ストリップ・リユニオン - 闇を脱がす者たち 作:添牙いろは
そして、日付が変わる頃――こんなところでまごついて待たせるわけにもいかないので、楓は意を決して外に出る。店の戸締まりもやらなきゃだし。
ライブハウスの前に出ると、由伸はすでにそこにいた。時間通りのはずだが、どこか待たせてしまったような気配があり、楓は少しだけ焦る。
「ちょっと待っててください。閉めてきますので」
そう言って上がっているシャッターに手を伸ばした楓の横から、由伸がすっと手を添える。突然のことに慌てる楓に、由伸は優しく微笑みかけた。
「レディに鍵を持たせたままじゃ、男の名がすたるからね」
さらりとした言葉だったが、その声音には思いのほか温かさがあった。大丈夫です――と言いかけたが、申し出を無下に断るのもどうかと思い、結局、小さくうなずいた。ふたりで一緒にシャッターを閉める。こんな、ちょっとした共同作業でさえ、どこか気恥ずかしい。
そして、しっかりと施錠して、楓は振り向く。すると、由伸が助手席の扉を開けてくれた。
「さあ、お姫様。今宵は俺がエスコートさせてもらうよ」
その言葉と仕草があまりに自然で、楓はつい導かれるようにその席へと身体を滑らせていた。由伸の香りがふわりと鼻腔をかすめ、シートの感触が背中に馴染む。それだけで、胸の奥がわずかにきゅっと締まったように感じた。
が、シートベルトを手にしたところで、ふと我に返る。――え、これ、もしかして――すごく、デートっぽいんじゃ――?
以前にも由伸の車に乗せてもらったことはある。けれど、そのときはずっと後部座席だった。しかし、いまは違う。隣に、彼がいる。思っていた以上に距離が近づいた気がして、楓の胸は不意にざわめき、内側からじわじわと熱を帯びていくようだ。
車は静かに走り出し――夜の街並みが車窓を流れていく。コンビニの白い灯りや、煌めくタワーマンションの明かり、信号の赤がフロントガラスにふわりと映し出された。外の光が、ほんのりと車内にも差し込んで、無言のふたりをやさしく照らしている。
それにしても――ライブ自体は終電に間に合うように時間設定されているが、そこからさらに遅くにディナーとは、いったいどこに連れて行かれるのか――こんな時間でも食事ができる場所――って、
ふたりきりの夜を予感して何も言えず、真っ赤になりながら覚悟を固めていた楓だったが――車から降りた先は六本木――煌びやかなネオンの中にひっそりと佇むレストランの前だった。その外観は重厚な木の扉と洒落た鉄の看板が印象的で『Sale & Sole』と書かれている。洗練された印象の中に、どこか古びた木の温もりや、使い込まれた鉄細工のような趣きがあった。その装いは、どこか忘れられた風景に咲く花のような美しさを宿していて、由伸の趣味と通じるものを感じさせる。そして――本当にディナー
こういう街なら、朝までやってるレストランもあるのかも? ――そう思って扉に目をやると、そこにぶら下がっている札には『Chiuso』――楓にイタリア語は読めないが、『Closed』と英語も併記されており、時間外であることは明白だった。
閉まってますけど――と言いかけた楓の目の前で、由伸はためらうことなくコンコン、とノックする。だが――中から返事はない。これには楓も焦り始める。が、由伸は苦笑いを浮かべながら、ドアノブに手をかけた。すると――扉はあっさりと開かれる。
店内には淡い照明がともり、落ち着いた空気を漂わせていた。席はまばらに配置され、白いクロスのかかったテーブルが静かに並んでいる。壁には抽象的なモノクロのアートが数点掛けられ、マットな質感の額縁や、照明の柔らかな反射が空間にぬくもりを添えているようだ。無機質な構成ながらも、どこか親しみやすさを感じさせるセンスが光っている。
