ストリップ・リデンプション - 憎しみを脱ぎ捨てて 作:添牙いろは
最終的にまとまった方針は――由伸が小規模な“ハーレム潜入班”として、楓と舞のふたりとともに行動する。一方、ミハルは単独行動。パラノイアの面々にも別途協力を仰いでいるようだ。そして、その全体をカリンが統括し、必要に応じて支援する体制だという。出発には開けた空が必要だという理由から、楓たちは再び新歌舞伎町の公園へと戻ってきた。以前、帰着した場所である。
ただし、今回は決定的に異なる点があった。ハーレム島に飛ばされる前に服を脱がなくてはならない。だが――ここで? 何の躊躇もなく全裸になるよう指示されて、楓は露骨に顔をしかめる。すると。
「じゃあ、あのタコの形をしたコンクリートドームの中で脱ぐ?」
「そんなところで脱げるか!」
カリンはシレっと提案するが、楓は即座に声を荒らげる。あんな暗くて狭い場所でコソコソなんて――格好悪いことこの上ない。
だが、そんな楓の常識など意に介さず――舞は公園のど真ん中に立ち、堂々と服を脱ぎ始めていた。通行人の目も、周囲の気配も気にする様子はない。チラっと覗く人はいても、大騒ぎになることはないのは、新歌舞伎町ならではか。
そういえば、コイツってこういうヤツだったっけ――楓は呆れる。
だが、やらねばならないことは変わらない。
「レディが堂々と胸を張っているのに、男の自分がまごついていては立つ瀬がないな」
そう言って、由伸までもが舞に続き始めてしまった。お願いだから、そういう連帯感で脱がないで――! 楓は心の中で頭を抱えるが、もはや流れに逆らえる雰囲気ではない。宇宙人なら、即席更衣室とか出せないの!? ――ああ、宇宙人の衣装替えは一瞬だったっけ――楓は、諦めた。
公園の開けた空の下、街のざわめきを背にして裸になる――人前で脱ぐのは慣れているが、これは恐ろしく警戒心を掻き立てられる体験だ。罪深い感覚が全身を覆い、足元がぐらつく。しかも、この状態で、これから“ずっと全裸の島”に向かうのだと思うと、緊張はさらに募っていった。
女の裸の集団であれば、楓も見慣れている。だが、男の――異性の裸体には慣れていない。それも、その相手が今後一夜を過ごすことになるかもしれない恋人となれば――!
楓には何も考えられず、直視どころか、どこに焦点を合わせれば良いのかすらわからない。顔を真っ赤にしたままうつむき、目を閉じたまま由伸に手を引かれて歩いていた。その手の感触だけで、腕の向こう側まで意識してしまう。
そして――
足元の感触が、いつの間にか変わっていた。砂利の散らばる土がむき出した広場から、まばらに草が生える地面へ。変化に気づいた楓は、はっとして顔を上げる。
周囲の景色が、公園から一転して森になっていた。ワープも二度目ともなれば、そこまで驚くことはない。
しかし――
「ここの木々は、嘘をついてる」
由伸の抱く違和感――気味の悪さは楓も共有していた。一見乱雑に生えているようで、そのすべてが整いすぎており、余さず人の手が入っているように見える。
「自然の森ってのは、もっと無骨なもんでね。これは、巧みな計算結果によるものだ」
写真家としての直感だろう。作り込まれた空気感、誰かの意図を酌んだ配置、演出された風――そういう匂いを彼は嗅ぎ取っていた。いま目の前に広がるのは“植えられた”ものではなく、明らかに“造られた”森なのだと。
「これだけ作り込まれてるってことは……ここにあるものすべてが舞台の大道具ってことなのかもな」
だとすると、自分たちはすでにハシム教授の監視下にあってもおかしくない――いや、監視下にあると考えるべきだろう。だとしても、コソコソしていては逆に怪しまれる。何かあればカリンがフォローしてくれるだろう。目的地の見当もつかないまま、一行はひとまず歩き出すことにした。
しかし。
「……何やってんの。普通に歩け」
舞の歩き方がどこかおかしい。つま先をやや外側に向け、体の中心線を強調するように腰を揺らしながら、不自然にゆったりとしたテンポで歩いている。まるでステージを歩くモデルのように、堂々とした一歩を踏みしめていた。まさに、怪しさを全身で体現している。
楓が苦言を呈すると、舞はくるりと回って微笑んだ。
