敗走は、最悪の気分と言えよう。
痛みも、屈辱も、後悔も、それぞれは耐えられる。だがそれが一度に押し寄せると、人は簡単に折れてしまう。
私はリフに抱えられ、ただ喘いでいた。生き延びた。それは確かに、喜ぶべきことのはずだった。
だが、どうしてだろう。
生きているという実感がない。胸の奥で、何かがとっくに死んでしまった気がする。
死よりも生々しく、生よりも虚しい。
――――敗走とは、きっとそういうものなのだろう。
霧の外に出た時、風の匂いが変わった――ような気がする。湿った臭いから、砂埃の懐かしき香りへ。
「リフ、もういい、降ろして」
リフは暫し逡巡した後、「はい」と答えて私を降ろした。
「他に生存者は?」
「分かりません。無我夢中でしたから。ただ、アークが殿を務めていたのを覚えています」
「うん、見てた。じゃあ一度、ハブに戻るべきかな」
「そうですね――」
リフはもう一度逡巡していた。そして意を決したかのようにして言った。
「――我が家に戻る、という選択肢もあります。貴方は――我々は良くやったと思いますから」
それは甘美な誘い文句だった。もう良い。もう十分頑張ったと、彼女はそう言って、かつての平和な日々に戻る事を提案したのだ。
私は首を振った。
「帰らないよ。まだ、何も出来てない」
「………………分かりました」
リフはまだ何か言いたげだったが、言葉を呑み込んだようだった。
「しかし、ハブに戻るのは得策とは思えません。あそこで出来る事はもう無いでしょう」
「そうかな?」
そこで一度考える。
モングレルの奪還に当たって、必要なのは更なる戦力だ。しかしハブには、減ってしまった戦力以上は期待できないだろう。
ハブに長く滞在する理由は無いかもしれない。
「そうかもね。でも、どうしよう?」
「やはり、戦力が必要な以上は――」
リフは言葉を濁した。しかし言わんとしている事は理解できる。
つまりは、やはり一度父の拠点に戻れと言っているのだ。
風が吹き、砂を巻き上げる。乾いた音が耳に残った。
「スクインに行くのが良かろう」
風に交じってそんな声が響いた。
「アーク。良かった、生きてたんだね」
「辛うじて、な。古傷のお陰で死に損なったわ」
そう言って、アークはズボンの裾を捲った。金属質な光沢が見える。義足だ。音がしなかった当たり、ステルスレッグだろうか。あれは足音を殺し、速度も上げる事が出来る。
アークに義足という設定はなかった筈だし、父との戦闘で負った傷だろう。正しく怪我の功名か。
「他の皆は?」
「生き残った者はハブに向かわせた。もう一度戦わせるのは、難しかろう。上手く説得して、最初の一割程度であろうな」
「…………そっか。ところでどうしてスクイン?」
スクインはシェク族の街だ。が、例によって例のごとく父に滅ぼされている筈。
「スクインはバーサーカー共の棲み処となっておる」
「……彼らは、もう戦士ではありません。今のシェクは理も誇りも失った獣の群れです」
「確かに。獣にも劣る無法者だが――強いぞ」
「それは……」
私は呟いた。
「話通じるのかな?」
「通じるかどうかではない。通さねばならんのだ」
アークは断言した。が、彼にも具体的な方策は無いようだ。またしても出たとこ勝負である。不安だった。
(気が弱くなってるな)
強くあらねば。どうせ目的地に着くまではそれなりに時間が掛かる。直進するのならヴェインを抜ける事になるが、あそこにもフォグマンがいる筈だ。
ぶるりと体が震えた。いけない。本当に気が弱くなっている。
「行こう」
私は言い切った。
太陽は砂丘を血のように赤く染めていた。
*
太陽が沈み、夜の帳が降りる。風が冷え砂を巻き上げた。
「ねえ、リフ」
焚火を囲みながらリフに問いかける。アークは状況把握のため一人ハブへと発っており、二人きりだった。
私はその中でふと、口を開いたのだ。
「シェクを動かすには、どうしたら良いと思う?」
「そうですね…………」
リフは考え込んだ。
昼までの私は戦いの熱に浮かされ、出たとこ勝負を選んだが、夜の冷風と共に、その熱も冷めてしまった。残るのは不安だけだ。
「シェクは強さを重んじます。それは今も変わらないでしょう」
「つまり?」
「私たちも強さを示せば良い、と思います」
最後は自信なさげで歯切れが悪かったが、一理ある。ミストグールの集団相手には敗走してしまったが、一般的には強い部類だろう、私たちは。
「でもいちいち大勢は相手していられないよ。バーサーカーに首領はいるのかな?」
「かつてはゴーストと呼ばれるシェクがそうだったようですが、今も存命かどうか……」
「もっとアークに聞いておくべきだったか」
「……いえ、手あたり次第倒していけば首領が出てくるでしょう」
「嘘でしょ? 妬いてんの?」
意外と負けず嫌いな面のある従者の姿に戸惑いながらも、時は一刻と過ぎ、私は気がついたら眠っていた。そうして夜が更ける。
さて、ここらでゴーストという人物について記しておこう。
ゴーストとはかつてはシェク族の戦士だったが、所持していたメイトウを紛失したために追放処分されている(余談だが、このメイトウはゴリロ盗賊の首領が所持しており、今では私の父の手に、即ち私の拠点にある)。
その後バーサーカーのリーダーのような立ち位置にいるが、残念ながらバーサーカー所属において彼の重要性は皆無だ。死んだとしても、街に影響はない。
