ストリップ・リユニオン - 闇を脱がす者たち   作:添牙いろは

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シオリ

 館に帰還すると――きの子は大広間前の廊下をそのまま通り過ぎる。どこまで行くのかと思えばさらにその奥、小さな個室のようだった。

「おかえり。入って」

 襖の向こうから、落ち着いた雛菊の声が響く。外の様子が見えるわけではないのに、まるでふたりの足音を読んでいたかのような絶妙なタイミングで。たしかに、この母娘は共に人の気配を把握しているらしい。

 その部屋に入ってみると、そこは六畳ほどの和室だった。中央には小さなちゃぶ台が置かれ、その向こうには古いテレビが据えられている。楓は普段、せいぜいタブレットでしか映像を見ないため、巨大な画面の存在感に少し気圧されていた。

 雨弓は浴衣のような楽な和装をしており、雛菊もまた、来たときのオフショルを着直している。どうやら無条件に裸を好む裸族というわけではないらしい。

 雨弓は、電源の落とされたテレビを一瞥したのちに口を開く。

「先ほどのワイドショーで、藤高議員の政治資金収支報告書に出所が不明瞭な入金があったと報道されていました」

 藤高議員――その名前にうっすらと聞き覚えはあったが、楓は政治にはさほど興味がない。きっとこれから小難しい話が始まるのだろう――無理して追いつこうとするより、あとで由伸からわかりやすく解説してもらったほうがいい。とはいえ、雨弓やきの子の表情から、これが大変重要な話であることはうかがえたので、楓も表情くらいは引き締めておくことにした。

 藤高議員とは、与党・開放党の内閣官房長官である。その人物に不正な入金――真偽はまだ不明だが、きの子の表情にはすでに覚悟の色が浮かんでいた。おそらく、この件はやがてヴィクス・ラウンジにまでつながる。そして、芋づるのように捜査の手は他の議員たちにまで。これは、開放党の大型スキャンダルの始まり――つまりは、ついに共産圏による国家侵略シナリオが動き出したということだ。長年栄華を誇ってきた開放党の歴史が、終焉を迎えようとしている――そして、新たに歴史に名を刻むのは――

「由伸さんは、たしか篠田頼十郎議員のご子息でしたね?」

 そう尋ねる雨弓に、由伸はわずかに口元を歪める。

「残念ながら、ね」

 皮肉めいた調子だったが、問われた意味は理解している。

「父が政界引退の意向を固めているのは間違いありません。それに、篠田派の議員たちも、すでに見切りをつけつつあるようです」

「その行き先は…… 桐谷(きりたに)派、ですか?」

 きの子が問うと、由伸は小さくうなずく。横で話を聞いていた楓は、もはや名前の羅列にすらついていけていない。

 さて。

 由伸たちが言っていた通り、安心党内では過激派に分類される篠田派が力を失いつつあり、中道派である桐谷派への合流が進んでいる。もし、朱鷺ノ内家の令嬢がストリップに興じていたと明らかになれば、その影響は致命的だ。安心党は桐谷によって完全に掌握され、野党勢力は大きく変貌を遂げる。

 これに合わせて、開放党そのものが崩れれば――桐谷を止められる存在は、もはやいない。 桐谷(きりたに) 明高(あきたか)――その者こそが共産圏の工作員たちを束ねる中心人物だった。エリやきの子たちは当然把握していたが――楓がそれを理解するのは、少し後のこととなる。

「どうやらあなたたちは、こんな山奥で写真撮影に興じている場合ではなさそうですね」

 雨弓は冷たく終了を告げるが、由伸の表情に落胆の色はない。

「心配は不要です。優秀なアドバイザーのおかげで、すでにいい画をたっぷり撮ることができました。どれを収録するか迷うほどですよ」

 元々時間を急いで撮影に臨んでいたのが功を奏したようだ。

「それは結構」

 雨弓は由伸の軽い口調を真顔でいなす。

「でしたら、早急にお戻りください。この騒動の中心地……新歌舞伎町へ」

 そう、厳かに言い添えた。

 

 言うは易し、行うは難し――政治の混乱の只中に、ストリップ・アイドルが何を成せるというのだろうかと、楓は疑問に思う。それでも、いまは立ち止まるべきときではない。皆々手早く服を着込むと、早足で駐車場へと戻ってきた。

