ストリップ・リユニオン - 闇を脱がす者たち 作:添牙いろは
こうしてふたりは、オフロード車に乗り込み――夜の街を走り出す。地上では信号に何度か足止めを食らったが、高速に乗ってからはスムーズだった。ただのドライブであれば、心地よく感じられるほどの静かな時間。だが――今回は違う。
「由伸さん、本当にごめんなさい。とんでもないことに巻き込んでしまったみたいで……」
楓が言葉を搾ると、由伸は励ますように軽く笑みを浮かべる。
「女性の眼差しには慣れてるんだけどね。政治家連中の視線には、ちょっと無防備だったらしい」
無防備ということなら、茜もまた同罪だ、と楓は思う。
「私もまだ……何が起きてるのか、正直よくわかってなくて……」
ただ、確実に“とんでもないこと”が進行している。それだけは、はっきりしていた。
「現地に着いたら、何かしら指示があると思うんですけど」
由伸は、少し考えて。
「役者が揃った舞台にエキストラが残ってちゃ、野暮ってもんだろう? 退場しておいたほうが良さそうかい?」
「本当は、一緒に聞いてもらったほうが心強いんですが……」
――けれど、これ以上由伸に迷惑をかけることは避けたい。
「一旦は、私ひとりで聞いてみます」
楓はそう決断した。
車を走らせること、約四時間。目的のサービスエリアに到着した。観光シーズンを外した時期、しかも夜明け前の時間帯とあって、駐車場は閑散としている。売店らしき建物には灯りがともっているが、商品の棚にはネットがかけられており、営業はしていない。だが――
「あのテラス席なんかが良さそうだな。コーヒーでいいかい?」
「え? えっ?」
車を降りたところで早くも話が進み始めたようだ。が、楓はまったくついていけていない。そんな彼女をエスコートするように、由伸は自販機コーナーのほうへと向かっていく。売店前の飲食エリアは丸いテーブルに四つの椅子が囲むスタイルだった。同じような席が五組並んでいて、そのうちのひと組には、すでにふたりの女性が座っている。こんな薄暗い時間帯に。極めて不自然だ。
ひとりは、髪を耳の下でふたつに結った女性。ワンピースの前ボタンをきっちり留めていて、やや機嫌が悪そうな表情だ。その隣に座るのは、ショートカットで、肩の大きく開いたオフショルのワンピース。サングラスをかけ、堂々とした態度――きっと、こちらが上司に違いない。
――と楓は思ったが、由伸が指し示したのは、“おさげ”の女性の背後だった。
「五つ並んだテーブル席の真ん中の、こちら側の椅子……わかるかい?」
「た、多分……」
由伸の指先を追いながら楓は小さくうなずいて、内心で密かにため息をつく。これで何度目か、もう数えたくない。赤の他人を装っての情報伝達――そういうのは、スパイ漫画の中だけにしてもらいたい。
由伸から受け取った缶コーヒーを片手に、楓は指示された席へと向かう。ちらりと由伸の様子をうかがうと、街灯にもたれかかりながら、スマホをいじっているようだ。が、きちんと見守ってくれている、と感じる。なので――他にも座れるところはいくらでも空いてるのに、これはこれで怪しいよなぁ、とは思いながらも、平然を装って腰を下ろした。
だが、座った途端、楓の背後の女が独り言のように呟く。
「この度は、とんでもないことをやらかしていただいたようで」
小さく、冷たい声だった。それだけで、自分が思っていた以上に良くない状況になっていたと察する。
「すみません。こちらとしても、予想外の事態が重なりまして……」
楓の声には、かすかに焦りと緊張がにじんでいる。言葉を繕いながらも、口調はやや上ずり、場の重さに飲まれそうになっていた。
「こちらは、想定の範囲内ではありましたが」
相手の反応はどこまでも淡々としている。だが、口調の中に、楓を労る色はない。
「ただし、その中でも極めて悪いほうですけれど」
「……すみません」
楓は思わずもう一度、背中越しに深く頭を下げる。他人が責められている分には構わないが、自分のこととなると、やはりつらい。
「安心党・朱鷺ノ内派のご子女がストリッパーデビュー……こと、開放党との関係においては激震ですよ」
「はぁ……」
政治の話題に踏み込まれ、楓は思わず気の抜けた返事をしてしまった。安心党議員の娘がストリッパー――それを言うなら、
「……事の重大さ、わかってます?」
「ご、ごめんなさい……」
明らかな苛立ちを向けられ、楓はただただ謝る。楓には政治の何がどう問題なのか、まったく理解できない。場違いであることを痛感しつつ、むしろ、自分がこの場にいることそのものに戸惑っている。口の中がカラカラに乾くが、コーヒーに目を落とす余裕もない。ただ、両手を膝の上に置いたままぎゅっと握りしめていた。
そんな楓の様子に、背後から短くため息が漏れる。
「かいつまんでお話しますと……
「はぁ!? ……そんなあっさりと……?」
