令嬢と従僕   作:kiarina

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 中庭に差し込む朝の光は、石畳を白銀に照らしていた。普段なら空気のように散っていくはずの朝の挨拶が、この日は妙に熱を帯びて飛んできた。

 

「お、おはようございますっ、エレーナ様!」

 

 下級生の少女が、小鳥みたいに声を張る。

 

「ええ。おはよう。……今日は天気もいいわね」

 

 にっこり笑顔。

 その一瞬で周囲がざわめいた。

 

「えっ、笑った?」

「氷の令嬢が……?」

「人間だったの?」

 

――はいそこ、氷像に生命宿ったみたいな反応やめて。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいお嬢様!」

 クララが全速力で駆け寄り、スカートを翻して立ちはだかる。

「柔らかすぎます! いつもの冷徹さはどこへ行ったんですか!」

 

「クララ、朝から騒がしいわよ」

 

「騒がしいのはお嬢様の評判が軟化してるからです! 悪役としての威厳が!」

 

「……悪役に威厳って必要?」

 

「必要です!」

 

 クララの断言に、ミレイユが笑い転げる。

 

「ねえクララ、それ全然説得力ないわよ。悪役に威厳が必要って……どんなRPGの話?」

 

「必要なんです! 敵役には格というものが!」

 

「格下に見られるくらいなら、友達が増えたほうがいいけどなぁ」

 

「だからその考え方が危険なんですってば!」

 

 セレーヌが眼鏡を指で押し上げ、冷静に会話を切った。

「事実、今の挨拶で“エレーナ様は思ったより優しい”という評価が流布しました。効果はありそうです」

 

「ご覧なさい! 冷静な分析でも肯定されましたよ」

 

「だからこそ危ないんです!」

 

 クララの悲鳴は、今日も校庭に虚しく響いた。

 

 それから数日。

 

「まぁ、エレーナ様! 先日はノート貸していただきありがとうございました!」

「図書館の席を譲っていただいて……感激です!」

 

 まるで雪崩のように「感謝の言葉」が押し寄せる。氷像から突然おもてなしロボットに変わったみたいな扱いだ。

 

「ふふ……お気になさらず」

 

「お気になさらずーっ!?」

 クララが後ろで卒倒しかけていた。

「そんな慈愛の笑み、悪役らしくありません! もっと“下々を見下す冷笑”を! お願いしますから!」

 

「クララ、あなた私にどんな人間像を求めてるの?」

 

「悪役像です!」

 

「そりゃそうでしょー」

 ミレイユはバタークッキーをぽりぽり食べながら口を挟む。

「でも、わたしは今の方が好きだなぁ。だって友達増えるし!」

 

「友達って……あなたにとっては増えるほどお菓子をもらえる確率が上がるだけでしょ?」

 

「バレた?」

 

 セレーヌが淡々とまとめる。

「事実として、下級生たちはエレーナ様を“意外に優しい人”と再評価しています。これは利用価値があります」

 

「利用価値って……セレーヌまでえげつない」

 

「私はただ事実を述べているだけです」

 

――まぁいい。噂は使いよう。悪評から始まったなら、逆に“裏切られた優しさ”で印象を塗り替えてやればいい。

 

 さらに数日後。

 

「これ、よかったらどうぞ」

 差し出したのは、厨房に頼んで作らせた焼き菓子。

 

「わぁ……ありがとうございます!」

「おいしい!」

 

 風紀委員の顔がみるみる緩んだ。堅物揃いの彼らが笑顔を見せるなんて珍しい。

 

「どうです、クララ。胃袋から攻めるのは悪くないでしょう?」

 

「ダメです! 完全に悪の女幹部のやり口じゃないですか!」

 

「……あれ、今の私って悪役から女幹部に昇格した?」

 

「昇格じゃありません! 悪化です!」

 

 クララが涙目でバンバン机を叩く。

「お菓子で心を掴むなんて……覇道です覇道!」

 

「覇道って、なにか響きがカッコいいですね!」

 ミレイユがなぜか感心している。

「ねぇねぇ、次はキャンディでどう? 飴なら長持ちするし!」

 