「美しき者が歩けば、そこがランウェイになるのよ」
その一言に、楓は盛大にため息を吐いた。怪しまれないように普通に振る舞わなきゃってときに――いや、見られていると思うからこそ、見せるための妥協を許さない――ああ、こいつってマジでこういうヤツだった――! おそらく、舞はこの状況を――自分の美を堪能し、それを誇示することを楽しんでやがる――! その潔さと、理屈を超えた迫力に、楓は何も言えなくなった。
周囲の森はひっそりと静まり返り、鳥のさえずりひとつ聞こえない。風に揺れる木々のざわめきすらどこか不穏に感じられる。そんな静寂の中をしばらく歩いていると――どこからか音楽の切れ端が聞こえてきた。知らない楽曲ではあったが、その
不自然なまでに明るく賑やかな音の震源地に向けて、楓たちは慎重に、警戒心を抱きつつ進んでいく。開けた場所に出ると、そこには簡易的なステージが組まれていた。きちんと鉄骨だし、音響もしっかりしている。裸で森を歩いていたものだから、つい原始的な感覚に流されていたが、この島は紛れもなく、宇宙テクノロジーの産物だった。
ステージの上ではふたりの全裸の女性が、歌いながら踊っている。それを見上げるようにして、同じく全裸の男たちが野太い歓声を送っていた。その異様な光景に、楓は思わず眉をひそめる。やっていることは普段の自分たちと変わらないのに――やはり、観客まで全員全裸というのは違和感しかない。というか、ハーレムって、ひとりの男がたくさんの男をはべらせるものじゃないの? あれじゃ、もはや逆ハーレムだ、と楓は訝しむ。
だが――あの顔――というか、雰囲気――ふたりのうち、ひとりの女性に楓は見覚えがあった。以前、先代店長であるエリと密談していた、エージェントと呼ばれていた女性――まさにその人のように思える。Tシャツだけを羽織ったモデル体型の美人――いまは裸で笑顔を浮かべ、リズムに乗ってステージの上で跳ねている。それが様になっているのが意外だ。エージェントともなれば、このような舞台も卒なくこなせるのかもしれない。
もうひとりは初めて見る人物だった。全身が綺麗な褐色に焼けている。外国人かとも思ったが、そうでもなさそうだ。地黒というより、まるで長期間の日焼け――だが、それにしても均一すぎて、どこか違和感がある。
隣にいた舞が楓に向けてぽつりとつぶやいた。
「覗いてしまったようね、深淵を」
言葉の意味はよくわからなかったが、楓もなんとなく気圧されて「ええ」と曖昧に返す。まだ答えにはたどり着いていないが、それでも視界の隅にある何かに、ざわりと心が反応していた。
そのとき、由伸が低い声でつぶやく。それは写真家として被写体に向かうような――いや、男の瞳はその奥をも見通していた。
「刻まれた時間は、嘘をつかない。彼女が
楓は、その言葉をきっかけに考えを巡らせる。屋外での肉体労働か、あるいは水泳選手か――そんなイメージが頭に浮かんだ。
けれどそれで、すぐに違和感の正体に気づく。水着でも作業着でも、何かを着ていれば、焼けた肌にはラインが残るはずだ。しかし、彼女の身体には一切の跡がない。全身が、まるで
つまりは――全裸で生活してた――? その結論にたどり着いたとき、楓の心臓はドキリと脈打つ。おそらく、彼女はこの場所で長い時間を過ごしてきたのだ。ならば、ここでの生活、そのすべてを知っているはず。彼女は、間違いなく貴重な情報源となるだろう――楓はそう確信した。
しかし――
ステージの袖から、三人目の出演者が現れた瞬間、楓の思考はすべて吹き飛ばされた。
『儚き光は~消えて~♪』
耳に届いたその歌声に、楓は目を見開く。たしかに最初は、まさか――と思った。しかし、違う。明らかに、違う。それで楓は思い出した。パラノイアの人たちの言葉――違いは脱がせば一発でわかる――
「……希店長……じゃない!!」
首から上は一見すると希店長と瓜ふたつ。本人が来ているのなら、自分たちがこんなところに呼び出された意味がない――そんな苛立ちが湧きかけたが、それもすぐに霧散した。たしかに、彼女は希ではない。それだけはわかる。
