ストリップ・リユニオン - 闇を脱がす者たち 作:添牙いろは
最近、仕事も由伸との関係もうまくいっているため、ときどき本人も忘れそうになるが――楓はそもそも、コミュ障である。今回の密約をどうカリンに通そうか――楓は人にものを頼むことに慣れていない。事務所の指示――メンバーからの依頼――何らかの理由があれば、不手際はすべて責任転嫁するつもりで乗り切ることもできる。が、今回は楓が個人的に持ちかけられた極秘任務だ。自分の言葉で話さなくてはならない。
だが――楓が自分のコミュ力の低さを忘れがちなのは、カリンのフォローのおかげもある。
「あっ、もしかして新曲発表!?」
その日のライブはカリン、新月、エルメの三人だった。カリンと新月はストリップ・ライブの立ち上げ時からのメンバーだし、エルメは前の店の不祥事の隠れ蓑としてノクターンに顔を出しているだけ。出番を削るような話でも通しやすい。もっとも、削られるのはMCの時間だろうけれど。
ということで、本番当日の控室――楓はこっそりカリンに頼んだ。三曲目のあと、ワンコーラスだけ歌わせてほしい――これを、カリンは深い事情も聞かず快諾。それも、“新曲発表”という
「ま、まあ、そんなところ」
ただし、ここは狭い控室。ふたりだけの秘密にすることもできない。
「いいないいなー。さすが、ダンスチーフー」
できれば、残りのふたりにはカリンから直接言い包めてもらいたかったが――さすがにそれは不自然だろう、という
「で、ゲネプロはどうするの?」
エルメが尋ねる。エルメは黒く長い髪が色っぽく、見る者の視線を引き寄せるようだ。均整のとれた体つきにはどこか艶やかさが漂い、舞台映えする存在感がある。元ソープ嬢らしく、初対面の頃はキツめの化粧をしていたが、素顔を見せると意外なほど若かった。今回も、カリンたちに合わせた可愛らしいアイドル衣装をきちんと着こなしている。
楓はダンスチーフという立場ながらも、カリン以外に口調を崩すことはない。
「完全サプライズということで、通常通りお願いします。音響さんにデータだけは渡しておくので」
「おーおー、用意周到だぁ♪」
新月はそういう悪ノリが好きなタイプで助かる。一方、エルメは――さり気なく距離を置いているようだ。以前の店が沈んだときも、自分に火の粉が降りかかる前にひとりだけ離脱してきている。この街には踏み込まないほうがいいことが多いと承知しているのだろう。ちなみに、ダンスリーダーであるリリザがいれば彼女にも話は通したほうがいいとは思っていたが、今日は控室にも出てきていない。以前は店長を兼ねていたのでよくいたのだけれど。なお、現店長であるエリは今日も来ていないので、まだ秘密結社からの言伝は楓持ちになっている。本当に、早く手放したいのだが。
それはさておき、ゲネプロは通常通りの段取りで完了。ひとりで作業していた音響スタッフにデータを渡して――ついに本番が始まった。
フロアには毎週びっしりと観客が詰めかけている。近頃は、同じ顔ぶれを何度か見かけるようになってきた。固定ファンがつき始めているのなら喜ばしいのだが――実のところ、それは自分たちの演目に惹かれてというより、かつての『TRK26』時代からのファンが流れてきているだけのような気もしている。毎週のストリップ・ライブの中に――『
