補足しておくと、家には俺以外に家族はいない。
ただし、それは別段悲しい理由などはなく、単に両親それぞれ海外や地方で活躍する仕事をしていて家を空けることがほとんどであり、血の繋がった妹もいるが海外にいる母親の許で外国のスクールに通っているため日本にはいないのが理由である。
つまりこの家は俺の独り暮らし状態だ。
俺も親元に行かなかったのは「別にそうする理由もない」であり、同意の上で留守を預かる名目で俺は一人この家に住んでいる。光熱費などの生活資金は親が出してくれる好待遇の独り暮らし。高校に上がってからこの生活であるため、それにかこつけて友だちや彼女なんかを上げて自由気ままにやったりしていないのが残念ポイントだ。彼女なんか年齢とイコールでいたことないしな! あっはっは(泣)
そんな訳で、俺がこの家に誰も招き入れようが文句は言われない状況。流石に常識を弁えてるから誰彼構わず招いたりはしないしさせないが……やむにやまれぬ、どうしようもないこともあるもので。
昨日の俺は反省すべきだと思う。
「起きて、生太郎くん♪」
「……」
朝、目覚めてすぐに掛けられる甘い声。
何も知らなければ、心地よい目覚めか逆に心臓に悪い色々な覚醒をしてしまいそうな聞こえの良い声だが、そんな非日常のミニイベントに俺は素直に喜べず半眼でベッドから声の主を見上げる。
そこには、朝の陽射しを受け付けないほどに黒い美少女が馬乗りに跨ってきていた。
「ごはんにする? お風呂にする? それともタ・ワ・シ?」
「それ帰ってきた愛しの夫に言うことだし、俺は起きてすぐタワシで何をしろと? 掃除の強制?」
「世の中にはタワシに欲情する趣向の方もいるんじゃないですかね」
「どんな性癖だよズタズタになるわ」
朝っぱらからなんてツッコミさせるんだ。
それですっかり目を覚まさせられた俺はそんな戯言をあしらい、起き上がろうとする。対する少女――みたまもそれにあっさりと退いてくれた。してやったり顔で。とりあえずムカつくのでデコピンしてやると、「ぎゃふん」と悲鳴を上げてベッドから転げ落ちた。ぎゃふんて。
……こうしてやり取りしてると生きた人間そのままだが、重いとか軽いとかの次元でなく重量が一切ない身体はやはり彼女はこの世ならざる存在――幽霊なんだなと実感させられる。触れられもするが、その感触は余りにも冷たく、生きている人間のそれではない。
改めて、彼女が幽霊なんだと再認識させられた。
「ところで生太郎くん、今一度聞くんですが」
と、今しがた転げ落ちていったみたまが立ち上がってくる。痛みはない模様。まあ幽霊だしな。
「何をだよ」
「もちろん私のことです。昨日は押し切って了承させはしましたが、生太郎くんがどうしても嫌だと言うなら私も無理強いはしません。なので、今一度素直な意見をお聞きしたく」
あー、そのことか。
このみたまが家にやって来た昨日。しばらく居着くことに圧に押されて頷いてしまったが、どうやらその件をみたまもちゃんと気にしていたらしい。口調こそ明るいが、こちらに向けられた顔は相変わらずの死んだ目以外は顔色を窺う浮かない表情だった。常識的な面もあるんだな、殊勝なことだ。
確かに昨日の件は俺も納得行ってないが……
「……構わねえよ。どうして俺が、って気持ちもなくはないが、乗りかかった船だ。困ってるんなら俺のできる限りは手伝ってやるとするさ」
悪霊を追い払う方が厄介そうだし、という本音はしまっておくとする。
「本当にいいんですか?」
「いいも何も、お前から始めたことだろ? 俺も関わっちまった以上は放り出したりするのも後味悪いし、なるべくお前が満足できるよう手を貸してやるよ。だから、まあ……よろしくな、みたま」
なんだかんだとまだ直接言ってなかった名前と共に、こちらから歩み寄る。かなり照れ臭いな。
すると、みたまは目を見開いた、と思ったらさっと顔を俯かせてしまう。
その一瞬、光のない瞳に何か輝くものが見えた気がしたが……
