令嬢と従僕   作:kiarina

1 / 4
0001

 湯気が立ちこめる空間に、世界の重力が唐突に仕事を投げ出した。

 

「うわあああああっ!? ちょ、床どこっ、床——」

 

 次の瞬間、私は見事な弧を描いて湯船にダイブした。派手な水音。高級そうな浴槽の縁が危うく悲鳴を上げる。

 

(待って、落下のスタート地点は校舎の廊下だったよね? なんでゴールが風呂場?? テレポートは通学路に含まれません!)

 

「……どなた?」

 

 湯の向こうで、銀鈴みたいな声が落ちる。湯気がほどけ、私は目をぱちくりさせた。そこには、髪を上げ、肩に白い湯気を纏った女の子。見た目は私と同年代。けれど、立っているだけで周囲の空気が正座するタイプだ。

 

「す、すみません! 私、通学路を歩いてただけで、いや、違う、たぶん、物理が休暇に入——」

 

「静かにしなさいませ」

 

 指先ひとつで湯気まで止まる勢い。彼女は湯殿の縁に置いた扇をそっととり、閉じて音を立てた。ぱちん。

 

「ここはグラナート公爵家の浴場。無断侵入は死罪でも文句は言えませんわよ」

 

「最初の選択肢が重すぎない!?」

 

 湯からずぶ濡れで立ち上がる私。バスタオルは瞬時に誰かの腕から飛来し、ふわりと肩にかかった。

 

「お怪我はありませんか」

 

 短く、力強い声。見れば、凛々しい女性が控えていた。きびきびとした所作で、私にタオルをもう一枚渡す。

 

「くら……? クラ……」

 

「クララでございます。お嬢様、侵入者は非武装。敵意なしと見受けられます」

 

「侵入者って言い方ァ!」

 

 そこへ、もうひとり。メガネを押し上げる仕草が似合う、冷静そうな女の子が書板を片手に現れた。

 

「セリーヌです。状況を整理しますと、『学園入学前の不審者が浴場に落下』。で、あなたのお名前は?」

 

「お、岡田美佳……です。高校一年、十五歳。たぶん、普通」

 

「普通の定義は不安定ですね。ですが、発話は整然、動作も迅速。取り扱い注意の“普通”と見ました」

 

「評価が怖い!」

 

 最後に、湯殿の柱の陰から、ふわふわの髪の子が顔を出した。

 

「ミレイユだよ。えっと……とりあえず、息はしてる。よかったね!」

 

「最低限の生命確認ありがとう」

 

 そして、湯の前の高貴なる彼女が、静かにこちらを見た。

 

「改めて伺いますわ。あなた、ここにどうやって?」

 

「わかれば苦労しないよ! いや、すみません。たぶん、私、歩いてたら床が穴になって……気づいたら飛んでた……」

 

「穴。床。飛ぶ。なるほど、詩的ですわね」

 

「詩にしないで!」

 

 彼女はゆるやかに顎を上げる。滴る水音まで支配するような仕草。

 

「私はエレーナ・グラナート。この家の令嬢にして、王立学園の入学を控えておりますの。あなたの身元、そして落下経路は後ほど調べます。今は——」

 

 扇が再び閉じる。ぱちん。

 

「名誉挽回の機会を与えます。従僕としてわたくしに仕えなさいませ」

 

「展開早っ!?」

 

 クララが一歩、前に出た。

 

「お嬢様、寛大にすぎます。身元不明の者を側仕えにするのは——」

 

「承知していますわ。でも、まず拾い上げるのが貴族の嗜み。落ちてきた縁は、盤上の駒として扱えばよろしい」

 

「駒とか言われたよ私!?」

 

 セリーヌが書板にさらさらと記す。

 

「選択肢を列挙します。一、拘束して衛兵に引き渡す。二、監視下で帰還方法を模索する。三、契約のうえ従僕とする。……お嬢様が三を選んだ理由は?」

 

「好奇心と、直感。——それと、浴場で出会った仲ですもの」

 

「最後の理由の説得力!」

 

 ミレイユがぱちぱちと拍手した。

 

「面白いから賛成! それに、なんかこの子、ツッコミが早い」

 

「褒められてるのか追い詰められてるのかどっち!?」

 

 私は胸元にバスタオルを巻き直しながら、深呼吸した。逃げ道ゼロ、状況は未知。けれど、目の前の令嬢の瞳は、氷みたいに冷たいのに、どこか楽しそう。悪役令嬢って、たぶんこういう顔するんだ。

 

(どうする、私。ここで“普通の女子高生”ムーブをキメて泣きそうって言う? いや、泣いたら負けだ。たぶん、負けたら更衣室送り)

 

「……従僕って、何をすればいいの?」

 

 エレーナは微笑む。

 

「まずは礼を覚えなさいませ。次に、わたくしの退屈を追放すること」

 

「後半のハードル高くない?」

 

「最重要ですわ」

 

 クララがタオルを差し出す。

 

「衣服をご用意します。サイズは——」

 

「えっと、多分SとMの間? いや、ここの世界の規格わからないけど」

 

「では、動きやすい仮仕立てを」

 

