ストリップ・リデンプション - 憎しみを脱ぎ捨てて 作:添牙いろは
「えっ!?」「なっ!?」
カリンとハシム教授が同時に声を上げる。だが、楓の中には揺るぎない確信があった。
この状況は、教授がとらわれの身であり、楓たちは少々警戒しつつも、カリンは全面的に教授を信用している構図だ。教授にとって、目の前のふたりは救いの手のはず――
しかし楓は
形式的に淡々と切り捨てる者がほとんどだが、まれに――不自然に下手に出る上司もいた。『キミは悪くない。次の面接では、うちのことを悪く言ってもいいからね』――本心では、ようやく不要な
教授の言葉がすべて嘘というわけではない。TRKが金銭目的で近づいたという話も、資金が潤沢な教授に援助を求めた可能性もある。しかし短いやり取りの中に虚実が入り混じり、楓には上から目線なのか助けを求めているのか判別がつかなくなっていた。だから、決定的なことを確認したのである。プロデューサーは自由の身なのか――
しかし――その答えは――いや、
短い沈黙。胸の鼓動が、不安に合わせてわずかに乱れ、痛みを伴った。やはり、TRKは教授に仇なす存在ではなく、教授のありよう自体が根底から偽りだったのだ。
カリンには楓の感覚は理解しにくい。それでも彼女は楓を信じることにした。
「教授……お願いですから、本当のことを話してください。我々にできることでしたら、協力しますので」
柔らかな声色で、カリンは真っすぐ教授を見つめる。視線の奥には迷いと誠意が混じっていた。
カリンが楓の側についたと悟り、ハシムは首を垂れる。小さく吐息を漏らすと、手首を繋ぐ鎖がかすかに擦れ、冷たい金属音が部屋に響いた。足元には柱の影が長く伸び、重苦しい空気がさらに増している。
「わかった……もう、私が何を言っても、信用はしてもらえないようだ」
「本当のことを言ってくれれば信用するんだけど」
楓が素っ気なく返すと、ハシムは視線を自分の腹部に落とす。
「リモコンは、左のポケットに入っているよ」
教授の口元が、ほんのわずかに歪んだように見えた。そこはかとなく愉快そうな笑みを浮かべており、何かを企んでいるのは間違いない。
「キミたちが何もしなければ、防犯用ホムンクルスはそのまま暴れ続けることになる。それは、私としても困るのだがね」
カリンは少し眉を寄せた。実のところ――楓はこうした駆け引きに向かない。先ほどあれほど露骨に疑念をぶつけたことで、教授は以後嘘をつくまい。だが、真実を巧みに隠し続けることはできる。楓にその機微を見抜くのは難しい。現に、楓は――おろおろと視線を泳がせ――明らかに、迷っており、その視線はカリンに助けを求めている。やはり、このあたりで選手交代か。楓に代わって、カリンは教授に問いかける。
「いまホムンクルスたちを止めれば、お兄ちゃんたちは助かるんですか?」
「……こちらに猶予はたっぷりある。ホムンクルスたちがここへやってくるのも時間の問題だろうな。じっくりと考えるといい」
その返答は、由伸たちについてすでに手遅れであることを暗に示していた。すぐに命を奪うことはしないだろうが、時間が経つほど状況は不利になる。理由はホムンクルスの襲撃ではない。もっと別の、恐ろしい企みが進行しているはずだ。
このフロアは――カリンの宇宙計測機器を妨害する宇宙電波で満たされている。何が、どこから来るのかは掴めない。おそらく、宇宙脱出装置も機能しないだろう。扉は、いまは閉じられているが、次に開くとき――何が起きるかわからない。
カリンが少し迷っていると、楓が思いついたように小声で告げる。
「とりあえず、リモコンだけ奪っておこうか?」
「……そうだね」
手札は多いに越したことはない。カリンもまた、そう判断した。
一方で、ハシムは、この状況でも優位を確信している。たとえ、楓に嘘が通じなくても、その程度で立場が逆転することはないのだと。そんな教授の白衣のポケットに、カリンはゆっくりと手を入れる。その隣で楓は拳を握り込み、全身に力を溜めていた。少しでも不審な動きを見せれば、ためらいなく蹴りを叩き込むつもりで。
