令嬢と従僕   作:kiarina

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 庭園はざわめきと花の匂いで満ちていた。入学式を終えたばかりの人混みは、期待と不安を混ぜた甘い匂いがする。白い椅子が並び、噴水の水音が薄く響く。その一角に、私たちは“なぜか”陣取っていた。はい、戦略会議だそうです。入学初日から? そう、入学初日から。

 

「では、それぞれ意見を述べなさい」

 

 扇がひらり。エレーナは舞台監督みたいに全員を見渡した。クララ、セレーヌ、ミレイユが順番に姿勢を正す。私は末席でお茶を持つ。従僕の標準装備らしい。お盆って盾としても使える? いや、使わないけど。

 

「まずは私から」

 

 クララが背筋を伸ばし、胸に手を当てた。声は澄んでいて、訓練された剣の音みたいに真っ直ぐだ。

 

「お嬢様は正々堂々と殿下に敬意を示されるべきです。礼節は楯。私たちの最初の一歩は、誰も非を唱えられない形で」

 

「正々堂々っていうか……勇者ムーブだよね」

 

「勇気は移る。従僕、あなたにも」

 

「ひ、移入型の勇気!」

 

「私は意見が異なります」

 

 セレーヌがすっと書板を掲げ、ペン先で紙をとん、と叩いた。目元に光。理屈のモードに入っている。

 

「殿下ご本人より、むしろ周囲の“芽”を観察すべきです。妬み、警戒、羨望。芽吹く前に見極めること。最初の十歩は、見ることに費やすべきです」

 

「こっちはスパイ映画路線だ!」

 

「事実を知らねば、礼節も空回りしますから」

 

「んー、私はさ」

 

 ミレイユが椅子の背にもたれ、ひらひら手を振った。陽だまりみたいな笑顔。庭園にいる蝶が本人から出てきてるのでは?

 

「皆と仲良くすれば大丈夫! 笑顔は世界共通語だよ!」

 

「急に教育テレビ!」

 

「だってさ、笑顔の人に石を投げる子って少ないでしょ?」

 

「ゼロじゃないのが怖いんだよ!」

 

 三人三様、見事にバラけた。私はお盆を抱えたまま内心でメモを取る。——議事録:第一回・入学直後の混ぜるな危険会議。議題:最初の一手。意見:勇気・観察・笑顔。結論:全部大事。会議、散会。……いや散会はまだ。

 

「なるほど。三人三色。けれど相違は糧となります」

 

 エレーナは扇で空気を一度だけ撫でた。噴水の飛沫すら行儀よくなる気がするから怖い。

 

「礼を尽くす勇気。観察する冷静。和を結ぶ笑顔。どれも欠けてはならない。——この順で積みましょう。今日のわたくしたちは“礼を示し、見る”。笑顔は、隙あらば、ね」

 

「隙あらば笑顔、メモしました」

 

「従僕、美佳」

 

「はい」

 

「歩幅は半歩後ろ。視線は三歩先。危険があれば——」

 

「クララが前に出る!」

 

「心得ています」

 

 クララが短く頷く。頼もしさの塊。もし頼もしさが硬貨なら、彼女は国家予算を肩に乗せて歩ける。

 

「では、観察の分担」

 

 セレーヌがさらさらと図を描く。庭園のマップ。人だかり、日陰、教師の群れ、門へ続く導線。線が増えるたびに私の頭痛も増える。

 

「要注意は、伝統派の若様たちと、平民枠の新入生を取りまとめている監督役。噂の発生源は、日陰のベンチ群と——」

 

「噴水」

 

 私は思わず指差した。水面に映る顔、耳打ちする口元。あれは、噂が倍速で増える形のやつ。

 

「観察眼、良いです」

 

 セレーヌが満足げに頷く。ちょっと誇らしい。褒められて伸びるタイプだと思います。主に身長以外。

 

「笑顔班は私!」

 

 ミレイユが手を挙げる。

 

「ひとまず、同年代には微笑みかけておく。怖くないよ〜って。ほら、こう」

 

 ぱあっと花が咲く。庭園の色相が一段明るくなる。魔法か。魔法だ。

 