 ほどなくして、私は使用人用の黒い服に着替えた。鏡に映る自分は、意外と板についている。髪はクララに手早くまとめてもらい、セリーヌが小声で礼の順序を教えてくれる。

 

「右から入って、左に下がる。扇子の音が合図です」

 

「さっきのぱちんが?」

 

「はい。あれがこの家の“句読点”」

 

「句読点重いな」

 

 ミレイユがくるくる回りながら、私の周りを一周した。

 

「うん、ちゃんと従僕っぽい! 可愛いよ!」

 

「『っぽい』って便利な言葉だよね……」

 

 エレーナは湯から上がり、侍女に髪を拭かせながら言う。

 

「では、美佳。契約を結びますわ」

 

「契約書とか、あるの?」

 

「もちろん。公爵家ですもの」

 

 湯殿から続く小さな控えの間。机の上に整えられた羊皮紙。金の飾りが施されたペン。クララが私の前に一歩進み、短く説明する。

 

「身の安全はわたくしが保証します。お嬢様の命に背くこと、家の名誉を傷つけること、外部への不当な漏洩は禁じられます。期間は——」

 

「学園入学が始まり、そして“破滅”の分岐を越えるまで」

 

 エレーナが補う。

 

「報酬は衣食住、そしてわたくしの庇護。拒否権は、三度。どうなさいます?」

 

(破滅って言ったね今。分岐ってゲームじゃないんだよ人生は。でも、選ばないのも選択。ここで“はい”って言ったら、きっと大変。でも“いいえ”って言ったら、浴場からスタートした私はどこへ戻ればいいの)

 

 私はペンを持ち、深呼吸した。

 

「三度の拒否権、先払いで一回使っていい?」

 

「内容は?」

 

「下僕とか奴隷とか、そういう呼び方は無し。従僕でお願いします」

 

 エレーナは目を細め、そして小さく頷いた。

 

「よろしい。従僕、美佳」

 

「はい、エレーナ様」

 

 ぴたりと、空気が契約に従う。羊皮紙に名前が並ぶ。岡田美佳。その隣に、エレーナ・グラナート。扇が静かな句点を打つ。ぱちん。

 

「では、初仕事を」

 

「早い!」

 

「浴場に穴が開いた理由を、明朝までに推定しなさいませ」

 

「無茶ぶりが過去最速!」

 

 セリーヌが補足する。

 

「発生時刻、あなたの行動、落下角度、湯面の飛沫。情報は多いほど良い。図示できるなら図示を」

 

「理系の文化祭みたいな指示!」

 

 クララは眉ひとつ動かさず言う。

 

「安全確保のため、今夜は屋敷の客間で休んでください。巡回を増やします」

 

「優しいけど物騒!」

 

 ミレイユがほほえむ。

 

「ねえねえ、わたし、お茶いれる! こういうときは甘いのが一番だよ」

 

「天使がいた。ここに天使がいた」

 

 控えの間に香り高い湯気が満ちる。銀のトレイ、揺れるカップ。エレーナは椅子に腰をおろし、脚を組んで私を見上げた。

 

「従僕」

 

「はい」

 

「あなたの世界の常識は、こちらではしばしば非常識ですわ。けれど、非常識は武器にもなる。——使い方を、わたくしが教えます」

 

「先生も兼任なんだ」

 

「退屈の回避は全員参加制ですもの」

 

 私はカップを持ち上げ、一口すすった。甘い。未知の甘さなのに、舌が“安心していいよ”って言う。

 

(決まった。やるしかない。どうせ元の世界でも、テストと委員会と宿題の三連コンボで忙しかったんだ。場所が貴族の屋敷になっただけ。うん、だけって言うには重いけど)

 

「エレーナ様」

 

「なにかしら」

 

「明朝までに“だいたいそれっぽい理由”をご用意します」

 

「だいたい、ではなく“それっぽい”だけにならないように」

 

「語尾で強くなるタイプの注意!」

 

 エレーナは少しだけ笑い、扇で口元を隠した。

 

「よろしい。では、従僕」

 

「はい」

 

「姿勢を正しなさいませ」

 

「はい」

 

「わたくしの従僕になったからには——」

 

 扇が、三度目の句点を打つ。ぱちん。

 

「この家で一番、面白い人になりなさい」

 

「職務内容が新規職種なんだよなあ!」

 

 笑いが、部屋の温度を一度、上げた。

 

 その夜。客間の柔らかなベッドに沈みながら、私は目を閉じる。

 

(浴場に落ちて、主従契約して、明日までに原因究明。うん、サイコロ振ったら全部六が出た感じ)

 

 けれど、不思議と嫌じゃない。胸の奥に、小さな火が灯っている。

 

(悪役令嬢って、もっと怖いと思ってたけど)

 

 思い出すのは、扇の音と、楽しそうな瞳。

 

(たぶん——退屈しない)

 

 そうして、私の「従僕としての一日目」は、湯気の余熱を残したまま、静かに幕を引いた。

 

 

 

 

 朝の陽光を浴びて、豪奢な馬車が石畳を走る。揺れる天蓋、きらめく金の飾り。まさに「貴族の入学初日」って感じだ。けれど、その中身はというと——。

 