「――うっし! 言質取りました! これで心置きなく住みつけますね!」
「おいこら」
「いやー、ようやく外での生活ともおさらばできます。ここを本拠地とする! ではでは、改めてよろしくでーすっ!」
そう極めてはっちゃけて言い放ち、さっさか出ていってしまうみたま。
独り喧騒の後に残された俺は、早速後悔し始めながらも、悪霊相手に言ってしまったものは仕方なしと諦めて朝の身支度を済ませるのであった。
「ところで、俺も今一度聞くんだが……本当に思い出せないのか?」
朝一からのミニイベの後、俺はいつも通り軽い朝食を用意。いくら状況が様変わりしようとも、ルーティーンを欠かせば本当に参ってしまう。今日は簡単に目玉焼き乗せ食パンのラ〇ュタ飯だ。
それをリビングで齧りながら、対面するみたまにそう問いかける。幽霊なので食事はいらないという彼女であるものの、自分だけ朝食を摂っている構図は少しばかり気が引けるが……まあこれからも続くことだし今から慣れておこう。
因みに、先の美少女が乗っかって起こしに来てくれるシチュエーションは割と思春期男子としては夢の光景だったが、相手が幽霊なので、金縛りにしか思えなかったことが減点ポイントだったとだけ言っておく。
「んー、それがまるでさっぱりなんですよね。自分がどう死んで、何を理由に命を落として、何がこの世に留まる執着になってるのか。そもそも生前にどういった人生を送ってたかすら丸っきり記憶にないんですよ。あれです、気分はスーパーデラックスですね」
「例えは分かるがややこしいな、それ」
0%0%0%ってことね。
あとそれは人によってはマジのトラウマだからやめろ。
「しかし……そんなことありえるのか? あれだけの悪霊感出せるなら、相当な恨みとかあるのが前提だろうに。その起因になる記憶がないってのはおかしいだろう」
「そう言われましてもねえ。そうであるからそうなだけなんで。紛れもなくそういう黒い感情もあるんですよ。憎くて、恨めしくて、許せなくて、どうにかしたくて、だけどできないのがもどかしくて。そういった感情がない交ぜになって、もう溢れんばかりの絶望と不満が渦巻いて――それが振り切れた結果、この通り逆に明るいテンションになってきちゃいました。てへっ」
「どういう原理だよ……」
お前は数値カンスト超えるとダメージ計算マイナスになる昔のゲームシステムか。
ますますこいつが分からんくなってくるな……
俺も生まれてこの方、幽霊の類いとは近しい十数年を生きてはいるが、それでもこうして密接に関わってきてはいない。そもそも、ここまで特異な在り方してる幽霊なんて、このみたまくらいのものだろう。記憶喪失の明るい悪霊……良心に溢れた博愛主義の殺人鬼くらい矛盾が激しいな。
「せめて悪霊ってんなら、それらしく振る舞ってくれれば少しは分かろうもんだろうが……」
「おん? 生太郎くんは私の悪霊らしさをご所望で?」
「一つのとっかかりとしてな」
こうも陽気に接されると、いまいち真剣みに欠けるしな。それに、悪霊として感情を発露してくれれば、多少なり手がかり足がかりが見えてくるかもしれない。そういうニュアンスで提案してみる。
みたまも、それに理解を示したように頷きつつ、
「うーん、その気になればできないこともないですが……本当によろしいので? 一応、初対面でお見せした仲ではありますが、またやっちゃっていいんですか?」
「なんだその前置き。まあ……一度見てるし、今度は受け止められるだろ」
伊達に視える体質じゃない。そういうのも少なからず見てきてるしな。
そう言うと、みたまは了承を得た風にまた一頷き。
――そして俺は直後に後悔することになった。
「分かりました。では早速。でも――少し舐めちゃいませんかね?」
「っ!?」
みたまが一度目を閉じ、そして見開いた瞬間……リビングの空気が重苦しくなった。
ずん、と幻想の重力が全身に圧し掛かる。朝の陽射しが差すリビングが、まるで異界に呑まれたかのようにその明度を失う。口に入れていた朝食の味がしなくなるほど舌が麻痺し、指一本すら動かせないくらい訳の分からない恐怖の感情に心身が苛まれていった。