たしかに、左側のポケットにはそれが入っていた。スマホに似た携帯端末で、横のスイッチを押すと画面が点灯する。
だが――
「……ナニコレ」
その画面を覗き込んで、楓は思わず眉をひそめる。そこに文字の類は一切なく、カラフルなフラットボタンが並んでいるだけだった。赤は何となく危なそう――楓の感想はその程度である。
おそらく、この端末で施設内の様々な機能が作動するのだろう。一つひとつの機能を聞き出そうとすれば、何やら無駄話を含めて饒舌に語り始めるに違いない。教授は、時間を稼ぎたい立場なのだから。
ゆえに、その中のひとつだけ、カリンが尋ねる。
「この部屋の扉のアンロックは、何色のボタンですか?」
ホムンクルスの停止ではないのか、と楓は少し意外に思う。しかし、いきなり本命のボタンを押せば何が起こるかわからない。もし『停止』ではなく『自爆』だった場合――たしかにホムンクルスの挙動は止まるが、由伸たちの身に危険が及ぶ可能性がある。だからカリンはまず扉を開けることを選んだ。もし、逆に閉鎖されても、教授の身柄がここにある以上、部屋や建物ごとどうこうすることはできない。ならば、持久戦に持ち込める余地はある。
「青だよ」
ハシムの返答に、カリンは楓にじっと視線を向け――楓もまた、ゆっくりとうなずく。嘘ではなさそうだ。
カリンは慎重に青のボタンをタップする。
だが――
「!」
何かを察したカリンが、突如楓を突き飛ばす!
「!?」
直後――ドゴォンッ! という地鳴りとともに、天井から落下してきた巨大な試験管状のカプセルが床の鉄板に突き立てられる。楓もカリンもかろうじて無事だ。しかし――ふたりは分厚いガラスによって隔てられている。その内側でカリンの手が何度も壁を叩くが、逃げ道はどこにもない。冷たく透き通った空間に阻まれ、外界を拒むように光を弾いていた。
「カリン!?」
楓は反射的に巨大試験管に向けて飛び蹴りを放つ。しかし、その踵はあっさりと弾かれた。床を転がりながら、楓はカリンに呼びかける。
「そんな! 嘘は言ってないはずなのに!」
「嘘などついていないさ」
ハシムはカシャンと自ら拘束を外す。その程度のことは楓も想定していた。だが、リモコンを奪い返されてはまずい。楓は端末を抱きかかえるようにしっかりと確保する。
「ただ……その端末には“生体識別”が搭載されていてな」
そう言い、ハシムはカリンを見やる。
「キミたち地球外の人物や、例のTRKの連中がスイッチをタップした場合、
一人ひとり登録するのは手間だったがね、と口元にうっすらと笑みが浮かべ、瞳には小さな愉悦の光が宿っている。まるで舞台の幕間を楽しむ観客のように、余裕の姿勢でカプセルの中のカリンを眺めていた。
その言葉に――カリンは小さくうつむく。胸の奥に広がるのは、怒りよりも無念さ。ほんの少しでも油断しなければ防げたかもしれないという思いが、静かな重みとなって心を沈める。地球の損得勘定にはそれなりに通じているつもりだったが、純粋な悪意による罠――その手管は、やはり本場の地球人のほうが数段上手だったらしい。決して褒められたことではないけれど。
自由の身になったハシムはゆっくりと立ち上がると、楓を一瞥することもなく壁際へ向かった。そこには小さなスイッチがずらりと並んでいる。
「何でも宇宙テクノロジーに頼っていると、足元をすくわれるものだよ」
いくつかのスイッチをパチン、パチンと上げる。直後、壁際の床パネルが二枚ほど、音を立てて開いた。落とし穴かと身構え、思わず楓は足元を見下ろす。だが崩れる気配はない。
開いたパネルから、壁際のものと同じような試験管状のカプセルがふたつほどせり上がってくる。その中で、ホムンクルスのように薬剤の中で浮かんでいるのは、ローブを剥されたミハルと、そして――
「由伸さん!?」
「どうやら、この男はキミの彼氏のようだが――」
「由伸さんに何してんのよ!」
楓は勢いのまま殴りかかる。しかし――
「ぎぅっ!?」