「……やっぱり分担大事ね」

 

 エレーナは日記帳を開き、さらさらと一行。『相違は糧。勇気・観察・笑顔、順に積む』。書かれるたび、世界が決定されていくみたいで、背筋が伸びる。

 

(この人の“決め”は、ほんと舞台照明が当たってる)

 

 会議は短く、しかし濃厚に終わった。花の香りが濃くなり、噴水の光が眩しい。人の波は正門方向へとゆっくり流れ始める。

 

 翌日——私たちは、その流れの中心に立っていた。

 

 広場は、祝祭の舟底みたいだった。上から光が降り、側面から歓声が押し寄せ、底で水音が揺れる。ステージ中央に据えられたのは、一人の青年。金色の髪が陽を弾き、蒼い瞳はガラス細工みたいに澄んで、でも冷たくはない。柔らかな笑み。けれど、笑みには“調整”の気配がある。人々の耳まで届く、適切な音量。緊張をほどく、適切な角度。政治に必要な「朗らかさ」の作法。

 

(わあ……)

 

 無理。これは無理。政治的アイドルってこういうのを言います。美少女ゲームでよくいる「王子様キャラ」をバフとデバフで強化して、現実に召喚したらこうなる。

 

 彼の名は——王子。第一王子。次期国王の最有力候補。学園に通うのは「民と同じ場で学んだ」という実績作りでもある。だから彼の一挙一動は、目撃者の数だけ意味を持つ。つまり今この瞬間、意味が洪水みたいに流れている。

 

「……行きますわ」

 

 エレーナが歩み出る。歩幅は一定。裾が光を撫でる。扇が横顔をわずかに隠す。背筋は、言葉より先に身分を語る。

 

 クララが半歩前。私は半歩後ろ。セレーヌは視線で周囲を掃き、ミレイユは目に入った子に小さく微笑む。分担、作動。

 

 輪の前列へ。群衆の声が波のように寄せて返す。

 

「誰? 黒髪の子」「従僕じゃない?」「同伴で入ってきたんだって」

 

(はい、従僕です。こんにちは。見慣れないと思いますが、仕様です)

 

 青年がこちらを見た。視線が、音を連れて近づいてくる感じがする。周囲の空気が一瞬だけ整列した。

 

「……グラナート公爵家のご息女ですね」

 

 声は朗らか。けれど、遠くのベンチにも届くように設計された朗らかさ。

 

 クララの足が半歩進む。エレーナは扇の縁でそれを静かに制した。彼女が前へ。彼女だけが、前へ。

 

「ごきげんよう、殿下。ご入学、おめでとうございます」

 

 それだけ。深々と屈まず、見上げもせず、ただ礼の角度を完璧に。空気が、その角度に合わせて呼吸を止める。

 

 青年は、一瞬だけ目を細め——そして微笑んだ。

 

「ありがとうございます。学び舎での日々が有意義なものとなるよう、祈っております」

 

 はい、終了。すっきり、終了。余白しかない挨拶。だけど、余白に詰まっているものが多すぎて、噂が勝手に自動増殖を始めた。

 

「え、挨拶だけ?」「媚びてない……」「距離取った?」「いや、あれは礼儀の完成形だよ」「でも目立つわよ」「目立つからいいの」

 

 人混みの端で、教師らしき人たちが何やら書き留めている。日陰のベンチでは、伝統派の若様たちが眉を寄せ、平民枠の子たちは憧れ混じりで口を手で覆った。噴水の前の女子二人は、さっきからずっと私の靴を見ている。やめて、普通の靴です。

 

「殿下へのご挨拶、以上です」

 

 エレーナは踵を返した。歩幅は変わらない。扇が横顔を隠し、裾が石畳をかすめる。私は半歩遅れて続きながら、心のどこかで拳を握った。

 

(これでいいんだ。これが、最初の一手)

 

 輪から離れる途中、ミレイユが小さく呟いた。

 

「すごかったね、エレーナ」

 

「むしろ物足りません。もう一言、余白を埋めても良かった」

 

 セレーヌの分析は相変わらず冷静。クララはというと——胸を張って、勝利の顔。

 