逆説的に、薄っすら見える父の方針からして。生き残っている可能性自体は存在している。
「……………………………ねえ、やっぱり無理があったんじゃないかな」
「…………」
スクインの街は、渓谷の合間に出来た街
過去形なのは、例に漏れずこの街も滅びているからだ。渓谷の合間を流れる川のように、瓦礫が積もっている。そして瓦礫の中、辛うじて床のある場所にやせ細った角ありの戦士たち――シェクが佇んでいた。
そのスクインにて襲ってきたバーサーカーを返り討ちにしていたのだが、一向にリーダーらしき人物は現れなかった。散発的に――いくつかのシェクは名乗りをあげながら――襲い掛かってくるだけである。これならそこらの野盗の方が、よほど統率が取れている。
「困ったね。これじゃあ仮にゴーストが生きていたとして、戦力を集めるのは難しそうだ」
「…………」
「リフ? そろそろダンマリ決め込むのやめよーね」
「むぅ」リフは唸った。不服らしい。私はリフの機嫌を取るのを放棄し、比較的軽傷のバーサーカーに向け蹴りを入れる。
「ぅ、ぐぅ……!」
「起きろ。聞きたいことあるんだけど」
ゲシゲシと蹴りを入れ続けると、バーサーカーは唸り声をあげて目を開けた。
すぐにこちらを睨みつけるが、首筋に剣を当てると、観念したのか話し出した。
「何を、聞きたい」
「ゴーストの所在知ってる? もしくはバーサーカーのリーダー」
「我らに、首領はいない。だがゴーストの所在なら知っている」
「良かった。どこ?」
「南西にある、廃村にいると聞いている」
「南西の廃村……」
おそらく、バーサーカーの村だろう。ゴーストは所在を変えていないようだ。父もメイトウを持たず、ただの廃墟であるあそこには手を出さなかったのだろうか。
「うん、じゃあ案内して。君、名前は?」
「クソ、なんで俺が」文句を言おうとした首に剣を喰い込ませる。「分かった! 分かったからやめろ! 俺はダートだ!」
「良し、じゃあ行こうかダート」
そうして、三人になった私たちの旅が始まった。
道中、廃墟となりながらも営業を続けているウェイステーション。テックハンター達の底力に驚嘆しつつも、三日を掛けてバーサーカーの村に辿りついた。
バーサーカーの村は、予想通りの廃墟だった。
丘の上から見下ろす廃墟には一件も無事な家屋は無く、中央に座する塔の残骸が、辛うじて一階部分を隠す壁を残すのみだった。
この世界には有り触れた瓦礫の山。そしてゲームスタートから変わらない見慣れた廃墟がそこにあった。
「で、どれがゴースト?」
「ここからは何とも言えねえよ。ただ、角無しだって噂だ」
私の知る限り、敵前逃亡はシェクにとって恥だ。そして恥さらしは角を折られるという。
ゴーストの場合は少し事情が違うかもしれないが、メイトウ窃盗犯を追わなかったのだから、同じ敗北者という事だろうか。
「しょうがない。降りて戦おう。行くよ、リフ、ダート」
「承知しました。お嬢様」
「俺もかよ……」
丘から滑るように下っていく。後ろから何やら文句が聞こえたが無視して進んだ。どうやらダートは押しに弱そうだし、このままフォグマン討伐まで付き合わせよう。
「たーのもー! ゴーストはどこだ!」
「何だフラットスキン! 戦おう!!!」
走り込んだ勢いをそのままに、大剣を振り下ろす。フォーリング・サンは相手のナマクラを砕き、盛大な音と砂煙を巻き上げ地面を抉った。爆風が舞う。
得物を失くした相手の腹を、峰で打ちしえ倒した。
「ゴーストは何処だ!」
「ぬぅん!!! 殺せ! フラットスキン!!!!!」
頭部を殴り今度は気絶させると、次の相手へと向かう。ダートは例外で、バーサーカーは割とこんなもんだ。
幾度か同じような戦闘を繰り返すと、辺りは静寂に包まれ始めた。周囲を見渡す。角のないシェクは見当たらない。視界が遮られているのは塔の残骸がある場所だけだ。
「リフ、いた?」
「いいえ、見える範囲では。やはり塔の内部でしょうか」
「そうだね。行くよ、ダート!」
「くそ、何でこいつらこんな強いんだ……」
剣を構えたまま塔の内部に侵入する。
階段は崩れ、二階はない。ぎらついた太陽の光が乾ききった床板を照らす。空の酒瓶、割れた陶器、石材、錆びた鉄板。様々なゴミが転がる中、そのシェクは座っていた。
角のない頭部には赤いバンダナが巻かれ、身に着けるのは他に赤い腰巻のみ。骨のような外骨格が一部を纏い、残る地肌は老齢ゆえ皴がれ、飢餓に侵され細いながらも、目に見えて鍛えこまれていた。
「お前がゴースト?」
「フラットスキン、何をしに来た」
決して歓迎している様子ではなかったが、私はそれを肯定と捉えた。少なくとも、他のやつよりは話が通じる。
「力を示せば良いのならそうするけど? お爺ちゃん?」
「後ろのシェク。フラットスキンを連れてきたのはお前か?」
ゴーストは私を無視してダートへと話しかけた。剣の握りに力が入る。ダートはおっかなびっくりした様子で答えた。
「そ、そうだ」
「ふむ……」
ゴーストは目を細めた。
「臆病者のシェクめ。角を折れ」
その言葉が落ちた瞬間、空気が金属のように張り詰めた。他のシェクが反応する。殺意が空間を支配する。私は剣を振り上げる。
――――どうやら、一筋縄ではいかないようだった。