夜が明けきる前の灰色の空。
焚き火はすでに消え、代わりに白い煙だけが地を這っていた。
「それじゃあ、バーサーカーの説得についてはどうしようか?」
私の問いに、ゴーストが誂えていたかのように答えた。
「その件についてだが、私に任せて欲しい」
「ゴーストに? 当てはあるの?」
「無いが……」
彼は少し言い淀んだが、結局迷いのない口調で答えた。
「これは、私がすべき事なのだろう。今後のシェク族の振る舞いに関しても加えてな」
「今後の…………」
現在、シェク族はシェク族として活動していない。私にとっても厄介だが、当事者にとってはもっと苦しい話なのだろう。
そして恐らく、ゴーストはシェク王国を復活させようとしている。
(深入りは……いや、確認した方が良いかな)
既にだいぶ深入りしている。それぐらいは責任を持って把握しておくべきだろう。
「……シェク王国を復活させるの?」
「ああ。そうだ。王族の血脈が途絶えている以上、内情は大きく変わるだろうがな」
「分かった」
私は間髪入れずに答えた。予想通りの内容だったからだ。
「そういう事なら、任せるよ。行こう、リフ。一度ハブに戻ってあっちの状況も把握しなきゃ」
「分かりました。既に準備は終えています。何時でも出発可能です」
「流石」
私は大きく深呼吸する。
今から、逃げに対する清算を行わなければならない。モングレル奪還、フォグマン殲滅から逃げた
「待て、ショウ」
ゴーストが呼び止める。私はまだ話さなければ事柄に思い当たり、口を開く。
「あ、そうか。そっちはどれくらい掛かりそう? 私は状況把握だけなら半日で終わると思うけど、それ以上はちょっと分からない」
「そうだな、どの程度掛かるかはこちらも分からない。把握出来次第、使いを寄こそう。しかしそうではなく――」
ゴーストはこの話題を断ち切るように背後に視線を向ける。
そこには、二人のシェク族がいた。
「我々の戦いに感銘を受けた者がいる。手土産があった方が良いだろう。連れていけ」
「ナットーだ」「ジンバッドだ」
「よろしく、二人とも。でも良いの? ゴーストの手伝いをした方が良いとも思うけど」
私の発言が何やら可笑しかったのか、二人は豪快に笑った。
「確かに。シェク族の未来を憂うならゴーストの許に居るべきだろう」
「だがな、我ら兄弟は思ったのだ。ショウ、お前の方が、より戦乱の匂いがするな、と」
「戦乱の臭いって……」
今度は私が笑う番だった。尤も、こちらは苦笑だが。
「縁起が悪そうだけど、深くは聞かないよ。実際、戦いはあるだろうしね」
「縁起は良いぞ、誇るが良い!」
「大義の許に振るう剣も悪くない!」
なかなか頼りになりそうな二人だった。
(…………でもこれでシェク族の協力を取り付けたと宣言できる。良い手土産だよゴースト)
後は実際ハブでの私の扱いがどうなっているかだが……。
(……行ってみないと分からないか…………)
背を向けた。リフが歩み寄り、軽く頭を下げる。
「行きますか、お嬢様」
「うん」
見送る声はなかった。
振り返れば、ゴーストがただ一人、折れた角の根元を撫でながら立っていた。
その影が朝日に伸びていく。
――もう、幽霊には見えなかった。
*
ハブの街は、相変わらず風の音しかしなかった。
砂混じりの風が通りを抜けていく中、砕けた石畳を更に踏み割るように歩を進める者たちがいた。
「人の街とは静かだな!」
「うるさいですよ。ここは街だから静かではないのです。廃墟だから静かなのです」
「リフも黙っていた方が良いと思う……」
石畳を踏みつぶしながら歩くのは、ナットーとジンバッドという名のシェクだ。彼らはモングレル奪還のための協力を約束し、私についてきた。
「アークを探さないと」
無暗に探すよりは人に聞くべきだろう。周囲を見渡し、忍者の影を捉えた。
「そこのにん――ちょっと!」
しかし声を掛ける間もなく、影は去ってしまう。
「おい、待て」
次の人影を探す間もなく、ナットーが制止を掛ける。何事かと彼を見れば、彼の顔は好戦的な笑みを浮かべていた。
(なにを……)
リフの顔を見れば、彼女は対照的に険しい表情を浮かべていた。
だが、それはやはり戦いの気配を感じての事だろう。
「ジンバットはどう思う?」
「知らんが、兄が感じたのならあるのだろう」
「てきとー……」
戦いがあるのなら、最悪それは構わない。しかし戦いには理由が必要だ。その理由が気になる。果たして私たちが狙われる理由は?