あんたら、秘密結社なんでしょ! なのに――簡単すぎない!? 楓の声が反射的に大きくなる。あまりに急な展開に驚くが、ここでようやく後ろにいるメッセンジャーは――楓がこの種のことにまったく向いていないことをはっきりと理解する。
詳細を話すのは、やめておこう――そう彼女は判断した。
実際のところ、
その結果――パラノイアは
だが。
楓のようなキャラクターには、何も知らないままでいてもらった方が都合も良い。だからこそ、パラノイアの彼女はあえて『崩壊した』という虚偽の事実を真実として持ち帰ってもらうことにした。
「このまま、『
「はぁ……」
次々と知らない単語が出てきて、楓は半ば呆然と返事を返す。それを合図とするように、おさげの彼女がすっと席を立った。すると、隣に座っていたショートカットの同伴者も、つられるように立ち上がる。
「何? 本当にエージェントみたいじゃない」
「そう思うのなら、外でそういうことを口にしないでください」
髪が短いほうの女性は、おさげの彼女と異なり『表の人間』なのだろう。ここまでピシャリと切り捨てられても、まったく気にすることなく、ふたりは寄り添ったまま駐車場のほうへと向かっていった。由伸と同じようにしっかりした車が停まっているので、おそらくその村で合流することになるのだろう。
ようやく重苦しい空気から解放されて、楓はひと息つくことができた。コーヒーで少し喉を潤し――そこで、由伸がテーブルのほうへとやって来た。だが、詳しい話を聞けなかった楓は、由伸に報告できることがほとんどない。わかっているのは、次の目的地についてだけ。せっかくなら、もっと楽しいことを話したいのに、そんな空気でないことが悔やまれる。
そして、楓が一杯飲み終わったところで――
「じゃ、ぼちぼち次の舞台へ向かおうか。お嬢さん、準備はいいかい?」
「ありがとうございます……」
エリが、由伸を“足”と称していた理由が、ようやくわかった。が、こうも連れ回すのは申し訳なく思う。そんな楓の暗さを、由伸のほうから労られてしまった。
「道が険しいほど、旅は面白くなるってもんだろう? もちろん、キミと一緒なら、だけどね」
その気負いのなさに、少しだけ緊張がほぐれる。
「初めて聞く地名ですけど……どんなところか知ってますか?」
車に乗ったところで尋ねてみると、由伸は運転席で穏やかな笑みを浮かべながら答える。
「俺は招待されたことはないが……どうやら開放党のホームグラウンドってやつらしいな」
楓は内心でその言葉を反芻しながら、ようやく思い出す。開放党はいまの与党だ。そして、由伸は血縁上は野党・安心党の人間である。
「由伸さんがそんなところへ行って、大丈夫なんですか……?」
不安を隠しきれずに問いかけると、由伸は肩をすくめて苦笑する。
「写真家に国境などないさ。ましてや、銃弾が飛び交っているわけでもないしね」
その軽さに、楓はますます不安を感じながらも、同時に思う。由伸がいれば、どこでも大丈夫な気がすると。
そのあと少し高速道を走っていたが、すぐに下りた。付近にはコンビニやガソリンスタンドが点在し、幹線道路沿いの風景がしばらく続くも、やがて景色は徐々に田園へと移り変わっていく。農地の緑が広がるなか、ところどころに農機具を並べた倉庫や、手入れの行き届いた畑が目に優しい。季節の花が小さな川のそばに咲き、穏やかな田舎の空気を漂わせていた。
やがて、正面に山並みが見えてくる。車の仕様を思い返し、その先を目指しているのだろうと楓は察する。予想通り、車は山道へと入っていった。舗装された道ではあるが、くねくねと曲がりくねり、車体が大きく揺れるたびに座席にお尻が押し付けられる。由伸が何度か楓の様子を気遣うように視線を送ってきたが、楓もこの程度で弱音を吐くつもりはない。
背の高い建物こそないが、山の木々が執拗に生い茂っており道はどうしても暗く感じられる。そんな中をしばらく進んだ後――不意に視界が開けた。のどかな村――そんな言葉が、自然と楓の心に浮かぶ。どうやら、目的地に到着したらしい。そこには、まるで時が止まってしまったかのような風景が広がっていた。瓦屋根の古民家が並び、舗装の甘い道には雑草が生い茂っている。その佇まいは二十一世紀どころか、二十世紀のような――しかし、廃墟のように朽ちているわけではない。村全体が時代の流れを無視するように『停滞』している――そんな印象だった。
この景色は、きっと由伸が好きなタイプだろう――そう思って隣を見ると、案の定、彼は目を輝かせていた。
「お行儀が悪いのを承知で告白させてもらうけど……念のため、カメラを持ってきておいて良かったよ」
やれやれ、と楓は内心でため息をつきながらも微笑ましく思う。大変な状況であるのは間違いない。けれど、カメラマンである由伸とカメラを切り離すことなどできないのだろう。だからこそ、由伸には写真家として、ずっと好きな風景を切り取っていてほしい――そんな気持ちもあった。
