「●●●」
若い女がとある男児の名を呼ぶ。
身なりのよい女は神職のような恰好で、性別で言えば巫女、またはそれに類する身分。ずいぶんと手をかけられているのか、護衛の男がひとり付いている。
対し、男児の恰好は布一枚を羽織っただけ。
草木に交じって遊んでいたのか泥にもまみれている。
「何用か」
男児は年相応とは思えない憮然とした態度で女に返す。
「何用かはないでしょう。折角一緒にいられる時間を作っているというに、すぐいずこかへ行ってしまうんだもの」
「俺が頼んだわけではない。用がないなら来るな」
「だったら用はあるわ」
「なんだ」
「おなたとお話しすることよ」
「……下らん」
満面の笑みで話しかけてくるこの女を、男児はうとましくも無下にできないでいた。
二対の腕に二対の瞳、腹には異形の口までついている己は忌子として疎まれている。産まれてすぐに母は亡くなったと聞く。おそらくはこのような姿の赤子を産み落とした故だろう。父のことを知る者もいない。とどのつまりは天涯孤独。それでも数えで十を超えるまでに育ったのにはこの女が関わっている。
忌子として取り上げられただけならば、その場で首でも絞めてしまうのだろうが、あまりの異形さに産婆は下手に処置すれば後腐れが出るかもしれぬと一時預かりを申し出た。反対する者などおらず、産婆の預かりとなった後、五条の家が管理する組合へと話が持ち込まれる。
結論、呪術的処置を用いて処刑。
となるはずだったところ、別件で五条家に預かられていた女が声をあげた。たとえ、異形のなりであろうとも、産まれて間もない赤子の命を奪ってよい理由などない、と。もしもそのような決断を下すというのであれば、私は腹を切る。とまで言うものだから、致し方なく厳重管理の下、生存を許可された。
「あなたは聡い子よ。きっと将来大きなことをなす人になれるわ。そのためにもいろんなことを知らなくちゃ」
「ならば女」
「名前で呼んでほしいなぁ」
「……この花はなんだ」
赤い花。
小さな花の群れの周りを縁取るように大きな赤い花弁が咲いている。
「それは紫陽花よ」
「食べれるのか?」
「たしか毒だったと思うけど」
「そうか」
「お腹空いてるの?」
「量の問題ではない。どうにも好みの味ではないというだけだ」
「そっかぁ。じゃあ今度、何か持ってくるね」
「来なくていい」
他愛もない話をしていると静かに見守っていたお付きの男が女へ耳打ちをした。
「そう。わかったわ」
小さくうなずき、女はにこりと笑って別れを告げる。
「天元様に呼ばれたみたい。行かなくちゃ」
「そうか。さっさと去ね」
女は無言で男児を見つめ、目尻を下げた笑みを作る。
男児にはその理由を察することができず、時折同じような顔をしていたな、としか思えなかった。
女は自らが着ていた羽織を男児に被せ、膝をついて目線を合わせた。
「この羽織をあげるわ」
「女物だろう、これは」
「ええ、だから袖が広いの。これだったら貴方も着やすいでしょう?」
衣服は与えられていたが、どれも男児の体型には窮屈すぎた。
だから基本、布を一枚羽織る程度で済ませてきたが、なるほど、と男児が納得するほどにその羽織は着心地がよい。
「それじゃあ……」
普段であれば、またね、と続く言葉を女は飲み込んで立ち去っていく。
男児は解せない気持ちを隠すこともなく、いぶかしげな四つの眼で見送った。