その空間の中で、ひとりの男が客席に腰かけ、スマートフォンを凝視していた。肩をやや前に丸め、夢中になって何かのゲームに取り組んでいるらしく、指先の動きが妙にせわしない。楓たちの入店には気づいているようで、ちらりと一度だけ顔を上げたが、すぐにスマホに視線を戻す。まるで、『いま、いいところなんだよ』と言わんばかりに。
男は由伸のほうに向き直ることなく、面倒くさそうに話しかける。
「店に入るのにノックなんて、相変わらず律儀なヤツだな」
「俺が律儀なんじゃない。ここの扉が、そうさせたのさ」
由伸が軽く笑って返すと、男は小さく肩をすくめて――何やら、ファンファーレのような音が聞こえてきた。そして、満足そうに腰を上げる。どうやら、ゲームにひと区切りついたようだ。
「適当に座っといてくれ」
男はそう言い残すと、厨房の方へと入っていく。適当に、とは言いながらも、奥まった一角のテーブルだけセッティングされていた。白いクロスが掛けられたテーブルの上には、カトラリーが幾重にも並び、グラスも大小がふたつずつ。華やかというより、静かで落ち着いた趣がある。その仰々しいセッティングを前に、楓は一瞬足が止まった。これはいわゆる――コース料理、かもしれない。由伸に連れられて洒落た店に来たことは何度かあるが、今回はその中でも群を抜いて
楓には作法がわからない。楓は、貧しいダンサーである。生活費を切り詰め、ダンス一筋で暮らしてきた。けれども、フォーマルな場でどう見られているかには人一倍敏感であった。
由伸に恥をかかせるわけにはいかない――そう身構える楓の予想は良い意味で裏切られた。運ばれてきたのは、コース料理のような形式ではなく、大皿に品良く並べられた料理の数々。きらびやかさよりも、温かみと食べやすさを大切にした盛り付けだった。
ガラス皿にはサーモンのカルパッチョ。トマトのジュレが艶やかに添えられ、柚子の香りがほのかに立ち昇る。スープは別皿で、冷たいコンソメに浮かぶクルトンが可愛らしく揺れていた。
プレートの中央には、低温でじっくり火を通した鴨のロースト。赤ワインのソースが静かに肉の表面に絡み、照明に鈍く光る。その横には、白身魚のソテーが程よく焼き上げられ、香草バターが淡く溶けていた。色とりどりの野菜が周囲を彩り、肉と魚の両方を一皿で楽しめる構成になっている。
これなら、順番も食器の使い方も、それほど気にしなくていい。ふうっと小さく息をつくと、楓の緊張は穏やかにほどけていく。
一口食べれば――どれも、とても美味しい――楓の言葉では、それ以上に表現のしようがない。素晴らしい料理と優しい空気に包まれて、楓の肩の力は少しずつ抜けていった。グラスを傾けながら、由伸との会話も自然と滑らかになる。仕事の話や些細な出来事、昔話にさえ笑みがこぼれ、いつの間にか店内にはふたりの声がぽつりぽつりと響いていた。
いまの私たちって、どのように映ってるんだろう――そう思ったところで、楓はようやく気がついた。厨房に、人の気配がない。つまり、席を外してくれているってこと――? 楓はそっと前を見る。何も言わず、グラスを揺らすだけの由伸の微笑みは優しい。
――ふたりきり、なんだ。
その事実に気づいて、楓はなんとなくテーブルの下で膝を揃え直す。それでも、目の前の料理はどれも美味しく、お酒は飲みやすくて、ほんのりと身体を温めてくれるようだ。由伸との会話は穏やかで、どこかくすぐったくて――それでいて、心が満たされていく。
あとは、デザートが出てくれば完璧だけど――そんなことをぼんやりと思っていたやさき、由伸がふいに口を開く。
「楓さん」
「はっ、はいっ!?」
ただ名前を呼ばれただけなのに――その声色は少し低く、楓はビクリと肩を跳ねさせる。焦って声が返ってしまい、ワイングラスをわずかに波立たせた。が、その揺らぎはすぐに落ち着く。しかし、楓の胸の鼓動は収まらない。
「やるべきことは片付けてきた。……で、次に狙うシャッターの先は……もう、わかってるだろ?」