ここは、田舎特有のだだっ広い駐車場――たくさんのトラックが駐まっているところを見ると、これらがこの村の物流の要なのかもしれない。あの山道をこんな大きなトラック群が走っているところは想像できないけれど。
そこに紛れるように、ちんまりとした乗用車が一台停まっていた。楓には見覚えがないが、由伸は覚えている。先程のメッセンジャーの車だ。由伸がそちらへと向かっていくので、楓もその後ろをついていく。すると、車の前で彼女たちは待っていた。
「あたしたちは話を通してきますので、こちらで大人しくしていてください」
おさげの女の機嫌はまだ治っていないようだ。そう言い残すと、彼女たちふたりは歩いて村の奥へと向かっていく。
楓はスマホを取り出して地図を確認しようとしたが、画面には『圏外』の文字が表示されていた。この時代に通信が届かないなんて――さすがに信じられない。
一方、由伸は駐車場の周囲を気ままに歩きながら景色を眺めている。無許可で撮影に臨むことはないが――それでも心のシャッターを何度も切っているに違いない。
「……そのファインダーに、私もいますか?」
少し照れながら問いかけると、由伸は一瞬こちらに視線をよこし、にこりと笑う。
「カメラを構える度に思っているよ。俺がピントを合わせているのは、いつでもキミだって」
その返しに、楓はほんの少しだけ頬を赤らめる。
「……なら、由伸さんの写真の中の私は、どんな衣装を着てるの?」
わざと意地悪な質問をしてみた。由伸がヌード写真家であることを、楓はよく知っている。
「俺のカメラが一番欲しがってるのは、その飾り気のない、素のキミさ」
迷いのない返答だった。むしろ堂々としていて、楓の方が気まずくなる。
「……許可、下りるといいですね」
そう言いながら、楓は諦観のため息をつく。どちらかといえば、これはおそらく謝罪の旅だ。撮影どころの話ではない。それでも夢想するくらいならば構わないはずだ。大人しく待っていろ、とは言われたが、じっとしていろとは言われていない。この敷地内くらいなら、歩き回っていても問題ないだろう。
駐車場は、まるで巨大なトラックたちの迷宮のようだった。幾重にも並ぶ車体のあいだを縫うように抜けていく風が心地よい。見上げれば空はどこまでも広く、頭上には澄んだ青が広がっている。由伸と並んで眺めるこの光景は、楓を飽きさせることはない。
――自分なら、どこに立つだろうか。もし、彼のレンズの前に立つなら。由伸がシャッターを切るその瞬間、自分はどんな姿でいたいのだろうか。もちろん、彼が望む姿で。それを想像しただけで、胸が高鳴る。気恥ずかしさと、嬉しさと、少しの覚悟が入り混じったような――そんな感覚が、胸の奥でこそばゆく脈打っていた。
しばらく歩いていると――乗り入れたのとは異なる出入り口が見える。つまり、ここから先は人々が生活するエリアとなるのだろう。人通りもわずかだが見られ、通りには地元密着型のカフェやベーカリー、床屋などが並んでいた。その向こうにはスーパーのような大型商業施設もあり、生活の拠点としての活気が漂っている。看板の色合いや道路の手入れからも、地域住民の手がしっかりと入っていることが感じ取れた。
そろそろ戻ったほうがいいか――楓がそう提案しようとしたところで――
「あんまりウロウロしないでね、若いおふたりさん♪」
え? 後ろから出ていったはずなのに、前から? ――これには、楓は驚きを隠せない。トラックの陰から現れたのは――おさげのメッセンジャーと共にこの場を離れたはずの、ショートカットの女性だった。
「まさか、こんなところでマダムに再会できるとは……運命ってやつかな?」
由伸はいつものように飄々と返しているが――こんな行く手を遮られるような形で呼び止められるなんて、もしかして、私たち――監視されてる――?
のどかな村の中で政治的な闇が動いているようで、楓は思わず由伸の袖をぎゅっと握っていた。
迎えに来た女性に連れられて村の中を進んでいくと、すぐに建物はまばらになり、風景は一変する。家屋が姿を消し、視界の先には一面の田畑が広がっていた。青々とした稲が風にそよぎ、小さな用水路が陽光を反射してきらめいている。その静けさの中に、ぽつぽつと点在する作業小屋があった。どれも木造で、トタン屋根や錆びた工具棚が備え付けられているし、農作業の拠点として使われているのだろう。
由伸は、楓も見覚えのあるカバンを肩から掛けている。これは、かつて新歌舞伎町の撮影の際に持参していたもの――つまり、中身はカメラに違いない。取り出しこそしないが、由伸は時折歩みを緩めると、景色のひとつに興味深げな視線を向ける。壁の色合いや、そばに置かれた農具の配置など――まるで被写体として眺めているかのように、じっと見つめていた。
