「こんばんは、先日助けていただいた悪霊です」
「お帰りください」
バタン、と反射で玄関ドアを締め切りしっかりと施錠する。
さてと踵を返そうとしたところ、扉の向こう側からノック音が届く。
「まさか聞き返しもせず締め出されるとは、流石に想定外です。私びっくり。この驚きを面と向かって表現したいので、とりあえず開けてくださいませんか?」
「自らを悪霊と名乗る不審者に何の信頼あって開けてやる理由があるんだ。真偽はともかくロクな予感しないんで元の場所に帰ってくれませんかねえ」
「知ってますか? 霊って場所ではなく人の心に憑くらしいですよ。まあ私は居心地と条件が良ければ何処でもオールオッケーなタイプの悪霊ですが。どちらかといえば人の心派ですね。という訳でおめでとうございます、今日から貴方が私のマスターです」
「仮面〇イダーになる気も聖杯戦争に参加するつもりもないからマジで帰れ」
ツッコミどころの多さに扉越しで対応する俺。我ながら律儀すぎる。
ちなみにこの間、ずっとコンコンコンコンコン扉を絶え間なく叩かれ続けている。某ゲームの名人にも負けない連打っぷりだ。いや怖いわ自称悪霊の連続ノック。
「いいんですかね? こちらにはまだドアノブガチャガチャとインターホン連続ピンポンが残されてるんですよ。そこまではしたくない温情が残っている内に、この顔が良い悪霊美少女を招き入れてあげるのが賢明かと」
「どんな脅しだ。……ああもう、分かったよ。もうどうなってもいいや」
面倒臭さが勝ってしまい、勢いそのまま鍵を解いて扉を開け放つ。
夜の時分でも代わり映えしないはずの我が家の玄関前に、
そいつはなにやら俺の顔を見て目を丸くしている。
「なんだよ」
「いえ……そんな本当に開けてくれるなんて、と。私びっくり第二弾です。普通ヤベーのが来たって絶対開けないもんでしょう。危機感お母さんのお腹の中に置いてきました?」
開けさせといて失礼な物言いをするそいつを、俺は改めて観察するように見やった。
はっきり言わせてもらうなら、可愛らしい顔立ちの少女だ。自分で美少女と称するのも頷けてしまう。同年代だろうか、俺より頭一つ低い背丈で、愛らしさの一方で女性らしい育ちも窺えた。肩まで伸ばした濡れ羽色の髪に、この辺りでは見かけない黒いセーラー服は妖しいながら絶妙にマッチしている。好みの見た目、とは言っておく。
しかし、それら要素を塗り潰すような目――まるで何も映してないような、昏い瞳。闇だけが湛えられているとでも例えればいいか。光が宿さない二つの眼が俺へと向いている。
それはまさしく――
「……とにかく上がれよ。ここじゃ落ち着いて話もできないだろ」
「では遠慮なく。おや、そういえばこれ連れ込みというヤツでは。いやー、まさか死んでから経験することになるなんて。もっとそれらしく振る舞ったらいいですかね? んんッ……ちょ、ちょっと休むだけだからね!?」
「いいからとっとと入れ押しかけ幽霊」
早くも後悔し始めているが、追い返してもっと面倒になるよりはと自称幽霊女を家に入れてやるのであった。
俺、
生まれつき、普通の人には知覚できない存在を見て声を聞くことができた。
それで子供の頃は気味悪がられたり、怖がられたり、嘘吐き呼ばわりされてきた――という、この手の能力持ちあるあるな苦労話は特になく。まあ早い内から「そういうもんなんだな」と弁え、日常で余計なものが時たま見えたり聞こえたりするくらいで、比較的一般と変わらない生活を送ってきた。
それはそれで色々と面倒なもんだったが、『そういう存在』も関わらなければ大人しく、よくある付き纏われて悲劇が始まる……といった心霊ものの導入はそうそう起きなくて。下手に触れなければ無害な方が多い。俺は生まれついてそれが見えていたためか、変に気にならなくなっていた。
昔から
――その結果が、今回のやらかしに繋がるのであった。
「ってことは……お前があの時の幽霊だったのか」