ステージの照明がゆっくりと落ち、観客のざわめきが期待の熱を帯び始めていた。室内の空気が一瞬だけ静まり返り――そして、爆発するような拍手と歓声が会場を包み込む。スポットライトがステージ中央に落ちると、スモークの中にメンバーたちのシルエットが浮かび上がった。軽快なイントロに合わせて照明が瞬く。観客の手拍子が次第に揃い始め、ライブはまさに熱狂の渦の中へと突入した。
一曲目――着衣のまま奏でられるのは『ふしぎ?こんなぎ☆マジカルこんこん♡』――最初の曲として選ばれたのは、おそらくこの曲がさりげに高いレベルを求められるからだろう。脱ぎながらの二曲目、全裸で踊る三曲目では何かと荷が重そうだ。楓も、以前MCで振り付けだけ披露したが、その疾走感と全身に神経を行き届かせるような躍動感は、踊っているだけで心が昂る。けど――Nya-oXもちゃんと踊れるなら、ちゃんとした曲にすればいいのに――楓には、
二曲目――恒例の『コンニャン体操』。子ども番組のような振り付けで、正直色気も何もない。だが、脱ぎやすく、初心者にも優しいという理由で定番化している。
最後、三曲目――『コンコ☆ニャー』――結局、Nya-oX縛りであり、コミックバンドを好まない楓は少し鼻白む。正直、巻き込まれなくて良かった、と楓は少し安堵していた。なぜならば――
『それでは、ここから……秘密のエクストラ・ステージ!』
カリンの一声で空気が変わる。エクストラだからこそ、これまでの流れをぶった切るように――楓は舞が好んで着そうな黒いドレスを身にまとっていた。踊りやすさを考慮したデザインではあるが、それでも好みが舞と被っていることが気に入らず、内心むず痒さを感じている。
予告がなかったにも関わらず――Fuuuu! と即座に反応できた観客も少なくない。おそらく――MC大好きなカリンと新月がいたにも関わらず、それが丸々カットされていたので“何かある”と気になっていたファンも少なからずいたのだろう。
カリンのアナウンスに合わせて、舞台から全裸の三人が袖へと捌けてくる。それとバトンタッチするように、楓はステージを見据えていた。いったい、これからどうなる――? イントロは鳴り始めてしまった。もう後戻りはできない――!
一方その頃――フロアの最前列にはちょっとした動揺が走っていた。端のほうに立っていたひとりの女性客――シャツにジーンズに、キャップをかぶった少し頭が大きいように見えたが――それを脱ぎ捨てたとき、中には長い髪が詰まっていたことが明らかとなった。
そして、彼女は――帽子だけにとどまらず、シャツを捲り上げ、ズボンを下ろし――その中に、下着はなかった。
最後――フチの大きな眼鏡が服に紛れて床にコトリと落ちる。そのとき、彼女は何も身に着けていなかった。靴さえも――どうやら、ジーンズを脱ぐ際に、時短のために一緒に裸足になってしまったらしい。
隣の女性が突然全裸に――周囲の男性客は驚きのあまり固まり、そして、見惚れている。そんな視線を全身に浴びながら、彼女は臆することなくステージへと乗り込み――ふわりと身を翻し、男性客たちと向き合う。長い髪が美しく宙を舞うと、その一瞬の所作にさえ息を呑むような気品が宿っていた。その顔立ちはどこか可憐で、自信と、一抹の恥じらいを併せ持っている。豊かな胸と引き締まった腰、そして隅々まで手入れの行き届いた肢体は、観客の視線を逃すことはない。
ひとまず、ここまでは大丈夫そうだ。カリンたちも、こちらが
だが、しかし――
あの女、土壇場でやらかしやがった――!?