一〇分少々歩いたところで、一行は一際大きな屋敷へとたどり着く。そこにはまるで百年前から時間が止まっているかのような歴史が感じられた。重厚な木造の長屋門には苔がむし、扉の金具には赤錆が浮いている。くぐった先に広がる主屋もまた、入母屋造りの屋根が威厳を放ち、格子窓からは和紙を通した柔らかな光が漏れていた。風で揺れる木々の葉音が、静寂の中に微かな生命感を灯し、足を踏み入れるだけで、そこに流れる空気が現代とは異なることがはっきりとわかる。
奥に通された楓たちを待っていたのは、広々とした和室だった。畳敷きの空間に木の柱、煤けた天井。まるで時代劇のセットのようだと楓は思ったが、それが本物であることはひと目でわかる。磨かれた柱や畳、手入れの行き届いた障子――どれも作り物には出せない、生活の息遣いがあった。
その部屋の中央奥、最も格式の高い席に正座している女性――それがおそらく、この屋敷の――いや、この村の長なのだろう。風格のある和服姿で眼鏡をかけ、流した後ろ髪はふわりと長い。スッと伸びた背筋は凛としており、若くはないようだが、不思議と気品と活力があふれてくるような存在感があった。
その左右には見知った女性がふたり座っている。一方は、サービスエリアで密談を交わしたワンピースの女性。まあ、当然いるだろう、と楓も思う。だが、もうひとりの人物に気づいて――楓は不覚にも後ずさった。
「き……如月舞……! どうしてここに……ッ!?」
消息を絶っていた舞が、村の長に隣に何食わぬ顔で鎮座している。学生服姿だが、学校はどうしたのだろうか。
「如月家のご令嬢から、話は聞いております」
「何を!?」
屋敷の主は平然と告げるが、楓はまったく状況が飲み込めていない。だが――よりにもよって『如月家のご令嬢』とは――以前、舞もまた『帰る家はない』などと言っていたが、どうやら実家は相当な良家のようだ。
「すべてを。……まあ、彼女が知りうる限りのことですが」
「どういうことです……?」
長の回答に対して――パラノイアのおさげの女性もいま始めて聞いたらしい。そして、同伴のショートカットの女性の方も。
「何? 話が進んでるなら教えてくれても良かったのに」
「うちが電波通らないの、知ってるでしょ」
この威厳を放つ和服姿に対して、驚くべきこの軽さ――どうやら、このふたりは知り合いらしい。
「……申し遅れましたが、私は
それにしても――舞と連絡がつかないと思えば、こんなところにいたとは。
「どうやら、ヴィクスに対して動かざるを得ない状況になったようですね」
雨弓と舞の間ではすでに話がついているように聞こえる。これには、パラノイア側も困惑気味だ。
「けど、何でこのタイミングなんです?」
おさげの彼女はまだ納得していないらしい。だが、そこには楓の知らない事情があった。
「ストリップ・アイドルの中に、ヴィクスの被害者が出たようで」
「えっ!?」
雨弓の言葉に、楓は思わず舞を見た。カリンとの会話では――舞はヴィクスのスパイか、被害者か――その、いずれかと思っていたのに、肝心の舞本人がここにいる。
「例の、ボブカットの爆弾女」
舞の一言に――楓の中で嫌な予感が沸き上がる。胸の内にじわりと焦燥が這い寄ってきた。
「ま、まさか……美春さんのこと……!?」
たしかに、彼女は最近のライブに顔を見せていない。
「ステージをほったらかしていなくなってたけど……そんな……」
彼氏ができてアイドル活動のほうが疎かになっているのかと思えば、まさかの事実である。いや、その“新しくできた彼氏”自体がすこぶる怪しい。
「うちも聞いてませんよ!?」
おさげの彼女も、明らかに動揺している。これはどうやら――本当に一部の人間しか知らなかったことらしい。だからこそ、舞は独自に動いていたのだ。
「エリは確認が取れ次第動くだなんて笑えない冗談を言っていたけれど、そんな甘い相手じゃない」
同じダンスチーフでありながら、舞にだけ話していたことが、楓には悔しい。が、知らされても困っただけだろうな、とも。
この件が舞の独断だと知って、雨弓は静かに若者を諭す。
「ヴィクスのお得意様は外国の方が多いことを危惧されていたようですが……それは、国内で回しにくい未成年者に限ったことですから」
先日巻き起こった新歌舞伎町の危機――その発端となったのは、偽装身分証による未成年の風俗就労である。二十一世紀の終盤に成人年齢が義務教育卒業まで下げられたが、その分、未成年に対する保護は手厚く、そして、厳しい。だが雨弓の話ならば、扱いにくい未成年は国外に流されるものの、成人は国内で売られるのだろう。実際、陽子――ミキもそうだった。しかし、それでも舞は納得していない。
「あの胸の薄さじゃ、成人済みの主張が通じるかも怪しいわね」
「胸ならアンタも人のこと言えないでしょ」