というか――何あれ、全身の入れ墨――!? 前も後ろも――ここからでも識別できるくらいに堂々と彫られている。そのインパクトに、楓は言葉を失った。
そして、冷静にステージを観察してみると――楓は、スマホで希店長のステージを観たことがある。数多の芸能事務所が声をかけるだけはあり、歌声は安定していて力強く、たしかな技術に裏打ちされていた。だが、いま歌っているその女性は、似ているだけでまったく違う。表情、歌い方――何よりも、あの刺青が決定的だ。
「たしかに、区別がつかないときは、脱がすのが手っ取り早そうね」
舞はいつも通りの口調で淡々と言っているが、その内容がひどすぎる。楓は心の中でため息をついた。たしかに、その手もあるかもしれないが、あの全身の入れ墨を何度も見る気にはなれない。それは、朱里のキャラクター通りの
「というか、なんであの人がここにいるの?」
楓の疑問はもっともだ。少なくとも、ついさっきまでライブハウスにいたのだから、カリンによって送られてきたことは間違いない。
「別口の任務と聞いてたが……ずいぶん陽気な別働隊じゃないか」
由伸が静かに答える。先行していたような雰囲気はあったが、まさかこんなことになっていたとは。
ふと舞をうかがうと、彼女はステージをじっと見つめていた。ただの観客として楽しんでいる様子ではない。それは、分析の眼差し――研究者としての観察だ。同じストリップ・アイドルとして、あの三人のパフォーマンスには何か特別な価値があるのだろう。いま舞に何を聞いても、きっとまともな返答は返ってこない。楓は、しばらく放っておくことにした。
ともかく、曲が終わったら話を聞こう――そう思っていたのだが、ステージの展開は予想外の方向へと動き出す。
『深い悪夢の――!』
背の高いエージェント女子はここまで楽しそうに歌っていたが――何かに気づいたかのように、突然のライブ放棄。慌てて舞台袖のほうへと走り去っていく。ついでに、朱里の腕をグイとつかんでいった。引かれるその顔はニヤニヤと、そして、少し残念そうで――それで、楓の脳裏に嫌な記憶が蘇る。控室で見せた朱里の
最後のひとり――日焼けの少女も逃げてくれれば、楓としてもすぐさま撤退できる。だが、ステージでいまも踊り続けているため、見捨てることもできない。というか、これから起こることを承知で残っているのだろう。ただ、観客たちは混沌としながらも、適宜散り散りになり始めているので、ここは逃げるほうが正解らしい。
だが、少し遅かった。この野外ライブ会場はすでに包囲されている。しかし、ここで楓は信じられないものを見た。
「……えっ……?」
なんであの人たち――
さらには、各々棒状のものを手にしており――何となく武器のようだな、と楓は思った。そして、それは紛れもなく武器だった。ローブをまとった女たちは、逃げ惑う男たちに向けてその凶器を容赦なく振り下ろしている。
「……いやいやいや!?」
ここでようやく楓は我に返る。これ、マズイんじゃない――? 実際のところ、持っているのは武器といっても、刃物ではなく木材だ。それも、女の腕で扱える程度の重さの。そんなもので女から襲われても、男ならどうにかなるのでは――そう思っていたのが甘かった。一対一なら問題ないとしても、ひとりの男に三人の女が囲みこんで一斉に――その分、逃げられる男も多いが、一度捕まってしまえば、あとはうずくまって頭を抱えることしかできない。
「よくこの人数のユニットでレッスンを積んだものね」
舞は呑気に感心している。だが、もし由伸が狙われたら――!
「獅子に率いられた百の羊は、羊に率いられた百の獅子に勝るというが……やれやれ、これは」
「言ってる場合じゃないですって!」
ともかく、この場を離れなければ――しかし、どこへ? ――本当に訓練されているのなら、逃げ場などなさそうだ。
それでも、どうにか隙をうかがうも――楓はゾクリと身を震わせる。それはステージに立つ舞のような存在感――同種として、舞本人も気づいたらしい。群衆をかき分けながら壇上に――日焼け少女に向けて一直線に突き進む女がひとり。長いポニーテールをなびかせて、まとわせるのは狂気――殺気――楓も一度、新歌舞伎町の路地裏で相対したことがある。これは止めないと、本気でマズイ――!