楓の肩が、再び跳ねた。その言葉の意味は、もちろんわかっている。由伸は、如月舞の撮影を終えて帰ってきた。そして、次の相手――彼が撮影に向かう前に、たしかにそう約束している。『帰ってきたら、次は楓を』と。
しかし――実際に、その瞬間が目前に迫っているとなると、話は簡単ではない。由伸は、これまで四冊の写真集を発表してきた。いずれもヌード。カメラを通じて身体も心もさらけ出した作品である。おそらく、如月舞の写真集も同じだろう。でなければ、ストリップ・アイドルという被写体を選ぶ意味がない。
つまり、自分もまた、裸を撮られるのだ。
楓にとって、ストリップは日常である。舞台の上で衣装を脱ぎ捨て、照明の中で身体を見せることに、もう恥じらいはない。裸にならなくては魅せられない美しさがある――それは、絶対的なプロポーションによらない。完璧ではないからこそ、
由伸の写真には、同じ魂が宿っていると信じている。そのフレームに収まることを、何度も夢見てきた。
しかし――
観客のいないふたりきりの空間で、たったひとりの男から視線を注がれる――しかも、それが――由伸。
楓は想像せずにはいられない。撮影スタジオ、あるいは誰もいないロケーション――カメラを構える由伸と、徐々に衣服を脱いでいく自分。
彼の眼差しが、どこまでを見て、どこまでを切り取るのか。
そんなことを考えれば考えるほど――楓の中で、ある感覚が芽生える。
それは、ただの羞恥とも違う。恐れでもない。
ただひとつ、はっきりとしていたのは――
――それは、撮影なんて陳腐な言葉に収まるものではない。
当然――ふたりきりの場で、裸になるということは――!
「そっ、そういうことはっ、事務所を通してくれないと……っ!」
気まずさのあまり、ついそんな陳腐な言葉が口から出てしまう。“事務所”といっても、所属しているライブハウス『ノクターン』は芸能プロダクションのような存在などではない。言い終えた瞬間、自分が真っ赤になっているのがわかる。
舞に先を越された悔しさは、当然あった。でも、だからこそ断りたくはない。今度こそ、自分を――そう思う。
ただ――もし本当に、店長を通じて正式に依頼されたら――それなら“仕事”として割り切ることもできるかもしれない。心の距離を取ることもできるはず――と、思っていた。
しかし、落ち着く間もなく、由伸の声が、楓の耳に追い打ちをかける。
「なら……“紅葉”」
「ひぇっ!?」
思わず、声が裏返る。まさかの“本名”呼び――しかも、男の人に下の名前で――胸の奥が一瞬ふわっと浮き上がるような、不思議な感覚が走る。私、本名話したっけ? ――ああ、妹のカリンとは、実名で働いていたコンビニ時代からのつながりである。そこから、由伸がフルネームを知っていても不自然ではない。でも、でも――だからって!
「プロとしての依頼じゃない。ひとりの男としての、真剣な申し出さ」
「…………!」
その言葉に、楓の思考が完全に停止する。テーブルの上のグラスが揺れている気がした。いや、震えているのは、自分の心なのかもしれない。
由伸はふっと目元を緩めた。その穏やかで、それでいて見透かすような視線に、楓の心臓は跳ね上がる。
「『仕事でなければ』と条件をつけたのは……誰だったかな?」
私だーーーーっ!! あのとき、たしかに言った気がする。舞に先を越されたのが悔しくて『仕事でなければ』――そんなことを口走ったのは、楓自身だった。同じ土俵で比べられたくない――カッコ悪く、意地っ張りな、くだらないプライドで。
しかし、そんな細かいことまでよく覚えてる――! 楓は恥ずかしくなってくるが、逆に嬉しくもなってしまうのだから、シラを切ることもできない。
そこで、楓はふと思う。もしかして、由伸は酒に酔って言ってるだけじゃ――? と一縷の望みにすがってみたものの――楓自身がその由伸の運転する車に乗せてもらってきている。つまり、ノンアルコールだ。完全なシラフで、こんな台詞を口にできるなんて――!
