剣を振るう腕が重い。
息を吸うたび、血の匂いが喉に張り付く。
「……くそ」
目の前で、また一人が倒れる。
助けに行こうとして、足が止まる。
(間に合わない)
その判断が、頭をよぎった瞬間。
音がした。
鈍く、重く、金属が叩き潰されるような音。
フォグマンの骨が砕ける音とは違う。
もっと乱暴で、もっと雑で、笑っているような音。
次の瞬間、白い影が宙を舞った。
フォグマンがまるで瓦礫のように投げ飛ばされたのだ。
「……?」
一拍遅れて、笑い声が聞こえた。
「ははっ! 脆いな!!」
闇の向こうから、笑い声が響いた。
次の瞬間別のフォグマンが斧に叩き潰される。刃ではない。鉄の塊で、力任せに殴っただけだ。
――シェク族の戦士、バーサーカー。
角を持つ男たちが、街路を塞ぐように並んでいた。雑多な衣服に鎧は血と泥にまみれ、顔は笑っている。
「まだいるか!?」
「向こうにまだいるぞ!」
楽しげな声。
恐怖も、迷いもない。
フォグマンが、後ずさった。
白い影が、街の外へと逃げ始める。
それを見て、誰かが息を吸った。
「……逃げてる」
信じられない、という声だった。
もう一体、フォグマンが倒れる。
次の瞬間、街路は静かになった。
(……終わった?)
誰もすぐには動けなかった。
やがて、誰かが叫ぶ。
「……助かった!」
「生きてる……!」
その声に、次々と膝が落ちる。
剣を手放す者、泣き出す者、抱き合う者。
夜が、確かに終わろうとしていた。
東の空が、わずかに白む。
「朝か……」
誰かが呟いた。
バーサーカーの一人が、大剣を肩に担いだまま辺りを見回す。
「つまらないな。もう終わりか?」
「十分だろう」
「まだ前哨戦だと聞いたぞ?」
その言葉に、周囲がざわめいた。
私は、剣を握ったまま息を吐いた。
(……助かった)
そう思ってしまった自分を、否定はしなかった。
実際、助かったのだ。
アークが、私の横で静かに言う。
「……生き延びたな」
「うん」
それだけで、今は十分だった。
街は壊れている。
疑念は残っている。
だが――
夜は終わった。
*
「ゴースト!」
「ショウか。良いタイミングで到着できたようだな」
援軍として現れてきたのは、当然というか何というゴーストの軍だった。
「で、次はどうする?」
「想定通り、と言いたかったけどね」
私はハブであった事を焚火の前でゴーストに話した。この街であった、疑いと緊張の日々。
そして、守りきったが故に残った、重たい空気。
フォグマンの死体は片付けられ、血は砂に吸われている。
人々は生きている。だが、どこか現実感が薄い。
結果として街は守られた。しかし、果たして再起できるだろうか。
「その事だが」
アークが口を開いた。
「忍者達の結束は、不本意ながら強まっている。鬱憤も貯まっている。攻め戦ならあるいは……」
最後は言葉を濁した。本当に散々な結果故なのだから当然だろう。
「攻めなくば潰れる状況、か」
立ち上がる。
焚き火の火の粉が舞い、影が大きく揺れた。
「この街には、もう余裕がない」
一拍。
「ならば選択肢は一つだ」
ゴーストは立ち上がる。
焚き火の火の粉が舞った。
「行くぞ、モングレルだ」
「ここで腐るより、よっぽど建設的だね」
誰も反論しなかった。
それが正しいかどうかは、誰にも分からない。
今の私たちにはそれで十分だった。
*
道中。
夜明け前の荒野を、私たちは歩いていた。
モングレルまでは半日ほど。
距離としては近いが、心理的には遠い。あそこは死地だ。二度と帰りたくない場所だ。
――だった、はずなのに。
「それで、モングレルは今どうなっているのだ?」
先頭を歩くバーサーカーの一人が、気楽に聞いた。
「半壊」
「半壊か!」
「喜ぶところじゃないと思うけど」
そう言うと、男は笑った。
「いや、丁度いいだろう。壊す手間が省ける」
後ろでも似たような笑いが起きる。
緊張感はある。だが、張り詰めてはいない。
「フォグマンは残っているか?」
「たくさん」
「じゃあ仕事はあるな」
「何の?」
「戦いだ、決まっている」
バーサーカー達は、あくまで行くだけの前提で話していた。
取り返せるかどうか、ではない。
どう取り返すか、でもない。
行ったら、戦いが起きる。それだけで十分らしい。
「……あんた達は疑わないの?」
ふと、私は聞いていた。