だが――
日焼け少女が逃げることはない。明らかな敵意を向けた女が迫ってきているのに、まるで気づいていないように、まったく危機感がないように、いまなお平然と踊り続けている。そこに向けて、棒を振りかざした女が跳躍――明確に頭部を狙った殴打――しかし――外した――? ポニーテール女による鋭い一閃が空を切り、硬いステージ台を打ち付ける。カン、と乾いた音が響くも、そこからすかさず流れるように第二撃が繰り出された。今度は周囲すべてを振り払うような横薙ぎ――だがこれも――日焼け少女はふわりと頭を低くして難なく回避。それはまるでダンスのようだ。もはや、カンフー映画的なパフォーマンスにも見える。
それで、楓はようやく気付いた。彼女は、この島で最も長く暮らしてきて――このような襲撃にも慣れている。だからこそ、最も厄介な殺人ポニーテールを引き付ける役目を担っているのだ。
それを見て、楓の意思は定まる。――ここは、逃げるべきだ。ステージの上で、身体を張って引き留めてくれてる間に――!
だが。
「ちょっ、バカ!」
そんな献身的な立ち合いを前にして、舞は自らステージへと走っていく。格闘技の心得があるのは知っているが、相手は凶器持ちだ。危険すぎる。由伸も止めようとしたが、一歩踏み出したところで足を止めた。それで、楓も気づく。――もしかして、武装集団の次のターゲットは、私たち――?
気づけば、元々集まっていた男たちはもういない。棒を構えた女たちの中心にいるのは楓と由伸だった。ステージの上では、いまも日焼けとポニテが華麗な演舞を繰り広げている。どうしよう? ――楓は不安な視線を由伸に送ることしかできない。
だが、その返答は、こともなげなため息ひとつ。
「モテる男はツライねぇ。けど――」
由伸はそう言って、楓をひょいと担ぎ上げる。それも、俗にいうお姫様抱っこで。
「いまはこのコひとりと決めてるんだ!」
「!?」
背中と太ももが由伸の逞しい腕に包まれて――羞恥も衝撃もすべてを超えて、楓の思考は完全に停止した。ぐんにゃりした女子を担ぎ上げたまま、由伸は森のほうへと駆けていく。これに、女たちが襲ってくることはない。動けなくなるほどの怪我を負った男もいないようだし、どうやら、目的は打ち倒すことではなく、集会を解散させることだったようだ。
少し走ったところで、由伸はふっと足を緩め、振り返る。楓も気になってそちらを見るが、追ってくる気配はない。楓もようやく安堵し、舞もきっと無事だろうと胸を撫で下ろす。
だが――
気の緩んだ瞬間、いま自分がどんな格好で、誰に抱きかかえられているのかを再認識し、全身が再び硬直してしまう。
「このまま抱かせてもらうのも光栄だが……立てるようなら、試してみる?」
「はいっ!」
勢いよく返事をしたはいいものの、膝に力が入らず、立ち上がった瞬間にぐらりと揺れた。由伸がすかさず楓の腰を支える。その手は決していやらしくはなかったが、必要以上に優しい。背中をゆっくりと撫でるような動きに、楓の心拍が跳ね上がる。裸の胸と胸が触れあうほどの距離――これは何度も夢にまで見たシチュエーション――!?
「舞姫が無事なら……このままキミを全部いただきたいところだが」
耳元に落とされた低い声。楓の頬は一気に真っ赤になる。あの女なら絶対無事だから――! そんな言葉が喉まで出かかるが、いまはイチャついている場合じゃない――!