楓は、完全に圧倒されていた。言葉の強さでも、表情でもなく、その真っ直ぐな目と、揺らがない姿勢に。
だから、もう――
「……はい」
楓にはそれしか言えない。自分の声が、静かにレストランの中へと溶けていくのを感じていた。
その日から――楓はスマホの通知が気になって仕方がない。
いつ、由伸から連絡が来るのか。
次に会うのは、いつになるのか。
撮影の話が具体的になるのは、いつ――
楓の胸の内は複雑だ。あの夜、あんな雰囲気の中で承諾してしまった以上、ただ撮られるだけでは終わらないことは覚悟している。いや、由伸がそう望んでいるかはわからない。ただ、楓自身、自分で勝手にハードルを上げてしまっている気もする。
由伸の心の底は、いつだって読めない。
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。
その言葉はすべて真剣で、すべてがふざけているような――曖昧な男。
だとしても――いまでは作品だけでなく、人としてすべてを尊敬している。
だからこそ、“そのとき”が来るのなら、きちんと応じられるようにしておきたい。
さすがに、そのときには特別な服を用意しておくべきだろう。それに、ステージを観に来ている可能性もあるので、そこでの下着と同じものというのもどうかと思うし。そう考えて、楓は少し無理をして“その日用”の一式を揃えていた。どうか、この出費が無駄になりませんように――こんなときでも、つい財布のことを考えてしまうのだった。
さて。
ライブハウス『ノクターン』では、ステージに上がるメンバーのローテーション制がいまも続いている。それは、前オーナー兼店長の下で、ダンスリーダーであるリリザが作った暗黙の制度である。ストリップで結果を出せなければ、ソープに
いまではそのオーナーも姿を消し、現在ライブハウスを切り盛りしているエリがそのような暴挙に出る様子はない。それでも出番のローテーションだけは、リリザの裁量によって受け継がれている。
基本は三人一組でのステージ。ただし――ただひとり、如月舞だけはソロで上がる。そもそも、グループを作るのはメンバーの力量不足を補うためだ。あの女だけは、他力を必要としない。それどころか、周囲のすべてを霞ませてしまう――それが、みんなの共通認識だった。
楓も、できることなら舞と同じステージには立ちたくない。一緒に出たとしても、結局、自分はただの添え物になるだけ。彼女のパフォーマンスを引き立てる、飾りのような存在になるのは、目に見えていた。
とはいえ、楓にとって、『バックダンサー』という職種には、実はちょっとした憧れもある。影で支え、光を作るその在り方は実に美しい。けれど、
それはさておき。
出番のローテーションは予定通りに――ブッチした美春に慈悲はなく、次のステージに名を連ねることは、当然ながら見送られる。
代わって出番が与えられたのは、最近加入したばかりの三人――
湊は長い前髪を真ん中からきっちりと分け、左右に流したうえで、両側頭部には高い位置で結んだツインテール。いい歳してその結び方は――と、楓の心中は複雑だった。加えて、衣装は緑のエナメルが光沢を放つメイド服――リアルな作業着仕様ではなく、完全に“演出用”だ。聞けば、彼女は本職のメイドではなく、メイド
とはいえ、本人はきわめて真面目で、練習にもきちんと参加している。物腰は柔らかく、言葉遣いも丁寧。控えめで、ステージに立つようなタイプには見えないほど。だが、かつては『メイド☆スター』という肩書きを与えられていたらしい。メイド喫茶のミニライブで人気を博し、それなりに名の通った存在だったという。ただし、それは“二代目”としての話。
楓も縁があって、一度だけ『初代』のライブを観たことがあるが――やはり、初代と二代目はすべてが違う。何もないところから地位を築き上げた初代の実力は、本物だった。肩書きにすがる必要のない初代と、肩書きに支えられた二代目――湊もまた、それをわかっているのだろう。突然街を去った初代が帰ってくる日を信じて、そのときまで歌い続けると決めたのだという。テカテカのメイド服で。その健気さとファッションとのギャップに、楓は時折戸惑ってしまう。派手さが目につくというよりも、『その感覚に疑いを持たないこと』に対する違和感――それを埋めきれず、楓は湊と一定の距離を保っていた。