「そうなんですよ。こんなにカワイイ私の顔を忘れるとは、なんて薄情なんでしょう。もしや女遊びがご趣味ですか? 酷いっ、私とは遊びだったんですねっ」
「どこからツッコめばいいんだ……頼むから整理するまで黙っててくれ」
額を押さえながら訴えてみると、「仕方ないですねえ」とやたら腹立つドヤ顔でようやく静かになってくれた。こいつ初めて来た他人の家で我が物顔すぎないか? 目だけが死んでるのすっごい違和感。初対面はこんな奴とは思いもしなかったぞ。
そう。俺はこの女と会ったことがあった。まさに先日の話だ。
あの日は、いつもと変わらぬ真っ当な一日を過ごし、家に帰るところだった。……独りで。
いや、言い訳させてもらうと、俺は別に生まれてこの方孤独でいた訳じゃあない。中学までそれなりに友だちはいたんだ。この視える力だってひけらかしてた訳でもないから、敬遠されるような真似もされなかった。高校に上がってそれら同級生と別々の学校になってしまい、俺が通う高校に知り合いがいない上、昔からグループに入ったり自分で作ったりする性分ではない受け身タイプなので、放課後に連れ立って遊ぶような気安い相手がいないだけだ。決して高校デビューに失敗して、一人寂しい学校生活を送っている訳ではない。ないのだ。
こほん。えー、では話を戻そう。
あの日も俺は家路に就き、学校から二駅先の自宅へと帰っていた。夕日も落ちかけた、夜に近しい時間帯。特に急ぐ用もなかったが、面倒が勝って普段使わない近道をすることにした。
街灯が少なく、ひと気もない薄暗い道。俺でなくても意識的に避けるそこを何の気なしに通る。この時点で俺は相当に感覚麻痺してたんだろう。危機感を置いてきた、と言われたら否定できないほどに。
元の帰り道に繋がる出口に差し掛かったその時、一つの人影が道端に蹲っているのを目に留めた。セーラー服姿の少女。
俺もしばらく『そういう存在』――つまりは幽霊と出くわしていなかったのもあり、すっかり気が緩んでいた。学業で気疲れがあったとも言える。そのただごとでない様子に、つい思わず声を掛けてしまったんだ。
「あの……大丈夫ですか?」、と。
声に反応し、徐に顔を上げた少女を見た瞬間悟った――『あ、これヤバい奴だ』と。
こちらを見上げる少女の顔、そこにある双眸が全てを物語っていた。これまで危ないモノと出くわしたことも少なからずあったが、それを凌駕する"恐怖"がそこにはあったのだ。恨みや憎しみ、あらゆる負の感情をない交ぜにして煮詰めたような深淵の眼差しが、冷たく俺の心身を刺し貫いていた。
その後の記憶はない。気が付いたら家にいた。許容を超えた恐ろしさで逃げ帰るまでの記憶が飛ぶほどだったと自己分析している。
思い返したくもない過去一番の体験。それがつい先日。そして今日、本能からそれを忘れ去っていつもの日常を送っていた矢先に、元凶である幽霊少女が訪ねてきたのである。どんな恐怖体験だ。
そんなヤバいものを家に上げた俺も俺だが。今は俺と二人、リビングで机を挟み顔を突き合わせている。
という感じで情報整理終わり。次は質疑応答だ。
「で、その幽霊のお前がどうしてこんなところまで? 俺、声を掛けただけで大したことしてないだろ」
「いえいえ、そんな声掛けが私みたいなのにド刺さりしちゃったんですよ。考えてもみてください。誰も見てくれない、話しかけてもくれない、何も分からずどうにもならない状況下で、いっそ心を閉ざそうかと悲観していたところに突然自分を視認する相手が現れたんですよ? そりゃ逃してなるものかと追ってくるでしょう」
「……まあ、確かにな」
完全理解には及ばないが、孤独の中でそうなれば嬉しいかもしれない。
「私にとって救いの存在なんですよ、貴方は。……そういや名前知りませんでしたね。何クンですか?」
「人に名前聞くならまず自分からうんぬんって言うだろ」
「おお、悪霊名乗る女にそう返すとはお見事。でもその通りですね。私のことは