必死に頭を振って理性を取り戻そうとしたそのとき、木陰から落ち着いた声が届く。
「あなたたちは、まだ大丈夫みたいですね」
女の声――第三者の接近に、楓は我に返り、反射的に由伸から距離を取った。
現れたのは、ローブをまとった女性――襲ってくるようなら殴り返してやる、という気概で楓は構えるが――武装しておらず、手ぶらだった。どうやら、敵意はないらしい。相手の声は穏やかだったが、その表情には隙のない冷静さがこもっている。
「ついてきて」
短くそう言われ、楓は警戒しながらも、その背に従うことにした。相手が女性ひとりなら、最悪の場合でも由伸がどうにかしてくれるだろう。そう思えば、一歩踏み出す勇気も湧いてくる。
その女は、他の者たちと同じく布を巻きつけて膝丈のローブのようにまとっていた。やたらと胸が大きく、長くうねる髪はライブハウスのダンス・リーダーであるリリザを思い出させる。だが、まだ敵か味方かわからない。なので、警戒は解かず、黙ってふたりは続いていく。
しばらく歩いた先の開けた場所でしゃがみこんでいる人物が見えた。それが同じようなローブ姿だったため、楓の緊張感は一気に高まる。だが、よく見れば――ミハルだった。特に何かされた様子もなく、どこか抜けたような雰囲気は変わらない。その姿に、楓はようやく心から安心することができた。
楓たちの姿に気づいたようで、ミハルがのんびりした口調でつぶやく。
「いやぁ、事態は思ってたより進んでたみたいだよぉ。情報のアップデートは怠っちゃダメだねぇ」
楓は、どういうことかと問いただそうとしたが、その前にミハルからローブを手渡された。それは縫製された衣類ではなく、ただの大きな布に近い。着方もわからず戸惑ったが、とりあえず身体に巻きつけておくことにした。同様に、由伸も受け取っていたらしい。それだけで、何だか気持ちを落ち着かせることができた。
ふたりが身なりを整えたところで、ここまで案内してくれた女性はようやく名乗る。
「私のことは、
そこで、楓も名乗り返す。どうせ芸名だし。一方、別名を持たない由伸は本名を口にした。一応多少は世に知られている人物ではあるが、ヌード写真家だけに美守にとっては既知ではなかったらしい。
さて、ようやく話が通じそうな現地の人間と会ったわけだが――由伸は早速苦言を呈する。
「たしかに美女だらけだけど……笑顔とセットじゃないと、ハーレムとは呼びづらいね」
由伸は、辺りを見渡しながら冗談めかして肩をすくめる。
「それについては……ごめんなさい。私たちの所為です」
美守は、どこか覚悟を秘めた態度で応じてくれた。
「私たちは実験に応じる“フリ”をして、危険な薬物を持ち込んだんです」
「……“ホーニィ・リデンプション”のことだねぇ」
ミハルの言に、楓は首を傾げる。
「ホニクレじゃなくて?」
聞き間違いであってほしい、と楓は願う。これ以上、危険な薬物など増えてほしくない。だが、それは紛れもなく別物であった。
「ホニクレが媚薬なら、“ホニプション”は逆媚薬ってとこかなぁ」
ホーニィ・クレイブがホニクレなら、リデプションは“ホニリデ”じゃないのか――ああ、言いづらいからか――楓は、真顔でそんなことを考えていた。
「さっき、コサカさんに処方したものだよぉ」
ミハルはシレっと言うが――そんな危険な薬物をコサカに――!?
「もちろん、適切な分量でねぇ。麻薬は処方次第で毒にも薬にもなるから」
ミハルはあくまで自然体だったが、楓の頭の中には警報が鳴り響く。――いま、麻薬って――? それをさも当然に言うのだから、楓にはドン引き以外の感情が見つからない。
だが、由伸は普通に合点がいったようだ。
「熱を冷ます薬ってことは……つまり、恋をクールダウンさせる“失恋薬”ってやつかい?」
「冷めるだけなら良かったんだけど……」
美守の声色は少しだけ陰を帯びていた。
「愛と同量の憎しみをぶつけることで、愛は相殺できるんだけどねぇ」
ミハルが続ける。
「でも、臨界点を超えると、愛の分だけ憎しみが暴走するから、適量が難しいんだよぉ」
「――そこが、“愛と憎しみは表裏一体”と呼ばれる所以ですね」
その言葉とともに、どこからともなくカリンが姿を現した。他の誰とも違って、彼女は新歌舞伎町の公園のままの姿で来ている。裏方で統括すべき者が現場に現れた――それは、現在が重要な局面にある、ということを意味するのだが。