「今度はノクターンの皆様が先行してください。あたしたちは少し間を開けて、別ルートで戻ります」

 パラノイアは解散したとはいえ、あくまで偽装だ。あまり行動を共にするわけにはいかない。ということで、楓たちは由伸の車に乗り込むと、今朝来た道を下っていく。

 それにしても――せっかく由伸に乗せてもらっているのに、ムードどころか緊張感しかない。それどころか、後部座席には如月舞まで同乗している。とはいえ、運転席の表情を覗き見ると――その深刻な表情に、楓としても甘い気分になどなりようもない。

 楓は、ふとこれまでの流れを思い返す。新歌舞伎町での撮影を皮切りに、あまりにも順調すぎる数カ月間だった。すべてうまくいくはずがないことはわかっているが、それでもつい不安になってしまう。これを機に、何もかもが失われていくのではないかと。そんな不安を胸に、由伸に視線を向けながら、心の中で問いかける。

 ――大丈夫だよね? そんなこと、ないよね?

 彼の横顔を、いまはその答えの代わりとすることにした。

 

 夜の新歌舞伎町は、看板の明かりや店の照明が建物の壁をまだらに染め、通りのあちこちに影の濃淡を落としている。ガラス扉が開くたび、中から音楽と笑い声が漏れ、街全体がかすかにうねるように呼吸しているようだ。人々の喧騒が少しずつ静まりつつあるこの時間帯、歩道には仕事を終えたスーツ姿の人々と、夜に向けて活動を始める若者たちが交差している。

 その中を、楓たちを乗せた車がするするとライブハウス前へと戻ってきた。淡々と降りていく舞に続いて、楓も扉を手に掛ける。だが、そのわずかな間を縫うように。

「今度は仕事抜きで……俺にシャッターを切らせてくれるのだろう?」

 たしかに、由伸との約束は――仕事としてではなく、ひとりの男として――ただ撮影しただけで満足しているようでは、夢が小さい。

「……はい、かならず」

 由伸との関係に不安を抱いていた楓は、笑顔で力強く答えて――そして、今度こそ車を降りた。そして、走り去っていく由伸の車を少しだけ見送ったところで――

 ――ナニ言ってんの、私ーーーーーっ!?

 例によって真っ赤になり、楓は膝を突いてうずくまる。なんかカッコイイやり取りをしたつもりになっていたけれど、それが意味するのは今度こそ――プライベート撮影――! もちろん望むところではあるけれど、また気取ってうっかり踏み込みすぎた口約束を交わしてしまった。いまさら取り消すこともできないし、取り消したくもない。だが、改めて由伸に迫られてきたときのことを想像すると、アスファルトの上でゴロゴロ転げ回りたくなる。そんな楓に構わず、舞は平然と建物の中へ。ヤツひとりに報告を任せたら何を言われるかわかったものではないので、楓も気を取り直してそれに続かざるを得ない。まじめなことや邪な妄想が頭の中をグルグル駆け巡り、勢いのまま殴りつけるように控室の扉を叩こうとしたそのとき――扉の向こうから何やら会話が聞こえてくる。その様子にどこか張り詰めたものを感じて、楓は無意識に手を止め、息を潜めた。

