銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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筆者の創作による独自設定が含まれるのでご注意ください。


美味と義務

 さて、司令部付近の室温と外気温の差もよくない、ということで、ユリアンが出す紅茶もジンジャーティーに変化した。独特の香りと辛味があるので、ミルクと蜂蜜を加えられて。この香りに反応したのは、ムライ少将だった。怪訝な表情で室内を見回す。

 

「どうしたんだい、参謀長」

 

 

「いや、失礼を。いま生姜の匂いがしたものですから」

 

「ああ、ひょっとしてこのお茶かな。ジンジャーミルクティーというらしい。

 体を温めるといいということでね」

 

「そういうことでしたか」

 

「いや、よく生姜だとわかったね」

 

「ああ、日系イースタンは、よく薬味に使いますからな」

 

 生のまますりおろしたり、細い千切りにしたりして、一年を通して使う。夏なら冷や奴にそうめん、冬は甘酒や湯豆腐。また、甘酢漬けは寿司の付け合わせに。閣下にも召し上がっていただきたいが、どれもイゼルローンでは入手が困難だとムライは語った。

 

「面白いものだね。ウェスタンでは、ジンジャーはお菓子用のスパイスだ」

 

「ええ、日系の伝統料理は魚を使うものが多いですからな。

 たしか、臭み消しと食中毒予防を兼ねたものだったようです。

 わさび、ねぎ、大根おろしも同様の効果があるそうですな」

 

「へぇ、すごい食文化だねぇ」

 

 ヤンは感心した。宇宙暦800年近い現在、人種の混血が進み、姓は祖先のルーツを示すだけのものになっている。ヤンも、黒髪に黒目という黄色人種の特徴を受け継いだが、肌や顔立ちに格別にルーツを示すものはない。

 

 だが、文化や風習を色濃く残している人々もいる。日系イースタンがそうだ。島国であったせいか、13日戦争から日本刀を守り抜いたことといい、伝統の継承に強い意欲がある。そのおかげで文化や料理が今に残っている。規律正しく、手先が器用で味覚が繊細という人種的特長のせいか、日系イースタンは最高の料理人になるとも言われていた。

 

「美味しいものに貪欲だったのでしょう。平和な時代が長く続いた国家だったそうですからな」

 

「なるほどね」

 

「そう言えば閣下、体調はいかがですかな」

 

「うん、まあだいぶ気温に体が慣れてきた感じかな」

 

 たしかに、一時期よりも顔色が良くなってきた。

 

「それは結構。スパイスのおかげでしょうか」

 

「さあ、それはよくわからないが、風味や香りでずいぶん違うものだね。

 それに、このお茶はたしかに温まるよ」

 

 ムライは頷いた。そして、ふと思いつく。香辛料を利かせた料理か。確か、二週間ほど前に妻から荷物を送ったという連絡があった。

 

「ふむ、では近いうちに小官の家庭の料理もご紹介いたしましょう」

 

 思わぬ人の思わぬ言葉に、ヤンは黒い目を瞬いた。

 

 それから十日ほど後に、彼からレシピを受け取ったユリアンはさらにびっくりした。意外にもほどがある。しかもこのレシピを元にした完成品だと渡されたもの。ハイネセンの最高級クラスのホテルの贈答品だ。この箱の大きさだと少なくとも50ディナールはする。

 

「あの、ムライ少将。こんなに高価なもの、いただけないです」

 

 軍人を含む国家公務員の虚礼廃止。それに抵触はしないだろうか。そう思って慌てるユリアンの潔癖さに、ムライは慣れない笑みを浮かべた。

 

「ミンツ准尉、気にすることはない。これは間接的に家内が作ったものだ」

 

 ダークブラウンの瞳が、疑問に丸くなる。

 

「家内はここに勤めていてな。これはムライ家の味を改良した製品だ。

 さすがに、自家製のものを四週間近く輸送するのは限界があるのでな。

 たとえ冷凍するにしてもだ。だから、時々私あてにこれを送ってくるのだよ。

 私も作れんことはないのだが、私の住居には調理器具が揃っていないのでな」

 

「え、ええ?」

 

 もう何から驚いていいのやら。ムライ少将が既婚者であったことか、ご夫人がホテル・ユーフォニアでかなり高い地位にあるコックであることか、彼が料理を作れることか。

 

「まあ、いいからヤン提督と一緒に食べてみてくれたまえ。

 レシピの方は、もうすこしあっさりとした素朴な味だがね。

 私も家内もそちらの方が好きなのだが、

 ホテルで出すならコクや旨みが濃い方がいいのだそうだ」

 

 こうなると辞退するのは野暮な話なのだろう。キャゼルヌ夫人の手料理は何度もいただいているのだから。ユリアンは突っかえながら謝辞を述べた。

 

「は、はい。ムライ少将、どうもありがとうございます」

 

「是非、感想を聞かせてくれんかね。家内も喜ぶだろう」

 

「はい。早速今日の夕食に出してみます」

 

