kenshi 世界征服のその後で   作:PSコン

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10.アークという老人(2)

 ハブの中央広場は、朝の冷えた空気を震わせながらざわめいていた。

 誰かが叫び、誰かが否定し、誰かがさらに尾ひれをつける。

 

 策を弄してから数日。アークの策は苛烈で、異様なほど効果を上げていた。

 

「見たんだって! 本当にいたって言ってんだよ!

 城壁の向こう、あれはフォグマンだった!」

「は? 馬鹿言えよ、あいつらがここまで来られるわけねえだろ!」

「でもよ、ついこの間だって巣があったろ! 来ない理由のほうがねえ!」

「そんなの偶然だ!」

「でかい影を見たって奴が三人はいる!」

 

 議論が飛び交う。

 冷静な声は熱した空気に必ず押し流される。

 

 私はその輪の外から様子を伺いながら、ぽつりと呟いた。

 

「……なんか、思ったより盛り上がってるね」

 

 隣に立つリフが苦々しい顔で頷く。

 

「盛り上がっているというより、混乱が暴走しているだけです。

 ほら、お嬢様。あの辺で殴り合いが始まりそうです」

 

 確かに、数人が胸ぐらを掴み合っていた。

 

「フォグマンの斥候なんて、見間違いに決まってるって!

 昼間ならともかく、夜なんだろ!? 影だ、影! 砂嵐だ!」

「なら聞くが、ここ数日であいつらが近づいてるって噂、何度聞いた?」

 

 沈黙。

 その隙を突くように、別の声が割り込む。

 

「俺は信じるね。あいつら来るよ。

 むしろ、まだ来てないと思ってる連中のほうが能天気じゃねえか?」

「じゃあお前はどうすんだよ、戦うのか!?」

「戦うも何も――街に逃げ場はねぇだろ!」

 

 ざわっ、と広場全体が揺れた。

 その瞬間こそ、人々が()()()()()()()()()()()()()を思い出した証だった。

 

(……アークの策、これは効き過ぎじゃないのかなあ)

 

 私たちがやったのは、フォグマンの死体を動かし、噂話を流しただけだ。

 曰く『フォグマンの影を見た』と。

 

 それだけなのに、噂はあっという間に広がり、既に原形をとどめていない。なにせ今の噂は『フォグマンの軍勢を見た』だ。

 私が額を押さえていると、背後から低い声が響いた。

 

「悪くないな」

 

 振り返れば、アーク。

 酒の匂いはもうどこにもなく、目は冷静そのものだった。

 

「これなら、少し手を加えるだけで狂気が狂信に変わる」

「……正気? もう必要とは思えないんだけど」

「民心とは、こういうとき扱いやすい」

 

 アークは前へ出ていく。

 混乱する群衆の中心へ――火種に手を差し入れるかのように。

 

「さて、どう料理するか……」

 

 ざわめく群衆の中心で、アークはゆっくりと片手を上げた。

 その動きだけで、不思議と声が一段小さくなる。

 

「……静まれ」

 

 低い声が、よく通った。

 

「諸君。フォグマンを見たという話――嘘ではあるまい」

 

「見間違いだって言ってんだろ!」

「いや影が……!」

 

 反論が飛ぶが、アークは首を横に振った。

 

「見間違いかどうかは些事だ。

 肝要なのは――諸君が()()()という事実だ。」

 

 空気が揺れる。

 

「恐れたということは、心がまだ死んでいない証だ。

 諦めきった者は恐れすら忘れる。

 諸君はまだ、生きたいのだろう?」

 

 その言葉は、民衆に怒号ではなく沈黙を生ませた。そうだ、まだ諦めていないから、議論し対策をしようとするのだ。

 アークはその沈黙を見逃さず、こう続けた。

 

「フォグマンが本当に至近まで来ているか?

 ――それは分からん」

 

 群衆のざわめきが再び強まる。

 しかしアークはそれを手のひらで押さえつけるように一息置いた。

 

「だが一つだけ断言できる。

 フォグマンは()()来る。

 そして今のままなら、諸君は()()死ぬ。」

 

 恐怖の気配が広がる。しかしアークは止めなかった。

 

「逃げ場はない。この街も、荒野も、フォグマンに追われた者にとっては地獄と同じだ」

 

 追い詰め、追い詰め、逃がさない。それがアークのやり口なのだ。

 

「だが――」

 

 アークの声が一段低く、重くなる。

 

「今ならまだ、勝機がある」

 

 空気が変わる。群衆の顔が一斉に上がる。

 

「我らには戦える者がいる。街のために剣を振るった者がいる。

 フォグマンを――倒した者すらいる!」

 

 ざわ、と視線が私に集まる。

 

(うわあ……気まず)

「諸君よ。恐れることは恥ではない。恐怖は、戦うための火種となる!」

 

 アークは拳を握りしめ、力強く掲げた。

 

「今ここで決めよ! 死を待つか、戦うか! ただ嘆き、ただ罵り合い、ただ終わりを待つのか!?