対して、陽子はむしろ地味すぎる。普段はくたびれたジャージ姿が定番。髪はボサつき、メイクもしておらず、いわゆる“身だしなみ”はほとんど皆無。ズボラというよりも、
なお、陽子の担当はベース。しかし、かつてはボーカルとして活動していたらしい。楓は、偶然彼女の歌っているのを聴いたことがある。はっきりいえば、メンバーの中でも上手いほうだ。しかし、その過去のバンド活動の中で何らかのトラブルがあったようで、本人はその経歴を封印している。その頃の傷がまだ癒えていないのか、表情はいつもどこか暗く、言葉数も少ない。
かつての陽子は、ひとりで練習し、誰ともつるむことはなかった。が、最近は午前中――楓と同じ時間帯に合わせて顔を出すようになっている。陽子はベタベタと甘えてくるカリンのようなタイプではない。それでも、どこかついてくるような雰囲気があり、楓も何となく『懐かれている』と感じている。妙なシンパシーがあるのかもしれない。それとも、他人のペースに入らない楓だからこそ、陽子も警戒を解けるのだろうか。楓にとって、その“後ろ暗さ”に嫌な印象はない。むしろ、どこか――似たものを感じていた。
そして、瞳――彼女はどちらかといえば、ストリップに興味を持ち、その文化を自分でも体験してみたい、という比較的軽い気持ちで参加している。それでも、自らステージに立ち、パフォーマンスの一端を担ってくれるのはありがたい。こうした出演者の“間口の広さ”こそが、いまのこの活動には不可欠だと楓は考えている。なぜなら、これはただのストリップではない。『競技ストリップ』――それがいま、密かに進められている新規事業だった。
出演者もスタッフも観客も、すべて“女子限定”
芸術としての美しさ、純粋な表現としてのストリップを追求するための舞台。
いまはまだ水面下で動いている段階で、公にはなっていない。だが、このライブハウスで行われているステージも、その布石のひとつだと楓は自覚している。男性客に迎合し、媚びるようなパフォーマンスではなく――ストリップそのものの美しさ、感情、身体性を、同じ女性たちの視線で評価してもらいたい――それが、競技ストリップという新種目に込められた目標だった。
ゆえに、楓は願っている。このストリップ・ライブが、その理想に近づくためのたしかな足場となるように。そして、自分自身も、その中で立ち続けられるように――
だからこそ、楓は今週もファミレスには休みを入れており、湊たちのゲネプロから見学に来ていた。場内が静まり返る中、照明がふわりと落ち、次の瞬間にはアップテンポなビートが鳴り響く。スピーカーから流れるのは、本番と同じ音源。ライトに合わせてカラフルな照明が交差し、観客がいるかのような臨場感が広がっていく。少し年齢の高い瞳に合わせて、衣装は落ち着いたネイビーを基調としたミニドレスだった。サテンのような滑らかな生地はステージライトに柔らかく反射し、丈こそ短めながらも、クラシカルなフレアシルエットが大人の余裕を感じさせる。胸元には大きめのリボンがあしらわれ、動くたびに軽やかに揺れていた。袖はレースで透け感がありながらも、肩まではしっかりと覆われていて、過剰な露出を避けつつも華やかさを失わないよう仕立てられている。
なお、湊も同じ衣装に合わせてはいた。が、ヘッドドレスだけは頑なに着けている。本人曰く『ヘッドドレスはメイドの魂』――どんな衣装を着ていても、ヘッドドレスさえ着けていればメイドということらしい。こめかみを通じて脳に何か送っているのか、と楓は疑いかけたが、どうでもいいのであまり深入りしなかった。
しかし、慣れない衣装だからか、湊の脱ぎ方にはどこか緊張しているような