片腕で軽く振り払われ、激しく床に倒れ込む。それでも持ち前の柔軟性で素早く起き上がり、端末だけはしっかりと握りしめていた。男に殴られた経験が初めてではないこともあり、その衝撃を呑み込みながら体勢を整える。
「筋肉構成比率が男の六割り程度の女の腕で、私に太刀打ちできるとでも思ったか?」
その声には、研究室にこもるだけのもやし男ではないたしかな自信が見られる。教授はスイッチ盤の前から動く気配がない。どうやら――スイッチを操作して由伸を救いたければ、何度でもかかってこい、とでも言いたいようだ。自分が圧倒的に有利なのを承知のうえで。
「なに? 腕力で勝てるように、女のホムンクルスばかり作ったのかしら?」
楓の挑発を、ハシムは鼻で笑う。実際のところ――女ばかりである理由は楓も察していた。結局、男なんて――
「ふっふっふっふ……」「くっくっくっく……」
互いを嘲るような笑いが短く交わされる。
「だが、飽きた」
ハシムは急に笑みを消し、低く告げる。
「そう、飽きたのだよ」
楓は心の中で、きっとこの男はホムンクルスを抱くことに飽きたのだろうと見立てる。すべてが自分の思い通りになる相手――
「そんなとき、地球外生命体を名乗る連中が現れてな」
おそらくそれは、カリンたちのことだろう。
「新たな叡智を得たが……それでも、私の退屈は紛れなかった」
「それで……地球を?」
「うむ。いい機会だから、滅ぼしてやろうと思ってな」
とんでもないことを軽い口調でこぼすハシムに、楓は短くため息をつく。アニメや漫画の主人公なら、ここで『貴方の身勝手でみんなを云々!』とでも言い返す場面なのかもしれない。だが、楓は主語の大きい話に興味が持てず、どこか他人事のように響く。実際、ダンサーを目指し、落選や拒絶、嘲笑を浴び続けていた頃は、教授と同じく『もう地球なんて滅んでしまえ』と何度も思った。ゆえに、一定の共感は否めない。
だが、いまは状況が変わっている。ストリップ・アイドルという歩みたい道があり、由伸もいる。そんな地球なら、できれば滅んでほしくない。なので、一応の説得は検討してみる。
「教授には、やりたいことってないの?」
話で聞いた限り、地下の研究者というのは、さぞ充実した研究ライフを送っていると思っていたのだけれど。
「もうないな。いまさらやりたいことは……まあ、人類が醜く争いながら衰退していくのを眺めさせてもらうくらいか」
邪悪な隠居老人のような言葉に、楓は心底鬱陶しさを覚える。ただひとつだけたしかなことは、かつてこの男にも目指す夢や目標があったということだ。しかし、それが絶対に叶わないと絶望し、諦めた――その怨念が全身から漂っている。もはや、地球上のすべての人類を憎むほどに。
楓はこれまでの会話を頭の中で整理する。すべてを一字一句覚えているわけではないが――特に印象に残ったのは『自分が死んでも、代わりはいくらでもいる』という言葉だ。これほどの研究者ならば、自分を唯一無二と考えていてもおかしくない。なのに、その発言には本気の落胆があった。だからこそ、楓は混乱したのである。お前のような存在が何人もいてたまるか――そう思わずにはいられないほどに。
もうひとつ、『時間はたっぷりある』という言葉にも引っかかっている。虚勢ではなく、本当に余裕をもって構えている口ぶりだった。
「由伸さんは、これからどうなるの?」
時間が経てば経つほど悪い状況になるのは明らかだが――
「なに、この生命維持装置は優秀でな。何ヶ月でもこのままだろう。それに、キミが望むのなら、この男を解放してやってもいいぞ」
そんな甘言に、楓はもう騙されない。
「けど、
当てずっぽうで口にしたが、何か企みがあるのは確信している。言葉の間に、しんとした沈黙が落ちた。ハシムの眉がかすかに跳ね、場の空気が張り詰める。
「例外というより、条件と表現すべきだが」
ハシムは言葉を正し、淡々と続ける。
「この男にはホーニィ・リデンプションを投与させてもらう」
「ホニプションを!?」
それは――性欲を失わせる薬物のこと――!