 それとも――生きたいのか!!」

 

 群衆のざわめきが、恐怖から高揚へと変化していく。

 誰かが叫び、誰かが拳を上げ、誰かが涙を流している。

 

「ならば剣を取れ。守りたいものを思い出せ。

 この街は、まだ死んではいない!」

 

 群衆の声が爆ぜる。

 

「戦う!」「やるしかねえんだ!」

「フォグマンなんぞに屈するかよ!」

 

 アークはその熱を受け止め、静かに締めくくった。

 

「今日からだ。

 諸君はただの難民ではない。

 ハブの戦士だ。」

 

 混乱は収まらず、しかし矛先は一つに揃った。

 恐怖は狂気に、そして狂気は狂信に変わった。

 

 今、ハブは大きなうねりの中、一つになろうとしていた。

 

(……これが正しい方法、とは思えないけどね)

 

 一抹の不安を残して。

 

 

 

 *

 

 

 

 壊れていた門は修繕され、棘の付いた城壁が並んでいた。

 門前にはぎらつき、剣を抜いた男が立っている。殺気だった空気を漂わせているのは、門の男達に留まらない。

 

 武器を持つ者が増えた。

 それも、戦うためというよりも、手放せなくなったという表現の方が近い。

 

 剣は鞘から半分抜かれたまま、槍は地面に突き立てられたまま、クロスボウの弦は常に張られ続けていた。

 

 異様な光景だった。そして、それを演出した男は静かに塔からハブ全域を見渡す。

 

「……目的を果たした感想は?」

「壮観、であるな」

 

 アークはちっとも満足していなさそうな顔をしながら言った。

 私は溜息をつく。この男、私に黙ってまだ何か企んでいそうだ。

 

「まだ何か企んでるなら言って欲しいね」

「別段何も。策は成った。後は見守るだけだ」

「見守るだけねえ。じゃあ本当にフォグマンが来るまで待ちってことだ」

「…………」

 

 アークは蔑むような笑みを浮かべた。体が震える。冷たい汗が背中を伝う。私は何か、途轍もない勘違いをしていないだろうか。

 

「……アーク、答えて。フォグマンが来た時の策は用意してあるんだろうね?」

「フォグマンが来た時か」

 

 アークはまたも嘲笑を浮かべる。今度は頬がかっと赤くなるのを感じる。

 

「では聞こう」

 

 アークは言った。

 

「フォグマンは、本当にくると思うか?」

「――――――――――は?」

 

 そんなのいつか来るに、決まっ――。

 

「そんなの、分かる訳ないじゃん……!」

 

 勘違いしていた。

 今まで私は、どう攻めるか、どう奪い返すかばかりを考えていたはずだ。

 それなのに、いつの間にか思考は()()方向へとすり替わっていた。

 

 防衛を考えるということは、敵が来ることを前提にするということだ。来るかどうかではない。

 もう来るものとして、頭の中で扱っていた。

 

 しかし、それは本来不要な考えだ。

 今までフォグマンは、ハブまで攻めてきたことなど一度もない。

 来る、来ないで言えば、来ない可能性の方がずっと高い。

 

 それでも私は疑わなかった。

 なぜなら、アークが防衛策を打ち出したからだ。

 

 攻めるための策ではなく、守るための備え。

 その時点で私は、無意識のうちに、敵は来るという前提を受け入れてしまっていた。

 

 気づいた瞬間、背中に冷たいものが走った。

 私は敵ではなく、味方に考え方を誘導されていたのだ。

 

「アーク!」

 

 どういうつもりだと、私は叫ぶ。アークは変わらず笑っていた。

 もう一度、今度は強く求めるように「アーク」と呼びかけると、彼は一転して能面のような顔を貼り付けて言った。

 

「心底、うんざりしてしまったのだよ」

 

 この瞬間、アークは見た目通りの老人のように思われた。

 

「何も選ばず、文句だけは一丁前の人々に。

 誰かが選んだ結果を嘲笑うだけの人々に」

 

 それは懺悔のようにも思われた。風車は止まっている。滲んだ汗が流れない。停滞。

 