「っつーこって、本拠地はこのとおりねー」

 聞き覚えはないが、若い、砕けた口調の女の声である。話し相手はエリらしい。すぐに、静かな返事が続いた。

「ありがとうございます」

 どうやら、情報のやり取りをしているようだ。けれど、その直後に飛び出した言葉には、楓の目が思わず見開かれる。

「ホント、―――――ばっかで吐きそうだったんだから! 次はも少しまともな―――を用意してよね!」

 発言の一部は楓にとって聞き馴染みのない単語が混ざっており――にわかに思考が停止する。だが、エリの語気と苛立ちがはっきりと伝わってきて、楓はすぐに我に返った。

「それより、情報の扱いはもう少し慎重にお願いします。舞さんに、美春さんのことを話しましたね?」

「うん、聞かれたから」

 わずかに強まったエリの問いに、相手は何事もないように応えている。命知らずというべきか――もしくは、()()()()()()()()()()なのか。

「ですから、そういうところを慎重にお願いしたいと言っているのです」

「知んないけど」

 楓は、そのあまりにも無責任な返答に言葉を失う。エリが厳しく言葉を重ねても、相手の女はまったく意に介していない。

「てか、あとは“シオリ”だけでしょ?」

 その単語が耳に届いた瞬間、緊張に楓の心拍がわずかに跳ねた。新たな名前――新たな火種。また何かが動き出そうとしている気配を感じる。

「……まあ、どうにかするしかありませんね」

 エリの声には疲れがにじんでいた。彼女の小さな身体には、あまりに多くのことが背負われている。

 そして、そのひとつは――いままさに相対して話をしている彼女なのかもしれない。

「少なくとも、表沙汰は“シキ”の仕事じゃないから」

“シオリ”に続いてふたりめの新たな名前――“シキ”――裏の人間――その言葉に、楓はふと息を呑む。

 ――聞くべきではなかったかもしれない。少し後悔したやさきに、エリの言葉が飛んでくる。

「ひとまず、今日のところはお引き取りを。なお……くれぐれも扉の向こうで聞き耳を立てている方々に、余計な情報を漏らしませんように」

 気づかれてた!? 楓は思わずたじろぎ、舞のほうを見るも――相変わらず、興味なさそうにぼーっとしている。

「ほーい。ホント、心配性だねぇ」

「あなたは、少しは反省してください」

 その会話を最後に、ガタガタとパイプ椅子を動かす音が聞こえてきた。どうやら話は終わったらしい。楓は慌てて道を開けるが、舞は通路の中央で棒立ちしている。楓は軽く苛立ちつつも舞の腕をとって端のほうへ軽く引き寄せた。

 すると――すぐに控室の扉が開く。そこから現れた女に、楓は思わず目を奪われた。ぼんやりとした雰囲気だけれど、その身体は茜をさらにグラマラスにしたかのような、圧倒的なスタイルである。身長も高く、まるで欧米のファッションモデルのようだった。にも関わらず、服装は――大きなTシャツ一枚をワンピース代わりに羽織っているだけ。生地は薄く、はっきりと乳首の浮きが見える。丈もギリギリ股下を覆っている程度で完全に家着だ。色気というより、だらしない。せっかくのプロポーションが台無しだ。

 それでも、彼女はそのまま外へと出ていこうとする。まるで、何事もなかったかのように。

「うーい、お疲れー」

 ひょいと手を振りながら出ていった女の背中に、思わず反射的に「お疲れ様です」と返していた。一方、舞は無言。先ほどエリから釘を差されていたし、不要な会話はひかえるべき――というより、興味がないのだろう。

 さっきの家着女がこれからどうするのかは気になるが――ともかく、報告はしなくてはならない。ふたりはようやく控室へと入ってドアを閉める。

 だが、やはり気になるのはさっきの彼女だ。

「さっきの女性はどなたです?」

「いわゆる……エージェント、ですかね」

 楓からの問いに、エリはいつも通りの落ち着いた口調で答えた。その言葉に、楓は思わず眉を寄せる。あの服装で? と心の中でツッコまずにはいられない。もし本当に機密を扱う人間なら、もう少し目立たない格好をしたほうがいいのでは――浮かんだ言葉は、呑み込んだ。

 それより、楓には言いたいことがある。

「美春さんの件、どうして話してくれなかったんですか」

 どうやら、楓の知らない裏の人間と呼ばれる類の面々が動いていたらしいことはわかっている。そのあたりのことを、自他共に認める表の人間である楓が相談されても仕方がない。だが、同じステージに上がるメンバーのことくらいは教えておいてほしかった。なのに、秘密結社だの安心党だの、そんなことばかり押し付けて――!

