ストリップ・リデンプション - 憎しみを脱ぎ捨てて 作:添牙いろは
わが家にサンタは来ない――母親からキッパリと、そう告げられて以来、
だが。
報われないまま年が明けて二一〇〇年――二十一世紀最後の年――たまたまコンビニの深夜バイトで一緒のシフトになったカリンにストリップに誘われてから、楓の人生は一転した。
ただ歌うだけでも、ただ踊るだけでも、ただ裸になるだけでもない――『ストリップ・アイドル』という生き方に魅入られ、楓の表現は変わっていく。ようやく得られた念願のステージを守るためにライブハウス倒産の危機を乗り越え、憧れの写真家・
それが済んだら今度は共産国家やら秘密結社やらが押し寄せてきて――ここまで来ると、楓にも何が何やらよくわからない。ただ、もう少しで日本は共産圏の一部として宗主国様に従属する奴隷国家になるところだったようだ。そんなことになればストリップ・アイドルどころではなかっただろうから、それを阻止できて良かった、と楓は思う。
だが、楓はただのダンサーにすぎない。そんな一般人が、どうして国家存亡の危機に巻き込まれなくてはならないのか――そんな分不相応なトラブルに頭を悩まされる日々が続いていたが、今日は違う。
二十一世紀最後のクリスマスの夜――楓は由伸と共に彼の生まれ故郷である
楓とて、いつか必ず挨拶に出向く日が来ると思っていた。いつか――ならば、いましかない!
久々に、身の丈にあった幸せのために立ち上がったというのに――空飛ぶ円盤がそんな楓の決意を挫かせる。今度はナニ――? まるで、映画に出てくるような宇宙船の下で、カリンは裸のまま立っていた。楓はその異様な光景を前に、何も言えない。目の前で起きていることが信じられず、ただ茫然としている。新歌舞伎町でストリップ・アイドルを始めてから、自分の理解の及ばない感覚の持ち主たちと数多く接してきた。が、今回はそれらの範疇を軽く超えている。というか、そういう次元の問題ですらない。
カリンは、悠然と空を見上げながら、独り言のようにつぶやく。
「このあたりは、
あまりに突拍子もない言葉に、楓は目を丸くする。その横で、由伸もまたあまりの状況に呆然としていたが、楓の視線に気づいたことで、少しだけ気を取り直したらしい。
「……写真家として、一度合わせたピントを外すことはできなそうだ」
そうつぶやいた彼の声には、どこか覚悟のようなものが感じられる。楓は戸惑いながらも、率直な疑問を口にした。
「カリンって……まさか、宇宙人……?」
その問いに、カリンはくすくすと笑いながら、穏やかに返す。
「地球だって、宇宙の惑星のひとつだよ」
「いや、そういう話をしてるわけじゃなくて」
楓は思わず突っ込む。地球を基準にしているのは当たり前だ。けれどカリンは、どこ吹く風という様子で、話を続ける。
「生まれは、ちゃんと地球だよ。ただ、さっきも言ったとおり……三歳のときに拐われたの。地球人の言うところの、“宇宙人”にね」
「……はぁ」
楓の返事は、ひどく素っ気ないものだった。そして、カリンは――いつでも楓のそばにいたからこそ思う。これは――まったく理解してもらえてないな、と。カリンは、内心で少しだけ肩を落とす。とはいえ、いきなりこんな話をされたって、信じられるわけがない。それでも、彼女の瞳にはどこか確信めいた光が宿っている。楓はその目を見つめながら、胸の奥に小さな違和感――そして、なぜだか妙な説得力のようなものを感じ始めていた。
「で、いつ帰ってきたの?」
カリンの言っていることが正しい、という前提で楓が尋ねてみると、カリンは少し考えるように目を泳がせる。
「んー……調査目的でずっと隣の銀河にはいたんだけど、地上に降りたのは、数年前かな」
楓は眉をひそめる。
「てことは、帰ってきてすぐにコンビニバイト始めたの?」
「まあ、社会勉強も兼ねてね」
そう言ってカリンは肩をすくめて見せた。あっけらかんとしたその口調に、楓はツッコミどころの多さを感じつつも、反論の言葉が出てこない。
由伸が、少し間を置いて口を開く。
「久しぶりの帰郷のようだが、親父に宇宙の土産話のひとつでも届けてやったのか?」