そう言って女幽霊、改めみたまは大仰な仕草で笑う。光のない目を細めてしまうと、見ただけでは生きている人間と変わりなくなった。初めて会った時は恐怖的な意味で今までにない存在だったが、今もここまで意思疎通できる幽霊と出会ったのは初体験で不思議な気分だ。
余りの明るい態度に一瞬だけ「こいつ生きた人間では?」と邪推しかけた矢先、またあの光の宿さない死んだ目を向けられ、認識が元に戻る。生きた人間にはできない眼だ。
「で、そちらは?」と再度尋ねてきたので、素直に一条生太郎と名乗る。
「生太郎……セーちゃん、セッくん、いやセイタくんか……?」
「愛称考え出すな。距離の詰め方陽キャかよ」
「あっはっは、幽霊に陽の気はバイキ○マンが手洗いうがいするが如き所業ですよ?」
何がおかしいのか、快活に笑い出すみたま。流石に陽キャとまではいかないが、その底抜けな明るさは悪霊らしからない。
互いに名乗り合ったところで、再び質問を投げ掛ける。
「それで。お前は俺にどうしてほしいんだ? なにか未練や無念があって、それを解消してほしいとか?」
「ああ、幽霊が人に接触するってなればそれが定番ですよね。ちゃんと供養してほしいとか、自分の遺体を見付けてほしいとか。あるいは恨みのある相手に復讐したいなんてのもありますよねえ」
「で、なんかあるのか? できることなら手を貸すけれども」
このまま居着かれても困るしな。俺も俺の生活がある。
が、みたまは逆に困った風に苦笑いした。
「うーん、その『なにか』が分かれば苦労しないんですが……生憎と私、覚えてないんですよね」
「覚えてない?」
「はい。未練とか無念とか、そもそも自分がどうやって生きて死んだのかもさっぱり」
それは――
いわゆる記憶喪失とか、そんな感じか?
「さながらドラ〇エの冒険の書が消えるが如くですね」
「それだと名前も全部忘れてるだろ」
「あ、そうか。なら……途中で保存をしばらくせずに書いたパソコンのテキストが、突然の停電で消えてしまうそれですかね?」
適当すぎか。あとその例えは誰かのトラウマ刺激されるからやめとけ。
しかし、生前の記憶がないのか……それは問題だな。
俺も幽霊に詳しくはないが、このみたまが何かしらこの世に未練やらがあって留まっているのは間違いない。それも、あれだけの悪霊化するくらいの。それを解消しようにも、当の本人が覚えていないとなれば、相当に難しい事案になるだろう。部外者の俺がどうこうできるものじゃない。
悲しいかな、俺は視えるだけでどっかの地獄先生のように魔を滅する手はないし、幽霊族の末裔でもなければシャーマンのキングを目指したりもできない一般人だ。お経も唱えられない。
そうなると俺にできることなんて――
「と、いうことで。しばらくお世話になろうかと」
「は?」
「あのまま宛てもなく彷徨うより、この家を拠点にじっくり思い出していこうかなって。こちら幽霊なんで、食費光熱費要らず。置いてもらえるだけで目の保養になる美少女という付加価値ありますよ? さあどうだ!」
「いやどうだと言われても……普通に迷惑なんだが?」
「そんな無責任なことおっしゃらずに~。そちらが話しかけてこなければ、私もこうしてついてきたりしなかったんですから、最後まで責任持ってもらわないとダメですよ?」
それをお前が言うか。すっげえ図々しいな。
と、明るく諭してくるみたまは徐に立ち上がると、こちらに歩み寄ってきた。黒い髪に黒いセーラー服、よく見れば足許は靴もなければソックスも履いていない白い素足。およそこの世のものからかけ離れた容姿と様相で、端正な顔を寄せてくる――その目は、ぞっと芯が凍えるほどに生気のない昏さを湛えている。
「しばらくよろしくお願いしますね、生太郎くんっ♪」
「……お、おう」
明るい声に相反した底冷えする雰囲気。
怨念とか憎悪とか、そういう黒いものが一周回って明るくなったかのような悪霊少女みたまに対し、俺は諦念にも似た返事を返すのであった。