銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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本作品は、銀河英雄伝説原作に準拠しております。バグダッシュを眠らせた方法は、特殊な睡眠薬によるものです。


第8話 黄昏に飛び立つ
巣立つ雛鳥


 宇宙暦798年8月20日。後世に『ねじれた協定』と称される、ローエングラム独裁体制に対する銀河帝国旧体制派と自由惑星同盟との協力体制が公にされた。

 

 自由惑星同盟最高評議会議長 ヨブ・トリューニヒトが、同盟領の全域に放送した超光速通信(FTL)で、エルウィン・ヨーゼフ二世の亡命と銀河帝国正統政府の成立を認め、協力を発表したのだ。

 

 光のない雷光が、イゼルローンの中央指令室を(はし)り抜けた。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが作り上げた専制政治、それに対するアンチテーゼが自由惑星同盟の出発点だった。それから二百年を経て、玉座から逃げ出した幼帝と共に、新たな独裁者を討つというわけだ。これまでの150年の戦争はなんだったのか。虚空に消えた何億人もの人命と、それに数倍する遺族らの悲嘆と涙は。

 

 だが、それは音なき雷鳴の先触れであった。銀河帝国正統政府首相 ヨッフェン・フォン・レムシャイドが読み上げた閣僚名簿に、イゼルローンの一員が含まれていた。軍務尚書 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将と。

 

 メルカッツにも、副官のシュナイダーにも、まさに青天の霹靂(へきれき)であった。敬愛する上官も自分も、まったく(あずか)り知らぬことであった。無論、彼らに売り込みなどしていない。

 

 イゼルローンの司令官 ヤン・ウェンリーは、シュナイダーの弁明を当然のこととして受け入れてくれた。自分がレムシャイド伯爵でも、同様の判断をするだろう。他に候補など考えられないと。

 

 意外なことに、同感の意を表したのは、ワルター・フォン・シェーンコップ少将であった。亡命者やその子弟の軍関係者としては、メルカッツ中将に次ぐ階級の持ち主だ。事と次第によっては、その地位に任じられていたのは彼であったかも知れない。

 

 今さら迷惑以外の何物でもないことを、彼ほど実感していた者もいなかった。ヤン・ウェンリーという、望みうる最上級の能力と寛容さを持つ上官からの異動先として、考え得る最低級の上司と地位と場所である。一兵も持たず、今までの所業を忘却し、お題目に縋って美貌の覇者を打ち倒すという、甘い夢を抱いている連中に仲間扱いなどされたくもない。

 

 これには皆、相当に堪えた。イゼルローンの幕僚会議の席上、紅茶やコーヒーの代わりに、司令官秘蔵のブランデーが会議卓を一巡したほどだ。司令官を皮切りに、事務監が横合いから掠め取り、要塞防御指揮官まで手酌のリレーとなった。参謀長が酒瓶を捕獲したが、自分にも注ぐことは忘れなかった。素面(しらふ)じゃやっていられんこともある。皇帝の逃亡劇自体が、ローエングラム公ラインハルトの故意によるものの可能性に思い至ったからだ。

 

 巧緻を極める謀略のパズル。踊らされているのは同盟と帝国の旧体制派。では、帝国の新たな権力者にも、パートナーがいるのではないか。消去法を使用する必要もない。国家と呼べるものはあと一つしかないのだ。

 

 自治領フェザーン。帝国と同盟を結ぶもう一つの回廊。交易商人が、公式に国交のない二国間貿易で富を得ている。宇宙全人口400億人の0.5パーセント、20億人が宇宙の富の12パーセントを生みだす。帝国と同盟の総生産額にも、フェザーンとの貿易が少なからず占められる。実態は、表面上の数値よりもさらに富裕とみてよいだろう。

 

 ヤンの思考は、回転を始める。地球時代の十字軍の遠征、あるいは元帝国の拡大。その背後にいたのは商人たちだ。戦争は経済、経済は戦争。キャゼルヌが比喩として言ったことに、もう一つ加えよう。経済が戦争を生むことを。

 

 茫洋と遠くを見るような黒い瞳。その見通す先は、永遠の夜の彼方なのだろうか。キャゼルヌとの毒舌合戦に反応もせず、行儀の悪い姿勢で考え込む上官を見て、美丈夫は思った。

 