カリンはすっと視線をそらし、小さく首を横に振る。
「ううん。記憶の改ざんは最小限に留めておきたかったから」
どうやら、由伸ひとりにだけ『カリンとの偽りの思い出』を植え付けたらしい。ひとりだけとはいえ、それ自体ナンともとんでもないことなのだが。
「つまり、頼十郎さんの中では、カリンはまだ失踪中ってことになってるのね」
ああ、なるほど――と楓は深くうなずく。規制派筆頭である頼十郎が、なぜカリンの動向をまったく気にかけていなかったのか、不思議に思っていた。が、こんな地球外のカラクリがあったらしい。
「だが、キミたちはなかなかに渋い趣味をしているね。地球ってやつはそんなに魅力的な星なのかい?」
「それはもう」
由伸の問いかけに、カリンはにっこりと微笑んで答える。
「まあ、宇宙でも知的生命体は珍しいだろうし」
楓が口を挟むと、カリンは首を傾げた。
「そう“知的”ってほどでもないけどね」
思わず楓がむっとしかけたが、その横で由伸が興味深そうに続ける。
「そりゃあ、キミたちは隣の銀河から地球の街角の恋愛模様を見物できるくらいだからな」
というか、隣の銀河ってなんだろう――? 楓は、話にまったくついてこれていない。
「それで、何か有益な情報はあったの?」
尋ねる楓の声には、いくらか皮肉がにじんでいる。テクノロジーでは宇宙人に遠く及ばないと感じていたからこそ、せめて精神的な面で何か評価してくれていればいい――そんな思いも混じっていた。
「もちろん。それは――」
カリンは微笑みを浮かべたまま、はっきりと答える。
「――“愛”……だよ」
「……はぁ?」
楓の間抜けた声を気にすることなく、カリンは柔らかな笑みのままうなずく。ただ、もう少し補足は必要そうだ。
「まぁ、そのように我々が呼んでるものだけどね」
由伸が口元をほころばせ、ちらりと楓を見ながらカリンに問う。
「で、キミが目にしているのは見本のような塩対応だが、それでも愛のサンプルとしては合格点なのかい?」
さらりと言われて、楓は顔を赤くする。恥ずかしいのは、その指摘自体ではなかった。由伸が、まるで当たり前のように“愛”について語っていることのほうが、ずっとこそばゆい。
「地球の一説では、“愛”の逆は“憎しみ”ではなく“無関心”……と言われているようだけど――」
カリンの口調は穏やかだが、どこか哲学的な含みを帯びている。宇宙船という
「――なるほど、方向性の異なる同量の執着といえば、一定の説得力はあるね」
カリンは両手の人差し指を立て、その二本の先をすーっと離しながらうなずいているが――その理屈めいた言い回しに、楓の頭はすっかりフリーズしていた。
「けど、正反対のエネルギーがぶつかり合うと、両者は対消滅しちゃうんだよ」
離していた指を握り込み、顔の前でぶつけて見せる。カリンの口調はあくまで穏やかで――けれど、どこか淡々とした死の宣告のようでもあった。その物騒な気配に、あたりは不思議な沈黙に包まれる。
「……宇宙って、そんなこと真面目に議論してるの?」
楓は眉をひそめて、呆れたような声を漏らす。それはとても『宇宙の無駄遣い』――楓の頭の中には、そんな言葉が浮かんでいた。もっと有意義なテーマがいくらでもあるだろうに。
だが、カリンの表情は真剣そのものだった。
「うん、だって……それが、我々を滅ぼした遠因だからね」
その言葉に、楓の顔がビキリと引きつった。日本の危機どころか、今度は宇宙の危機――? 大げさすぎて笑ってしまいたいくらいだが、カリンの真摯な表情が、それを許さない。――ただ、私は踊っていたかっただけなんだけど。楓は内心で嘆いた。彼女はただ、ステージに立ち、観客の前で自分を表現したいだけ。なのに、なぜこんなSFじみた騒動に巻き込まれているのか、自分でもわからない。
「続きはライブハウスの控室でお話しましょうか。この時期でも空いている
カリンの冗談とも本気ともつかない口調に、由伸が合点がいったようにうなずく。
「……やれやれ、車も使わず銀河を跨いで新宿通いとはね。合理的で感心するよ」
「マジですか……」