「あなたは黙って食べてなさい!」

 

 セレーヌは紅茶を口に含みながら、また冷静に言った。

「ですが、風紀委員との関係改善は大きい成果です。敵対の芽を摘むことは防衛策になります」

 

「そうね。彼らを味方にできれば盤面は安定する」

 

「ですから、その理性的発言に……なぜお菓子戦略が混ざるのか理解できません!」

クララが絶叫する。

 

 そして学園広場での一幕。

 

「エレーナ様、もしよろしければ次回の勉強会にも参加していただけますか?」

「はい、ぜひ!」

 

 取り巻き三人娘まで加わって、ますます人間関係が膨れ上がる。

 

「ほらほら! 信頼度MAXだよ!」

 ミレイユが両手を広げてはしゃぐ。

 

「やめなさい! そんなゲームの数値みたいに言わないで!」

 

「えーでも実際、もう友好度ゲージ振り切れてるでしょ?」

 

「だからそういう概念を現実に持ち込まないでください!」

 

 クララが泣き叫ぶ横で、セレーヌは無表情のまま頷いた。

「数値化はともかく、友好関係の拡大は確実です。学園内での評判は明らかに改善しています」

 

 私は心の中で微笑んだ。

――学園の空気は、思った以上に動かしやすい。悪役という足かせも、使いようだ。

 

 夕暮れの中庭。噴水の水音が静かに響く。

 

「ねぇエレーナ様、本当はどう思ってるの?」

 ふいにミレイユが問いかけてきた。

 

「何が?」

 

「だって、前まで“冷たいお嬢様”って言われてたのに、今は“優しい先輩”だよ? ねぇ、どっちが本当?」

 

 ……答えは簡単だ。

 

「どちらも正しいし、どちらでもないわ」

 

「わぁ、かっこいい……」

 ミレイユがキラキラ目を輝かせる。

 

「本当は“策士”ってことですね」

 セレーヌが冷徹に補足。

 

「やめてくださいセレーヌ! 余韻を壊さないで!」

 

 クララの抗議がまた空を切った。

 

――評判が変わり、友好が広がり、秩序派とも和解した。

学園内の盤面は、着実に整っていく。

 

次に打つべき手は、さらに大きな一手。

 

私は笑みを隠さず、夕陽を背に歩き出した。

 

「悪評劇場、次はどんな幕を上げようかしら」

 

 

 午後の光が差し込む談話室。香り高い紅茶の湯気がふわりと漂い、三人の取り巻きが小さなテーブルを囲んでいた。

 その中央に、ふと現れたのは――包み紙の可愛らしい小箱である。

 

「これ、受け取ってちょうだい」

 

 差し出したのはエレーナ。彼女は何気ない素振りで箱を置き、ふっと視線を逸らす。だが、その声色には微かな柔らかさが滲んでいた。

 

「えっ……これは?」

「わぁ、なにこれ、お菓子?」

「包装が……とても可愛らしいですね」

 

 三人は目を輝かせ、それぞれに小箱を手に取った。蓋を開けると、焼きたてのような香ばしい匂いが漂う。

 

「すごい! 通販って書いてある……え、こんな珍しいクッキー、どこで手に入れたの?」

「特別なルートよ」

 

 エレーナは短く答えた。もちろん、実際はスマホ通販である。だがそれをここで説明する必要はない。

 

「んんーっ! おいしい!」

 ミレイユは一口かじった瞬間、椅子から飛び上がる勢いで感激した。

「ほらクララも食べて! セレーヌも!」

 

 クララは両手を震わせながらクッキーを口に運ぶ。

「……あ、甘い……! 幸せ……! お嬢様が、わたくしたちにこんな……!」

 涙ぐむ姿は見ていてこちらが困惑するほどだ。

 

 セレーヌだけは、紅茶を片手に冷静な声を出した。

「……ただし、この出所を問われた場合、説明は難しいですね。あまり外には見せない方が良いかと」

 

「分かってるわ」

 エレーナは口元を微かに緩めた。

 