「何を?」
「内通者とか。裏切りとか」
一瞬、足音だけが続く。
「さあな」
ゴーストが肩をすくめた。
「いるかもしれんし、いないかもしれん」
「気にしないの?」
「勿論」
振り返って、笑う。
「妙な真似をしたら殺す! それで十分だろう」
あまりにも雑な結論だった。
バーサーカー達がどっと笑った。
私も、少しだけ口元が緩む。
「見えたな」
「モングレルだ」
誰かが言う。
恐怖はない。
代わりに、奇妙な高揚があった。
「……取り返せる気がしてきた」
私が呟くと、ゴーストが鼻で笑った。
「気がするじゃ困る」
「?」
「やるのだ。そうだろう?」
その一言で、十分だった。
不安は消えていない。
だが、背中を預けられる人間がいる。
それだけで、
前に進む理由にはなった。
私たちは、歩調を少しだけ早めた。
*
最初の衝突は、拍子抜けするほどあっさりだった。
モングレル外縁。
崩れた門の前に、フォグマンが群れていた。
「多いな」
「しかし弱い」
ゴーストが一歩、前に出る。
「――突撃」
合図はそれだけだった。
バーサーカー達が一斉に走る。
叫び声もなく、ただ砂を蹴る音だけが荒野に響いた。
剣が振り下ろされる。
鈍い手応え。
フォグマンが弾かれ、地面を転がる。
止まらない。
首を狙わず、叩き潰す。
斬るのではなく、砕く。
フォグマンが組み付こうとした瞬間、逆に抱え上げられ、地面に叩きつけられる。
骨の折れる音が、はっきりと聞こえた。
「ははっ、軽いな!」
「もっと来い!」
バーサーカー達は、笑っていた。
恐怖がないのではない。
恐怖を、力で押し潰している。
私は横から斬り込む。
剣が肩口に食い込み、青白い体が崩れた。
――減っている。
数が、確実に。
「押し込め!」
ゴーストの声が響く。
前線が一歩、前に出る。
フォグマンは後退する。
逃げるのではない。押されている。
崩れた門を越え、市街へ。
通りの両側から、バーサーカーが突入する。
フォグマンの群れが裂ける。
孤立した個体が、次々と倒れていく。
屋根の上から跳びかかる影。
だが、着地する前に叩き落とされる。
恐れて立ち止まる者が、誰もいない。
「後ろを取らせるな!」
「了解!」
声が飛び、即座に応じる。
迷いがない。
勝てる。そう確信した瞬間。やはり奴らは現れた。
鋭い雄叫びと共に、黒く、巨大な魔物が現れる。
フォグマンの変異種、伝説に語られる怪物、ミストグールが現れたのだ。
「ハッハァ!」
その怪物の異様さを見ても、なおもバーサーカーは嗤った。
だが、次の瞬間。
ミストグールが一歩踏み出しただけで、空気が変わった。
砂が舞い、視界が歪む。
「来るぞ!」
警告は、半拍遅れた。
ミストグールの腕が振るわれる。
ただそれだけで、前列のバーサーカーが三人、まとめて吹き飛ばされた。
重い。
フォグマンとはまるで違う。
斬った感触がない。叩いた手応えも薄い。
「効いてないぞ!」
「くそ……!」
剣が弾かれる。
槌が止まる。
ミストグールは、笑っていた。
歪んだ口を裂き、楽しげに。
「下がるな! 固まれ!」
ゴーストの声が響く。
だが、声の届く範囲が狭い。
ミストグールが突っ込んでくる。
壁のような質量。
一人が受け止め、吹き飛ばされる。
二人目が踏みとどまり、叩きつけられる。
地面に転がる身体。
すぐには立ち上がれない。
「……まずい」
私は歯を食いしばる。
これは違う。
今までのような、押せば勝てる戦いじゃない。
「散るな! 囲め!」
ゴーストが叫ぶ。
「ミストグールは一体だ! 数で押せ!」
バーサーカー達が、笑いながら応じた。
「言われなくてもな!」
「一体なら、余裕で倒せる!」
一体なら、余裕で倒せる。
その言葉が、呪いのように耳に残った。
霧が揺れる。
ミストグールの背後、瓦礫の隙間、崩れた建物の影。
闇の中から、別の影がゆっくりと立ち上がった。
一つではない。
二つ。
三つ。
音の方向が、違う。
「……おい」
誰かが、息を呑む。
屋根の上。
通りの奥。
門の残骸の向こう。
黒く、巨大な影が、三体。
そして、少し遅れて、霧のさらに奥で――
もう一つが、動いた。
「……四体、だ」
誰も、すぐには声を出せなかった。
フォグマンの群れが、再び動きを変える。
攻めてこない。
散らばりもしない。