楓は絶句する。なるほど、思い返してみれば、南千住の近所に住んでいた頃、カリンは一度たりとも『新歌舞伎町まで乗せていくよ』と言ったことはなかった。
――どおりで。
楓は目を細めながら、カリンの背を見つめる。全裸くらいならステージで見慣れてるのだけど――いまやその姿すら、少しだけ現実離れして見えてきた。何より、頭上に浮かんでいるのは屋根のような平たい円盤――まるでフィクションの世界から抜け出してきたかのような、宇宙船と思われる物体である。鋭い光を放っているし、遠くから見ても明らかに通報レベルではないか、と楓は真顔で心配になってきた。
まずはとっとと、あの不審物を隠してくれ、とも思うが――きっとこれから、その不審物に乗ることになるのだろう。これって、もしかして――地球人初の宇宙船航行、になるんじゃ――? そう思うと、楓はほんの少し胸が高鳴る。これまでの突飛すぎる展開に呆れながらも、内心では未知の体験への期待感も否めない。
しかし、次の瞬間――
「……え?」
楓がつぶやいたと同時に、彼女の足元がふっと消える感覚に包まれた。気づけば、そこは新歌舞伎町から少し外れた公園の中にいる。これはワープというより、時間ごと吹き飛ばされたような感覚だ。あまりにも一瞬すぎて、風の流れも、時間の感覚さえも掴めていない。思わず自分の頬を触ってみたが、夢ではなかった。由伸もまた、同じく唖然とした様子で周囲の様子をうかがっている。だが、そこが見慣れた東京の一角だと納得したところで、何でもない仕草でスマホを取り出した。
「……
実家に連絡しているらしい。あまりに普通に、現実世界の延長のような雰囲気で。もう少し、驚きとか狼狽とかあってもよさそうなものだけど。
話を終えて、由伸はやれやれとため息をつく。
「こいつを使えれば、撮影もデートも遅刻知らずだな。ま、俺はどちらも間に合わせる男だけど」
由伸の声は実に現実的である。夢のような体験を前にしても、すぐさま応用法を考えているあたり、さすがというべきか、少し残念というべきか。
「お兄ちゃんと楓さんだけならいいんだけど」
そう言うと、カリンの全身が輝き始め――まるでアニメの魔法少女のように服をまとった。とはいえ、現れたのは白のウールコートにライトグレーのタートルネック、厚手の黒いタイツに落ち着いたベージュのスカート――いつも見ている、カリンの普段着である。だが――この技術を利用すれば、ストリップ・ライブでもすごい演出ができるのでは――由伸と似たような、現実的なことを考え始めていることに気づき――由伸との共通点を見つけられたようで、楓は少し嬉しくなった。ともあれ、ここは街の中心から外れているとはいえ、新宿である。クリスマスということもあり、公園の外には絶え間なく誰かが歩いている時間帯だ。そんなところでカリンに全裸のまま出歩かれるとマズイので、楓はそちらの意味で安堵する。
そして、楓たちはカリンに続くように公園を出て、ライブハウスへと歩き始めた。年の瀬の夜、新宿の町はイルミネーションで彩られ、街路樹にはきらめく灯りが絡まり、祝祭的な空気を醸し出している。道行く人々は厚着をして足早に通り過ぎ、暖かそうなコーヒー缶を手にしたカップルたちが笑い合っていた。車道のほうにはタクシーが列を作り、連なったテールランプがアスファルトの上に赤い筋を描いている。そんな華やかな喧騒の中、楓たちの足取りはどこか落ち着かない。その理由に気づき、楓はぽつりと口にする。
「……なんで私たち、帰らされてるの?」
本来ならばこのあと、由伸の父・頼十郎との挨拶が控えていたはず。そんな重要な場面のはずだったのに――まるで、そこから遠ざけられるかの如く、何か別の展開へと押し込まれているような。
不服をにじませる楓を、由伸は苦笑まじりになだめる。
「ま、妹が正体を明かしてまで俺たちを頼ってるんだ。少しは真面目な顔をしてやらなきゃ、俺だって兄として甲斐性がないだろう?」