 視線をまっすぐに向けると、エリはそれに応じるように楓の顔を見た。そして、少し目元の険しさを緩めながら告げる。

「情報が洩れると、先方に逃亡の機会を与えてしまうので」

 その言葉に、楓は言い返せなかった。エリの立場として、それは当然の判断だったのだろう。

「幸い、舞さんの動きによって、警戒されることもありませんでしたが」

「私は、必要なことしか言わない主義よ」

 必要なことも喋らないけどね――と楓は心の中で毒づく。ただ、綱渡りのような状況だったことには違いない。ともあれ、それも渡りきった。

「もう、あとは“シオリ”だけなんですよね?」

 そう確認するように問いかけた楓の言葉に、エリはわずかに周囲を見渡し、控えめに声を落としながら言う。

「美春さんの収容されている建物については、先ほどのエージェントが調べてくれました」

 それを聞いて、楓はほっと胸を撫で下ろす。いくら最近は気が緩んでいたとはいえ、これまで何度かステージを共にしてきた仲間だ。舞でなくても無事であってほしいと願うことには変わらない。

 エリは、楓の表情を見つめながら静かに続ける。

「一時はどうなるかと思いましたが、安心党ともどうにか話がまとまりましたし」

 あ! そうだ、と楓は思い出す。

「茜さんたちって……どうなるんですか……?」

 楓としても、あのふたりには是非ステージに上がってほしい。

「ええ、安心党から連なるストリッパーとして、活躍していただくこととなります」

 それを聞いて、楓は安心した。“安心党から連なる”というくだりについては耳に入っていない。

 楓には知る由もないが――これもまた、最初から<計画>には含まれていたことだった。朱鷺ノ内派の関係者の中から、安心党公認ともいえる人物をストリップに携わせる――ただし、党としての政策方針もあり、その選出は遅々として進んでいなかったらしい。あまりに密な関係者では今後の党運営に支障をきたすし、疎遠すぎても意味がない。桐谷派は危険分子ゆえに超党派で対抗する必要があるとはいえ、そもそもストリッパーなどと協力する必要などあるのか――第一、桐谷派が共産圏とつながっている確証もない――そんな混迷の中、派閥を代表する議員の娘という最も中枢を担う人物が、しびれを切らして自ら殴り込んできたのである。――当の本人は、その友人を推そうとしただけのつもりだったようだが。

「安心党、そして開放党に対する『ストリップ』の布石は完了しています。残るは――」

「……新歌舞伎町……」

 楓は、口の中でその言葉を噛みしめながら答える。この街がまた嵐の中心になるのだろう。そう思ったのだが――

「違います」

 エリによって即座に否定されてしまった。たしかに、新歌舞伎町はストリップ文化の拠点そのもの。布石どころか、最初からずっと本丸だった。

「メディア」

「そういうことですね」

 舞の一言に、エリはうなずく。正解を言い当てたのが舞だったことで、楓は少しだけ悔しかった。とはいえ、正直なところ――楓にはこの手の話題でまともな正答を出せる自信はない。なので、以後黙っておくことにした。

「政治の後ろ盾は得ましたので……あとは、国民からの支持を得るだけです」

 と、エリが淡々と続けた。つまり、それは舞の出番ということだろう――そう楓が心の中で納得しかけた瞬間、エリはさらりと言い添える。

「ちなみに、舞さんではありませんよ」

 楓はさり気なく安堵の息をこぼした。やはり、黙っていて正解だったと小さくうなずく。

 しかし、気を緩めていられたのもほんの一瞬のこと。

「舞さん、それに……楓さん」

 油断していたところで、不意打ちのように声をかけられる。唐突に自分の名が呼ばれたことで、楓は思わず肩を跳ねさせた。

「あなたたちは、後ろ盾を作った後で、ストリップ・ライブの魅力を“伝える”役です」

 それはすなわち――自分が広報の最前線に立つということか。舞はともかく、自分も――? 楓の胸の奥で期待と興奮が膨らんでいる。

 では、その“後ろ盾”を作る役目は誰が担うのだろうか。

「民衆にいきなりストリップを突きつけるのは刺激が強すぎます。ですから、段階を踏む必要があるのです」

 そう言って、エリが一拍置いたその間に――

「“シオリ”」

 今度は舞が割り込んだ。静かに、けれど確信をもって。

「そういうことです」

 エリはしっかりとうなずいた。

 楓は、そこで初めて、ずっと聞きたかった疑問を口にする。

「その“シオリ”って……何者なんですか?」

 少しの沈黙の後、エリが静かに語り出す。

「それは……元TRK26のメンバーにして――」

 その名を口にする直前、エリは少し視線を宙に泳がせた。そして、静かな呼吸を整えるように唇を閉じる。そこには、心の中で言葉を選ぶかのような間があった。

「――あの<事件>の元凶です」

 場の空気が一瞬にして凍りついた。

「……えっ……?」

 楓の声が震える。そんな人物が、これからのキーパーソンだというのか?