一方で、瞳のパフォーマンスもまた、独特である。おそらく、過去に観た旧いストリップのドキュメンタリーに感化されたのだろう。まるで“前世紀”のストリップショーをなぞるかのように、ゆっくりと、あえて露骨に艶をまといながら衣服を脱いでいく。たしかに、色っぽい。けれど、それは昨今のライブ寄りの形式の中では、どこかで浮いてしまっている。かつて、ノクターンがストリップ・ライブを復活させる前なら、それは適したスタイルだったかもしれない。だがいまは、もっとテンポもノリも重視される。ライブとしての一体感と、エンタメとしての軽快さ――それを求める客層の中で、瞳の濃厚なパフォーマンスはやや異質だった。
とはいえ、瞳自身が満足しているのなら、それで構わない。湊と同じく、楓はそれを否定するつもりはなかった。人にはそれぞれのやり方がある。
ただし、陽子は――ふたりともまったく違っていた。彼女は楽器担当である。そのため、二曲目が終わったタイミングで、ようやくモゾモゾと衣服を脱ぎ始めるのだが――演奏しながら脱ぐのが難しい、という事情は理解できる。それでも――あまりに業務的ではないか、と楓はどうしても首を傾げてしまう。これではまるで、ただの“着替え”だ。衣装に手をかけるタイミングにも、脱ぐ所作にも、何の演出も込められていない。
できれば、天夏たちほと過剰ではないにせよ、多少はノリ良く――欲を言うなら、演奏に合わせて魅せる脱ぎ方ができたら――そう感じながらも、楓はこれをひとつの課題として大きく捉えている。楽器演奏者でも、曲中に自然に脱ぐことができるような衣装の工夫はないか――楽器を操る合間に素早く、そして美しく脱いでいく仕組みは作れないか――
演奏と脱衣が両立するステージ――それが完成すれば、またひとつ、競技ストリップの表現が広がる――楓は日々、そんなことばかり考えていた。
三曲分のゲネプロが無事に終わり、ステージの上には全裸の三人が並んでいる。リハーサルは終了したので、彼女たちは一礼し、湊と瞳は照れくさそうに笑い合いながら控室へ。その後ろを淡々と、脱衣所から浴室へと向かうかのような無機質さで陽子がついていく。照明の落ちたステージには、まだほんのりと熱が残っているようだった。
楓はその様子を見届けながら、小さくため息をつく。ライブ自体は問題ない。だが、アイドルである以上、歌やダンスだけでなく、トークの部分も求められる。そのあたりを――どうすれば――観客との距離感、タイミング、盛り上げ方――華やかに振る舞えるタイプではない楓にとって、それは大きな課題でもあった。
そんなことをぼんやりと考えていると――がちゃり、と扉が開く音が響く。
「……あのー、すいませーん……」
聞き慣れない声とともに、見知らぬ女性がそろそろと顔を覗かせる。ポニーテールに、ジーンズとゆるめのシャツ。清潔感のある装いは、どこか普通の女子大生といった雰囲気だ。その“普通さ”に、楓は少しだけ安心する。
ホールにはスタッフが行き交っているが、誰もが『自分は雇われの作業員なんで』といった顔で自分の仕事以外のことに手を出すつもりはないらしい。やはり、ここはダンスチーフの自分が出るしかないだろう、とファミレス正社員の風格で楓が応じることにした。
新人の面接かな? ――最初はそう思っていたが、来訪者は手にはフライヤーの束が握られている。なら、営業の人――? チラシの配布かとも思ったが、少し様子が違いそうだ。
楓がやってきたことに気づくと、見知らぬ女性はペコリと軽く頭を下げ、フライヤーを差し出す。
「このコ、見覚えありませんかー……?」
まさかの人探し――楓の背筋に、ぴりりと緊張が走る。これには嫌な予感しかしない。それでも一応、差し出されたチラシを受け取って目を通す。そこに載っていたのは、バンド中の写真だった。クローズアップされている女のコもまた同じようなポニーテールで、キーボードを演奏している。それで――楓には、なぜこの女子大生がこの場所に来たのか何となく察せられた。
「欠員が出たのなら、聞いてみてもいいけど……」
きっと、急に人が足りなくなったのだろう、と楓は案ずる。何しろ、ノクターンでもそんなことがあったばかりだ。だが、ギターとドラム、ベースならば心当たりもあるが、キーボードとなるとやや難しい。楽器班の交友関係まで含めれば、もしかすると誰かがつながっているかもしれないが。その気になれば、コンタクトを取ることもできるだろう。