舞の暴言に、楓がツッコむ。だが――やる気を失いかけていたメンバーのために、ひとりでこんなところまで来ようとは。舞はどこまでもストリップに対しては誠実であり――それは同業者に対しても同様らしい。自分よりもよほどリーダー向きだと楓は感じていた。
少し冗談めいた話にそれそうになったが――雨弓による睥睨で、空気はすぐに正される。
「ともかく、
「……マイタケ?」
楓はきょとんとした表情でつぶやくと、おさげの彼女が軽く肩を竦めながら応えてくれた。
「あぁ、あたしのことです。パラノイアのきの子、とお呼びください。……っと、パラノイアは現在絶賛崩壊中、でしたね」
マイタケの娘だからキノコ――? 親子でエージェントでもやっているのだろうか。
だが、ここで考え込んでいる暇は与えてくれない。
「不用意に動けば、あなたたちが滅ぼされます。それは……あなたがた自身が一番よくわかっていますね?」
きの子からの一言で、楓はすべてを理解した。TRK26――かつて、ストリップ・アイドルとしての活動は、一度闇へと葬られている。だからこその<計画>――『競技ストリップ』――女性の、女性による、女性のための、女性美の表現――ストリップの市民権の獲得のため、楓たちノクターンのメンバーたちは動いていた。そしてどうやら、雨弓もその<計画>に絡んでいるらしい。
「まさか、安心党が独断で動き出すとは思いませんでしたが――」
きの子の物言いには、少し疲れが見える。どうやら、各所の連携はうまくいっていないようで、その調整に苦労させられているらしい。
「――こうなってしまっては、雨弓さんたちにも動いてもらわなくてはなりません」
原因は間違いなく、茜によるステージ乱入――あの突飛なサプライズがここまで事態を動かしてしまったようだ。
きの子の厳しい口調に、場に緊張が高まるが――
「わーってるって! こっちはいつでもオッケーよん♪」
「って、なんでお母さんが出てくるんです!?」
――お母さん!? ってことは、ショートカットのお姉さんとは母娘ってこと!? どう見ても若すぎる。いくらなんでも親子には見えない。だが、きの子の反応を見る限り、それは事実なのだろう。他にも不可解なことが多すぎて、楓の頭は混乱するばかりだ。
年甲斐もなくはしゃいでいる若い母に続くように雨弓もまた重そうに腰を上げる。
「そこの
きの子は恥ずかしそうに両手で顔を覆ってしまった。一方、埋竹母は、ノリノリでステップを踏んでいる。畳の上で。そこに、雨弓も合流した。
「不定期にはなりますが……そこの
その言葉通り、いままさに、ふたりの母親世代によって――ストリップが始まろうとしていた。
雛菊が肩紐を下ろし、雨弓が和服の襟元を崩し始めたところで――楓は思わず由伸を睨みつける。これに――唯一の男性客は、やれやれ、と頭を掻きながら退室しようとするが――彼に手をかざし、きの子がそれを引き止めた。どうやらこれは、由伸にも見届けてもらいたい“ステージ”らしい。
相変わらず音楽はないが、雛菊のトントンとリズミカルなスタンプが拍子となり、雨弓も優雅に衣を落としていく。正直――リズム感だけはあるが、ダンスとしての魅せ方はまだまだだな、と楓は評した。どちらかというと――ステージで
そして、ふたりは裸となり、一曲踊りきったと思われるあたりでポーズを決める。これに音楽がつけば――おそらく、すぐにでも舞台に立てるだろう。拍手くらい送ったほうがいいか――とも思ったが、誰もが納得したようにうなずいているだけなので、楓もまた自重しておいた。
そして、思い出す。この村は開放党の強い支持があり、雨弓はその地を治める長だ。そんな彼女がストリッパーとしてデビューするとなれば――与党と野党の両輪が揃う。
だが、<計画>はそれだけではない。
「必要な人材は送ってある、とエリさんから聞いていますが――」
きの子は言いながら、由伸に向けて意味深な視線を送る。
「――この中に、
きの子の問いかけを受けて――瞬間、由伸の目が鋭く光る。
「無茶な注文もいいところだ。でも運がいい。俺の相棒はたまたま今日も一緒でね」
そう言って、カバンの中からずっしりとした一眼レフカメラを取り出し構える。どんなときでもカメラを手放さない――それも、相当重い機材を常に持ち歩いている。楓は改めてそのプロ意識に感心した。
しかし。
「って、これから撮影するんですか!?」
あまりに急な展開に、楓はつい声を上げる。当然、スタジオのような施設もない。ヌードを撮るとなれば、各所に許可を取る必要があるはずだ。その用意さえもしていたとしたら、あまりにも用意周到すぎる。
が、特に何をする必要もないらしい。
「問題ありません。ここから見える一帯……全部、
その一言に――楓は思わず絶句する。これが、有力者の感覚というものか――楓は思わず、開けっ放しの襖のほうへと振り返る。目の前に広がるのは、山あいの静かな田園風景――山も畑も川も――それらがひとりの人物の“庭”――楓にはどうしても現実感が湧かない。