 ――人の心を動かすのに、大げさな魔法も派手な演説も要らない。

 ほんの一欠片の甘味があれば、それで十分。

 

 

 数日後。

 学園庭園の東屋にて。白薔薇が咲き乱れる中、生徒会長リュミエールが静かに紅茶を口にしていた。

 

「ようこそ、エレーナ嬢」

「お招きありがとうございます、会長」

 

 彼女の瞳は鋭かった。曇りのない光を宿し、まるで嘘を許さぬ剣先のようだ。

 

「あなたの評判は耳にしています。氷の令嬢と呼ばれていたはずが、近頃は友好的だとか」

「人は変わるものですわ」

「そうかもしれません。ですが、私の望むのは欺きのない世界です。理想は純粋でなければ意味を持ちません」

 

 リュミエールの言葉は一言一句が重かった。その真摯な視線に晒されると、胸の奥まで見透かされる気がする。

 クララはその場で青ざめ、ハンカチを握り潰していた。

 

「ひっ、ひぃ……! あ、あの瞳に射抜かれると、胸が苦しい……!」

「落ち着けクララ。倒れられても困る」

 

 セレーヌは横で小声のまま冷静に指摘するが、その表情も普段より緊張が強い。

 

 だがエレーナは、敢えて微笑みを崩さなかった。

 

「会長の理想は、美しいと感じますわ。ですが理想と現実の間には、必ず溝が生じます。その橋を架ける役目が、我らにあるのではなくて?」

 

 その言葉に、リュミエールは目を細めた。

 しばし沈黙。薔薇の花弁が一枚、ひらりと落ちる。

 

「……なるほど。あなたの考えは理解しました」

 やがて彼女は紅茶を口に含み、ゆるやかに笑みを浮かべた。

「理想を追う者同士、互いに敬意を持つべきですね」

 

「ええ。今後とも、よろしくお願いいたします」

 

 クララはその瞬間、安堵のあまり椅子に崩れ落ちた。

「助かったぁぁぁ……!」

 

 ――理想家。強く、美しい。だが隙のない者などいない。

 エレーナは胸の内で静かに呟いた。

 

 

 夜。部屋の机の上には、整然と並べられた資料があった。

 酒瓶の映像、密談の記録、矛盾する証言。

 一つひとつを丹念に照らし合わせ、不要な情報は切り捨て、核心を研ぎ澄ます。

 

「……ふぅ」

 ランプの灯が書類の影を揺らす。

 

 昼は微笑みで人心を掴み、夜は冷静に刃を研ぐ。

 その二重生活に、クララはすっかり翻弄されていた。

 

「お嬢様、今日はもうお休みください! 目の下に隈ができてしまいます!」

「大丈夫。まだ目は冴えているわ」

「ぜんぜん大丈夫じゃありません!」

 

 セレーヌは、そんなやり取りを無視するように記録簿をめくる。

「敵を作らず味方を増やす。それ自体は好ましい。ですが、味方が増えすぎると管理が困難になります」

 

「ふむ……確かに」

 エレーナは手を止め、窓の外を見た。

 

 ――学園での評判は変わった。

 甘味で心を掴み、会長から敬意を得て、夜には証拠を整える。

 盤面は、着実に整いつつある。

 

 心の奥で、微かな高揚が芽生える。

 

「駒は盤に並んだ。刃は研ぎ澄まされた」

 

 呟きは、夜風にかき消されていった。

 

 翌朝。中庭を歩くと、ざわめきが耳に届く。

 

「あの方、最近ずいぶん変わったらしい」

「敵を作らず、味方を増やしているとか」

「お菓子もらったんだって!」

 

 取り巻き三人娘は相変わらず笑顔で並び、クララは「も、もう心配ですぅぅ!」と頭を抱えていた。

 ミレイユはクッキーを手に、「次はパイがいいな」と無邪気に言い、セレーヌは「食べ物で測るのやめてください」と呆れていた。

 

 ――噂は流れ、人は動き、駒は揃った。

 舞台は次の幕を待っている。

 

「さて……そろそろ次の手を打つとしましょうか」

 

 エレーナは空を見上げ、夕陽を背に微笑んだ。

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