「お嬢様、見事です」

 

「礼を尽くすだけで十分。わたくしの立場は崩れませんわ」

 

 エレーナは日記に短く書き足す。扇が句読点を打つ。ぱちん。

 

 私は隣で深い息を吐いた。噴水の冷たい飛沫が、火照った頬に気持ちいい。

 

(胃はキリキリ、でも背筋は勝手に伸びる。不思議な病気をもらった気がする)

 

 群衆の奥で、誰かと誰かの目が合った。名前は出さない。まだ出さない。ただ、物語が次の幕を用意しているのは分かる。視線と視線が交わる音が、ほんの一瞬、聞こえた気がした。

 

 庭園の花は風に揺れ続け、噴水は反射を撒き続ける。入学早々、舞台は整った。勇気、観察、笑顔。その三つ巴は、これからずっと私たちを走らせるだろう。私はお盆を抱え直し、半歩だけ、彼女より遅れて歩く。

 

「従僕」

 

「はい」

 

「視線、三歩先」

 

「了解」

 

 その短い呼吸の合図が、今日のハイライトだったのかもしれない。——いや、まだある。帰り道、ミレイユがいつの間にか配っていた飴を、伝統派の若様がもぐもぐ食べていたのを私は見た。笑顔は、意外と強い。

 

(結論:初日は、余白が効く。あと、飴は万能)

 

 

 夜の学園は昼の喧噪が嘘のように静まり返っていた。魔石灯が点々と並び、淡い光が石畳をまだらに染めている。風が通り抜けると木々がざわめくが、人の声はない。舞台を観客が去った後の劇場みたいに、空気が冷えて澄んでいた。

 

「では、美佳。準備を」

 

 エレーナが小声で告げる。その前に、私はポケットからスマホを取り出していた。異世界に来てもなぜか普通に使える、私の生命線。充電も電波も謎だけど、画面は光るしアプリも動く。外部連絡は圏外だけど、学園内にだけ通じる謎の回線が存在していて、通販やアプリDLは可能。理由? 分からない。けど便利。便利は正義。私は深く考えるのをやめた。

 

「その黒い板……やはり不思議ですわね」

 

 エレーナがちらりと視線を寄越す。興味津々というより、珍しい劇小道具を前にした舞台監督の目つき。やめて、観察しないで。

 

「これは……日常必需品で、写真も撮れるし、時計にもなるし、通販も……」

 

 私が言いかけて口をつぐむ。あ、やばい。口が滑った。案の定、エレーナの扇が軽く動いた。

 

「通販?」

 

「……はい、実はその……」

 

 思い出すのは数日前。寮の玄関に置かれていた謎の荷物。伝票は異世界フォントで読めないのに、宛名だけはくっきり「グラナート公爵令嬢エレーナ様」。完全に私の注文品。つまり、支払いは勝手にお嬢様名義で処理されているらしい。胃が痛い。いや、財布直撃してますよね!?

 

「面白い仕組みですわね」

 

 エレーナは涼しい顔でそう言った。お嬢様、懐広すぎます。こっちは心臓狭心症待ったなしなのに。

 

 私の手には、黒い布で包まれた小箱。中身は——軍用虫型ドローン。はい、あの通販でポチったやつです。『軍事転用可!』とか軽く書いてあったけど、レビュー欄は「羽音がうるさい」だの「電池切れ早い」だの、普通に生活家電みたいな感想で埋まってた。お値段は高級スマホ一台分。購入ボタンを押すとき、エレーナに許可を取ったら、「面白そうですわね」と即答だった。お嬢様、価値観のベクトルが違いすぎます。

 

「えっと……これ、本当に飛ぶんですか」

 

「ええ。あなたが選んだのでしょう? ならば信じなさいな」

 

「いや、自分の買い物センスに命預けるのキツいんですけど!」

 

 蓋を開けると、中から金属質の羽を持つ小さな影がもぞりと動いた。カブトムシとスズメバチを足して二で割ったみたいな外見。赤外線センサーのランプがちかちか点滅して、目に刺さるように反射する。レビュー欄で「子供に見せると泣きます」って書いてた人、正しかったわ……。

 

「行きなさい」

 

 エレーナの指先の合図で、ドローンは羽音を震わせ、ふわりと浮かんだ。羽ばたきの音は確かに抑えてあるけれど、ゼロではない。かすかな振動が耳の奥をくすぐる。灯りに照らされた一瞬、影が壁を這うように広がり、私は条件反射で肩をすくめた。虫嫌い克服訓練じゃないんですけど!?