その言葉に、楓はちらりと由伸を見上げた。言いたいことはわかる。何か事情や理由がなければ、カリンだってこんなことをしたりはしないだろう。だが――楓は、昔から主語の大きい話に興味が持てない。『宇宙が危ない』だの『地球の未来』だの――そんな話をされると、途端に心が遠のいていく。――だいたい、この状況を普通に受け止めるなんて。このシスコンが――楓は内心でそう毒づきながら、そっぽを向く。そして、またしても規格外の流れに翻弄し始めていることに危うさを感じていた。
やがて、三人は目的地にたどり着く。それは、一見すると普通のライブハウスだ。しかし、その外観はいつもと違う。エントランスの上には巨大なリースが飾られ、ツリーの形を模したイルミネーションが壁面に這っていた。赤と緑の電飾が目まぐるしく点滅し、スピーカーからはクリスマス・ジャズが流れている。どこで拾ってきたのか、やる気のなさそうなサンタ姿のマネキンが無表情に出迎えていた。しかしそれでも、入口には“PARANOIA”と大きく書かれた看板が掲げられている。つまり、ここが楓たちの活動場所であることには違いない。なお、つい最近までは『ノクターン』という名前で営業していた。しかし、『パラノイア』という名の秘密結社に乗っ取られたのである。多分、今回のクリスマスモニュメントも、秘密結社の面々が担当したのだろう。もはや、秘密どころの話ではない。
楓たちがフロアへと足を踏み入れると、そこはまばゆい照明に包まれたライブステージが飛び込んでくる。煌びやかな光と音が交差し、観客たちは熱狂の渦の中にあった。
今日は特別な夜――クリスマス・ライブ。しかも、スペシャルサービスと銘打たれたこの日のステージには、総勢十二名のストリップ・アイドルが代わる代わる登壇していく企画だ。けれども、正確には――これはストリップ・ライブではない。彼女たちは最初から最後まで、
普段のストリップ・ライブでは、
ギターのミカ、ベースのミキ、キーボードのミク――かつて彼女たちにトラブルがあり、その解決にこのライブハウスが手助けした経緯がある。だからこそ、彼女たちはこの奇妙なステージにも嫌な顔ひとつせず参加してくれていた。
三人はそれぞれお揃いのポニーテールを結び、お揃いの赤と白のクリスマス帽をかぶっている。けれど、帽子以外は何も身につけていない。バックバンドでありながらその潔さに、観客の男たちは大喜びだ。けれど、楓は思う。本当に、男たちは裸の女であれば何でもいいのだろうか、と。そういうところは、どうしても好きになれない。
それでも――
隣でステージに見入っている由伸の眼差しに、他の男たちのようないやらしさはない。女性の裸体の美しさを写真として切り取っていくヌード・フォトグラファーという生き方――裸に宿る美学を、由伸は見出してくれている。だからこそ、楓も自分の表現を磨くことを辞めたりしない。ストリップ・アイドルとして、ただ脱ぐ以上の意味を込めて、感情を込めて、舞台に立ち続けることができた。
そんな中、ひときわ異彩を放つメンバーがいる。彼女の名はハロクド――常に『地下に潜む研究者キャラ』を作るための一環か、ジャージに白衣、というおかしな普段着で通していた。それにちなんでか、今日は全裸に白衣、という奇妙な衣装でステージに上がっている。奇妙ではあるが――白衣の翻りをうまく利用した美しさを魅せていた。音楽に身を任せながら腕を大きく広げ、しなやかな身体をくるりとターンして見せる。
ハロクドは、歌わない。これは、ストリップ・ライブとしては異色である。だが、そのダンスには並々ならぬこだわりが感じられた。全裸の白衣姿で舞うその様子は、まるでストリップ・ライブに傾倒している楓のあり方にさえも問いかけているようで――その姿を目の当たりにしていると、かつての自分を思い出す。かつては、ダンス一本で勝負していた――あの頃と比べると、自分の軸がブレてしまっているのではないか――そんな思いが楓の脳裏をよぎる。
それでも、自分が“ストリップ・ライブ”に魅せられたという事実に嘘はない。脱ぐだけでも、踊るだけでもなく、そこに歌唱という音色が加わったとき――その表現に心から惹かれたのである。だからこそ、楓は踊りだけではなく、歌にもさらに磨きをかけていこうと、あらためて決意していた。