「恋人への愛を失ったその男と、どのような末路を辿るか……ククク、それを楽しませてもらおうと思ってな」
その一言で、ハシム教授という人物が
「いいわよ。やってみなさい」
「……なに?」
意外そうに眉を上げるハシム。
「もはや、この男はお前を女として見ることはないぞ。それで――」
「まあ、それは少々寂しいけどね」
楓の視線は揺らがない。見据えているものは、もっと遠くにある。
「私は……ストリップ・アイドルだから」
自らの存在を支える中心を、静かに、しかし強く口にする。
「そして、由伸さんは、ヌード・フォトグラファー」
互いが別の道を歩んでいても、その根底には同じ価値観がある。
「性を超えた美に同じ思いがある限り、私たちは決して離れることはない!」
その啖呵を受けて、ハシムは少し意外そうに思案していたようだが――楓の真剣な面持ちに、彼は思わず吹き出した。
「ポルノカメラマン風情が性欲なしに写真など撮れるはずがないだろう。ましてや、裸体を晒すことしか能のない
この程度の通り一遍の悪意など、楓は聞き慣れている。むしろ、かつては教授の言うような写真で生活費を補っていたからこそ――
「あなたの哀れな美的センスでは、そうでしょうね」
――由伸の撮る作品との違いをはっきり理解している。凛とした反論に、ハシムの顔がわずかに歪んだ。
「どうせ、このホムンクルスとやらだって、セックスの相手として作っただけでしょ。女をそんなふうにしか見てないから……貴方、
楓は挑発を込めて言い切った。これには相手が悔しさに歯がみするかと思えば――ハシムは逆に冷静さを取り戻している。先ほどの楓と同じように――男も、この程度の罵倒は数え切れないほど浴びてきた。その度に、口にした相手の人生を徹底的に破壊してきている――今回も、同じように処断するだけだ。
「よろしい。では、キミたちの美を証明してもらおうではないか」
視線の奥に、怪しげな光が宿る。
「キミの持つリモコンの、黒のボタンをタップしたまえ。そうすれば、その男から性欲は失われる」
「上等ッ!」
楓は迷わず黒いボタンに触れた。
これは失恋ではない――新たなステージへの昇華なのである。
一生独り身でもかまわない。生半可な覚悟でこの道を選んだわけではないし、恋に浮つきながら踊るつもりもない。
私は――ストリップ・アイドルなのだから――!
とはいえ。
変わっていく由伸の姿は見たくない。楓は固く目を閉じ、ただ耐える。しかし――その耳に、不穏な音が響き始めた。
プシュゥ、ガコン、ザバァ、プシュゥ――
「なっ、何だ!? 何が起きている!?」
ハシム教授から動揺の声が上がった。どうやら本人にとっても想定外の事態が発生しているらしい。その騒ぎに釣られて楓は思わず目を開けると――壁に並んでいた巨大試験管が次々と持ち上げられていく。当然、由伸やカリンを閉じ込めていたカプセルも同じように解き放たれた。
「由伸さん!」
「ぅ……く……うぅん……」
楓は駆け出す。由伸はぐったりとして、まだ寝起きのように意識が朦朧としているが、どうやら無事らしい。
そして、カリンも。
「ミハルさんも大丈夫ですか?」
その声かけで、彼女たちも捕まっていたことを楓はようやく思い出す。恋人の危機だったとはいえ、あまりに無関心すぎたかもしれない。楓は少し申し訳なく思うが、当の本人は気にしてなさそうだ。
「いやぁ……私自身が研究材料になっちゃうとはねぇ。こいつは、因果応報ってやつかなぁ」
何やら少し恐ろしいことを言っているが、どうやら無事らしい。
「バカなっ! バカなッ!? 何故、何故こんなことが……ッ!」
教授は狂ったようにスイッチを上げ下げしているが、制御盤はまったく応じない。
そのとき――
「……ふっ、宇宙テクノロジーの前に、地球のソースコードをきちんとリファクタリングしたほうがいいんじゃない?」
その声と共に、天井の影から別のカプセルが音を立てて降下してくる。ゴンゴンと鈍いエンジン音を響かせながら、ゆっくりと。その存在感に場の空気が張り詰め、誰もが息を呑んだ。丸い屋根の部分には、人影がひとつ。悠々と腰を下ろし、足を組んでいた。
内側に軽くカールさせているすっきりしたボブヘアに、冷たい眼差し――他の島の人々と同様、その身には何も着けていない。それでも、実に堂々としていた。そして――野外ステージで見た卑猥な刺青が
「希店長!?」
しばらく姿を見せなかった店長が、まさかこんなところに現れようとは。楓の驚きをよそに、希は高みから悠々と教授を見下ろしている。
