kenshi 世界征服のその後で   作:PSコン

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6.モングレル奪還戦

 霧が満ちていた。

 それは空気ではなく、血や腐肉の臭いを孕んだ息のようだった。

 

 フォグアイランドの中心。崖と谷に囲まれた高台の上、モングレルの街は沈黙していた。

 かつてはホーリーネーションから逃れた者、遺跡荒らしのテックハンター、そしてシノビの者、雑多な人々が暮らしていた。

 

 今、そこには誰もいない。

 

 崩れた門扉には、白く乾いた骨が挟まっている。壁の上には首のない死体。通りには槍が転がり、その先には誰かの腕が絡みついていた。

 

 風が吹く。

 霧が流れ、瓦礫の隙間から何かが転がる音がする。それは石か、頭蓋か。誰も確かめる者はいない。

 

 屋根の崩れた酒場には、まだ椅子が立っていた。倒れた机の上には、乾いたコップ。中に残る赤黒い染みが、酒なのか血なのかはもう分からない。

 

 時間が止まっている。

 街全体が、一度に息を止めたかのようだ。

 

 モングレルは滅びた。

 残っているのは、霧と、骨と、沈黙だけだ。

 

 その静寂を破るように、遠くで金属の音がした。霧を裂くような足音が。

 

 傭兵がいた。

 各々が自慢の得物を手に。

 

 難民がいた。

 抱える荷には何も入っていない。それでも両腕で守るように抱いていた。

 

 かつてオクランを信じた司祭がいた。

 今は何も信じず、それでも祈りの形だけは捨てられずにいる。

 

 逃亡奴隷がいた。

 足枷の痕を泥に隠し、鉄の棒を槍代わりにしていた。

 

 シノビの者がいた。

 肩に担いだ刀と、懐の暗器に気を配りながら。

 

 流浪の医師がいた。

 腰の包から覗くのは、薬草と、血の染みついた包帯。

 

 テックハンターの遺跡荒らしがいた。

 発掘品より再生した、クロスボウの調子を整えながら。

 

 多くの者がいたのだ。

 彼らは一つの目的に向かい、歩幅を揃えて行軍していた。

 

 その目的は、モングレルの奪還ただ一つ。

 

 その先頭にいるのは、一人の女と老人。

 

 突如現れ、瞬く間にフォグマンの巣を潰した大剣使いショウ。

 かつてモングレルの顔役だった老人、剣士アーク。

 

 そして対するは――

 

 沈黙が割れる。金切り声が上がる。青白い虫人間たちが起き上がる。

 フォグマン。モングレルの現支配者である怪物たちが、殺意を露わにした。

 

 私は息を大きく吸い込んだ。

 そして全軍に向け指示を出す。

 

「武器を取れ! そして、怪物どもを、蹴散らせぇ!!!!!」

 

 元より烏合の衆。軍を指揮した経験を持つ者もいない以上、取れる手はただ一つ。

 ランチェスターの法則に基づいた、より強く多い方が勝つという、自然の節理を叩きつける戦法とも言えない戦略。

 

 私が振るった声で列が動く。散兵隊だらけ故に編成など無い。各々が判断し、各々が突っ込む。だが一つの圧力となって、フォグマンの群へ向かっていった。

 

 最初の衝突は想像よりも速く、そして鈍かった。フォグマンの群れは群像を成し、牙のような短剣、先の尖った骨で前衛を引き裂こうとする。彼らの動きは本能的で、数の暴力を以て押し進める。

 

 私の周りで人が縦横に割れる。槍が突き出され、弧を描く刀が皮膚を裂いた。矢が空を引き裂き、鈍器が骨を砕く音が連鎖する。

 

 シャクは大きく弧を描いて、重いサーベルで一体を薙ぎ払った。刃が滑るように通り、化け物の胴が崩れる。だがその反動で砂が舞い、視界が一瞬狂う。シャクは無我夢中で剣を振るった。

 

 一方フーミンは群の側面を蹂躙する。短い足取りで隙間を見つけ、刃先を差し入れる。その素早さはまるで影が裂けるようで、フォグマンの視界と反応を置き去りにする。彼が一体を倒すと、次の瞬間には別の背後に回り込んでいる。効率的で無駄がない。

 

 それでも戦場は優しくない。難民たちの中から叫びが上がり、医師が駆け寄る。誰かの腹部を裂いたフォグマンの尖った肢は、血を撒き散らしている。司祭崩れが祈りの詩句を呟き、祈りの言葉はすぐに泥と血に濡れた。

 

 リフは二人のフォグマンを一振りで叩き潰すと、即座に次の敵へと振りかぶった。フォグマンの悲鳴が響く。彼女の周りでは混乱するフォグマンが戦意を喪失したように逃げ回っていた。

 

