「それにしても、この世界にもマルティン・ルターが居たとはな」
山井善治郎ー現在はカープァ王国の王配であるゼンジロウ・カープァが、1人言ともなく隣の相手に対してともなく漏らした言葉に対して、
「マルティン・ルター?」
彼の妻でもあるカープァ王国女王アウラ・カープァは、そのまま問い返していた。
「俺の世界で、ヤン司祭と似た様なことをした、歴史上の人物だよ」
「ほう。詳しい話を聞かせてくれるか」
アウラは夫の知識に興味を抱いた様だった。
何時も真面目に対話する時の様に対面に座り直したアウラに対して、善治郎は中世末期ヨーロッパに於ける宗教改革について、自分の歴史知識にある限りを語った。
「ふむ。金銭で罪を償わせる”教会”に対して、疑義(ぎぎ)を申し立てたか。
しかも公衆の面前で破門文書を焼き捨てるとはな。
中々やるではないか」
「そう、そして今では其の宗教勢力の2分した1つ、いや3つだったかな、その1つに成っている」
「面白そうだな。
いっそ、こちらでも其処まで行ってくれれば”教会”の勢力が大きく削がれてくれるが」
「だけど、それまでが悲惨な歴史だったんだ。
2つの宗教が絡んで、何10年も続く戦争が起きて、すっかりルターの居た国は荒れ果ててしまったりしたんだ」
「望むところだ。北大陸が荒れれば、それだけ我ら南大陸への侵攻は遅れる」
何度目か分からない。
愛妻の王としての冷徹な面に、異世界の平凡人でしかない善治郎は感慨を覚えた。
「やっぱり戦争に成るか」
「そなたは戦争を嫌っておるのか?」
アウラの問いに、善治郎は何時かは言わなければ成らなかった、と思った。
「確かに俺の国では、俺の生まれるずっと前から、もう何10年も戦争は起こっていない」
「それならば、そなたが戦争に怯(おび)えるのも無理は無いな」
「それだけじゃ無いんだ」
善治郎は意識して言葉に力を込めた。
「その前に、そう何10年か前に、物凄く悲惨な戦争が起こった。
負けた国は、殆ど全土が焼け野原に成る程の」
「ほう」
「それだけじゃ無い。
1発で都市が丸ごと吹き飛ぶような兵器が使われて、実際2つの都市で何10万人も犠牲に成った」
「真(まこと)か?!」
「本当のことだよ。
今でも、もっと強力な兵器が何千発も在って、それが恐ろしくて大国同士の戦争が起きなくて、何とか平和が保たれている」
「そなたは、考え方によっては、恐ろしい世界で生きてきたのだな」
「だから俺たちは、戦争とは本質的に恐ろしい、むしろ悪だ、と教育されている」
ようやっと女王は、王配が戦争に抱(いだ)く忌避感の端を知った。
「俺は戦争はしたくない。
けれども、北大陸は”教会”は攻めてくるのだろう。
善吉や善乃を守る為には戦うしかないことは分かっている積もりだ」
それがどれ程の決意だったか、この戦国の大国の王だったアウラには想像もつかなかった。
「だけど戦争が避けられない以上、味方を増やすことは大事だよね」
強引に話題を変えたのが、夫の優しさだとは理解出来る。
「そう成ると、ウップサーラ王国に嫁ぐミレーラの役割は重要だよね」
「そうだな」
*
その嫁ぎ先であるウップサーラ王国次期国王ユングヴィ・ウップサーラ王子と、カープァ王国王配ゼンジロウは、婚姻にともなう何度目かの面談を行っていた。
結婚式の会場が嫁ぐ側の故郷に成る、という南大陸の習慣については、了承された。
何と言っても故郷を離れる最後の宴であり、しかも嫁ぐ先は別の大陸なのだ。
成程「瞬間移動」の魔法という奥の手は在るが、それも決して少なくない代償を支払って王家の者に依頼しなければ成らないのだから、やはり最後の切り札と思うべきだろう。
そうした本題もだが、ユングヴィ王子は其の前後の雑談も楽しんでいた。
正確には、雑談の中から、善治郎の持つ異世界の知識を少しでも多く引き出そうとしていた。
それがうすうす善治郎にも分かって来ていたから、必ずしも油断はしていないのだが、流石に生まれついての王族は聞き上手だった。
「ゼンジロウ義兄上の故郷では、大学が幾つもあるのですね。
しかも、女性の為の大学まであると」
「今では、殆どの大学は共学だよ」
「キョウガク?」
「性別に関係なく、試験に合格した者を入学させるという意味だ」
「では、女性も男性と変わらない教育を受けていると」
「そうだ。そして卒業すれば適性に応じて職業に就く。
勿論(もちろん)出産や育児で休職する場合もあるけれど、それが済めば復帰するのが当たり前だし、女性の方が男性よりも出世することだってある。
少なくとも私は、そういった女性を尊敬するね」
「成程」
王子は何故、この目の前の王配が女王の夫などという男性優位の此の世界では難しい筈の地位に平然として就いていられるのか、そして何故、あの王族の女性としては破天荒な自分の双子の片割れを受け入れられたのか、その端を掴(つか)んだ気がした。
「確かに北大陸にしろ、南大陸にしろ此方(こちら)の女の人は、出来る人ほど男を立てて影に回る傾向があるな。
アウラ陛下やフレアは例外と言うべきだろうな」
「そうですね。確かにオクタビア義母上などはそうでしょう」