そのとき、視界の端に見覚えのある顔が映る。観客の最後列、出口のそばに立っていたのは、メンバーのひとり――クロエだった。ボブカットに、暖かそうな冬のコート姿。以前、観客として訪れていた時は眼鏡やマスクで変装していたが、いまはもう、そうした小細工を必要としない。なお、れっきとした日本人だ。
「……あら、楓チーフ」
扉のそばの壁に寄りかかっていたクロエは楓たちの入場にすぐ気づいたようだ。目が合ったところで、楓は落ち着いた声で呼びかける。
「お疲れ様。出番はもう終わったのよね?」
その問いに、クロエは軽くうなずく。もともと彼女は、ストリップ・ライブの熱心なファンだった。出番を終えた後も、他の演者たちの舞台を楽しんでいることにさほど違和感はない。が、今日はちょっとした理由があったようだ。
「ええ、ちょっと待たされてて」
そう言った直後、控室のほうからもうひとり、見慣れた姿が現れる。
「クロエちゃん、お待たせー」
現れたのは同じくメンバーである――
茜は楓の姿に気づき、丁寧に頭を下げる。
「……あっ、楓さんと、カリンさん……それに、由伸さんも、お疲れ様です」
その声色には、柔らかな配慮が含まれていた。デートのために欠席と聞いていた楓と由伸が並んでこの場にいること、そこに妹であるカリンまでも同伴していること――その状況から茜は、何かしら複雑な事情があるのだろうと感じ取っていた。
「じゃ、私たちはこれで……クロエちゃん、早く行こっ」
「というか、私はアンタを待ってたのよ……!」
茜の軽さに、クロエは口を尖らせる。だが、茜はいつもの調子だ。
「わぁ、嬉しいな、ありがとう」
「というか、アンタひとりで会場まで行けないでしょ!」
横でクロエの忠告を聞いていた楓は、少し唖然とする。
「行けると思うけど……」
「学校までの通学路でさえ、二回に一回は迷子になってた女が余裕ぶっこくな」
茜の反論に、クロエは即座に否定する。
「えー? せいぜい三・四回に一回だと思うけど……」
楓はますます呆れるばかりだった。普通は一度も間違えない。
「けど、今日はクロエちゃんが連れて行ってくれるんでしょ?」
そう言いながら茜はクロエの腕に自然と絡みつく。
「不本意ながらね。それじゃ、また後ほど」
クロエは、楓たちも後でパーティー会場に来るものと思っているようだが――状況はそう単純ではない、と茜は察している。
「では、お先に失礼しますね」
そう静かに告げて、茜はクロエに連れられてその場をあとにした。
立ち話も済んだところで、楓たちはカリンの話を聞くために場所を移そうとする。しかし。
「レディたちの領域を、男の視線で曇らせるのも野暮ってもんだろう。俺はここから見えないエールを送らせてもらおうか」
由伸がそう遠慮がちにつぶやいたのは、ライブハウスの奥に設けられた控室の前。そこは、更衣室のような役割も兼ねており、男の身でずかずかと踏み入れるのは気が引けるようだ。
とはいえ。
「ううん、お兄ちゃんにも話を聞いてもらわなきゃだから」
カリンが当然のように言い切ると、それに、楓も苦笑で続く。
「ここのメンバーに、男に見られた程度で動揺する踊り娘なんていませんよ」
楓もまた、呆れ気味に促した。堂々とした女性ふたりが先導する形で、三人は控室の中へと足を踏み入れる。
しかし、わかっていたこととはいえ――中に入ったところで、楓は思わず眉をひそめた。まったく、ひどい有様である。元々このスペースは店長のための事務所も兼ねていたのだが、いまやそれに加えてもうひとつ、追加された机が堂々と鎮座していた。パラノイア――表向きはゲーム開発会社であるこの組織が、丸ごとこの小部屋に引っ越してきたようなものである。元々そんなに広くもなかったこの空間は、明らかにより狭くなった。今日、出番が終わった者からクリスマスパーティーを開いているファミレスへ移動する手筈となったのは、パラノイアが原因でもある。
その手狭な控室では、ふたりの踊り娘が準備を進めていた。ひとりは、
美春は基本的に無口だが、口を開けば男に対する悪態ばかり。だが、それは男に対する要求が高いからに他ならず、自分の眼鏡に叶う相手が見つかれば、ころっと