しかし今回は、そういう話ではなかった。フライヤーを持ってきた女性は、声を震わせながら訴える。
「いえ、彼女は……
楓の手元でフライヤーが小さくクシャリと音を立てる。まさか、そんな深刻な用件だったとは。そういうことはまず警察に――と口にしかけたが、ここは警察ではなく黒服が秩序を統括している特殊な地域である。だからこそ――
「一週間前から……」
楓はフライヤーの文言を口にする。どうやら、合同ライブの打ち上げで飲んだ後、翌朝から連絡がつかなくなったらしい。飲み屋自体は街の外まで全国展開しているチェーン店なので、店の問題ではないだろう。だとすると――
来訪者は口元を歪めながら目を伏せる。
「……だから、楽器のできないボーカルは、ただモテたいだけのクズ男だから関わるな、って言ったのに……」
その言い分はひどすぎるのでは――と楓でもさすがに哀れに思う。ともかく――この街では警察は頼りにならない。それで、同じ音楽関係者なら何かを知っているかもしれないという一縷の望みにすがってやって来たようだ。
楓は深く息を吐く。ともかく、自分の独断で進めるには荷が重い。こういうときの責任者は、やはり――あの人だ。
「……詳しくは、店長と話してください」
そう言って、楓は彼女を伴って舞台裏を通り、控室の方へ案内する。ステージを横切る途中、スタッフたちがケーブルを巻いたり、照明の確認をしたりしていて、せわしない声が響いていた。そんな間を縫うようにして、楓は袖を通り抜けていく。
楓は控室の前まで来ると、ドアに向かって軽くノックしてみた。
「どうぞ」
中からエリの声が返ってくる。ドアを開けると、控室では湊と瞳が穏やかに談笑していた。瞳は元の衣装を着直しているが、湊は元のメイド姿に戻っている。どうやら、できるだけメイドでありたいらしい。同様に、陽子もジャージを着込んでいた。ジャージは楽だからなぁ、とこれには楓も共感する。
みんな服を着ているようなので、楓は安心して軽く会釈し、来客を中へと促した。
「エリさん、この女性が相談したいことがあるそうで」
楓が来客を通しながらそう告げると、エリは軽く眉を上げる。不思議そうな表情を浮かべながらも、椅子を回してゆっくりと楓たちのほうに身体を向けた。
しかし、初対面のはずの彼女は、ひと目見て叫ぶ。ただし、それはエリの向こう側へ。
「
驚きと歓喜、そして怒りの入り交じった声。その先にいるのは――明らかに
だが。
「ミキさん」
その一歩を、エリの静かな声が引き止めた。柔らかく、けれども一切の言い訳を許さない――そんな声音に呼び止められて、陽子はびくりと足を止める。
エリは座ったまま、視線をまっすぐ陽子に向けた。そして、その目に諭すような感情をにじませながら、低く静かな声で告げる。
「……そう、あなたがミキさんだったのですね」
そう呟いたエリに、楓は問う。
「知り合い?」
「存じません」
エリはにこりともせず、首を横に振る。先ほどの思わせぶりな呼びかけに対して、楓は思わず肩透かしを食らったような気分だった。
それでも――エリの表情は険しい。
「ですが……
その言葉に、来客の女性の表情が一変した。怒り、困惑、安堵――さまざまな感情がないまぜになった目で、彼女は陽子を睨みつけている。楓は、ようやく事のつながりを理解し始めていた。以前、陽子が語らずにいた過去――バンドの解散、封印した歌声、その理由――まさか、それがこんな形で明かされるとは。
「この人が、その……?」
口に出した楓の言葉は、驚きと戸惑いをそのままに現れていた。思いもよらぬ再会――この小さな控室で、まったく別の物語が、ここで交差しようとしていた――
そして。
陽子は控室の隅で、小さく正座している。肩を落とし、視線は床に落ちたまま、まるで叱責を受けているように微動だにしない。湊と瞳も、少し離れたパイプ椅子に座ってこの状況を見守っている。
エリが来客の前に立ち、少しだけ口調を引き締めた。
「こちらの方は……ミカさん。かつて、TRK26がお世話になった方です」
「ということは、元メンバー……!?」
楓が驚いて注目すると、当の本人――ミカはぶんぶんと手を振り、慌てて否定する。