「確かにオクタビアさんもだけど、ルシンダさんなんかも、そうだろうな」
「ルシンダさん?」
「旧姓ールシンダ・ガジール。今はルシンダ・ギジェン。プジョル・ギジェン元帥の夫人だよ。
プジョル元帥とも面識がある以上は、ルシンダさんも知っている筈だけれども」
「確かにギジェン元帥と挨拶したときに隣に居たと思いますが、夫の影に控えた控え目な妻にしか見えませんでしたが」
「あの人らしいな。けれども、今やプジョル元帥の影の軍師と言って好い。
アウラ陛下などは「野心家の元帥に知恵がついた」などと警戒しているくらいだ」
「初対面で相手に抱いた第1印象を、後で裏切られたことがない」と豪語してきたユングヴィ王子の観察眼が初めて外れたことを、ここで初めて知った。
*
こうした面談の為「瞬間移動」でウップサーラ王国を訪れていた善治郎だったが、思わぬ客人の不意の訪問を受けていた。
何時しか、アウラとの話題に乗せたヤン司祭と、隻眼の傭兵隊長ヤンである。
「ゼンジロウ陛下。率直にお聞きしたい。
カープァ王家の「血統魔法」には「死者蘇生」が在るのではありませんか」
何時かは、とは予測していた。
人並以上の知能と洞察力の持ち主ならば、そしてヤン司祭や傭兵ヤンには其の可能性があるのだから、何時かは其の結論に到達するのでは無いかと。
その為、今後も北大陸を訪れるであろう善治郎には、この場合の「答え」を既にアウラから教えられていた。
「カープァ王家の「時間遡行」は魔力の無いものにしか有効では無い。
通常、魔力が少しでもある人間には無効だ。
魔力を失った死体を修復することしか、本来は出来ない」
「ですが、現に司祭様はこうして復活なされた」
「そのことだが、1つだけ考えられることはヤン司祭は全く魔力を持たない稀有(けう)な人だ。
実際、私は他に会ったことが無い。
魔力を持たないが故に、魔力の無いものと同じ様に作用したのでは無いのだろうか」
真実を洞察しかけている相手を嘘で胡麻化すのは困難だ。
そして、そもそも善次郎は自分の誠実さを裏切る様な嘘は得意では無い。
ならば明かせる範囲で真実を明かす、という対処法だった。
「真ですな」
「真も何も、そもそも魔力を持った人間を蘇生できるのならば、カープァ王家は現在の危機に陥(おちい)っていない。
先の大戦で1度はアウラ陛下以外の王族が全て死に絶えたのだ。
だからこそ陛下は全くの異国から私を召喚して婿にしたのだからな。
それぐらいなら戦死した兄弟を蘇生させている」
「ご自身が王位に就く野望の為だったのでは」
「それは流石に聞き捨て成らないな。
その野望と王家の危機という不利益を勘定に乗せられない程、愚かだというのか、我が妻が」
「これは御無礼を」
どうやら隻眼の傭兵隊長も納得した様だった。
そして「北大陸のマルティン・ルター」は穏やかな、だがしかしハッキリとした意思を込めた微笑みを浮かべていた。
*
付録『主と侍女の間接交流』
後宮侍女ミレーラは、側室フレアの居住する後宮別棟に配置転換に成った。
表向きには出身の家柄から切り離された侍女の配置転換に過ぎないが、実は真の目的は別にある。
マルケス伯爵家の養女であるミレーラ・マルケスが、ウップサーラ王国次期国王ユングヴィ・ウップサーラ王子の第2夫人と成ることが内定し、ユングヴィ王子とは双子であるフレアや、フレアがウップサーラ王国から連れて来た侍女たちによって、ウップサーラ王国に嫁ぐための教育を受ける為だった。
教育自体は、より高位の男の下に嫁げることを自分の人生の勝利と捉える価値観のミレーラにとっては当然の試練だったが、その1方で料理担当責任者ヴァネッサを通じて王配である善治郎から受け取るものもあった。
善治郎の故郷である現代日本の料理やお菓子作りのレシピである。
善治郎がパソコンにダウンロードするなどして持ち込んだレシピの中には、この異世界、正確には南大陸では入手困難な原材料という壁にぶつかって、再現困難なものが少なく無かった。
例えば、殆どの家畜が竜種、つまりは卵生の爬虫類である為に生産されていなかった乳製品を使用するレシピである。
だがしかし、フレアが北大陸から持ち込んだ山羊の乳に因って、ようやっと乳製品を使用するレシピが再現可能に成っていた。
無論、善治郎からレシピを受け取り(当然ながら善治郎の手元にあるレシピは日本語の為、善治郎が「言霊」の助けを借りて読み聞かせなければ成らない)再現する責任者はヴァネッサである。
だがしかし、ミレーラもヴァネッサからレシピを受け取り、ヴァネッサの指導の下でレシピの再現に勤(いそ)しんでいた。
侍女としてなら兎も角(ともかく)高位貴族の娘として王族に嫁ぐ筈の(その為の教育で忙殺されている筈の)ミレーラが何故、今更そんなことをしているかと言えば、これもミレーラ本人の価値を上げる為と、2つの王国の友好の為だった。
哺乳類を家畜とし乳製品の普及した北大陸ならば、善次郎のレシピの多くが再現可能である。
そこへカープァ王国の王配ゼンジロウの故郷のレシピを持参する意義を、ミレーラは完全に理解していた。
その為、今日も王太子妃教育の合間をぬって、レシピの再現に勤(いそ)しむのである。