 まるで楓の心を見透かすように、エリはさらに続ける。

「“シオリ”が、ヴィクスの闇に触れてしまった……それが原因で、TRK26は解散に追い込まれたのです」

 それはまさしく、先日のパラノイアのように――真実を掴もうとするほどに、闇が牙を剥くような世界。

 だが、エリは迷いなく言い切った。

「だからこそ、再びヴィクスの闇に触れられるのは、“シオリ”しかいない……それが、“社長”の判断です」

“社長”という言葉に、楓はハッと息を呑んだ。そういえば、エリはあくまで『店長』にすぎない。

「もしかして、ここの新オーナー……?」

「そうですね」

 エリは小さくうなずいた。

 だが、そのとき。

「うおおおおい!! 出てこい女狐! 時間ニャーーーッ!!」

 突如、建物内に甲高くも豪胆な叫びが響き渡る。知らない声なのに、どこかで聞いたような――そんな既視感とともに、楓は思わず席を蹴って立ち上がる。そして、声のした方向――ホールへと、吸い寄せられるように走り出していた。

 今日はライブが入っていないため、フロアは閑散としている。そこで楓が見たのは、視覚にも衝撃を与えるふたり組だった。

 ひとりは、異様に大柄な女性。高身長でがっしりとした体格、肩幅も広く、スーツを身にまとったその姿は、一瞬だけ男かと錯覚してしまいそうになった。けれど、しっかりと施されたメイクと、背中まで伸びるつややかな長髪が、彼女が紛れもなく女性であることを示している。薄暗いホールに立ちながら、眼鏡のレンズの奥からは鋭い眼光が刺してくるようだ。

 もうひとりは、それほど小柄でもないにも関わらず“小さく”見えた。ネコ耳のカチューシャをつけ、真っ黒なステージ衣装に身を包んでいる。暗い色合いのソバージュの髪は肩に届くかどうかで、スカートからはネコの尻尾のようなアクセサリーが覗いていた。まさに“黒猫”そのものである。

 ふたりを見比べて、楓は直感した。こちらのネコが“シオリ”なのだろう。

「貴女……()()()()ね」

 スーツの女性が楓に声をかける。落ち着いた、けれど芯のある声に、楓は思わず姿勢を正していた。久しぶりに本名で呼ばれたこともあり、相手が只者でないと即座に察する。

「はっ、はい……貴女が……このお店の、オーナーさん……?」

 緊張に喉を締めつけられながらも、楓は何とかそう応じる。これに女性は、ふっと穏やかに微笑んだ。

「ええ。ライブハウス・ノクターンのオーナーにして、『全国競技ストリップ協会』の会長を務めております…… 高林(たかばやし)(かすみ)と申します」

 その名乗りに、楓の心は思わず浮き立ちそうになった。――全国競技ストリップ協会。そこまで話が進んでいたなんて――気が遠くなるような肩書きに、楓の膝はわずかに震えていた。

 だが、その横にいた黒猫が唸るように吠え続ける。

「それより、女狐はおるにゃ!? アイツ……ギリギリまで逃げ回りにゃがってぇ……!」

 猫語で毒づく彼女の様子は――どう考えても普通じゃない。だが、その異様さを振り払うほどに、存在感がある。態度の大きさといい、揺るがない眼力といい――まさしく“諸悪の根源”という言葉にふさわしい。

 楓は一歩引きながら、高林に問いかける。

「ところで、その……“女狐”というのは――」

 誰のことを指しているのか、まったく見当がつかない。が、その疑問に答えるように、今度はステージの奥から、鋭く響く声が飛んでくる。

 

「ニャーニャーうっさいわ、このニャン公がっ!」

 