「だから、強制的に選ばせてみようと思ってな。

 その結果が如何なるものであれ、苦汁を舐める顔を見られるのなら――胸が空く」

 

 それは膿を出すようにアークから絞り出された本音だったに違いない。ハッキリ言って、迷惑だ。でも、彼を追い込んだのは私だから、向き合わなければならないのだろう。

 私はアークを真っすぐ見つめる。

 

「それが正しい事だと?」

「……正しいとは思っておらん。

 だが、正しさで人が動かぬことは、もう知っている」

 

 後ろめたさを感じる物言いだった。だったらまだ引き返せる。説得できる。

 

「でもさ、これが本当に選んだと言えるの? また何か起きたらアークのせいにされるだけじゃないの?」

「かもしれぬ。だが『何も起こらないまま、腐っていくこと』これは起きない。

 人のせいにした後、必ず選ばなければならない時が来る」

 

 誰かのせいにできるうちは、思考を止められる。だが現実が続く限り、責任転嫁は一度で尽きるのだとアークはそう言いたいのだろう。

 しかし――

 

「それって、追い詰めてるだけじゃないの?

 選ばせてるんじゃなくて、逃げ道を潰してるだけじゃないの?」

「……逃げ道を残したままでは、人は一生選ばん」

 

 アークはそう言い切った。

 その声は強かったが、どこか硬かった。自分に言い聞かせるような響きがあった。

 

「でもさ」

 

 私は一歩踏み込む。

 

「それ、選ばせたいんじゃなくて――アークがもう、信じるのをやめただけじゃない?」

 

 沈黙。

 

 アークの眉が、わずかに動いた。

 

「信じていたなら、こんな回りくどいことしないでしょ。

 説得するとか、説くとか、時間かけるとかさ」

 

「……」

 

「どうせ分からない、どうせ腐るって思ってるから、追い詰めるしかないって結論になるんじゃない?」

 

 言ってから、少し後悔した。

 言い過ぎたかもしれないと思ったからだ。

 

 だが、アークは怒らなかった。

 ゆっくりと腰を下ろし、大きなため息をついた。

 

「……若い頃な」

 

 ぽつりと言った。

 

「わしも、お前と同じことを言った」

「……え?」

 

 アークはなおも続ける。

 

「人は考える。人は選べる。時間をかければ、きっと理解すると。

 そう信じて、待った。説いた。譲った」

 

 アークは笑った。

 それは誇らしさではなく、苦い自嘲だった。

 

「結果はどうなったと思う?」

「……」

 

「審問官の死体が転がった。それだけだった」

 

 アークは過去に思いを馳せている。私は口を挟まない。

 

「皆、選ばなかったのだ。

 わしの言葉を信じることも、否定することもせず、

 ただ様子を見ると言って、何もしなかった」

 

 もはや私の想像を超えて、アークの奥深くまで入り込んでいる。

 

「その間に、死んだ者がいた。

 守れたはずの者も、守れなかった」

 

 沈黙が落ちる。

 

「だからな……」

 

 アークは、両手を見つめた。

 

「もう一度、同じことをする勇気が、わしには無いのだ」

 

 その言葉は、策士のものではなかった。

 ただの、疲れ切った老人の声だった。

 

「……アーク」

 

 私は、少し声を落とす。

 

「それ、選ばせたいんじゃないよ。

 もう二度と、間違えたくないだけでしょ」

 

 風が吹いた気がした。

 

「また待って、また信じて、

 それで誰かが死ぬのが怖いんでしょ」

「……」

「だったらさ」

 

 私は、はっきり言った。

 

「人を信じない策じゃなくて、自分が耐えられる賭けを選んだ方がいいんじゃない?」

 

 長い沈黙。

 やがて、アークは深く息を吐いた。

 

「……お前は、残酷だな」

「知ってる」

 

 小さく、笑いが落ちた。

 

「だが……そうかもしれぬ」

 

 アークは顔を上げた。

 その目に、先ほどまでの策士の光はなかった。

 

「わしは、人を追い詰めているつもりで……本当は、自分が追い詰められぬようにしておったのか」

 

 しばらくして、彼は言った。

 

「……策は変える。無駄に不安をあおる真似はよそう」

「そう、良かった。……後で何してたか報告してね」

 

 この様子だと、フォグマンの死体を動かすこと以上に、情報操作やら何やらをしていたに違いない。

 

 今度こそ、強い風が吹いた。風車がゴオンと音を鳴らして回る。

 

 私たちは正道を歩む。

 その果てに、何があろうとも。

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