 会議の中で、ムライ参謀長がメルカッツに去就の表明を迫った際に、ようやく口を開いた。組織人が、自分の都合だけでどうこうできるものではない。上層部の押し付けには、自分も言いたいことが山ほどあると。論法よりも含まれた意図が、幕僚らを説得した。まったく、この黒髪の司令官ほどそれを言える権利のある者はいないだろう。

 

 休息時間の際に、もっと言ってやればよかったのにと揶揄してやったが、この年少の上官はあくまで正論を述べた。公開の席上で、現役軍人が政治批判をするわけにはいかないと。

 

 『きれい』な人だ。瑣末な軍規軍律には緩やかだが、国家や軍の基本原則にはとことん厳しい。思うのは自由だが、言うのは必ずしも自由じゃない、文民統制(シビリアンコントロール)下の軍高官にとってはなおのことだと、言外に告げて。

 

 柄にもなく、自由の意味を問うてしまったのは、メルカッツと祖父を重ねてしまったからか。亡命の際に、入国管理官から受けた冬の寒風よりも冷たい扱いと蔑むような目つき。これまで、誰にも明かしたことのない二十八年前の出来事を、ヤンに語っていた。

 

 すでに一度祖国の喪失を味わった。それが二度になっても驚きはしないと。言うだけ言って、彼に背を向けた。まったく自分らしくもない。ヤン・ウェンリーという人間には、心の内側を開かせてしまう何かがある。当のご本人は、肝心な部分を全く覗かせないくせに。

 

 前線の軍人がいくら考えたところで、軍上層部や政府の決定の前には無力である。シェーンコップの白兵戦や射撃の弟子でもある、ユリアン・ミンツが准尉から少尉に昇格。10月5日までにフェザーン駐留武官として着任せよ。

 

 その命令を知った時、彼を初めとした薔薇の騎士(ローゼンリッター)一同、忌々しげな舌打ちと毒舌を吐いた。

 

「まったく、よくもやってくれる。査問会の席上から、イゼルローンに急行していただいて、

 ガイエスブルク要塞を撃破してくださった、国家の恩人に対する報償がこれだとはね」

 

 シェーンコップは吐き捨てた。ヤンから、ユリアンに随行させる人員の選考を依頼されたのだ。こんな理不尽な命令、ヤンがその権力を用いれば撤回は容易い。だがそれをしない、いや、出来ないのがヤン・ウェンリーという人間なのだ。

 

「正気ならば、伏し拝んで厚遇し、閣下が十分に働ける環境を整えるものだろうが」

 

 薔薇の騎士連隊長のカスパー・リンツ大佐も、完全に同意した。

 

「確かにユリアンの手柄は大きなものです。昇進に異存はありません。16歳で少尉でもね。

 だが、主な戦功はスパルタニアンの撃墜成果と、帝国軍の作戦を見破ったことでしょう。

 なんで、フェザーンの地表に貼り付けておくんだか。意味がないし、もったいない」

 

 そう言って、要塞防御指揮官の机上に、随員候補者のリストを音を立てて置いた。珍しいことである。第14代目の現連隊長は、卓越した白兵戦の技量と鍛え抜かれた体躯に似合わず、日常では温厚な男だ。素人画家として、歌い手としての技量も玄人はだしで、金銭があったら違う職を選んでいただろう。人文的な趣味も感応するのか、ヤンに対する尊敬が深い。その被保護者に対しても、年齢の離れた兄のように、ほどよい客観性と親密さを両立させて接している。訓練の厳しさに、手心を加えるものではないが。

 

「いままでの功績を鑑みるというのなら、空戦隊のエース候補として訓練を続けるか、

 ヤン提督の許で、参謀なり提督なりの修行を積むか。一貫性のかけらもない。

 嫌がらせにしか思えませんよ」

 

 部下の指摘に、シェーンコップは尖り気味の顎をさすった。査問会の内容を漏らすようなヤンではない。彼を吊るし上げていた連中こそ、おおっぴらになどできなかろう。

 

 だが、壁にミリアム、障子にメアリーだったか? 非公開非公式のメンバーに、ある程度の目星はついている。軍上層部のお偉いさんが、予定にない会合とやらで席を度々外せば、受付や執務室付きの女性士官が不審に思わないはずがない。彼女らの観察眼には恐るべきものがある。上司の機嫌が斜めなのか、断崖絶壁と化しているのか、一転して平伏して震え上がっているのか。