 その声には聞き覚えがある。驚いてそちらを向くと――袖から現れたのはまさかの人物だった。

「……エリ……さん……?」

 その姿が“エリ”であることは、誰の目にも明らかである。声、顔立ち、体格――間違いようがない。けれども、彼女のまとう雰囲気は、いつも控室で踊り娘たちを見守っている穏やかな“店長”とはまるで異なっていた。パステルイエローの華やかな衣装に、ふわふわのキツネ耳と、スカートの中からはふわっと揺れるキツネの尻尾。まるで、さっきまで暴れていた“猫”と対を成すような――そんなビジュアル。もしかして、関西育ちのエリさんの双子――? 混乱する楓はそんな思考に逃げたくなる。

 そんな楓の視線も意に介さず、黒猫は狐耳のエリと対峙していた。

「おい女狐!  最終リハ(ゲネプロ)ブッチするとか、どーいう度胸ニャ!?」

「ウチは本番に強いタイプやっちゅーねん」

「そうは言っても、レッスンが足りていないでしょう?」

 賑やかなやり取りに、高林が穏やかな声で口を挟んだ。これにエリは少し気まずそうに視線をそらす。

「まー、最近忙しかったさかいな。けど……」

 エリはふと楓のほうを向き、にやりと笑みを浮かべる。

「楓はんにはええもん見せてもらっとたで。看取り稽古ってやつやな」

 いま、私の名前を――? と、楓は戸惑いながらも思わず尋ねる。

「え、え、貴女は、私のことを知って……?」

 その問いに、エリが小首をかしげるような可愛らしい仕草を見せる。

「あら、先ほどまで控室でお話ししておりましたのに」

 丁寧な調子に戻ると、やっぱり――同一人物――!?

「ホントにエリさん!?」

 あまりの衝撃に、楓の声が思わずうわずった。だが、そういう反応も慣れているのかもしれない。隣の黒猫が楓の問いに答えさせずに口を挟む。

「にゃんにせよ、お嬢様ごっこはここまでにゃ! こっからはNya-oXの“こん(にゃ)ぎ”として働いてもらうにゃ!」

 その言葉を聞いて、楓の顔に戸惑いの色が浮かぶ。Nya-oX――その名は、楓も知っていた。いや、知らないはずがない。何度も世間を騒がせており、カリンたちがしばしばカバーしていた名曲も、このユニットのものである。

 ネコの“あんにゃ”と、キツネの――“こんなぎ”――まさか――!?

「エリさんが……アイドル……?」

 まだ信じられない様子の楓をよそに、フロア奥で待機していた高林がPA卓の操作に手を伸ばす。ステージのふたりを歓迎するように流れ出すイントロ。どこか聴き馴染みのある――けれど、いままで聴いたどのバージョンとも違っていた。

「これ……コンニャン体操……?」

 それも、楓が知っている可愛らしいお遊戯のような振り付けとは違う。滑らかで、しなやかで、それでいて芯のある動き――まさに、Aメロから“魅せてくる”全力のステージである。

 コンニャン体操なんて、短くて単調で、同じリズムの繰り返し――そう思っていたことが、楓にもあった。しかし、どうやらそれは、サビのみをリピートしていただけで――こんなに本格的な“原曲”が存在していたとは――楓は思わず見入ってしまう。

 そして、さらに――

「せやけど キツネのダンスはヒミツや♪」

 軽やかに響くメロディのなかで、響き渡る歌声。――上手い。びっくりするほど上手い。“店長”という認識が強すぎた所為で、楓は彼女を事務的な経営者だと勝手に思い込んでいた。だが、ステージの上で歌い踊る彼女は、プロの、しかも一線級のパフォーマーそのものである。

 夢中になっている楓たちの後ろに――高林がそっと歩みを寄せる。

「ここでは、『エリ』と名乗っていたようですね」

「……あの人、いったい何者なんですか……!?」

 ステージから目を離せぬまま声を震わせる楓に、高林はやわらかく笑いながら応える。

「見ての通り、Nya-oXの“こんなぎ”本人ですよ。芸能関係者としてご存じだとは思いますが」

「知ってます! 知ってますけど……!」

 だが、それがエリだったなんて――

 高林が、ふと思い出したように付け加える。

「MMWでは『まいど』……そういえば、 AB-solute(アブソリュート)では『 α-70(アルファ・セブンティーン)』と名乗ってましたね」

 どんだけ仕事してるの――!? 楓はその芸名の多さに、ただただ驚くばかりだ。いや、羨ましさすら感じる。表ではステージに立ち、裏では管理職、そしてメディアや各ユニットでも違う顔――そんな器用さは、楓には到底真似できない。