「は……あ、ああ……あれ?」
歌い出しのタイミングで、歌詞が出てこない。それでも、客席は一応盛り上がっている。見知らぬ女のコが突然全裸で登場したのだから、男として当然のリアクションかもしれない。だが、ステージ上の彼女は――ちょっと涙目になっている。このままでは、グダグダと恥を掻いただけで終わりかねない。
どうして――? 本人が曲を指定していたのに、練習していないなんてありえない。
ここで楓は、自分が致命的な
まさか――トイレで見た
「曲を止めなさい! いますぐ!!」
鋭く響く女性の声。だが、楓は聞き覚えがない。それでも、その叫びはざわめくホールの空気を一刀両断に切り裂いた。
声の主は、男たちの間を強引に掻き分け、音楽の消えたステージへまっすぐ向かってくる。彼女の姿は、明らかに“男装”だった。とはいえ、ステージの乱入者と違い、線の細さやシルエットに癖がなく、むしろ男装としての完成度は高い。考えることは同じのようで、色付きの眼鏡にニット帽という似たような服装。ただ、自毛は短いようで、帽子からほとんどはみ出していない。
そして、まっすぐに怒りを向ける矛先は――
「あんた、ナニ考えてんの!?」
ステージ中央、全裸のまま立ち尽くしていた彼女を真っ直ぐに睨みつける。
「だってぇ……クロエちゃぁん……」
「こんなところで名前出すなっ!」
甘えた声を一喝して掻き消そうとする。変装して来ているくらいなのだから、身元は明かしたくなかったのだろう。ただ、少なくとも知り合いのようだ。ということは、クロエと呼ばれた彼女も安心党の関係者なのだろう。なので、楓は少し様子を見ることにした。外国人のような名前だが、きっと日本人に違いない。リリザと同じく。
「だって、クロエちゃん、ストリップ・アイドルが大好きで……」
「そっ、そんなの、好きなわけないじゃない!」
クロエはたじろいで見苦しい言い訳をこぼす。あからさまに板のついたお忍びルックで来ておきながら、その主張には説得力がない。それは最早“ジョーク”にしか聞こえず、案の定、会場は爆笑の渦に包まれた。
悔しさで真っ赤にするクロエだったが――だからこそ、逃げるように全裸の同業者を人前から引っ張り出そうとする。
「と、というか……ステージを下りなさい! 歌えもしないのにそんなところに立とうなんて、ストリップ・アイドルに対する冒涜よ!」
それはそうだと楓も思うが、クロエは逆にステージのほうへとぐいぐいと引っ張り上げられようとしている。
「だったら、クロエちゃんが歌ってよ! 歌えるんでしょ!?」
袖から見えたその表情で、楓も察してしまった。目の奥には密かな光が宿り、鼻がわずかに膨らんでいる――あの、クロエと呼ばれている女は――何気に歌いたがっている――!
だからこそ、全裸の彼女も引こうとしない。
「私はちゃんと、いつものCDを用意したはずだったのに……! クロエちゃん、ちゃんと元のケースにしまってるの!?」
やっぱりか、と楓は頭を抱える。『BEGINNING - LIVE!』のケースに入っていたのは――別のCDだった。喫茶店のトイレでそれを確認した楓は――こんなところでフェイクを入れるなんて、徹底している――けれど、『BEGINNING - LIVE!』はむしろTRK26の代表曲であり、ラッピングとしてはむしろ危険だ。逆ならわかるけど。これに何の意味があるのか――実際、そこに何の意味もなかった。まさかの凡ミスである。
「アンタ、私のCDを勝手に……!」
「一曲聴いたら、元に戻すよね?」
「知らんわ!」
クロエは、あまり几帳面な性格ではないらしい。裸の胸の前でパタンと蓋を閉じるように手を合わせている彼女に向かって、クロエは必死に怒鳴っている。不毛な言い争いではあるが、一方が全裸であるためか、観客たちも盛り上がったままだ。
しかし、そこに――音楽が流れ始める。先ほど、歌い損ねたばかりのイントロが。楓が音響エリアに視線を移すと――そこでは、全裸のカリンがフロアを見守っていた。着替えるまもなく、ステージのために入っていたらしい。そして、盛り上げるのならいま――その意図は光に包まれたステージにも伝わる。裸で上がった彼女は、歌詞は知らない。ただ、さっき聴いたばかりの曲なので、その雰囲気は何となく覚えている。
「ハイ! ハイ! ハイ! ハイっ!」
全裸のまま拍手を促すと、客席に溢れる照明の光が波のようにステージを包み、観客たちも――『Fu! Fu!』と合いの手まで乗せてきた。汗と熱気に満ちた空間のなか、歓声がホール全体を震わせる。その様子を見て、楓は何となく察した。この曲は『TRK26』のもので、ホールに集まっている客たち――クロエまで含めて、みんな『TRK26』のファンなのだと。
その一体感の中でクロエは――自然と身体が動き出す――!