 

 ヤンを拘束した連中は、副官嬢にも尾行をつけ、行動を監視した。だが、シェーンコップに言わせれば、全く迂闊な片手落ちだ。同盟軍でも屈指の美人が誰の部下であるのか、知らぬ者などいない。クーデターで失墜するまで、父親はエリートの軍高官でもあった。

 

 従軍して以来『嫁に貰いたい女性士官』の首座を占めていたのだ。『結婚したい軍人首位』である上官と、なかなかいい勝負である。そんな彼女が三千光年離れた任地から、単身で首都に来るわけがないではないか。

 

 当然、その上官で同盟軍一の名将はどうしたの? ということになる。イゼルローンへの帝国軍襲撃のニュース、ヤン提督を、グリーンヒル大尉を見かけたという話。これらを総合すると、うちの上官がヤン提督に何かやって、逆襲を食らった、とピンとくるものだ。

 

 女の噂とよくいうが、あれは噂になった時点で、状況証拠の収集と裏取りが完了している。信憑性は、十中八九から九割九分と思って差し支えない。この噂を拾ったのは、シェーンコップの彼女の一人だった。イゼルローンの通信オペレーターは、軍本部との通信時の四方山(よもやま)話を聞き逃さなかった。

 

 恐らく、あの大人しそうな顔と言動に似合わない、強烈な一撃を食らわせたのだろう。後方勤務本部長の顔色は、面白いほど変色したそうだ。だが、喉元過ぎて何とやら、早速仕返しをおっ始めたようだった。それがこの人事なんだろう。シェーンコップは鼻を鳴らした。

 

「まあ、あの人のことだ。上の言うことに唯々諾々と従うわけじゃあるまい」

 

 デスクの上で、両手のひらを広げてみせる。

 

「ヤン提督から見れば理不尽だが、坊やにとっては出世でもある。表面上はな」

 

 リンツのブルーグリーンの目に、実に面白くなさそうな光がよぎった。確かにそのとおりだ。危険な最前線から、この世の富と享楽を集める星への異動だ。普通だったら、立ち上がって小躍りし、せっせと荷造りを始めるだろう。それが不満になるのが、ヤン司令官の存在なのだった。

 

「確かに。ポプランあたりなら大喜びでしょう」

 

「それを邪魔するような人じゃないからな。正式な命令とあらば断れないし、

 奇蹟のヤンが、養子可愛さに命令を捻じ曲げたなんて言われてみろ。傷付くのは坊やだろう」

 

 上官の言葉に、リンツはしぶしぶながら頷いた。 

 

「はあ、まあそうでしょうね。ヤン提督のことだから、きっとユリアンを説得するでしょう。

 それにしても、昨年からこっち、やれ帰還兵の歓迎式典だ、クーデターの鎮圧だ、

 査問会に帝国の来襲だ、ですよ。上層部の連中は、ヤン提督を何だと思っているんでしょうね」

 

「おまえの言わんとすることは想像がつく。だから、その先は言うな。

 俺たちが口にするのは、いかにもまずい」

 

 最近では七歳の皇帝陛下もやったことだった。そして、シェーンコップらの父母や祖父母らも。その道を、黒髪の名将が逆行しないとは考えないのだろうか。あの連中は。

 

 皮肉っぽく考えたシェーンコップの脳裏に、不吉な雷光が閃いた。そうだった。帝国からの亡命者の経路は、一箇所だけだ。二十八年前に彼自身が通り、これから亜麻色の髪の少年が赴く場所。自由惑星同盟と銀河帝国が共存している、宇宙で唯一の惑星。その弁務官事務所の駐留武官が新たな役職だ。

 

 あれもフェザーン、これもフェザーン、みんなフェザーンだ。

 

 彼は顎をさすった。ユリアン・ミンツという少年の最大の価値は、スパルタニアンの新人パイロットとしての功績ではなく、帝国軍の動きを見破った慧眼でもない。現在のところはまだ。

 

 同盟軍一の名将、ヤン・ウェンリーの唯一人の家族だということだ。兄弟と父子の中間の年齢差の二人は、双方の美点をあわせたような関係を築いている。ヤンをイゼルローン攻略という魔術に踏み切らせた、14歳の少年は16歳の少尉になった。

 

 もし、万が一、フェザーンで帝国軍に誘拐されでもしたら。唯一の家族を人質にとらえて、亡命や敗戦を強要されることになるかもしれない。そうなっても、ヤンは個を優先させるような人間ではない。司令官としての務めを果たすだろう。

 

 これは、想像の先走りすぎ、妄想と言われる類のことか。だが、この数年ろくでもない予想ばかりが的中する。この人選は重要だろう。シェーンコップは、リンツの提出したリストを手に取り、頁を繰り始めた。

 

 麦藁色の髪の素人画家は溜息をついて、見習いの昇進よりも切実な懸念を口にした。

 

「ですが、ユリアンがフェザーンに行ったら、ヤン提督の生活はどうなります?