 

 ドローンの視界が私の手元の端末に映し出される。スマホの通販ページで買っただけに、操作画面も見慣れたアプリ風UIだ。いや、軍事転用できるのにUIが親しみやすいってどうなの。セレーヌが隣で眼鏡を押し上げる。分析モードに入ったらしい。

 

 最初に映ったのは、勉強机に向かうジュリアーナ。蝋燭の灯を背に、長い髪をまとめ、真剣な顔で本に向かっている。その姿はまるで絵画の一幕。真面目すぎて周囲のざわめきから隔絶されたように見える。画面越しでも圧がある。これがヒロイン補正か。

 

「さすがは……」

 

 エレーナが小さく呟き、すぐ口を閉じた。ライバル視しているからこそ、軽々しく言葉にしないのだろう。なんか、この沈黙の方が雄弁だ。

 

 次に映ったのは、風紀委員の部屋。そこには……酒瓶。下級生が慌てて布で包んでベッドの下に押し込んでいる。ちょっと、風紀どこ行った。セレーヌが冷静にメモを取っている。クララは真っ赤になって「不届き者!」と小声で怒鳴った。いや、私ら盗撮してる側なんですけどね!?

 

「いや、委員さん……せめて隠すなら、もっとマシな場所を……」

 

 私は画面を見ながら、頭を抱えた。ドローンで監視してるこちらと、堂々と酒瓶抱えてるあちら。どっちもどっちでしょ!

 

 さらに映像が切り替わる。夜灯の下で書簡を読む生徒会長リュミエール。白銀の髪に影が落ち、憂いを帯びた横顔が浮かび上がる。手紙の封には王国の紋章。意味深。はい、意味深すぎます。演劇の幕間か。

 

「彼は……何を抱えているのでしょう」

 

 セレーヌが呟く。エレーナは視線を細めた。

 

「彼は舞台装置のように見えるわね。動かすのは、きっと別の誰か」

 

「お嬢様の比喩、怖いんですけど」

 

 最後に映ったのは裏口。王子の取り巻きと思しき数人が、商人風の男と低声で言葉を交わしていた。革袋が手から手へ。どう見ても裏取引。カメラが近づいた瞬間、男の目がぎろりと光ったように見えて、私は端末を取り落としそうになった。レビュー欄の「視線感知が鋭すぎる」って書いてた人、これのこと!?

 

「証拠の種は十分揃いましたわね」

 

 エレーナが静かに言う。声は涼やかだが、眼差しは冷ややか。カードを配るディーラーみたいな目。

 

「ですが、同時監視は危険です。魔力の痕跡が辿られる恐れも」

 

 セレーヌが注意を促す。ペン先で紙に×印をつける仕草が妙に怖い。

 

「危険と成果は釣り合うもの。今夜は種を撒いたにすぎません。芽吹く時を見極めるのは、次の楽しみ」

 

 クララは腕を組んで頷く。ミレイユは「虫さん、無事に帰ってきてね」と画面に手を振っている。いや、軍用兵器に“さん”付け!?

 

 やがてドローンは戻ってきた。羽音を残して小箱に収まる。蓋を閉じると、ようやく夜が本来の静けさを取り戻した気がした。

 

 私は端末を抱え直し、深呼吸する。画面には録画データがずらりと並んでいた。証拠の種。火薬庫みたいに危うい映像の束。

 

「美佳、しっかり保管しておきなさい」

 

「……はい。バックアップ二重にとります」

 

 魔石灯がまた一つ、風に揺れて瞬いた。夜の学園は、何事もなかったように静まり返っていた。けれど私の胃は静まらない。キリキリ音を立てながらも、どこかで高鳴る。だって分かる。この夜の種は、いずれ大きな嵐になる。

 

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