『白い
振り付けもしっかりこなしている。やっぱり彼女は――クロエはただのストリップ・アイドルのファンではない。TRK26がまだ健在だった頃から続く生粋の――!
だが、事態は思わぬ展開を見せ始める。思えば――ステージが動き出したにも関わらず、全裸で乗り込んでいた彼女が“盛り上げ役”としていまだそのまま壇上に残っていたところからして違和感はあった。
『!?』
ワンコーラスが終わったところで、突然クロエが脱がされ始めたのである。それも、スポットライトに照らされたステージの真っ只中で。
『ちょっ、ちょ……アンタ、ナニ……!』
と少しの抵抗を見せたものの、脱がそうとしている相手がすでに全裸であるため、何となく丸め込まれてしまったのだろう。シャツに続いてジーンズも下ろされて、二番に入る頃には下着姿になっていた。とはいえ、ちゃっかり靴は履き直している。揃いの淡いピンク色のランジェリーは、レースの縁取りにフリルがあしらわれており、意外なほど可憐で清楚に揃えられていた。せっかくストリップ・ライブを観に行くのだから、下着まで妥協したくない――そんなファン心が働いたおかげで、人前でありながらもクロエは密かに安堵する。
下着で二番を歌いながら――クロエはすでに覚悟していたのだろう。大サビの前で背中からブラを外された際には、素直に従っていた。そして、されるがままにパンツも下ろされて――
何の因果か、ステージの上には見知らぬ裸の女子がふたり――まさか、こんなことになろうとは。しかし――ステージは、不思議とひとつにまとまっている。カリンの対応に救われたところもあるが。
ざわめきと困惑の中で幕を開けた“異常”なステージ――それは、不完全だったかもしれないが、たしかに“うまくいった”のだった。
曲が終わると「もういいでしょ!」とクロエは袖のほうへと例の乱入者を引っ張り込む。彼女もやることはやりきったので、今度はそのまま退場してきた。
ライブが終わってもホールはまだまだ熱気に満ちていたが、控室もまた、賑やかな温かさがあふれている。
「うまいじゃん! いきなりあれだけ踊れるなんてビックリだよー」
正直、新月より上手いかも、と楓は思う。クロエが真っ赤になって照れているのは、裸の恥ずかしさだけではないだろう。
「即戦力として加わってもらったらいいんじゃないかしら」
元のソープ嬢に戻りたがっているエルメは無責任にそんなことを促す。それで、楓はなぜこのような“サプライズ”を持ちかけてきたのかを理解した。おそらく、本当にステージに立ちたかったのはクロエだったのだろう。それを知っていた彼女は、ただその手を引くために――文字通り、一肌脱いだのだ。その友情の深さに、楓は思わず唇を引き結ぶ。自分も、あんなふうに誰かの背中を押してあげたい――ふたりの姿に、つい胸を熱くしていた。
しかし。
「……って、
クロエが思い出したように声を上げる。茜――おそらく、事の発端となった彼女のことだろう。
「あの人なら、ホールに戻っていったけど」
その様子を楓は見ていた。おそらく、脱いだ服を回収しに行ったのだろう。だが、楓の答えに、クロエは苦々しく舌打ちする。そして、全裸のまま控室を飛び出していった。
えっ、ナニ――? 釣られるように楓もホールへ続くと――フロアのほうは、まだ客がちらほら残っており、全裸で現れたクロエに嬉々として注目する。だが、その室内を一瞥して――足元の服さえ無視して、クロエは出口に向かって一直線に――!