そんな楓の視線の先を、雛菊が全裸のまま、まるで何事もないかのように堂々と向かっていく。揺れる後ろ髪と、柔らかな背中――あまりの光景に、楓は目を瞬かせ、言葉を失った。
さらに、その後を追うように、雨弓がゆったりと歩みを進める。そして楓のすぐそばを通り抜けながら、ふと立ち止まり、小さく微笑んだ。
「あなたがこの地に訪れたのも……何かの
その声は、風に乗って、遠くへ溶けていく。どういうこと? ――だが、その背中には質問を許さない厳かさがあった。
さて、想像に難くないが――この村にはまともな街灯がない。陽が沈むとあたり一面本当に真っ暗になるのだろう。そんな中で撮影など――きちんと照明を用意すればともかく、ここまでの道中にそのような予定はなかった。つまりそれが、撮影を急ぐ理由らしい。楓たちは深夜に出発して明け方到着している。夕方まで撮影に臨めば、一日に収めることもできるはずだ。
二十二世紀現在、興行的にストリップを行えるのは、特措法が適応されている新歌舞伎町だけ。いくら参加を表明しても、この山奥の村から活動するのは無理がある。そこで――ヌード写真集の出版――この、開放党にとっての要所となる中心地で。それもまた<計画>の一端である。
事前に舞からの申し出があったからか、すでに裏方の手配は進んでいたようだ。雨弓の一声でメイク担当が呼び出され、着々と準備が進んでいく。一方、衣装の着付けは必要ない。どうやら――徹頭徹尾、全裸で撮影するようだ。
いざ撮影が始まってみると――これは、人生経験の差というべきかもしれない。ふたりの熟女の堂々たる脱ぎっぷりに、楓は完全に気圧されている。館の中で一糸まとわぬ姿になったまま、由伸を引き連れて平然と日の差す屋外へと出ていく雨弓たち。そこは、見渡す限りの田園地帯に、その淵を沿うように流れる水路。人は見えないが、隠れられる場所もない。この村の人口密度から考えれば人とすれ違うことは滅多にないのだろう。だが、仮に誰かに見られたとしても、彼女たちは気にする素振りすら見せることはなさそうだ。
その理由を、楓もすぐに察する。このふたりは、いわゆる“ポルノ界隈の出身者”であることは明らかだ。
「……その構図は刺激的すぎて、フレームが火を吹きそうですね。もう少し抑えていただきたいのですが」
村全体を使った撮影会――そこで、雛菊は、躊躇することなくカメラに向かって高々と足を上げ開く。これには、楓も経験があった。生活費のための個人販売――“男が好む露骨な構図”というのはたしかに存在する。雛菊は、躊躇なく
とはいえ、由伸が撮るのは
一方で、その娘に同じような趣味はないらしい。
「うちの母が……お恥ずかしい限りです……」
と肩をすくめているが、きの子も楓や舞と同じように平然と全裸で行動を共にしている。それも、母同様に肝の座った様子で。まるで女湯で雑談を交わしているかのようだ。母の嗜好は娘も承知のようだったので、それ基準で考えているのだろう。
「さっさと終わらせるわよ。ここは、あるべき舞台じゃない」
舞に言われて楓は撮影現場のほうへと向き直った。由伸たちは一服して、こちらの様子をうかがっている。決して急かせるような雰囲気はないが、舞はどこか急いでいるようだ。その理由を、楓は察している。舞はこのような撮影自体にはさして興味を示さない。彼女にとって、自分の裸体は歌と踊り、そして音楽と照明とが合わさったステージの中でこそ真価を発揮するものだと信じている。それでも、今回の撮影に参加しているのは――逆らえば、またエリから何らかの処分を下されるとわかっているからだろう。以前、舞が問題を起こしたとき、出演停止を命じられ、その代替として由伸の撮影に応じたことがある。それと同じパターンだろうと舞は察していた。
舞はぶっきらぼうに背を向けるも、その立ち振舞いはファッションショーのランウェイである。舞は自分の裸体に絶対的な自信を持っていた。ゆえに、このような場所で裸で出歩いていても恥じらう余地は微塵もなく、同時に、常に美しく振る舞わなくては、という自意識を持っているらしい。
だが――自分たちがどのような自意識を持っていようが、言い訳のしようもなく、ここは田んぼの畦道である。雨弓は私有地だと言い切っていたが、楓はそこまで図々しくなれない。つい申し訳なくて、腕で胸を覆い、脚を揃えて身を縮めてしまう。やはり、堂々と振る舞うには、まだ勇気が足りない。
その様子を見ていたきの子が、楓を優しく励ます。
「心配しなくても、あたしたちを覗いてる人なんていませんよ」
「そ、そうなんですか……?」
もしかして、雨弓さんの関係者が見張ってくれているのかもしれない――楓は顔を上げ、戸惑いながら広々とした田畑を見渡す。
不安の消えない楓に、きの子はさらりと意外な答えを返した。
「あたし、
「えっ?」
いま、当然のように軽く、ものすごくファンタジーなこと言わなかった――?