 一人暮らしなんかしたら、干物になっちまう」

 

 この言葉に、シェーンコップは思わず手を止めた。先月からイゼルローン要塞の気温は、夏季の温度に調整されたのだが、彼はそれで夏バテをしているのである。最高気温は精々26、7度だ。幹部一同、彼に揶揄や小言、叱責を贈ったものだ。当のご本人は、ここ数年この時期は艦隊勤務だったからと言い訳をしていたが。

 

 それでも、なんとか散歩は続けているらしい。暑いからと、軍用ジャンパーを脱いだシャツ姿を見かける。肩の肉付きの薄さときたら、大将の階級を示す肩章がはみ出すんじゃないかという有様である。シェーンコップら、陸戦部隊の猛者を基準にするのも誤りではあるのだろうが。

 

「まあ、なんとかするだろう。俺たちが気を揉んでも始まらん」

 

 本人が言うように、坊やが来るまではなんとかしてきたのだ。かびと埃を友にして。士官食堂は二十四時間営業だし、衣類はクリーニングに出せばいい。ヤンが旧友と再開したところで、命に関わるもんじゃない。

 

「だといいんですがね」

 

「少なくとも、火急の危機にはいたらんさ。坊やのほうが重要だ」

 

 先ほどの考えを発展させるうちに、もっと危険なことがありうるのに気がついてしまった。つい先日まで、お偉方は銀河帝国正統政府などという、笑止千万なものをでっち上げ、悦に入っていた。ローエングラム公が苛烈極まる口調で、幼帝の『亡命』を『誘拐』と弾劾するまでのことだが。

 

 『誘拐』を『亡命』と言いたてることも可能なのだ。しかも、ユリアンの母は亡命者の娘だった。つまり、帝国系三世ということになる。その面においても、薔薇の騎士としての資格を満たしていたのだ。無論、ヤンにそんな考えなどなかったろうが。『逆亡命』と喧伝すれば、保護者の立場は微妙なものになる。

 

 同盟軍上層部が、そのように手を回さないとは限らない。ヤンの能力はこき使いたい、だが権限は抑えつけたいという連中だ。ヤンが蛇蝎のごとく嫌っている、元国防委員長で現最高評議会議長の息がたっぷりかかった奴らである。フェザーン駐在弁務官事務所も、トリューニヒト派の巣窟だろう。

 

 珍しく、皮肉の一つも言わずにリストに没頭するシェーンコップに、リンツもブルーグリーンの目を険しくした。敬愛する元連隊長は、非常に危機察知能力が高く、何度も薔薇の騎士連隊を救ってきた。そのシェーンコップの灰褐色の目を鋭くさせるようなこととは。

 

「何か、他に必要なことはありますか」

 

「そうだな。フェザーンに詳しい奴から情報がほしいところだ」

 

 シェーンコップは顎をさすりながら考えた。フェザーン駐留武官というのは、昨今ではお飾りの色合いが濃かった。赴任する連中は、箔をつけようという軍高官や政治家の子弟が多い。ここにはいないし、いても役立つ情報はないだろう。フェザーンの盛り場や、賄賂を握らせてくれる連中の情報をもらっても仕方ない。

 

 そう、情報だ。そういえば、専門家が一名いるにはいた。より上手なお人の対応から、自分が正体を見破り、二週間ほど睡眠を味あわせてやった奴が。なんとも頼りないが、食った飯の分は働かせるべきだろう。

 

「まあ、詳しくないなら詳しくなるようにどやしつければいい。

 バグダッシュ中佐を呼べ。諜報、防諜の訓練もしないとならんだろう。坊やと随員の双方に」

 

「了解しました」

 

 見事な敬礼をしてリンツが退出し、シェーンコップはリストの確認を続けた。


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