「……あのバカ……ッ!」
バカはお前だ! 服くらい着ろ! 素っ裸のままどこへ行くつもり!? 楓はクロエの服を届けるべく拾い上げると、裸のお尻を追って、外に出る。
夜の新歌舞伎町に立つと、目に飛び込んできたのは、幻想のような光景だった。――全裸の女が、夜の街を走っている。けれど、その姿はただ異様というだけではない。暗がりの街灯に照らされた白い肌は、まるで一枚の絵画のように神秘的で――
――これはもう、映画のラストシーンみたいだ。
危うい。けれど――美しい。そのアンバランスな瞬間に、楓は思わず息を呑む。そして――彼女は、如月舞に続いて、自分を脅かすストリップ・アイドルになるかもしれない――そう直感していた。
そして、クロエがそんな暴挙に出た理由は――
「茜、アンタ、どこ行くつもりよ!?」
追いついて声をかけると、不思議と茜は落ち着いていた。もちろん、自分の分の服は着直している。
「どこって……あとはクロエちゃんに任せて帰ろうかな、って」
呑気な茜をクロエが叱りつける。
「駅はあっちよ! ひとりでうろつくなっていつも言ってるでしょ!」
「えー? そのくらい大丈夫だって」
「全然大丈夫じゃない!」
「というか、クロエちゃんのカッコのほうが大丈夫じゃないと思うけど……」
実際、道行く人々の視線を釘付けにしている。だが、クロエは動じない。
「新歌舞伎町で女ひとり全裸でうろついてても、誰も気にもしないっての! ほら、戻るわよ!」
クロエは身体を隠そうともせず、堂々と茜の手を引いて踵を返した。誰も気にしていない、と言えるほど馴染んではいないが――実際、ジロジロと視線は浴びているものの、騒ぎにはなっていない。さすがは、日本唯一の風俗街、といったところだろう。けれど――いま、警察に通報したら、将来のライバルをひとり消せるかも――楓はそんな物騒なことを考えていた。
今度こそ、クロエも服を着込み――茜とクロエのふたりが揃ったところで、きちんと事情を説明してもらうつもりだったが、事態は楓が思っていた以上にとんでもないことになっていたと知る。
「本当に……
久々に控室へとやって来たエリの表情に、これまでのような余裕はない。顔は紅潮して――明らかに、怒りを押し殺している。
「……おふたりには状況が落ち着くまで、近所のホテルで待機していただきますので」
「うーん、明日の午前中から、お仕事入ってるんだけど……」
そんな茜のぼやきを、エリはひと睨みで黙らせる。
「こちらからも連絡を入れておきますが……まあ、その必要もないでしょう」
エリが控室の扉を開けた。ついて来い、ということだろう。そして、当然のように。
「もちろん、楓さんも」
「……はい」
茜たちを呼び込んだ張本人として、弁明は必要だろう。この空気の中で、どうやって“パラノイアからの伝言”を口にしたものか。少なくとも、言葉通りに告げることはできないだろう。
新歌舞伎町にホテルは多い。もちろん、ラブホテルではあるけれど。そのひとつに、女四人で入ろうとしていた。外観はレンガ風の装飾でまとめられ、薄橙色のライトが品よく輪郭をなぞっている。内装も意外と清潔感があり、ラブホというよりは簡素なビジネスホテルに近い印象を受けた。
「お疲れ様です」
エリからフロントに告げられたそれは、挨拶というより恫喝のような響きを孕んでいた。そしてそのままエレベーターに乗って、402のランプのついている部屋へ。鍵は開いていた。どうやら一階の事務所で全室のロックを管理しているらしい。
入ってみると、部屋は想像以上にこぢんまりとしていた。それでも、部屋の大半を占める大きなダブルベッドが、否応なくこの空間の用途を主張している。壁際には控えめな照明が灯り、どこか場違いなほど落ち着いた雰囲気を醸していた。
その一方で、奥にはふたつのひとりがけのソファが小さな座卓を挟み込むように置かれている。おそらく、カップルが軽く会話するための設えなのだろう。その一脚にエリが腰を下ろし、どこか威圧的な所作で足を組む。
残されたもうひとつの椅子に誰が座るか――その判断を避けるように、楓たち三人はその場で立ち竦んでいた。少なくとも、楓に座る勇気はない。
「楓さん、そのかたがどなたかご存知ですか?」
下から見上げるエリの厳しい調子に、楓は恐る恐る覚えている範囲で答える。
「えーと……茜……さん?」
ちらりと隣をうかがうと、茜は申し訳なさそうに俯いている。とりあえず、名前に間違いはないらしい。なお、一度だけエリが苗字のほうを口にしていたような気がするが、聞き馴染みがなく、字数も長かったので楓には覚えられなかった。
楓がこの手の話に疎いのはエリも知っている。だが、いまは理解度を探っている状況ではない。