「ですから……この付近で、私たちを覗くような動きをしている人はいない、ってのはわかります」
少なくとも、
「それってもしかして、貴女のお母さんも?」
「ええ、そうですね。どうやら母譲りのようです」
それを聞いて、楓はようやく腑に落ちた。先ほどの駐車場で雛菊が自分たちの動きを先回りするような場所から現れたのは、そういうことだったのだろう。きの子の言を全面的に信用するわけではないが、監視されているとか、そういうことはない――と思いたい。何しろ、ただでさえここは由伸――安心党と対を成す開放党の領地なのだから。
ここで、舞が楓を急かすように声を掛ける。
「さあ、私たちのささやかなショータイムの番外編が始まるわ」
「……ええ」
そういえば自分たちの撮影だったか――楓は小さくうなずく。まさか、こんな形で由伸のヌード撮影に応じることになるとは思ってもみなかった。けれども、すでに堂々と裸を撮られている女が何人もいて、しかも風景の中に自然と溶け込んでいる。これなら変な空気になりようもない。なにより、彼の目は真剣で――新歌舞伎町での撮影のときと同じ、芸術家としての顔だ。その誠実さに、楓は安心しつつも、ほんの少しだけ落胆をにじませる。――次の一歩を踏み出すのは、また今度になりそうだな。少しだけ肩の力を抜いた楓は、由伸の指示を受けるために彼の元へ向かおうとしたが――そこで、ふと振り返る。
「きの子さん?」
舞はクネクネと腰を意識した足取りで先を行ってしまう。が、きの子はその場から動こうとしない。他に覗いている人がいないのなら、いまさら恥ずかしがることもないだろうに、と楓は思うのだが。
「あたしは写真集とか、そういうのはちょっと……」
「えっ!?」
なら、なんで全裸待機してるの!? という楓の表情が、どうやらそのまま顔に出ていたらしい。きの子は慌てることもなく、あっさりと説明する。
「ああ、あたしは、裸で散歩するのが好きなだけなんで」
「……はぁ」
言葉を失う楓。思い返せば、クロエも似たような趣味を持ってそうな気がする。もしかしたら、一部の人たちに共通した嗜好なのかもしれない。
「……周囲で人の動く気配がわかるんでしたっけ?」
念のため、確認してみる。もしそれが本当なら、裸で出歩いても誰にも見つからずに済むし、変質者に出くわす心配もないだろう。安心してその危険な趣味を楽しめるというものだ。
きの子は満面の笑みで答える。
「はい、天からいただいた奇跡だと感謝していますよ♡」
その目はどこまでも純粋だった。――やっぱり、その“奇跡”を完全に悪用しているに違いない。楓は、静かに察した。
撮影の前半戦は比較的人のいない森や田園地帯のロケーションが続き――ぐるりと村を巡ってお昼時。楓はその日、ようやく最初の食事にありついた。朝から何も口にしておらず、ようやく胃に物が入る。場所は、雨弓の館の大広間。来たときにはなかった長机がいつの間にか用意されている。そこに並んでいるのは、やはり和食で、焼き魚に味噌汁、小鉢の煮物といった素朴な内容だったが、空腹の身には十分すぎるご馳走だった。
撮影の合間の穏やかな時間――そこで楓は、たしかな達成感を抱いている。ついに念願だった由伸との撮影――当初はデートの延長線として大きな緊張と決意と共に向き合っていたが――蓋を開けてみれば集団撮影だった。これにはちょっとだけガッカリしつつも、いまは安堵のほうが大きい。
午後からは、楓と舞を中心に撮影するとのことで、雨弓たちは館に残っている。村の案内役として、きの子が同行していたが――やはり、彼女は相変わらずの全裸だった。そんな様子にも由伸は特に動じることもない。むしろさりげなく視線を外すくらいの余裕はあるようだ。
撮影は徐々に、商業施設の並ぶ地域へと移っていく。村長命令はあらかじめ告知はされていたようで、道行く人々が驚く様子はない。舞は相変わらず堂々とさらけ出していたが、きの子はやや恥ずかしそうな仕草を見せている。無闇に見せびらかすことを好まない、という点については楓も変わらない。だが一方で、ストリップ・アイドルとしての誇りがある。これもまた仕事であるのならば――どちらかというと、どこから見られているかわからないような無制限に開けた場所より、遮蔽物の点在する場所のほうがどこか落ち着く。男たちの視線とて、ステージの上で慣れたものだ。むしろ――ここが雨弓の私有地であるのなら、すれ違う相手も皆スタッフのようなもの――そんなふうに思えていた。実際、すれ違う数少ない村人たちは、どこか親しげに会釈を交わしてくれる。店舗や、それに混じった家々も、どれもこれもが古めかしく、一周回ってセットのようだ。頼もしく営業を続けている自動販売機や、朽ちてツタの生い茂った家屋跡――撮影を重ねるにつれて、屋敷を出てすぐの居心地の悪さは徐々に薄れていった。
とはいえ、店頭や民家の軒先を撮る際には、やはり一声かけるのが礼儀だろう。そんな中、通りがかりに由伸が目をつけたのは、いわゆるローカルコンビニらしき商店――看板こそ掲げられているが『ワラビーマート』――初めて目にする名前だった。店内は薄暗く、棚の配置や木造の内装が、まるで二十世紀の駄菓子屋を思わせる。間違いなく由伸が好みそうなロケーションだ、と楓は納得していた。
レジに座っていたのは年配の女性。快く撮影の申し出を了承してくれた。店員が同性だと知って、きの子もこのときばかりは店内へと身を隠す。楓と舞は可愛らしい綿菓子を手にしてみたり、酒瓶に寄り添ってみたり――数枚ほど写真を撮り、礼を述べて店を出ようとした。が、そのとき――
「お嬢ちゃんのお母さん、この地方の人だったん?」
レジから不意にかけられた言葉に、楓は足を止める。だが。