「……てか、なんでカリンだけ服着てるの」
楓が口を尖らせた理由はそこだった。カリンは涼しい顔をして、特に気にする様子もない。なので、ここは由伸のほうから妹がここまで足を運んだ事情を尋ねる。ただ、なんとなく察しはついているようだ。
「宇宙的センスによると、これがキミの見せたかった“愛と憎しみの終着点”ってことかい?」
どこか半分皮肉を込めてカリンに問いかける。楓も同じ気持ちだった。もしここが本当に宇宙人の監視下にあるのだとすれば、こんな危険を見落とすことはあり得ない。だとしたら、あえて自分たちを襲われるような場所に放り込んだということだ。
由伸の問いかけに、ミハルが一言添える。
「これは予測可能な範囲だしねぇ。こんなの、わざわざ体感したくはなかったんだけどぉ」
ミハルは別行動であったが、どうやらそれなりにひどい目には遭っていたらしい。苦言は冗談のようでもあり、本音のようでもあった。カリンは、三人から責められたことで肩を落とす。
「もちろん、危険がないように配慮はしてたんだけど……」
申し訳なさそうに口にした。それを聞いて、楓は思わず尋ねる。
「ということは、舞も大丈夫なの?」
これにはカリンより先に、襲撃側に属する美守が答える。
「
言い淀みながらも、そう釈明する彼女の様子から察するに、女性であれば安全だという認識でよさそうだ。
ならば、あとはカリンからの説明が残る。
「……こんな話、聞いてなかったんだけど」
この島はヌーディスト・ハーレムとのことだったのに、実際に出くわしたのは女暴行集団である。もし、他の男性たちに巻き込まれて由伸が殴られていたらどうなっていたことか。
楓がじとっとした目で睨むと、カリンは観念したように事情を話し始める。このような状況であることを承知で楓たちを送り込んだ理由を。
「我々の星も……まあ、カリンがそこに居着いてからまだ二十年そこそこなので、直接見てきたわけじゃないんだけど……」
そう前置きしたうえで、彼女はどこか機械的に言葉を紡いだ。
「人体そのものを媒介とした繁殖には、どうしても身体的な負担が生じるから。それで、我々の文明では人工繁殖と長寿化を選択したんだけど……結果として、それが文明の停滞を招いてしまったみたいで」
前置きが複雑すぎ! 要点だけ話して――! と楓は心の内で抗議するが、自分以外はさも当然のように聞き入っているので、大人しく口をつぐんでおくことにした。
「おいおい、バトンを受け取った連中は優雅なアフタヌーンティーでも嗜んでいたのかい?」
由伸の問いかけに、カリンは少し視線を落とす。
「繁殖そのものはシステム化されてるから、それは良かったんだけど。ただ……その後の育成には、誰も関わろうとしなくなって」
「育成までシステム化すれば良かったんじゃない?」
楓が疑問を投げかけると、カリンは静かに首を振る。
「育成を完全にシステムに任せにしちゃったら、文化が進化することはないんだよ。回転寿司がお寿司の文化を衰退させちゃったようなものだね」
「なるほどぉ。お店で機械を操作する人も、工場で設計する人も、自分の手でお寿司は握れないからねぇ」
寿司職人の技術を
そのとき、由伸がやや皮肉を込めて問いかける。
「……それで? ここで人類の“愛の進化”でも観察してたのかい? ずいぶんスリリングな自由研究だね」
それに対して、カリンはあくまで真面目な顔のまま答える。
「正確には、“効率的な自然繁殖の推進”だよ」
ハーレムと呼ばれながらも男性比率が高いのは、そういうことだ。ここまでの違和感が少し解けたところで、楓は少し口を引き結びながらそっとつぶやく。
「……そうやって、効率ばっか求めてるから、
カリン星って――その安直なネーミングにカリンは思わず苦笑する。しかし、惑星の名前を無闇に伝えるのは地球人の文明に悪影響だし――まるで自分の星のように言われるのは荷が重いが、せっかくつけてもらった仮名をありがたく頂戴して、そのまま話を進めることにした。
「……そうかも、しれないね」
繁殖の効率化――それを否定しないカリンの反応に、楓の首筋に冷たい汗が落ちる。要するに、この島は――宇宙人による“人類の繁殖実験場”だったということだ。まるで悪夢のような、ぞっとする現実。ディストピアと呼ぶにふさわしい、そんな場所に、自分たちはいま立たされているのだと、楓は静かに息を呑む。