「彼女は朱鷺ノ内茜。安心党、朱鷺ノ内
えっ? ――むしろ、議員だと思っていたので、楓には逆に拍子抜けだった。
「現在は、豊議員の下で、
どうやら、ふたりは秘書つながりだったらしい。エリからの問いに、茜はきちんと答える。なぜ、このような暴挙を起こしたのか。
「じ、実は、クロエちゃんがストリップ・アイドルのファンで……」
「誰がファンだって言ったのよ!?」
即座に否定するも、エリの顔色をうかがって語気を弱める。
「……あ、いえ、CDとかグッズは持ってますけど……」
現在は絶版になっている円盤を保持している時点で、相当な筋金入りである。
どうやら、由伸は安心党界隈を巡り、“新歌舞伎町の現在”を探っていたのだろう。その中で茜と接触し、このままではストリップ・アイドルが危ういと知った結果――まあ、あのステージを見れば、単なるファンとしての憧れだけではないのは明らかである。友を夢のステージへと送り届けるために茜は動いた。しかし、動き方が良くなかった。茜自身が思っていた以上に。
「……応援していただけるのはありがたいのですが……立場というものがありますしね? あなたにも、それに、私にも」
エリの微笑みは柔らかく、それでいて決して侮れない力を帯びていた。その一言に、茜はしゅんと肩を落とし、クロエはぴしりと姿勢を正す。やはり――エリの言葉は、一つひとつが重い。
「とても見事な『無為なる遊興』だったようで……優さん推しですか?」
「あっ、いえ、曲として好きなだけで……も、もちろん、優さんも好きですけど……」
どうやら、曲のタイトルとアーティストの話をしているようだ。が、楓は知らないし、TRKの情報はネットから消されているので、いまからでは知りようもない。
「まあ、それはいいのですが」
と、エリはそんな話を一蹴する。
「“某所”から“通報”がありまして……私も拝見できなかったのが残念ですよ」
ぞわっ――と、楓の背中に戦慄が走る。おそらく、パラノイアからエリに直接連絡が入った――それも、この短時間に。つまり――先程のライブは
「きょっ、恐縮です! ではなくっ、すっ、すいません……!」
クロエが固まった姿勢のまま謝罪する姿は、さながら新人社員のようにも見える。ちょっと怯えすぎでは――と、楓は内心思った。どうやら、彼女は“長いもの”が苦手なのかもしれない。
一方の茜は、言葉を選びながら素直な表情で口を開く。
「クロエちゃん、デビューに向けて一生懸命練習してて、部屋ではいつもパンツを――」
「も、もうやめて……っ!」
クロエは思いきり非難の目で茜を睨みつける。けれど、その横でエリの様子を気にしているあたり、謝罪の気持ちは本物らしい。怒りと悲しみの絶え間ない切り替わり――なかなか器用な
「加入については、別途検討させていただきますが」
「……!?」
エリの言葉に、楓はわずかに息を呑む。楓は社交辞令に敏感だ。だからこそ、わかってしまう。これは、いわゆる“やんわりお断り”ではない。本気で、ふたりの加入を検討している。つまり、安心党のふたりをストリップ・ユニットとして迎えようとしているのだ。
その裏には、確実に政治的な思惑があるのかもしれない。だが、実力的にも――ステージを見た限りでは、クロエのパフォーマンスはたしかに盛り上がっていた。恐らく、彼女は本当にずっと練習してきたのだろう。“ファン”というのも嘘ではなかった。
一方、全裸であっても物怖じしない茜――彼女の持つ“場の支配力”もまた、ライブステージにおいては貴重な才能といえる。あとは――歌と踊りを人並みにこなせれば、十分通用するはずだ。楓自身も、ふたりの加入に対して、静かにうなずく。
だが、それだけで話は終わらない。
「……ですが、このふたりが内部の協力者なしに、このようなことはできませんね?」
「!」
エリの視線が、楓に向けられた。その意味するところに、楓は言葉を詰まらせる。由伸の意向に沿ったことだから大丈夫――そう考えていた。けれど、それでは済まされないらしい。
「ここから先の苦言は、“本人”から聞いていただきます。まずは、“足”を呼んでください。行先は、そのあと伝えます」
「本人……足……?」
楓は一介のダンサーである。怪しげな専門用語を持ち出すのはやめてもらいたい。完全に混乱している楓を見て、エリは思い出したように補足する。
「そうそう、今回は山奥へと赴くことになるでしょう。ですから、念のためにオフロード仕様の車両を用意してもらってください」
言われて、“足”――それが移動手段のことを指すとようやく楓は理解する。そして、この様子だと――まさか、由伸さんを呼べってこと――!?