ミストグールの周囲に、輪を作るように下がった。
守っている。
「まずいぞ……」
バーサーカーの一人が、低く呟いた。
その瞬間、正面のミストグールが踏み込む。
地面が揺れた。
砂が跳ね、霧が巻き上がる。
「受けろ!!」
二人が前に出る。
剣と槌が、同時に振り下ろされる。
――手応えが、ない。
叩きつけたはずの武器が、弾かれる。
次の瞬間、反撃。
腕が振るわれ、二人まとめて吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
「……くそっ!」
私は横から斬り込む。
肩口を裂く。
だが、刃は浅い。
ミストグールが振り向く。
霧の向こうから、歪んだ顔が覗く。
腕が来る。
咄嗟に跳ぶ。
風圧が身体を打つ。
着地した地面が、次の瞬間、抉れていた。
「下がれ!!」
ゴーストの声。
「散るな! 固まれ!」
だが、側面から二体目が突っ込んでくる。
背後では、三体目が屋根を伝って動いている。
四体目は、霧の中。
姿が見えない。
「……囲まれる!」
誰かが叫ぶ。
その直後、背後から衝撃。
私は転がり、辛うじて避ける。
起き上がった瞬間、視界の端で誰かが吹き飛ばされた。
地面を転がり、動かない。
一瞬、足が止まる。
その隙を、ミストグールは逃さない。
正面から突っ込み、押し潰すように踏み込む。
壁のような質量。
一人が受け止め、吹き飛ばされる。
二人目が踏みとどまり、叩きつけられる。
骨の折れる音。
呻き声。
霧が濃くなる。
視界が、急速に狭まる。
「位置が……分からん!」
声が、近いのか遠いのかも分からない。
時間が、伸びる。
何分戦っているのか、分からない。
腕が重い。
息が焼ける。
剣を振るたび、鈍い痺れが走る。
ミストグールは、倒れない。
削れているのは、こちらだ。
「……このままじゃ、削り殺される」
誰かが言った。
否定する声は、出なかった。
その時、左側で轟音。
瓦礫の山が崩れ、ミストグールの一体が足を取られた。
完全に転倒はしない。
だが、体勢が、僅かに崩れた。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「……今だ!」
誰かが叫んだ。
それは合意ではなかった。
命令でもなかった。
選択だった。
「一体に集中しろ!!」
ゴーストの声が、霧を裂いた。
「他は捨てろ! 今、これを落とす!」
「囲まれるぞ!」
「背後が――!」
反論はあった。
だが、動く者の方が多かった。
誰もが理解していた。
今、何も倒せなければ、終わる。
全員が、一体へ向かう。
背中を晒す。
倒れている仲間を置いて。
剣が突き立つ。
槌が叩き込まれる。
ミストグールが吼える。
怒りではない。
焦りだ。
背後で悲鳴。
衝撃音。
だが、振り向かない。
脚が砕ける。
体勢が崩れる。
「首だ!!」
私は踏み込み、刃を突き立てる。
骨の隙間。
今までで、一番深く入った。
次の瞬間、槌が叩き落とされる。
鈍く、重い音。
巨体が、崩れ落ちた。
霧が、一瞬だけ薄くなる。
「……倒した!」
誰かが叫ぶ。
だが、息をつく暇はない。
二体目が迫る。
三体目が跳ぶ。
だが、何かが違う。
フォグマンの群れが、乱れている。
動きが、揃っていない。
一体倒しただけで、空気が変わった。
だが、まだ三体。
楽にはならない。
二体目が突っ込む。
今度は、足を狙う。
止める。
叩く。
削る。
三体目が屋根から跳ぶ。
着地の瞬間、集中攻撃。
それでも、倒れない。
一人、また一人、地面に伏す。
立ち上がらない。
息が、限界に近い。
腕が、上がらない。
それでも――
誰も、逃げなかった。
四体目が、霧の中から現れる。
最後の一体。
だが、その動きは鈍い。
群れを失い、判断を失っている。
「……終わらせるぞ」
ゴーストの声は、掠れていた。
全員で、前に出る。
叩き潰す。
斬り伏せる。
止める。
最後の一撃。
巨体が、地面に倒れ伏す。
霧が、ゆっくりと晴れていく。
沈黙。
荒い息。
血と砂。
倒れた仲間。
しばらく、誰も動けなかった。
「……生きてるな」
誰かが、呟いた。
私は剣を下ろす。
手が、震えている。
恐怖じゃない。
疲労だ。
軽い勝利じゃない。
綺麗な勝利でもない。
だが、確かに――
モングレルは取り戻された。