砂嵐がやんだ時、私たちはハブの門の前に立っていた。
フォグマンの血でまだ湿った装備。息を吸うたびに、鉄と腐臭の残り香が喉を刺す。
難民たちはその姿を見て、しばらく言葉を失っていた。
やがて一人が叫んだ。
「帰ってきたぞ! フォグマンの巣を潰した連中が帰ってきた!」
その声が夜風に乗り、街中へ広がった。
焚き火の光が強くなり、通りに人が集まり始める。
誰もが信じられないという顔で、私たちを見つめていた。
「本当に戻ってきやがった……!」
「フォグマンどもを皆殺しにしたって話だぞ!」
「リーダーは女らしい! 見ろ、あの剣!」
歓声とざわめき。
それは、私たちがこの荒れ果てた土地で初めて聞いた“称賛”という音だった。
人々の笑い声が爆ぜる。
いつの間にか焚き火がいくつも増え、通りには即席の酒場ができていた。
樽が開けられ、粗末な木皿に焼いた肉が並ぶ。
それに迷わず食いついたのはシャクだ。
「おい、飲めよ! 英雄様は黙って飲むもんだ!」
シャクが笑いながら盃を押し付けてくる。
中身は安酒というより、灯油みたいな味だ。
それでも喉が焼ける感覚が、なぜか心地よかった。
リフは珍しく口元を緩め、静かに頷く。
フーミンはすでに数人の男たちに囲まれて、戦の話をしていた。
普段無表情な彼が、少しだけ誇らしげに見えた。
誰かが歌い出し、それが連鎖した。太鼓を叩く者、机を蹴ってリズムを取る者。夜風の中で乾いた声が揃って響いた。
私は焚き火の端で盃を傾けながら、その光景を眺めていた。
笑い声の中に、不思議な静けさを感じる。
――――悪くない気分だった。
贖罪のために始めた戦いだったが、こうして喜ぶ人々の姿を見るのは、心地良い気持ちになれる。
気づけば、星が高く昇っていた。
人々はまだ踊り、叫び、飲み続けている。
街全体が、夢の中にいるようだった。
私は席を立ち、門の外へ出た。
夜風が頬を冷やす。
焚き火の光が背に遠ざかり、闇の中に一人きりになる。
――その時、声がした。
「……お前がショウか」
低く、押し殺した声だった。
振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
粗末な鉄鎧、簡素なズボン。
その胸には、見覚えのある紋章――オクランの燃える炎。
「……ホーリーネーション」
男は頷いた。
月明かりに照らされたその顔は日に焼け、深い皺に覆われていた。
しかし瞳だけは冷たい光を宿していた。
「俺はスキナーだ」
言葉少なげに男は言った。嫌々話していると言わんばかりの、忌々しい声色で。
「用件は?」
スキナーが一歩近づく。
「噂は聞いた。女の身で軍を率い、フォグマンを滅ぼしたと」
「そうだね」
彼の口元がわずかに歪んだ。
短い沈黙。
風が吹き抜け、焚き火の灰が宙を舞う。
スキナーの声は、低く静かに響いた。
「……神は沈黙した。だから人は己を試す。
だが――女が剣を持つ世界では、もはや誰も救われぬ」
酷く面倒な言い回しだった。しかし言いたいことは分かる。
どうやら、
私は言葉を返さなかった。男は続ける。
「ブリスターヒルを狙っていると聞く」
「ええ、奪還する。何か問題でも」
「…………魔女が」
彼はその言葉を繰り返し、暗がりに溶けていった。
その足音が消えた後も、冷たい余韻だけが残った。
私は空を見上げた。
焚き火の煙が星の光を遮っている。
*
翌朝。昨日の喧騒が嘘のように、通りには酒瓶と灰の残り香だけが漂っていた。
「おはようございます」
「おはよう、リフ」
リフと軽く会話を交わし、次いで昨日会った男について話す。するとリフは、分かりやすく顔を歪めた。
「オクラン教徒ですか」
「そうそう、私は無視して構わないと思うんだけど、どう思う?」