そしてもうひとりの踊り娘は、
舞はどうやら家と折り合いが悪いらしく、スタジオやカラオケボックスを転々としながら生活しているようだ。夏休み中は地方で仕事があったので姿を見せなかったが、二学期が始まるとライブハウスに戻ってきて、登校するまで朝練代わりに入り浸っている。楓は舞とソリが合わないため、舞が学校に行っている午前中の時間帯を狙ってスタジオを使わせてもらっていた。思えば、三十年前の法改正で義務教育卒業をもって成人とする、と定められたのが良くない。それまでの基準であれば、ストリップ・アイドルとして世に出るまで、あと一年以上あったのに。楓としては、自分より才能のある年下には、大人しくしていてもらいたかった。
そんな雑然とした控室の奥。追加された机の上には、明らかに高性能なタブレットが置かれている。ペンが滑る音とともに、せっせと画面に向かっているのはパラノイアのグラフィッカーである
楓はちらりと春萌のタブレットの画面を覗き込む。そこに映っていたのは、漫画のコマ割り。どうやら仕事ではなく、趣味の同人誌の作業中のようだ。緻密な男性描写に――どうやってここまで観察したのだろう、と楓はぷいっと視線をそらす。
「……今日のライブ、春萌さんも出るんじゃなかったでしたっけ?」
一心不乱にペンを走らせている春萌を見て、楓は思わず問いかけた。楽曲は、オタク趣味全開の電波ソング――『ふしぎ?こんなぎ☆マジカルこんこん♡』――ハイテンションなうえに、セリフが入ったりラップが入ったりと盛りだくさんなボーカルをソロステージでまともに歌いきれるのは、正直、春萌くらいしかいない。そんな曲を、まともに練習もせずに、いまは同人誌の作画に夢中――本当に大丈夫なのだろうかと、楓は内心で不安になる。
もちろん、本番を意識しているからこそ、わざわざ全裸で作業しているのだろう。――ギリギリまで原稿と向き合うために。けれど、もう少しステージにも備えてほしい。楓の中に、そんな気持ちもあった。しかし、うっかりそれを口に出そうものなら――遊びで同人活動ができるか! ――とキレられるので、楓は踏み込みすぎないように気をつけている。
「も・も・も・も……もーちょい、進めさせて……っ! これ以上遅れると、特急料金の割り増しが……っ!」
タブレットに視線を落としたまま叫ぶように懇願する春萌に、楓はつい口を閉ざす。特急料金――それは、入稿が遅れてしまった際に割り増し料金が適用される仕組みらしい。楓自身は同人誌の世界には明るくないが、貧乏暮らしの長かった身としては、その理屈には痛いほど共感できる。
ただ、秘密結社だったら、資金くらい潤沢にあるでしょ――そう思う反面、節約できるものなら節約したい――そんな春萌の姿勢には、なんだかんだでうなずいてしまった。結果、何も言えない。
さらに、控室の奥――店長がかつて使っていた事務机も、すでに本来の用途から大きく逸脱している。そこにはキーボードが接続されたタブレット端末があり、その前に座る女性が、一心不乱に文字を打ち込んでいた。手元の動きは鋭く、画面に映る文字列はどんどんと連なっていく。だが――彼女は、なぜか何も着ていない。
“きの子”というコードネームで呼ばれるこの裸族女は、ライブハウス・パラノイアの運営にも関わっている人物でもあった。彼女の外見としては、特徴的なふたつの束ね髪が耳の下で揺れており、全体としてはどこか幼気である。胸の大きさに至っては、楓自身よりも控えめだ。
きの子は、どうやらこのゲーム開発部門ではシナリオを担当しているらしい。聞くところによると、現在動いているほとんどのプロジェクトで、彼女の手が入っているとのこと。しかも業務だけではなく、春萌と同じように個人的にも創作活動を行っているらしいが、目の前の文章が仕事なのか趣味なのか、楓には判断がつかない。ただ――お願いだから、服は着て――と楓は思う。いくらストリップをやってるライブハウスとはいえ、常に全裸であっていいはずがない。だが、きの子曰く『服を着ていると集中できない』のだという。