「ダメですよ、いくら見慣れてるからって甘く見ちゃったら。私だって悪霊の端くれではあるんですから、そういう舐めた姿勢で来られるとカチンと来ますよ?」
目の前で話しかけてくるみたまを見やる。……あれは、本当にあのみたまか? 先ほどまでの快活で陽気な雰囲気は欠片もなく、同じ人の形をしているはずなのに頭が彼女の姿をそうと認識できない。こちらを捉える例の虚ろな瞳も、より空虚な孔として俺という存在を呑み込まんばかりに口を開けているよう。
朝の時分であるにも関わらず、見えてはいけないものと直面している畏怖がこみ上げていた。
「ああ。いいですねえ、そのお顔……なんだかゾクゾクしちゃいます。これが悪感情なんですかね? どうにも暗くて愉しい気分になってきます。なので――出血大サービスでもウ一段お見せシてアげましょうカぁ……???」
更に濃密な闇が、周囲を包み込む。
これは、本当にダメだ。いたらいけない域にいる。心臓を直接鷲掴みされ、肌を冷たい刃物で撫でられているような錯覚。彼女がもしその気になったら、俺は凄惨な目に遭って命を落とすことだろう。そういう本能的な危機感が、俺にうるさいほど訴えかけてくる。
「っ――わ、分かった! 分かったから! 俺が悪かった! だから、もうよせ!」
「はーい、了解でーっす♪」
懇願すれば、途端にみたまは元の明るさに戻り、同時に立ち込めていた周囲の不穏さは嘘のように消え去った。
「お試し体験しゅーりょー。どうでした? 少しはお分かりいただけたかと思いますが」
「……ああ、正直言って舐めてたよ。もう二度とやってほしくない」
「私もですよ。恩人である生太郎くん相手にもうあんな気持ちは向けたくないですね」
遅れて湧いた冷や汗を拭いつつ、俺はコップの水を一口に飲み干す。まだ心臓が落ち着いてくれない。これでも不可抗力に悪霊の類いも見てきてはいたのだが、その経験を凌駕する一幕だったと身体が認めているようだった。しばらく夢に出てきそうだ。
ホラーゲームなどで追跡者に追われて命からがら逃げられた登場人物はこんな感覚なんだろう。人知を超えたものとの超常の遭遇。力ではどうにもならない現実差を思い知らされた。
俺は目の前の幽霊少女への認識を改めつつ、もう食欲が失せ切ってしまった朝食をもったいない精神で無理やりに腹へと詰め込んだ。
そんな出来事があっても、今日という世界共通の日時は変わらない。
支度を済ませ、制服に着替えた俺は玄関から外に出んとする。
「じゃ、いってくる」
「悪霊を家に残して学校に行こうとする辺りはなかなかの胆力ですねえ」
俺自身もそう思うが、仕方ないだろうと内心で弁解する。
よっぽどの理由がない限り、学校へはサボらず通うのが親と決めた独り暮らしの最低条件だ。……家に悪霊連れ込んでいるのはよっぽどな理由に該当しそうだが、俺の人生で他の人には見えない幽霊を言い訳にすることはしてこなかったため、今回もそれに倣って学校に行くこととする。
わざわざ悪霊を憑かせて登校する趣味もないので、必然的にみたまをこの家に置いていくことになる訳だが……
「とにかく、大人しくしてろよ。下手なことしたら力ずくで追い出すからな」
「分かってますって。夫の帰りを待つ家内の心境で待ってますので。……エロ本探しは下手なことに入ります?」
「むしろ何故ワンチャン入らないと思った?」
それが下手なことだよ。下手なことオブザイヤーだよ。
なんか心配だが……こう見えても朝の問答からして案外真面目なとこあるし、なんだかんだと大人しく留守番していてくれるだろう。そう信じておく。……信頼してやるんだから、絶対家探しすんなよ? 特にベッド下とかは厳禁だからなマジで。
「ではでは――いってらっしゃい、生太郎くん♪」
さっきの恐ろしさなどは露とも垣間見えず。
そうして幽霊少女に見送られ、俺はいつものように学校に行くのであった。