「生体識別の例外処理が抜けてたみたいだから、書き加えておいたそうよ」
「え? え?」
楓は状況を飲み込めず、ただ目を瞬かせる。そこに、さらにもうひとつのカプセルが下りてきた。その上にも、裸の女が座っている。きちんと膝を揃えて。だが、彼女に楓は見覚えがなかった。
「つまり……
カプセルが地上にそっと着地すると、女性は軽やかに飛び降りた。長く明るい茶髪がふわりと揺れる。その顔立ちは可愛すぎるわけでもなく、身体つきも特別目立つわけではない。だが、足音は静かで、声は誰にでも届くような柔らかさを帯びていた。その一挙一動が際立つことはないのに、不思議と場を満たしてしまう。まるで、あらゆる人の隣に自然と寄り添っているかのように――特別な何かを持たないからこそ、一度見たら忘れることなく、胸の奥底まで染み渡っていくような存在だった。
操作盤の下でうなだれて床に座り込んでいる教授は捨て置き、その女性は楓に言葉を向ける。
「……けど、そのためには、“登録されていない人”にそのリモコンを操作してもらう必要があってね。宇宙人でも、地底人でも、それこそ、TRKのメンバーでもない人に」
つまり、カリンでも、ミハルでも、TRKの一員である希でもダメだった。どこにも属していない、楓だからこそ――
謎の女性が朗らかに説明を続けていると――壁際のカプセルも解放されていたようで、ひとり、またひとりと我に返っていく。だが、その動きにホムンクルスのような薄気味悪さはない。ゆったりと首を傾げたり、肩を回したり――まさに、目覚めの様相だ。
「この人たち……ホムンクルスじゃない……!?」
「みたいだね……」
カリンからきちんと回答を受けて、楓もようやく安心する。つまり、彼女たちは由伸と同じように、教授に捕らえられた者たちだったのだ。しかも、その中には見覚えのある顔も含まれている。それは決して、知り合いというわけではなく――
古竹未兎――!?
それに気づいてなお自分の目が信じられず、楓は何度も写真集の記憶と重ね合わせる。未兎は由伸の撮影に応じたこともあり、その一冊は楓も持っている。魅せ方のバリエーションにも富んでおり、教科書として日々の研究題材として愛読していただけに、その顔もしっかりと記憶していた。最近、歌番組で見かけないと思ったら、まさかこんなところに閉じ込められていたなんて――それでも騒ぎにならなかったのは、新歌舞伎町の黒服の力かもしれない。
しかも、未兎に続いて
しかし――この場に現れたのは、そんな著名人だけではない。
「やぁやぁ、お疲れちゃん。こんなとこまでウチを助けに来てくれはったんか?」
軽口を叩きながら現れたのは、見間違えるはずのない人物だった。液漬けだったので水は滴っているが、その長い髪と、そして幼児体型――一度、リハーサルという形で見せてくれたステージから受けた衝撃は忘れようもない。彼女はにやりと唇を歪め、軽く髪を掻き上げる。声は掠れ気味だが妙に艶があり、立ち姿には余裕が漂っていた。
「エリさん!? ……じゃなくて――」
楓にとっては、やはり先代店長としてのエリが印象に強い。だが、彼女は様々な顔を持つ。Nya-oXのこんなぎを筆頭に、いくつもの芸名を使い分けていた。ゆえに、何と呼ぶべきか、楓は言葉に詰まってしまう。
しかし。
「ま、何でもええけどな。けど、本名は
そうだった――シオリ――一度、TRKを解散させる原因を作ったふたり組のひとりである。糸織は腕を組み、わざとらしく胸を張っていた。それは、あくまで子どもの虚勢のようで、店長時代に見せたような、芯に来るような恐ろしさはない。あのような立ち振る舞いができるのに――いや、できるからこそ、新歌舞伎町の外では
次々と芸能人が現れる中――また別の意外な人物が楓に声をかけてきた。
「あ、“かえっち”じゃん! 相変わらずお堅く生きてる~?」
異様に馴れ馴れしい呼び名に、楓は少しだけ眉をひそめる。しかし――その姿は一度見たら絶対に忘れることはない。身長だけならエリと同じくらいちんまりとしているのに、その両胸は――おそらく、体重の一割を占めるであろう、とんでもないボリュームである。このバランスの悪さは、相変わらずヤバイ。だが、その本人は恥じることなく――ここまで育てば、唯一無二の武器だと誇りを持っているのだろう。その重そうな胸を突き出すように笑って見せる。高めの声にからかうような響きを込め、人懐っこい瞳で楓を見上げていた。しかし――彼女が何故、こんなところに――?