「いえ――」
リフは首を振る。どうやら、彼女の方でもひと悶着あったらしい。
「我々の方にもオクラン教徒が現れました。お嬢様ほど直接的ではなかったのですが、やはり良くない感情を持っているようです。今はまだその程度ですが、もし我々の正体が露見したら――」
そこで彼女は言葉を切ったが、言わんとしてることは分かる。私たちは世界の破壊者だ。その被害を直接受けた者は、この廃墟にも多い。もしもバレたら、人々の態度は一変。排斥に掛かるだろう。
「とはいえ、このまま引き下がるのも不自然だ。何か良い対策ないかな?」
「そうですね。さっと思いつくのはやはり、排除してしまうことでしょうか」
さらりとリフは言った。しかし――
「……いや、それは駄目でしょう…………」
「ですよね」
がっくりとリフは肩を落とす。父と同じやり方では意味がないのは、彼女も十分分かっているようだった。
「んじゃ、仲間をもっと増やすってのはどうだい?」
「お前は……」
瓦礫の影から現れたのは、いつか出会ったダスターコートの男だった。
「盗み聞きしてたのは許すよ。勿論名案があるんだよね?」
「へへ、勿論でさあ」
男は口の端を吊り上げ、辺りを見回した。通りの隅では酔いつぶれた傭兵がまだ寝ている。そんな中、彼は声を潜めて言った。
「オクラン教徒どもの間じゃあ、あんたらをどうするかまだ処遇を決めかねている様子でさあ」
それはきっと、昨日の男が言っていた通り、私が女だからだろう。
歯痒い話だった。もしも私が前世と同じく男なら、こんな苦労もしなかっただろうに。
(……まさか今更生やす方法もないし、しょうがないんだけどね)
「でも、オクランの連中がどう動こうが、あんたらの評判はもう広まってる。人を集めるなら今が好機ってことです。追い詰められてる難民、飢えた傭兵、逃げた奴隷――あんたらの名を聞きゃ、黙ってても寄ってくる」
私の諦めにも似た諦念を余所に、男は希望に満ちた言葉を吐いた。
彼の言葉に、リフが小さく眉を動かした。
「つまり、戦力を集めろと?」
「その通り。だが、オクランの息が掛かった連中は避けた方がいい。あいつらは異端者の匂いを嗅ぎつけるのが早い」
「しかしブリスターヒルの奪還を目指す以上、オクラン教徒を避けるのは――」
リフがそこで言葉を止め、ふと顔を上げた。
「……ああ、なるほど。まずは別の拠点を確保するのですね」
「ああ……」
私は納得するように頷いた。
「ブリスターヒルはオクランの本丸。いきなり攻めれば宗教ごと敵に回すことになる。だったらまず、奴らが手を出しにくい場所を奪う。
それで
リフが頷いた。
そうだ。最終目的はそれとしても、次の目的地がそこである必要はない。要は同じ実績作りだ。オクラン教徒が無視できない程の実績を積めば良い。
そして私の拠点を持ってしまえば、それはもう父の勢力から外れ、独立していると主張できる。
(勿論それにオクラン教徒が従うとは思えないけど)
勢力を率いてしまえば、手を出しづらくなる。そのための拠点には、
その地とは――
「――――モングレル。霧の中にある隠れ街、か」
フォグアイランド、霧の中にぽかりと浮かぶ島のように、その街は存在していた。そこにはオクラン教の弾圧から逃げ伸びた人々が暮らしていた。無論、それは昔の話。父に滅ぼされ、今はフォグマンが巣食う街になり果てているらしい。
「へへ、あんたらは本当に運が良い」
男は言った。
「かつてモングレルに君臨していた伝説の剣豪――審問官殺しの男が今も生きている」
その情報から、絞れる人物像はただ一つだった。
私は呟く。
「アーク。生きていたんだ」
「へへ、ご明察。あの男なら、モングレルの残党を集められる」
原作キャラクターとの会合が、迫っていた。