 しかし、高林はそっと微笑むと、その言葉に続けた。

「けれど……本当に、そろそろ戻ってもらわなくてはなりません」

 ――やっぱり。()()が本当の肩書き――楓には、もうわかっていた。

「元TRK26のメンバー…… 丘薙(おかなぎ) 糸織(しおり)に」

 やっぱりかーーーッ!! 楓は思わず心の中で叫ぶ。新歌舞伎町でスキルの高いアイドルは、誰も彼もがTRK26のようだ。

 ステージでは、すでにNya-oXのふたりが衣装に手をかけ、するすると脱ぎ始めている。ネコのほうはともかく――エリはもともと細身で幼児体型だと思っていたが、実際に肌をさらされると、かなり危うい。むしろ、隣で踊っているネコ耳のほうが安心して見ていられるのはなぜだろう――と、楓は視線をそらしつつ考えていた。

 ふと楓が隣を見ると、いつの間にか舞も鑑賞に加わっている。だが、その表情はいつになく真剣で、話しかけたり邪険にしたりできる雰囲気ではない。その理由は楓にもわかる。Nya-oXのステージは――歌唱、ダンス、それに脱衣――ストリップ・アイドルとして最高峰のスキルが詰まっている。一瞬たりとも見逃せない。

「丘薙……糸織……」

 ステージに魅了されるようにその名を口の中で反芻して、ふと記憶の糸が結びつく。

「……あの<事件>の原因って……」

 たしか、エリは“シオリ”が原因と説明していた。だとしたら――自分じゃん! ナニ他人事みたいに言ってたの!? もしかして二重人格!? ツラの皮が厚いにも程があるわ!!

「丘薙さんと 姫方(ひめかた)さん……あのふたりが、TRKの冠番組の中で()()()()()()()を揶揄する発言をしてしまいまして……」

 高林の言い方は、ちょっとしたイタズラを嗜めるような口調だが――間違いない。名前こそ伏せられていたが、その“宗教法人”とは、紛れもなく――ヴィクス・ラウンジ――!

「我々も最初は、ネットでよくある陰謀論ネタのひとつだと看過していました。ですが……」

 それはまさに、現実のものとして火を噴いている。

「実際には、私たちが予期せぬところで、政治関係者の逆鱗に触れてしまったようで」

 このままではメンバー全体に危険が及ぶ――そう考えて、TRK26は()()した――それは、パラノイアがしたように。

 このままヴィクスと、そこから資金を得ている政治家に睨まれ続けていては、ストリップ・アイドルどころか競技ストリップ計画さえも立ち行かない。

「それを……これから、払拭していただきます」

 高林の口調は静かだったが、その一語一句に凄みがあった。他人事ながら、楓は思わず身を固くする。

「すでに、与野党ともに基盤を作り、売春宿の本拠地も押さえました」

 前回はTRK26が闇に葬られる形で敗北している。しかし、今度は違った。

「後は……丘薙さん自ら、かつての“失言”を挽回するだけです」

 そのとき、ステージを終えた糸織が、裸に狐尻尾だけを揺らしながらふらりと戻ってきた。“店長”だったときより親しみやすく、どこか抜けた柔らかい笑顔を浮かべて。

「っちゅーこってな、ウチはこっから忙しくなるさかい、店長業務は別のもん手配させてもろたわ」

 その口調に、楓は思わず尋ねてしまう。

「というか……エリさん、そっちが素なんですか?」

 出身が関西だなんて聞いたこともなかったけれど。

「それは、しばしば尋ねられますが……」

 答える糸織の声は、かつての店長口調――お淑やかで、礼儀正しい。だが、その背中で、相棒がニヤリと笑いながら肩をすくめて代わりに答える。

「そのすべてが、丘薙糸織……だったかにゃ」

 あんにゃの言葉に、糸織もまた笑ってうなずく。

「……そーゆーこっちゃ」

 軽い大阪弁だが、その瞳はこれまで店長として接してきたエリのものと変わらない。だからこそ、その一言には、彼女の過去も、現在も、未来も――すべてが詰まっているのだと感じられた。

 

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