「……貴女は……え……ピーチ!?」
『ピーチ』という芸名で活動していた練習生時代は完全に劣等生だったのに――歌を伴うストリップ・ライブとなった途端、本領を発揮したのが彼女――
「ふたりがここにいる、ということは……」
糸織と桃――加えて、希もそのひとりだと聞いている。楓は胸の前で手を強く握りしめ、視線を彼女たちに注いでいた。
「そ♪ あたしたちは――」
「プロデューサーさまを救出するために、この島に潜入したのですが……」
桃の言葉を遮って、凛とした声が響く。背丈は糸織や桃と同じく小柄の部類に含まれるが、彼女は背筋をぴんと伸ばし、顎を少し上げて毅然としていた。澄んだ声色に揺らぎはなく、どこか舞台女優のような品が漂っている。だが、楓にとってその顔はどこかで見覚えがあるような、ないような――
「!」
隣でカリンがビクリと身をすくませたのを見て、楓は思い出した。あのとき――店の金を持ち逃げしようとした初代店長と対峙した際に、颯爽と現れて助けてくれた貸金会社の女社長。その人が、何故いまここに――? いや、この様子だと彼女もまた
そこに、また別の女性が話に加わってきた。眼鏡をかけ、頭の上で結われたお団子は水を吸って崩れそうだ。彼女は困ったように笑みを浮かべ、指先で眼鏡を押し上げる。声にはほんのり訛りが残っており、柔らかい。
「いンやぁ、みんな揃って……なぁ」
「あれ? 貴女は……えー……」
記憶の奥に引っかかっているのに、すぐには名前が出てこない。しかし相手のほうは、しっかりと楓を覚えていた。
「あたすらは、ずーっと楓ちゃんたちのことを見守っとったよぉ。あたすは……『からおけや』の受付からなぁ」
言われてようやく思い出す。この街で田舎丸出しの人は珍しい。――それにしても、カラオケボックスの受付の人までとは。さすがにここまで来ると、楓には驚きしかない。
さらには。
「あとは喫茶店にも勤められてましたよね。新歌舞伎町に挑もうとする女のコは、大抵あのお店で打ち合わせするから」
続いて、もうひとりやってくる。髪は短く、のんびりとした雰囲気だ。彼女が頬を掻きながら柔らかく微笑むと、場の空気がゆったりと和らぐ。
どうやら、お団子の女性はあの界隈でバイトを掛け持ちしていたらしい。それで、訳ありそうな女子に声をかけていたのだろう。ある種の審査官として。自分たちの世界で耐えられる人物か、否か。
「
ずっと見守ってくれてた、ということは、私は適正あるのかな? ――そんなことを思いながら、花子と親しげに話している女子を少し眺めていたが――
「……!?」
その顔、その声――今度こそ、見過ごすことはない。心臓が早鐘を打ち、思わず前へ踏み出す。
「あ、貴女は……!」
ふたりの間に、楓は思わず割り込む。
「る……
彼女は最近デビューしたばかりの新人アーティストである。Lunaruは少し照れたように頬を赤らめ、両手を前で揃えて立っていた。声は少し高めで、緊張を隠すように抑揚を控えめにしている。楓はずっと彼女のファンで、ストリップ試験の課題にさえLunaruの曲を選んだほどだ。感激のあまり、楓には言葉が続かない。
「あ、私のこと知っててくれたんですね。嬉しいです」
新人らしい謙虚さで、Lunaruは頭を下げた。その姿に、楓は胸がいっぱいになる。
「
やはり、あのバンドのふたりはLunaruと親しい関係にあったらしい。彼女たちは、いまもミトックスの三人と一緒にバックバンドとして活躍してもらっている。以前、天夏たちとハンバーガーショップで食事をしているところを見たことがあるが――一見大人しそうな雰囲気で、あのギャルギャルしいAV女優たちとつるんでいるなんて、どういう関係だ、と訝しんでいたが――Lunaru自身もストリップ・アイドル出身ということなら不思議はない。むしろ、その実力にも合点がいく。楓の胸は高鳴り、頬が紅潮していくのを感じていた。