「……アークを探す。戦うのは良いけど、殺さないでよね」
「良し! 素晴らしいリーダーを持てて幸せだなジンバッド!」
「まったくだな、兄よ」
なんか二人から加減というものを感じられなかった。リフが溜息をつく。
「……はあ。私は二人の抑えに回ります。アーク探しはお嬢様にお願いしてよろしいでしょうか?」
「分かったよ。頑張ってね、リフ」
多分、苦労するのはリフの方だろう。戦意を向けてくるのは大半が戦闘能力を持たないであろう難民だ。戦いというよりは、彼らの鬱憤を晴らす羽目になるのだろう。
初めは目立って、徐々にフェードアウトしていく事にしよう。私は駆け出し大きく叫んだ。
「おら! どけ! こーろーすーぞー!」
戦端を開いたのは、私の拳だった。
ふざけて、陽気に振る舞う。胸の奥に残るざわつきを収めるように。
そんな中、アークの気配が、どこかで揺れている――そんな感じがした。
*
アークが居たのは、元々バーがあった廃墟だった。
ハブから少し離れた位置にあるこの廃墟は中々人が寄り付かない。扉は半分崩れ、壁は風に削られて穴だらけだ。
「アーク」
私の呼びかけに、アークが視線を向ける。その目は濁っていて、対照的に頬は赤みをさしていた。
「…………呑んでるの?」
「………………ああ、呑んでるとも」
アークは酒浸りを隠す事も無く、そう返事をした。
私はため息をついて、壊れた椅子のなかからマシな物を選ぶ。
「話、聞かせてよ」
「ああ、良いぞ。お前も呑むか?」
「私未成年だから」
「? まあ、良い。話は簡単だ」
曰く。
モングレル奪還から帰ってきたアークは、まず死傷者の把握に努めた。
死者の中には彼を古くから慕う者が多かったと言う。最前線で戦っていた彼らは、その分危険な位置に近かったからだ。
だがそれは問題ない、と。彼はまったくもって良さそうな調子を見せず言った。
生き残ったのは、力が及ばない者ばかりだったという。
奪還は不可能。その空気はみるみるハブ全体へ広がっていった。最初は嘆きと落胆だった。その空気は徐々に変質し、モングレル奪還戦に参加した人々への当たりが厳しくなっていったという。
そんなのおかしい! という言葉を何とか飲み込んだ。私以上に、アークが打ちひしがれていたからだ。
アークは、その批判に真向から向かったようだ。そのかいあってか、他の参加者への風当りは収まったが、アーク自身は随分と嫌われ者になってしまったらしい。
「こちらの顛末は話した通りだ。そちらは?」
「こっちは――」
私はゴーストと交わした会話を話した。
現時点で少数ながら仲間を手に入れ、そしてそれを増やすようゴーストが働きかけている。
「…………」
アークは口を挟まなかったが、その目はかつての輝きを取り戻したかのように見えた。
「どう? ハブのろくでなし共を変心させるには十分じゃない?」
「…………いや、足りないだろう。言葉だけでは。特に、我々の言葉ではな」
アークは立ち上がった。
「どこ行くの?」
「水だ。酔いを醒まさねばならん」
アークはよろめきもせずすっと歩き出した。その背中は、数時間前まで飲んだくれていた男のものではなかった。
「じゃあ、どうするのさ」
私はコップに水を注ぎ、彼に手渡した。アークは水差しをそのまま受け取り、頭から被った。
「シェクの軍勢ならば、有無を言わせないだろう。そもそもハブの助力は要らない」
「でもそれは不確定。だから私たちでも出来る事をやる」
「然り。だが言葉ではもはや人々は動かない」
「じゃあどうするの?」
「簡単なことだ。希望を奪われた者に、希望ではなく危機を見せるのだ」
アークは即答した。
「ええ、まじか」
「人は守るものを失っているときほど、戦わぬ。ならば逆に、守らねばならぬものを目の前に突きつければよい」
「脅すのは感心しないけど」
「脅す、というより示すのだ。
フォグマンがすぐそこまで来ている、と」
その時一陣の風が吹いた気がした。いや、私の背に冷や汗が伝ったのだ。
「…………ちょっと待って。来てるの?」
「いや、来てはおらぬ」
「じゃあ嘘じゃん!」
どっと汗が引く。この爺さんは一体何を言っているのだろうか。
アークは珍しく口を尖らせた。
「嘘ではない。来る可能性なら、いくらでも作れる」
そしてアークは珍しく口角を上げた。戦士というより、策士の笑みだった。
「ショウよ。お前が倒した巨大フォグマンの死体を使うのだ」
「……おん?」
私が頭の上にクエスチョンマークを載せている間にも話が続く。
「運び入れ、街門の前に晒せ。
『斥候がここまで来ていた、次は群れが来る』と。
人は敵が遠くにいるうちは動かぬが、もう目の前だとなれば一斉に走り出す」
「質の悪いデマだねえ」
苦い顔をする私に、アークは笑みを更に深める。
「追われて初めて動く民もおろう。
だが動き出した者は、やがて己の足で走るようになる。それが軍勢だ」
アークは静かに締めくくった。
「人の心は、希望よりも恐怖の方が先に火がつく。
ゆえに――火種には恐怖を使え」
その一言で、廃墟の空気が変わった。
「……つまり、本当にやるつもり」
「うむ。やらねば未来は開けぬ。なあに、死体を運び、あとは見せつけるだけよ」
アークは濡れた髪を払うと、一歩外へ踏み出した。
砂漠の風が吹き、空はどこまでも暗い。
「今夜運ぶぞ。お前も来い」
「今夜!? 明日で良くない?」
「誰かに見られては不味いだろう。そしてやるからには迅速であるべきだ」
不意にアークの目が、焚き火の赤を反射して細く光った。
「ショウよ。我らの偽りの危機は、今から形になる」
喉が鳴った。
この瞬間から、後戻りはできない。
その時、遠くで鈍い砂の崩れる音がした。
ただの夜風か、砂が滑っただけか――判断はつかない。
けれどアークは振り返らず、ただ静かに言った。
「行くぞ。
ここから先は、もう
そして暗闇へ向かって歩き出す。
私も、否応なくついていくしかなかった。
――こうして、“偽りの侵略”が動き出した。