「ほんとに私、隠さなくていいの? こういうのって“こっそり従僕設定”が基本じゃない?」

 

 私は馬車の片隅で、窓の外をちらちら気にしながら言った。だって、通行人がめっちゃ見てる。指差してる。口パクで「誰あれ」って言ってる。怖い。

 

「むしろ隠さないことが肝要ですわ」

 

 エレーナは隣で扇を軽く振り、いつもの凛とした顔。笑ってはいないのに、全力で「自分の台本を知っている」顔をしている。ずるい。

 

「正々堂々。これが最も噂を操りやすい形。クララ」

 

「はい。堂々とお嬢様の傍らに立たせることで、いかなる憶測も“前提”に帰します」

 

「つまり、“私が従僕である”という事実を先に固定化するってこと?」

 

「その通りです、美佳」

 

 セレーヌが書板にさらさらと記しながら頷く。真面目な顔だが、口調は淡々としている。

 

「ただし今後、王子殿下や他の令嬢がどう受け止めるかは未知数です。その点は注視を」

 

「注視……つまりまた私がネタ要員にされる未来が見えるんだけど」

 

 ミレイユがひょこっと顔を出し、明るい声を重ねた。

 

「でも、美佳ちゃんって“なんか目立っちゃうキャラ”だし、もう諦めたほうが楽だよ!」

 

「そんなキャラ付けされても困る!」

 

 馬車は学園の門前に到着する。石造りの門塔、広大な庭園、集まる視線。ざわ……ざわ……と人波が揺れる。おそらく、他の新入生やその従者たちだ。

 

「きた……大観衆。胃が……」

 

「美佳、背筋」

 

 エレーナの一言に、私は条件反射でぴしっと背筋を伸ばす。足元の震えが余計に目立つ気がするけど、仕方ない。

 

「降りなさい。今が演出の舞台です」

 

 クララがドアを開け、真っ先に地面へ降り立つ。その動作は軍人みたいにキビキビしていて、観客の視線をさらっていく。次にエレーナ。裾を揺らして馬車から降り立つと、ざわめきが一段階大きくなった。

 

「う、美しい……」「さすがグラナート令嬢……」といった声が飛ぶ。扇がぱちんと鳴ると、全員が一瞬息を呑んだようだった。さすが、句読点。

 

「美佳」

 

 呼ばれた私は、足をもつれさせながらも飛び降りる。従僕用の黒服が風に揺れ、タオル時代よりはるかにマシだけど、視線が突き刺さる。

 

「え、誰? 新キャラ?」「グラナート令嬢の……?」「まさか従僕?」

 

 ざわめきが奔流となって広がる。噂の火花があちこちで散っているのがわかる。私の胃はさらにキリキリ。

 

「完璧ですわ」

 

 エレーナは微笑み、誇らしげに歩み出した。その横に並ぶよう指で示され、私は慌てて追う。

 

「ちょ、横並び!? 普通、従僕って後ろとか横のちょっと離れたとことかじゃ——」

 

「目立たせるために並べているのですわ。見なさい、美佳。群衆のざわめきが、すでに“事実”を飲み込んでいる」

 

「事実っていうか、噂が固定化されてるっていうか……」

 

 セレーヌが冷静に分析を補う。

 

「人々の思考は、空白を嫌います。先に“こうだ”と枠を与えれば、それを前提に噂が広がる。詮索は牽制されます」

 

「そんな心理戦を入学初日から……」

 

「戦は先手必勝ですわ」

 

 クララが後方から護衛のように歩きつつ、低く告げた。

 

「我らの行動は記憶されました。正々堂々と歩んだ記録は、後日の武器となります」

 

「やっぱ戦なのこれ!?」

 

 私は周囲のざわめきに耐えながら、必死に足を動かす。けれど、ふと横を見ると、エレーナは微笑みを浮かべていた。誇りと静けさが混ざった、不思議な顔。まるで、自分の舞台を完全に支配しているみたいに。

 

(……強いな、この人。いや、強すぎるな)

 

 ——と、そのときだった。人混みの奥から、もう一台の馬車が到着する音が響いた。群衆が自然と道を割り、視線が一方向へ集まる。

 

 扉が開き、そこから降り立ったのは、一人の少女。陽光を受けて金の髪がきらめき、澄んだ瞳が真っ直ぐに前を見据えている。歩くだけで空気が張りつめ、周囲のざわめきが期待に変わる。

 

(あの人……絶対ただ者じゃない)

 

 彼女は一礼し、静かな声で門衛に言葉を交わした。その凛とした立ち居振る舞いに、群衆はさらにざわめきを広げる。

 

「……グラナート令嬢」

 

 少女の瞳がエレーナを射抜いた。挑発ではなく、真っ直ぐに。互いの立場を知っているかのように、空気が一瞬張り詰める。

 

 エレーナは扇を軽く振り、涼やかに応じた。

 

「ごきげんよう」

 

 名前はまだ誰も呼ばない。けれど、この瞬間に“ライバル”の存在感が、誰の目にも焼き付いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。