ここで、部屋の扉がスッと開く。先ほどのリモコン操作によって、ロックが解除されたらしい。
「わー、作戦成功したみたいだねー!」
「オゥ! リューカとマイならもう大丈夫だゾ!」
中に入ってきたのは、さきほど野外ステージで踊っていたふたり――エージェントのモデルと、日焼け少女だった。どうやら彼女たちも、この事件に関わっていたらしい。ただ、エージェントは、まぁ、
「まあ、最後にはどうにかなると信じていましたけれど」
その落ち着いた声に振り向くと――顔の見覚えは怪しかったが、その頭に乗っているメイドのカチューシャ――ヘッドドレスで、楓は誰だかすぐに思い出す。初代メイド☆スター――
そしてもうひとり――同じように疑っていた人物が、ここにいる。
「王子様のためだからと従ってやったが……やっぱコロス……」
「ひぃっ!?」
低くつぶやいたのは――ダンスリーダーのリリザ・シャトレ――うねるような長い黒髪が濡れて肌に張り付き、普段より恐怖が増している。彼女の歌唱力と脱ぎっぷりは他の新人たちとは明らかに違うものであり、いつかその所属を尋ねてみたいと楓は常々思っていた。が、いまこの場で声をかけることはできない。リリザの悪癖――命よりも大事なライブハウスを脅かす存在を本気で狩ろうとする殺意の視線――それは、先ほど天井から試験管に乗って現れた謎の女性に向けられている。普段は大らかなリリザだが、この状態になると刺し違えてでも任務を遂行しようとする恐ろしさがあった。再会の一言をかけたいところだったが――ここは、静かに身を引くしかない。
代わりに、別の人物が現れる。
「お疲れさまでした、
こんなところで“本名”を呼ばれ、振り向いた楓は思わず目を見張った。
「え? え? 貴女は……」
そこに立っていたのは――長い髪にしっかりした体躯――だが、そのプロポーションは立派で威厳を感じさせる――ライブハウス・オーナーの高林だった。だが、その様子はどこかいつもと違って見える。普段からしっかりと着こなしているビジネススーツ姿ではないから――ということではない。その裸の立ち振る舞いが、不思議と板についている。それは、ただ肝が据わっている、ということではないだろう。
「高林さんがここにいる、ということは……」
あくまでオーナーとして、という可能性はないこともない。だが。
「ええ。私もかつては、ストリップ・アイドルとして舞台に上がっていたこともありますよ」
まさかの告白に、楓は言葉を失う。解散したはずのストリップ・アイドル・ユニット――だがずっと、自分はそのメンバーに囲まれていたのだ。
「
高林が視線を向ける先には、例のロングヘアの女性がいた。彼女はひとりの男性と手を取り合っている。おそらく、その人物こそ、探していたプロデューサーなのだろう。
「――同時に、ハシム教授の暴挙を止める……そのために私たちを呼んだのでしょうね。まあ、呼び寄せ方には一言ありますが」
軽く苦言を呈しつつも、眼差しは優しい。その声音には信頼がにじんでいた。――リリザと違って。
楓は高林に問いかける。
「高林さん、あの人は……」
見渡す限り、ホムンクルスの姿はひとつもない。ここに集められたのは、すべてメンバーたちのようだ。おそらく、高林が視線を向ける“彼女”によって、捕獲される形で呼び寄せられたのだろう。目視で数えるにはあまりに多く、ざっと見積もっても二十人以上はいる。
裸の女がひしめくこのフロアの中でも、決して埋もれることのない存在感を放つあの女性は――
「そう、彼女が、私たちのセンターを務める――」
高林が紹介しようとしたのを見計らっていたかのように――話題の彼女は、楓たちのほうへと歩み寄ってきた。
「――ということになってるみたいだけどね」
ちょんちょん、と軽い足取りで楓の前に立つ。
「はじめまして。TRK26の、