とはいえ、彼女なりに線引きはあるようだ。
きの子は――実は、既婚者である。それもあって、基本的に夫以外の男性に裸を見せることは好まない。だが、パラノイアという秘密結社がこのライブハウスを乗っ取ったという事情から、形式的にはストリッパーとして登録する必要がある。そのため、仕事として仕方なく脱いでいる、というのが本音のようだ。
それもあって、楓が由伸を引き連れて控室に入ってきたのに気づくと、きの子は背もたれにかけていたカーディガンをさっと羽織る。そこに、別段焦る様子がなかったのは――以前、写真撮影の仕事で現場を案内していた際、きの子もまた全裸だった。慌てるほどでもないが、無防備に見せるつもりもない――そのくらいの温度感なのだろう。
とはいえ、服を着ると、集中できなくなるというのは本当らしい。それまで勢いよくキーを叩き続けていたのに、作業を中断して楓たちのほうへと椅子を向ける。
「……あら、今日明日は出かけてると聞いてましたけど?」
楓は少しだけ気まずそうに、首をかしげながら答える。
「私も、そのつもりだったんですけどね」
そう言って、視線をカリンへと向けた。カリンは、あっけらかんとした様子で片手を挙げる。
「ちょっと、状況が変わっちゃって」
その言葉に、楓は小さく息をつく。そこには――やっぱり、という納得感があった。それは、さっき由伸に歩きながら言われたばかりのこと――このタイミングでカリンが自らの正体を明かしたのだから、それは、単なる気まぐれなどではなく、明確な意図があるのだろう。そして、わざわざこの“パラノイア”の控室に場所を移したのも、きっと何かを企ててのことだ。
カリンは狭い控室の中を、ぐるりと見回す。
「ふーむ、まだ来てないみたいだね」
誰を呼んだか知らないけど、地球人は移動に時間がかかるものなのよ――楓は内心でそう皮肉めいたことを考える。ただ、
カリンのつぶやきに、春萌がタブレットから顔を上げる。
「んで、誰呼んでるの? “妹ちゃん”なら今日は来れないんじゃない?」
言いながら、春萌は出番に備えてデスクから腰を上げる。“妹ちゃん”とは、このライブハウスの現店長――
「ですよねー」
カリンが短く返したのを受けて、春萌はそのままステージの方へと向かっていった。ハロクドの楽曲は、いわゆる大サビを迎えようとしている。そこでふたり合わせたうえで、次の春萌の楽曲へとシームレスにつなぐ、という流れだ。そんな、一時間を超えるノンストップ・ライブ――聴いているほうも大変そうだ、と楓は思う。
「呼んだのは、店長さんではないんだけど……」
春萌を見送りながらカリンがそう言いかけたそのとき、彼女のスマートフォンが振動音を立てた。画面を確認すると、すぐに何かを入力し始める。――宇宙人でも、地球人との連絡はスマホなんだなぁ――細かいところで感心してしまうのは、楓にとって、現実味のない状況に対する現実的な反応なのかもしれない。
「直接、控室のほうまで来ていただくようお願いしましたけど……構いませんよね?」
と、言われても――楓は困惑する。カリンは皆に視線で問いかけるが、この場に“構う”かどうかを判断できる責任者は、あいにくいない。控室にいた全員が顔を見合わせるも、結局、由伸が軽く肩をすくめてみせるだけだった。
そしてすぐに――
控室のドアにコンコンと、控えめなノック音が響く。どうやら入口でスタッフに止められることもなく、すんなりとここまで通されたようだ。
扉が開き、ひとりの女性が姿を見せる。大きなメガネをかけており、髪は整ったセミロング。柔らかな視線はどこかぼんやりした雰囲気をまとっているが、悪い印象はない。同じようにぼんやりしつつも、
しかし、彼女の服装には違和感がある。この寒い季節に、やたらと薄着――ジャージの上に白衣を羽織ったその姿は、どこか既視感があった。――ハロクドさんに似てるかも、と楓は気づく。えんじ色のジャージではなく、緑のものを着ているが、全体の雰囲気はあの“踊る研究者”と酷似していた。
楓が内心をざわつかせる中、その女性はゆっくりと口を開く。
「こんばんはー、私、“ミハル”と申しましてぇ」