「いえいえいえいえ! メンバーだなんて、恐れ多い!!」
その謙遜ぶりは――湊の『初代』への敬意にも似ていた。そう思って、何気なく視線を移すと――湊がぽつりと思い出したようにつぶやく。
「もしかして……『ミトックス』の……?」
「……あ、あんた、『PAST』の!」
今度はミカが湊を指差し、目を見開いた。まるで絡まった糸が一気にほどけていくかのように、知り合い同士の関係が次々と明らかになっていく。楓は、業界の狭さを、改めて痛感させられていた。
そして、ミカはその瞳をぎらりと吊り上げ、湊を強く睨みつけている。その表情から察するに、相当の因縁があるのだろう。
エリが一歩進み出て、ふたりを交互に見やる。
「おふたかたが共演したのは一度だけなので、思い出すのに時間がかかったようですが……」
そこで、エリの柔らかな笑みがふっと消えた。普段はいつもにこにこと微笑んでいる彼女が、ほんの少しでも真顔になると――空気が変わる。視線や息づかいまでもが、静かに整列していくような、不思議な重みがそこにあった。この街には、こういう“新歌舞伎町の人間”がたしかにいる。笑顔の裏に、何かしらの覚悟を宿した人たち。エリもまた、そのひとりだった。
油断なくミカを見据えながら、エリはため息混じりに呟く。
「まったく……
「えっ!?」
思わず声が出た楓の隣で、エリは淡々と場を仕切っている。どうやら店長は、今回の件についてすでに多くの情報を掴んでいるらしい。
つまり――ミカがこのライブハウス『ノクターン』に訪れたのは、ただの行き当たりばったりではなかったということだ。ミカはかつてTRK26とも縁があり、ストリップ・ライブを始めたこの店なら、協力が得られるかもしれない――そう判断して、頼りに来たのだろう。
そして、ミカのその読みは、どうやら間違っていなかったようだ。
「いずれにせよ、
エリの口調は丁寧だが、そこには有無を言わせぬ重みがある。『任せる』というより『余計なことをするな』という警告なのかもしれない。だが、そうは言っても、いったい何をするつもりなのか。楓は思わず息をのむ。
「では――」
エリは楓に視線を向けて立ち上がる。
「……楓さんは、私と来ていただけますか?」
質問形だが、そこに反論の余地はない。今度は誰に会わせるつもりなのか――秘密結社だの政治組織だの、そういう人たちは勘弁してほしい。
室内に気まずい静寂が落ちる中、エリはもうひとりに声をかける。
「それと……ミキさん」
「……はい……」
陽子――かつて“ミキ”と呼ばれていた彼女が、力なく顔を上げた。エリは一拍の間を置き、わずかに目を細める。そして、どこか静かな厳しさと覚悟をにじませながら、言葉を紡いだ。
「そろそろ過去を清算されることを、お勧めいたします」
エリの言葉は、決して命令ではない。けれど、背中を押すような、静かな決意を促す響きを持っていた。
「……はい」
陽子は短く、しかしはっきりとうなずいた。
エリと楓――それに、続いて瞳も席を外す。控室に残されたのは、ミカと陽子、そして湊の三人だった。床の上でうなだれているミキと対等な目線で話すため、ミカと湊もその場に腰を下ろす。閉ざされたその空間には、三者三様の重たい空気が流れていた。
少しの沈黙の後――湊は膝の上で手を強く握りしめたまま、震える鼓動を整えるように、一度固く目を閉じる。その表情には、葛藤と覚悟が入り混じっていた。
「私は……あなたたちに謝ることはできません」
「それは、“前”にも聞いた」
湊の言葉に、ミカが冷たく応じる。ミキは黙ったまま目を伏せていた。“前”が何を指すのか、彼女は知らない。それは、まだTRK26が健在だった頃――湊たち『PAST』と、ミカたち『ミトックス』が一度だけ同じイベントで共演したときのことだった。その場で何があったのか、詳細を知る者は少ない。けれど――湊とミカの間に流れる険悪な空気が、すべてを物語っていた。
湊は顔を上げ、ミキとまっすぐ視線を合わせる。
「けれど、話しておかなくちゃいけません。私は、PASTの一員ですから」
「……PAST……?」
ミキが、初めて声を発した。小さな、迷子のような声で。それに、湊はうなずく。
「