「……わかりません」
楓には祖父母の家に行った記憶もない。だが、女性は楓の頭をじっと見つめ、懐かしそうに微笑む。
「嬢ちゃんの髪飾りなぁ、昔この辺にたくさんあったんよ」
それは――楓が小学生の頃、ダンス大会で銀賞を獲得した際、母から贈られた記念の品である。楓にとっては、ダンサーとしての誇りを象徴する特別な一品であり――配信サイトのための撮影時はもちろん、稽古中も欠かさず付けていた。一方で――望まぬバイトやポルノで糊口を凌いでいたときは、あえて外していたものである。いまの自分は、ダンサーではない、と切り分けるために。
だが、ストリップ・アイドルとして活動するようになってからは、常時自らの覚悟を忘れぬために、ファミレスの勤務時にも身に付けるようになっていた。
由伸たちも興味深そうに足を止めたので――オバチャンは少しだけ昔話を始める。
「二十年ほど前、山向こうに
話によると、観光資源が何ひとつない寂れた場所だったらしい。そんな中、苦肉の策として人を呼び込もうとしたのが――紅葉の美しさ、とのこと。だが、それならもっと交通の便が良かったり、他にも色々楽しめる場所に行くだろう、と楓も思う。
「最後の大勝負としてなぁ、紅葉土産をいっぱい作ったんよぉ。お饅頭とか、金属のバッジとか」
紅葉饅頭なんて、むしろ別の地方から怒られなかったのか心配にもなるが――不幸中の幸いというべきか、怒られるほどの話題にさえならなかったらしい。
そんな中のひとつとして作られたのが――髪飾りだった。
「結局どーにもならんで……うちもそんとき、留田村からこっちさ越してきたんけど」
おそらく、村興しの失敗が致命傷になったのだろう。
「山ほど作ってもうた紅葉グッズは、村人たちが手分けして処分することになってなぁ」
まとめて捨てると産業廃棄物として扱いが難しくなるので、負担を分散させることになったのだろう。
「うちも、少しずつ家庭ゴミに混ぜていって……完全に片付くまで一年以上かかったよぉ」
ちょっとした自虐のつもりで笑ってみせたが――それをいまでも愛用している若者のことを思い出して、誤魔化すように表情を和らげる。
「でもねぇ、そうして大切に使ってくれてる人がおるんなら……その髪飾りも、きっと喜んどるよぉ」
そう励まされた楓だが――その顔色は優れない。由伸は軽く礼を示すと、女子たちを連れて店を後にした。
気持ちを切り替えるように撮影を再開しようとするが――楓にはどうしても魅せる表情を作ることができない。それで――ひとまずは、舞だけを撮ることとなった。その間、きの子は――建物の裏から車が曲がってくるタイミングに合わせて、さりげなく茂みの裏に入り込んだりしているあたり、周囲の動く気配がわかる、というのは本当のようだ。
楓は神社の鳥居の前で、舞台さながらのしなやかな立ち姿を魅せる舞を呆然と眺めていたが――定まらない視線のまま自分の髪飾りを外して手に取ってみる。そしてそのとき、すっかり忘れていた過去の記憶がよみがえってきた。
村がなくなったのは、ちょうど楓が生まれた頃である。記憶にないのも無理はない。ただ――貧しい母子家庭の広くもない部屋の収納の一角に、まったく開けられることのない段ボールがいくつか積み重なっていたのははっきりと覚えている。貧しさゆえに、使いもしない物を買ったり取っておいたりする余裕など、彼女の家にはない。にも関わらず、その箱に触れられることはなかった。
それで、察する。その中には――これと同じ髪飾りがぎっしり詰まっていたのだろう。きっと、捨てるのも億劫になって、そのまま放置されていたに違いない。
そして、よりにもよって――楓の人生で最も輝いていたあの日――母の手により受け渡されたのである。
つまりは――母にとって楓のダンスは――“産廃物のひとつ”に過ぎなかったのだ。
最初から何の期待もしていない――その後、勘当同前で追い出されたのも当然だろう。そもそも、母より与えられた『紅葉』という名――それが、娘に託された想いなのだとしたら――
悲しさ、悔しさ、寂しさ――そんなものは、家を追い出されて数ヶ月で絞り尽くしている。だから、いまの楓が抱いているのは――得心――すべてがつながり、むしろ清々しい気分だ。
――パキリ。
手の内で、安物のプラスチックが砕ける。そして、指を開くと――赤い欠片が風にふわりと舞い、風に乗って飛んでいった。残った髪飾りの金属の留め具――それを――カメラを構えながらも、楓の様子を気にかけていたのだろう。いつの間にか寄り添っていた由伸が彼女の手からそっと拾い上げる。
「キミの表現力は量産品などでは飾れない。ずっと磨き上げてきた、キミだけの輝きだからね」
その言葉に――楓は、ゆっくりとうなずいた。
私は、ストリップ・アイドル。そして、ダンスチーフ。過去に縛られる必要など、もはやない。
迷いも晴れ、今度こそ楓も撮影に臨むため踏み出そうとしたそのとき――
「……待ってください」
ふいにきの子が楓たちを止めた。
「お屋敷のほうで何かあったようです。一旦、戻りましょう」
「どういうこと?」
撮影を中断するのなら、まずは事情を説明してもらいたい。
「用があったら、お屋敷を三周走る、ってお母さんが言っていたので」
携帯の電波すらまともに届かないこの田舎で、そんな伝達方法が存在していることに、楓は思わず感心する。
「もしかして、この村の人たち、みんな……」
他人の位置を把握できる――?
「あ、いえ、
だとしたら、他の村人たちは、さぞ連絡に苦労しているに違いない。
ともあれ、この様子だと、きの子自身も何が起きたか、具体的なことは知らないのだろう。この地に聡いきの子の案内で、楓たちは雨弓の屋敷へと戻ることとなった。