は逮捕されず、しかし調査の過程で日本の情報組織「谷」との関与が疑われた。

 十月十二日、アメリカ政府は東京に正式抗議を提出し、「国家ぐるみの諜報行為」と断じた。

 日本政府は十月十五日に声明を発表し、関与を否定しつつも「一部の“派遣技術者”による独断的行動」を認めた。

 この曖昧な対応は、かえって不信を強める結果となった。

 後世の研究で、日本の巡洋戦艦常念、石見級戦艦の魚雷防御構造がアメリカのものと奇妙なほど“類似”していることが明らかにされている。

 

 この事件を境に、日米関係は決定的に冷え込んだ。

 米国の報道機関は日本を「模倣から独自技術へ移行した危険な国」と評し、議会では対日警戒論が台頭した。

 日本では逆に、「西洋の独占に挑む自立の証」として事件を肯定的に解釈する論調が広まり、ナショナリズムを刺激した。

 こうして、相互の誤解と偏見が積み重なり、友好の糸は静かに断たれていった。

 

 表面上、外交は平静を保った。条約も破棄されず、通商も継続された。

 だが、太平洋の両岸では、互いに「次」を予感する空気が漂っていた。

 アメリカは日本の急速な工業化を脅威と見なし、日本はアメリカの拡張を警戒した。

 その緊張は、まだ言葉にはならない。

 だが翌年、「上海危機」が発生したとき、東アジアの秩序は再び大きく揺らぐことになる。

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