 ムライは頷いた。

 

「お勧めのつけあわせはポテトサラダだ。レシピに載っているので参考にしてくれ。では」

 

「御馳走になります」

 

 ユリアンは、大きな箱をなんとか片手で持って、精一杯の敬礼をした。ずっしりと重い、その中身をヤン家に帰ってから開けてみる。日系イースタンの魂の家庭料理(ソウルフード)。そして、姓の東西を問わず、嫌いという者が極めて少ないだろうそれ。

 

 ユリアンの瞳と同色の、様々な香辛料を利かせた料理。ホテル・ユーフォニア謹製の各種カレーの詰め合わせだった。ホテルで食べると一食30ディナールは下らない、ユーフォニアのカフェテラスの名物だった。たとえ、社員割引があるにしろ、金額を上方修正しなくてはならないだろう。

 

 一瞬どうしようかと迷ったが、ムライ家の味と、参謀長の奥方に対する興味が上回った。とりあえず、ご飯を炊こう。そして、お勧めのポテトサラダ、材料は買いおきの物で間に合うだろうか。ヤンが帰ってくる時間と、夕食の準備の算段を計算しながら、ユリアンは立ち上がった。

 

 きっとびっくりするに違いない。自分ばかりが驚いてばかりじゃ不公平だし。それに、ヤンからの感想もムライ参謀長はきっと知りたいはずだから。思うに、これは一種の惚気(のろけ)じゃないのかな?

 

 炊飯器のスイッチを入れながら、ユリアンは小さく笑い、ムライ家のレシピをつぶさに読み始めた。主人か夫人のどちらの手になるものか、整然と手順と要点が記され、すばらしく達者な図解の入ったものを。よし、材料は間に合いそうだ。時間のほうも大丈夫。では、調理開始。

 

 その晩、ヤン家の食卓にはカレーとポテトサラダをが並び、師父と弟子はそれを堪能した。流石にホテルの味で、たいそう美味しかった。二人揃ってムライに礼を言い、奥方の腕を激賞した。

 

 また別の日、今度はレシピに記載されたカレーを作ってみた。すりおろした野菜や果物をベースに、ルーを手作りする本格派だった。たしかに、先日のユーフォニアのものよりさっぱりとしていて飽きない。素材の甘みと旨味が、辛さをほどよく抑え、香りを引き立てている。ヤンもムライ夫妻と同様、こちらの方が好みだと言って、珍しくおかわりをした。

 

「うん、おいしいね。ユリアンのアイリッシュシチューもいいが、

 夏はご飯のほうが、水分があるせいか食べやすいような気がするよ」

 

「僕は甲乙つけがたいですね。でも、ホテルのレシピは流石に教えてはくれないでしょう」

 

「たしかにね。だが、教えてもらっても作れないぐらい難しいかもしれないぞ。

 ほら、マダム・キャゼルヌのパイのように」

 

 ユリアンは苦笑した。

 

「そうですね。ムライ参謀長の奥さんは、それを仕事で作っている方ですからね」

 

 ムライに礼を言った際に教えてもらったのだが、あのヤン作成の戦術立案書さながらのレシピは、奥方の手になるものだった。カレーは彼女が企画立案したものだが、本業は製菓。同盟のコンクールで、何度も優勝をしているホテル・ユーフォニアの製菓部門長だというのだ。道理で、夫のイゼルローン赴任に同行できないはずだった。

 

「そうだね。羨ましいけれど、ご家族も大変みたいだよ。

 コンクールや季節の新商品の試作に、随分付き合わされるんだそうだ」

 

「僕だったら喜んで試食しますけど」

 

「グリーンヒル大尉も最初はそう言っていたよ。

 だがね、一つのお菓子が生まれるまで、十種類は試作品がある。

 季節商品は五つは必要だから、それを繰り返さないといけないとか。

 まあ、試食は一口か二口ぐらいずつだと言うんだが」

 

「うわ……その中から選ぶんですか。それじゃたしかに大変ですね」

 

 レシピの中には、いくつかのデザートがあったが、そんな試行錯誤と苦労の上にできたものだとは。ちょっとずつ材料や配合を変えた、同じケーキが十個ずらりと並んだ状態を想像する。お菓子は好きだけれど、考えただけで胸焼けがしてきそうだ。それを最低五回。それも季節ごとに。もはや立派に苦行である。

 

「本当だね。いいかい、ユリアン。甘くておいしいだけの仕事なんてないんだよ」

 

 しみじみと言い聞かせる、現在の給料泥棒にして戦場の名将であった。

 

 このカレーのレシピが、ユリアンの元から旅立ち、キャゼルヌ家やブライス家で新たな味となるのは、それぞれの家庭の物語。ヤン家やミンツ家ではどうなったのか。食卓だけが知っている。




原作中の記述はありませんが、ムライ氏は既婚者だと思います。
ああいう、真の意味でのいい男は周囲が放っておきません。
きっといい人を紹介してくれるものです。

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