思わず赤くなる楓があまりにわかりやすかったので、エリは伝わっている前提で話を進めることにした。
「この件で彼が動いていたことは我々も把握しております」
ああ、やっぱり。そもそも、別段内密にと頼んだわけでもないから。
「ですので、あなたがたがふたりで訪れても、“先方”も何も言わないでしょう。ただし、もし朝までに連絡がつかなければ、
それを聞いて、楓は青ざめる。――由伸さん、お願い、いまだけはすぐ返事して! 楓はあたふたとスマホを取り出し、祈るように通話を発信する。すると、意外にもあっさりとつながった。しかし、どう説明したものかわからない。
「急なお電話申し訳ありません! 実は……その……」
どこから話していいのか、どこから話してはならないのか――楓にその判断は難しい。なので、ここは楓が見たままの事実を。
「……エリさんが、その……とても、怒っていまして……」
ちらりと件の店長の顔をうかがうと――少し、呆れられていた。もっとスマートな表現はできなかったのかと。それでも、由伸には伝わったらしい。
『どうやら、火の手が上がったか。こいつはのんびり見物してる場合じゃなさそうだ』
由伸の穏やかな声が、スマホ越しに響く。その一言で、緊張の糸が少しだけ緩んだ。けれど、さすがに今度ばかりは――デート気分、などとはいってられそうもない。
オフロード仕様の車を、というエリからの注文を追加すると、由伸はすぐに迎えに行くと言って通話を終了させる。そんな特殊な車をすぐに用意できるのかな? と楓は漠然と心配していた。なお、『オフロード用』の車がどんなものか、まったくイメージはついていない。それでも、エリなら不可能なことは言わないはずだ。
話し終わったところで、楓の気持ちもようやく落ち着く。しかし、まだ何もわからない。
「それで……私たちはどこへ行って、何をすれば良いのでしょう……?」
このままでは、由伸が来ても何もできない。
「詳細につきましては、篠田氏の御子息がいらした際にご説明いたします」
どうやらエリは、楓よりも由伸のほうが話が通じそうだと判断したらしい。そして、それは正しい、と楓も思う。
ホテルの場所を由伸に伝えたとき、二〇分くらいで行けると言っていた。だが、その間――部屋を満たす空気はどこまでも重苦しい。エリはピリピリした表情で楓たちを見据えているし、クロエはそんなエリの顔色を押し黙ったままうかがっている。楓は由伸の動向をチェックする体でスマホに視線を落としていた。もちろん、車を運転中なのだから、何もなければ特に連絡が来ることもない。
そんな中――ずっとしょげていた茜が、ふっと微笑む。誰が何を言ったわけでもない。だが、ただそれだけのことで、エリの苛立ちを少しだけ和らげてくれたように見えた。ステージでも十全に発揮していたが――どうやら、場の空気を穏やかにする才能のようなものがあるのかもしれない。
それで――沈黙が支配していた室内で、ようやくエリが口を開く。
「……豊議員は、当然この件については関知していないのでしょう?」
これは――“はい”か“いいえ”で答えるものではない。関知していないのは明らかで、そんな中でなぜ独断で動いたか――それを問い質している。
この真意を汲み取れない茜ではない。だが、言葉を多くして語ることはなく――チラリとクロエに視線を向ける。が、当のクロエはエリの威圧感に押されて縮こまっていた。
それだけで――はぁ、とエリはため息をつく。すべてを了承したように。エリも、報告では聞いていた。クロエのステージは、素人の思いつきというレベルではなかったと。ゆえに、心から――ただ、純粋に、友人を今回の“プロジェクト”に推したかった――それだけだったらしい。