一方で、研究者のほうにそれを危惧する倫理観はないらしい。
「なら、なんで“ホニプション”を?」
ミハルが気にしているのは、むしろ逆媚薬のほうだった。性欲を減衰させたところで、繁殖行動が促進されるはずがない。だが、それは宇宙人としても望むところではなかったようだ。カリンではなく、美守がうつむきながらそっと口にする。まるで、罪を告白するように。
「それを……持ち込んでしまったのは、
何でそんなことを――楓の疑問は置いていかれたまま、由伸は皮肉を込めた微笑を浮かべている。
「へぇ……で、その禁断のレシピを思いついたのは、恋に狂った天才か、それとも、欲に溺れた夢想家かい?」
その口調には、どこか確信めいた響きがあった。
楓は、知っている研究者の顔を思い浮かべる。
「ミハル……? ハシム……? それとも……いや、さすがにハロクドは関係ないか……」
その名を出されたミハルが、笑いまじりに答える。
「もちろん、ハシム教授だよぉ。少子化対策や人工繁殖、ホルモン制御なんかは、あの人の専門だからねぇ」
当然、由伸は察しがついていたらしい。
「楽園の設計図にはいつだって悪魔の思惑が紛れ込んでいるものさ」
だが、楓には何のことだかわからない。それを察して、カリンがもう少しかみ砕いて解説する。
「ハシム教授が
何故なら、このハーレム島は宇宙人にとって貴重な観察対象なのだから。
「ということは、間接的に……?」
楓は自分でつぶやきながら思い出す。逆媚薬を持ち込んだのは美守たちだと本人が言っていた。しかし、作ったのは島にいるはずのハシム教授で――
「……逆輸入?」
教授が作ったものを一度外に出して、美守たちに運び込ませた? ――楓の結論に、由伸はもう一押しの推論を重ねる。
「事故か盗難か……ずいぶん
そんな皮肉を、ミハルも肩をすくめるように受け止める。
「うん……なーんか、確信犯っぽいんだよねぇ……信じたくはないけど」
地下研究所とは、機密情報を飯の種にしているような施設だ。その第一人者が、みすみす
一方で、カリンも首を傾げる。
「地下研究所の皆さんは……研究以外に興味のない、とてもピュアな方々だと認識していたのですが」
「そうだよぉ。みんな、研究の気分転換に研究するような人たちだからねぇ」
デスクワークが苦手な楓はゾッとする。が、ともかく、本来は研究自体が目的であるため、そこから何か別の思惑で行動することはないようだ。
にも関わらず。
「……誰にも気づかれずに、この島は“愛のオアシス”から“憎しみの実験装置”にすり替えられちまったってわけか」
由伸が低くそう言ったとき、楓はとうとう堪えきれずに口を開く。
「……さっきから、実験だの観察だのって……宇宙人も地底人も、人間をなんだと思ってるの?」
さっきからどこか現実味のない議論を交わしているが、楓を苛立たせる話題であることには違いない。
「少なくとも……この島で行われるのは、幸せな繁殖行動の推進、だったはずなんだけどな」
それも怪しいものだ――そもそも、地球人と倫理観が異なるかもしれない――楓はそう疑うも。
「人道を無視して推し進めても、“カリン星”には持ち帰れないだろうからねぇ」
ミハルに言われて、楓もそこだけは信じることにした。なお、ミハルはかねてよりの協力者として“カリン星”の本当の呼び名を知っているが、それゆえにあえて伏せ、楓の名づけに乗っている。
「で、結局、ハシム教授は何がしたいワケ?」
情報があまりに多く、楓の理解は追いつかない。
「心を凍らせる毒をそっと愛に混ぜ込んで……その影響で社会がどう崩れていくかを見ようってわけだ」
比喩を交えながらも、由伸が簡潔にまとめる。それはミハルも同意見なのだろう。だからこそ、ぼやく。
「……その程度なら、高精度で予測できる範囲なんだけどぉ」
わざわざ島を使って実践するまでもない――そう言いたいようだ。
そして、カリンも――より恐ろしい事例を挙げる。
「実際、地球人も我々と同じ方向で進んでるし」
世界人口は、二十一世紀末期頃、百億人をピークに少しずつ減少しているという。だが、楓は相変わらず“主語の大きい話題”についていけない。
「……えーと……つまり……?」
そうつぶやいた楓に、カリンが言いづらそうに、ぽつりと告げる。
「つまり……人類の滅亡、だね」