 攻勢が続くにつれ、フォグマンの列に小さな崩れが生まれる。裂け目を見つけた者たちが一斉に飛び込み、内部で斬り結ぶ。フォグマンは数量で優れたが、装備と意思は人間側にある。短期勝負ならば、人間たちのほうが鋭い。

 

 だが戦況は局面を変える。霧の奥から別の影が動いた。背の高い、異形のフォグマンがゆっくりと立ち上がる。重戦士だ。棍棒を高く掲げるその姿は、これまでの群とは別格だった。

 

 それを見た瞬間、戦場の空気が変わる。重戦士の一撃は、周囲の地面すらえぐり、衝撃が伝播する。数人が投げ飛ばされ、矢が軌道を狂わされた。人の列は一瞬たじろいだ。

 

「デカブツだ! 足を止めるな!」

 

 シャクが叫ぶ。だが叫びは届くのが遅い。重戦士が振り下ろすたびに地響きが増し、戦意を粉砕するかのようだった。

 

 私は剣を握りしめる。息を整え、フォーリング・サンを高く掲げる。刃は重く輝いている。重戦士が棍棒を振るうたび、私も退かずに受け流し、その巨体の重心を崩す。

 

 闘いは格闘技のような細密さを帯びる。鋼がぶつかり、軋む。粉塵が舞い、血が刃に飛び散る。猛然と連撃を繰り出す。一本、二本、三本。斬撃が重戦士の外殻を穿ち、肉の裂け目から白い体液が滴る。

 

 フーミンが側面から刃を差し込み、シャクが下から突く。重戦士は大きな一撃で彼らを押し戻そうとするが、三人の連携が少しずつ、その運動を削いでいく。巨大な一撃の前に粘り強く差し込まれてゆく。

 

 そしてある瞬間――重戦士が力尽きた音がした。鈍い断裂音と共に棍棒が土へ落ち、巨体は膝をついた。フォグマンたちが狼狽し始める。群れは統率を失い、そこに裂け目が生じる。

 

 私は息を整え叫んだ。

 

 「今だ! いっけえぇ!!!」

 

 群衆が息を合わせる。一本の道筋が開き、彼らは突進した。霧の中、血と泥と肉の匂いが渦を巻く。

 

 やがて門前までの道が一気にクリアされる。瓦礫を越え、倒れた仲間を踏み越え、私は先頭を走った。アークの横顔をちらりと盗み見る。彼の目は冷たく、古い戦場を思い出すように光っていた。

 

 門扉が視界に迫る。そこには白い骨の山が積まれ、裂けた布が靡いていた。だが今、誰かがその山を押し崩し門を跨いで進む。人々の足音が太鼓のように連なり、霧が割れて光が差し込む瞬間があった。

 

 モングレルの中心へ――私たちは突入した。

 

 人々は勝利を確信する。私も同様だった。既に門前にいたフォグマンは殲滅した。残るは掃討戦だと誰もが信じていた。

 

 

 ――――だが、やはりと言うべきか。そうは問屋が卸さなかった。

 

 

 誰かが宙を舞う。その者が門に叩きつけられ、潰れたトマトのように血しぶきをあげた。

 私は咄嗟に振り返りその惨劇を見てしまう。そして見ている間に死体がもう一つ叩きつけられた。

 

 私は前方に目を向ける。今度は振り返らなかった。

 

 そこにいたのは青黒いフォグマンだった。外骨格は鋼鉄のようで、隆起した筋肉が皮膚の下で波打っている。背丈は二メートルを優に超え、片腕には骨を削って作った棍棒のようなものを握っていた。

 

「――――――ミストグールか」

 

 隣でアークが呟いた。ミストグール、聞いたことがある。

 

「それってフォグマンの事じゃないの?」

「いや、違うな。あれはフォグマンなどという生易しい類ではない。

 あの黒き血の怪物を屠るために、シノビ衛兵が十も命を落としたのだ。」

 

 伝説上の存在は確かに存在していたらしかった。そして――――

 

「それって何体の話?」

「一体だ」

 

 それは二体いた。少なくとも、目に見える範囲でだ。

 

「腕に自信のないやつは下がれ! 周囲を警戒しろ! あれは私とアークが殺る!!!」

「うむ、それがよかろう」

 

 棍棒が唸りを上げて振り下ろされる。

 私は地を蹴り、横合いに避ける。地面が砕け、砂利が舞い上がった。そのまま滑るように間合いを詰め、ふくらはぎへと斬りつけた。火花と、確かな手応え。

 

「――――っ!」

 

 だが、浅い。堅牢な外骨格の表面を削っただけだった。

 反撃が来る。棍棒が水平に薙がれ、空気が裂ける。避けきれず、肩口に衝撃が走った。血が飛ぶ。だが、まだ動ける。

 

 私は大剣を地面に叩きつけ、衝撃で跳ね上げるように構え直した。呼吸を整える暇もない。

 