だが――その手段が、あまりに
茜は安心党の“プロジェクト”に参加していない。茜は安心党議員の愛娘である。
――ここまで、エリと茜の間で意思の疎通が成立していた。しかし、隣で聞き耳を立てていた楓には――茜もエリに恐れをなして口を閉ざしているように見えている。
由伸の到着が、予定より早く着いたとして五分前倒し――いまがその五分前――
「そっ、そろそろ表で由伸さんを待っておこうかと……!」
部屋を出る口実を作った楓に合わせて、エリもまた腰を上げる。由伸と話があるはずなので当然の流れだが、できればひとりになりたかった。思いっきり表情を強張らせた楓に、エリは――少し脅しすぎたか、と自省する。ただ、それだけのことをやらかしたことは事実だが。
そして、この場で唯一エリの心境を把握している茜は。
「あ、エリさん」
軽い口調で呼び止めて。
「あとでサインもらっていいですか?」
この状況でナニ言ってんの!? と楓もクロエも青ざめる。しかし。
「……騒動が落ち着きましたら」
ニコリと微笑みを返すエリに、楓はむしろ驚かされる。そして――誰のサインだろう――どうせ舞でしょ――そんなことを考えるくらいの余裕は生まれていた。
夜のホテル街は、静かに沈んでいた。ビルの窓には厚手のカーテンがかかり、外からは中の様子がまったくうかがえない。わずかに煌めくネオンが、舗道にぼんやりと色を落としている。人気はほとんどなく、聞こえるのは遠くを走る車の音だけだった。エリは腕を組んで疲れたように空を仰ぎ、楓はその隣で、やや落ち着かない様子でスマホを凝視していた。とはいえ、ふたりの間に先ほどまでの緊張感は残っていない。ほんのわずかでも余裕が戻ってきたことに、楓は自分でも驚いていた。だからこそ、意を決して必要な連絡事項を口にする。
「いまさらなんですけど、最初に頼まれていました件については……」
これ以上ややこしくなる前に終わらせておきたい。
「ああ――」
エリは思い出したように相槌を打つ。楓がファメリアでパラノイアの使者から承った言伝の件――嫌がらせも込めて、そのまま告げてやろうと意気込んでいたものの、もはや、そんな立場ではなくなった。
そして、そんな状況でもないらしい。
「――ボールはすでに、私からあなたへと移っているのですよ、楓さん」
「!!」
楓は、声にならない悲鳴を上げる。考えたくはなかったが――
そしてすぐに、一台の車が到着した。普段とは異なりその車体はしっかりしている。高さもあり、足回りは頑丈に強化され、走破性に優れたデザインだ。これがオフロードというものか、と感心しつつも、こんなものに乗ってどこへ行こうというのか、という不安は拭えない。
由伸が車から降りてきた。そしてそのまま、彼はエリに向かって深々と頭を下げる。
「この度は、私の軽率な行動により、御社には多大なご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありません」
その姿勢は誠実そのものだった。だからこそ、楓はますます胸が痛む。
「我々の界隈は、国内法を超えたルールで動いていることをお忘れなきよう」
「肝に銘じておきます」
エリの言葉に、由伸は一瞬も躊躇せずうなずいた。巻き込んでしまったのは自分――だからこそ楓は、泣きたくなるほどにつらい。しかし同時に、エリがこうして由伸に話をつけているのは、むしろ『話が通じる相手』だと見込まれてのことだと感じ、心強くも思う。
「
「仰せの通りに」
エリからの指示に対して――まるで芝居の台詞のように、由伸は静かに応じた。