 棍棒が再び振り下ろされる。砂埃が顔に張り付く。腕が痺れる。肩が、腰が、全身が悲鳴を上げているのが分かる。だが、止まってはいられない。

 

 再び踏み込む。大剣を振るうと、刃先が僅かに外骨格を抉った。鋭い音が耳を突き、塵と黒い体液が混ざった飛沫が顔を洗うようにかかる。視界が揺れ、目の端が赤くなる。

 

「くっ……!」

 

 思わず短く息を漏らす。体に力を込めると、足元がふらついた。棍棒の一撃が肩に残る痛みを引きずらせる。血がにじみ、重さが増した。

 

 ミストグールは怯まない。ただゆっくりと、しかし確実に殺意を帯びてこちらを見据えている。目には理性のない力、それだけがあった。

 

 短い隙を見つけてもう一振りする。しかし今度は棍棒に跳ね返された。手元に伝わる反動で肘が軋む。体勢を崩し、膝をつきそうになる。

 

(立て!)

 

 自分に怒鳴るように命じる。声は出ず、あまり力が出なかった。それでも立ち上がるしかない。戦場は容赦しないのだ。

 

 ミストグールが次の一撃を加える。私の脚を狙ってきた。咄嗟に跳び退くも、刃が脛を掠め、鋭い衝撃とともに熱が走る。足に力が入らない。よろめき、転びそうになるが、何とか踏みとどまる。

 

 血が滴り、砂に赤が混ざっていく。心臓の鼓動が耳元で鳴り、頭の中が霞む。

 

(強い……!!!)

 

 疲労が筋肉を鉛のように重くする。呼吸は浅く、肺が痛む。

 ミストグールが片手を棍棒から話す。

 

「あ…………!」

 

 不味い、と思った時には遅かった。敵の拳が私の顔面を打ち据える。バキリと、頬の骨が折れた音が響く。口内が切れたのか、血の味が口全体に広がった。

 

 手痛い痛手だが、諦める訳にはいかない。

 そうやって意識を高めようと努力しても、気持ちだけでは勝てない。出来ないものは出来ないのだ。不可能を可能にするには、知恵を絞るしかない。

 

 ミストグールの一撃が迫る。時間がない。狙いは頭蓋。大きな振り下ろし。あれを防ぐのは不可能だ。体力の限界が近い。死ぬ……!

 

「――――っ!」

 

 歯を食いしばる。次の一撃が最後だ。次の動きは決めた。まだ終わりではない。いや、これで終わらせる。

 

 棍棒を避けるため、敢えて前進する。タックルを仕掛けるが、ミストグールは小揺るぎもしない。敵と目が合う。濁った瞳から伝わるのは殺意のみ。

 私はその瞳に向け、血を吹いた。

 

「ギィ!」

 

 ミストグールがここに来て初めて声を発した。私は願う。どうか後退しろ!

 

「――――」

 

 願いは、通った。天は我に味方せり。ならば後は、狙いを違わない事だ。私が示す番だ。

 

(狙いは関節!)

 

 そこしかない。でも頭部は駄目だ。硬い外骨格に阻まれ致命傷は期待できない。腕も駄目。片手でも十分な戦闘力が残ってしまう。胴体や首は流石に防がれる。なら――

 

(膝――!)

 

 筋肉を引きつらせ、強引に剣を横向けに構える。

 

「オ――――」

 

 そして――――

 

「ああああぁあああああぁぁあああ!!!!!!」

 

 千切れる筋繊維を無視して、強引に振り切った。黒い血が、ミストグールの左足が地面に落ちる。

 

「あ、はぁ! はぁ、はぁ……!!!」

 

 止めていた呼吸を再開する。殺しきれてはいないが、無力化には成功した。点滅する視界を首を振って直し、顔をあげる。そこには――――

 

「お嬢様!!!」

 

 リフが駆ける。――――彼女の背後には、地獄が広がっていた。

 

 十、二十、無数のミストグールが、貪っていた。そこは最早戦場ではない、ただの、ただの食事場だった。

 

 音が鳴る。咀嚼するような、獣の喉奥から漏れる低いうなりが、霧の底を這うように群れの間を蠢く。湿った布が引き裂かれるような擦過音、骨が砕け、肉が千切れる鈍い衝撃音。

 匂いが襲いかかる。生暖かく、鉄の錆と腐臭が混じり合った悪臭。鼻腔を突き刺し、喉の奥まで侵入してくるその気配は、

 亡骸の山は、まるで操り人形の糸が切れたように無残に折り重なっていた。千切れた手足の先、破れた布の切れ端、名状しがたい臓物の断片が、泥と血にまみれて無秩序に散乱している。何がまだ人の形を留め、何が既に形を失ったのか、私には判断がつかなかった

 

 リフが必死の形相でこちらに駆けてくる。

 

「リ――」

「失礼します!」

 

 リフが私を抱える。私は――――

 

 

 ――――私は、見ていることしかできなかった。

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